高齢者の精神科臨床

斎藤正彦(医療法人社団翠会和光病院)


1.老化と精神疾患
職業生活からの引退は,社会的な結びつきに変化を及ぼす.公的なつながりに代わって,私的なつながりを作りだせなければ,退職によって,人とのつながりが減少する.子供世代が独立すれば,家庭の規模は小さくなる.夫婦だけの生活になり,夫が仕事から退けば,夫婦間の関係は突然,極めて密なものになる.他方,単身生活者の場合は,社会的なつながりの減少はそのまま,すべての人間関係の希薄化につながる.
感覚機能,特に,視覚,聴覚の機能低下は,外界から獲得する情報の質を劣化させる.テレビや新聞などのマスメディアからあふれる情報をフォローすることに困難を感じるようになり,やがて少しずつ遠ざかる.街を歩いていても,掲示や道路標示が分かりにくくなり,駅や車内の放送が聴き分けにくくなれ外出が億劫になる.運動機能の低下も,高齢者の活動の範囲を制約する.情報のIT化など,社会の変化も,高齢者を疎外する.感覚機能の低下は小さな情報端末を見つめることに苦痛を感じるし,精神および運動機能の低下は,新しい機械操作の習得を難しくする.
こうした変化に手をこまねいていれば,社会的老化,感覚器官の老化,身体の老化は,高齢者が外界から得る情報量を減らし,情報の偏りを拡大し,情報の質を劣化させる.情報の質,量の変化は,外界で生じた出来事に関する認知を歪め,認知のゆがみはストレスを拡大する.一方,情報の質,量の変化は問題解決の能力を低下させ,問題解決能力の低下は,ストレス耐性を低下させる.
こうした悪循環に陥ったとき,精神疾患が起こる.高齢期になっておこった精神疾患の理解と対応には,心身の老化,高齢者と社会との関連などへの配慮が要求される.なお,テキストでは,老化の生物学的機序,神経病理学,神経化学,神経生理学について概論されているが,こうした問題について専門医に講義することは論者の力量を超えるので,今回の講演ではあえて触れない.

2.高齢者診療の基本姿勢
講演では,テキストとは離れて,東京都心のクリニックと,東京郊外の認知症専門病院における臨床について報告し,そこから得られる問題点について述べる.クリニックでは2001年から2005年までの5年間に初診した,女性924人,男性456人を対象とする.クリニックの患者には,高齢者以外も含まれており,疾患構成も,感情障害,神経症性障害などを多く含む.これらの疾患については,若年患者と比較しながら,高齢者の臨床症状の特徴について考察し,治療に関しても若干の考察を加える.クリニックで初診した認知症患者は,女性324人,男性169人である.講演では,これらの患者の特性とクリニックにおける治療的試みについて述べる.
一方,認知症専門病院における分析の対象は,2007年度に初診した女性238人,男性129人である.外来診療と入院診療の比較,クリニックにおける外来と,病棟を背景にもった病院の外来との比較も含め,認知症診療の現状を紹介する.

3.老年期精神医療の課題
高齢期の精神疾患患者の診療における基本的な問題を整理する.最後に,経済的な課題を含め,認知症専門医療機関が抱える問題点と将来への展望を論じる.