2021/12 老年精神医学雑誌Vol.32 No.12
高齢患者,認知症患者と作業療法
吉村匡史
関西医科大学リハビリテーション学部作業療法学科
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行下で,私が言うまで もなく,多くの高齢者の方々において,自宅,施設といった生活の場で 過ごす時間が格段に増えていると考えられる.とくに昨年度(2020 年 度)は,筆者が診療に携わっている医療機関を受診する高齢患者や認知 症患者に関しても,「通っていたフィットネス施設やカラオケ喫茶が休 業した」「地域での集まりや定期行事がなくなった」「通所サービスが休 止になった」など,活動の場を失った方々が多かった.また,それらの 活動の場が休止に至らなかった方々においても,感染のリスクを回避す べく,ご自身,もしくは家族の判断で参加を控えることが少なくなかっ たと考えられる.さらに,受診自体を控える患者も増え,受診したとし ても家族の代理受診や,一時的に運用していた電話再診システムの利用 が目立った.そのような状況のなかで,久しぶりに出会った認知症患者 の症状進行といったさまざまな変化に直面することを,多くの医療従事 者,介護従事者が経験されていることと思われる.本稿執筆時点の 2021 年11 月においては,本邦の一部地域で発令されていた緊急事態宣 言とまん延防止等重点措置が解除されたところであるが,まだまだ予断 を許すことはできない.人々の日常生活がCOVID-19 流行前の状況に少 しずつ戻りはしているが,以前のような生活がどの程度取り戻せるのか, 取り戻せたとしても今後どのような過程をたどるのか,予想することは 困難である.
COVID-19 の流行によってもたらされた生活習慣の大きな変化のひと つとして,人と人とが直接接する機会の減少が挙げられる.これはやむ を得ないことであるが,2017 年に認知症の予防,介入および介護に関 するランセット委員会によってなされた有名な報告(Livingston G, et al.: Lancet, 390(10113): 2673-2734, 2017)では,認知症の老年期にお けるリスク因子のうち,改善可能なもののひとつとして社会的孤立が挙 げられており,このような状況のなかで,認知症患者のさらなる増加, ひいてはすでに認知症に罹患した患者の病状進行がより促進されること が危惧される.アルツハイマー型認知症の根本治療薬であるアデュカヌ 高齢患者,認知症患者と作業療法 吉村匡史 関西医科大学リハビリテーション学部作業療法学科 1252 マブのアメリカ食品医薬品局(FDA)による承認といった明るい話題も あったが,薬物療法がカバーできる範囲には限界があり,非薬物的な対 応は欠かせない.
認知症患者への非薬物的な対応の手法は多岐にわたるが,現在筆者が 作業療法士の養成校に勤務していることから,ここではリハビリテーシ ョンのひとつである作業療法について述べさせていただきたい.本誌の 読者の方々においては作業療法を身近に感じておられることと思われる が,改めて世界作業療法士連盟(WFOT)の作業療法の定義をみると, 以下のようになる.
さらには,医療現場や福祉現場でよく見受けられる不思議な視点(優しくしさえすればすべて正しい.限界設定や社会で受け入れられるように指導することはすべて悪)のために,限界設定がない環境下で脱抑制が亢進してしまっているケースさえも見受けられる.前頭側頭型認知症にしばしば出現する脱抑制とは,「ヤバい」という情動が惹起されないことが病態の大きな背景にある2).したがって,患者の心に深く刻み込むように,情動を込めて指導することも時には大事であると筆者は考えている.それによって患者が家庭内や施設内での居住を継続できることもある.逆に,そうでないと過剰な抗精神病薬の投与によって誤嚥性肺炎を起こし,不幸な転帰に至ることもある.
統合失調症という概念がない社会では,統合失調症の状態が他人事と考えられないという観点から,患者に対して周囲の人が良好な態度を示して治療的にもなりうるという報告3)がある.もちろん,治療の対象にならないという考えから,長期間の未治療につながり,不幸な転帰につながる場合もあるという点にも注意しなくてはならないのではあるが.
 「作業療法は,作業を通じて健康と安寧(well-being)を促進する, クライアント中心の健康専門職(health profession)である.作業療 法の基本目標は,人々が日常生活の活動に参加できるようになること である.作業療法士は人々や地域社会と一緒に取り組むことにより, 人々がしたい,する必要がある,することを期待されている作業に結 びつく能力を高める,あるいは作業との結びつきをよりよくサポート するよう,作業や環境を調整することでその目標を達成する」(World Federation of Occupational Therapists〈WFOT〉の作業療法の定義, 日本語訳は,齋藤さわ子:作業療法士になろう! 青弓社,東京, 2017 より)
またさらに,上述のWFOT による「作業」の定義をみると,「時間を 使用するため,そして人生に意味や目的をもたらすために,個人として 家族のなかで,そして地域社会とともに人々が行う日常の活動のこと」 (日本語訳は前掲書)と記載されている.すなわち,その人にとって意 味や目的がある日常生活における活動のすべてが,作業とみなされる. 作業療法の対象となる領域は多岐にわたり,身体機能低下,認知機能低 下,精神疾患へのリハビリテーションだけでなく,食事や更衣などの動 作といった日常生活動作訓練,自助具(身体機能低下に起因する動作の 困難を補う道具)の使用や作成,地域生活への支援(公共交通機関利用 の練習など),発達障害へのリハビリテーション,就労支援などが含ま れる.作業療法士が活動する現場に来ることがむずかしい方々もまだ多 いとは考えられるが,日本作業療法士協会や各都道府県作業療法士会が, ホームページで活発に情報発信を行っている.自宅や施設など,生活の 場で役立つような取組みに関する情報も含まれており,この機会にご覧 いただければ幸いである.


BACK
2021/11 老年精神医学雑誌Vol.32 No.11
Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia(BPSD)の概念は有益か無益か
船山道隆
足利赤十字病院神経精神科
Behavioral and psychological symptoms of dementia(BPSD)という概念は,はたして意味があるのであろうか.筆者の現段階での考え方は,その概念による功罪を考えながら臨床に当たることとしている.「認知症に伴う行動・心理症状」といった専門用語が一般化された時期は,筆者が臨床を始めてしばらく経過したあとであった.筆者にとって最初からこの言葉には違和感があったが,今でも違和感を覚えながら使用している.少なくとも臨床現場では可能な限り使用しないことにしている.
BPSDという言葉が独り歩きをしていないか.すなわち,BPSDが最初からありきではなく,その背景にある疾患の病態,その個人の性格,おかれた環境などさまざまな要因があり,そのうえでBPSDが出現すると考えるのが当然である.もちろん多くの臨床家や医療関係者,さらには福祉関係者,介護者はBPSDが出現する背景を理解しながら認知症の患者のケアを行っている.一方で,最初から「BPSDがひどいから介護が不可能です」などと相談されたり,いきなり「BPSDに対して強い薬で鎮静してください」と求められたりすることがある.もちろん,筆者はBPSDの対応で支援者が困り果てることは重々承知である.必要時は筆者の勤務する総合病院内の精神科病棟への入院や抗精神病薬の投与は行うし,措置入院が必要となるほどの著しいBPSDの場合は短期間保護室の使用を余儀なくされることもありうる.しかし,もう一度冷静にこれらの支援者にも求めたい点がある.なぜこの患者は興奮が強いのか,なぜこの患者は夜間に徘徊をしてしまうのか,なぜこの患者は異食をしてしまうのだろうか,といった思考回路である.
BPSDといった専門用語が出現する以前は,このような思考回路が当然のように臨床上で行われてきた.背景に失見当があるのではないか,失語が隠れてはいないか,失認が隠れていないか,そもそもものの意味がわからなくなっている1)のではないかなどと.その思考回路のなかで,患者にとって少しでもよい環境や支援法を工夫していったことが多かったように思う.このなかで,医師,看護師,リハビリテーション・スタッフ,介護士の臨床技術は向上していったものであった.
ところが,BPSDという言葉が出現してきてからは,BPSDがあたかも認知症に当たり前に出現する症状としての認識が高まった印象がある.「BPSDに対応するマニュアルを見てみましょう」「BPSDに対する薬物療法のマニュアルを見てみましょう」などという発言さえ聞こえる.もちろん,ある程度のパターンはあるのでマニュアルがすべて害というわけではないのであるが,その患者特有に出現する環境や性格や病態の話は以前よりも減ったようだ.
さらには,医療現場や福祉現場でよく見受けられる不思議な視点(優しくしさえすればすべて正しい.限界設定や社会で受け入れられるように指導することはすべて悪)のために,限界設定がない環境下で脱抑制が亢進してしまっているケースさえも見受けられる.前頭側頭型認知症にしばしば出現する脱抑制とは,「ヤバい」という情動が惹起されないことが病態の大きな背景にある2).したがって,患者の心に深く刻み込むように,情動を込めて指導することも時には大事であると筆者は考えている.それによって患者が家庭内や施設内での居住を継続できることもある.逆に,そうでないと過剰な抗精神病薬の投与によって誤嚥性肺炎を起こし,不幸な転帰に至ることもある.
統合失調症という概念がない社会では,統合失調症の状態が他人事と考えられないという観点から,患者に対して周囲の人が良好な態度を示して治療的にもなりうるという報告3)がある.もちろん,治療の対象にならないという考えから,長期間の未治療につながり,不幸な転帰につながる場合もあるという点にも注意しなくてはならないのではあるが.
認知症については,われわれもいつかは他人事ではなくなる.認知症のそれぞれの患者の内的世界はどうようになっているのであろうか.筆者自身,忙しい臨床現場ではこの点を忘れがちになるので,自分を戒めるうえでもここに記載しておく.臨床現場では単にBPSDとレッテルを貼る前に,治療者が常に患者の内的世界を意識しながら治療やケアに当たること,ここに治療の糸口がみえるのではないだろうか.


BACK
2021/10 老年精神医学雑誌Vol.32 No.10
コロナ禍からの朝
中西亜紀
大阪市福祉局
盛岡に帰ったとき,ふと立ち寄る店がある.大阪にいても買えるような本をあえてその店で買うのは,書皮(ブックカバー)が目当てである.オリジナルは,私の通った中学校の学区辺りの手書きの地図だったのだが,最近は宮沢賢治の「春と修羅」の一部を載せて岩手山が背景になっている.それを店員さんが,本の大きさに合わせて,きちんと折って渡してくれる.育った街への郷愁なのか,賢治を愛した父への懐かしさなのか? 店主は書皮に書く「わたしは,わたしの住む街を愛したい,手垢にまみれた一冊の本のように」と.
インターネットで注文すれば,本は明日には,郵便ポストや宅配ボックスに届けられる.外箱は消毒して部屋に持ち込まず,箱の中からビニールをはがして本を取り出す.目的は叶い,なにも問題はない……,はずである.
COVID-19感染拡大に伴い,遠方に行かれなくなり,ぶらぶら歩きもむずかしくなった.手も物も日々消毒し,話をする機会が減少し,新たな出会いは ―― 人,物,風景,それらすべてにおいて ―― 激減した.
一方,COVID-19感染予防は,オンライン活用の急速な進歩など,ある部分では,有効な効率化をもたらした.メールをクリックして,自室でパソコンの前に座る.数回経験すれば慣れたもので,web会議は問題なく進む.終われば,いつもの机であり,東京往復の7時間以上と高額な旅費が不要になった.効率化のよい実例である.
私は,認知症を専門として診療に当たっている.この1年,精神症状が悪化して精神科病床に入院依頼する患者さんがいつになく多かった.長く診療してきた患者さんのご家族からの死亡報告がいつになく多かった.コロナ禍などの緊急事態においては,自らの状況をベターな状態におくことが,弱者はさらに,普段にもまして困難になる.私の担当するもの忘れ外来の通院患者さんの多くは,COVID-19感染拡大の長期化に伴い,理解の有無を問わず,衣服の着用のようにマスクを着用するようになったが,約4〜5%はどうしてもマスクを着用できていない.
大阪市の認知症初期集中支援チームへの相談は,COVID-19感染者数のピークと逆相関して,変動してきていること,介入時の支援対象者は,COVID-19感染拡大前と比較して, 地域包括ケアシステムにおける認知症アセスメントシート (The Dementia Assessment Sheet for Community-based Integrated Care System - 21 items ; DASC-21)による評価が重度化傾向にあることもわかってきている.感染拡大に伴い,受診やサービス利用を控え,外出を控えて,テレビの情報に従って家庭内で耐える.そうして社会から閉ざされた小さな患者家族関係が行き詰まったとき,耐えて耐えて発信されてくるSOSを,われわれは見逃さずにキャッチしなくてはならない.むしろ,少しでも早く支援の必要性に気づき,それを提供するにはどうしたらよいのか,長期化するコロナ禍における新たな手法を早急に整えていく必要がある.
認知症の進行に伴うコミュニケーションの障害は,まさにこの疾患の障害の本質を表している.対してわれわれは,なじみの関係を築き,丁寧に寄り添い安心を共有することで,穏やかな時間を回復・継続できることを,数十年かけて学んできていた.それは,ケア手法としても,非薬物治療としても,さまざまな方法において共通する考え方として,パーソン・センタード・ケアを基盤として培われてきたものである.その多くにおいて,一般に,癒やし,healingと呼ばれる領域のものであろう表情,触感,匂い,口調といった非言語コミュニケーションが重要な役割を担う.しかし,マスクで表情と匂いが遮断され,口調がわかりにくくなる.人にも物にも触れる機会が減り,触れた物は目の前で消毒が繰り返される.シールドとマスクの下からの懸命な笑顔は見えているだろうか? マスクを通した大きな声は優しく響いているだろうか? 言語コミュニケーションが困難であればあるほどに,つらい日常である.人と人との丁寧な関係の築きを目指してきた認知症ケアは,人と人との関わり方を疎隔化するCOVID-19感染予防対策のなか,大きな試練に立ち向かっていると考えられる.
人は社会を形成する生物としてその脳を発達させてきたという.本来の脳,本来の生き物としてもつベクトルに抗うことが求められているしんどさを,コロナ禍のわれわれは感じているのであろう.本を手に,遠い街並みを想うとき,日々のささやかなコミュニケーションが,どれほど人を支えてきたのだろうか,と改めて想う.いや,しかし,そんな感傷を吹き飛ばすように患者さんが語る.「認知症だからではなく,認知症があっても(なくても),楽しいことも苦しいこともある」「私は私として生きてゆきたい」.コロナ禍で気づいた不足するシステム,コロナ禍でみえた大切なもの・こと,それらを活かした新しい社会に向かって,多くの患者さんに励まされ支えられながら,さあ,朝を迎えよう.


BACK

2021/9 老年精神医学雑誌Vol.32 No.9
アルツハイマー病の疾患修飾薬
吉山顕次
大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室
この原稿の依頼をいただいたのは2021年6月であるが,ちょうどこの月にaducanumabがアルツハイマー病(Alzheimer’s disease ; AD)治療薬としてアメリカ食品医薬品局(FDA)に迅速承認された.ただし,迅速承認ということで,今後の臨床的有用性の検証試験による確認が必要となるとのことである.とりあえず脳内のアミロイドbプラークを減少させることは示されているが,もしここで,臨床的有用性が示されなければ,アミロイドをターゲットとした疾患修飾薬自体に効果がないといわれる可能性があり,アミロイド仮説を見直す必要性,さらにはAD自体の病理を見直す必要性が出てくるかもしれない.また,有用性が示されるとしても,臨床で使用される段階で,大きな問題がいくらか挙げられる.
その1つは脳内のアミロイド蓄積を調べる検査である.現時点で最も有用とされるのはアミロイドPETであるが,PET検査を行うことができる施設は限られている.また,検査にかかる費用の問題がある.一方で,脳脊髄液中のアミロイドb42の低下はアミロイドPETの結果とよく相関しており,脳脊髄液検査はアミロイドPETの代わりとなりうる.しかし,検体採取の方法や測定方法による結果のばらつきがあり,そのため,施設により結果が異なることがあるというように,まだ課題は多い.治療対象について,aducanumabの使用は,基本的に神経細胞に影響が及ぶ前に脳内のアミロイドbプラークを減少させることが重要となってくるため,prodromal期のみならず,preclinical期が治療対象となる.そのため,認知機能に問題がない被検者がアミロイドPETや脳脊髄液検査を受けるということになり,被検者数は膨大になる可能性がある.また,とくに脳脊髄液検査は一般的に腰椎穿刺でなされるが,その侵襲性はそれほど大きくないとしても,preclinical期の被検者からするとやや受け入れがたいかもしれない. これらの問題のため,現在,末梢血からアミロイドを測定する方法が模索されている.早急にこの検査方法が確立され,アミロイドの検査体制の構築がなされるべきであろう.
次にaducanumab自体からの問題が挙げられる.まず,aducanumabが点滴静脈注射により投与される薬剤だという点である.そのため,定期的にある一定時間,点滴がなされる場所で安静を保つ必要がある.回数はおそらく月1回程度であるが,患者数がある程度見込まれるので,専用の部署が必要となるかもしれない.ちなみに,筆者が所属している大阪大学医学部附属病院神経科精神科では,何らかの治験として点滴が行われているが,場所の確保に難渋しており,相当数の点滴治療を行うことは現時点ではむずかしい.そのため,aducanumabが実際に治療薬として使用されるという段階で,診療環境を整える必要が出てくる.さらに,薬価がかなり高額になることが予想されることも問題となるであろう.現在,ADによるいろいろな経済的な問題,さらにADにより発生するさまざまな費用の問題がある.この点で,医療費だけではなく,患者の長期的な施設への入所による費用,患者のみならず,介護者となる患者家族の就労機会の減少による経済的な問題が挙げられている. 薬剤のもたらす効果として,これらの経済的損失を考えると,薬価の問題は相殺されるかもしれないが,高額な医療費を準備できるかどうかは各患者の経済状況に依存するであろう.ただ,かりにある程度治療を進めていくうえで,経済的な問題で治療を中断せざるを得ない状況になるとしても,一定期間,アミロイドを多少なりとも減少させることとなり,結果として,ADによる認知機能の低下の発現をある程度遅らせることができることになる.そのため,可能な範囲で治療を受けることも一つの選択肢となるかもしれない.
現在,アミロイド仮説に基づく疾患修飾薬の治験がいくつか行われており,このaducanumabの動向により,今後のADの治療戦略が大きく変わっていくであろう.上記以外にも安全性の点など,さまざまな問題点が挙げられるが,われわれとしては迅速に対応し,医療を行っていきたいものである.


BACK

2021/8 老年精神医学雑誌Vol.32 No.8
高齢者の心の健康対応力向上のために
古田 光
東京都健康長寿医療センター精神科
認知症施策のひとつに認知症初期集中支援チームがある.この事業を担うチーム員を対象としたチーム員研修の項目に「認知症と鑑別が必要な精神疾患」がある.この項では,せん妄,うつ病,妄想性障害,てんかんを扱う.短い時間の講義ではあるが,講義後の質問は活発で,参加者の「認知症以外の精神疾患」への関心の高さを感じる.あるとき,研修の参加者から「チームの対象となった人が認知症ではなかったときはどうしたらよいか」と質問があった.認知症初期集中支援チームの規定では,対象は「認知症が疑われる人や認知症の人およびその家族」であり,被支援者が認知症ではなかったとき,チームの支援対象でなくなるとも解釈できるので,行政としては扱いに困るのだろう.
いわゆる困難事例となっている高齢者の背景にあるものは,当然認知症だけではない.精神障害の関連としては,たとえば,近隣苦情で事例化した妄想性障害,治療を拒否しているうつ病の患者,サポートする家族を失った統合失調症や発達障害,精神障害がある人に認知機能低下が重畳してきた,認知症の人の家族に精神障害がある,等々ケースを挙げだせばきりがない.認知症の対応は何とかなるが,認知症以外の精神障害についてはどうしていいかわからないという地域支援者の悩みを聞くことは少なくない.
前述の質問に対して「認知症ではないからといって支援が必要でないわけではない.そのような被支援者に対してどのような制度を使って支援をするか,行政で考えていく必要があるでしょう」と答えた.生きづらさを抱えている高齢者のだれもが,個人を尊重されつつ適切な支援を受けられるのが目指すべきものだからだ.各自治体が訪問を含めた高齢者の精神保健の相談事業を行っているが,非認知症の精神障害に対する多職種での集中的なサポートシステムを整えている自治体はまれであろう.小医が勤務する東京都健康長寿医療センターのある東京都板橋区では,精神科専門医が訪問相談を行うほか,認知症初期集中支援チームが対応困難な場合,当センターの認知症疾患医療センターアウトリーチチームが専門性の高い精神科的な見立てを行うシステムがある.アウトリーチチームは精神科医師,精神保健福祉士,心理士,看護師で構成され,直接の訪問以外に,カンファレンス参加,家族面談などフレキシブルに対応している.老年精神医学に精通した心理士や精神保健福祉士の見立てや助言は地域の支援者に大きな気づきを与えることが多い. 当地域では,板橋区と板橋区医師会,当センターの協働の歴史から,重層的な相談支援体制が敷かれている.
障害者基本法では,障害の有無にかかわらず,すべての国民が個人として尊重され,分け隔てられることなく相互に尊重し合いながら共生する社会が目的として示されている.法の目指すものは,もちろん老若男女問わずに,である.しかし,高齢の精神障害者は,「高齢」かつ「精神障害」であり二重に社会的な弱者となりうる.それゆえに高齢者の精神障害者に対しては特段の配慮をした施策が必要と考える.先人たちが作り上げてきた,認知症に対する各施策を単純に「高齢の精神障害」に広げていくことができれば,既存の地域包括ケアシステムを用いて,高齢の精神障害者の支援体制が整っていくだろうと夢想する.人材育成についても認知症関連と同様になると心強い.
当センターには認知症疾患医療センターと認知症支援推進センターの2つの認知症センターがある.認知症支援推進センターは,東京都からの委託で,東京都内全体の認知症支援に携わる医療専門職等の認知症対応力の向上のため種々研修を行うとともに,認知症疾患医療センターが実施する研修に対する支援を行っている.認知症疾患医療センターでも種々研修を行っている.各種研修の実施の積み重ねにより確実に地域や医療機関の認知症対応力が向上していると実感している.そして,認知症の対応力が向上してきた専門職から「認知症以外の精神障害についてもっと学びたい」という声が上がる.嬉しい悲鳴を上げながら,希望に応えるべく研修の企画を行っている.たとえば,かかりつけ医に対しては,「かかりつけ医等心の健康対応力向上研修」や「かかりつけ医等発達障害対応力向上研修」等を補完するかたちで,あるいは応用するかたちで研修を行っていきたいと考えている. 一施設のできることは限られており,「高齢者の精神障害」を切り口とした各職種を対象とした研修 ――「高齢者の心の健康対応力向上研修」とでも名づけようか ―― が,「認知症対応力向上研修」のように施策のなかで規定され,一般的な研修として広がっていくことを期待する.


BACK

2021/7 老年精神医学雑誌Vol.32 No.7
COVID-19がもたらしたIT化の促進とポストコロナ時代の想定課題
久永明人
医療法人清風会ホスピタル坂東
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックにより,われわれの日常生活は激変した.マスクの着用やいわゆる「3密」の回避をはじめ,いたるところに手指消毒のためのアルコール消毒液が設置されるなど,基本的な感染症対策が全国に広く浸透した.面倒にはなったが,悪いことばかりでもない.たとえば,筆者が勤務している認知症治療病棟においては,基本的な感染症対策が奏功した結果,感染症の全般的な抑え込みができていて,変性疾患や脳血管障害の進行に伴う不可避な誤嚥性肺炎を除けば,入院患者が感染症で命を落とすことが激減した.これは意外な副産物である.
ところで,COVID-19のパンデミックによって,IT化の促進が否応なしに急ピッチで進んだ.この1年でおよそ10年が一気に経過したような進展状況である.WEB学会,WEB会議,ペーパーレス化や捺印の廃止等々,必要に迫られた結果ながら,いまやそれらが当然のごとく日常に定着している.
ここで,認知症という切り口から,改めて課題を抽出し,今後の対策を急ぐ必要があるのではないだろうか.当然のようにスマホを持ち,パソコンを日常的に使いこなし,かつてはIT社会に適応していたはずの人が,認知症になって認知障害が進行したときに,パスワードを忘れたり,道具障害が進行したりすることによってスマホやパソコンの扱いに支障をきたしたり,認知症の人がIT弱者と化してしまうことを想定して支援体制を構築しておかねばならないだろう.認知症の2/3を占めるアルツハイマー型認知症においては,軽度認知障害の水準でも,パスワードを忘れてしまったり,パスワードをメモしていてもそのメモがどこにあるかも忘れてしまったりすることが日常的に起こってしまうだろうから,指紋認証や静脈認証などの記憶に頼らず本人の識別が可能な生体認証をデフォルトとしておくようなセッティングが必要かもしれない.さらに,認知症が軽度から中等度に進展していく過程では,道具障害が顕著となり,IT社会からの脱落を余儀なくされる. 高度にIT化された社会においては,アナログ生活だけでできることは限られ,QOLが著しく低下してしまうため,病前にはITに頼っていた行為を何らかのかたちで補完してもらう必要がある.現行の介護保険制度ではそこまでのケアは想定されておらず,ITケアを介護保険サービスに組み込むのか,あるいは別な枠組みでサービス提供していくことを検討しなければならないだろう.そうなると,ITサポートなる教科を,認知症ケアの一分野として確立しなければならなくもなる.
高齢者,とりわけ認知症患者を,高度にIT化されていく社会から孤立させないように,さらにはIT犯罪から守っていけるように,社会の変化に合わせた新たな社会の仕組みをどんどんアップデートしていかなければならない.しかし,民間主導で進めていくには限界があるだろう.ITサポートを口実とした犯罪や,カルト的な宗教の勧誘など,魔の手がせまってくるのが世の常であり,法整備がなされなければ,一般市民の善意だけでは救済し得ない事件が,今以上に多発するだろう.中立的な社会福祉の仕組みが政策的につくられる必要があり,国家規模で構築しなければならないだろうから,政府が提言し,国が主導しつつ,地方自治体が実働部隊となって,民間のサポートを巻き込んでいくようにして,ポストコロナ時代のIT社会のルールづくりを誠実かつ緻密に行っていかなければならないだろう. 財産の搾取から個人情報の流出に至るまで,多岐にわたってカバーしなければならないだろうが,具体的には,ネット情報と紐付けされている財産や個人情報の保護のための予防策としてのセキュリティ強化は必須であるし,現行法以上に厳しい罰則を備えたIT関連法の整備を進め,被害者救済制度も構築していく必要があるだろう.ITサポートサービスを,行政が民間業者に委託するとなると,癒着や収賄の問題がつきものである.利権にたかる業者,政治家,あるいは官僚までもが巧みに悪事を働くことを想定し,監査制度も強化すべきである.
しかし,考えるべきことはわが国の国内における問題だけではない.IT犯罪は国境を越えてやってくる.国際社会の仕組みのなかで,わが国がどう振る舞うのか,国際協調を含めてシステムを構築していくことが要求される.それは,さすがに国家レベルで対応しなければ手ごわすぎる難題である.すでに高齢者狙いの振り込め詐欺が国際化していて,犯罪グループの拠点が海外に置かれている場合も珍しくないようだが,IT上での搾取なら,わが国の国内に受け子を雇っておく必要もなく,国外からの遠隔操作のみでも完結しうる.高度IT化社会にふさわしい,老後の安心に向けた戦略的な対策立案が必要なことは確かだろう.


BACK

2021/6 老年精神医学雑誌Vol.32 No.6
「もの忘れ外来」よりありがとうの気持ち
吉岩あおい
大分大学医学部看護学科実践看護学講座老年看護領域,大分大学総合診療・総合内科学講座
コロナ禍にも,もの忘れ外来の受診者は後を絶たない.
私が医師になった30年前は,認知症の診断に至っても治療薬がなく,認知症の人はカーテンを閉めた自宅に閉じ込められ,家族は介護のため仕事を辞めることを余儀なくされていた.先達のおかげで,1997(平成9)年より介護保険制度が整えられ,認知症は歳を重ねれば誰でもなりうる疾患と理解されるまでに進歩した.
2002(平成14)年7月に大分大学総合診療部で始めた「もの忘れ外来」への受診の動機は,「認知症かどうかの診断をつけてほしい」(48.1%),「認知症の行動・心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia ; BPSD)」(14.6%),「進行を遅らせてほしい」(11.5%)の順である.
家族が困惑するBPSDへの対応は「否定しないこと」とされるが,認知症介護者の半数以上が介護うつになるという報告もある.介護には限界があるのでケアの手に委ねてはと提案してみるが,できる限り自宅で介護したいという家族も多い.施設に入所すると,手を握ることも,背中をさすることもできない現状がある.BPSDが生じた場合は,まず便秘・不眠・脱水がないか,環境の変化はないか,家族との関係はうまくいっているかを確認する.そして家族には,認知症の人に「ありがとう」と言ってみることをお勧めする.若い頃よく仕事をしてくれた,子どもを育ててくれたことを思い起こしていただくのである.
私の記憶は,瀬戸内の青い空と海に浮かぶ「姫島」から始まる.古事記にも記された,その小さな島は,浮洲,千人堂,逆柳などの七不思議が有名であり,8番目の不思議として屈指の健康寿命,男性82.62歳(全国79.47歳),女性86.68歳(全国83.84歳)がある.調査により,生きがいを感じる高齢者が多く,ストレスの少ない島であることがわかった.
半世紀ほど前,1人の医者が,島の健康を守っていた.診療所では,皆「ありがとう」と言って帰って行く.そこには温かい空気が流れていた.病気になっても先生が何とかしてくれるという信頼感と感謝の気持ちがあった.幼心に,「ありがとう」は病気を治す奇跡を呼ぶ言葉だと思ったものだ.平安時代『枕草子』に“ありがたきもの”と題して,姑に思われる嫁,主人の悪口を言わない従者,欠点のない人などが挙げられているが,中世になり神仏への感謝の言葉となり,近世以降は,お礼の言葉として使われるようになったそうである.
外来では,昔のよかった時代のことを語る方や,郷里宇佐のヒーローである双葉山が,70連勝に届かなかったとき「未だ木鶏にたりえず」と心境を吐露したと教えてくださった方もある.「こんな病気になったんはなにか悪いことしたんやろうか」「息子からいつも上から目線で怒られる」など,つらい心中も聞かれる.認知症の人も,人の間でよろこばれる存在であることを願っている.介護者も「ありがとう」と口に出すことで嬉しい気持ちが生まれ,何倍ものパワーを得ることになる.
認知症介護のコツは,目の前に現れている症状は病気のせいだと,あきらめの境地になることだと思う.これは「諦め」ではなく,「明らめ」である.仏教であきらめるとは,真理をはっきりさせ明らかにみることであり,認知症を病気として受け入れて,笑顔で接することが肝要である.認知症が進行しても,笑顔,つまり相手が幸せであるかどうかを読み取る能力は最後まで衰えないことが報告されている.
医師が認知症と診断すると,家族はできないことばかりに目が行きがちになるので,筆者らは,認知症の人が今できていることを維持することを目標として『できることシート』を作成した.意欲・表情,中核症状,BPSDの20項目よりなるチェックシートである.「治療後,落ち着いて生活できるようになった」(41.3%),「笑顔が増えてきた」(40%),「夜眠れる時が増えた」(31.5%),「自ら話すことが増えるようになってきた」(30%),「人の話を聞くようになってきた」(26.9%)という改善点があり,家族の希望につながっていた.
アルツハイマー病と診断しても,症状や進行の仕方は百人百様である.その人が生きてきた人生やともに暮らした家族,環境が,深く関与しているからであろう.
独居の服薬管理,運転の問題など,課題は山積みである.認知症になっても住み慣れた地域で安心して暮らせるように,困っていることがあれば,知恵を絞り解決策を考える.認知症診療は皆で向き合えば何とかなる! 認知症の人が,人生の最期を穏やかに全うされるには,多職種協働が大切であることを実感している.


BACK

2021/5 老年精神医学雑誌Vol.32 No.5
価値を測るものさし
竹田伸也
鳥取大学大学院医学系研究科臨床心理学専攻
姥捨て山の話を好きな人はいるだろうか.実は,私は結構好きなのだ.というと,「なんと不敬な」と思う人もいようが,この話の落ちを知ると合点がいくと思う.姥捨て山は,実は高齢者の知恵の豊かさを謳った話でもある.灰で縄をなえと殿様から命じられて絶望した息子に,「固く縄をなってそれを焼けばよい」と老親が知恵を授けるのが姥捨て山の話の落ちである.進藤1)は,こうした相対的思考こそ高齢者の力であり,それを可能にする経験として,「幸運にみえたことが不運になり,その逆に不運だと思っていたことが実は幸運になるという,結果の逆転や例外が人生には起こりうるものだと身をもって学んだ」ことを挙げている.
この「結果の逆転や例外」に意味を見いだすためには,ある前提条件を必要とする.そして,それは加齢に伴う成熟を後押しするための前提条件でもある.しかし,その条件が,今,崩れようとしている.
生産性や効率化,自己責任といった言葉が,近年あちらこちらで飛び交うようになった.これらはすべて,市場原理と食い合わせのよい考え方である.市場の選好が結果を支配する.こうした市場の原理は,長期的視野に立ち物事を考量する姿勢とはなじまず,人々の注目を短期的な損益にくぎづけにする.
市場原理は,本来ビジネスの世界でのみ,通用するものだったはずである.しかしそれが,ビジネスの外にまで広がろうとしている.医療や福祉の世界でも,市場原理に由来した効率化や生産性というロジックで,事の良否が判断されるようになった.医療の効率化が優先されてしまうと,「いつ起こるかわからないパンデミックに備えて感染症病床を確保するのは無駄である」のような論理に陥る.それがいかなる事態をもたらすかを,われわれはコロナ禍において医療従事者の献身に助けられながら味わっている.医療や福祉を職とする者は,訪れた患者や利用者に向かって「いらっしゃいませ」とは言わない.それは,医療や福祉のように,人の生存やコミュニティの存立にかかわることを,ビジネスマインドで考量することはできないからである.
市場原理に由来する考え方は,人々の日々の暮らしの細部にまで行き渡りつつある.近頃,病や障がい,貧困,子連れなど,配慮を要する人へのバッシングが目立つようになった.それらのバッシングには,必ずといっていいほど,効率や生産性,自己責任といった言葉が伴う.こうした背景に,財貨の多寡が人生の価値を決めるとか,効率よく結果を出さなければならないとか,ビジネスマインドに由来する価値観がわれわれの体験の価値を測る唯一のものさしであるかのように信憑させられようとしている時勢があるように思えてならない.
市場原理が生活の隅々に浸透するにしたがい,人々の間で身のまわりの体験を「損か得か」というものさしで測ろうとする風儀が広まる.そうなると,結果の逆転や例外が,短期的にみて自らに不利益をもたらすのであれば,それはすべて「割を食った」という体験に回収されてしまう.そこには,経験を重ねることによって育まれる相対的思考も,老いることによる知恵のひとつと目されてきた結晶性知能も,成熟する余地はない.
以上からみえてくる,加齢に伴う成熟を後押しする前提条件.それは,「価値を測る多様なものさしをもつ」ことだといえるのではないだろうか.価値を測るものさしが増えることによって,われわれの体験はカラフルな多義性を帯びる.つまり,人のありようの可動域の広さを担保するものこそ,価値を測るものさしの多様さなのだ.
そしてそれは,困難を伴う状況で見つかることが少なくない.それゆえ,何らかの困難を体験したら,「この体験によって,価値を測る新たなものさしを手に入れられる」と思ってよいだろう.そのためには,そうした困難に対して,「損か得か」という今の時代で信憑されているものさしをあてるのではなく,まずは腰を据えてじっくりと向き合うことから始めねばならない.
歳を重ねることによって得る知恵や力は, 目先の利益を追い求め, 効率や生産性を重視する市場原理のなかでは輝きを放たない.しかしそれは,われわれ人間の成熟が否定されたわけではなく, あくまでも価値を測る一つのものさしをあてたうえでの話にすぎない.市場原理に伴う考え方を,押し並べて人々の生活の隅々に適用する.そうやって, 人間本来の成熟を犠牲にしてまで市場原理に義理立てする必要はない.コロナ禍はいまだ収束が見通せない.しかし,この困難なときこそ,加齢に伴う成熟を後押しする「価値を測る新たなものさし」を手に入れる端緒としたい.

[文 献]
 1)進藤貴子:高齢者の心理.介護福祉ハンドブック,一橋出版,東京(1999).


BACK

2021/4 老年精神医学雑誌Vol.32 No.4
老年精神医学と幸福
中村雅之
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科精神機能病学分野
私たちが求める幸福とは何であろうか.定義はむずかしい.物が豊かであることや経済が安定していること,器量がよいことなどは幸福と関連はあるが,直接的にはそれほど重要ではないという意見も多い.Seligman2)が提唱するポジティブ心理学では,ウェルビーイングは,P(positive emotion,ポジティブな感情),E(engagement, 物事へのかかわり), R (relationship, 他者とのよい関係), M(meaning,人生の意味や意義の自覚), および, A (accomplishment,達成感)の5つの要素からなり,それぞれの頭文字をとってPERMAモデルと呼ばれている.国連関連機関が発表する世界幸福度調査2020年版 (World Happiness Report 2020)1)では,日本は153か国中第62位にとどまっており,先進国のなかでも際立って低く,3年連続で順位を下げている.コロナ禍で全世界的に幸福度が下がっている印象もある.幸福度スコアの構成要素では,日本は「寛容さ(generosity)」が際立って低い.この「寛容さ」と相関するのが「ポジティブな感情」であり,日本ではポジティブな感情が低いことが推測されている.
多くの患者やその家族は,疾病により引き下げられた幸福度の向上を求めて受診する.高齢者が精神神経疾患に罹患して治療や対応がうまくいかない場合,患者本人のみならず家族や地域社会も含めてPERMAの保持が困難になることは容易に想像ができる.また,PERMAモデルに限らず,個人によって価値観,すなわち幸福の捉え方も異なり,その程度もさまざまである.治療にかかわる者は患者にとって「幸福」とは何であるのか,「幸福」の方向づけを慎重に検討しなければならない.患者は多幸感に包まれているかもしれないが,一方で家族の疲弊はどうなのか.患者個人の疾病特性から家族や地域社会の「幸福」についても同時に考えなければならない.患者や家族の幸福度の向上を,治療や介護に携わった者が実感できると,職業人としての個人や治療チーム全体がPERMAを感じるであろう.医療者の幸福度も高まり,正の循環となると今後のよりよい医療につながっていくことが予想できる.
日本の社会は,1970年に人口の7%以上を65歳以上が占める高齢化社会に突入して,すでに50年が経つ.その間,高齢者人口の増加は加速し,2010年には21%を超える超高齢社会となり,2020年では28.7%と世界に類をみない高齢人口を有する社会である.目の前の2025年問題も話題となっている.戦後すぐに始まった第一次ベビーブームのときに出生した団塊の世代が75歳を迎え,後期高齢者人口が膨れ上がり医療や福祉に関する社会保障費が急増する.一方,高齢者を支える労働人口は減少の一途をたどり,若者に大きな負担がのしかかり社会全体の幸福度が低下してしまうことが懸念される.国は地域包括ケアシステムの拡充,公費負担の公平化,介護人材の確保などを対策として挙げている.老年精神医学の分野において世界のなかで私たちは未曾有の超高齢社会の最先端を走っており,良きにつけ悪しきにつけ,高齢化に係る対策については日本モデルが世界の先端となる.患者,家族,地域社会に加え,社会全体の幸福の向上につながる医療や福祉の新たな方向性について,知恵を絞り,updateしながら問い続けていく必要がある. 医学教育の現場では,マニュアルどおりに診断して薬物療法に終始するのではなく,「幸福」についても着目し,患者本人に加え,その家族や地域社会も含めた幸福度の可能な限りの向上を目指すことが老年精神医療の目標となること,そのためには患者を取り巻く医療,保健,福祉の多面的有機的連携が重要となり,個々の患者に適したテーラーメイド的な対応が必要となることをしっかりと伝えていきたい.

[文 献]
 1)Helliwell JF, Layard R, Sachs J, De Neve J-E (eds.) : The World Happiness Report 2020. Sustainable Development Solutions Network, New York. Available at : https://worldhappiness.report/ed/2020/
 2)Seligman MEP : Flourish ; A Visionary New Understanding of Happiness and Well-Being. 1st Free Press Hardcover Edition, Free Press, New York (2011).


BACK

2021/3 老年精神医学雑誌Vol.32 No.3
東日本大震災から10年,新型コロナウイルス感染症の影響下での災害時高齢者対応について
高橋 晶
筑波大学医学医療系災害・地域精神医学,茨城県立こころの医療センター,筑波メディカルセンター病院精神科
2021年にはいり,東日本大震災から10年が過ぎようとしている.この10年の間に多くの災害 ―― 熊本地震や西日本豪雨,常総水害その他の多くの災害 ―― が日本中で起こった.さらに,東日本大震災における被災地の経験は,その後の被災地支援に,そして新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対応にも脈々と流れている.その前をたどれば,江戸時代,いや,もっと古くからの天変地変,世界大戦,スペイン風邪,雲仙普賢岳噴火,阪神・淡路大震災,新潟県中越地震および中越沖地震など,過去の多くの自然・人為災害とともに,日本人は生き延びてきたということになる.
2020年には,COVID-19が大きな社会的影響となり,2020年で3回の感染の大きな波があり,2021年になっても,なお日本を,そして世界を震撼させている.
2020年の初期には,大型豪華客船ダイアモンド・プリンセス号への対応があった.世界を旅している豪華クルーズ船内での対応であり,海外の高齢の夫婦や家族が多く乗船していたと聞く.そのなかで,夫婦のどちらかが感染し,その後,下船,隔離などの感染対策で,不安,離別などの問題があった.とくに異国の地での不安,離別はさぞかしつらいことがあったと想像できる.
第1波が襲来し,その後1回目の緊急事態宣言があった.多くの高齢者がCOVID-19によって命を落とした.なかでも,国民的コメディアンの志村けんさんをはじめとした,芸能人の死亡のニュースは,改めて国民にこの感染症の恐怖を植えつけた.高齢者のなかには感染を恐れて,外出を控えることもあり,それに伴って運動量が減少することもある.もともとの健康的な運動習慣が減少して,対人交流が減るデメリットもある.このように高齢者は,自身の感染と,その後の重症化のリスクを強く感じていて,自宅から出ないことも多くある.ふとまわりを見返してみても,「こんな時期で感染することも恐いから,今回は遠慮しておく」という高齢者の声も聞こえる.感染症対策としては有用であるが,一方で,フレイル(frailty)などの身体面の課題や対人コミュニケーションの低下など,さまざまな精神・心理・社会的問題が存在している.
最近では,電子デバイスを使用して,これらの対応をしている点もあるが,そこには貧富の差など,格差に伴うリスクの差が存在している.また,電子デバイスを使用できる高齢者もいれば,そのような環境に適応できない高齢者もいる.むしろ,昔ながらの回覧板のようなツールを現代風にアレンジして感染管理されたなかで利用することも有用であろう.
さらに,現在のコロナ禍で人々の間の経済,コミュニケーションツールの利用,人への直接対応職業,間接対応職業,テレワーク可能・不可能などによる感染リスクの格差が生まれている.
実際に感染リスクにおいても,テレワークができれば,直接的な感染リスクは減るであろう.一方,認知症などへの直接的な介護を行う職種では,なかなかそのようにはいかない.
エッセンシャルワーカーとは,人々が日常生活を送るために欠かせない仕事を担っており,緊急事態下においても簡単に止められない仕事に従事する人々に対して,感謝や尊敬の念を込めた呼称として使われるようになった.医療・福祉の分野では,医師や看護師,介護士などが人々の生命や健康の維持に努めている.それゆえに,このような職種への支援も必要である.
このような支援者は,感染症影響下において,自身や家族,そして対象者への感染の危険性があり,とくにクラスターの発生した状況では,数か月の間,その対応に追われたり,休職したスタッフの支援のために,連日の不眠不休の勤務になったり,地域からの誹謗中傷や差別を受けることもある.
高齢者施設でクラスターが多く発生している.認知機能低下の程度はあるが,認知症でCOVID-19陽性患者は,感染管理のゾーニングの意味も,自身がなぜ入院したのかもわからないこともある.また面会制限もあり,家族に会えないことも認知機能の悪化や見当識障害に影響を与えることもある.そして,その対応をしている医療者の負担は大きい.
今,災害領域で懸念されていることは,このようなコロナ禍での災害対応である.現在,コロナ禍であるからといって,自然・人為災害が起こらないという保証はない.すでにこのコロナ禍でいくつかの災害が起き,対応が行われている.避難所のあり方も変わるであろう.3密を避け,人の間に距離をとり,マスクをして,手洗いをするといった基本的感染対策に加え,感染症で増悪するリスクのある高齢者,基礎疾患を有する高齢者への対応は必須である.介護・福祉機関の入居者が避難所に滞在する場合には,要配慮者として避難所内に専用スペースを設けることが望ましいといわれる.また,福祉避難所の必要性が東日本大震災以降もいわれているが,コロナ禍の避難所運営にも課題は残る.海外の避難所との違いも指摘されており,今後のより効率的かつ安全性の高い避難所運営について,日本の災害に適応した対応の進化が求められる.
COVID-19を発症した避難者の対応については,行政の各担当部局で十分に連携のうえで,適切な対応を事前に検討することや,感染者の軽症者・重症者での「待機か,移送か,入院か」などの対応の決定や,動線を分け,専用スペース,専用トイレを確保することや,感染症に対する偏見や差別を阻止するため,個人情報管理は徹底し,倫理的・人道的観点からの配慮や対応について留意することが求められる.
東日本大震災以降,その経験をもとに災害対応はより進化してきた.今,コロナ禍のなかで,さらなる進化を求められている.とくに高齢者対応においては,老年精神医学にかかわる先生方の双肩にかかっていると思われる.


BACK

2021/2 老年精神医学雑誌Vol.32 No.2
新型コロナウイルス感染症流行下における老年精神医学
松原良次
特定医療法人社団慶愛会札幌花園病院
本稿を執筆している2020(令和2)年12月末時点でわが国における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は,第3波のただなかにあり,残念ながら収束の兆しはまだ認められません.この流行は,高齢者や認知症患者さんの心身の状態や医療に深刻な影響を及ぼしています.感染症自体については,流行当初から高齢者や合併症をもつ人の症状が重篤化しやすく死亡率が高いことが指摘され,認知症患者さんでは罹患率と死亡率が上昇すると報告されています.
感染予防のための対人接触の制限という理由でデイサービスが休止となり,終日自宅での生活を余儀なくされると,本人,介護者の家族ともに社会から孤立してしまいます.医療機関や介護施設では,外出や外泊,面会の制限が長期間に及び,年末年始の外泊希望にも応えられない状況です.
感染症の診療を行う医療機関は,現在逼迫した状況にありますが,なかでも高齢者は介護度が高く,認知症患者さんでは対人接触の制限や隔離への理解が困難なため,より多くの人的資源を必要とします.また,感染症の症状改善後も日常生活能力が低下して自宅への退院が困難となり,限られた病床の利用に支障をきたすことも指摘されています.
日本老年精神医学会が2020年6〜7月に同学会会員を対象に行ったCOVID-19影響調査の結果が同学会のウェブサイトに掲載され,同年12月20日にオンラインで開催された第35回日本老年精神医学会の特別シンポジウムでも発表されました.社会的距離を保つ対策が認知症の高齢者に及ぼした影響については,「社会的孤立が強まった」との回答が6割以上に上り,そのほかには「ADLが低下した」「精神的健康状態またはBPSDが悪化した」「認知機能が低下した」などの回答が多く寄せられました.
社会的孤立への対応として,「電話による個別支援」「ホームページによる情報提供」「訪問による個別支援」「手紙による個別支援」「ビデオ電話などICTを利用した個別支援」などが挙げられています.今後対応を必要とすることとしては,「高齢者施設等における集団発生への備え」「感染者の受け入れ,治療体制,検査体制の整備」「感染予防対策のあるサービスの確保と継続」「社会的孤立への対策」「精神的・身体的健康問題への対策」「ICTなどによる新たなモダリティーの開発と普及」「感染対策のキャパシティービルディング」などが述べられています.
日本認知症学会が2020年5〜6月に同学会専門医を対象に行った認知症診療等への影響調査の結果も同学会のウェブサイトで公表されています.「認知症の人の受診の機会が減少した」「感染防御に関しては認知症医療では人と人の距離の確保がむずかしい」「感染予防の専門的知識や資材が不足しがちである」「介護保険サービスの利用が減少した」「認知症カフェや家族会をはじめとするインフォーマルサービスが減少した」「認知機能の低下や行動心理症状の増悪など認知症の人の症状が悪化する傾向が認められた」などが明らかとなっています.
日常生活能力の低下している高齢者や認知症患者さんの移動や排泄,体位交換などは密着して行わなければならず,話をする際にも顔を近づけて会話することが日常的に行われていますが,感染予防にいっそうの注意をはらわなければなりません.対人接触や行動範囲の制限の困難さに加え,マスク着用や手洗いなど基本的な感染予防対策についても自身のみではむずかしく介助が不可欠となります.医療や介護の従事者はこうした生物学的感染に対する不安を常に感じながら業務に就いています.
医療従事者等の子どもが保育所への通所を断わられる,家族の出社を禁止される,従事者自身が受診を拒否される,など医療従事者等や家族に対する心ない言葉や差別も大きな問題です.第2の感染症といわれる心理的感染症の不安や恐怖は,さらに嫌悪,差別,偏見など第3の感染症である社会的感染症を生み出します.こうした第2,第3の感染症の予防にも十分な配慮が必要となります.
今回の流行を機に職場での働き方や会合のあり方がテレワークやオンラインなどへと大きく変わりました.高齢者や認知症の患者さんに対する医療や介護についてもICTを活用した支援方法など新たな方策が必要となっています.感染予防のために対人距離をとることを呼びかけるソーシャルディスタンスという言葉が定着しました.しかし,この言葉は人と人とのつながりを断つという誤解を招くという理由で,身体的,物理的距離を示すフィジカルディスタンスに言い換えるよう世界保健機関(WHO)は推奨しています.高齢者にとっても人と人とのつながりは大切であり,こうしたことにより生じる社会的孤立を避けることが重要です.
新型コロナウイルスに始まり,新型コロナウイルスに終わった2020年でしたが,今年こそは有効なワクチンや治療薬の開発が進み,一日も早く流行が収束することを心から願って筆を置きたいと思います.


BACK

2021/1 老年精神医学雑誌Vol.32 No.1
老年期の統合失調症
兼子幸一
鳥取大学医学部脳神経医科学講座精神行動医学分野
老年期の統合失調症は強い関心を惹いてきたとはいえない.臨床症状に関しては,とくに地域在住の患者群で陽性症状の寛解率が他の症状より高くなることもあり,症状の変動が少ない印象を受ける.また,老年期では,統合失調症自体の病態に,加齢や脳血管障害等の影響が加わるため,臨床研究を行うにしても,交絡因子が増し,明確な成果が出にくいこともある.さらに,老年期の統合失調症について考える場合,40歳未満の発症である早期発症の統合失調症 (early-onset schizophrenia) だけでなく,40歳以降の発症の遅発性統合失調症 (late-onset schizophrenia)および60歳以降の発症の最遅発性統合失調症様精神病(very-late-onset schizophrenia-like psychosis) という, 統合失調症との異同に議論のある病態を含む,かなり異種性の高い対象を議論することになるむずかしさも加わる.
しかし,近年,老年期の統合失調症に関して,2つの点から注目が集まっているように思う.1つは認知機能の問題であり,他の1つは健常者に比べて平均寿命が15〜20年程度短いとされる死亡率の差(mortality gap) の問題である.ここでは, 認知機能の経過について考えてみたい.統合失調症の認知機能障害はオイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)の時代から基本症状して認識されてきたが,とくに1990年代以降,長期的予後の予測因子であることが判明し,注目を集めるようになった.認知機能は,この疾患の約8割の患者で,健常者と比べて-1.0〜-1.5 SD(標準偏差)ほど低いこと,縦断的経過では初回の精神病エピソードのころに最も大きな低下が生じること,しかし,それ以降は著しい低下が生じることは少ないことが知られている.そこで,認知症発症のリスクの程度が問題になってくる.近年,デンマークでの地域住民対象の大規模研究では,統合失調症ではない対照群に比べて,統合失調症群が認知症を発症するリスクは約2倍高いと報告された. しかし,統合失調症と関連しやすい認知症のタイプは特定されておらず,また,脳血管障害や糖尿病などの認知症の既知のリスクファクターでは説明できないとされ,認知症発症のメカニズムは不明である.まだエビデンスに支えられた仮説とはいえないが,大別して2つの成因仮説が想定されている.1つは,統合失調症の場合,すでに初回の精神病エピソード後に生じた認知機能障害が存在しているため,のちに健常者と同等程度の加齢に伴う認知機能の低下が加わっても,結果として認知症レベルの認知機能障害が生じるという仮説である.地域での生活を送ることが可能な患者群では,陽性症状の変動があっても,認知機能は比較的安定していることが根拠になっている.この場合,統合失調症の病態自体が,新たな認知症の発症に対して直接的に作用するわけではないことになる.これに対して,もう一方の,長期入院が必要な群などでは,加齢に伴う健常者の認知機能低下を上回る速さで認知機能の低下が認められることが報告されている. こうした“accelerated aging(促進老化)”という現象が統合失調症の認知症発症リスクに関係するとの仮説があり,エピジェネティクスの問題や炎症機構などの関与が想定されている.関係する機構はさておき,統合失調症の病態自体が認知症発症リスクと関係する可能性を示唆する仮説である.しかし,ここでは,長期在院による生活環境の乏しさ“social deprivation(社会的剥奪)”という,環境要因の問題が認知機能に悪影響を及ぼす可能性も検討される必要がある.さらに,これら2つの仮説に関して,そもそも統合失調症の異種性の問題があるため,認知症発症リスクの機構に関しても,単一因子に基づくシンプルな考え方は通用しないものと思われる.
2019年末に生じた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックが続くなか,精神症状や認知機能の問題から社会生活に困難を抱える老年期にはいった統合失調症の患者さんに対する医療,保健,福祉によるケアやサポートに支障が生じることにより社会的排除が起こることが危惧される.現在,老年期にある患者さんたちは,現在行われているような心理教育や心理社会的治療の恩恵に浴しておらず,社会とのつながり方においても困難があると考えられる.せめて,老年期にはいり,認知機能の問題があっても簡便に使えるデジタルツールが開発されることを期待したい,このパンデミックが続く限り,患者さんに対して“physical distancing”は必要であっても,“social distancing”が起こらない工夫が求められる.


BACK