2019/7 老年精神医学雑誌Vol.30 No.7
認知症の人への姿勢
中山寛人
医療法人水の木会 下関病院
数年前,地域の病院職員対象の講演会で「しゃべることのできない,反応もない認知症患者に話しかける意味はあるのですか?」と質問されることがあった.このときは明確な答えを返すことができず,もどかしい思いのまま講演会は終了した.その後もこの質問は私の心に引っかかったままである.
いまさら議論するまでもなく,認知症の人の尊厳を大切にすべきであるのは当然のことである.多くの医療・介護施設の理念や教科書にも記されているところだが,尊厳を大切にするとはどういうことなのか? “尊厳”を辞書で調べると「尊く厳かなこと」「気高く侵しがたいこと」とある.つまり,ある人が尊厳を感じ取れるということは,その人自身が自分の存在価値を感じることができるということだろう.取り巻く環境との関係性が大きな影響を与えるのではないだろうか.
しかし,認知症の発症・進行とともに,自分自身の大きな偏見や誤解に飲み込まれたり,自己実現が困難となったり,情緒的な意味合いも含めた周囲との関係性も希薄となり,自分の存在価値,つまり尊厳が傷つけられる状況に陥りやすいのではないだろうか.経緯はどうであれ,病院にようやくたどり着いた認知症の人に対して,「何度言ったらわかるの?」「そんなことしたら退院させないよ」といった言葉は発したくはない.すでに十分すぎるほど傷ついている人を,さらに傷つけることになってしまう.このような関わり方は,そもそも認知症の人を支援する職種に就いている者としてあるべき姿ではないし,自身の職業人としての尊厳をも傷つけかねない.
傷ついた尊厳を癒すためには,やはり関係性を結び直したい.そのためには,まず話を聴くことから始めるべきだと考える.私たちと出会うまで,その認知症の人がどのような状況にあったのか,どのような経緯で今に至るのか,今をどう思っているのかを知ろうとする姿勢をもつべきだろう.私たちは職業上,指示することに慣れており,だからこそ話を聴くことには慣れていないかもしれないが,そのことを自覚して,認知症の人が語っても許される場を提供したい.語ることで認知症の人は前に進むことができるだろうし,語りを聴くことで私たちはその人の主観的世界に少しでも近づくことができるだろう.主観的世界に近づくことは,その人のニーズを知ることになる.専門職・支援者自身が“自分事”と考えるきっかけにもなるだろう.そして,“自分事”をエッセンスとすることで,私たちの支援はよりよい方向に向かっていくだろう.
ここで,「語ることのできない高度認知症の人に話しかける意味があるのか?」という冒頭の質問に戻るが,逆に話しかけないとどうなるだろうか.側にいるのに,まるでその人がいないかのように振る舞う.なにも話しかけずに,あるいは流れ作業的な声かけで返事を待たずに,なにかしらの処置や介護を行う.認知症発症前にこのような対応をされることがあるだろうか.認知症になったら,このような関わり方をされることが周囲に特別に許可されるのだろうか.
声をかけられないと,その人はそこにいないのと同じである.穏やかな眼差しを向けられ,話しかけられ,触れられることで,初めてその人はそこに存在することになる.さらに,生きてきた歴史を知ることは,私たちのなかで時間的・空間的な広がりをもって,その人がありありと存在することにつながるだろう.意思表出の乏しい認知症の人であるからこそ,彼らが歴史的連続性をもった価値ある人間であると,私たちが話しかけて触れて示し続ける必要があるだろう.そして,目の前の認知症の人をおもんぱかろうとする姿勢をとり続けることで,認知症の人や自分自身について,それまで気づかなかった新たな一面を発見することも少なくない.認知症の人との新たな出会い,認知症の人と私たちとの間の新たな関係性,さらに私たち専門職・支援者自身のあり方の新たな気づきが生まれる可能性がある.その気づきが新たな絆を生むだろう.
だれかから大切にされていると実感できなければ,その人の尊厳は傷ついたままである.地域への啓発が進み,認知症への理解も深まってはいるものの,個々の認知症の人たちをみると,地域から排除の危機にさらされている現実を目の当たりにすることも少なくない.さまざまな技術が進歩し,かたちのうえでの連携が構築されていっても,尊厳が傷つけられる社会にあっては,認知症とともに生きる地域社会の創生ははるか遠い彼方だろう.目の前の認知症の人の尊厳に思いを寄せることは,ひいては社会のあり方を考えることにもつながる.根治的な治療薬がないなかでニヒリズムに陥ることなく,私たちの専門的な知識や技術をどのように使うのか,私たちはなにをする人であるのか,常に考えていきたいものである.小さなことかもしれないが,手の届く範囲で,今後もこのような姿勢をとり続けていきたい.


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2019/6 老年精神医学雑誌Vol.30 No.6
その人をみる
長濱道治
島根大学医学部精神医学講座
私が島根大学医学部精神医学講座に入局した際,先輩医師から「10年後には,自分の専門がこれだと言えるように頑張りなさい」とアドバイスをいただきました.
あれから10年以上が経過し,浅学ながら日本老年精神医学会の専門医を取得しました.この「巻頭言」を書くにあたり,若手(中堅?)の一精神科医として,また,老年精神医学の一専門医として,若輩者ではございますが,老年精神医学に対する自身の想いについて振り返ってみようと思います.
 
私は,若いうちから自分の専門分野を老年精神医学と決めておりましたが,幸いにも「もの忘れ外来」を早くから担当させていただきました.また,日本老年精神医学会に関する仕事も多く経験させていただきました.
老年精神医学を専門にして,認知症の患者と出会う機会が増えました.認知症に対する治療は,薬物療法よりも,むしろ非薬物療法・ケアが重要になります.薬物療法はあくまでアイテムであり,「その人らしさ」あるいは,その人の残存している生活能力を高めることが大切だと思います.
われわれの教室では,常々「とにかく,その人(患者)をみろ,一例一例を大切にしろ」と指導されます.「その人をみる」とは,「(自分の担当した)ケースを大事にする」ということです.そのためには,「その人をみる(診て勉強する)」ことに尽きますが,認知症に限らず,とくに高齢者では,その人の年齢の数だけ「歴史」があるはずです.まずは,その人がしっかりと生きてきた「歴史」を知り,普段のささいな言動や日常生活の小さな変化をみていくことが大切です.
改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R),Mini-Mental State Examination(MMSE)などで評価された認知機能障害と,臨床的な認知症の重症度や行動・心理症状(BPSD)の出現は,必ずしも関連するわけではありません.実際の現場では,認知機能障害と生活障害とはパラレルなものではないことは,よく経験することですが,認知機能障害がありながらも,ふとした生活場面に「その人らしさ」がみられ,そこに治療・ケアのヒントを見いだすことをよく経験します.治療・ケアを実践する医療従事者や家族の観察力は,とても重要でありますし,多職種で知恵を持ち寄って,「あの手この手」でかかわりを積み重ねていく努力がこれからも必要となっていくはずです.
認知症診療においても,他の精神疾患と同様に,患者によってみられる症状や治療経過が違うため,時に診断確定に時間を要することがありますし,認知症の診断が確定したとしても,認知症そのものを根治させることはできません.医師一人の力だけでは,目の前にある患者・家族が抱えている問題を解決することはできません.前述のように,多職種による力が必要であり,皆で「あの手この手」の知恵を持ち寄って,「治療経験」を積み重ねていくしかありません.
高齢者は,多くの経験を積んでおり,生活の知恵が豊富であり,私がこれまでもっていた高齢者に対するイメージ以上に「力」があります.認知症患者に対して,「人生の先輩」として,とにかく,その人に触れ,その人の話(訴え)を聴き,その人の「歴史」を知る,さらにそこから(その治療経験から)多くのことを学び,日々,勉強していくことが大切だと考えます.
また,これからの診療においても,こうした老年精神医学を専門にしている先輩医師から教わったことを忘れず,先輩医師の診療スタイルから多くのことを吸収し,そして自身の診療(実践)に活かし,やがて自身の経験から得られたものを後輩医師へ受け継いでいくことが今の専門医としての役割のひとつではないかと考えているところです.
 
2019年3月3日(日)に島根県松江市において,大会長として「一般社団法人 日本認知症ケア学会2018年度中国・四国地域大会」を開催させていただきましたが,私のこうした想いから,その大会テーマ,また,今回の巻頭言のタイトルを,『その人をみる』とした次第です.
 
最後に,自身のこれまでの診療ならびに老年精神医学に対する想いを振り返る機会を設けていただき感謝いたします.引き続き,ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.


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2019/5 老年精神医学雑誌Vol.30 No.5
認知症疾患医療センターとして地域の課題を考えること
樫林哲雄
高知大学医学部神経精神科学講座,兵庫県立リハビリテーション西播磨病院
西播磨圏域認知症疾患医療センターは兵庫県の西部に位置しており,たつの市,赤穂市,相生市,宍粟市,佐用町,上郡町,太子町の4市3町の広範囲な圏域の診療を行っている.東は神戸市,西は岡山市の80か所以上のかかりつけ医から広く紹介がある.圏域内の高齢化率は地域差が大きく,山間部では40%を超える地域もある.当センターを受診した人は鑑別診断や認知症の行動・心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia ; BPSD)の治療を行い,診断や治療経過を踏まえて専門相談員が個別の専門相談を行い,必要に応じて介護保険サービスや介護保険以外の地域の社会資源への「つなぎ」を行っている.
わが国の介護保険制度は人口の高齢化に伴い費用の総額が,2000(平成12)年創設時の約3倍のおおよそ10兆円になった.さらに,2025年にはいわゆる団塊の世代すべてが75歳以上となり,2040年には団塊ジュニア世代が65歳以上になるなど,高齢化はさらに進展することが見込まれている.介護保険制度を取り巻く状況が変化するなかで,ここ数年で一般の人の自己負担限度額が引き上げられ,福祉用具貸与価格の上限が決められるようになった.さらに,制度の持続可能性を確保していくことを念頭におき,創設から17年後の2017年に介護保険法の改正が行われた.改定のポイントは「地域包括ケアシステムの深化・推進」と「介護保険制度の持続可能性の確保」である.前者は全市町村,都道府県,国が事業の実施状況の調査・分析を行って結果を公表することや,さまざまな取組みに対する財政的なインセンティブ付与の規定が整備された.また,新たな医療および介護を一体的に提供する「介護医療院」の創設や,地域のリハビリテーション活動を支援する事業等に対して都道府県が協力に務めることが明記された. そして,市町村では地域住民と行政の協働による包括的な支援体制の構築や,高齢者と障がい児者が同一の事業所でサービスを受けやすくするための共生型サービス事業所の設置など,地域共生社会の実現に向けた取組みが推進されるようになった.後者の趣旨は介護保険の財源の維持である.第1号被保険者の高所得層の利用者負担を3割負担にすることや,第2号被保険者で被用者保険(全国健康保険協会〈協会けんぽ〉,健康保険組合,共済組合)間の負担の差異を是正するために,従来は第2号被保険者数に応じて保険者が負担する納付金の額が決まる加入者割から,被用者保険間の報酬額に比例して納付金を負担する総報酬割に変更された.介護給付費の財源は,国が25%,県が12.5%,市町村が12.5%で,残り50%のうち第1号被保険者,第2号被保険者からそれぞれ22%,28%ずつ賄われる.国費25%のうち,5%は調整交付金で後期高齢者や低所得高齢者の数によって,市町村ごとに異なっている.3年間の保険料総額が決定され,第1号被保険者の保険料の基準額が決定される. 各市町村は向こう3年間(2018年4月〜2021年3月)の介護保険事業計画を策定して公開しているが,当然ながらサービスの利用量が増えるほど第1号被保険者の負担が高くなり,高齢化率が高い地域の被保険者負担料は高くなる.西播磨圏域隣接市町村では基準額が7,500円を超える地域もある(全国平均5,869円).圏域内でも高齢化率が高く人口減少が顕著な市町村では,基準額が高額になっていくことが介護事業所を増やすことを困難にしていることの理由のひとつかもしれない.そして,認知症の精神症状が悪化して利用していたデイサービスの継続が困難になると,その後の治療で改善しても,利用が再開できないことがある.この場合,他の事業所へ切り替えようとしても選択肢がない.在宅サービスの継続には家族の介護協力が影響し,独居や高齢者世帯の場合は施設入所や入院を選択せざるを得ないこともある.ここ数年は鑑別診断後に地域の社会資源へつなぎたくても,つなぎ先がないことも多くなっている.
高齢化に伴いさらに財源が厳しくなるなか,認知症疾患医療センターの専門医は正しい診断を行うことのみならず,現症を正確にとらえて生活上の支障を引き起こす原因を考察して介護者に伝え,適切な介護環境になるように連携を行うこと,BPSDの背景にある要因を推測して薬物治療や環境調整を行っていくことがより重要になる.限られたサービスからあぶれないように,より早期の診断と治療,BPSDへの早急な対応が必要である.環境調整については地域ごとに介護資源の情報を収集して,地域ごとの連携体制を構築していくことが求められる.また,専門相談員の知識と相談能力の向上,介護者や家族の教育,限りある施設で勤務する職員の教育に積極的に寄与していくこともまた重要であると考えている.


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2019/4 老年精神医学雑誌Vol.30 No.4
白衣認知症
三村 將
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
私が昔からよく知っている婦人Aさんが最近,かかりつけの内科診療所で認知症のスクリーニング検査を受けた.Aさんはこの診療所で血圧の薬をもらっている.どういういきさつがあったのかよくわからないが,たぶんまた睡眠薬を出してほしいと希望したのだろう.「また」と書いたのは,Aさんは日頃からよく眠れないと言っていて,以前その診療所で実際に睡眠薬をもらったこともあったからである.しかし,飲んでもあまり眠れるようにはならなかったし,むしろ日中ぼうっとするというので,もうもらわないことになっていた.私も個人的に相談を受けたことがあり,飲まないことにしましょうと話していた.しかし,おそらく診療所に行くたびに,主治医に「先生,睡眠薬を飲んだほうがいいですか?」と聞くものだから,認知症を疑われてしまったのだろう.
Aさんは今年90歳になる.多少のもの忘れはもちろんある.しかし,毎日の生活をみていて断じて認知症ではない.強いて診断するならば,軽度認知障害ではあると思う.かくしゃくとしていて,去年の今ごろ,家族とどこへ行ったとか,最近白内障の手術をして指示どおり右目と左目で違った目薬をさすのがたいへんだったとか,とてもよく覚えている.一人で暮らしていて,買い物も,かなり手の込んだ料理も,全部一人でやっている.くだんの診療所では,急に100引く7を聞かれて,「……93……86」で止まり,完全にあがってしまったようである.「先生,なにを引くんでしたっけ?」などと,どんどん悪循環に陥り,しどろもどろになってしまった.「今日は何日ですか?」と問われ,「さあ,毎日同じように暮らしているので……,あなたわかってる?」と同席していた長女に尋ねた.振り返り行動である.慣れた専門医でもアルツハイマー型認知症を疑うかもしれない.循環器系が専門の主治医はとどめに「神経内科を紹介しましょうか?」
Aさんはこのときのとても恥ずかしい思いをしたエピソードを1週間くらいしてから私に話してくれた.
「私もうだめになっちゃった」「元気なくなっちゃった」
長女も危機感を高め,
「普段できているでしょう.何であんなこと答えられないの.どうしよう」
だいたいにおいて,娘さんが母親を見る目は知らず知らずのうちに厳しいものになっていることが多い.
改めて考えてみると,Aさんのような人はまれではないと思う.むしろ認知症を心配して(心配されて)もの忘れ外来などを受診してくるのはそんな人だらけではないか.私はたまたまAさんの日頃の生活をよく知っていたから,認知症ではないと断言できるが,診察場面や検査中の様子というのはその人の日常生活のごく一部を切り取ったのにすぎない.というより,非日常といったほうがいいかもしれない.
そういう言葉はどうもないようだが,これは「白衣認知症」ではないかと考えている.私自身は普段家で測っていると血圧はむしろ低いくらいなのだが,なぜか年に一度の大学の健康診断では必ず血圧が高く出る.いわゆる「白衣高血圧」である.測ってくれる人も気の毒がって,深呼吸して,とか,急いできたからですかね,とか,声をかけてくれるが,言われれば言われるほど動転してしまう.とくに緊張している自覚はないのだが…….同じようなことが認知症にもあるのではないか.医師や心理士の前に出ると,とたんにしどろもどろになって,普段なら簡単に答えられることが答えられなくなる.普段の生活をよくみていないと思いがけない勘違いをしてしまうことがあるような気がする.これからは単身高齢者がもっと増えてくるので,その人の生活歴や日常生活の状況を踏まえて,総合的に判断していくのはさらにむずかしくなってくるように思う.
ところで,Aさんはもともと膝が悪いということで要介護認定を受け,要支援1になっていたが,改めて見直しのために訪問調査を受けた.そのときはすっかりしゃんとなっていて,ケアマネジャーさんの質問にもすべて的確に答え,膝が悪いのに片足立ちまでやってみせたようである.さりげなくデイケアを勧められても,「チーチーパッパは嫌です」とはっきり断ったらしい.要支援2になることはなさそうで,長女は逆の意味で頭を抱えた.さて,このような人にどのような介護支援をしたものだろうか.


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2019/3 老年精神医学雑誌Vol.30 No.3
母親たちの黄昏;子守唄との再会
河合 眞
河合メンタルクリニック
今はまだ春浅い季節だが,夏の初めの緑濃い黄昏時になると筆者は北ドイツの港町,ハンブルク郊外にあるハーゲンベック動物園で出会った老婦人のことを思い出す.毎日散歩に来ていると言う.シロフクロウの家族の檻の前で,「こっちがお母さん,そっちがお父さん……」とゆっくり唄うように話してくれたが,それは微笑みながらもどこか寂しげで自分に言い聞かせているようであった.おそらくこの婦人は一人暮らしなのだろう.伝統的な女性のあり方に従って子どもを育て上げ,独立させ,さらに夫をも見送ったのだろう.彼女はそこにかつての自分の家族の姿を重ね合わせているのではないかと思ったのである.
子育てを終えた母親たちが異口同音に言うのは,どんなにたいへんであったにしても「子どもの小さいころがいちばん幸せだった」ということのようだ.熱が出た,犬が寄ってきた,といった不安のたびに柔らかい小さな手でしがみついてくる.時にはわずらわしく思えてもその後数年,年齢が2桁にもなればそんな瞬間は望んでも得られない.その幸せだったころを偲ぶ子守唄は,「家庭」を喪失したあとの老年期を癒やし,幸せだった時代へと回帰させる.
かつて全国健康福祉祭大会である“ねんりんピック”の折,映画作家の大林宣彦氏も参加したシンポジウムは,“音楽で語る私の道程”というテーマで,音楽療法に携わる立場から筆者が選んだ曲は期せずして童謡が多くを占め,そのうちいくつかを挙げると年代順に,かつて親になったときの“七つの子”,初老期以降にさまざまな喪失感を味わっていく年代の“ずいずいずっころばし”,やがて出会うであろう「心の彼岸」を求める年代に至るころの“夕焼け小焼け”となった.
人生の節目節目で封印されていた幼児期の記憶は,これらの歌とともに呼び起こされることになる.どの音楽療法のセッションの現場でも,“七つの子”をバイオリンで弾き始めるとお年寄りの間から期せずして歌声が起こる.これは自分の幼い時というより,わが子の小さな時を思い出しているのかもしれない.「カラス,なぜ鳴くの?」とカラスに向かって呼びかけているように思えるが,実はこれは母と子の対話なのである.「あれ,カラスが鳴いているよ.カラスはどうして鳴くのかな」「カラスはどうして鳴くの?」「カラスは山にね……」「かわいい,かわいい」とゆっくりと繰り返すうちに子どもは少し眠くなってきて落ち着く.母親も安心して仕事にかかれる.
子守唄は母子関係にとどまらず,世代間のつながりを深める役割をもっている.
シンポジウムの当日,“ずいずいずっころばし”の曲が演奏されたが,会場全体,スタッフの誘導のもとに一糸乱れずに手拍子足拍子で合わせていった.このリズムと歌詞にお年寄りは年齢を重ねた今,庶民のたくましい生活感情をいくらかでも感じ取っているのであろう.
人は年齢を重ねていくにつれて必然的に失うものも多くなる.一方を選べば他方を失うのであって,自分の選択によらない不幸な喪失も否応なく増えていくわけである.これを乗り越えるうえでも,幸せだった若いころや,幼児期に帰るよすがとして歌の役割は小さくない.そして幼児期体験に回帰して終末を迎えるならば,これ以上のことはないと思われる.
いつのころからか音楽療法のセッションの締めくくりに“夕焼け小焼け”を歌うようになった.「遊び」の終わりにいかにもふさわしいので,ごく自然に定着したのである.お手手つないで帰る先に待っているのは,温かい灯影,夕食,そして母親である.はるかな昔から,生まれながらに現世の苦しみをなめてきた庶民にとって救いとは,いつか ―― それは死後のことである場合が多いが ―― 理想郷において安らぎを得ることであった.人が舞台を去ったあとには満月と満天の星という悠久の昔から変わらぬ大自然が残るのである.精神分析によれば人は胎内回帰願望があるという.とすれば人は静寂の水の中から生まれて外界の音の波動のなかに浸ることになるが,またそこに還っていくのだろうか.
筆者があまり深く考えることもなく選んだ童謡は,図らずも静寂から生まれる人の象徴としての「静」,躍動的な人の営みを表す「動」,そして終末を暗示する「静」に至る3曲となったが,これらはだれもが普遍的に心の底にもつ感情を想起させる曲であったのかもしれない.
ワーズワースの「幼き日々の思い出をうたった詩」(“Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”)にこのような一節がある.
 
草原の輝きも草花の栄光も
かえすすべなくとも哀しむことなかれ
残れる力を見いださん
 
ここには人が過去を振り返るときの感慨が将来への希望とともに語られている.子守唄もまた,人の過去の記憶を揺り動かすことはなかっただろうか.


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2019/2 老年精神医学雑誌Vol.30 No.2
温故知新
宮永和夫
南魚沼市病院事業管理者
最近,若年(性)認知症という言葉が流行っているためか,「若年性アルツハイマー病」という診断を目にするようになりました.通常は,アルツハイマー型認知症ですが,これはアルツハイマー病とアルツハイマー型老年痴呆(認知症)を同じ疾患として統一した際に,両者を含む診断名としてつくられたものです.前者は若年期ないし初老期の認知症を,後者は老年期の認知症を代表したものです.ですから,アルツハイマー病はもともと65歳以前にみられる初老期痴呆(認知症)に含まれていましたので,若年性をつけるのは余分と思うのですが,皆さんはどう思われますか.
ところで,アルツハイマー病の名づけ親はエミール・クレペリン(Emil Kraepelin)といわれています.彼はアロイス・アルツハイマー(Alois Alzheimer)たちが報告した症例と自験例をあわせ,「アルツハイマーの特殊群」としてまとめました1).この意味は,通常の年齢よりも早く発症した老化現象,いわゆる早発性老化(senile praecox/senium praecox)です.その後,「アルツハイマーの特殊群」は,「アルツハイマー氏病」となり,「アルツハイマー病」さらに「アルツハイマー型認知症」となりました.ただし,アルツハイマー病は,早発性老化(senile praecox)ですが,早発性痴呆(dementia praecox)ではありません.早発性痴呆の名づけ親もクレペリンといわれていますが,この言葉は破瓜病,緊張病,妄想病を統一した非器質性精神疾患の名称で,オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)が精神分裂病群と名づけ,現代は統合失調症(schizophrenic disorder)と呼ばれます. その点で,「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」以降話題になっている若年(性)認知症はearly onset/young onset dementiaと英語表記されますが,ドイツ流にいえばDemenz Praecox/dementia praecoxになり,なにやら統合失調症と混乱しそうです.なお,インターネットの百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」で検索したところ,早発性痴呆(Demenz Praecox)―― 今の統合失調症ですが,初めての報告例は,クレペリンでなくアーノルド・ピック(Arnold Pick)と記載されていました.クレペリンは当時,早発性痴呆(Demenz Praecox)を早発性(65歳以下の)精神的変調として,認知症に限らない広い概念で使用していたようです.
また,クレペリンが分類した早発性痴呆のなかのひとつに破瓜病(Hebephrenie)がありますが,カール・ルートヴィヒ・カールバウム(Karl Ludwig Kahlbaum)はこの言葉と対比させて,ギリシア語で「老人」を意味するpresbysを付け加えて,プレスビオフレニー(Presbyophrenie)というコルサコフ症候群様の器質性疾患を報告しています.このようにみていくと,dementiaに関連する言葉は,器質性と非器質性の区別も曖昧なものであるとともに,今の意味でいわれる認知症に限った使い方にとどまらなかった長い歴史があったようです.
ところで,「dementia」という言葉がいつから使われたのかを調べましたが,正確にはわかりません.またまたWikipediaの登場ですが,その検索では,共和政ローマの詩人で哲学者のティトゥス・ルクレティウス・カルス(Titus Lucretius Carus,BC99〜BC55)が精神的破綻・変容という意味でこの単語を初めて使ったと書かれていました.さらに,紀元後になると,老年痴呆/認知症(senile dementia)は,高齢者に起きた精神的変容(器質・非器質ともに)状態のすべての意味で使われ,クラウディウス・ガレノス(Claudius Galenus (Galen),130〜200)がmorosis(dementia)を老人にみられる精神障害であり,かつ脳の障害と述べたと書かれていました.
そして,dementiaが現在のように知的/認知機能障害という意味で使われ,定着したのは19世紀後半になってからのようです.今後,認知症はDSM-5で新たに名づけられたMajor Neurocognitive Disorderとなり,dementiaという単語は使用されなくなると思いますが,2000年以上も使われてきたこの言葉の意味や歴史は知っておいても損ではないと思いました.しかし,私のこの文章は単なる懐古趣味といわれるのでしょうか.に発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.

[文 献]
 1)エーミール・クレペリン(伊達 徹訳):〈精神医学〉5 老年性精神疾患.みすず書房,東京(1992).


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2019/1 老年精神医学雑誌Vol.30 No.1
発達障害と高齢者
林 博史
山形大学医学部精神医学講座
注意欠如多動症(ADHD),自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害は,幼少期にその特徴が明らかになる生来性の障害である.最近は,うつ状態などを呈して青年期以降に初めて精神科を受診して診断される人が年々増加し,一般精神科医も発達障害をもつ人を診察する機会が多くなった.精神科医はだれでも,患者を診立てるうえでパーソナリティの評価に加え,発達障害の視点が欠かせなくなっている.発達障害をもつ人もいずれは老年期を迎える.それまで医療機関を受診したことのない人たちでも,中年期以降に仕事や家庭で求められる役割の変化や加齢の影響が加わり,何らかの不適応を生じ,われわれのところを受診するかもしれない.最近は孫が発達障害と診断され,自分も孫と似ているから発達障害ではないかと受診する壮年期以降の患者もいるという.
これまで気づかなかっただけなのかもしれないが,ここ数年,「もの忘れ外来」に発達障害をもつ人が受診することが増えているように思う.多くは50〜60歳代で認知症では若年層に当たる.症例を呈示する.なお,本報告において,本人から文書で同意を得るとともに,プライバシー保護のため一部改変した.50歳代の男性であるが,他県に出向時に仕事の手順や注文内容を忘れるなどのミスが増え,認知症が疑われて受診した.認知機能の低下はそれほど目立たなかったが,職場で安全管理を怠るなどして解雇された.脳MRIでは楔前部や後部帯状回の萎縮,脳血流SPECTでは頭頂葉の集積低下を認め,若年性アルツハイマー型認知症(EOAD)と矛盾しない所見であった.EOADとして治療を開始したが,数年経過しても認知機能低下が進行しないことからPiB-PETを施行したところ陰性であった. その後,上記の症状が出現したときは,慣れない出向先で上司の要求が厳しくて仕事が嫌になっていたと話すなど適応障害の様相を呈していたことが判明した.また,子ども時代には静かに座っていなければならない状況で動き回ったり,就労後も講習会などでじっと座っているのが苦手であることなどが明らかになった.ADHDの自己記入式症状チェックリスト・パートAが陽性であり,ADHDの可能性があると考えている.ADHDにおけるワーキングメモリ(WM)の障害は高齢になっても持続し,加齢の影響も加わり,日常生活の問題解決が困難になる可能性があることが指摘されている(Thorell LB, et al., Eur Psychiatry, 2017).また,神経変性疾患による軽度認知障害と類似の症状を呈することから,「もの忘れ外来」を受診することが多いと考えられる.ADHDの脳画像において小規模ながらコホート研究がある.小学校時代にADHDと診断された少年をフォローアップし,41歳の時点で脳MRIを施行した結果,健常者に比べて頭頂葉の容積が小さかったことが報告されている(Proal E, et al., Arch Gen Psychiatry, 2011). 画像所見がEOADと共通する可能性があり,子ども時代の情報が得られないと,初期には鑑別がむずかしいかもしれない.また,ASDでは社会的コミュニケーションの障害と常同性やこだわりなどが特徴として挙げられる.これらは認知症,とくに前頭側頭型認知症の症状と一部重なる.ASDの診断にも,発達早期から症状が存在していることが必要とされ,ADHD同様に子ども時代の情報が得られないと,初期には両者の鑑別がむずかしい場合もあるだろう.いずれにせよ,認知症と鑑別を要する疾患にADHDやASDなどの発達障害も忘れてはならない.
2016年に施行された改正発達障害者支援法では,乳幼児期〜高齢期まで切れ目のない支援が求められている.高齢者ではこれまで多くの苦労があったにちがいない.支援のためには,実態を把握することが必要であるが,高齢者では前述したように発達障害の診断がむずかしい.また,ADHDに関しては小児期に診断された人と青年期に新たに診断された人では,特徴に違いがみられることが報告されるなど,ADHDの多様性も指摘されている(Agnew-Blais, et al., JAMA Psychiatry, 2016).ASDはさらに複雑で多様であると考えられる.当面は,小児期あるいは青年期/壮年期に発達障害と診断された人の老化のプロセスを丁寧に追っていく必要がある.発達障害をもつ人が老年期にどのような特徴を呈するのか.認知症になりやすいのか.認知症になった場合は発達障害をもたない人と違いがあるのかなど解明しなければならない課題が多い.高齢者を対象とした神経心理学的研究や脳画像研究はまだ少なく,老年期までの大規模なコホート研究が必要であろう. 2018年に開催された第33回日本老年精神医学会では,児童精神医学の専門医である内山登紀夫先生からASDに関する教育講演があり,さらに発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.


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