アルツハイマー病

工藤 喬(大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室)


1.アルツハイマー病の疾患概念の歴史
 51歳時に嫉妬妄想で発症し,記憶障害,被害妄想,失見当識が出現して,4年半の経過後寝たきりとなり,死亡したAuguste Dという女性の症例が,ミュンヘン大学のAlois Alzheimerにより病理所見と共に1906年に報告された.彼は,その神経病理学的特徴を老人斑と神経原線維変化と報告し,それらは100年以上たった今でも正しい知見である.Alzheimerの師匠である高名なKraepelinは,以後報告されたAuguste Dと類似症例群をアルツハイマー病(AD)と命名し,「精神医学教科書第8版」に1910年に掲載した.

2.ADの疫学
 急速な高齢化により,65歳以上の高齢者が2020年には300万人に近づき,その中で認知症患者は9%近くを占めると,厚生労働省は予測している.老年期の認知症の約75〜80%は,ADと脳血管性認知症(VD)があり,両者のうちでややADの有病率が上回るというのが本邦の現状であるが,実際はADとVDが合併した混合型が多いとされる.

3.ADの症状
 ADは緩徐な発症と持続的な認知機能低下を特徴とする.主要症状は記憶障害で,数年後に失語,失行,失認,さらには実行機能障害が加わり,ADの中核症状をなす.中核症状の進行に伴い,周辺症状としての行動異常・精神症状であるBPSDが出現する.経過が進むとミオクローヌスや痙攣が出現し,寝たきり状態となる.死亡までの平均罹患期間は8〜10年とされる.

4.ADの診断
 認知症の診断の前に,薬剤,内分泌疾患やうつ病(仮性認知症)等から来るtreatable dementiaかどうかを見きわめることが極めて重要である.VDとの鑑別は,画像所見や臨床経過を検討して行う.その他の変性型認知症即ちレビー小体病,前頭側頭葉変性症,進行性核上麻痺や皮質基底核変性症等との鑑別は,それぞれの疾患の画像所見や臨床所見の特徴を踏まえて行われなければならない.近年,ADの生物学的マーカーも実用に移りつつあり,APOEの遺伝子タイピング,脳脊髄液中のタウやアミロイドペプチド(Aβ)などが行われ,画像の検索もVSRADが使われるようになってきている.

5.ADの病態仮説
 ADの病態解明は,二大病理所見である老人斑と神経原線維変化の構成タンパクの同定から始まった.まず,老人斑はアミロイドタンパク(Aβ)によって構成させることが明らかにされた.さらにAβの配列を基に検索した結果,Aβはアミロイド前駆体タンパク(βAPP)から切り出されることが明らかとなった.βAPPは膜1回貫通タンパクであり,αセクレターゼ,βセクレターゼ,さらにγセクレターゼによって切断を受ける.図1に示すように,Aβはβ及びγセクレターゼによって切り出され,特にγセクレターゼによってAβ40および42などが切り分けられる.Aβ42は凝集性が高く,老人斑形成に強く関与しているとされている.家族性ADが報告され,βAPPやpresenilin 1や2(PS1, 2)にミスセンス変異が見つけられている.βおよびγセクレターゼは,それぞれBACEおよびPS1を中心としたPS1 complexと同定されている.
神経原線維変化はPHFという線維分子で構成されるが,このPHFが高度にリン酸化された微小管タンパクであるtauタンパクで構成される. 家族性AD脳ではほぼ全てに於いてAβ42の上昇が観察されたことから,この現象がAD病理の根幹をなすという「βアミロイドカスケード仮説」が提唱され,現在のところADの最も有力な病態仮説とされている.この仮説によると,@脳内Aβの上昇→AAβオリゴマーの形成・蓄積→Bび慢性老人斑の形成→Cグリア細胞の活性化,酸化ストレス障害→Dタウ蛋白の異常リン酸化→E神経細胞死とされ,神経原線維変化は,老人斑形成の下流に位置するとされている.しかし,認知症状の程度は神経原線維変化の数に関与する事実やtauをノックアウトしておくとアミロイドによる神経細胞死が抑止される動物モデルなどから,アミロイド仮説に否定的な意見もある.

図1 


6.ADの治療
 ADの中核症状に対する治療薬として,本邦で認可されているのはアセチルコリンエステラーゼ阻害薬であるdonepezil(アリセプト)のみである.近々,同様の薬理作用を持つgalantamineやrivastigmineが認可される見通しだが,これらは,AD脳においてアセチルコリン神経の活性低下が症状を引き起こし,それを補充してやることで治療しようとするものである.また,AD脳における神経細胞障害を保護する目的で,NMDA受容体拮抗薬memantineも近々承認される予定である.
 上記の薬物はSymptomatic Drugとされ,根治療法を目指し,「アミロイドカスケード仮説」を基盤としたアミロイドワクチンやβ/γセクレターゼ阻害薬などDisease-modifying Drugの開発が現在進められている.しかし,アミロイドワクチンはその効果を期待され,第2相試験まで行われたが,ApoE4(AD発症の危険因子)の非保有者に限れば有意な効果が認められたという部分的効果しか認められていない.即ち,アミロイド仮説以外の創薬も必要であるとの意見も出てきている.  実際の臨床では,BPSDに対する抗精神病薬や抗うつ薬などが必要になることが多い.