近年の地域精神保健福祉サービスの向上に伴い,精神医療において「院内寛解」と呼ばれている長期入院の解消は喫緊の課題となっている.新入院患者の短期集中治療による入院長期化の予防にも力が注がれている.重篤な精神症状を呈する認知症の入院治療も例外ではない.長期化する傾向にあった認知症の早期地域移行に,従来の認知症治療病棟を超える人員・体制での質の高い治療・ケアへの取組みの必要性が高まっている.
私は,出身地である愛媛の地を離れ,現在大阪府堺市にある公益財団法人浅香山病院精神科に勤務するようになって21年がたった.赴任時は大学院を卒業したばかりの駆け出しの精神科医であった.その後21年間一貫して認知症の精神症状の入院治療を担当してきた.当時当院には認知症治療病棟が2病棟あり,2000年に介護保険制度がスタートしたばかりで在宅・施設のサービスの整備も不十分な時期であった.勤務開始当初の入院の主な理由は,夜間不眠,日中の徘徊,家族への物盗られ妄想等であった.今振り返ると,現在であれば介護保険サービスの利用によって対応可能な症状が多かったのではないかと思われる.
愛媛大学の精神医学教室で故田邉敬貴先生,池田学先生(現大阪大学)のもとで神経心理学,認知症の症候学,認知症の疫学を学んだ大学院生のころから,認知症の方の生活の場所は地域にあると考えていた.しかし,精神科病院での入院治療環境はそれとはかけ離れている.入院が必要になった精神症状をいかに速やかに緩和し,元の生活環境に戻っていただくか.赴任した当初からそのことが常に念頭にあった.
認知症に関する啓発が進み,介護保険制度が年を追うごとに充実していくにつれ,入院依頼内容にも変化がみられるようになった.近年は入所施設からの入院依頼はそのほとんどが施設内での職員や入所者への暴力行為,攻撃性へ変化した.また,在宅からの入院依頼内容は,単身生活者の増加に伴い,認知症を発症しても周囲に気づかれず,度重なる徘徊や近隣への迷惑行為が生じて初めて地域包括支援センターに相談が上がったような事例となった.もちろんその時点で介護保険は未申請であり利用は困難なため,精神科への入院治療の依頼となる.この20年で入院依頼は暴力や攻撃性といった精神症状の激しさの増大,85歳以上の超高齢者の割合の増大,身体合併症併発率の増大が顕著となった.その状況に対応するために当院では認知症の精神症状の入院治療に特化した入院療養計画書,クリニカルパス1),退院後利用する介護保険サービス事業所に向けた退院サマリーの作成2),暴力を受けずに直接ケアを安全に行うための包括的暴力防止プログラム(CVPPP)を利用したケア方法の習得などを行ってきた.
それでも認知症治療病棟のケア体制では激しさを増した精神症状や迅速な対応が必要な入院依頼に応えることが困難になりつつあった.そこで当院では認知症治療病棟の1つを認知症関連疾患に特化した精神科急性期治療病に変更することを目標に,2017年4月に移行プロジェクトチームを設置して移行へ向けて検討を開始した.認知症治療病棟には入院期間の制限はないが,精神科急性期治療病棟は新規入院者の40%以上を90日以内に地域(自宅や介護保険施設)への退院を実現せねばならない.また3か月以内に再入院になると90日以内の退院に含まれないことになる.初期に家族や支援者が認知機能の低下に気づき,われわれが鑑別診断し,その後も外来で経過を診ている患者が精神症状の治療のために入院になることはまれである.新規入院患者の90%以上が他の医療機関や施設からであり,われわれは入院時に初めて本人,家族・支援者と出会い,診療・ケア計画の策定にかかることになる.
急性期治療病棟への移行にあたり,入院時に初めて出会う認知症患者の治療を,鑑別診断,精神症状の治療,在宅からの入院であれば退院時のサービス調整や退院後新たに入所する施設の選定や契約までを90日で行えるのか.治療や調整を急ぐあまりに患者・家族に不利益は生じないのか,さまざま葛藤があった.しかしこれまでに前述のようなさまざまな取組みを行ってきた経緯もあり,2020年10月から認知症治療病棟の1病棟を認知症関連疾患に特化した精神科急性期治療病棟として運用を開始した.速やかな鑑別診断,疾患特性に応じた非薬物療法・薬物療法,作業療法,Adiv訓練の選定と実施,家族関係の把握や家族支援,経済状況の把握や施設選定,退院後サービスの体験利用や施設見学と90日間に行う業務は多岐にわたる.看護師,ケアワーカー,精神保健福祉士,作業療法士,公認心理士,地域のケアマネジャー,そして主治医,真の多職種連携が行われなければ90日での退院は困難である.
認知症の精神症状・行動障害の治療にとって精神科病院で入院治療はまさに最期の砦である.興奮して攻撃的になるにはなにか理由がある.少しでも早く穏やかな生活を取り戻し,地域に戻っていただくために,これからも各職種が全力で取り組みたい.巻頭言であるが,自らの決意表明のようになってしまったことをお許しいただきたい.
[文 献]
1)釜江(繁信)和恵:重度の行動心理学的兆候による入院患者のクリニカルパスの検証,及び入院が遷延する要因に分析に関する研究.39-44,大阪認知症研究会(2017).
2)山川みやえ,九津見雅美,桑木智美,土田京子ほか:認知症治療病棟から長期ケア施設への円滑な継続ケアのために必要な退院時の情報.日本認知症ケア学会誌,15( 2):480-490(2016)
アルツハイマー病(AD)第1号として報告されたドイツ人女性アウグステ・D(当時51歳)は,その初期から記憶,語理解・書字の障害に加え,夫に対する嫉妬妄想や激しい興奮によってフランクフルト市立精神科病院への入院を余儀なくされた1).入院当初から強い不安,徘徊,叫声,介護への抵抗がみられ,温浴療法,食事療法,薬物療法(抱水クロラール)などの治療が行われた1).約4年4か月の療養生活の末,56歳の生涯を終え,その剖検脳の所見は「大脳皮質における特異で重篤な疾患での経過」とのタイトルでアロイス・アルツハイマーによって世に広く紹介された(1906年11月,南西ドイツ精神医科学会にて1)).つまり,われわれが現在最も目にする認知症のサブタイプであるADの発見に,妄想や興奮といった症状がきっかけとなったことがわかる.
それから約90年後の1999年,国際老年精神医学会のコンセンサス会議で,「認知症の行動・心理症状(BPSD)」が定義され,同時期にそれらの問題とされた行動が地域でも調査されるようになった2).認知症の人々の約9割で,何らかのBPSDを経験することがわかり,患者とその介護者にとって避けては通れない課題とされてきた2).さらに,BPSDの重症化が介護・経済的負担の増加,施設入所の早期化,患者QOLや生命的予後の悪化につながるとされ,その対策が急がれてきた2).
2015年3月に世界保健機関(WHO)主催で開催された「認知症への世界的アクションに関する閣僚級会議」で,人権に焦点をあてたアプローチRBA(rights-basedapproach)が優先されるべき行動目標として提起された3).認知症の人々の尊厳性・人権の尊重といった人類普遍のテーマが加わり,BPSDに対する従来の解釈やその介入のあり方も見直さなければならなくなった2).例を挙げると,「介護抵抗」と称されるBPSDは大小含めて介護現場でよく目にする.症状が進行した場合,入浴から更衣に至る一連の動作,食事,排泄,移動,整容等の多くのセルフケアに関する介助が必要とされる.その健康的かつ必要最低限の日常生活を送るためのケアに対して,当事者が希望されない場合,Neuro-psychiatric Inventory(NPI)の評価項目で「興奮:患者さんは介助を拒んだり,扱いにくくなる時がありますか?」の項目にチェックがはいり,介護保険主治医意見書においても「介護への抵抗」のボックスにもチェックがはいる.場合によっては,介護者から主治医に薬物療法の相談が寄せられるかもしれない.しかし,RBAの観点からみた場合,まずは認知症の人々の尊厳が優先され,その意思・希望が尊重される.そのため,「抵抗」ではなく,他者からの手助けに対する「受容」が焦点となり,ネガティブな行動としての問題視が弱まる.さらに,介護への受容の善し悪しによって次なる介護への反応も変わってくるため,無理強いは易怒性や強い不安,場合によっては新たな妄想や抑うつの原因となるかもしれない.認知症の人々の生物-心理-社会的背景を考慮し,「受容」に注目することは,抵抗から「低い受容性」または「保たれた自立の意思」と言い換えられ,その後の戦略を見直すきっかけにもなるかもしれない.
とはいえ,100年前のアウグステ・Dとその介護者が苦悩に打ちひしがれた現状は今も変わっていない.切迫性や自傷他害のおそれのある症状への介入の必要性を残しつつも,症候から病態ベースの新たな視座でのBPSDの再考が望まれるのではないか.
[文 献]
1)ALZFORUM Networking For A Cure : PAPER. Alzheimer A. Über eine eigenartige
Erkrankung der Hirnrinde Allgemeine Zeitschrift fur Psychiatrie und Psychisch-
gerichtliche Medizin, 1907 Jan ; 64():146-8. Available at : https://www.alzforum.
org/papers/uber-eine-eigenartige-erkrankung-der-hirnrinde/en(閲覧日:2023 年6 月10 日)
2)日本老年精神医学会(監):認知症の行動と心理症状;BPSD.第2 版,3-159,アルタ出版,東京(2012).
3)WHO : First WHO Ministerial Conference on Global Action Against Dementia ;
Meeting report. WHO Headquarters, Geneva, Switzerland, 16-17 March 2015.
Available at : https://iris.who.int/bitstream/handle/10665/179537/9789241509114_eng.pdf(閲覧日:2023 年6 月10 日)
筆者が勤務する嬉野温泉病院を簡単に紹介すると,長崎県と佐賀県の県境に位置する嬉野市嬉野町に所在している.人口27,000 人のお茶と温泉の小さな町である.そこに723 床の病棟に,精神科のグループホーム3 か所,認知症のグループホーム1 か所,小規模多機能ホーム1 か所を備えており,認知症治療病棟は5 病棟,259 床有している.さらに,認知症患者へのデイケアを1987(昭和62)年4 月から開始し,早くから認知症患者への治療を積極的に行ってきた.外来では,月に平均40人前後の認知症関連の患者が新患として訪れている.その内訳は認知症診断のため,認知症であるかどうかの診断,行動・心理症状(BPSD)への対応,入院相談など多岐にわたっている.そのなかで筆者は1995(平成7)年より当院内の認知症治療病棟を担当し,認知症患者に対応してきた.当然入院であるので,患者の家族,施設スタッフ,身体科での対応が困難であるような種々のBPSD への対応が主たる業務である.幻覚,妄想,不眠,暴言,粗暴行為,介護への抵抗,徘徊,失禁,弄便,放尿,夜間の頻尿,拒薬,拒食,便いじりなどの不潔行為,入浴拒否など,日本老年精神医学会会員の方であれば日常遭遇するこのようなさまざまなBPSD への治療を行ってきた.当初は,現在でも適応外使用である抗精神病薬のなかでも定型抗精神病薬しか使えない時期もあり,いかに高齢者に対して身体レベルの低下をさせずに,かつパーキンソン症状などの副作用を発症させずに治療することに工夫を重ねてきた.多くの患者では認知症に伴う不眠を認めるが,周知のごとく眠剤に限らず投与する抗精神病薬などに対する薬物反応に個人差が大きい.そのため薬物の調整に常に注意と工夫が必要であり,患者によっては1 日単位で薬剤の増減,変薬を行っている.そういったなかで施設からの入院など,ある程度入院期間の制限があることもあり,看護,介護する家族,スタッフが対応可能な程度のBPSD の改善を目標に治療を行っている.
家族もそれぞれであるが,とくに配偶者あるいは親を入院させるとき,病前の夫婦関係あるいは親子関係のありようをみせられることが多くある.印象に残った患者を紹介すると,夫のネグレクトがあったため行政が動き入院となった女性であったが,夫が入院時「今後一切面会には来ません」と言い放ち帰っていかれたが,実際一度も入院中来院されなかった.そういった一方で,入院された女性で食事がなかなかはいらないと夫に説明したところ,その翌日からほぼ毎日昼食を夫が妻の好きな味付けにして病棟に持参され,一緒に食べておられた方.母親を入院させたあと,体のあちこちにあざを認めたことがあり,そのことを連れてきた娘に見せると「先生みてください」と言われ,娘の体にもあちこちあざがあり,自宅でのすさまじい介護の実態があったことを感じたこと.入院してしばらくして遠方にいる娘が「自分の母は認知症なんかではありません,兄嫁が介護したくないから連れてきたんです」とどなり込むように言われたため,「それなら1週間連れて帰られてお母さんと過ごされたら」と外泊させたところ,3日目に母親を病棟前のドアにおいて何の挨拶もなしに帰ってしまった娘.入院前に電車がうるさいからと線路に煉瓦ブロックを置き,現行犯逮捕されて公務員を解雇され,さらに拘留中に妻と子どもたちは自宅を出て一切本人と連絡を絶ってしまった.その46歳の男性を精査したところ,前頭側頭型認知症(FTD)であることが判明したが,そのことを妻や子どもに報告するすべがなかった症例.開業医だった方が入院してこられ,病棟でほかの患者を診察するような様子がみられ,相手の患者にどなられているのをみて,明日はわが身かと.「生理の始末まではできません」と言われ,若年性認知症の妻の入院を希望された男の方,さらに入院1か月前に統合失調症の息子がみているという高齢の母親で,すでになかば介護放棄(実際はどうして介護していいのかわからずにいた)していたが,その母親を実際に入院させたときにひと目で低栄養状態であり,生命の危険もあるとみられたので思わずその息子に,「どうしてもっと早く連れてこなかったのか,この様子だと今夜にでも亡くなるかもしれない」とひどくなじってしまった.実際にその日の夜中に死亡してしまったが,息子をなじってしまった精神科医として長年統合失調症の患者も数多くみてきたはずの自分自身にも嫌気がさしたことがあった.このようなさまざまな家族関係を,人間模様をみてきた.外来ではこれまで3例,60代後半から70代の女性で当初うつ病と診断し,抗うつ薬を投与して一時期は精神症状も改善したものの,2年,3年と診ていくなかで次第に認知機能の低下が顕著となり,結果的に認知症であった症例があった.
巻頭言としてふさわしい内容であったのかわからないが,この28年間認知症と向き合い,印象的であった症例を紹介した.今後も治癒,寛解ということのないこの疾患に対して真摯に向き合って,患者,家族にとってより善い診療を続けたいと思う.
執筆の依頼を受けたので,日々,日常で診療していて私が感じていることを書いてみたいと思う.
当院は,精神科クリニックでもの忘れ外来と精神科外来の2つを行っているが,外来の8割以上を認知症診療が占めている.もの忘れ外来では,診察の結果,多くは軽度認知障害(MCI)や認知症である.しかし,なかには知的障害や注意欠陥・多動症(ADHD)等の発達障害と診断されるケースや,双極性障害や妄想性障害で認知機能が低下しているケースなどもみられる.
一方で,精神科外来での初診時には不安障害や気分障害の症状が悪化しているような場合でも,しばらくみていくと認知症に移行していき,「認知症の前駆症状として一時的に精神症状が悪化していたのだな」とあとになって思うこともある.認知症診療のみならず,高齢者のメンタルヘルスを総合的に診療する老年精神医学の重要性を日々実感しているところである.
さて,私は佐賀県にある肥前精神医療センターで精神医学を学び,福岡県や長崎県で精神科医として勤務してきた.そのころ「統合失調症は軽くなってきとらんですか?」と,軽度統合失調症の増加について周囲と話していた.最近では認知症診療においても同じような印象を受けるようになってきている.以前は認知症が重度化し,徘徊や暴力などの行動・心理症状(BPSD)が出現してから来院することも多くみられた.しかし最近は,「もの忘れがありそうです.早いほうがいいと思い来ました」と受診し,実際にMCIやプレクリニカル期と思われる方もみられるようになってきた.
そこで,当院にもの忘れで受診した方のデータを見比べてみた.はじめに,2012 年の1 年間に初診した方は20%がMCI で,80%が認知症になってから受診していた.次に,今回,2022 年の1 年間に初診した方はどうであったかを調べてみた.すると49%がMCI であった.Clinical Dementia Rating(CDR)1 が40%,CDR 2 以上が8%,プレクリニカル期が3%という結果になった.これだけではこの10 年間で認知症が軽症化したとはいえないが,より早期の段階から来院するようになってきているのは確かなようである.ちなみに診断分類をみてみると,アルツハイマー型認知症が過半数を占めることにこの10 年間で変わりはない.しかし,いわゆる4 大認知症に加えて,2012 年には(気づいて)いなかったが,2022 年には嗜銀顆粒性認知症が10%程度存在していた.また,嗜銀顆粒性認知症か前頭側頭葉変性症であるのかを明確に分類できない疾患群が,一定数存在するようであることも興味深い.
それはさておき,当法人はクリニック以外に介護保険施設も運営している.そこで,実際に介護保険サービスを利用している利用者には変化があるのだろうか.当法人のサービス利用者をみてみると,まず,訪問介護では5年前は利用者の介護度は要支援が13%,要介護1が34%,要介護2以上が54%の割合であった.2022年では事業対象者が2%,要支援が18%,要介護1が49%,要介護2以上が31%の割合であった.サービス利用者は介護度が低い方の割合が多くなってきている.この傾向はデイサービスの利用者も同様で,5年前と比較して,2022年ではより介護度が低く,より認知症高齢者の日常生活自立度が高い(自立により近い)方のデイサービス利用が増加していた.さらに,訪問介護のサービス内容に関しても,5年前と比較して2022年では,食事介助や排泄介助,入浴介助などの「身体介護」が減り,掃除や買い物などの「生活援助」に関する介護サービスが増加傾向となっている.これは,社会経済構造の変化で在宅介護力が低下し,入所施設の種類と数の増加も相まって,介護の必要性が高まると在宅サービスを継続されなくなってきているということなのであろうか.
しかし,総じて認知症に関しては,より早期から,より軽度への医療や介護予防策が求められてきているのではないかと考えられる.
早めに受診してくださった方々に対して,私たちができることは何であるのかを考えていきたい.
以上,長崎の地域医療の一現場から,現状についてご報告させていただいた.これからも時の流れに沿った医療および介護サービスを提供し,地域の老年精神医療に貢献したいと考えている.
大学院の研修中は,2023年3月に逝去されたレビー小体病の発見で有名な小阪憲司先生と机を並べて,将来の高齢化社会を予想して,老年精神医学関連の文献を渉猟しておりました.しかし,その後も研究面では,あまりたいした貢献はできませんでした.
私として,社会的貢献ができたことは,1つは,「痴呆」から「認知症」への呼称変更に多少の貢献ができたことです.2000年に認知症介護研究・研修大府センター(当時,痴呆介護研究・研修大府センター)へ赴任して,各地で講演をしているなかで,認知症ご本人やご家族から「痴呆」といわれるのは,「嫌だ」とか,「耐えられない」とかのご意見を多数いただきました.そこで,2003年に,故井形昭弘先生(元国立中部病院長)とご相談のうえ,東京センター長(故長谷川和夫先生),仙台センター長(長嶋紀一先生)と大府センター長の3センター長会議に提唱し,討議の結果,3センター長連名で,当時の厚生労働省老健局長の中村秀一局長に「痴呆」の呼称変更を申し入れました.中村秀一局長も快諾されて,早速「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」(座長:高久史麿先生)を立ち上げ,検討の結果,「痴呆」から「認知症」に呼称変更が正式に決定しました.
これとは別に,3センター長で,当時の厚生労働大臣の坂口力大臣に,「『痴呆』の呼称の見直しに関する要望書」を手渡しました.
私は,同時に,日本老年精神医学会の会員で,賛同者9名の連名で,本学会の理事会へも同じ趣旨の申し入れをいたしました.当時の理事長の松下正明先生も賛同してくださり,検討委員会を設置して,会員アンケートでは,80~90%は,「変更の必要なし」でしたが,学会理事会の見識として,呼称変更を決定され,他の学会へも働きかけるとのことでした.その後,日本痴呆学会は,日本認知症学会になりました.
このことは,その後,日本では,「認知症」の用語が定着し,アメリカ精神医学会でも“dementia”から“major neurocognitive disorder”となったことにいくらかの影響があったとされております.アメリカでも高齢者の認知症の方々はともかく,HIVによる認知障害者は,若年者が多く,dementiaに抵抗があったと聞いております.
人権を重視している世界保健機構(WHO)が,ICD-11 でもdementiaを使用しているのが気になるところです.
もう1つの社会的貢献は,2004年に,愛知県名古屋市千種区で,厚生労働省のモデル事業「大都市における認知症高齢者を地域で支えるシステムづくり」を主宰し,千種区医師会,千種区役所,保健所,社会福祉協議会,民生委員,歯科医師会,薬剤師会,弁護士,介護関連施設,音楽療法士,認知症家族の会などに働きかけて,「千種区認知症地域連携の会」を立ち上げ,「世話人会」を設置し,討議のうえ,事業の内容として,1つは,啓発活動で,市民講座(毎月),専門職研修会(毎月),市民シンポジウム(年1回)などです.もう1つは,連携活動で,かかりつけ医と専門機関(4大学,市民病院,国立長寿医療研究センターなど)との連携,医療機関と介護関連施設との連携,医療機関と行政の連携,その他,諸職種との連携などです.そのために,各大学の精神科,神経内科,老年科の教授,市民病院の院長,国立長寿医療研究センターの総長・院長に面談して,協力を依頼して,理解と了承を得ております.行政との連携のために,愛知県健康福祉部長および名古屋市健康福祉局長にも面談して,理解と了承を得たうえで,活動を開始しました.厚生労働省のモデル事業は,3年で終了しますので,終了後2年間はボランティアで継続し,その後,千種区の区政に取り入れられ,さらに,現在は名古屋市政の一環として活動しております.
現在まで活動が継続可能であったのは,千種区医師会,千種区役所,そして,千種区の関係者の皆様のボランティア精神と努力の賜物です.
私は,2020年までは,この「千種区認知症地域連携の会」の代表世話人を務めましたが,2021年以降は,顧問として参加しております.
その他,若いドクターたちと最新の文献抄読を20年以上続けております.
あとは,一市民として,ユニセフに,20年以上前から毎月少額ながら寄付を続けております.
以上,私のささやかな社会貢献の大要です.
[参考文献]
1)柴山漠人:認知症への呼称変更の功罪;積極的に推進する.Cognition and
Dementia,5(4):336-339(2006).
2)柴山漠人,黒川 豊:名古屋市千種区での取り組み;大都市における認知症高齢者を地域で支えるシステムづくりモデル事業.Cognition and Dementia,6
(4):348-353(2007).
住友病院で外来診療をするようになった1996年当時から,筆者にとって認知症(当時の疾患呼称は痴呆症)は身近な疾患であり続けている.1999年にドネペジルが承認・薬価収載・発売され,ようやく治療薬がある疾患になった.当時医師として4年目を迎えていたが「治療薬がない」時代は個人的にはそれほど長くなかったといえる.2001年に大学院を修了し,母校の徳島大学に勤務し始めたときから認知症診療に本格的に携わり,抗認知症薬の治験にも数多く参加した.また,BPSDの理解を深めてその対応の質を向上させるため,精神科との合同カンファレンスを月に1回行うようにして,それは現在も継続している.2004年には,痴呆症の疾患呼称が認知症に変わり,各メディアによる認知症に関する啓発も盛んに行われ,認知症はだれでもなりうる病気であることが国民に広く知られるようになった.また学会活動も活発になり,さらには製薬企業が主催する認知症関連の研究会も年々大規模になり,かかりつけ医の先生方の認知症疾患に対するアレルギーも徐々に減っていった.これらはこの20余年間の大きな進歩だったと思う.
2008~2018年まで徳島大学の非常勤医となり,地元の広島県で医療法人と社会福祉法人の理事長を務めた.在任中,連携型の認知症疾患医療センターの設置や,福祉施設における非薬物療法を実践してきた.もともと私は僧籍をもち,宗教的側面からは「生老病死」を受け入れている.そのこともあって,高齢者に多い認知症の根本治療薬開発に積極的には取り組まなかった.また,既存の薬物(症候改善薬)の効果が限定的であったため,福祉施設で非薬物療法の実践に力を注いだ.加えて,「住み慣れた場所でその人らしく」というのが自身の宗教的感性に合うため,地域と病院や施設との協調が重要だと考え,在宅サービスの充実やさまざまなプログラムに取り組んだ.このような取組みはこれからも重要であると今も考えている.
2018年に法人の理事長を辞し,徳島大学の常勤になった.そして法人理事長のときにもった考えを実践すべく,徳島市認知症初期集中支援チームに参加した.チーム員医師としてカンファレンスに参加してスタッフと接することで,認知症啓発の進歩を実感するとともに,現場で行われていることを肌で感じている.これまでの啓発活動により,アルツハイマー病に対して一定の理解は広まっている.とくに,記憶障害が強調されてきたことで,「記憶障害がある高齢者→アルツハイマー病」という図式が浸透している.この図式は非常にシンプルでわかりやすいが,それゆえ弊害もある.経過から明らかに別な疾患である患者がアルツハイマー病と診断されていることも,少なからず見受けられる.チーム員として活動するなかで認知症診療・対応の進歩を感じつつ,さらなる深まりの必要性を実感している.
近年,抗アミロイドβ(Aβ)抗体薬の成果が発表され始めた.米国でアデュカヌマブが条件つき承認,さらにレカネマブが承認され,今後の本邦での承認が期待されている.2023年2月に徳島大学病院フォーラムという市民公開講座を「認知症」をテーマに開催した.COVID-19感染がある程度落ち着いた状況であり現地開催としたが,開始時間が遅れるほど多くの市民が来場され,認知症への関心がとても高いことを実感した.この市民公開講座の少し前になされた抗Aβ抗体薬のマスコミ報道を受けて,治療への期待もあったのだろう.
抗Aβ抗体薬が承認されると,その投与開始にあたっては,Aβの蓄積を確認しなければならない.現時点では,Aβ蓄積の有無を判定するバイオマーカーが保険承認されていないこともあり,「記憶障害がある高齢者→アルツハイマー病」の図式が定着している.抗Aβ抗体薬が上市されたら,ここからさらに進んで「脳にAβが蓄積して起こる認知機能障害→アルツハイマー病によるMCI・認知症」という啓発が必要になる.しかしこの啓発はドネペジル発売の20余年間になされた内容とは違って,すんなり受け入れられないかもしれない.Aβ蓄積確認の過程で,“アルツハイマー病”と診断されていた患者が違う疾患であることが判明したり,嗜銀顆粒性認知症や神経原線維変化型老年期認知症といった,一般にはまだあまり知られていない病名も鑑別の対象になってくるためである.ドネペジル承認から現在に至る20余年間の啓発は,いわば認知症を広く国民に周知するものであった.抗Aβ抗体薬承認後のそれは,認知症の理解を深めるものとなる.正しい理解を得ることのハードルはこれまでより高い.しかしそれにより,抗Aβ抗体薬の適正使用,既存薬の再評価,認知症患者への対応の向上などに貢献することが期待される.認知症治療の今後とこれから行うことになる啓発活動をとても楽しみにしている.
私がかかわっている一般社団法人全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会が,2022(令和4)年にファイザー株式会社の助成(ファイザープログラム)を得て,コロナ禍における若年性認知症に関する調査事業を行った.そのなかで,家族からの聞取り調査を担当した4).調査概要を,私見を交えつつ述べる.緊急事態宣言下でのサービスの一時的停滞,自粛生活は本人家族ともに大きな負荷となっていた.まだまだ体力のある若年性認知症当事者にとって,自粛生活は身体的活動の制限につながった.そのなかで,外出を試みても,公共施設等の自粛休業により,外出時の行き場が失われていた.介護者が家計も担うなかで,仕事が減る状況や,介護サービスを利用できないため就労時間を確保することがむずかしくなったり,やむを得ず本人を一人自宅に残しての出勤になったりと,家族の心理的負担もいや増す状況であった.東日本大震災,熊本地震と同様に,今回も認知症者とその家族は,弱者の立場になりやすいことが示されたと考える.
2004(平成16)年に「痴呆」の名称が変更となり「認知症」という言葉が誕生して,2024年には20年となる3).名称が変更されて世の中の認知症の理解は進んだのであろうか.たしかに本人が情報発信を行うようになり,認知症サポーターは1400万人を超え1),認知症カフェも7,700か所以上2)が展開しており,「認知症」という用語自体は社会に認知されてきたといえる.一方で「認知症」に名称変更になって2,3年も経たないうちに,福祉の専門家や家族から「認知症」を「認知」と表現する声を聞くようになった.とある福祉の専門家にその理由を聞くと「家族が認知『症』というのを嫌がるから」とのことであった.同様の用語表現は,20年経った今も筆者の周囲からも,マスメディアのなかからも聞こえてくる.
言葉を替えるとは,どのような意味をもつのか.「痴呆」の名称変更は,当時の高齢者痴呆介護研究・研修センター(現在の認知症介護研究・研修センター)の3センター長であった柴山漠人先生,長谷川和夫先生,長嶋紀一先生らの提案で,厚生労働省が検討会を立ち上げ,名称変更となった.そこには,痴呆にまつわる差別や偏見を解消するという狙いがあった.しかし,その変更の意図は歴史の合間に消え,「痴呆」にまつわりついていた差別や偏見が「認知症」にもまつわりついてきていると感じる.とはいえ,私自身が,周囲の人に「認知症」を「認知」と言い換えている不適切さを指摘し得ていない.それは相手との関係を壊したくないという利己的な態度であり,差別や偏見を助長している行為になっているのであろうと,自虐的に振り返るのみである.「認知症」という用語は浸透してもその内実の理解は不十分であると感じる.人が移り変わる社会では言葉の意味が変容するので,それをリセットし直す必要がある.ゆえに,認知症の理解を深める啓発活動は,初心に戻ることを繰り返しながら,繰り返し繰り返し行われ続けることが求められるものなのであろうと考える.
社会状況の変化は,弱者の立場になりやすい者にしわ寄せがいきやすい.2020年から続いた「新型コロナウイルス」感染による社会もそれを顕在化させたといえる.2023年5月に感染症の位置づけが5類に緩和され,社会の潮目は変わってきている.とはいえ社会はコロナ以前に戻ることはできず,この経験を踏まえて次に進むことになる.これからの歩みがよりよい方向に向かうことを願いつつ.
[文 献]
1)特定非営利活動法人 地域共生政策自治体連携機構:サポーターの養成状況.
Available at : https://www.caravanmate.com/result/(2023年4月24日検索)
2)厚生労働省:認知症カフェ.Available at : https://www.mhlw.go.jp/content/
000935275.pdf(2023年4月24日検索)
3)厚生労働省 「痴呆」に替わる用語に関する検討会:「痴呆」に替わる用語に関する検討会報告書.平成16年12月24日.Available at : https://www.mhlw.go.
jp/shingi/2004/12/s1224-17.html(2023年4月17日検索)
4)一般社団法人全国若年認知症家族会・支援者連絡協議会:「2021年度
ファイザープログラム~心とからだのヘルスケアに関する市民活動・市民研究支援~」の事業報告書「調査リポート 若年性認知症の,いま;家族会と新型コロナ」.Available at :
https://jeodc.jimdofree.com/ 調査リポート/(2023年4月23日検索)
第21回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作の『名探偵のままでいて』3)が話題になっている.レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies ; DLB)を患う老人が安楽椅子探偵をつとめ,不思議な謎に挑むミステリー作品であるが,作中で「煙草を1本くれないか?」のめ台詞とともに,紫煙をスクリーンにして事件の真相を「見る」という内容である.DLBの幻視の特性を作品に落とし込んだのは,DLBを患う父親の介護経験がある著者だったからと考えると合点がいく.実際にはこの推理場面は,幻視というよりも,考えたことが見える現象である「考想化視(thought visualization)」に近いのかもしれない1).
老年精神科医にとって「見える」といえば,バイオマーカーは高齢発症の精神疾患の背景病理を推理するうえで重要なツールとなってきている.近年,遅発性うつ病や遅発性パラフレニーと呼ばれていたもののなかに,DLBや嗜銀顆粒病などの神経変性疾患の前駆症状としての精神疾患が含まれることが明らかになってきている5,6).このうちDLBでは,2020年にMcKeithら5)により前駆期DLBのための研究基準が発表され,精神疾患として発症してくる「Psychiatric-onset DLB」というサブタイプが提唱された.この研究基準のなかでは,Psychiatric-onset DLBの同定には,DLBの指標的バイオマーカー,すなわち,ドパミントランスポーター(DAT)イメージング,MIBG心筋シンチグラフィー,ポリソムノグラフィーがその同定に役に立つ可能性に言及しており5),バイオマーカーは,非器質性精神疾患と考えられていた疾患のなかに潜む器質因を「見える」化しているといえるであろう.
この現在の流れから,高齢発症の精神疾患に対するDLBの指標的バイオマーカーの適用の需要はますます高まってくると思われるが,核医学検査のアクセスが容易でない施設が多いため,今後,核医学検査が可能な施設とそうでない施設との連携が非常に重要になってくるであろう.そして,このようなバイオマーカー時代に,老年精神科医としていくつかのジレンマが生じる可能性を推理している.第1に,他の前駆期DLBのサブタイプにもいえることであるが,いつからバイオマーカー陽性になるのか不明であるため,バイオマーカーが陰性だからといって根底にあるDLBを否定できないことである.それゆえ,バイオマーカーの経時的観察が必要になってくるかもしれない4).次に,抗うつ薬がDATイメージングやMIBG心筋シンチグラフィーの所見に影響を与える可能性があり,可能であれば検査前の休薬が望ましいが,精神症状があるときに,休薬することはなかなか困難である点である2).そして最後に,これはDLBの診療でも直面するジレンマであるが,時間や経済的負担などの要因から,すべての高齢発症の精神疾患に適用するわけにはいかないであろうが,一方で,高齢であることを理由に医療者が核医学検査を忌避することは,一種のエイジズムになりうる可能性がある点である.
今後,DLB以外の疾患もバイオマーカーによる診断の発展は必至であり,われわれ老年精神科医は,どこまで「見る」かも含めてさまざまなジレンマを抱えながら,診療に当たらないといけないかもしれない.私が推理した上記のジレンマが杞憂に終わり,迷探偵であったと思えるような革新的なバイオマーカーの出現に期待したい.
[文 献]
1)Kobayashi R, Morioka D, Hayashi H, Suzuki A, et al.: Thought visualization occurring
in a patient of dementia with Lewy bodies. Asian J Psychiatr, 48 : 101882
(2020).
2)Kobayashi R, Kawakatsu S, Morioka D, Hayashi H, et al.: Fluctuation of dopamine
transporter availability in psychiatric-onset dementia with Lewy bodies ; The dilemma
of treatment with antidepressants. PSYCHOGERIATRICS, 23 (3) : 553-
555( 2023).
3)小西マサテル:名探偵のままでいて.宝島社,東京(2023).
4)Fujishiro H, Arafuka S, Ogasawara K, Iwamoto K, et al.: Temporal trajectories of
proposed biomarkers in psychiatric-onset prodromal dementia with Lewy bodies:
a case report. PSYCHOGERIATRICS, 23( 1) : 196-200( 2023).
5)McKeith IG, Ferman TJ, Thomas AJ, Blanc F, et al.; prodromal DLB Diagnostic
Study Group : Research criteria for the diagnosis of prodromal dementia with
Lewy bodies. Neurology, 94( 17) : 743-755( 2020).
6)Yokota O, Miki T, Ishizu H, Haraguchi T, et al.: Four-repeat tauopathies and
late-onset psychiatric disorders ; Etiological relevance or incidental findings?
Neuropathology, 43( 1) : 51-71( 2023).
精神科医になってからもう25年以上が経った.私が老年精神医学を基礎から学べたのは,東京の杉並区にある浴風会病院のお陰である.その当時,昭和大学精神医学教室の教授上島国利先生は私に浴風会病院で学ぶ機会を与えてくださり,そこで私は大友英一先生や須貝佑一先生ら多くの諸先輩の先生から認知症の問診・診断・治療の基礎を教えていただいた.今現在,認知症専門医としての仕事の原点は浴風会病院での経験であり,学ぶ機会をくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいである.その後,「昭和大学が横浜市で認知症治療病棟を立ち上げる」という話があり,私はそこに赴任した.大学病院の精神科医は他科の先生と連携することも多いなか,時によっては治療方針で意見が合わず衝突する話を聞くこともあった.しかし,当時,私の医籍年数がちょうどよかったのか,たくさんの大学時代の同級生が他科にいた.そのお陰で,院内専用のPHS一本で助けてもらったことが多くあった.実際,連携に苦慮する精神科医もいたので,昭和大学卒で昭和大学病院に勤めていた私はラッキーであった.
そのあとからは,ほぼ単科精神科病院の認知症治療病棟の担当であった.ある日,やや情熱的な作業療法士(OT)が私のところにやってきてこう言った.「この認知症病棟のなかには使っていない部屋があるのに,どうして食事とレクリエーション活動を同じホールでやるんですか?」「普通の生活で他に部屋があるのに食事や運動,カラオケを全部同じ部屋でやりますか?」と.こんなきつい言い方ではなかったがそれぐらいの衝撃を私は感じた.たしかに認知症の外来患者さんやご家族に,「デイサービスは行ったほうがいいですよ」「部屋から外に出るってことは生活のリズムもつくし,家の中と外でメリハリ,オンオフになりますから」「仕事に行って家に帰るのと同じですよ」と言っていた.1日のなかで生活環境を変えることでのメリハリをつけるのは,入院患者さんも同じだということが完全に盲点になっていた.すぐにそのOTは計画書を作成し,私とOTで院長のところに持っていき了承され,晴れてホールとは別のスペースで活動をすることができた.この内容を一部の精神科医に思いがちな「新しいことをやって,なにかいい感じである」というだれかに「それはあなたの感想ですよね」と言われそうな,まったく学術的ではない話に終わらせるのはもったいないと思い,介入前後で認知機能,周辺症状, 日常生活動作能力を評価し,本誌にも投稿した2).
また,別の病院では,歯科医師と2人の歯科衛生士が常勤で勤務していた.単科精神科病院に歯科医師がいることはそんなに珍しい話ではない.理由は定かではないが,精神科の入院患者さんは昔から虫歯が多かったのかもしれない.今では考えられないが私がまだ精神科医になりたてのころ,精神療養病棟に行くと何人かの入院患者さんがホールで煙草を吸いながら「びっくりするほど甘いコーヒー」や「コップになみなみとつがれたコーラ」や「どうみても高カロリーなスナック菓子」をおいしそうに召し上がっていた.そういうことも影響していたのかもしれない.当初その病院の歯科の先生は,主に入院患者さんの虫歯の治療と入れ歯の調整をされていた.時に認知症の入院患者さんの入れ歯をだれかが紛失してしまい,病棟職員と歯科衛生士が口論になることもあり,あまりに歯科分野の活用がなされていないと思った.そのころから学会や講演会で嚥下の話題が出るようになり,その病院の入院患者さんの口腔ケアはどうしているのかと疑問に思った.まずは基礎知識が必要だと思い,なんとか友人にコンタクトをとり,最終的には昭和大学歯科病院口腔リハビリテーション科教授の高橋浩二先生や教室の先生方からいろいろ教えていただいた.それをベースとして歯科医師・歯科衛生士観察のもと,全病棟で簡易な口腔ケアの方法の統一を図るように努めた.OTには嚥下体操やアイスマッサージもお願いした.低栄養の状態であった入院患者さんには,管理栄養士にお願いして食事形態の見直しもしてもらった.これも介入前後で調査し,肺炎の発症はかなり減少した1,3,4).
今こう振り返ると,走っていろいろな多職種の方のところに出向き協力をお願いし,なにかをつくったと思う.ただこのようにつくったものに対して職員の異動や退職,モチベーションの維持などの壁を越えて,どう継続させるかはいつも悩んでいるのも事実である.
最後にこのような稚拙な文章を読んでいただいたこと,この執筆の機会を与えてくださった三村將先生と関係者の皆様に感謝いたします.
[文 献]
1) Fujioka K, et al.: Intraventricular Hemorrhage Due to Coagulopathy After Vitamin
K Administration in a Preterm Infant With Maternal Crohn Disease. Jpn Clin
Med, 8 : 1-4(2017).
2) 葉室 篤ほか:認知症疾患治療病棟における院内デイケアの効果;病棟と自
宅・施設の架け橋.老年精神医学雑誌,22( 4) : 448-452(2011).
3) Hamuro A, et al.: Oral care and prevention of pneumonia after withdrawal of nasogastric
tube feeding in three elderly patients with psychiatric disorders. Clin
Case Rep, 6( 1) : 68-70(2018).
4) Hamuro A, et al.: Mousse Meals for Elderly Patients with Psychiatric Disorders
and Low Nutritional Status. Care-weekly, 4:8-10(2020).
アートセラピーは,認知症の非薬物的治療法として,多くの介護老人保健施設やデイサービスで行われており,喜び・意欲を高め,不安・焦燥を鎮めるなど感情面への治療効果が指摘されている.認知症の人たちが社会・家庭生活を送るうえで,感情の安定は大切ではあるが,それだけがアートの目標なのであろうか.美術は何らかのメッセージの非言語的表現である.したがって,心に描いたイメージを表現することの意味を,彼らの美術制作時の様子と作品から読み取るという観点も必要であろう.
国立精神・神経センター武蔵病院にもの忘れ外来を開設し,アルツハイマー病のリハビリテーションを試みたとき,「臨床美術」によるアートセラピーと出会った.これは,金子健二(彫刻家)が子どもたちのために開発した美術教育プログラムをもとにしており,彼はそれを指導する臨床美術士を養成し,現在2,300人以上に上る.アンケート調査(回答率26%)では,その約45%が高齢者の入所・通所施設で働いている.
私は,退官後,三鷹市のクリニックで地域の認知症医療に携わり,その一環としてアート塾を開き,主にアルツハイマー病の人たちに対するアートセラピーにかかわった.臨床美術士(2~3人)が,参加者(6~10人)とその家族を指導しながら行う美術制作活動である.臨床美術の特徴は,精神内界を創造的に表現することにある.プログラムは,①野菜など身近な対象を五感で感じながら表現する,②桜や紅葉など四季折々の自然,新年の祝い行事や秋のお祭りなど日本特有の行事をテーマにイメージを描く,③土偶などの立体造形でイメージと感情を表現する,など多彩である.導入部で,テーマに沿った話,写真,絵,歌唱で,本人に懐かしさを感じてもらい,その記憶と感情を軸にしたイメージや今感じている気持ちを表現する.
当初,美術制作という知的行為が認知機能の低下をある程度は防ぐのではないかと考えた.1年間はIQの上昇もみられたが,それは一時的なものであった.軽症の人は数年以上にわたって安定していたが,すでに中等症に達していた人たちは,3年以上の経過で認知機能の低下が目立った.認知機能の低下とともに,自宅では人柄が変わったようにみえることもある.アルツハイマー病は早い時期から自伝的記憶のかなりの部分を喪失し始める.自伝的記憶は自己認識の基礎を提供しているので,その喪失が彼らの人柄を変え,行動と心理症状の原因のひとつになる可能性はある.しかし,アート塾での活動をみると,中等症までは,過去から未来にわたる自己の連続性は,人によってその程度は異なるが,保たれている.
近年,デフォルトモードネットワーク(DMN)などの神経ネットワークの研究が進み,内的精神活動の神経メカニズムの一部が明らかにされている.自発的思考に関係の深いマインド・ワンダリングは,海馬機能と密接な関係があるため,アルツハイマー病ではその機能が低下している.そのため,過去の記憶を自然に頭に思い浮かべることはむずかしく,自発的な思考が乏しい.臨床美術では,導入部で,その日のテーマに関する資料で記憶や感情を刺激し,制作中もさまざまに視覚的刺激を与え,彼らの人生を彩っている記憶を喚起し,思いをめぐらして,創造的に作品を制作してもらう1).作品を見ると,過去のエピソード記憶の想起はむずかしいが,自己にかかわる知識の記憶,10~30歳のころに体験した,または学んだ知識(意味記憶)はかなり残されている.これらが彼らの人格形成に深くかかわっているとすると,その記憶想起は「その人らしさ」を保つうえに大事なことであろう.1時間以上かけて作品が完成すると,彼らは達成感・満足感を表す豊かな表情を浮かべる.心理的満足感はSelf-esteemにもつながる自己意識感情であり,QOLを支える重要な要因のひとつである2).
非薬物的治療法は多くの分野にまたがり,その目的も方法論も多岐にわたる.アートセラピーも目的と方法はさまざまであるが,臨床美術は本人の過去の体験や知識を刺激しながら,造的なSelf-expressionを目的とした美術活動であり,認知症ケアの中心的課題である「その人らしさ」を保ち,心理的満足感の向上に寄与しうるのではないかと考えている.
[文 献]
1)宇野正威,大倉葉子:内的精神活動を活性化する臨床美術;アルツハイマー病の人たちの美術活動とその作品から.臨床美術ジャーナル,10 (1):3-10
(2021).
2)宇野正威,大倉葉子,藤木晃宏:美術制作と共に表現される自己意識感情;アルツハイマー病の人たちの美術活動とその作品から( 2).臨床美術ジャーナル,
11( 1):13-20( 2022).
「食べること」は,高齢者の生きがいや楽しみに関する調査では常に上位にランクする.すなわち,高齢者にとって「食べること」は「生きがい」にもつながる重要な暮らしの営みのひとつである.
しかし,認知症の進行に伴い,人的環境も含めた「環境」が個々の高齢者に適さないと摂食困難になり,食べる喜びが奪われることになる.その結果,低栄養に至り,さらに食べられないという悪循環を生む.そして,人生の最終段階であるエンドオブライフ(end-of-life;EOL)期には「睡眠時間が1日18~20時間になり,歩行・入浴・排泄・食事などの日常生活全般にわたり介助を要し,着座能力が喪失し,嚥下障害が出現し,体重減少率が6か月間で10%以上に及ぶ低栄養な状態」に至るが,この状態を自然な経過としてとらえ,無理のない食支援が求められる.
EOL期に認知症高齢者がおいしい物や好物を食べた瞬間に笑みがこぼれたり,言葉にならない涙が頬を伝う場面に立ち会ったとき,「食べる喜びを最期まで支えたい」とだれしもが強く思うところである.とくに家族にとってはことさらであろう.最期まで食べる喜びを支えているグループホームで当事者の遺族に調査を実施した結果,食事の満足度と看取りの満足度との間に強い相関(γ= .733,p < .001)を認め,食べる喜びを支えるEOLケアは家族にとっても重要であることを実感した.また,看取り介護加算やターミナルケア加算制度が開始されて以来,介護保険施設では,最期まで食べる喜びを支えようと尽力する多職種チームが増えていることも嬉しい限りである.
医師であるPalecekら1)は,認知症高齢者のEOLにおけるcomfortを重視した食支援の必要性について,人工的水分・栄養補給法(arti_cial hydration and nutrition ; AHN)に代わる新たな指示としてcomfort feeding only(CFO)を提唱した.CFOとは,「蘇生をしない(DNR)」「挿管をしない(DNI)」「経管栄養をしない」などの「回避する指示」ではなく,認知症高齢者の「comfortを促進するためになにをするか」を重視し,本人にとって食べることが苦痛でない限りの食支援を試みるが,苦痛を感じる場合には無理に食事介助するのではなく,口腔ケアや話しかける,触れるなどの継続的かかわりを大切にする.CFOにおけるcomfortには,2つの意味がある.1つは,認知症高齢者が苦痛を感じない限り食支援を受けられることを強調したうえでの「食事の中止点」を,もう1つは「食支援の目標」を意味し,注意深い食事介助が最も侵襲性が低く,最も認知症高齢者が満足できる方法であるとしている.
筆者が認知症高齢者の食べる喜びを支えることを目指した研究・実践を始めて約30年になる.認知症ケアはこの20年で大きく変化したものの,新たな解決すべき課題も多いことも感じている.自分自身への課題に関して,2012年から今日に至るまで,日本老年精神医学会の池田学理事長には共同研究でお世話になっている.2012~2016年度の日本学術振興会科学研究費「基盤研究A」では,研究課題「認知症の原因疾患および重症度による摂食・咀嚼・嚥下障害の特徴とケアスキルの開発」で多職種共同研究の重要性を再認識し,研究結果の一部を本誌にも寄稿させていただいた2).加えて2018~2021年度「基盤研究B」では,浦上克哉理事にもお世話になった.さらに2022~2025年度「基盤研究B」では「認知症高齢者の食べる喜びを重視したエンドオブライフ・ケアガイドの開発」に向けて,医師・歯科医師・看護師・管理栄養士・言語聴覚士・歯科衛生士・社会福祉士・介護福祉士・倫理学者とともに研究を推進しているところである.
昨今,学会同士がコラボした研究や学術集会などが増えている.この流れはアカデミックな知見を創出するうえで非常に重要である.とくに,「日本老年精神医学会」と「日本補綴歯科学会」とが共同で,2021年に「認知機能と口腔機能に関する医科歯科連携研究プロジェクト」を発足させた.多くの貴重な研究成果が期待されるところである.
筆者が所属する日本老年看護学会は,初代理事長から認知症看護に積極的に取り組み,認知症看護認定看護師教育や認知症ケア加算の制度設計,認知症対応力向上研修などを行ってきている.人生100年時代の今,90歳以上の超高齢者に対する新たな認知症の診療やケアのあり方が問われている.だれもが最期まで自分らしく住み慣れた場で人生を全うできる“Aging in Place”の理念のもと,今後は日本老年精神医学会と日本老年看護学会などの多くの関連学会との共同プロジェクトによって,国民に貢献できる進むべき方向性が示されることを切望する次第である.
[文 献]
1)Palecek EJ, Teno JM, Casarett DJ, Hanson LC, et al.: Comfort feeding only ; A
proposal to bring clarity to decision-making regarding difficulty with eating for
persons with advanced dementia. J Am Geriatr Soc, 58( 3) : 580-584( 2010).
2)山田律子:認知症高齢者の食べる喜びに向けた看護.老年精神医学雑誌,27
(3):296-303(2016).
新年のお慶びを申し上げます.
本誌新年号が無事に刊行されたということは,世界終末時計の針が残り1分40秒を告げながらも,全面的な核戦争は回避されているのでしょう.
第二次大戦終戦後の日本に生まれた私たちの世代にとって,東西冷戦下の各地での代理戦争やベルリンの壁崩壊後の民族・宗教戦争が途切れなく続いてきたとしても,人類史の趨勢が平和と人権・民主主義に向けて漸進していくことは疑いの余地もありませんでした.しかし,21世紀の今日なお,圧政と戦争が人々の生活を破壊し,幾万の生命を奪っている映像を目の当たりにして,人類の進歩とは世代を超えた不断の努力なくしては維持できないもろいものであったことを思い知らされます.
さて最近,わが国の精神医療にとっての歴史的課題を再認識させるニュースがもたらされました.2022年9月9日,国連の障害者権利委員会が日本政府に対し,精神科医療における現行の強制入院制度の廃止,障害児を一般教育から分離している特別支援教育の中止などを骨子とする障害者政策の改善勧告を公表したというものです.
思えばこうした指摘は,半世紀以上も前からわが国に対して鋭く突き付けられていました.1963年のケネディ教書,1968年のクラーク勧告,1978年イタリアのバザーリア法.それらは,精神科医療が内包してきた社会防衛や治安維持の思想に,障害者の自己決定権の優先と社会的ケア・サービスの義務を対置するものでした.しかし現在も,わが国の精神科病床の数と入院期間の長さは国際比較でトップであり,世界の精神科病床の20%を占めています.そして入院形態のほぼ半数が強制的入院(医療保護入院)によるものです.
私事ながら,私が信州大学で受けた精神医学の最初の講義で,新海安彦先生が「はじめに言っておきたい.今精神病院で行われているのは医療ではない.飼育だ」と獅子吼されたことが強く心に刻まれています.大熊一夫著『ルポ・精神病棟』が世に衝撃を与えたのも同じころでした.
50年近くを経て振り返れば,宇都宮病院事件や国連人権委員会の批判などを経て,日本の精神医療制度も,抜本的とはいえないまでも,精神衛生法から精神保健法,精神保健福祉法へと改善の努力がなされてきました.また,高度経済成長や核家族化,都市への人口集中を背景とした社会の大きな変化のなかで,落ちこぼれ,孤立してゆく障害者の受け皿としての側面を精神科病院が担ってきたことにも一定の評価がなされるべきだと思います.
精神科医療の脱入院化を先進的に進めたアメリカやイタリアにおいても,実は社会的ケアの態勢は不十分で,退院者を別の名称の施設に収容したり,治療がなされず放置されていたとの報告があります.もし,わが国の精神科病床を諸外国の平均的水準である現在の1/5に拙速に減じた場合,精神障害者がホームレスや生活困窮者として巷に溢れ返るだろうことは目に見えています.
この度の国連の勧告を受け,担当省庁や関連団体では対応を急がれていることと思います.医療保護入院における保護者,入院期間,社会への移行支援について熱心な検討がなされていることも承知しています.一方で,勧告は各国の文化・歴史的背景や社会構造を無視した理想論にすぎないと反感を覚える向きも多いことでしょう.
しかし,正しく受け止めねばならないのは,単に日本の精神医療制度が国際的批判にさらされている危機感だけでなく,大仰ながら,人類の歴史において精神医療が目指すべき方向性とはなにかという根本的な課題が問われていることだと思います.
いつであるかは別として,究極的に,強制入院の廃止は可能なのか.精神科病院の開放化からさらに進めて,精神科病院の全廃を目指すべきなのか.求められているのは,指摘された改善策以上に,まずは,障害者政策の前提となる大きな理念と,明確な方向性を示すことではないでしょうか.
2000年に精神科病院の全廃を宣言したイタリアでは,精神科病院を廃した代わりに総合病院に精神科病床が増設され,ある条件のもとでは強制入院や身体拘束も許されており,社会に戻っても多くは日本の救護施設に相当する一時居住施設に収容されているのが実情のようです.現在,私は都市部の生活困窮者を支援する救護施設で診療に当たっていますが,利用者には精神障害を有し,精神科病院と救護施設,さらに刑務所との間を頻繁に往復している利用者も少なくありません.
真の意味で地域社会が精神障害者を包摂するためには,より大局的な視野の制度改革が必要と思われます.しかし,トップダウンの政策の変更では,多くの要因が見落される懸念があります.わが国の精神医療の中軸を担ってこられた精神科病院の関係者こそが,人類史の課題としての精神医療の方向性を指し示し,地域において障害者を支援する具体策を提起すべき時ではないでしょうか.