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2022/12 老年精神医学雑誌Vol.33 No.12
和歌山における認知症診療と やさしさの町づくり
紀本創兵
和歌山県立医科大学神経精神医学講座

 本誌巻頭言で筆を執らせていただくにあたり,そして日本老年精神医学会とのかかわりを語るうえでは,私自身のなれそめを語らずにはいられない.私は奈良県立医科大学精神医学教室に入局し,精神医学のすべてを岸本年史先生(現在,医療法人鴻池会 秋津鴻池病院院長)に師事した.奈良県立医科大学では2006(平成18)年に精神医療センターが新築され,大学病院では唯一のスーパー救急病棟および精神科救急・身体合併症病棟が稼働した.そのなかで,県下の精神医療の最後の砦として,私は同センターの立ち上げ時より臨床業務に忙殺される日々を送り,子どもから成人,高齢者に至るまで幅広く精神疾患の診療に携わってきた.多くの患者を診た,すなわち臨床経験という意味ではそれなりの自負がある.一方で,元来より研究志向が高かったことや,統合失調症を対象に基礎医学研究に時間を費やしたこともあり,普段から高齢者の診療に携わってはいたものの,学問として向き合うことは乏しかったというのが本音である.

 米国での研究留学を終え,帰国後はあらゆる場面で指導的な立場を担うことが多くなり,臨床医学を真摯に学び直したいと思っていた.そのなかで,2017年に第32回日本老年精神医学会で岸本年史先生が大会長をなされたことは自身の大きな転機になった.同学会の開催にあたり私が大会事務局長を任されたこと,そして第30回日本老年学会総会との合同開催であったことも重なり,学会の準備や立ち上げを通して,本学会の会員の先生方,そして,他関連学会の先生方との会合を重ねることができた.この経験は,私個人の老年医学に対する興味と見識を深めることに多大な影響を与えている.これが私の日本老年精神医学会とのかかわりのきっかけである.

 2021(令和3)年11月からは,ご縁もあって和歌山県立医科大学の神経精神医学講座の主任教授として赴任することになった.当然ではあるが,本学も奈良県立医科大学もともに公立大学であること,互いに隣接し,森林面積の割合はほぼ同じで,地政学にも大きな違いはないと考えていた.つまり,県をまたぎ精神科医として働くという点においては,さほど差はないであろうと思っていたのである.しかし,大学そして地域の病院を見渡して,いちばんの驚きであったことは,高齢者を現場で目にすることが格段に増えたことであった.そこで再度,和歌山県の高齢化率を確認してみると,その率は2021年時点で32.8%と近畿府県内では1位,75歳以上が占める割合に至っては,和歌山県は全国7位で奈良県が21位ということで,隣県の違いを改めて認識した.これは自身の驚きに対して腑に落ちる部分があった.

 老年精神医療の中心となる和歌山県下の認知症疾患医療センターについては,2010年に和歌山県立医科大学附属病院にオープンし,2022年4月にようやく基幹型に指定され,脳神経科・脳神経外科・精神科の3科が共同運営している点が特徴である.県内では当院のほかに,地域型や連携型と称して7つの認知症疾患医療センターが稼働している.事業内容は全国と同様で,県内の各地域でおのおのの職種が高い意識をもって事業に取り組んでいる様子は,目で見て肌で感じることができるが,全体的にみて地域単位での連携や情報共有が,思う以上に機能していない印象があり,今後はこれらを意識し,自身が県内の医療や福祉の発展に貢献できないかと考えているところである.

 関心ごとのひとつである日本老年精神医学会の専門医について調べてみると,和歌山県下では私を含めて6人という状況になっている(ちなみに奈良県は13人).上述のように近畿圏での高齢化率は和歌山県が1位であることを踏まえれば,高齢者のこころの病と認知症を専門的に診察が可能な人材の育成は喫緊の課題であろう.総じて専門医の確保による質の高い医療の提供によるさらなる人材の確保と育成という好循環を保つことが,自身の重大な責務であると考えている.

 今後和歌山県では,認知症予防推進事業にさらなるエネルギーを注ぐことが決まっている.また地域を理解し,地域のニーズに合致した医療などの施策を推進するといったEBPM(Evidence-Based Policy Making)の立場による研究と臨床の実践を,和歌山県立医科大学が今後の本学のあり方として掲げており,これは私の考える予防精神医学の推進に向けた地域の理解とともに育む研究と臨床の発展という方向性にも一致しているところである.

 最後に,困っている人々に寄り添い,お互いを尊重し,助けようとする精神科医の視点に立った「やさしさ」は,和歌山県の認知症診療と町づくりの発展の肝と考えており,これに日本老年精神医学会が主導的な役割を果たせることを期待したい.



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2022/11 老年精神医学雑誌Vol.33 No.11
橋を架ける
篠崎和弘
公益財団法人浅香山病院理事,同臨床研究研修センター長,和歌山県立医科大学名誉教授,大阪河﨑リハビリテーション大学理事

中井久夫先生(神戸大学名誉教授,文化功労者)が本年(2022年)8月にご逝去された.老年精神医学の領域とはご縁が薄かったが,風景構成法,統合失調症の精神病理学,阪神大震災・PTSD研究などで精神科医を導いてくださった.青年期にはウイルス学者として,壮年期にはギリシアの詩を翻訳される文学者としても活躍された.ご著書『西欧精神医学背景史』(みすず書房,1999年)の「西欧は存在していたのだ」という文章には驚いた.言葉を与えられた経験であった.ご冥福をお祈りしたい.

次の文章も示唆に富んでいる.

 「もし医学が科学技術の一つであって,技術の成熟を待ってはじめて公衆に求められるものであれば,ことははるかに単純であろう.『この海峡に架橋する技術はまだ無い』と技術者はいいうる.しかし癌や分裂病〔原文ノママ〕を治療する技術がまだないから二〇〇年待つことを病者とその家族に要請することはできない.公衆のまなざしが医師と医学を要請した.医学はつねにとりあえずの技術であったが,公衆はそれに反した幻想を持たざるをえず,医師もまたその幻想にとらわれた.医師に対する欲求不満は常に存在したのであって……」

古代,中世における医師と社会の緊張関係を述べたものであるが,内容は古くない.

20世紀の前半には生物学的治療法が多数登場した.年代順に挙げるとマラリア発熱療法(1917年),持続睡眠療法(1920年),インスリンショック療法(1935年),カルジアゾールけいれん療法(1935年),前頭葉白質切截術(1935年),電気けいれん療法(ECT,1938年)などであった.2つまでもがノーベル賞を受賞した.マラリア発熱療法(Wagner-Jauregg J)と前頭葉白質切截術(Moniz E)である.とくに前者は精神医学界から初めての受賞となり,精神医学が社会的評価を確立した最初のモニュメントとなった.同時代でノーベル賞候補となった方々はKraepelin E,Nissel E,Freud S,Von Economo,Kretschmer E,Bleuler E,Berger Hらであった.その後Kandel E(2000年)まで精神科医の受賞者がなかったことを合わせて考えると当時の社会において心理,精神,神経,脳の領域は知のフロンティアであり,社会の期待は高かった.しかしながら,これらの新技術は当事者,家族,医師,社会,政府のそれぞれの期待,思惑,時に幻想に基づいて運用された.その結果,社会の利益が優先され,患者が置き去りされることも少なくなかった.

本年9月にアルツハイマー病治療薬「レカネマブ」について,早期アルツハイマー病患者を対象とした第Ⅲ相の臨床試験において,症状の悪化抑制を示し,主要評価項目を達成したとの発表があった.成熟した科学技術として時代を画する新薬の登場である.新薬が認知症医療で重要な役割を果たすことを期待したい.

振り返ってみると,認知症の診断学は急速に進歩したが,治療法の登場までの時間差が大きかった.1970年代以降の脳画像検査と神経心理学の登場で認知症の診断は大きく変貌した.一方,コリンエステラーゼ阻害薬の登場から25年がたった.その間,アミロイドカスケード仮説のもと抗体治療薬に加えてb-セクレターゼ阻害薬,g-セクレターゼ阻害薬・修飾薬などが疾患修飾薬の候補となったが,成功に至らなかった.それだけに,今回の橋の開通が待ち遠しい.

一方,患者が置き去りにされかねない状況は,日常診療のなかにもある.診察室では患者の多くが認知症を否認する(self-stigma).あるいは「家族に迷惑をかけたくない」(役割や存在価値の喪失)という.失敗を逐一指摘して患者さんを激しく叱る家族もいる(emotional expression).患者さんをそっちのけにして医師と家族の話し合いが続いてしまうこともある(nothing about us, without us).心理検査にわざと手を抜き,診察室では距離を保って,医師を試す方もいる.このような状況を中井先生は端的な言葉にしておられる.「あからさまにいえば,最終的には人はみな死ぬという意味で敗北の技術であり,敗北をどれだけ,そして高い生活の質(QOL)で遅らせるかということが問題である」(『看護のための精神医学』中井久夫ほか,医学書院,2001年).

新しい治療薬がQOLの維持を求める患者と家族に応える有力な手段のひとつとなることを期待する.新薬が登場しても,公衆のまなざしに寄り添い続けるというわれわれの活動はこれまでどおりである.



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2022/10 老年精神医学雑誌Vol.33 No.10
「老年精神医学雑誌」 創刊当時からの老年精神医学を取り巻く日本社会を振り返る
近藤 等
医療法人朋心会旭山病院

2022年夏の高校野球(第104回高校野球選手権大会)では,春夏合わせて1915(大正4)年の第1回全国中等学校優勝野球大会以来,107年目にして優勝旗が白河の関を陸路で越えたと話題になりました.また,アメリカ大リーグ野球ではロサンゼルス・エンゼルス所属で東北地方出身の大谷翔平選手が1918年のベーブ・ルース以来,104年ぶりとなる「2桁勝利&2桁本塁打」達成の快挙も話題になりました.いずれも筆者が目の黒いうちには見ることがないだろうと思っていた出来事です.「老年精神医学雑誌」の巻頭言は以前一度書かせていただいておりました.やはり目の黒いうちに再度順番が回ってくることがあろうとは思っていなかったので驚いたところです.前回巻頭言を書かせていただいたのが1999(平成11)年発行の第10巻第7号(7月号)でした.その後の23年では振り返るにしても短いので,「老年精神医学雑誌」創刊(1990年,平成2年)のころから老年精神医学に関する時代の流れを簡単に振り返らせていただくことにいたします.皆様周知の内容です.

「老年精神医学雑誌」創刊に先立ち,1986(昭和61)年,日本老年精神医学会の前身,老年精神医学研究会が設立され,1988年,日本老年精神医学会が設立されています.1990(平成2)年4月,「老年精神医学雑誌」が創刊されます.私が老年精神医学会に入会させていただいたのは,おそらく1991年か1992年でした.当時はバブル経済のただなかでしたが,バブル経済は1989年の消費税導入で陰りがみえ,1991年にはバブル経済は崩壊するのですが,当時はまだ日本社会は前途洋々かと思われました.そこでの不安材料は少子高齢化が今後進むとの予想でした.そういう社会情勢下で認知症への関心が高まっています.ちなみに1990年の高齢化率は12.1%でした(2022年の高齢化率は28.9%です).1995年当時,65歳以上の高齢者における認知症の発症率が6.9%で,2020年には8.9%まで増えると予想され憂慮されていました.実際は倍近くなっているのはご承知のとおりです.

1980(昭和55)年には「認知症の人と家族の会(当時,呆け老人をかかえる家族の会)」が結成されています.1988年7月5日付の各都道府県知事あて旧厚生省保健医療局長通知として老人性痴呆疾患治療病棟施設整備基準が,1989(平成元)年7月11日付で老人性痴呆疾患センター実施要綱が,1991年6月26日付で老人性痴呆疾患療養病棟設置基準が通知されています.消費税導入に合わせて,1989年12月に「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」策定されています.

バブル経済の破綻後,日本は失われた30年といわれる経済の停滞期にはいり,賃金がほとんど据え置かれることになります.一方,高齢化は予想を上回るスピードで進み,高齢者の生活,介護,医療を支える財源が常に問題となります.1997年(平成9年),消費税が5%にアップされます.

前回巻頭言を書かせていただいた1999(平成11)年には,抗認知症薬の国内初めての承認・販売(ドネペジル)がなされています.2000年に介護保険法が施行され成年後見制度が開始されます.また,2004年に厚生労働省が「痴呆症」を「認知症」と呼称変更の通知がなされます.さらには,2008年3月31日付で認知症疾患医療センター運営事業実施要綱通知がありました.

2011(平成23)年は東日本大震災の年ですが,抗認知症薬3種が販売開始されました.2012年9月5日「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」を厚労省が公表しています.2013年6月1日には,2012年の認知症高齢者が462万人との推定値報道がありました.

2014(平成26)年4月,消費税8%にアップ.

同年10月,日本認知症ワーキンググループ発足.2015(平成27)年1月7日,厚労省は認知症の人が2025年に700万人に達するとの推計値を明らかにし,2015年1月27日に「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を公表しています.2017年1月27日には改正道路交通法が施行されます.

2019(令和元)年6月18日,認知症施策推進大綱発表.同年10月消費税は10%にアップしています.

この間を振り返りますと,認知症の急速な増加とともに認知症の社会的な周知は進み,認知症に対する医療や介護制度も進展していますが,経済の停滞により度重なる消費税率アップ(高齢者介護・医療にだけ充てられるというわけではありませんが)でも財源不足は明らかです.今後,さらに高齢化が進み,介護に当たる人材の不足も懸念されます.20年,30年後はどうなっていくのでしょうか.



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2022/9 老年精神医学雑誌Vol.33 No.9
老いに備える
埴原秋児
長野県立こころの医療センター駒ヶ根

精神科医になって30年あまりになる.その大半は何らかのかたちでもの忘れなどの専門外来に携わってきた.駆け出しのころ,せん妄と神経症状があったのだろうか,臨床的に「血管性痴呆」と診断して先輩の病院に入院をお願いした患者さんが,のちの剖検でレビー小体病との報告をいただいた.特発性正常圧水頭症の知識がなく,今でいうDESH(disproportionately enlarged subarachnoid-space hydrocephalus)と脳溝の局所的な開大を萎縮とみなし,臨床的に認知症がないのにアルツハイマー型認知症と誤診したこともあった.その後は諸先輩や同僚先生たちのご指導もあって,今では多少の自信をもって鑑別診断や治療に当たれるようにはなった.かつてはPET検査やMRIが日常的に撮影可能な施設で働いたこともあったが,現在は単科の精神科病院である長野県立こころの医療センター駒ヶ根で認知症の専門外来に当たっている.当院は地域型認知症疾患医療センターの指定を受けてはいるが,自院でのCTは撮影可能だが,MRIやSPECTは近隣の総合病院へ依頼しないと検査できない.そんなわけで,主に問診,診察,神経心理検査と頭部CT検査を1回の診察で行い, ワンストップで鑑別診断できるようにして対応している.地域において当院のような精神科病院に期待される鑑別診断は,高度な医療機器を駆使した鑑別ではなく,うつ,せん妄,妄想症などの治療可能な病態との鑑別であり,それらの実践的な治療だと近隣には謳っている.SPECTなどの機能画像検査は若年性認知症とかではない限りは滅多に依頼はしていない.実際,専門外来を受診する年齢層は時代の流れもあってかなり高齢化している.80歳以上の高齢者が圧倒的に多く,85歳以上の年齢層であっても認知機能障害も認知症の程度も比較的軽い方が多い.90歳を超える方も少なくなく,混合病理や嗜銀顆粒性認知症も考慮する方もいるが,これは経過観察で診るしかない.少なくとも認知症疾患であるかどうか,その後の予測くらいは伝えられるようしている.抗認知症薬の治療は家族や本人の希望に添って,レビー小体型認知症ならそれなりの効果も期待できそうと思えば処方している.認知症の診断は,その後の家族や本人の自己決定への潜在的,顕在的な影響がある.診断後の空白を埋めるように,医療・介護等の積極的な連携を通じて, 結果としてBPSDの発現を予防するという理念のもとチーム医療で望んでいる.「介護保険などのフォーマル,あるいはインフォーマルなサービスを積極的に利用して孤独な時間をなるたけ減らし,新たな支援者や援助者と馴染みの関係を認知症の進行前から積極的に構築しましょう.この先について(食,住,医療など)よく相談して,意思決定支援していきましょう」と指導している.

世間では人生は100年時代となったという.「高齢者は自立した老後のために,老いに備えて,健康な食習慣・運動習慣を継続し,頭を使いながら,よくコミュニケーションをとって,転倒に備えて可能な限り環境のハザードを減らしていきましょう.将来の自分の変化に備え,医療およびケアについて,アドバンス・ケア・プランニングを親しい人たちと共同決定しておきましょう.また,働く意思のある高齢者はいくつになっても働けるそういう社会を実現していきましょう」.たしかにその通りである.

ところが身内になるとそうはうまくはいかないものである.女親は生きる気満々で,頭のなかでは数年先まで計画がある.運転も含めて長年築いた生活スタイルに口出ししようものならどれだけわが身にはね返るかわからない.義母の世話などした覚えはないのに,「ラジオを黙って持って行った」と義母の物盗られ妄想の対象にされてしまった.90歳になる義母は七夕の短冊に「100歳まで健康で長生きができますように」と書いてある.老年期は喪失体験をはじめ,いやでも避けられないライフイベントがいくらでもあり,それも彼女らは幾度となく体験しているはずである.「老年になりきる」ということは「かかわりあいからの撤退について本気でかかわること」だそうだ.割と予後を楽観視している高齢者がまわりには多い気がしている.老いて楽観的な構えも悪くないなと思う.自身といえば,気力や体力など能力低下を抱えながら就労継続のモチベーションを維持していく還暦を過ぎた高齢労働者の課題に直面している.



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2022/8 老年精神医学雑誌Vol.33 No.8
秋田から40年を振り返って
稲庭千弥子
医療法人久幸会 今村病院ニコニコ苑

2022年6月26日日曜日,3年ぶりの対面での日本老年精神医学会評議員会そして総会が開催され,齋藤正彦 東京都立松沢病院名誉院長が本学会新名誉会員に承認された.齋藤先生の挨拶のなかで,長らく「老年精神医学雑誌」の編集委員を引き受けられたことでとてもいい勉強になったとのお話があった.私自身もこの40年近くを振り返り,本学会に参加できたことに感謝している.たくさんの方々にお世話になったことをこの場を借りて改めて深謝申し上げたい.

1985年,実家の今村病院でマルキアファーヴァ・ビニャミ病を頭部CT検査で引っかけた.所澤剛 秋田大学神経病理学元教授から,東京都精神医学総合研究所より横浜市立大学医学部教授となる松下正明 東京大学名誉教授/本学会名誉会員を紹介され,教えを頂いた.当時は老人保健法・老人保健施設が出来る直前で,精神科領域では『ルポ・精神病棟』(大熊一夫著)が話題になり,また宇都宮病院事件が問題となっていた.何とかしなきゃいけないと追い立てられる思いがあった.「痴呆」関連の報告の縁があり,横尾和子 社会保険庁元長官(老健局になる前)や伊藤雅治 老人保健課長から研究費交付の提案があった.

1986年に発足した老年精神医学研究会が日本老年精神医学会になり,私も入会した.秋田大学には大阪大学から菱川泰夫元教授が赴任され,大川匡子 現特別会員が秋田に来られ,ベルツ賞のもとになる睡眠・覚醒リズムと光療法の研究が始まった.

また,当時聴き慣れない虐待問題・権利擁護,高齢者と痴呆への医療,医療福祉の環境改善の問題から研究費が交付され,当時の研究者や厚生省のメンバーと3年間各2週間ずつ,スウェーデン・デンマーク・ドイツ・フランス・ベルギー・イギリスなどへ調査研究に行かせてもらっている.スウェーデンの厚生大臣といわれたバルブロ・ベック・フリス女史が案内され,「経済効率を考えている」と説明があった.住環境や人件費に金をかける当時のスウェーデン・デンマークの社会保障費のバランスが日本にどのように影響を与えるか,高齢者医療福祉に予算がどのくらい確保できるのか…….衣食に対しては日本のほうがずっと金をかけていたが,国の違い・文化の異なりを感じる.虐待問題・権利擁護については視点が改まり,現場の状況が気になっていった.大部屋・相部屋・看護やケアそしてリハビリ……と課題はたくさん.当時スウェーデンのルンド大学には山井和則(松下政経塾7期生)現立憲民主党衆議院議員が留学しており,スウェーデン王立工科大学に留学していた故外山義先生は病院管理研究所の主任研究員として活躍していた. 林玉子女史,外山先生,東北大学,京都大学の研究者たちが医療福祉環境を研究したいと,光療法の自然トップライトを取り入れた今村病院の痴呆病棟・痴呆デイケア(1989年スタート)を訪れ,空間環境づくりを試みていた.また,ありがたいことに,ここ数年間,秋田の今村病院と老人保健施設ニコニコ苑に,齋藤正彦先生には症例検討等のご指導に,黒川由紀子先生には回想法のご指導に来ていただけた.

日本精神科病院協会(日精協)では老人問題研究会があり,故河﨑茂会長のもと常務理事だった故植田孝一郎先生(元特別会員)が中心となり,老年精神医療・痴呆への取組みがなされ,私も委員として参加した.日本全体の痴呆対策・医療の底上げとして痴呆研修会による認定資格を立ち上げ,2~3日間の研修会の講師として松下正明,齋藤正彦,故長谷川和夫,小阪憲司,武田雅俊,中村祐,浦上克哉,新井平伊,鹿島晴雄,朝田隆,羽生春夫,池田学,三村將……多くの老年精神医学会の皆様にも講義指導をお願いできた.1993年当時日精協で調査した先のひとつに東京都精神医学総合研究所があり,池田学 本学会現理事長が若手で勤務していたのを覚えている.評議員としての役割に不安を覚えているとき,ご苦労様会の酒の場で「あなたたちは痴呆に対して研究費や診療報酬をとってくる役,厚生省や政治家たちへ交渉する役割でしょ……」と,武田雅俊 当時大阪大学教授が言ってくれた.なるほどと思った. 今村病院に泊まり込んで取材していた大熊由紀子 当時朝日新聞論説委員には「専門職のボランティアよ!……」,大熊一夫氏は,当時2階建て今村病院の病棟鉄格子が全部ガスバーナーで焼き取られ「意に沿わなかったら出て行っていいです」とした診療方針を見て「うーん……これもありか……」.香取照之,中村秀一ら厚生労働省元局長,鈴木康裕元医務技官,故山口昇 全国老人保健施設協会元会長,高木邦格 国際医療福祉大学現理事長……,感謝申し上げきれない.厚労省では2004年12月24日付で,『痴呆』に替わって『認知症』という呼称を用いることを決めているが,大島一博 現厚生労働事務次官(初代痴呆室長)が松下正明先生の意見を聞き『認知症』という用語になったと聞く.

最近は「感染症対策」「職場の心身健康管理」「少子高齢化のなかでの人材確保」「精神医療のあり方」に興味をもって活動しています.もっぱら政治面や施策面です.最後に, 老年精神医学の発展を祈り, また地元秋田大学の三島和夫 精神科学講座教授をよろしくお願い申し上げます.



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2022/7 老年精神医学雑誌Vol.33 No.7
認知症の早期相談・受診を遅らせる要因
北村 伸
医療法人社団仁寿会 中村病院脳神経内科・認知症疾患医療センター

筆者は,大学を退職して,今は都内の総合病院で診療をしている.軽度認知障害レベルから軽度の認知症患者の初診も多いが,中等度以上に進行してから受診してくる場合も少なくない印象をもっている.行政をはじめ認知症診療に携わる医師は,治療や日常生活の維持のためにも早く受診することの大切さを世の中に訴え広めてきたと思うが,その効果はまだまだ十分とはいえないように思える.認知症の早期相談・受診を遅らせる要因について考えてみた.なお呈示の症例は論旨を変えない程度に改変し,個人情報に配慮した.

80歳代前半の独居の女性が近所に住む長男と一緒に受診してきた.Mini-Mental State Examination(MMSE)は12/30点でかなり進行した認知症であった.長男の話では「以前からもの忘れはあったが,歳だから普通ではないかと思っていた」とのことであった.長男は週に1回は女性宅を訪ねて行っており,以前より部屋は散らかっていると思っていたが,食事も食べているようだし生活はできているようにみえたので,認知症とは思っていなかった.そして最近,迷子になり保護されて警察から長男に連絡があったことが受診のきっかけであった.この例のように,もの忘れのあることに家族は気がついてはいたが,病気の症状とは思わず歳のせいと思っていたことが早期受診を遅らせた要因で,同じような例は少なくないと推測できる.とくに身内の場合はなおさらそう思ってしまい受診を遅らせてしまうのかもしれない.自分でもの忘れに気がついても多くの人は歳のせいだろうと思うのが普通であり,受診するにはそれなりの決断が必要である. なかでも高齢で独居の人や高齢の夫婦のみの世帯では,もの忘れがあっても歳のせいと思い,相談先もわからず,すぐに受診に結びつかないのではないかと推測する.

大学病院で診療をしているときに,もの忘れがあったときに気軽に相談できる街ぐるみ認知症相談センターという施設をつくり,認知症の疑いのある人を早く医療に結びつける活動を2007年から行っていた.もの忘れの相談に来た人には,もの忘れの内容や生活の様子を聞き取り,タッチパネルパソコンによる物忘れ相談プログラム(TP)を実施する.そこで認知症の疑いがある人にはさらにMMSEを行って,その結果をかかりつけ医や認知症を診療している医療機関に情報提供をして,医療に結びつけることをしていた.その活動のなかのデータを使って認知症の早期発見・相談を遅らせる要因について検討をしたことがある.対象は,2007年11月~2016年10月に初回相談に来て,TPとMMSEの両方を実施した2,006人(男性718人,女性1,288人,平均年齢77.3歳,MMSE平均値23.0).TPおよびMMSEの標準化得点を用いてk-means法クラスター分析を実施し,認知機能が高い群(高群)と低い群(低群)に分類した.年齢,性別,家族形態(独居・多世代同居・高齢者世帯),かかりつけ医の有無,相談時の付き添いの有無について,2群の差を比較した. 年齢の比較ではKruskal-Wallis検定を,他の項目はc2検定を行った.

その結果,高群と低群で「性別」の割合に有意差は認められなかったが「年齢」は低群のほうが有意に高かった.この結果より,年齢の高いことは認知症の早期相談を遅らせる要因と思われた.家族構成は「独居」か「同居」の2分類では有意差がみられなかったが,「独居」「多世代同居」「高齢者世帯」の3分類にて比較したところ有意差が認められた.多重比較を行ったところ,低群では多世代同居の占める割合が,高齢者世帯よりも有意に高かった.家族形態を考えたときに,独居のほうが同居よりも認知症の早期発見が遅れるのではないかと思っていたが,結果は独居であることは認知症の早期相談を遅らせることにはならず,逆に多世代同居は認知症の早期相談を遅らせる要因であることが考えられた.年代の異なる家族が同居していても,互いに生活は別々であり高齢者の変化に気づかず,たとえもの忘れがあると気づいても歳のせいにしてしまって認知症の始まりとは思っていなかったのかもしれない.「付き添いの有無」では,低群のほうが「付き添いあり」の割合が高かった. 「付き添いあり」が低群で高いことは,見守ってくれる家族はいるかもしれないが必ずしも早期相談につながるものでないことを示している.「かかりつけ医の有無」は,低群のほうがかかりつけ医がいない割合が高かった.このことから,かかりつけ医のいないことは早期相談を遅らせる要因と考えられた.

認知症の早期診断には,本人および周囲の人がもの忘れなど今までとは違っていると感じたときに,認知症を疑って受診することが大切なのはいうまでもないが,進行を完全に止める手段や治癒できる手段がないことは受診を遅らせてしまう要因かもしれない.期待されていた疾患修飾薬のアデュカヌマブはまだ日本では使用できないが,認知症を治癒できる治療薬が開発されて使用できるようになれば,認知症の早期診断を促進することになるのではないかと思っている.



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2022/6 老年精神医学雑誌Vol.33 No.6
老年精神医学に潜む2つの課題
下田健吾
日本医科大学千葉北総病院メンタルヘルス科

私は,老年精神医学を中心に従事しているが,総合病院に勤務していることもあり,その活動は通常の診療にとどまらず精神科リエゾンチーム・緩和ケアチーム・認知症ケアチームなどのチーム医療も含まれる.

このような臨床活動において日々感じるのは高齢者の多様性である.たとえば交通外傷で入院した70歳代の患者さんが夜遅くまで携帯電話で話をしており,朝になると「いろいろ仕事の指示を出さないといけないからいったんタクシーで家に帰る」と訴えているため,せん妄ではないかとリエゾンチームにコンサルトがあった.診察をすると,とくに注意の障害もみられないし見当識も保たれており,他の認知機能低下もみられない印象.よくよく話を聞くとさまざまな政策に携わっているとのことで,数日後ご家族から「父がご迷惑をおかけしてすみません,実際に産学官連携プロジェクトなどいろいろな仕事に携わっておりまして」と丁重にお詫びの連絡があった.その一方,60歳代で生活習慣病が悪化して透析治療を必要とし,そのうえに脳梗塞を発症したため病苦にさいなまれている患者に遭遇することも少なくない.

世界保健機構(WHO)および本邦では高齢者は65歳以上と定義しているが,いみじくもWHOは2015年の高齢化と健康に関するワールドレポート3)において,高齢者に対して抱いている共通の認識がステレオタイプであり,高齢者の健康状態と機能状態の多様性を認識し,時代のニーズに応じた包括的な対応を考えなければならないと提言している.たしかに平均的な身体的・精神的な加齢による機能低下の軌跡や特性を知ることは重要であり,一定の基準がなければ研究も進まないのであろうが,老年精神医学に従事する医療関係者がネガティブな色彩を帯びたステレオタイプの枠組みで高齢者をとらえてはいけないと痛感した.高齢化社会においてもう少しポジティブな捉え方や,その時代に合わせた提案が老年精神科医に求められているのではないだろうか.

もう1つの課題は高齢者の双極性障害(bipolar disorder ; BD)に対する知見が少ないことであろう.たしかに,臨床研究が少ないせいなのか,学会のシンポジウムや製薬メーカーの講演会で高齢者のBDというテーマはほとんど取り上げられることはない.高齢者のBDといっても,若年発症で高齢化したケース,単極性うつ病のエピソードが過去にあり,高齢となって躁病,軽躁病,混合エピソードが出現し,いわゆる擬似性単極として経過していたケース,高齢になって発症したケースなどが考えられ,異種性の集まりであることは確かである.

このなかで高齢発症であるlate-onset bipolar illness(LOBI)については,「二次障害としてのLOBI(神経疾患との関連)」「疾患に対するより低い脆弱性の発現としてのLOBI(加齢に伴う身体的脆弱性)「偽痴呆のサブフォームとしてのLOBI(混合状態や精神運動興奮を伴う)」「認知症を発症する危険因子としてのLOBI」「双極性タイプⅥ(Akiskalによって提案,うつ病の設定での混合不安定な興奮エピソード→認知症スペクトラム)」の5つの主要な問題に整理できるという考えがある1).LOBIが器質的要因との関連が強いというのは納得できるが,この考え方に従うとLOBIは神経認知障害の予備群か前駆症状ということになってしまう.これは高齢者の気分障害の予後を考えるうえで興味深い問題ではあるが,私が注目しているのはそもそもの極性であり,躁状態の特性である.高齢者では典型的な躁症状というよりも軽躁状態や閾値下の軽躁状態,激越うつ病などにみられる混合状態を呈することが多く,私自身はsoft bipolarityの視点から高齢者のBDを広くとらえたほうがよいと考えているがどうであろうか?

国際双極性障害学会タスクフォースがolder-age bipolar disorder(OABD)に関連する生物学的,臨床的,社会的基盤についての理解をさらに深める必要があると提言2)してから7年が経過している.この分野の認識の深まりと一定の見解が本誌を通じて得られることを期待している.

[文 献]
 1)Azorin JM, Kaladjian A, Adida M, Fakra E : Late-onset Bipolar Illness ; The Geriatric Bipolar Type Ⅵ. CNS Neurosci Ther, 18 (3) : 208-213 (2012).
 2)Sajatovic M, Strejilevich SA, Gildengers AG, Dols A, et al.: A report on older-age bipolar disorder from the International Society for Bipolar Disorders Task Force. Bipolar Disord, 17 (7) : 689-704 (2015).
 3)World Health Organization(WHO):World report on ageing and health. WHO, Geneva(2015). Available at : https://apps.who.int/iris/bitstream/handive/10665/186463/9789240694811_eng.pdf(閲覧日:2022年4月5日)



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2022/5 老年精神医学雑誌Vol.33 No.5
コロナ禍で改めて浮き彫りにされたAgeism
森村安史
一般財団法人仁明会 精神衛生研究所

ようやく新型コロナウイルス感染症(COVID-19)まん延防止等重点措置は全国的に解除となったが,依然として全国で毎日多くの感染者が報告されている.新型コロナウイルスによる第6波はオミクロン株によるとされ,重症化率は低いものの,その感染率は驚くほどであった.この「災い」の直接的な打撃を受けたのは精神科病院・高齢者施設の患者や入所者であった.認知症高齢者の多くが入所・入院されている施設は,閉鎖された空間で密な生活を余儀なくされていた.市中での感染や家族からの感染を持ち込まれることを恐れた施設側は,外出や面会を制限した.通所施設も感染のおそれがある利用者を制限し,職員が濃厚接触者になったというだけで受け入れを中止するなどの措置がとられていた.在宅で生活する高齢者は外出を控え,家のなかで閉居して過ごすようになった.その結果,高齢者の活動性は著しく制限されることになり,自宅で孤立し,彼らがもつ残存能力に悪影響を及ぼすことになった.

2022(令和4)年3月23日に発表された第77回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料1)のなかで今村顕史,岡部信彦,尾身茂らは,次のようにと述べている.

 「2022年1月から2月のオミクロン株を主流とした感染拡大において,特に高齢者の療養については様々な課題が生じた.例えば,入院を契機としてフレイル(要介護の一歩手前の健康状態)が進みやすくなっていること,入院期間が長期化するほどその影響が大きいことが指摘されている.また,COVID-19を契機とする誤嚥性肺炎の併発や既存疾患の悪化,生活環境の変化による転倒・骨折リスクの増大,活動量の減少による不可逆的な身体機能の低下,住み慣れた環境や周囲の人々との関係から急激に切り離されることによる心理面の影響(患者だけでなく家族を含む)なども挙げられる.そのため,要介護高齢者でなくても,COVID-19の入院療養から回復後に,入院前の環境での暮らしを再開することが困難になる場合がある」

このような問題は,精神科病院に入院されている認知症患者にはとくに顕著にみられた.とくにクラスターを起こした病院では著しく,退院を予定していたPCR検査が陰性の患者であっても退院を断られ,施設側からも受け入れを拒否された.その結果は無用な入院を長引かせるだけのこととなった.感染が職員やその家族に広まると,休職する職員が増え,日常の介護にも目が行き届きにくくなってきた.集団で行うリハビリや作業療法を実施することもできなくなった.その結果,高齢精神障害者の生活機能や身体機能が悪化したのは当然の帰結であった.

一方で,精神科病院では重症化した新型コロナ感染者の転院もままならなかった.高齢であること,精神疾患をもっていること,とりあえず“病院”に入院していることから,転送順位の最下位に留め置かれたのである.中央配管などの設備が不十分な精神科病院には,中等症以上の治療に対応できるだけのスタッフも揃っていない.精神科医が見よう見真似でソトロビマブなどの抗体注射を行った.慣れないステロイドを投与したり,ヘパリンの投与を行ったりした.その間は,精神科的な治療はまったくといってよいほどに実施することができなかった.見守るスタッフが普段より手薄になると,ますます誤嚥性肺炎や転倒などによる骨折も増えた.しかし,このような合併症が発生しても新型コロナ感染者である認知症高齢者を転院させることができないという事態が頻発した.

単科精神科病院は,このような2類感染症患者をみるための設備をもたないところがほとんどである.精神症状をいかに緩和して早期に社会に帰すための設備・人員を備えているだけである.大規模なクラスターが発生した精神科病院では,治療できる患者とそうではない患者のトリアージを行わざるを得ず,残念ながら重症化した新型コロナによる肺炎患者はお看取りをすることしかできなかったのである.このことは現場で働く職員にとってもきわめてつらい状況を与えることになった.働ける職員が減少するなかで,普段着慣れないPPE(個人用防護具)に身を包み,自分自身が感染してしまわないかとの恐れや,家族に迷惑をかけてしまうのではないかといった不安は,計り知れないストレスをもたらした.コロナ禍によってあぶり出された課題は,患者・家族だけではなく高齢者をみるすべての職種に「やるせなさ」を与え,クラスターから回復した病棟のなかには燃え尽きた職員の姿があった.このやるせなさの背景にもエイジズム(Ageism)が隠れている.若い患者なら転院できるのに,なぜ認知症高齢者はどこも受け入れてくれないのか. 目の前で息を引き取られる患者を見つめながら,多くの職員はみえないエイジズムの壁の前で悔しさを噛み殺していたのである.

[文 献]
 1)第77回(令和4年3月23日)新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード:高齢者における新型コロナウイルス感染症の療養のあり方について(案).武藤先生提出資料,資料3-12.Available at : https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000917833.pdf



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2022/4 老年精神医学雑誌Vol.33 No.4
認知症の人の医療同意
今井幸充
医療法人社団翠会和光病院

インフォームド・コンセントは,患者の「知る権利」「自己決定権」「自律」を尊重する行為で,医師が病気とその治療内容を丁寧に説明し,本人,家族,医療従事者等が情報を理解,共有し,それらに合意するプロセスをいう.医師からの病気や治療の説明を十分理解せずに同意することは,医療同意とはいわない.このプロセスのもとで,「治療の性質と目的」「その治療が提案された理由」「利点や危険性」「その治療を受けないとどうなるのか」「他の治療法と比較したときの効果の違い」等の情報を熟知したうえで,その医療に同意することが医療同意である.

認知症の人は,この同意能力が十分でない.同意能力喪失と医師が判断した人には,同伴の家族から治療同意を得る慣例がある.私が勤務する医療法人社団翠会 和光病院は,主に認知症医療を提供しているので,外来,入院を問わず,同意能力が喪失している認知症の人には,家族から医療同意を得ることが多い.その際,本人との関係性の確認,本人とのトラブルの有無等の確認がむずかしいことが多い.また,同伴家族の代諾がその家族の利益を優先したものか否か,それを確証する手立てもない.医療の家族同意権に関する法的整備はなされていないので,現状では同伴家族の判断に委ねるしかない.

もちろん,家族がいない認知症の人も医療を受けることができる.厚生労働省作成の『終末医療の決定プロセスに関するガイドライン』(2007年5月21日)には,手順に従い,病院内の倫理委員会が治療代諾できることが記されている.また,同意能力喪失者は成年後見に該当するが,成年後見制度では,未成年後見人に認められている医療同意権が成年後見人に認められていない.ただし,緊急,救命に要する手術や治療の場合,同意を後見人に委ねる事例もある.

時として,家族が検査や診断の結果を本人に告知することを拒むことがある.理由の多くは,今後の本人への対応に困る,との判断である.この申立ては,末期がん患者への本人告知が相当でない場合,家族のみに告知することを認めた判例と同じ考えであろう.しかし,本人に告知しないことで,認知症の場合,その後の治療や社会資源の利用等に支障をきたすことが考えられるので,本人への告知も重要になる.

同意能力が残っていると判断した軽度認知症の人が医療を拒否したときに,その意思を尊重するには躊躇する.そこで,認知症の病態を丁寧に説明し,医療で病気の進行をある程度抑制でき,今後の生活上のアドバイスができる等についても丁寧に説明する.できる限り同意を得る試みはすべきだが,本人の医療拒否の理由にも耳を傾ける必要がある.

同意能力喪失と判断された認知症の人が入院を拒否した場合,精神保健指定医と家族が同意すれば,本人の同意なしで入院は可能である.この医療保護入院は,2013年に保護義務者の同意要件を外し,身近な家族等の同意に改正された.ここでいう家族等とは,「配偶者」「親権者」「扶養義務者」で,「後見人」や「保佐人」も含まれる.これらのより多くの者が同意することが望ましい,と謳われている.

家族から認知症の人の日常生活上の混乱を聞くと,医療保護入院が必要と判断するが,その一方で,家族のBPSDに対する対応や捉え方,本人と家族の利害関係等を考慮すると,医療保護入院が妥当か否か迷うこともある.このような場合,後見人や保佐人の存在が鍵になることがあるので,成年後見制度の活用を念頭においた診療も考慮すべきである.

認知症の人には高齢者が多いことから,身体合併症の管理が一般病棟で困難な場合は,医療保護入院の対象となる.入院時には,延命処置をどこまで積極的に行うか,本人と家族に希望を尋ねるが,その際,家族は延命を望み,本人はそれを望まないことがある.本人の意思を尊重する観点から,医療従事者として延命処置をしない決断もあるが,そこには大きな葛藤が残る.

家族のなかには,医療同意に負担を感じる人もいる.その際,同意は一人で決めずに,他の家族や親しい友人,ケースワーカーなどの医療従事者と相談することで,その負担が多少なりとも軽減されると思う.家族にこの点をアドバイスするのも担当医師の役割である.また,医療保護入院の同意では,後見人や保佐人の客観的な意見が重要な意味をもつことがある.それゆえ認知症医療では,チーム医療が欠かせない.

同意能力を喪失した認知症の人に医療が提供される場合,同意能力が喪失されていると決めた根拠はなにか,その医療が本人の意思を尊重したものなのか,どちらも曖昧なことが多い.長谷川和夫先生は,person-centred dementia careが認知症の医療・ケアの根幹であることを後世に残して逝かれた.そして「認知症になってもその人は以前のその人と変わらない」「なにもわからなくなった人とは思わないでほしい」と,認知症の人として言い残された.認知症医療は,Spirituality 精神性に視点をおいた医療の実践であり,われわれはこの長谷川先生の言葉に大きな意味を含むことに気づかされた.



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2022/3 老年精神医学雑誌Vol.33 No.3
認知症開業臨床のあゆみ
若栄徳彦
若栄クリニック

私が大学院生のころ,内科医の父が「オイ,さっきのハー・イプシロン(転換性障害)か?」と私に尋ねました.ハー・イプシロンをかろうじて知っていた私は,「ウン,それが疑われる」と答えました.父は専門外の精神科も知っていたのかという驚きと,私が開業したら,父のように何でも屋さんになろうと思いました.また,父との臨床的なやりとりはこのときが初めてで,私のことをやっと精神科医として認めてくれたのかと思いました.

大学院修了後,病院勤務となり,そこの院長に,「先生,今なら申請すれば日本老年精神医学会専門医に無試験でなれますよ」と言ったら,「僕は70歳だからもういい.それより先生が専門医になってくれ」と言われました.私のころから筆記試験が始まり,躊躇しましたが,院長の言葉に背中を押してもらい,受験して何とか合格しました.院長はその後,大脳皮質基底核変性症(CBD)がもとでお亡くなりになり,弔い合戦というわけではありませんが,認知症と向き合う気になりました.その後,日本老年精神医学会専門医→指導医→評議員と進んできました.

病院勤務後,子どものころからの夢であった開業の準備を進めました.地域医療を重視して,生まれ育った神戸市中央区の医師会に入会しました.父も兄もこちらの医師会でお世話になった関係で,私も温かく受け入れられて,それがもとで,認知症サポート医,認知症初期集中支援チーム医師,「神戸モデル」認知症診断第1段階認知機能検診および第2段階認知機能精密検査担当医の仕事が回ってきました.また,付近には父の跡を継いだ兄の内科診療所があり,認知症の身体症状を兄が,行動・心理症状(BPSD)を私が分担するという診診連携をとってきました.

若栄クリニックというささやかな事業でありますが,なにもかも自分でやらなければならず,その一方では一人でできないことが多かったです.一人でやることについては,自らの臨床スキルを高めて,サイエンスとアートの向上を図りました.一人でできない分については,ネットワークや連携を利用することにしました.

2002年に当院を開設したころは,神戸大学医学部附属病院精神科神経科の認知症専門外来「メモリークリニック」が中心となる「もの忘れ外来ネットワーク」の最下流に,当院の介護保険被保険者専門外来(シルバー外来)をいれてもらいました.また,当時の先端医療センター(現 神戸医療センター中央市民病院),他科診療所,介護老人保健施設,特別養護老人ホーム,認知症専門病院,総合病院,精神病院等との連携を図るためのネットワーク(シルバーネット)を考えました.

当院開設と同時に開始したシルバー外来は,当初,認知症だけではなく,老年期精神障害全般に取り組むのが目的でした.実際,認知症のほかにコタール症候群,遅発性パラフレニー,皮膚寄生虫妄想,音楽幻聴など多岐にわたっていましたが,認知症関係の仕事が増えてきた関係で,認知症専門外来の色彩が強くなってきました.

シルバー外来開設後,両親がグループホームに入所し,私も往診に行きましたが,2人ともアルツハイマー病型認知症(ATD)に伴う合併疾患で亡くなりました.そのとき,私の認知機能が保たれ,残存機能が働いている限りは,認知症から目を背けずに取り組んでいこうと思いました.今でも休診日を利用して往診や訪問診療を行っています.

連携方法については,紹介元の他科診療所に認知症サポート医として,認知症サポート指導を行い(診診連携),鑑別診断のために画像検査を総合病院放射線科に依頼して,その画像データを当院に送ってもらい,画像診断を行っています(病診連携).また,精神病院に入院の相談をして(診病連携),認知症初期集中支援チーム会議を通じて,さまざまな理由で受診していない患者を治療軌道に乗せるためには,なにをするべきか検討(多職種連携)を行っています.「神戸モデル」認知症第1段階検診で認知症が疑われる場合,たいていは当院で第2段階検査を行いますが,患者あるいは家族の希望があれば,専門病院へ第2段階検査を依頼します(診病連携).当院の第2段階検査で認知症と診断された場合,たいていは当院で保険診療を行いますが,希望があれば専門病院を紹介します(診病連携).その他にもさまざまな連携を図っています.

以上,私的な認知症開業臨床のあゆみについて述べてきました.臨床スタイルのひとつにすぎませんが,少しでも参考になり得たら幸いです.何でも屋さんを目指していたころの原点に戻って幅広い視野での取組みのも続けますが,“Ever Onward(限りなき前進)”という言葉があります.これからも認知症開業臨床について改善すべき点は改善し,Ever Onwardのあゆみを続けていこうと思います.



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2022/2 老年精神医学雑誌Vol.33 No.2
「風をあつめて」
笠貫浩史
聖マリアンナ医科大学神経精神科学教室

アデュカヌマブという「新風」到来を前に,「風」に因んだ個人的な臨床所感を綴らせていただくことにした.精神科医を生業に定めてから15年余が過ぎた.尊敬する師たちとの幸運な出逢いに導かれ,「老年精神科医」としてのアイデンティティを築いた.とはいえ若輩の私は,「気づきと惑い」が綯い交ぜとなった臨床生活を送っている.老年期を生きる方々の言葉を診察室で聴き,机上で学んだこと・経験したことを参考にしながら,自身の頭で考える善処策をお伝えする.善処策と信じる一方,自分が述べる生活面の助言や処方するおくすりが「本当にお役に立っているかしら」と度々自問もしている.尊敬する精神科医によれば,「まだまだ自分に足りないところがあると自覚することが大切」という.「無知の知」の姿勢は,時として無意識に崩れているものだという金言である.世界はよくできたもので,ハッとするような生きる知恵を患者さんから聴かせていただくこともしばしばである.そうした時,小生の助言などは診察室内を流れるそよ風の向こうに吹き飛んでしまう. いつの頃からか,診察室をあとにする患者さんに向かって「また教えてください」とお声を掛けるのが恒例となった.

考えてみれば「老年期」精神科臨床の醍醐味は,「人生の大先輩」の心の動きを「じっと聴く・見る・感じる」ことにあると思う.そして心の動きは「風」のようだと最近とみに感じる.それもそのはずで,古語ヘブライ語“ルアッハ”は「風」や「息」を意味し,ギリシア語“プシュケ”,そして英語“スピリット”へ転じ,受け継がれた.つくづく心模様は風の流れのようだ(例:疾風怒濤の日々を振り返る人,息急き切って昂る気持ちを吐露する人,ため息をつく人,風化していたはずの過去を語る人,風来坊を自認してその半生を語る人).人生で置いてきたもの,築いてきたもの,壊れたもの.老いゆくことへのあらゆる感慨が各人各様に語られ,その言葉たちは「風」を纏う.その様態を感じ,こちらは息を呑んだり,息を潜めたり.束の間,追体験をする.ある日の外来診察室にて.高齢の婦人は東京大空襲で目の当たりにした惨たらしい鮮明な光景を繰り返し私に語った.別の日の診察室にて.北海道の大地で生き抜くことの苦難を私に向かってやおら熱弁した老紳士が居た. どちらも医学的には「中等度以上」の認知症にある方々で,普段はこうした豊かな言語表出はみられないご病状である.一瞬たじろいだ私だが,彼らの「濃密な時間」を逃さぬよう,一心に聴き,同じ場に身を置こうと努めた.私のその姿勢が届いたかは分からない.しかし彼らは「話し切った」という独特の表情で診察室をあとにされた.彼らがこうした「語り」をみせたのは,たった一度きりだった.人のカイロス的時間に意図的に接近する秘策を未だ私は持たないが,患者さんのほうから「ここぞ」と始まる「語り」は全身で存分に受け止めよう,と心掛けている.それはキーツが詩中に述べた「ネガティブ・ケイパビリティ」と似た類の,臨床的胆力ともいえる態度であろうか1).

風音は,四季折々に変化する.これは風そのものの変化に加えて,風を知覚する私たちの精神内界が動いていることとも通じている.「風」をキーワードに据えた文芸作品が多いのもこのあたりのことが無関係でないだろう.風は「私」の内にも外にもいつも吹いているのだ.昭和期のロック音楽史上に輝くアルバム『風街ろまん』(はっぴいえんど,1971年発表)の白眉たる楽曲「風をあつめて」には,作詞家松本隆氏が少年期に見た東京の原風景が詰まっている.クロノス的時間軸の世界にはもはや存在しないその風景は,「風」とともに記憶に刻まれ,漂流している(=風街)3).この作品の発表年と私の少年期は世代的にはまるで合わないのだが,時空を超えてこの「風体験」は自分の心に響き,「風街の風」を感じることができる.誤解を恐れずに記せば,音楽体験を通じて,私は「かつての東京」という風街で流れる「時間」に逢うことができるのだ.昨年その人生の終幕を迎えた木村敏氏は,彼の現象学的精神病理学の代表的考察である「あいだ」概念の着想を,自身の音楽体験の内省から得たのだという2). ここで木村がいう音楽体験は「出来上がった音楽を聴く」行為からさらに踏み込んだ「自身が奏でる」体験であるが,この精神昇華の一形態は,奏でる音をイメージする自己,奏でる行為をする自己,鳴っている音を聴いている自己から構成される.では,音楽体験の核はどこに存在するのか.それはこれらの「あいだ」にある.そう,音・時間は風に乗っているのだ.

むろん音楽体験と診療行為を徒に混同する意図はない.だが老年精神科医として今後幾ばくかの成熟ができた暁には,現在の自分よりは「風あつめ」に長けていたい,と未来を夢想している.

[文 献]
 1)帚木蓬生:ネガティブ・ケイパビリティ;答えの出ない事態に耐える力.朝日選書,朝日新聞出版,東京(2017).
 2)木村 敏:あいだ.弘文堂,東京(1988).
 3)松本 隆:風街詩人.新潮文庫,新潮社,東京(1986).



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2022/1 老年精神医学雑誌Vol.33 No.1
睡眠にみる加齢変化の個人差
三島和夫
秋田大学大学院医学系研究科精神科学講座

一般的に,睡眠は加齢とともに浅くなり,早寝早起き型になる.その背景要因として,睡眠構造や生物時計の機能変化がある.各年齢層の睡眠構造を比較すると,高齢層では総睡眠時間の短縮,深いノンレム睡眠(徐波睡眠)の減少,浅いノンレム睡眠(浅睡眠)の増加などの変化が認められる.音や皮膚刺激など同じ強度の刺激でも若いころよりも覚醒しやすくなる.そのため睡眠維持障害,つまり眠り続けることができなくなる.また,生物時計のリズム位相が前進するため,夕方以降早い時刻から放熱や催眠ホルモンの分泌が始まり,入眠・覚醒時刻が早まる.これらの変化は,高齢者の睡眠でよくみられる「早寝早起き」「ちょっとした物音で目覚めやすい」「夜中に何度もトイレに行かなくてはならない」などの特徴とよく合致する.

これら睡眠・生体リズムの加齢変化の特徴は,広く知られており多くの老年学の教科書や雑誌にも書かれている.私自身も本誌に何度か同種の総説を書いたこともある.ところが,2年ほど前になるが新たに報告された研究によると,睡眠の加齢変化は従来考えられていたよりも軽微であることが明らかになった.このメタ解析研究では,過去に世界中で行われた169件の質の高い臨床研究で報告された健康な成人(18~79歳),計5,273人分の睡眠データを解析して,さまざまな睡眠パラメータに表れる加齢変化を分析している.それによると,平均して10歳年をとるごとに,1晩の総睡眠時間は約10分短縮(例:20歳から70歳までに1時間短縮),中途覚醒時間は約10分増加(同1時間増加),寝つきにかかる時間は約1分延長(同6分延長)するという.今回の研究で最も注目されたのは,睡眠の深さが加齢によってほとんど変化しないことがわかった点である.具体的には,浅いノンレム睡眠(睡眠段階1)は10歳年をとるごとに0.5%(睡眠時間全体に占める割合)増加し,深いノンレム睡眠,レム睡眠については有意な加齢変化が認められなかったという.

深いノンレム睡眠は加齢とともに減少するというのが睡眠医学の常識であったが,今回のメタ解析研究ではそれが否定された.睡眠時間自体が短縮するので,深いノンレム睡眠の実時間は短くなるが,睡眠全体に占める割合はまったく変わっていなかったのである.解析対象となった睡眠ポリグラフデータは脳波室内で測定して得られたものである.リアルワールドでは,若者と高齢者では就床時刻も異なるし,寝室の環境も違うので論文の字面どおりにはいかないが,健康でいる限り,睡眠の老化のスピードは比較的ゆっくりしているといえそうである.

ただし,睡眠機能の老化には非常に大きな個人差がありそうである.論文データを細かくみると,同じ70歳代の健康高齢者を対象にした研究でも,研究間で結果に大きなばらつきがある.ある研究に参加した高齢被験者の睡眠時間は大きく短縮しているのに対して,別の研究では,20歳代のそれと遜色ない値を報告している.このような研究間の差異は「健常者」の参加基準がまちまちなことに原因がありそうだ.さらに,同一の研究の被験者間でも加齢変化を大きく上回るばらつきがみられている.たとえば,70歳前後の高齢者の睡眠の特徴を報告した研究の多くでは,1晩の総睡眠時間を5~7時間と報告しており,それだけでも大きなばらつきだが,個人差をみると1/3以上の高齢者では20歳代の若者の平均睡眠時間を上回っている.睡眠にはそもそも個人差があり,そのばらつきの大きさは通常の加齢変化の幅を大きく凌駕しているのである.

睡眠の老化の個人差には体質的(遺伝的)な要因もかかわっている.とくに朝型夜型,必要睡眠時間,生理的過覚醒(ストレス反応)などは遺伝的要因が強いとされる.食事,運動など生活習慣も睡眠の質に深くかかわる.われわれは以前に光環境を整えるだけで高齢者のメラトニン分泌量が大幅に改善することを見いだした.睡眠や生体リズムの老化のスピードは一定ではなく,生活環境やライフスタイルによって変わりうることを示す一例といえる.

[参考文献]
 1)Boulos MI, Jairam T, Kendzerska T, Im J, et al.: Normal polysomnography parameters in healthy adults ; A systematic review and meta-analysis. Lancet Respir Med, 7 (6) : 533-543 (2019).
 2)Mishima K, Okawa M, Shimizu T, Hishikawa Y : Diminished melatonin secretion in the elderly caused by insufficient environmental illumination. J Clin Endocrinol Metab, 86 (1) : 129-134 (2001).
 3)Mishima K : Circadian Regulation of Sleep. In Circadian Clocks ; Role in Health and Disease, ed. by Gumz ML, 103-115, Springer, New York(2016).



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