Q&A 痴呆介護の100か条 096〜100
終末期の医療・介護

 


 

096. QOL(命の質、生活の質)の落とし穴
 痴呆の終末期介護において、QOLという言葉は十分注意して使う必要があります。QOLという言葉は、しばしば積極的な医療の中断の口実とされます。確かに、痴呆症の末期に、無意味な延命治療を闇雲に行うことはだれのためにもなりません。積極的な医療の中止が、患者さんの苦痛を和らげる場合も少なくありませんが、無意味に命を縮めたり、不必要な苦痛を招くこともあります。したがって、積極的な医療はしなくとも、適切な医療を行うための準備をしておく必要があります。

 

097. 離れている人ほど、土壇場で熱くなる
 最期のとき、その場で適切な判断を下すことは、家族にとって、大変難しいことです。十分に介護できたと満足して見送る人、後ろめたさや罪責感を抱いて見送る人、最期が近づいたとき、家族のさまざまな思いが、一人のお年寄りの上で交差します。よい看取りのためにはよいプロセスが大事です。離れた所にいる親族にも、介護の状況を細かく伝え、少しずつ、気持ちを整理しておきます。終末期の話も、本人が元気なうちにしておくべきでしょう。突然、危篤ですという連絡をされて駆けつけた家族に、冷静な判断を求めるのは無理なことです。

 

098. 本人ならどのように思うだろう
 終末期の医療の選択では、ご本人ならどのように判断するだろうかということを、常に心に問いかけてみることが重要です。「家族としては、このような姿をみていられません」というのは、一見、もっともだと考えられがちですが、終末期に問題になるのは、ご本人の命の質なのです。自分の考えを述べられない痴呆症の末期に、ご本人にとって、最も望ましい判断ができるのはご家族です。だからこそ、一歩引き下がって、命を終えようとする患者さんの立場に立って考える視点を保つことが大事です。

 

099. 蘇生処置は医者の本能
 心臓や肺が停止した患者さんに、人工呼吸や心臓マッサージをしたり、強心剤や昇圧剤を打つことを蘇生術といいます。心肺停止状態の患者さんをみた医者は、ただちに蘇生術をするよう訓練されていますし、多くの場合、無駄だとわかっていてもそうします。痴呆症が進行し、何らかの理由で身体が衰弱して死期が近づいたとき、余計な医療はしないで自然に見送りたいと考えるのは当然です。最期を看取ってもらう医者を決め、あらかじめ、そのような話し合いを十分しておかない限り、自然な死を実現するのは非常に難しいことです。

 

100. 備えあれば憂いなし
 痴呆症の介護について、いろいろなことを書いてきました。最後に、重要なことを一つだけ繰り返すなら、どのようなときも備えあれば憂いなしということです。早めに診断を受け、自分の意思を形にしておけば、家族も介護上の意思決定がしやすくなります。在宅介護をするときも、介護者が倒れたときを想定して、いざというとき預ける施設を探しておきましょう。痴呆は進行して、やがて死に至る病です。進行した場合の介護の方針、終末期の医療について、まだ元気なうちから話し合っておきましょう。最期に失敗して悔いを残すことがないように。

 


 

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