「アルツハイマー病研究‐Update」

柳澤勝彦(国立長寿医療センター研究所)

 

100年経って
Alois Alzheimer博士が,後に彼の名が冠されたアルツハイマー病の最初の臨床病理報告を行って,100年が経過した.アルツハイマー病は今や,高齢者人口の増加と相まって,我国をはじめとした先進諸国では医学を超えた大きな社会問題となっており,真に有効な治療薬や予防薬の開発が切望されている.アルツハイマー病の病態生理に関しては,1980年代から急速に展開した生化学的,分子生物学的研究がもたらした多くの知見により,我々の理解は確実に深まっている.とりわけ,家族性アルツハイマー病の原因遺伝子の発見とその生物学的意義をめぐる研究は,神経科学の新しい領域を創出したといっても過言ではない.しかしながら,罹患者の大部分を占め,誰もその発症の可能性から逃れられない弧発性アルツハイマー病の発症機構に関しては,「老化が最強の危険因子である」という自明ながら本質的な事実を除けば,実証にまで至った仮説も理論も未だ存在していない.

アミロイドカスケード仮説のその後
アルツハイマー病の神経病理学的所見は,老人斑,神経原線維変化の形成と高度な神経細胞脱落である.これらのうち,老人斑の形成,換言すれば,その構成成分であるアミロイドß蛋白(Aß)の脳内沈着は,罹患脳で捉えられる最も早期の病理学的変化である.一方,分子生物学的研究の重要な成果として,Aßの前駆体蛋白(APP)の遺伝子変異を伴う家族性アルツハイマー病が発見され,家族性アルツハイマー病の遺伝子変異の多くがAßの産生異常を誘導することが明らかにされた.さらに,重合したAßには神経細胞を直接的に傷害する毒性能がそなわることも明らかとなった.これらの事実が根拠となって,「Aßの産生,重合ならびにそれによる神経細胞傷害がアルツハイマー病成立過程の主軸をなす」という考え方(アミロイドカスケード仮説)が提示され,これまでのアルツハイマー病の基礎研究や創薬研究の基盤となっている.しかしながら,認知障害を示さない高齢者脳にも顕著な老人斑の形成を認めることが少なからずあり,またアルツハイマー病のモデル動物であるトランスジェニックマウス脳においては,広範なアミロイド沈着を示しながら神経細胞の変性や脱落が必ずしも明らかでないことなどから,アミロイドカスケード仮説には疑問の目も向けられている.そうしたなかで,最近のAßオリゴマーの登場は,Aß重合体の解釈を病理学的に可視化できるアミロイド線維(老人斑)から,可視化できないAßオリゴマーにまで拡大することで,これまでのアミロイドカスケード仮説への批判に,とりあえずの回答を与えたといえる.ただAßオリゴマーにも課題があり,アルツハイマー病脳でその存在を確実に捕捉し,罹患脳でその形成が促進される必然性を明らかにすること,さらには,その神経細胞傷害機構を分子レベル,細胞レベルで明らかにすることが今後必要と考えられる.
アミロイドカスケード仮説がアルツハイマー病発症過程の主軸であるならば,これまで見い出された発症危険因子の全ては,このカスケードのいずれかの段階に作用し,その進行を加速すると考えられる.例えば,コレステロール輸送蛋白であるアポリポ蛋白Eのアイソフォームの一つであるE4を発現することは,老化に次いで強力なアルツハイマー病の発症危険因子であるが,アミロイドカスケードとの接点はどのようなものであろうか.仮に,臨床疫学的にも示唆されているコレステロール代謝障害がアルツハイマー病発症の背景にあるとすれば,E4は神経細胞膜のコレステロール回転を変調させ,神経細胞膜上でのAßの産生や重合に影響を与えているのかも知れない.アミロイドカスケード仮説の実証には,さらに時間がかかりそうであるが,それに挑戦することでアルツハイマー病の全貌が次第に明らかにされるものと期待される.

分子イメージングという新手法の登場
最近,脳内に形成された老人斑をPETで画像化する技術が開発された.老人斑を構成するアミロイド線維のßシート構造を選択的に認識するトレーサーを用いた技術で,大脳白室や脳幹部など脂質の豊富な部位への非特異的集積の問題は残るものの,大脳皮質を関心領域として観察する限り,十分に臨床応用可能なレベルまで精度が向上している.老人斑の画像化は,老人斑のそもそもの病的意義を読み解く上で有用であるばかりでなく,今後開発されるであろうワクチンをはじめとした抗アミロイド療法の有効性を客観的に評価する指標としても重要な手法といえる.また,脳内の炎症細胞であるミクログリアの活性化をベンゾジアゼピン受容体の発現を指標に画像化する研究も盛んである.アルツハイマー病成立過程には炎症反応が重要な役割を果たしていることは以前から知られており,その可視的追跡技術の開発は,アミロイドイメージングとともに,アルツハイマー病の病態研究や治療薬開発研究に大きく貢献するものと期待される.

治療薬開発の現状
アルツハイマー病の発症病態には依然不明の点が多く残されているが,アミロイドカスケードの進行阻止を狙った様々な薬剤開発が精力的に進められている.APPからのAß産生に関わるプロテアーゼ(セクレターゼ)に対する阻害剤や,Aßと結合することでその重合を抑止する薬剤など既に臨床試験の段階にある候補分子が複数ある.また脳内に沈着したアミロイド線維の除去を狙った免疫療法も話題を集めている.当初実施された能動免疫によるワクチン開発は重篤な脳炎の発生のため,臨床試験の全ては中止に追い込まれたが,受動免疫の手法による臨床試験は第2相から第3相に移行しつつある.アルツハイマー病治療は様々な身体的障害を潜在的にもっている可能性のある高齢者を対象とするものであり,また薬剤投与も長期間に渡ると想像される.一刻も早い創薬を目指しつつも,副作用出現の可能性には多角的な検討を加え,安全性の評価には慎重の上にも慎重でありたい.