「老年期神経症性障害‐疫学から治療まで‐」

笠原洋勇(東京慈恵会医科大学附属柏病院)

 

 神経症(neurosis)という用語を始めて使用したのは,イギリスのWilliam Cullen(1710〜1790)であった.この当時は,末消神経の病理に原因する疾患と考えられるものが含まれており,ノイローゼは,幅広い領域の疾患を含んでいた.
 近年の神経症概念に基づいた分類は,不安神経症,恐怖症,強迫神経症,心気神経症,離人神経症,抑うつ神経症,ヒステリー(転換,解離)であった.つまり,神経症は,器質的な要因がなく,病態が性格,および環境を背景とする心理的要因によってもたらされるものとされていた.
 しかし,症状記述による操作的分類を採用したDSM分類は,神経症という用語を排したが,それは病因論的分類が不確定であること,病態が互いに重複し,内因性精神疾患との区別が難しい場合もあることなどであった.DSM-IV-TRの分類では,神経症という用語は使われなくなり,不安障害,身体表現性障害,解離性障害,気分障害に分類されることとなった.
 一方ICD-10では,F4コードで,神経症性障害として残されているが,従来からの神経症圏の名称や分類とは異なるものとなっている.表1に従来からの診断とICD-10の分類を示した.
 不安の発症率に関する初期の研究では,高齢者では不安症状の有病率が高いことが判明していた.
 Himmelfarbは,STAIを用いて検討したところ,55歳以上の成人では,男性7%,女性22%が臨床上問題となる不安症状を認めた.またこの研究での不安症状は,身体的健康問題と関連する傾向にあった.
 DSM-IIIで定義されている全般性不安障害およびパニック発作の有病率は,65歳以上の成人の2.2%であり,高齢者では,若年者に比して低く,女性は,男性より幾分高かった.ECAの高齢者におけるGADの生涯にわたる有病率は,4.6%であり,GADの高齢者は,精神科外来診療を受け,ベンゾジアゼピン投与を受ける傾向が高かった.ECA研究においてPDの発症率を概算したところ,発症率は極めて低かった.現在PDと診断されている率は,45〜64歳では1.1%,それ以上では0.4%であった.生涯中に不安障害と診断されたことのある率は,45〜64歳で2%,それ以上で0.3%であった.高齢者では,若年者に比して,生涯中のPD有病率が極めて低いという結果であった.つまり診断基準に基づく調査結果は,上記の不安に関する調査と異なる結果となった.
 不安の有病率は高いにもかかわらず,ADやPDの有病率はむしろ若年よりも低い.不安が日常的なものなのか,診断基準が高齢者に適切なのかどうかを検討する必要がある.
 一方,身体表現性障害に含まれるものには,心気症,疼痛性障害,転換性障害,身体化障害,鑑別不能型身体表現性障害が含まれるが,われわれの調査では,鑑別不能型身体表現性障害に分類されるものが多い結果であった.患者は安堵することなく身体的訴えを繰り返すため,医師側からは取り扱い困難な患者とされやすい.医師の方針としては,患者の話に関心を持ち,次回の面接を予約し,話題を拡大する工夫が必要である.また医療機関を転々としやすいので,主たる治療者のもとに情報が集まるようにし,必要以上の検査を避ける必要がある.
 不安に関する生物学的要因に関する研究では,数十年にわたり,中枢神経系活性化の増強と,覚醒および不安の認識の増大とが,関連していることが証明されており,特に青斑核が関与している.更に,PD患者では,乳酸注入によりパニック発作が誘発されることが証明されている.
 高齢者では,社会的および心理学的因子が,不安を誘発する重大な原因であることは周知のことである.また高齢者は,自分の安全に関して極めて現実的な憂慮を抱きやすく,不安は毎日の出来事と直結することになる.
 高齢者における全般性不安に関する心理学的説明の一つに,喪失不安がある.不安は,内因性のものから発生するものではなく,外的対象の喪失に対する反応である.換言すると,老年期の喪失不安は,環境変化によって促進あるいは悪化する.高齢者は,喪失ということに対して極めて感受性がつよくなる.
 高齢者に薬物を処方する場合は,処方しようとする薬物の動態および薬力学に影響を与える加齢による身体的変化を考慮する必要がある.高齢者では,消化管の変化は薬物の吸収に影響し,体脂肪の増加は薬物の分布に影響する.そして,ベンゾジアゼピンの薬物の半減期が延長する可能性がある.高齢者では,若年者と同様にベンゾジアゼピン系薬物に対する依存性が発現する可能性があるので,投与期間を可能な限り短くする必要性があるが,臨床的に厄介な問題となるのは依存性ではなく,副作用である.
 高齢者の神経症性障害の精神療法について,系統的検討はされていないが,一般的精神療法の手法としては,本人が安心感を得るために,本人が十分に支持されていることを自覚する必要があり,支持的精神療法は,いずれの精神療法を行うにしても診療の基本的姿勢として重要である.心理的手段としては,1言語 2行動 3非言語的な特殊手段などを媒介とする.そのうち,よく用いられる支持的精神療法は励まし,説得,慰め,安心づけなどは,本来対象者が有する対処メカニズムを支援して安定を図る方法であるといえる.
 高齢者の精神療法は,検討されるべき部分が多いが重要な治療法であり,その可能性について明らかにされる必要がある.
表1   ※図をクリックすると拡大されます