「認知症における行動と心理面の障害:その背景と対応」

朝田 隆(筑波大学臨床医学系精神医学)

 

1.はじめに
高齢化社会の進行とともに深刻さを増すのが認知症という課題である.根治薬の開発が待たれる現時点で,そのケアにおける最大の難点はBehavioral and psychological symptoms of dementia(BPSD)に対する対応かと思われる.
BPSDの種類は多いが,生命にもかかわるものに徘徊がある.新聞報道によれば2004年には,全国で900名が徘徊の結果死亡したり行方不明になったりしたとされる.
こうしたBPSDに対する対応では,統合失調症の行動・精神症状に対する伝統的な治療法が踏襲されてきた.それにより必然的に多くの問題が発生してきた.
本講演では,以上の歴史的な経過を踏まえつつ,BPSDに対する望ましい対応法を紹介する.

2.歴史的レビュー
BPSDについては1906年になされたAlzheimerの最初の症例報告でも記載がある.ここでは幻覚・妄想,叫び声などが記載されている.実は,紀元前1世紀の文学作品において恐らくアルツハイマー病と思われる認知症に罹患した豪族の寓話が残っている.そして既にこの作品においてBPSDの記載がなされているのである.
言うまでもなく認知症の主徴は記憶を始めとする認知機能の障害にある.しかしこうした作品から,ずっと昔からそのケアにおいてはBPSDこそが切実な問題であったことが偲ばれる.

3.BPSDの特徴
その原因が傷害された大脳にあることは言うまでもない.例えば反社会性を特徴とする認知症にピック病がある.この疾患では,こうした行動障害の重症度と眼窩面の血流低下の程度が相関することが報告されている.
いわゆる介護負担の原因となり得る諸要因のなかでも,決定的なものだと言われ,BPSDの中でも攻撃性,暴力が最も嫌われる.一方でBPSDには,患者と介護者の相互作用の結果として生まれてくるという面もある.例えば介護者による注意や,禁止,早口などによって誘発されやすいことも知られている.
BPSDの種類は多い.その背景となるものは,傷害された大脳の直接表現という要素と,環境・介護要因とに大別できるかもしれない.そして両者の寄与する比率は個々のBPSDごとにかなり異なると思われる(図-1).
その臨床経過については,初期から増悪してゆき中期にピークを迎える.以後次第に軽減してゆく(図-2).もっとも個人差が大きい.けれども同一個人内での重症度は比較的コンスタントであって,激しい人は全経過を通して激しい.その一方で,デイケアなどのサービスの利用には軽減効果があると報告されている.

4.BPSDに対する治療の歴史
従来は多くの施設や病院において認知症の高齢者が抑制・拘束されてきた.それがなされる理由としてはBPSDへの対応と転倒予防が主たるものであった.ところが抑制帯による窒息死など少なからぬ弊害を生じた.そこでわが国では現在,精神科病棟においては抑制・拘束は極めて厳格な規則に基づいて行われている.
こうした抑制が物理的抑制と呼ばれるのに対して抗精神病薬による対応は化学的抑制とも言われる.この種の対応における手段では,定型抗精神病薬に代わって近年は非定型抗精神病薬が好まれるようになった.ところがいずれであれ,こうした薬剤の服用によって錐体外路症状を始めとする様々な副作用が生じる.さらに最近になって,死亡率が倍増することが判明した.そこで2005年にはアメリカの食品医薬品局はこれらの薬剤を認知症患者に投与することに警告を発した.以来わが国でもこれらの薬剤の処方に対して多くの医師が極めて慎重になっている.

5.望ましい治療,新しい薬物治療
BPSDへの対応の基礎は,生活の状況を正しく評価した上での環境調整にある.また家族介護者への教育的介入が不可欠である.その上で必要に応じて薬物治療がなされる.
新たな治療薬として注目されるものに漢方薬の抑肝散とセロトニン(5HT)1Aのパーシャルアゴニストであるタンドスピロンがある.いずれもBPSDの中でもとくに攻撃性や暴力に有効とされ,期待が集まりつつある.
前者については,アルツハイマー病のみならずレビー小体型認知症でみられるBPSDにも有効とされる.全国レベルでの治験も現在進行中である.
またタンドスピロンについても同様の効果が期待されている.なおわが国では入手できないが欧米で流通している5HT1Aのパーシャルアゴニストにブスピロンがある.この薬は治療抵抗性のうつ病に対する抗うつ薬の効果増強剤として有名である.また従来から欧米ではBPSDへの本剤の効果を述べた症例報告がなされていた.
最近PETによる研究からアルツハイマー病脳の海馬と縫線核における5HT1A受容体が減少しているという報告もある.こうしたところから,これら薬剤の効果のメカニズムに5HTニューロン系がかかわるものと推定される.

6.ま と め
今後の課題では,まず標準的な非薬物療法の基盤を作ることがある.その上に上記の薬物などについてのエビデンスが求められる.
 
図1 脳因性と環境因性のBPSD (注)CDR:Clinical Dementia Rating
図2 BPSDの経過