認知症における記憶障害について

加藤元一カ(慶應義塾大学医学部精神神経科)

 

 記憶障害は,短期記憶の障害と長期記憶の障害に分けられる.臨床的な長期記憶の障害は,大きくエピソード記憶の障害と意味記憶の障害に分けられる.認知神経心理学的研究に伴い,アルツハイマー病では,その症状の中核はエピソード記憶であることが明らかになってきている(責任病巣は,海馬・海馬傍回に求められることが多いが,前脳基底部の障害を重要視する見解もある).これに対して,意味記憶障害ないしは様式特異的な失認は,前頭側頭型認知症で認められる.本席では,まずこれらの障害を特異的にもつ認知症例について紹介する.
 また,エピソード記憶の障害に関連して,近年SEPCT およびPET 研究により指摘されているアルツハイマー病における後部帯状回およびprecuneusを含む頭頂葉内側部の機能低下の持つ意義について若干の言及を行いたい.この頭頂葉内側部の所見は,まず以前から知られている脳梁膨大後部健忘(retrosplenial amnesia,間脳ないしは前頭皮質と海馬領域との経路が離断された結果による健忘症候)として,アルツハイマー病の記憶障害,特にエピソード記憶の想起障害を説明する可能性がある.一方,近年の脳腑勝研究により,頭頂葉内側部は自他の区別に強く関与する社会的認知のキー領域であり,自己に関する内省などの機能に強く関与していることが徐々に明らかにされている.アルツハイマー病では,その経過の中で,知性・人格(知情意)の全般的解体が出現する.かつて,Scheller(1965,1971)は,痴呆の本質として,自己に問いを発すること,自分自身に関わること,人格である自由と可能性を持つことの障害を指摘した.アルツハイマー病における頭頂葉内側部の機能低下は,健忘を説明するだけでなく,認知症でみられる自己関連機能の低下に関与している可能性がある.
 次に,認知症でしばしば認められる,健忘に伴う記憶錯誤(パラムネジア)の出現メカニズムについて,若干の検討を紹介したい.記憶錯誤とは,記憶想起の質的な障害であり,誤った記憶を想起する現象である.実際には体験しなかったことや生じなかった出来事を誤って想起する現象であり,また,記憶錯誤を広く捉える場合には,人や場所や物を誤って再認(認識)する現象もこれに含まれる.記憶錯誤に含まれるカプグラ症候群は,情動的価値が非常に高い人物に対する「唯一無二」の情動の生起障害から発展すると考えられる.一方,類似した症候である重複記憶錯誤は,新しい場所(たとえば病院)への親密感や実感の欠如が,二重見当識を引き起こし,これが場所の同一性の崩壊を引き起こすと考えることができるかもしれない.両者ともに,人や場所に関する知覚,記憶,情動の統合に歪曲が起こることが核になって生じる現象であると考えることが可能であろう.