2019/4 老年精神医学雑誌Vol.30 No.4
白衣認知症
三村 將
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
私が昔からよく知っている婦人Aさんが最近,かかりつけの内科診療所で認知症のスクリーニング検査を受けた.Aさんはこの診療所で血圧の薬をもらっている.どういういきさつがあったのかよくわからないが,たぶんまた睡眠薬を出してほしいと希望したのだろう.「また」と書いたのは,Aさんは日頃からよく眠れないと言っていて,以前その診療所で実際に睡眠薬をもらったこともあったからである.しかし,飲んでもあまり眠れるようにはならなかったし,むしろ日中ぼうっとするというので,もうもらわないことになっていた.私も個人的に相談を受けたことがあり,飲まないことにしましょうと話していた.しかし,おそらく診療所に行くたびに,主治医に「先生,睡眠薬を飲んだほうがいいですか?」と聞くものだから,認知症を疑われてしまったのだろう.
Aさんは今年90歳になる.多少のもの忘れはもちろんある.しかし,毎日の生活をみていて断じて認知症ではない.強いて診断するならば,軽度認知障害ではあると思う.かくしゃくとしていて,去年の今ごろ,家族とどこへ行ったとか,最近白内障の手術をして指示どおり右目と左目で違った目薬をさすのがたいへんだったとか,とてもよく覚えている.一人で暮らしていて,買い物も,かなり手の込んだ料理も,全部一人でやっている.くだんの診療所では,急に100引く7を聞かれて,「……93……86」で止まり,完全にあがってしまったようである.「先生,なにを引くんでしたっけ?」などと,どんどん悪循環に陥り,しどろもどろになってしまった.「今日は何日ですか?」と問われ,「さあ,毎日同じように暮らしているので……,あなたわかってる?」と同席していた長女に尋ねた.振り返り行動である.慣れた専門医でもアルツハイマー型認知症を疑うかもしれない.循環器系が専門の主治医はとどめに「神経内科を紹介しましょうか?」
Aさんはこのときのとても恥ずかしい思いをしたエピソードを1週間くらいしてから私に話してくれた.
「私もうだめになっちゃった」「元気なくなっちゃった」
長女も危機感を高め,
「普段できているでしょう.何であんなこと答えられないの.どうしよう」
だいたいにおいて,娘さんが母親を見る目は知らず知らずのうちに厳しいものになっていることが多い.
改めて考えてみると,Aさんのような人はまれではないと思う.むしろ認知症を心配して(心配されて)もの忘れ外来などを受診してくるのはそんな人だらけではないか.私はたまたまAさんの日頃の生活をよく知っていたから,認知症ではないと断言できるが,診察場面や検査中の様子というのはその人の日常生活のごく一部を切り取ったのにすぎない.というより,非日常といったほうがいいかもしれない.
そういう言葉はどうもないようだが,これは「白衣認知症」ではないかと考えている.私自身は普段家で測っていると血圧はむしろ低いくらいなのだが,なぜか年に一度の大学の健康診断では必ず血圧が高く出る.いわゆる「白衣高血圧」である.測ってくれる人も気の毒がって,深呼吸して,とか,急いできたからですかね,とか,声をかけてくれるが,言われれば言われるほど動転してしまう.とくに緊張している自覚はないのだが…….同じようなことが認知症にもあるのではないか.医師や心理士の前に出ると,とたんにしどろもどろになって,普段なら簡単に答えられることが答えられなくなる.普段の生活をよくみていないと思いがけない勘違いをしてしまうことがあるような気がする.これからは単身高齢者がもっと増えてくるので,その人の生活歴や日常生活の状況を踏まえて,総合的に判断していくのはさらにむずかしくなってくるように思う.
ところで,Aさんはもともと膝が悪いということで要介護認定を受け,要支援1になっていたが,改めて見直しのために訪問調査を受けた.そのときはすっかりしゃんとなっていて,ケアマネジャーさんの質問にもすべて的確に答え,膝が悪いのに片足立ちまでやってみせたようである.さりげなくデイケアを勧められても,「チーチーパッパは嫌です」とはっきり断ったらしい.要支援2になることはなさそうで,長女は逆の意味で頭を抱えた.さて,このような人にどのような介護支援をしたものだろうか.


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2019/3 老年精神医学雑誌Vol.30 No.3
母親たちの黄昏;子守唄との再会
河合 眞
河合メンタルクリニック
今はまだ春浅い季節だが,夏の初めの緑濃い黄昏時になると筆者は北ドイツの港町,ハンブルク郊外にあるハーゲンベック動物園で出会った老婦人のことを思い出す.毎日散歩に来ていると言う.シロフクロウの家族の檻の前で,「こっちがお母さん,そっちがお父さん……」とゆっくり唄うように話してくれたが,それは微笑みながらもどこか寂しげで自分に言い聞かせているようであった.おそらくこの婦人は一人暮らしなのだろう.伝統的な女性のあり方に従って子どもを育て上げ,独立させ,さらに夫をも見送ったのだろう.彼女はそこにかつての自分の家族の姿を重ね合わせているのではないかと思ったのである.
子育てを終えた母親たちが異口同音に言うのは,どんなにたいへんであったにしても「子どもの小さいころがいちばん幸せだった」ということのようだ.熱が出た,犬が寄ってきた,といった不安のたびに柔らかい小さな手でしがみついてくる.時にはわずらわしく思えてもその後数年,年齢が2桁にもなればそんな瞬間は望んでも得られない.その幸せだったころを偲ぶ子守唄は,「家庭」を喪失したあとの老年期を癒やし,幸せだった時代へと回帰させる.
かつて全国健康福祉祭大会である“ねんりんピック”の折,映画作家の大林宣彦氏も参加したシンポジウムは,“音楽で語る私の道程”というテーマで,音楽療法に携わる立場から筆者が選んだ曲は期せずして童謡が多くを占め,そのうちいくつかを挙げると年代順に,かつて親になったときの“七つの子”,初老期以降にさまざまな喪失感を味わっていく年代の“ずいずいずっころばし”,やがて出会うであろう「心の彼岸」を求める年代に至るころの“夕焼け小焼け”となった.
人生の節目節目で封印されていた幼児期の記憶は,これらの歌とともに呼び起こされることになる.どの音楽療法のセッションの現場でも,“七つの子”をバイオリンで弾き始めるとお年寄りの間から期せずして歌声が起こる.これは自分の幼い時というより,わが子の小さな時を思い出しているのかもしれない.「カラス,なぜ鳴くの?」とカラスに向かって呼びかけているように思えるが,実はこれは母と子の対話なのである.「あれ,カラスが鳴いているよ.カラスはどうして鳴くのかな」「カラスはどうして鳴くの?」「カラスは山にね……」「かわいい,かわいい」とゆっくりと繰り返すうちに子どもは少し眠くなってきて落ち着く.母親も安心して仕事にかかれる.
子守唄は母子関係にとどまらず,世代間のつながりを深める役割をもっている.
シンポジウムの当日,“ずいずいずっころばし”の曲が演奏されたが,会場全体,スタッフの誘導のもとに一糸乱れずに手拍子足拍子で合わせていった.このリズムと歌詞にお年寄りは年齢を重ねた今,庶民のたくましい生活感情をいくらかでも感じ取っているのであろう.
人は年齢を重ねていくにつれて必然的に失うものも多くなる.一方を選べば他方を失うのであって,自分の選択によらない不幸な喪失も否応なく増えていくわけである.これを乗り越えるうえでも,幸せだった若いころや,幼児期に帰るよすがとして歌の役割は小さくない.そして幼児期体験に回帰して終末を迎えるならば,これ以上のことはないと思われる.
いつのころからか音楽療法のセッションの締めくくりに“夕焼け小焼け”を歌うようになった.「遊び」の終わりにいかにもふさわしいので,ごく自然に定着したのである.お手手つないで帰る先に待っているのは,温かい灯影,夕食,そして母親である.はるかな昔から,生まれながらに現世の苦しみをなめてきた庶民にとって救いとは,いつか ―― それは死後のことである場合が多いが ―― 理想郷において安らぎを得ることであった.人が舞台を去ったあとには満月と満天の星という悠久の昔から変わらぬ大自然が残るのである.精神分析によれば人は胎内回帰願望があるという.とすれば人は静寂の水の中から生まれて外界の音の波動のなかに浸ることになるが,またそこに還っていくのだろうか.
筆者があまり深く考えることもなく選んだ童謡は,図らずも静寂から生まれる人の象徴としての「静」,躍動的な人の営みを表す「動」,そして終末を暗示する「静」に至る3曲となったが,これらはだれもが普遍的に心の底にもつ感情を想起させる曲であったのかもしれない.
ワーズワースの「幼き日々の思い出をうたった詩」(“Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”)にこのような一節がある.
 
草原の輝きも草花の栄光も
かえすすべなくとも哀しむことなかれ
残れる力を見いださん
 
ここには人が過去を振り返るときの感慨が将来への希望とともに語られている.子守唄もまた,人の過去の記憶を揺り動かすことはなかっただろうか.


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2019/2 老年精神医学雑誌Vol.30 No.2
温故知新
宮永和夫
南魚沼市病院事業管理者
最近,若年(性)認知症という言葉が流行っているためか,「若年性アルツハイマー病」という診断を目にするようになりました.通常は,アルツハイマー型認知症ですが,これはアルツハイマー病とアルツハイマー型老年痴呆(認知症)を同じ疾患として統一した際に,両者を含む診断名としてつくられたものです.前者は若年期ないし初老期の認知症を,後者は老年期の認知症を代表したものです.ですから,アルツハイマー病はもともと65歳以前にみられる初老期痴呆(認知症)に含まれていましたので,若年性をつけるのは余分と思うのですが,皆さんはどう思われますか.
ところで,アルツハイマー病の名づけ親はエミール・クレペリン(Emil Kraepelin)といわれています.彼はアロイス・アルツハイマー(Alois Alzheimer)たちが報告した症例と自験例をあわせ,「アルツハイマーの特殊群」としてまとめました1).この意味は,通常の年齢よりも早く発症した老化現象,いわゆる早発性老化(senile praecox/senium praecox)です.その後,「アルツハイマーの特殊群」は,「アルツハイマー氏病」となり,「アルツハイマー病」さらに「アルツハイマー型認知症」となりました.ただし,アルツハイマー病は,早発性老化(senile praecox)ですが,早発性痴呆(dementia praecox)ではありません.早発性痴呆の名づけ親もクレペリンといわれていますが,この言葉は破瓜病,緊張病,妄想病を統一した非器質性精神疾患の名称で,オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)が精神分裂病群と名づけ,現代は統合失調症(schizophrenic disorder)と呼ばれます. その点で,「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」以降話題になっている若年(性)認知症はearly onset/young onset dementiaと英語表記されますが,ドイツ流にいえばDemenz Praecox/dementia praecoxになり,なにやら統合失調症と混乱しそうです.なお,インターネットの百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」で検索したところ,早発性痴呆(Demenz Praecox)―― 今の統合失調症ですが,初めての報告例は,クレペリンでなくアーノルド・ピック(Arnold Pick)と記載されていました.クレペリンは当時,早発性痴呆(Demenz Praecox)を早発性(65歳以下の)精神的変調として,認知症に限らない広い概念で使用していたようです.
また,クレペリンが分類した早発性痴呆のなかのひとつに破瓜病(Hebephrenie)がありますが,カール・ルートヴィヒ・カールバウム(Karl Ludwig Kahlbaum)はこの言葉と対比させて,ギリシア語で「老人」を意味するpresbysを付け加えて,プレスビオフレニー(Presbyophrenie)というコルサコフ症候群様の器質性疾患を報告しています.このようにみていくと,dementiaに関連する言葉は,器質性と非器質性の区別も曖昧なものであるとともに,今の意味でいわれる認知症に限った使い方にとどまらなかった長い歴史があったようです.
ところで,「dementia」という言葉がいつから使われたのかを調べましたが,正確にはわかりません.またまたWikipediaの登場ですが,その検索では,共和政ローマの詩人で哲学者のティトゥス・ルクレティウス・カルス(Titus Lucretius Carus,BC99〜BC55)が精神的破綻・変容という意味でこの単語を初めて使ったと書かれていました.さらに,紀元後になると,老年痴呆/認知症(senile dementia)は,高齢者に起きた精神的変容(器質・非器質ともに)状態のすべての意味で使われ,クラウディウス・ガレノス(Claudius Galenus (Galen),130〜200)がmorosis(dementia)を老人にみられる精神障害であり,かつ脳の障害と述べたと書かれていました.
そして,dementiaが現在のように知的/認知機能障害という意味で使われ,定着したのは19世紀後半になってからのようです.今後,認知症はDSM-5で新たに名づけられたMajor Neurocognitive Disorderとなり,dementiaという単語は使用されなくなると思いますが,2000年以上も使われてきたこの言葉の意味や歴史は知っておいても損ではないと思いました.しかし,私のこの文章は単なる懐古趣味といわれるのでしょうか.に発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.

[文 献]
 1)エーミール・クレペリン(伊達 徹訳):〈精神医学〉5 老年性精神疾患.みすず書房,東京(1992).


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2019/1 老年精神医学雑誌Vol.30 No.1
発達障害と高齢者
林 博史
山形大学医学部精神医学講座
注意欠如多動症(ADHD),自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害は,幼少期にその特徴が明らかになる生来性の障害である.最近は,うつ状態などを呈して青年期以降に初めて精神科を受診して診断される人が年々増加し,一般精神科医も発達障害をもつ人を診察する機会が多くなった.精神科医はだれでも,患者を診立てるうえでパーソナリティの評価に加え,発達障害の視点が欠かせなくなっている.発達障害をもつ人もいずれは老年期を迎える.それまで医療機関を受診したことのない人たちでも,中年期以降に仕事や家庭で求められる役割の変化や加齢の影響が加わり,何らかの不適応を生じ,われわれのところを受診するかもしれない.最近は孫が発達障害と診断され,自分も孫と似ているから発達障害ではないかと受診する壮年期以降の患者もいるという.
これまで気づかなかっただけなのかもしれないが,ここ数年,「もの忘れ外来」に発達障害をもつ人が受診することが増えているように思う.多くは50〜60歳代で認知症では若年層に当たる.症例を呈示する.なお,本報告において,本人から文書で同意を得るとともに,プライバシー保護のため一部改変した.50歳代の男性であるが,他県に出向時に仕事の手順や注文内容を忘れるなどのミスが増え,認知症が疑われて受診した.認知機能の低下はそれほど目立たなかったが,職場で安全管理を怠るなどして解雇された.脳MRIでは楔前部や後部帯状回の萎縮,脳血流SPECTでは頭頂葉の集積低下を認め,若年性アルツハイマー型認知症(EOAD)と矛盾しない所見であった.EOADとして治療を開始したが,数年経過しても認知機能低下が進行しないことからPiB-PETを施行したところ陰性であった. その後,上記の症状が出現したときは,慣れない出向先で上司の要求が厳しくて仕事が嫌になっていたと話すなど適応障害の様相を呈していたことが判明した.また,子ども時代には静かに座っていなければならない状況で動き回ったり,就労後も講習会などでじっと座っているのが苦手であることなどが明らかになった.ADHDの自己記入式症状チェックリスト・パートAが陽性であり,ADHDの可能性があると考えている.ADHDにおけるワーキングメモリ(WM)の障害は高齢になっても持続し,加齢の影響も加わり,日常生活の問題解決が困難になる可能性があることが指摘されている(Thorell LB, et al., Eur Psychiatry, 2017).また,神経変性疾患による軽度認知障害と類似の症状を呈することから,「もの忘れ外来」を受診することが多いと考えられる.ADHDの脳画像において小規模ながらコホート研究がある.小学校時代にADHDと診断された少年をフォローアップし,41歳の時点で脳MRIを施行した結果,健常者に比べて頭頂葉の容積が小さかったことが報告されている(Proal E, et al., Arch Gen Psychiatry, 2011). 画像所見がEOADと共通する可能性があり,子ども時代の情報が得られないと,初期には鑑別がむずかしいかもしれない.また,ASDでは社会的コミュニケーションの障害と常同性やこだわりなどが特徴として挙げられる.これらは認知症,とくに前頭側頭型認知症の症状と一部重なる.ASDの診断にも,発達早期から症状が存在していることが必要とされ,ADHD同様に子ども時代の情報が得られないと,初期には両者の鑑別がむずかしい場合もあるだろう.いずれにせよ,認知症と鑑別を要する疾患にADHDやASDなどの発達障害も忘れてはならない.
2016年に施行された改正発達障害者支援法では,乳幼児期〜高齢期まで切れ目のない支援が求められている.高齢者ではこれまで多くの苦労があったにちがいない.支援のためには,実態を把握することが必要であるが,高齢者では前述したように発達障害の診断がむずかしい.また,ADHDに関しては小児期に診断された人と青年期に新たに診断された人では,特徴に違いがみられることが報告されるなど,ADHDの多様性も指摘されている(Agnew-Blais, et al., JAMA Psychiatry, 2016).ASDはさらに複雑で多様であると考えられる.当面は,小児期あるいは青年期/壮年期に発達障害と診断された人の老化のプロセスを丁寧に追っていく必要がある.発達障害をもつ人が老年期にどのような特徴を呈するのか.認知症になりやすいのか.認知症になった場合は発達障害をもたない人と違いがあるのかなど解明しなければならない課題が多い.高齢者を対象とした神経心理学的研究や脳画像研究はまだ少なく,老年期までの大規模なコホート研究が必要であろう. 2018年に開催された第33回日本老年精神医学会では,児童精神医学の専門医である内山登紀夫先生からASDに関する教育講演があり,さらに発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.


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