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優しくなれとはいうけれど

 世の男性は、夜は酒を飲み歩き、日曜日にはゴルフや好き勝手なことを行い、たまの夕食も、テレビをみながらといった具合に、家族の会話に耳を貸さないというような生活を送ってはいませんか。また、世の中には「不適切な関係」「男の甲斐性」「アドバイザーの関係」とさまざまな関係が存在するようですが、かりにそのような夫がボケたからといって、妻や家族は果たして優しく介護をしてくれるのでしょうか。またそのような男性は介護してもらえると思っているのでしょうか。

 根拠のない嫁の悪口を言いふらしたり、なにかと姑風を吹かしている人や、「お前らみたいな若いやつらは、戦争の苦労を知らないから・・・」となにかと昔の苦労話を盾に、威張っている老人、若い人たちの決めたことにことごとく反対する頑固な老人、悠然と不快感を与える行為をする老人がボケたとすれば、そのような人たちに、家族は優しく介護できるでしょうか。

 優しい気持ちをもてない人に、親だから、また夫だからといって介護を押しつけるのは、あまりにも周囲の勝手な言い草ではないでしょうか。そのような高齢者を介護している介護者の「なぜ私だけがこのような苦労をしなければならないのか」と思う気持ちは当然です。しかし、介護者のなかには、そのように思っても介護を拒否できない状況の人もいるでしょう。

 さてそれでは、優しくなれない高齢者を介護しなければならない状況になったとき、いったいどのように対処すればよいのでしょう。


介護の限界は自分で決める

 介護者と痴呆性高齢者との関係が痴呆になる以前からよくない場合、介護者にとってその世話ほど苦痛なものはありません。介護者は、お年寄りのボケに伴うさまざまな行動のすべてが、鼻につき、どのような対応を試みようとしても「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心境ですべてが負担に感じられるものです。このような心境の介護者に、ボケたお年寄りの介護を強要しても、長続きしません。そのような場合は、家庭で介護を続けるよりも介護施設への入所も1つの方法ではないでしょうか。

 介護を始める前に、介護者の心のどこかに「自分は、この人を介護できない」と思うならば、初めから施設入所の準備をするべきです。その際に、まず介護者自身がいつまで介護が続けられるか、自問自答してみてください。たとえば、お年寄りが自分で身の回りのことができなくなったとき、1人で家におけなくなったとき、目が離せなくなったとき、などの状況から介護の限界を決めるのもよいでしょう。また、介護者が、「1年くらいは我慢できそう」「いまの仕事が介護のために続けられなくなったとき」、あるいは「施設に空きができるまで」など、介護期間をあらかじめ決めておくこともよいかもしれません。このように、介護者が自宅介護の限界を見極め、そこまでは頑張ってみるのも1つの方法です。

 介護者とお年寄りの関係がよい場合でも、介護の限界はあります。それがいつなのか、介護者によって異なりますが、介護者自身には、それとなくその時期が分かるのではないでしょうか。現在の介護が順調であっても、自分が介護できなくなったときに、どこで、どのような介護を受けることがよいのかを決めておき、あらかじめ準備しておくことが大切です。

 


 

介護者の条件 介護者の向き不向き 介護を楽にする最大のヒント
さぼることも大切 優しくなれとはいうけれど・・・ 施設介護も1つの選択
(施設の選び方)