「二つの視点から理解する認知症」

長谷川和夫(認知症介護研究・研修東京センター)

 

 わが国は,平均寿命82歳という世界第一の長寿国となり,まさにトップランナーになった.
 ところで長寿社会の現在,認知症高齢者は160万人とされ,さらに10年後には260万と推定される.まさにモデルなき挑戦にむかっている時,医療および福祉の専門職のみならず,ひろく一般市民の協力を頂いてとりくむ時代を迎えた.そこで多くの方々に認知症についての知識を共有することが期待される.
 まず認知症を知るうえで二つの視点があることを提案する(表-1).
 第一は認知症を多様な疾患群としてとらえ,適切な診断技法と治療戦略をもつことである.
 これは医学的モデルで説明の領域と言えよう.そして科学的方法によって得られた根拠が重視される,evidence-based approachである.
 第二の視点は,認知症をもつ高齢者を知ることである.自分が治療者あるいは介護者として高齢者と向き合う“我と汝”という二人称の関係をもち,相手の内面世界とニーズを推察する理解の領域である.その人の物語りを傾聴するnarrative-based approachである.
 認知症は表-2に示すように記憶低下と認知障害に加えて,日常生活の支障をきたした状態である(表-2).認知症を認知機能という電車の運行にたとえてみた(図-1).脳神経細胞の障害は電車のコンピュータ機構の障害にあたり,原因疾患はアルツハイマー病,レビー小体病等とされる.また脳血管性認知症は,電気を供給する架線やポールの故障によるものである.うつ病の除外を意味する前輪と意識清明を意味する後輪,いずれも認知機能を障害するが,脳自体の障害ではない.
 長谷川式認知症スケールHDS(1974)あるいはMMSE(1975)等の簡易テストは,認知症診断技法に一つのステップを作った.1991に改訂されたHDS-Rの有効性については,得点分布の検討の結果,カットオフポイントを20/21においた時に感受性0.90,特異性0.82であった(図-2).またMMSEとの並存妥当性は0.94であった(図-3).開発者のFolstein教授とたまたま1989年第4回国際老年精神医学会に同席した記念すべき写真を示した(図-4).
 アルツハイマー病の病態は,アミロイドカスケード学説が主流である(図-5).本症の適応薬ドネペジル(アリセプト)はコリンエステラーゼ阻害薬として本邦で開発されたが,進行抑制の作用にとどまり,原因治療薬になっていない.現在,国立長寿研究センターでのΑβワクチン療法はβタンパクの発生を阻止するもので,期待を集めている.
 最近,Petersenらが正常と認知症との境界にあたる軽度認知障害Mild Cognitive Impairment MCIの診断基準をつくった(表-3).MCIをアルツハイマー病等の認知症ハイリスク群として薬物治療などの介入が試みられている(図-6).
 以上が医学的モデルとしての認知症についての知見の一部であるが,次に認知症をもつ高齢者へのアプローチをのべる.
 健常者の物忘れ,記憶低下は体験の一部を忘れるので,過去―現在-未来へと記憶の帯が連続しているもので修正の努力が可能であるが,認知症の記憶低下は体験の全体を忘れる所謂エピソード記憶障害のため過去―現在―未来へとつづく記憶の帯が中断するため生活に支障をきたす(図-7).このために認知症になると不安気分からパニック状態を起こし易い.また正しい状況がつかめない(失認・失見当)や簡単な道具が使えない(失行)等の認知障害のために混乱し易く,また間違い行動として表現され易い(図-8).
 行動障害(BPSD)は認知症高齢者が暮らしてゆく中で何とか適応しようとした結果,認知障害のために間違い行動になってしまったと考えられる.この時に忠告したり,注意したり,説明を求めても,これを理解する能力や手段を失っている高齢者には,ますます不安を与え混乱を招くことになる.むしろまず受け止めて不安を解消する,そして理由を考えて対応することである.
 したがって認知症ケアに当たっては,高齢者中心のケアを理念とすることが第一である.これは物語りを大切にするケアである.
 次の三つの絵は一人の高齢者の絵である.第一は71歳頃,健康なときの画である.郊外の風景,緑の木々と道路,自転車の人と犬が描かれていて写実画である(図-9).
 第二の絵は本人75歳頃,アルツハイマー病を発症した頃の絵である.「あれは何だ」というタイトルがつけられている.暗い絵で一人の高齢者の後姿,前も後も暗く老人の周りのみが街燈に照らされている淋しげな姿である(図-10).
 第三の絵は78歳になり高度の認知症を呈した時期の絵である.雲か海か空か混とんとしている(図-11).この直後に施設に入所している.
 これらは言語によらず絵によって自分の物語りを表現したと考えられる.こうした認知症の方の物語りをどの程度私たちは理解しているだろうか.
 認知症ケアの推進役として認知症介護研究・研修センターが,仙台,東京および大府市に創られ,認知症ケアの実践的な研究と全国の三領域を分担し,ケア実務者の指導者の養成を行っている(図-12).その人らしさを大切にするケアPerson centred careの理念を現場に具現化するツールとしてセンター方式アセスメントシートが開発されている.高齢者のニーズを把握することに重点がおかれたもので,ケアにかかるチームによる評価を特徴とする.2004年12月24日,痴呆から認知症への改称が決定した.厚生労働省はこれからの10年を認知症を知り地域をつくる10ヵ年として,啓発活動や認知症の高齢者と共にくらす町づくり運動等を100人委員会を構成して推進するプロジェクトを考え,早速この1年目からキャンペーンを始めることを計画している(図-13).ことに医療と福祉領域の方々のご協力を求めたい.

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表-1 表-2
       
図-1 図-2
       
図-3 図-4
       
図-5 図-6
       
図-7 図-8
       
図-9 図-10
       
図-11 図-12
       
図-13 図-14