歳を取ると、もの忘れは当たり前

 

 「歳を取ると、もの忘れをするのは当たり前」との考えは、正しいといえましょう。私自身のことを話しますと、私はあと数年で50歳になりますが、やはり、若いころに比べるともの忘れが大変多くなりました。つい先日も、友人からあるパーティーの招待を受けていたのですが、そのことに気づいたのは、パーティーが始まってから1時間も過ぎたころでした。結局、そのままパーティーには出席できずじまいで、その友人には、いまでも大変申し訳ないことをしたと思っています。しかし、正直なところ申し訳ないという気持ちよりも、このような失敗をしたということのほうが、私には大きなショックでした。日常の診療でも患者さんの名前と顔が一致しないことも多くなり、毎日のスケジュール管理にも神経質になっています。会議を忘れていないか、だれかと会う約束はしていないか、そのような心配をするようになりました。このようなもの忘れに伴う失敗は、自分自身で老いを自覚する大きなきっかけになったのです。
 私の例を取るまでもなく、歳を取ればだれでも記憶力が低下してきます。そして、65歳を過ぎると、ますますもの忘れによる失敗が多くなります。しかしこのもの忘れは、いわば良性の健忘で、痴呆症にみられるような、見当識障害や判断力の障害などを伴う、病的なもの忘れではありません。だれもが、このような良性のもの忘れを体験するからこそ「歳を取るともの忘れをするのは当たり前」と認めるのです。
 痴呆のもの忘れは良性の健忘とは違います。このもの忘れは、さまざまな知能の障害を伴い、そして日常生活に混乱を来し、やがて介護なしでは1人で生活ができなくなるほど、進行していくものです。この良性の健忘と痴呆とを同じものと考えてしまいがちですが、まったく異質のものです。

 

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