2020/2 老年精神医学雑誌Vol.31 No.2
私の認知症治療・ケアの40年;身体拘束・抑制廃止を目指して
吉岡 充
医療法人社団充会多摩平の森の病院
1.「老人病院」の変遷
私が一般の精神科医から,認知症治療・ケアに携わってから40年近くになる.世界で類をみないスピードで日本の高齢化が進むなか,脳血管障害の後遺症をもつ人たちも増え,認知症で身体合併症をもっていたり,行動症状等のある人たちの入院の需要が高まった.それに伴って東京を主とした大都市部周辺に「老人病院」が増えてきた.しかし,そこで行われた医療は縛りつけての点滴医療だった.その大きな要因は,私たち医療従事者が,これまでの大学教育によって「死は敗北」のように思い込み,完全には治癒しない人に対する生活の質を大切にする療養のあり方を知らなかったことにもある.この国の医療制度の貧しさもあった.たとえば,埼玉県の200床ぐらいの病院で,そこに入院するとすべての患者に点滴をする.嫌がれば縛ってでも点滴する.年間の退院は200人近く.そのほとんどが死亡退院という病院があった.厚生省(現・厚生労働省)の査察がはいったが,そこで問題にしたのは不正請求のみで医療の中身にまではふれられることはなかった.マスメディアは営利のみを追求する悪徳老人病院であるとして追及した.しかし,当時の老人病院の現実はこれに近いところが多かった.医療費も安かった.医師・看護師,3食ついて1日数千円ぐらいの入院費だった.そのため,利益は出来高払いの薬剤費から捻出するという構造だったのである.
これでよいわけはない.そこで,1983年,17人の病院の管理責任者である医師が集まり「老人の専門医療を考える会」を設立した.この会では,市民に向かってシンポジウムを開き,現状打破を模索した.厚生省の若手の官僚,技官たちとも話し合った.この国の明るい老人医療をどうつくっていけばよいのかを.
それまでは,精神科病院や結核病院に対しての例のように,医師・看護師を少なくした特例許可老人病院だった.ここでは人手不足は付き添い婦をつけて補っていた.そこで,この制度をなくし,病院自らが多くのケアスタッフを雇って教育し,「療養」という視点で,治療とケアを行うという介護力強化病院が創設された.そこから,病室面積をそれまでの1.5倍に広げ,リハビリテーションやアクティビティを行える場所や,食堂,入浴設備等もつけた療養型病棟へと進化していくことになる.それまでは,「私は今日は点滴係,明日はおむつ係」とばたばたしていたスタッフの人手が増え,余裕ができて,個々の患者のケアプランを立てられるようになった.
よい循環が生まれ,老人病院は本当に明るくなってきた.
2.抑制の問題,5つの基本的ケア
それでも身体拘束・抑制だけは減らなかった.もともとこれは現場では当たり前のことになっていた.患者の安全のため,治療遂行のため必要だったと皆思い込んでいた.認知症の人たちの多くがその対象となっていた.私は,抑制はやめられると思い,病院の皆に協力を求めた.それが5つの基本的ケア(図1)の始まりである.
この5つの基本的ケアを徹底することで患者は快適になり,認知症の人たちの周辺の困った行動はかなり改善する.お付き合いしやすくなるし,ケアしやすくなるのだ.縛る必要も少なくなるし,さまざまな共感もしやすくなる.親しくなれれば縛る気もあまり起きないはずである.私たちはこの結果を老人病院の仲間たちへ発信したが,なかなか受け入れられなかった.1997年, 福岡県の有吉病院の有吉通泰院長が自分たちもこれをやってみようと言い出してくれたので,それに協力することになった.結果は1年間で福岡の10の病院が抑制廃止を成し遂げたのだ.
まず,皆で抑制をやめようと決意すると,それまで漫然と行ってきた抑制の85%は簡単にやめることができた.残る15%はそれなりの工夫,代替方法等を考える必要があったが.それは楽しい作業になった.医師も含め,ケアに携わる人たちは心優しいのである.そして今までは家族に「お父さんは認知症のため,立って歩くことが危険なことだとわからないのです.だから車椅子にベルトをしますよ」と説明していたのが,「縛りつけられるのはつらいことですからやめます.十分に注意をしますから」と説明できるようになった.そして,それまではできなかった「転んで骨折したらどうしたらよいか」という相談を家族にできるようになった.縛られなくなって笑顔が戻った親を見て家族も信頼を取り戻し,スタッフと話し合えるようになった.いちばんQOLが向上したのは実はケアスタッフだったのである.有吉院長はこうも言った.「われわれは普通の老人病院だ.それが抑制を廃止できた.できないのはやらないだけだ」と.
そして,世界に類をみない,従事者自身による抑制廃止福岡宣言がなされた(図2).
それは,ちょうど生活の質も十分に配慮するという介護保険の中身を検討しているときであった.この流れのなかで,身体拘束をすることはどうなのかという意見が出たのは必然だった.そして2000年,介護保険法の実施にあたって身体拘束原則禁止の運営基準ができた.
それから20年.認知症の人たちには少しやさしい社会になってきた.が,現実にはまだまだ解決できない問題が山積している.これも少しずつ解決していかなければならない.


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2020/1 老年精神医学雑誌Vol.31 No.1
高齢者におけるこころ・脳・からだの密着化
天野直二
岡谷市民病院
筆者は,現在の総合病院精神科で新しい症例に出会っている.そのほとんどはせん妄を呈する高齢者であり,骨折や肺炎などと闘っている.今回の巻頭言では,このような治療環境から得られた所感を述べてみたいと思う.精神症状という症候学は精神科医にとって宝物である.高齢の精神科医は若いころにまず状態像をきちんと診断することから教えられた.疾患診断はその積み重ねの結果であり,病名はあくまで箱物の枠であり,中身でないと思っていた.猪瀬正(横浜市立大学名誉)教授は当時の症例検討会でよく「診断は保留する」と言って病名を後回しにしたことを記憶している.とにかく臨床上の分類学は枠も中身も大切であって相互に切磋琢磨するものと考えた.今もそうであるにちがいないが,どうもその方向が逆になったように思えて仕方ない.
高齢者の精神科治療において枠より中身をより吟味しなければいけない事態が多い.精神症状にこだわって考えたひとつに“こころ”と“からだ”の関係がある.脳は身体のひとつであり,精神神経症状にきわめて重要な臓器であることはいうまでもない.さて,このような御託はこれぐらいにして,次の症例から考察を進めてみよう.なお症例は論旨を変えない程度に改変し,個人情報に配慮した.
〈症例1〉84歳の女性.アルツハイマー型認知症
ある一晩のエピソード.孫娘は24歳で自分の家の2階で生活している.普段から自分を大切にしてくれる.愛すべき孫である.今晩は会社での飲み会で遅くなると聞かされていたが,当然本人の記憶には残っていない.20時になっても帰ってこない.「どうしたのだろう」と言っているうちに「(2階に)変な男がいる」と言い出し,「危害を加える」と徐々に興奮し始めた.孫娘が帰ってきても収拾がつかなく一晩中騒いだ.不安,同居人妄想,被害妄想,そしてせん妄へと展開した例である.
〈症例2〉82歳の女性.アルツハイマー型認知症
右大腿骨頸部骨折で急患室へ運ばれた.「そこにだれかいる」と言って盛んに話しかけている.幻覚妄想があって興奮しているという報を受けて急患室へ赴いた.とにかく“ワーワー”と大声を張り上げている.並大抵ではない.さてどうしようかなと考えていたところ,看護師が「最初はとても痛がっていました,それから興奮しだしてこのように…….まず痛みをとったらどうですか?」と.そこで,鎮静処置の前にまず鎮痛薬を内服させた.そののち向精神薬を使わずに様子をみたところ,1時間ほどして興奮も治まり元に戻って落ち着いた対応をとるようになった.激痛から幻覚妄想を伴う興奮に発展した例である.
〈症例3〉76歳の女性
老年期うつ病から認知症に進展した例.几帳面な性格.ささいなことで取り乱すようになった.どうしてこの程度のことで悩むのかと夫には理解できなかった.心気的になったりヒステリックに訴えたり,不眠で体調不良を訴える.クエチアピンが結構効いた時期もあったが,うつ状態かなと考えていたら,いつのまにか意欲のないなにもしない日が続くようになった.アパシーであり,1年後にもの忘れを主訴に来院した.MRIでは脳萎縮はそれほどではないが,前頭葉や頭頂葉に脳溝の開大がみられた.本症例のように,うつなのか前頭葉症候群なのか認知症なのか判断に窮する例が多いことを実感する.
青年期,壮年期にみられる精神症状というと,たとえば心は心で心理症状として結構独自の展開をするし,精神病症状もその年代に特異的なものとしてほぼ確立している.脳も大脳の症状として同様に独自の経過をたどっている.身体の障害はいち早く血液やレントゲン等の検査でとらえられる.高齢になるとその互いのめりはりが減少してきて,ついには互いに密着して症状の互換性が高まってくるものと考える(図1).卑近な言い方であるが,高齢者の診療では身体の状態の把握,理解がとても重要であるという前提がいまさらながら基本である.


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