老年精神医学の専門医のために

一瀬邦弘
((財)東京都保健医療公社豊島病院精神科/東京医科歯科大学医学部臨床教授)


はじめに
夜間や休日などの医療機関が手薄な時間帯に,入院を必要とするような精神障害の発生は,おおまかに100万人口に対して,1人程度とされる.都立豊島病院が全都4分の1を扱うようになってほぼ10年間が経過し,約4000人がおもに夜間時間帯である準夜,深夜,そして早朝未明に入院した.緊急措置入院,(24条警察官通報)がその半数を占める.以前報告したように,この精神科3次救急の中で,高齢者(65歳以上)の占める割合は約5%,オールド・オールド(75歳以上)は0.1%程度であった.都市部において家族制度の崩壊は顕著で,家族内介護力は脆弱化している.そのため高齢者の精神症状の急発はあっという間に救急事例化とする.またその中ではせん妄や器質性障害が多く身体合併症はあって当然といって良い.

1.精神科救急での認知症性疾患
問題行動のある認知症性老人が,自傷・他害の懼れ有りとされ24条通報で来院することが最近,増加傾向にある.精神保健福祉法でいう24条通報とは「警察官は,・・異常な挙動その他周囲の事情から判断して,精神障害のため自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは,直ちに,その旨を,・・通報しなければならない.」という規定に基づく.この「精神障害のため自傷又は他害のおそれ」とは都道府県知事による強制入院である措置入院の案文に対応し,精神症状が重度で差し迫った緊急性のあることを意味している.
精神科救急での高齢者の比率は約5%と低い印象があるが,ここで来院するケースは,警察官に保護されたほどの激しい精神症状を示し,緊急性の高い患者のみであることに注目したい.痴呆性疾患では,その進行は多くの場合緩徐で,もちろん数カ月あるいは数年前から問題行動はすでに存在し,もう何回か保健センターなどに相談をしているケースがほとんどである.
また身体合併症や特に脳血管障害急性期を含むことが往々にしてあり,これも今後の課題として大きな問題となる.また在宅の高齢者だけでなく,徐々に介護施設からの通報も増加している.

2.精神科救急での身体的合併症
精神科救急では,事前の情報がほとんどない状況で診断を下し,入院治療の要・不要について決定して,治療を開始しなければならない.本人と同居している家族などが一緒に来院していれば,生活歴や現病歴,身体的状況についてある程度の客観的な情報を,本人以外からも得ることができるが,夜間休日の精神科救急の現場では,家族が同伴していない場合が多い.精神科救急受診者全体では家族の同伴がないものが67%に達する.さらに本人の精神症状のために,本人から情報を得ることすら困難なことも少なくない.そうした状況の中で,身体的合併症を的確に診断して対処することが要求されている.
当院での精神科救急診療では,問診と身体的診察以外に,全例でルーチンワークとして血液検査(血算・生化学・感染症・甲状腺機能)・尿検査・頭部単純CTと胸腹部の単純レントゲン撮影それに心電図検査を行っている.また時に尿中薬物反応検査も施行している.そうした検査結果や画像は,検査後1時間以内で報告される体制が整えられている.さらに入院になった場合は全例で,末梢静脈路を確保して,酸素飽和度と心電図の持続モニターを施行している.また鎮静が必要な場合は,経静脈的投与を行う.このような体制のもとで,身体的合併症が見つかり,対処が必要な際には,他科医師の協力を得て,入院時あるいは入院後にコンサルテーションあるいは診療依頼を行っている.

3.精神科救急診察の10の特徴
こうした夜間・休日精神科救急の現場では,高齢者の精神医学についての高度な練度が要求される.ここでは
1.夜間に,
2.単独で,
3.制限された時間,約2〜3時間という限られた短時間の内に,
4.限られた関連情報,つまり文字数にして90字程度(警察官通報の場合)に基づいて,
5.精神症状の評価,
6.身体症状の評価,
7.生命的予後を診断・処置し,
8.家族関係や法・社会学的位置づけから,
9.本人の今後の処遇を判定し,
10.その関連法などの書類を完成させる.
精神科救急とは,こうした凝集された診断過程であり,かつ治療過程であると定義できる.

4.精神科救急診察の10の特徴
この精神科救急の10の要素のうちで,当直医をもっとも消耗させるのは,なんといっても2.単独のという要素である.臨床経験十分と自他ともに思っていても,この重い決定を単独でこなすのは,相当な精神的修練が必要である.たとえ診断で自信がなくても昼間は何となく周りの同僚に相談できるから安心である.しかし夜中ではCT一つにしろ,心電図にしろ,または腹部単純写真にしても,自らの読影実力で診断しなければならない.医学全般と精神医学全般の不断の勉強がなにより大事になる.また鎮静一つにしても加齢に伴う薬物動態学的変化を考慮しなければならない.

5.高齢者精神科救急患者の特徴と診療のポイント
精神科救急のなかで,高齢患者の特徴は国際疾病分類のF0コード.症状性を含む器質性精神障害に分類される患者が多いことである.軽い痴呆にせん妄の重畳したケースが最も多い.また痴呆性疾患の中では,物盗られ妄想,嫉妬妄想それに興奮といったいわゆる問題行動によるものが最も多い.57%がF0に該当する.こうした特徴は対象年齢を75歳以上のいわゆる高・高齢者(old old)にしたときに鮮明である.特徴的な高・高齢者の救急ケースを例示しながら診療のポイントに触れていきたい.

おわりに
精神科救急の中で,高齢者の占める比率は,都市部での家族機能の崩壊に対応してより増加するものと考えられる.
課題として,1 せん妄原因検索の検査手順,2 認知症性疾患の診断手順,3 自殺症例の高齢者での特徴,4 統合失調症と老年期妄想症,5 アルコール関連障害などについて触れたい.疾患としてはせん妄,痴呆など脳器質性精神障害がもっとも多く,ついで脳器質性疾患の抑うつにもとづく自殺が症候としては多い.また老年期妄想症は,現在の疾病分類では分裂性障害に含まれるが,経過から考えて疾病の位置づけに再検討が必要と思われる.
いままで精神科救急医療は,ともすれば身体強健な統合失調症患者や中毒精神病者を主な対象として編成されてきた.高齢社会を迎える今日,高齢者の脳器質性の精神障害と身体合併症を目標にシフトを組換える時期にきている.精神救急医のさらなる精進が必要である.