「せん妄」を巡って

一瀬邦弘(聖美会多摩中央病院)


 20世紀の意識障害を巡る概念の混乱をまとめあげる契機となったのはLipowski,Z.J.の著作である.精神科病院の脳波室で暗くなってから電極をつけ始め,昼間入院したてのアルコール依存症患者の終夜睡眠脳波記録をとりながら読んだのが,1980年に書かれたDeliriumの大著であった.このころ目的は振戦せん妄における発症前,発症中,発症後の終夜睡眠ポリグラフィーの記録だった.周波数分析のために,記録はアナログデータを磁気記録したが,当時の記録レコーダーは15分おきにテープ交換が必要なカセットデータレコーダーで徹夜の仕事であった.翌朝の常磐線での帰京と翌日病院勤務はまさに消耗戦であった.それから10年経って翻訳読み合わせのコピーが散逸したころ,すこし薄くなってDelirium改定版が出版された.その10年の間に副題は急性脳機能不全症(Acute brain function failure)から,急性錯乱状態(Acute Confusional States)へと変化した.その中では,もうろう状態,幻覚症,アメンチア,夢幻様体験など歴史的記述から集大成し,全体を急性の脳機能不全として一括されている.そして10年後に,せん妄概念はより広範化し,狭義の精神症状を伴う意識変容状態は全てせん妄として一括して定義された.その経過はDSM-II,DSM-III-R,DSM-IV,DSM-IV-TMの変遷へ影響し,そしてICD-10のF.精神および行動の障害へも強く関与した.歴史的には,1910年のBonhoefferによる急性外因反応の提唱,1916年Bleulerによる精神器質症候群のまとめから,1956のWieckによる通過症候群の論議を経て,Lipowski,Z.J.による集大成が行われたと言って良い.またこの間にポリソモノグラフィの普及に伴って,睡眠学が急速な発達を示し,せん妄症状群の中からSchenck CによってREM睡眠関連異常行動がとりだされたほか,アルコール離脱期のせん妄など,さまざまなREM睡眠機構の解離現象がみいだされた.また1960年,わが国の原田のよる最軽度の意識混濁についての臨床症候学的な提唱は,今もベッドサイドでの指針と言えよう.