わずかではあるが高齢者の精神科医療を担っている筆者にとって,「老年精神医学雑誌」第34巻(2023年)第11号と12号の巻頭言には励まされるところが多かった.
近年の精神医療では,多職種の志を同じくする同僚の努力の成果が現われて弱い立場の高齢の患者が報われることも多くなったとはいえ,精神疾患をもつ患者と家族の苦悩が減っているとは思えない.ここでは老年期の精神障害は多種であり精神神経症状も多くは複雑であることを踏まえたうえで,治療について試みの提言を記すことにする.
筆者の経験してきた精神科診療の現状を考えると,精神科病床のある総合病院では各科に通院・入院中の患者に生じる急性の精神症状に対する診療の依頼に応じることが重要な仕事になる.ついで本来の精神科で治療中であって合併症の治療のため互いの関係が構築されている病院や,介護施設での医療上のトラブルについてアドバイスすることや,あるいはまた,病床数が多く看護力の高い精神科病院では通常の時間外(早朝・夜間)での患者と家族の受診があり,これは必ずしも精神科救急システムが引き受けるわけではないので多くの精神科病院の役目となっている.
ところで,筆者は,向精神薬による薬物療法を精神科治療での必須とは考えていないが,しかし,急性発症の精神症状を可能な限り短期間に寛解させて病因を検討したうえで次の医療計画を立てることを目指すとすれば,急性期限定としても一定の治療方式を策定し,実践する試みがあってもよいと思っている.つまり,総合病院の多くの診療科で使っているクリニカルパスの精神科仕様である.具体的には臨床薬理学の基礎に従って高齢患者に向精神薬を投与する場合の経路や速度,同じ薬物で治療的定常状態に達するための時間,逆に体内から消失させるための年齢差などの情報は重要であり,なによりも入院患者と家族にとっても治療の方針を伝えてもらえることは精神科治療に対する不安を減らすために有効である.
筆者が精神科医になって10年も過ぎたころであったが,アメリカ合衆国の大学医学部臨床薬理センターで2年間(1979~1981年)研修を受ける経験を与えられた.Merck Company Foundationがスポンサーである臨床薬理学の国際的なフェローシップに採用されてトレーニングを受けることができた.同期のフェローは4人で,全員M.D.であったが循環器系,呼吸器系,腎臓系など内科の出身が多く,筆者の精神科神経科はまれだといわれた.研修プログラムは,ヒトでの薬物動態学と薬力学の基礎と臨床応用から薬物療法での治療薬物モニタリングの実践まで,専門医や統計解析のPh.D.らに指導されて演習も必修であった.フェローシップが終り,帰国してからは臨床薬理学講座がまだ少なかったためもあり,講師として特別講座(日本老年精神医学会の生涯教育講座1))や医学書2)などの分担執筆で自分の受けた研修について紹介をする機会があったけれども,「高齢者への薬物療法」と題しながら,急性期の精神障害についての向精神薬治療に関する臨床薬理学の必要性を述べることはなかった.
ところで,急性期医療での薬物療法に求められているのは的確なデータに基づく技法であるが,精神科臨床とくに高齢患者においては,現在もなお統一見解が十分ではないと思われる.その理由として老年期の患者は生理学的機能が低下して身体疾患の合併が多く,最大の障壁は精神症状の多様性である.さらに向精神薬を選択するために必要なtherapeutic drug monitoring(TDM)についても症状の評価が困難であり,薬物の体内動態との関連を求めるのが容易ではない.そこで筆者が提案したい試みは,向精神薬療法についての技法を再考するための綿密な診察とTDMの方法を身につけることであり,そのための一助として,本誌をはじめ医学誌には「症例報告」の項目があり,そこには高齢患者の精神症状に対する向精神薬治療の具体的実践が詳細に図示され,治療指針が記述されているので教えられることは多い.治療困難例の報告は少数例の場合が多いので疫学的方法を前提とする情報収集はむずかしいが,高齢で急性期の治療対応を目標とする向精神薬療法においては,このような治療技法の集積と共有が精神科臨床に有意義であると考えている.
[文 献]
1)守田嘉男:高齢者の薬物療法.日本老年精神医学会生涯教育講座 第5回,抄録,大阪,平成22年12月19日.
2)武田雅俊(編):現代老年精神医療.永井書店,大阪(2005).
最近では各地でレカネマブ投与を前提とした“MCI外来開設”をよく耳にする,しかしながら,患者さん,市民の認知度は高くなく,適切に軽度認知障害(MCI)と認識して,進んで受診する人はまだまれであろうから,当面認知症ドックを広める必要があろう.しかしながら,地域のパイロットとして,かかりつけ医の役割は大きく,MCI外来に対してかかりつけ医が紹介することが多くなるであろう.自身,かかりつけ医として認知症診療を行っている.とくに,MCIの診断に重点をおき診療を行っているところであり,現在50代~60代のレカネマブ投与候補者が約30人存在する.本来なら日本老年精神医学会の専門医として自ら投与するつもりであったが,最適使用推進ガイドラインの制限により,レカネマブ投与からは無念にも離脱した.そこで方向を切り替え,現在3か所の施設に検査と投薬を紹介している.すでに数人の対象者に投与が開始されている.半年後には当院でもレカネマブを投与する予定である.今後レカネマブ投与の対象者が適切に治療を受ける環境ができることを期待している.
ところで,思えば,40年前には認知症を痴呆症といい,当時認知症は検査や治療の対象でなかったが,故長谷川和夫先生の導きで,本学会に参加し,認知症診療を行ってきた.その道は平坦ではなかったが,十分に医師としてやりがいのもてる疾患となってきた.長年国立長寿医療研究センターで,もの忘れ外来を開設し,認知症サポート医の研修体系を構築した.また,これに並行して,厚生労働省の介護保険制度の構築のサポートを行い,NHKなどのマスコミでは認知症は疾患として,受診の偏見をなくし,受診のハードルを下げる努力をして,認知症の理解を進めてきた.そして定年後の2021年3月に診療所の開設に踏み切った.その理由としては,より地域に密着し,地域で活動をしたい思いであった.すなわち地域包括ケアを実践すること,在宅医療を実践し,発病から看取りまでの支援ができる医療を目指したい思いが強かった.たしかにごみ屋敷となった患者や,受診を拒否する患者の家に往診することは,医師として非常にやりがいのある仕事内容である.時に認知症初期集中支援チームと連携したり,運転免許更新のための診断書の記入をしたりして,患者へ貢献できる実感をもつことができる.当初新規開業への不安はあったものの,認知症グループホームの嘱託の依頼など,また,ホームページによる集客などにより,経営は曲りなりにも順調に推移している.そこへ待ちに待ったレカネマブの登場である.長年必要としてきた疾患修飾薬である.ガイドラインには失望したが,医師人生の武器となる新薬である.ドナネマブにも期待するが,まずは可能な限り,新薬を必要な人に届けたい.最近では90歳を超える人の希望者もあるが,さすがにエイジズムではないが,まずは若年患者を優先したいと考えている.そして現在考えていることは,認知症にかかわる地域連携である.すなわち認知症疾患医療センターや認知症専門医,認知症サポート医をはじめ,介護施設や介護支援専門員との連携である.それにはレカネマブ投与可能施設の公開が必要であり,現在全国的に必要な情報である.かかりつけ医が日常診療で,MCI患者を見つけるか,今後認知症ドックを開設,拡大し,65歳や70歳時に認知機能テスト(MOCA-J)や,画像検査(MRI,SPECT)を行うことでスクリーニングを行う.そこで海馬の萎縮や後部帯状回の血流低下があれば,レカネマブ施設にただちに紹介する連携が必要であろう.しかしながら,投与施設が遠方であったり,金銭面で脱落する患者も存在する.また,治療を受けたくても条件に合わない患者も存在する.なのでそうした方には他の治療方法を紹介したりする外来も必要であろう.
今後そうした連携や支援体制の構築が必要であり,認知症疾患医療センターに期待しているが,問題点が多いセンターもあり,今後はセンターの役割強化と活動条件や役割の見直しが必要であろう.さらにはかかりつけ医の意識改革と機能強化も必要であろう,もの忘れがあればドネペジルを漫然と投与する時代は終焉した.レカネマブの登場によるかかりつけ医の知識と経験のバージョンアップと,地域連携の強化が必要である.認知症のかかりつけ医やサポート医研修の改訂が必要であり,地域の医師会や勉強会の役割は大きい.レカネマブの登場により,認知症診療の革命が起きたといえるであろう,今後はかかりつけ医こそがMCIの外来を行い,連携による認知症診療を構築する必要がある.一人でも多くのかかりつけ医とともに新しい時代を進めていきたい.
2024年元旦の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます.
45年程前, 精神神経科とリハビリテーション科の若い先生4人とで,「前頭葉の臨床神経心理学的研究」を始めた.前頭葉を取り上げたのは,前頭葉の謎 (Teuber), 前頭葉のとらえどころのなさ (Milner) 等, 定量的な検討のむずかしさが指摘され,精神科が活躍しやすい領域と考えたこと, また, 統合失調症と前頭葉機能との関連が指摘されていたこと等があった.前頭葉に関する文献を調べたところ, 膨大な数の研究があった.前頭葉機能に関する理論は確立したものはなく, 創造性といった抽象的なものから遅延再認の機能といったものまで,まさに百家争鳴の感があった.また,さまざまな前頭葉機能検査法が作成されていた.市販されているものはほとんどなく, 多くの検査を手作りして実施してみたところ, 実施困難なもの, 検査や評価の妥当性に疑問のあるもの等, 多くの問題があることが明らかとなった.私は, 診察室やベッドサイドでの症状と訴えをローテクな方法で定性的に検討することを最も大事にしてきたが,定量的な検討がむずかしいとされる前頭葉研究ではあるが,見解を異にする多くの研究者間で, 共通な定性的な物差し, 尺度のようなものが必要と思った.前頭葉の機能検査を検討することとしたのである.
まず考えたのはいたって単純なことであった.検査を刺激ととらえ,前頭葉損傷で成績が特異的に低下するような検査を通して前頭葉機能を考えるということであった.前頭葉損傷で特異的に成績の低下する検査が見つかれば,その検査の構造のなかに前頭葉機能障害にかかわる要因が含まれていると考えた.ここでいう「特異的に成績が低下する」とは,いわゆるTeuberの二重解離の原理に準じることとした.前頭葉損傷で特異的に成績が低下する検査をつくることはそれほどむずかしくはない.たとえば,むずかしい算数の問題はそのような条件を満たした.しかし,検査法としてみると,むずかしい算数の問題にはいろいろな要因が含まれ,構造が複雑であり,前頭葉機能障害のスクリーニングテストとしてはよいかもしれぬが,前頭葉機能障害と関係する要因を同定するには向いていない.前頭葉損傷で特異的に成績が低下する検査で,できる限り単純な構造のものを探すというか,工夫することが研究の目的となった.また,そのような検査ができれば,前頭葉機能障害で検査成績が改善するような追加の指示を考えることで,認知リハビリテーションにつながるとも考えた.しかし,実際にはなかなかよいアイデイアが浮かばなかった.
当時,私はPavlovをはじめとするロシア学派の脳とこころに関する研究に興味をもち,Pavlovの高次神経活動学説やLuraの神経心理学に惹かれ翻訳もしていた.いわゆるロシア学派の脳機能に関する研究においては,神経活動における抑制過程が重視されていた.とくに高次神経活動学説では,理論の中心にあるのは興奮過程よりも外抑制,内抑制,超限抑制などのさまざまな抑制の考えであり,高次神経活動の障害における抑制過程の障害が重視されていた.高次神経活動学説では,抑制過程は一般に同化的,興奮過程は異化的なものとされ,抑制過程は治療的機能をもっている.しかし,同時に抑制過程そのものが病的過程となることもある.高次神経活動学説では,一般に系統および個体発生的に新しいものほど速く強く障害され,回復も遅いと考えられており(高次神経活動学説における進化原理),興奮過程よりも抑制過程がより脆弱で障害されやすいとされる.Pavlovは,精神疾患における抑制過程の障害をきわめて重視していた.私も脳機能障害により生じる症状を抑制過程の障害としてとらえ,前頭葉機能障害も抑制過程の障害としてアプローチしようと考えた.
高次神経活動学説によれば,神経機能が正しく機能するには,興奮と抑制という2つの神経過程が高度の平衡性(選択性)と転換性(易動性)を保っていなければならない.しかし,脳が損傷を受けると,抑制過程が損なわれ,神経過程の選択性と易動性の障害が生じる.ジャンケンを例にとると,「チョキ」を出しているとき(「チョキ」の興奮)は,“同時”に「グー」と「パー」が抑制されていなければならない(私は同時的抑制と名づけた).このような興奮と抑制のバランスが神経過程の選択性を保証している.おあいこで,次いで「グー」を出す場合は,まず,「チョキ」の興奮を抑制し(継次的抑制と名づけた),そのあとに「グー」を出さねばならない.このような興奮と抑制の“継次的”な転換により神経過程の易動性が保たれる.高次神経活動学説では,この選択性と易動性が基本的な神経過程であり,脳機能障害も選択性と易動性の障害として理解されている.
前述したように,高次神経活動学説では,脳損傷においては抑制過程がより脆弱とされ,選択性,易動性の障害も抑制の障害としてとらえられている.選択性の障害では,「チョキ」を出す場合,「グー」と「パー」に対する抑制が障害され,目的とする「チョキ」と同様の蓋然性で“同時”に「グー」と「パー」も賦活されるようになり,その結果「チョキ」を出す代わりに「グー」や「パー」が出現したりして,神経過程の選択制は失われる.症状としては,“取り違える”“選べない”といったかたちで現れる.“やり間違い型”の障害であり,同時的抑制障害といいうるものである.「グー」を出したあと,「チョキ」を出すには,まず「グー」を抑制しなくてはならないが,この「グー」の抑制が障害されるために,「グー」をやめることができず,結果として「グー」が持続してしまう.つまり「グー」の興奮から抑制という転換が障害され,興奮が停滞し,神経過程の易動性が障害される.症状には“やめられない”“繰り返す”というかたちで反映される.“やめられない型”の障害であり,継次的抑制障害といいうる.
私は,この2つの型の抑制障害から脳機能障害を考えてきた.この2型の抑制障害は本来,脳の損傷部位にかかわりなく,ともに生じるものであるが,脳の前部と後部が果たしている機能の相違により,脳の後部の障害では同時的抑制障害が,脳の前部の障害では継次的抑制障害がより症状に強く反映される.脳の後部は継次的にはいってくる情報を同時的に処理,加工しているのに対し,脳の前部は企図や意図を継次的に行動として実現しているとみなしうるからである.
このような立場から,私は前頭葉機能とその障害を,継次的抑制と継次的抑制障害,“やめられない型”の障害としてとらえ,検査も作成し検討してきた.たとえば,ウィスコンシンカード分類検査や修正ヴィゴツキー検査は,いったん用いた分類概念を抑制して,いかに別の分類概念に転換できるかをみるものであり,Trail Making Testは数字順とアルファベット順の間での継次的抑制の繰り返しである.前頭葉との関連で創造性がいわれるが,既成のものを離れて新しいものをということは継次的抑制と考えることもできる.頭が固いというのは継次的抑制障害としても説明できよう.
私は,長年,抑制と抑制障害という観点から前頭葉機能とその障害について検討してきた.ここでは,なぜ,抑制とその障害を重視したかについて述べさせていただいた.
本稿は,文献1)に準じたものである.
[文 献]
1)鹿島晴雄:高次脳機能障害,特に前頭葉機能障害を抑制障害として捉える.(村井俊哉,村松太郎編)精神医学の基盤[3];精神医学におけるスペクトラムの思想,165-167,学樹書院,東京(2016).
私は,1982年に医師国家試験に合格し,金沢医科大学医学部神経精神医学教室に入局した.教室は,鳥居方策教授のもと生物学的研究を行っており,とくに神経心理学は,鳥居教授,榎戸秀昭助教授(准教授)が専門としており,教室研究の中心であった.そのころ認知症は痴呆と呼ばれ,精神医学の分野でも脳神経内科の分野でもまだまだ主要な領域とは考えられていなかった.試しに学生~研修医時代に自分が勉強した成書をみると,精神科も脳神経内科も2~3頁程度で,病理学教室に入局した友人に聞いても病理学分野でもマニアックな領域と目されていたようである.そういったなかで,鳥居先生は「痴呆(当時)の初発症状は神経心理学的症状である」と喝破され,研究班こそ組織しなかったが,失語症や相貌失認などの知見をもとに報告を積み重ねたり,増えつつあった高齢者の病院や特別養護老人ホーム(当時介護保険も介護老人保健施設もない),能登地域で始められていた地域保健所等で実施している在宅痴呆相談などに教室員を派遣していた.私は睡眠研究をしていた関係もあり,保健所の訪問に同行したり,老人ホームや老人病院におけるせん妄や精神症状の治療に関与した.また,鳥居先生の大学の後輩にあたる関係で小阪憲司先生をたびたび教室にお招きして,レビー小体型認知症(DLB)のお話を伺うことができた.
そういうわけで若手医師のころから40年以上認知症診療に携わってきたが,なにかよそ行きというか,アウェイで仕事をしているような居心地の悪さを感じてきた.認知症は,アルツハイマー型認知症が最も多く,記憶障害が重要な要素であることはまちがいないが,症候の組立てが「記憶障害ありき」であること,とくに「中核症状」と「周辺症状」という2分類には当初から非常に違和感を感じていた.まるで神経学的症候が上位にあり,精神医学的症候が下位に位置づけられているような印象があり,いまだに違和感がある.神経精神科医である私は,中核症状を高次脳機能障害,認知機能障害(記憶障害,見当識障害,実行機能障害,失語・失行・失認等)と読み替え,周辺症状を精神症状(幻覚,妄想,抑うつ),精神生理学的症状,(昼夜逆転,せん妄),行動障害(徘徊,介護への抵抗,不潔行為,焦燥,多動興奮,性的問題行動,異食行動),生活障害と整理している.私見ではあるが,こういう整理のほうがおのおのの治療や対処の仕方も立てやすいし,精神科医である私にはすっきりしているように思う.また,周辺症状という用語は正確に該当する英文はないと認識しており,最近ではBPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)という用語に「読み替えられる」ことが多いが,周辺症状と中身は同じである.認知症における精神科医の役割は大きいと思うのだが,精神科医として学んできた症候学と別の体系にあるように思われる.かつては「認知症をどの領域でみるか? 精神科か? 神経内科か? 老年病科か?」というような綱引きがあったように感じていたが,そのなかで精神科の役割が限定されているような印象をもっていた.こういったことはわが国だけではない.たとえば,Lancet Commissionは2017年と2020年に認知症の危険因子を公表しており,「認知症予防」の分野でバイブルのような位置づけになっているが,どうも糖尿病の関与は低く見積もられていないか? 聴覚障害があるが,嗅覚障害はどうなのか? 教育歴については発達障害や若年の精神疾患との関係は? とくにうつはもう少し比重が大きいのでは? 睡眠障害がふれられていない.などの疑問があり,2020年版をざっとみてみたが,編集者のフィールドに少し偏りがあるように思えた.「天下のLancet」が恣意的なふるまいをしたとは思わないが,結果として知らず知らずのうちに綱引きのようなこともあるのではないかと感じた.かくいう私も「自分のフィールドの扱いが小さい」といっているわけで,注意しなければならないと思っている.蛇足であるが,最近よくいわれる「介護予防」という言葉には違和感がある.「認知症予防」や「感染症予防」など,予防するものを語頭にもってくるのが,一般的なように思う.介護をしないということか? 正確には「予防的介護」であろう.こういうものは標語であるから熟語のほうがいいのか? だれが言い出したかわからないが,おかしいと感じ,いまだに違和感は続いている.
長年認知症診療に携わって思うことは,認知機能障害発症前から発症,終末期,身体合併症対策,その間の地域連携,多職種連携などに長いスパンでかかわっているのは精神科医であり,認知症の症候も精神科の伝統的な症候で全般的にとらえることも可能であり,精神科医の役割は大きいということである.
最後になるが,かつての私のフィールドであり,認知症の研鑽の機会を与えてくれた,能登地域の1日でも早い復興を祈って稿を終えたい.
令和6年という新年を迎え,平穏と多幸を願っていた元旦の昼下がり ―― 能登半島地震が起きた.主観的な観想を礎に概要をたどり,若干の私見を述べる.
1.「令和6年能登半島地震」について
気象庁によると,2024年1月1日午後4時10分ごろ,石川県輪島市の東北東30 km付近で,深さは16 kmを震源とするマグニチュード(M)7.6,最大震度7の地震が発生し,北海道から九州にかけて広い範囲で揺れを観測した.
地震調では,「活型地震で断層は150 km程度」とし,北西-南東方向への逆断層型とした.実際,輪島市西部で最大4 mの地表隆起と最大1 mの西向きの地殻変動がみられた.
石川県によると,震災被害のうち人的被害については,同月21日午後2時の時点で死亡者232人,重軽傷者1,170人,安否不明者は22人となっている.物的被害,環境的被害に比べて人的被害が少ないのが特徴といえる.
各メディアは大規模,かつ多様な地震の爪痕を伝えたが,ここではとくに激烈であった以下の点に言及する.
(1)大規模火災;地震後に石川,新潟,富山の3県で17件の火災が発生し,「津波火災」などの特有な事例も伝えられているが,ここではとくに激烈だった輪島市の大規模火災を記述する.1月1日の午後6時ごろ,輪島市の中心部,観光名所としても知られる「朝市通り」周辺で発生した火災は,延焼を続け,焼失面積は5万800m2に上り,焼失した店舗や住宅など建物は300棟とみられている.
(2)建物倒壊;輪島市河井町で起きた,7階建ビル倒壊について東京大学地震研究所の楠浩一教授は,調査を行い「周辺には液状化現象」が確認され,それと倒壊に至ったメカニズムの可能性を指摘した.
(3)地殻変動;海底の隆起と海岸線の陸域の海側への拡大,輪島市から珠洲市にかけて海底の隆起によって2.4 km2の陸域が増加した.
(4) 海岸隆起;輪島市の北西部で海岸線が隆記して水位が低下.水深が浅くなったため船舶の通行に支障をきたした.
日本列島は,2100万年前から1100万年前にかけて,ユーラシア大陸の東端に地殻変動で大陸に低地から巨大な窪地が形成され,断裂部分から海が侵入して,日本海の原基ができたが,その後も拡大を続け1500万年前にほぼ現在に近い地形となった.
このように,日本列島が北米プレートとユーラシアプレートに存在し,太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込んでいるという地殻構造は,特殊な環境にあることは諸家の見解の一致するとおりで,プレートテクトニクスで説明されている.
さらにいえば,火山が列状に分布する場合に火山帯と呼ばれるが,そこでは火山活動も活発にみられる.
地球全体では,環太平洋火山帯,地中海火山帯,インドネシア火山帯,大西洋火山群,ハワイ諸島火山群,東部アフリカ火山帯が主要なものである.いずれも地殻変動が最も盛んな地帯であり,地震帯ともほぼ一致する.
日本では,国内の火山を地理的分布に基づいて7つの火山帯(千島,那須,鳥海,富士,乗鞍,大山〈白山〉,霧島〈琉球〉)に区分していたが,近年ではプレートテクトニクスに基づく日本列島の大地形の説明に関連して,東日本火山帯と西日本火山帯に2分される.
世界の陸地面積に対する日本のそれは,わずか0.25%であるのに日本および周辺海域では世界の地震の18%以上が発生している.活火山の数は7%に達している.このことは以上の諸要因を勘案すると,わが国が地震列島,火山列島であると理解できる.
町田洋は『自然の猛威』のなかで災害との関係について,①防げる災害;台風等,②逃げれば助かる災害;津波等,③諦めるしかない災害;地震等,3つのタイプに分けている.たしかに地球物理学的環境を選択したり変更したりすることはできないが,とはいえ,災害の襲来に手をこまぬいてみていることは許されるわけもなく,叡智を結集して有効な対策を講じることは絶対不可欠と思われる.
物理学,地球物理学の権威であり,地震学に精通する稀代の碩学,寺田寅彦は『天災と国防』のなかで,「思うに日本のような特殊な天然の敵を四海に控えた国では,陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け,非常時に備えるのが当然ではないかと思われる」と述べている.発生原因を除去ないし予防ができないのであれば,発生後の激甚なる災禍に対応する組織を常備するという戦略はきわめて合理的で現実的といえる.
激甚な災禍に頻繁に脅かされるわが国にあって,少子高齢化,過疎化など,社会の変動も急速に進んでいることを能登半島地震は赤裸々に顕現した.防災思想は国民的な合意(コンセンサス)のもとに推進する必要がある.
イギリスの心理学者ジョン・リーチは,災害などの緊急事態に遭った人の行動を分析して3つに分類している.すなわち,①落ち着いて行動できる人=10~15%,②取り乱す人=15%,③ショック状態に陥り無反応となる人=70~75%,であると.
不測の事態に遭遇すると,大多数の人は困惑・茫然自失して精神的にある種の麻痺状態に陥る.近年,「凍りつき症候群」と呼ばれているが,緊急事態に際して思考停止,判断停止,行動停止に陥ることは古より知られている.
災害精神医学は学際的であり,喪失,死別,悲嘆などの領域を含めて社会心理学と共通する広い分野において,再検討,再構築することは喫緊の課題といえる.
2024年元旦の能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするともに,被災された方々に心からお見舞い申し上げます.被害に苦しんでおられる方々が一刻も一日でも早く立ち直ることができるように願っております.
2023年9月18日の敬老の日にちなみ,総務省が公表した人口統計によると,65歳以上の高齢者は3623万人(65歳以上の56.6%は女性で男性1572万人,女性2051万人)で,総人口の29.1%を占め,過去最高を更新して世界トップとなった.うち80歳以上は1259万人で初めて10%を超えた.2022年には高齢者の25.2%の912万人が就労していて,年齢層別の就労率は65~69歳は50.8%,70~74歳が33.5%でいずれも過去最高であった.
就労者全体に占める高齢者の割合13.6%が経済活動を支えていた.ますます超高齢社会に向かっていて,65歳以上の働く人々が増加しており,高齢者が安全で快適に働き続けられる職場づくりが進められている.職場ではエイジフレンドリーガイドラインに基づき,高年齢労働者の就労状況を踏まえた職場づくりの取組みが進められている.
厚生労働省は,2016年2月に疾患をもちながらも働く意欲・能力のある労働者が適切な治療を受けながら就労を継続する支援として「事業場における治療と職業生活の両立支援のためのガイドライン」(2019年3月「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」に改称)を公表し,「働き方改革実行計画」に盛り込まれ,その推進が図られている.2018年にがんがその対象疾患として,2020年,2022年の改定でがんに加えて脳卒中,肝炎,難病,心疾患および糖尿病,そして若年性認知症が療養・就労両立支援指導料が診療報酬改定で算定され,両立支援の取組みの普及が進められているところである.「働き方改革実行計画」において,「若年性認知症の特性に応じた就労支援・社会参加などの推進」が掲げられている.また,2023年6月には共生社会の実現を推進するための認知症基本法が成立している.
さて,若年性認知症は,現役世代の働き盛りの発症のため本人や家族にとって経済的損失や心理的衝撃は非常に大きい.また,職場にとっても大事な戦力を失うことにる.
認知症のなかには薬物治療や周囲のかかわり・社会参加により進行を遅らせることも知られている.しかし,認知症と診断されるや,余儀なく退職になることがほとんどである.しかし,職場で早期発見・早期治療により,労働者の残された能力や経験を適切に評価・活用することで就労期間を延長させることができる.退職になる前に労働者本人の申し出から,医療機関(主治医)と事業場(産業医・産業保健スタッフ)との間で情報を共有調整するのが両立支援コーディネーターの役割で,就労継続のためのトライアングル型サポート体制が両立支援である.事業場では復職プログラムを作成し,円滑に仕事が継続し続けられる支援が求められる.しかし,石川県内の現状の事業場をみても若年性認知症の理解,受け入れ・支援体制は十分とはいえない.各都道府県に設置されている産業保健総合支援センター(以下,産保センター)でも,若年性認知症の相談や両立支援は緒に就いたばかりと思われる.職場で関与する産業医,産業保健スタッフ等の多くは認知症の専門家ではない.
本年9月に待望のアルツハイマー病(AD)に対する疾患修飾薬(DMT)がわが国でも承認された.本薬の効果はADによる軽度認知障害および軽度の認知症の進行抑制で,社会生活の維持を目指す薬ともいえる.投与にあたっては厳しい使用適正が定められているが,早期の軽度のADなら若年性認知症の一部の人が対象者になる.職場でいかに早期に,認知症の前段階で気づき,専門医につなげるか,職場の健康安全管理としての産業医,産業保健スタッフ等の重大な役割となる.また,復職支援を進める際,主治医との連携のもとで産業医の関与が強く求められる.就労継続支援を成功するには上司・同僚の理解は不可欠である.職場でのDMT投与の認知症者の受け入れ整備はこれからの課題である.職場を支援する役割を担う産保センターとして,まずは職場での認知症の周知・理解を深めるための研修会,産業医の強化,相談事業の強化,認知症疾患医療センターに両立支援相談窓口設置が喫緊の課題となってくる.
就労支援には多職種の応援が必要となる.就労中はもちろんであるが,就労中から就労が困難になった際には,本人の状況に応じて社会的制度などの利用が必要になり,本人・家族に将来の経済的・生活支援,社会福祉制度などへの活用が検討すべき課題となってくる.多職種連携チーム,チーム医療による協働はますます必要となるであろう,他関連機関と連携,関連機関として就労観点からも職場支援の産保センターも参画し,包括的なネットワーク支援体制の構築がなされねばならない.
早期に診断され,治療と仕事の両立支援を活用し,DMT投与を受けながら職場で仕事を続ける若年性ADの人も,だれもが少しでも生き生きとした職場生活を最後まで全うできることを願う.
本稿執筆の1か月後に愛すべき地元にこのような大災害が起ころうとは予想だにしておりませんでした.被災した能登は高齢者地域,ぜひ日本老年精神医学会ならびに学会員の皆様方の温かいご支援を今後とも伏してお願いいたします.