2019/12 老年精神医学雑誌Vol.30 No.12
大学病院精神科における認知症診療の重要性
門司 晃
佐賀大学医学部精神医学講座
2011(平成23)年7月より現在の勤務先の佐賀大学(以下,当学)に異動し,翌年11月より精神医学講座を担当してから約8年間が経過した.
前任地の九州大学では,脳神経内科と精神科が共同して,認知症疾患に当たる体制が先々代の田代信維精神科教授時代から構築されており,九州大学病院が福岡市認知症疾患医療センターとなった当時,センターの臨床実務は大八木保政准教授(現・愛媛大学医学部脳神経内科教授)と筆者が担当し,現在に至るまでもそのスタイル(脳神経内科と精神科の共同診療体制)は継続されている.
現在,当学でも若干スタイルは異なるが,認知症疾患医療センター長でもある,原英夫脳神経内科教授(九州大学脳神経内科出身)の了承のもと,脳神経内科と精神科が認知症疾患医療センターを共同で運営する形式となっている.定期的に脳神経内科・精神科合同カンファレンスを行い,地域のかかりつけ医向けの認知症研修会なども共同で開催している.認知症疾患を診るうえで,脳神経内科が得意とする精緻な神経診察技術に基づく系統立った診断プロセスは,除外診断を含めた正しい認知症診断に到達するために必須のものと考えられる.また一方で,診断がついたあとの長期的なケアのあり方や,しばしば遭遇する認知症に伴う行動・心理症状(behavioral psychological symptoms of dementia ; BPSD)への対応は,精神科がより得意とするところと考えられる.現実的にBPSDが著しい場合には,閉鎖病棟での一時的な治療管理も必要となるわけであり,大学病院の精神科病棟利用はもちろんのこと,近隣地域の精神科病院と日頃から交流のある精神科が認知症診療に携わる利点が生きてくることになる.
以上述べてきた点を考慮にいれると,九州大学や当学のように大学病院の認知症疾患医療センターを共同運営し,認知症疾患を脳神経内科と精神科の異なる立場から診るようなスタイルは,本来的にはあるべき姿なのかもしれない.しかしながら,筆者の知る限りでは,このような脳神経内科と精神科の共同診療体制をとっているところは必ずしも多数派ではないようである.なぜこのようになってきたのかについての経緯は不明であるが,医学が進歩していく過程において,それぞれの分野が高度化・細分化される流れにあることは必然的なことであり,その結果として,講座担当者の専門性に対応するかたちで,脳神経内科と精神科の共同診療体制がつくれるところとそうでないところが出てきたのかもしれない.
しかしながら,認知症疾患医療センター開設施設については,地域の精神科病院が全国的にその中心となっているのが現実である.また,今後わが国では,患者数が1000万人を超えるかもしれないと予測されている認知症疾患は,地域医療のなかですでに大きな問題となっているし,医学生や研修医の精神科教育のなかでも統合失調症や気分障害と並んで認知症疾患が最重視されている.したがって,精神科がその地域の大学病院のなかで認知症疾患の診断・治療に今以上に積極的に携わるとともに,大学内に認知症疾患医療センターが設立されている場合には,主体的に運営に関与するべきではないかと考える.
筆者もいわゆる一地方大学に籍をおいている立場として,教育・研究・臨床などに関するさまざまな役割について,大学病院のスタッフ数に見合う以上の期待や要求がされている現状は知悉しているつもりである.しかしながら,家族とともに患者さんの生活を息長く多職種で支えていく,精神科に伝統的になじんだ医療のあり方は,認知症疾患の診療のための最適な特質であると考える.
今後,多くの若い精神科医は大学病院で精神科医としての生活をスタートすると思われるが,そこで体験した認知症診療の実際の経験をもとにして,将来的に認知症基礎研究を始めようとする者も出てくるかもしれない.治療法開発という点では.現時点でやや停滞気味の認知症基礎研究にブレークスルーをもたらす者が,彼らのなかから出てくるかもしれない.これまで以上に大学精神科が認知症疾患の診断や治療に参画することを期待して拙文を終えることとする.


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2019/11 老年精神医学雑誌Vol.30 No.11
喜ばしき老年精神医学
金野倫子
埼玉県立大学保健医療福祉学部共通教育科
これまで医学生や専門家を対象にして話すことが中心でしたが,コメディカルや一般の人にお話をする機会も最近はかなり増え,疾患や治療の現在を解説するだけではなく,老年期全般を視野にいれたお話を依頼されることも多くなりました.しかし,「老い」を俯瞰して語るのはどうにも気が引けるため,結局,老年精神医学や関連領域におけるさまざまな知見や視点を並列して紹介するかたちに落ち着くことが多いです.
先日,とあるシルバー大学に招かれて,「加齢による心身の変化について」という題目でお話をする機会がありました.ここの受講生は,年間数十回にわたる講義を受け,認定されると卒業証書が授与されます.クラブ活動も自分たちで企画運営するようで,私が訪ねて行った日は,午前中に講義,午後にはクラブを立ち上げ,各人がどこに参加するかを決めることになっていました.ウォーキング,カラオケ,工場見学……,受講生たちはクラブ選びに余念がなく,講義前から気もそぞろという雰囲気が伝わってきました.
講義は,加齢による全般的な身体の変化の解説から始めたのですが,会場は薄暗く,受講者の反応も乏しいように感じました.「まあ,私の話はクラブ活動の前座みたいなものだろうし」とやや投げやりな気持ちになりかけたころ,資料に目を落としていた受講者の何人かが昂然と頭を挙げ,大きく何度もうなずく様子が見えました.
そのときは,加齢による知的機能の変化についての解説の最中だったのですが,彼らは流動性知能や結晶性知能に分けた場合の加齢性変化の対比などよりも,知的機能が現在の神経心理検査バッテリーだけで十分に測定・把握できるとは限らない,という但し書きのような私のコメントに反応し,わが意を得たりという表情を浮かべたのでした.
「老い」について思索を深めた人は,古今東西数えきれないわけですが,古代ギリシアの哲学者,アリストテレスもそのひとりです.『弁論術』1)においては,老年の性格特徴の記述がみられます.「なに一つ確言することはない」から始まり,「心が狭い」「臆病である」「よく愚痴をこぼす」,そして「生への執着が強い」「憤りは燃え上がりやすいけれども,力がない」「憐みを感じやすいが,人間愛によるのではなく,自分の弱さによる」等々,容赦ない指摘が続きます.江戸時代の臨済宗の僧,仙豪`梵の「老人六歌仙画賛」という禅画を思い出させますが,洒脱な絵のお陰か,仙高フほうはもう少し救いがあります.アリストテレスは,このような観察から始まって,「老い」の根本を「乾燥」と「冷え」に据え,「老い」のメカニズムを探求していきます.彼にとって,精神は身体の一つの側面であり,観察されるべき自然現象であり,そして「老い」と「病」はほとんど同じものであったようです2).
ギリシア哲学のもう一方の雄,プラトンは,生命と知性の本質的特徴は運動と考え,この運動を魂と呼び,自然に対して働きかける存在としています.ここから展開して魂と身体のそれぞれの運動の調和という考えに到達し,さらに「よりよく生きる,よりよく老いる」という,自然のプロセスに能動的に働きかける「老い」を描いているようです.アリストテレスとプラトンを対比して読むと,「老い」に関する捉え方は,たとえ自然科学の装いをとっていても,現在でもわれわれはこの2つの考えの間で行ったり来たりしているように感じられます.
おそらくあのときの受講生たちも,それまでの流れが加齢によりなすすべなく認知機能が低下してくる,というふうにアリストテレスの視点ばかりを強調した話に感じられ,「老い」を能動的に生きていくというプラトン的視点を私の話のなかに見いだしたくなったのではないかと思いました.
認知症診療に携わっていると,脳の病理的変化と実際の認知症発症や進行が必ずしも並行しない症例にしばしば出会います.認知予備能といった考えなども脳と精神現象の間にあるこの謎の隙間に着目していると思われます.ここしばらく,認知症と睡眠の関係について着目してきましたが,メリハリのきいた休息活動リズムのなかにあれば,たとえ認知症の病理が進んでいる脳であっても,最大限の機能を発揮することができるのではないかと考えています.もしかしたら,これもプラトン的視点を求めてのことかもしれません.
 
今月号の特集である「認知症の遺伝子研究のこれまでとこれから」.ここには2人の哲学者がどのように配されるのでしょうか.

[文 献]
 1)アリストテレス(戸塚七郎訳):弁論術.岩波書店,東京(2018).
 2)瀬口昌久:老年と正義;西洋古代思想にみる老年の哲学.名古屋大学出版会,名古屋(2011).


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2019/10 老年精神医学雑誌Vol.30 No.10
認知症を患った人の在宅医療
大澤 誠
医療法人あづま会大井戸診療所
認知症を患った人をかかりつけ医として診ていると,看取りの機会が増えてくる.1987年の開業以来,多くの認知症を患った人の看取りをしてきた.その人たちが認知症を発症する前からの出会いが多い.
Aさんもそのうちの一人で,糖尿病で当院に外来通院していたX-6年2月,自宅で転倒して左大腿骨転子部骨折受傷.B病院にて手術・リハビリ実施後,退院して6月に自宅復帰.理学療法士(PT)による訪問リハビリに加え,X-1年6月からは訪問看護利用開始.身体管理と意欲の向上に努めていた.家族とともに定期的に外来受診中であったが,徐々に下肢筋力低下は進み,X年1月,再度転倒して右大腿骨頸部骨折受傷.やはりB病院にて手術・リハビリ実施後,同年4月,退院して自宅復帰.退院後しばらくは食思不振,呼吸苦があり,在宅酸素療法を実施していたが,しだいに改善.それでもベッド上の生活を余儀なくされた.その前後から活発な幻視が生じ,覚醒レベルの変動,REM睡眠行動異常症(RBD)があり,レビー小体型認知症と診断した.そのAさんが,X+2年4月に亡くなった.享年95であった.以下は,その奥様が筆者にくださった介護生活の振り返りの絵手紙からの抜粋である(以下,個人が特定できないよう,内容が伝わる範囲で一部を改変した).
 「大正・昭和・平成の3時代を生きて,新年号“令和”になる直前の旅立ちというのも,主人らしい人生の区切りのつけ方かなと思います.院長先生,スタッフの皆様,そして大井戸診療所の皆様,長い間本当にありがとうございました.心から御礼申し上げます.
 今から約8年前,左大腿骨骨折で入院・手術.退院後,“訪問リハビリ”を手配していただき,大井戸診療所とのご縁が始まりました.それからは週2回の“訪問リハビリ”のお陰で,杖を使いながら,近所を,時には前方に続く土手を散歩したり,娘の運転で外出したり,通院したり,主人にとっても比較的平穏な数年を過ごせたと思います.
 やがて訪問看護も始まり,多分無理……,と思っていた“通所リハビリ(デイケア)”も“武者修行”という先生の絶妙なタイミングでの“名言”に思わず主人も…….私どももとても助かり安心しました.
 気がかりだった自宅での入浴も何とかクリアでき,ほっとした2年前,2度目の骨折で3か月余の入院中に肺炎になり,『今晩か明日にでも』と言われ,ストレッチャーで必死の覚悟の退院.先生はじめスタッフの皆様のお陰で奇跡の回復を果たし,のちのち『あのときはねえー』が合言葉のようになりました.
 別室のエアコンが毀れ,急遽,3人1室の生活が始まりました.そんなころに“レビー小体型認知症”の不思議な世界が出現するようになりました.あるときは,以前と変わらず会話も通じて,昔のまま平常心でいるかと思うと,ある日は“レビー小体型認知症”の世界に住み,私たちとは話が噛み合わず,とんちんかんで笑うこともたくさんありました.
 天井に映る画面を追って『さっきからずっと観ているんだ』と言ったり(映画みたい),気の合った“オヤジ”がたびたび登場したり.犬や猫たちの餌を気にかけ,『さっきあげといた』と言うと安心.子どもが大勢来て『今ラーメン作ってやるからな』とか.
 東京からこの地に住んで約30年経ち,主人にとって初めての土地群馬を, 『空気がおいしい』と気にいってくれました.そして,家にいるのが好きな主人がいちばん望んでいたこと (改めて話し合ったことはないけれど) が実現できたことは, たいへん幸せだったと思います.
 なによりも,院長先生,そしてスタッフの方々とのご縁に恵まれたこと.24時間365日体制の訪問看護に支えられた家族の安心感と信頼.そして,娘と“二人三脚”で頑張れたこと.いつも隅々まできめ細かく配慮対応してくださった院長先生.お陰様で“幸せな在宅介護生活”を過ごすことができました.主人も幸せだったと思います.たくさん“想い出”も残してくれました.
 これからも娘と2人で仲よく,時々は主人が住んだ“レビー小体型認知症”の不思議な世界を紐解いてみたり,楽しいこと,人生の不思議を探してみたりして生きたいと思います」
この手紙に心癒されながら,原稿を書いている今も,発症してから19年,関わり始めてから12年になろうとする82歳のアルツハイマー病の女性の最後の時が近づいてきている.老衰という診断名が,脳血管疾患を抜いて死因の第3位になったとのことだが,筆者の死亡診断書のなかの死因では,悪性新生物・老衰に次いで,アルツハイマー病やレビー小体病等の認知症が第3位を占めている.冒頭にもふれたが,かかりつけ医をしていると,その発症前後から看取りまで,認知症を患った人と,そのご家族に寄り添うことが増えてくる.その長い道程の後半においては,あえて“(人生)会議”を開かなくともアドバンス・ケア・プランニング(ACP)が醸成してくる.そして,本誌をご覧になっている多くの先生方と少し違った認知症の景色を眺めることとなる.


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2019/9 老年精神医学雑誌Vol.30 No.9
既存の抗認知症薬は必要(有効)なのか?
兼田康宏
翠松会 岩城クリニック
現在,わが国でアルツハイマー型認知症への適応をもつ治療薬には,コリンエステラーゼ阻害薬(ChEI)3剤(ドネペジル,ガランタミン,およびリバスチグミン),そしてN-メチル-D-アスパラギン酸(NMDA)受容体拮抗薬1剤(メマンチン)がある.これら抗認知症薬は最新の診療ガイドライン3)においても,「有効性を示す科学的根拠があり,使用するように勧められる」とある.
しかしながら,2018年8月,フランスでは保健省が専門委員会の提言を受け,同国内で承認されている抗認知症薬の保険償還を停止して,全額自己負担とすると公表,「アルツハイマー型認知症の治療に関するベネフィットを示すエビデンスと害のバランスを再評価した結果,健康保険の適用を正当化するには不十分と判断した」との見解が示された.
このような動きの背景には,抗認知症薬自体のもつ特性(認知機能を改善させるというよりも,むしろ悪化を遅らせる効果が実感しにくい)も関係するのかもしれない.だが,それ以上に,抗認知症薬を使用するわれわれ臨床家の認知症診断と治療の実力が試されているのではないだろうか.
抗認知症薬の効果を最大限発揮させるには,まずは,早期発見.これにより,当初の良好な認知機能を,たとえよくするとまではいかなくても,できる限り長く維持させることが重要である.介護認定審査会の委員として主治医意見書を目にする機会があるが,いまだに認知症が見逃されていたり,診断されていても抗認知症薬が投与されていなかったりするケースが散見されるのはたいへん残念なことである.さらなる啓発活動が必要であろう.
ただし,早期の診断は必ずしも容易ではない.Biologicalなデータが認知症を示唆していても,日常生活に支障が出ていなかったり,逆に,日常生活に支障が出ているが,biologicalなデータが認知症を示唆していなかったりする場合があるからである.このようなときには,ある程度の期間経過を慎重に観察していく必要があるのはいうまでもない.とくに自動車の運転免許がかかわっていれば,なおさら診断には気を遣わなければならない.なぜなら,現時点では運転技術に必要な能力の有無にかかわらず,認知症と診断されれば,都道府県の公安委員会により運転免許が取り消されることになるからである.したがって,軽度認知障害(MCI)か認知症初期かの判断に迷った場合,通常は治療を優先するのであるが,運転免許をもっていることで二の足を踏むこともある.
次に,治療であるが,既出の診療ガイドライン3)によると,軽度の場合は,まずChEIを1剤選択する.その後,第1選択薬が「効果なし」「効果不十分」「効果減弱/副作用あり」の場合,他のChEIに変更するとある.たしかに,既存の抗認知症薬には,ある程度の効果は期待できる.しかしながら,効果があるといっても,第1選択薬で投与初期の認知機能のレベルを維持できるのは長くて2年程度である.したがって,その後の認知機能の低下をできる限り抑制し,将来起こりうる行動・心理症状(BPSD)の予防や介護負担を回避するためにも,漫然と治療を継続するだけでは不十分である.治療開始後,定期的に認知機能をモニタリングし,限られた抗認知症薬4剤を効果的に使いこなすことが求められる1).治療に関していえば,ChEIの増量やChEIとメマンチンとの併用のタイミングに関するエビデンスは限られており,今後ChEI同士の併用やガランタミンとリバスチグミンの高度認知症への使用の適否も含めて検討の余地があろう.
ただし,MCIでの抗認知症薬投与には慎重でありたい.なぜなら,「抗認知症薬の認知症発症予防効果は依然不明である」「MCIは認知症ではないので抗認知症薬投与は適応外処方となる」,さらに「抗認知症薬服用中は自動車の運転ができなくなる」,などの理由からである.
残る課題のひとつとして,抗認知症薬をいつまで続けるかである.診療ガイドラインに即していえば,効果がある限り続けることになる.議論の余地はあるものの,抗認知症薬投与中止の一つの目安として,認知症が進行した末での全介助状態などが考えられる2).
以上より,当分の間,新薬の期待ができない状態にもあり,ますますわれわれ臨床家は既存の抗認知症薬4剤を賢く使うことが求められている.

[文 献]
 1)兼田康宏,中村 祐:コリンエステラーゼ阻害薬とメマンチンの併用およびコリンエステラーゼ阻害薬同士の切替がアルツハイマー型認知症の認知機能に及ぼす影響.老年精神医学雑誌,30 (5):541-549 (2019).
 2)中村 祐:アルツハイマー病治療薬はいつまで投与すべきか? 精神経誌,111(1):43-48(2009).
 3)日本神経学会(監),「認知症疾患診療ガイドライン」作成委員会(編):CQ6-7 Alzheimer型認知症の薬物療法と治療アルゴリズムは何か.認知症疾患診療ガイドライン2017,第1版,224-229,医学書院,東京(2017).


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2019/8 老年精神医学雑誌Vol.30 No.8
認知症診療における診療情報提供書
前田 潔
神戸学院大学,神戸市認知症対策監,神戸大学名誉教授
認知症の人を診療していると書類の作成が多いのに閉口する.長く,緊張を強いる診療がやっと終わったあとに,山のような書類作成が待っている.そのうちのひとつに介護認定のための主治医意見書の作成がある.私は最近,神戸市医師会から依頼があり「主治医意見書研修会,精神科領域編」の講師をすることとなった.精神科領域編というのは認知症の人の主治医意見書のことである.すでに講師用にパワーポイントが作成されていて,それに沿って講義すればよいのでむずかしくはないが,それを勉強していくと,今まで私自身がいかにいい加減な主治医意見書を書いていたかに気づかされ,汗顔の至りであった.講師をして知ったことであるが,意見書の最後の自由記載のところは最も気を遣って書かなければいけないということがわかった.要介護認定の判定委員はここから介護の手間のかかりようを読み取るのだそうだ.しっかり記載しなければ介護の手間が適切に評価されず,患者やその家族に不利益になる.
関係書類の作成は認知症診療に限ったことではない.認知症以外の精神疾患を診療する精神科医師も,自立支援医療の書類の作成などがあるが,認知症の場合は作成する書類が比較にならないほど多い.私は認知症疾患医療センターで外来診療をしている.ほとんどすべての患者が紹介患者である.ということは診察結果を紹介医に報告する必要があるということである.診察結果の報告をするとき,電子カルテでは診療情報管理料(一次返事,二次返事,最終返事)などがあって,いろいろと選択するようになっている.診療報酬が算定できるかとか,逆紹介などが関係するのであろうが,恥ずかしながら私はその違いがよくわかっていなくて,そのたびに側についている医療クラークに尋ねて,言われるままに書類を作成している.
認知症疾患医療センターで診療していると,「認知症専門診断管理料1」は,700点が算定できる.これを算定するためには,認知症療養計画書を作成して,それに基づいて診察結果などを説明し,家族(あるいは本人)の署名をいただかなければならない.実に診療中にこの療養計画書を作成する時間をとるのは困難なことである.
一方で電子カルテは“copy&paste”ができることから,診療情報提供書(以下,提供書)を記載するときには便利である.私は診察結果などをまとめたあと,「以下は診療録のコピーです.参考にしてください」として診療録を提供書に貼りつける.そこには診断に至る経過や治療方針についての検討過程も記載されている.診断に至るまでの留保なども紹介医に理解していただけるかなと期待している.ただ,そうするとかなりしっかりと診療録に記載しなければならない.診療録をしっかり記載するということはよいことであるが,いきおいパソコンに向かって入力する時間が長くなり,患者からは,「パソコンのほうばかり向いて診療している」というクレームにつながる.
最近,介護老人保健施設(以下,老健)の相談員をしている社会福祉士の人と話をする機会があった.老健の相談員は入所を決定する権限をもち,医療機関から老健に入所依頼があると,入所の可否を判断する.つまり,医療機関からの「入所依頼書」を受け取る立場にある.その人によると,ある医療機関の紹介状はすばらしいという.高齢者で入院中の人が退院して老健入所となるが,その医療機関から送られてくる「診療情報提供書」がすばらしいというのだ.その提供書を読むと,その人がどういう人で,どういうケアを提供したらよいのかが詳細に記載されており,その入所者のことがよく理解できて,非常に参考になるというのだ.私も紹介医に診察結果を提供書に記載して送ると,時々「詳細な報告をありがとう」と礼を言われることがあり,一人悦に入っているが,本人がどういう人であり,どういうケアを希望していて,どのようなケアが必要であるかまでを記載した報告書は作成していない.
認知症専門医は,「この人は認知症です,原疾患は〇〇です,現在の認知機能障害の程度は△△△です」と紹介医に報告するだけで事足りるとするのではなく,認知症に詳しくない紹介医に対しては,どのようなケアの提供がその人の意思を尊重し,周囲の者がその人が望む生活を支援することができるのか,そんな医療,ケアの提供に役立つ情報提供を行うべきであろう.そのためには緻密な観察と深い洞察が必要であろう.医療,ケアからの観察だけでなく,その人の全人的な理解が必要となってくるであろう.認知症の人の診療情報提供書は単なる診療結果の報告でなく,その人の生活を支援するための情報提供がなされなければならないと思う.


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2019/7 老年精神医学雑誌Vol.30 No.7
認知症の人への姿勢
中山寛人
医療法人水の木会 下関病院
数年前,地域の病院職員対象の講演会で「しゃべることのできない,反応もない認知症患者に話しかける意味はあるのですか?」と質問されることがあった.このときは明確な答えを返すことができず,もどかしい思いのまま講演会は終了した.その後もこの質問は私の心に引っかかったままである.
いまさら議論するまでもなく,認知症の人の尊厳を大切にすべきであるのは当然のことである.多くの医療・介護施設の理念や教科書にも記されているところだが,尊厳を大切にするとはどういうことなのか? “尊厳”を辞書で調べると「尊く厳かなこと」「気高く侵しがたいこと」とある.つまり,ある人が尊厳を感じ取れるということは,その人自身が自分の存在価値を感じることができるということだろう.取り巻く環境との関係性が大きな影響を与えるのではないだろうか.
しかし,認知症の発症・進行とともに,自分自身の大きな偏見や誤解に飲み込まれたり,自己実現が困難となったり,情緒的な意味合いも含めた周囲との関係性も希薄となり,自分の存在価値,つまり尊厳が傷つけられる状況に陥りやすいのではないだろうか.経緯はどうであれ,病院にようやくたどり着いた認知症の人に対して,「何度言ったらわかるの?」「そんなことしたら退院させないよ」といった言葉は発したくはない.すでに十分すぎるほど傷ついている人を,さらに傷つけることになってしまう.このような関わり方は,そもそも認知症の人を支援する職種に就いている者としてあるべき姿ではないし,自身の職業人としての尊厳をも傷つけかねない.
傷ついた尊厳を癒すためには,やはり関係性を結び直したい.そのためには,まず話を聴くことから始めるべきだと考える.私たちと出会うまで,その認知症の人がどのような状況にあったのか,どのような経緯で今に至るのか,今をどう思っているのかを知ろうとする姿勢をもつべきだろう.私たちは職業上,指示することに慣れており,だからこそ話を聴くことには慣れていないかもしれないが,そのことを自覚して,認知症の人が語っても許される場を提供したい.語ることで認知症の人は前に進むことができるだろうし,語りを聴くことで私たちはその人の主観的世界に少しでも近づくことができるだろう.主観的世界に近づくことは,その人のニーズを知ることになる.専門職・支援者自身が“自分事”と考えるきっかけにもなるだろう.そして,“自分事”をエッセンスとすることで,私たちの支援はよりよい方向に向かっていくだろう.
ここで,「語ることのできない高度認知症の人に話しかける意味があるのか?」という冒頭の質問に戻るが,逆に話しかけないとどうなるだろうか.側にいるのに,まるでその人がいないかのように振る舞う.なにも話しかけずに,あるいは流れ作業的な声かけで返事を待たずに,なにかしらの処置や介護を行う.認知症発症前にこのような対応をされることがあるだろうか.認知症になったら,このような関わり方をされることが周囲に特別に許可されるのだろうか.
声をかけられないと,その人はそこにいないのと同じである.穏やかな眼差しを向けられ,話しかけられ,触れられることで,初めてその人はそこに存在することになる.さらに,生きてきた歴史を知ることは,私たちのなかで時間的・空間的な広がりをもって,その人がありありと存在することにつながるだろう.意思表出の乏しい認知症の人であるからこそ,彼らが歴史的連続性をもった価値ある人間であると,私たちが話しかけて触れて示し続ける必要があるだろう.そして,目の前の認知症の人をおもんぱかろうとする姿勢をとり続けることで,認知症の人や自分自身について,それまで気づかなかった新たな一面を発見することも少なくない.認知症の人との新たな出会い,認知症の人と私たちとの間の新たな関係性,さらに私たち専門職・支援者自身のあり方の新たな気づきが生まれる可能性がある.その気づきが新たな絆を生むだろう.
だれかから大切にされていると実感できなければ,その人の尊厳は傷ついたままである.地域への啓発が進み,認知症への理解も深まってはいるものの,個々の認知症の人たちをみると,地域から排除の危機にさらされている現実を目の当たりにすることも少なくない.さまざまな技術が進歩し,かたちのうえでの連携が構築されていっても,尊厳が傷つけられる社会にあっては,認知症とともに生きる地域社会の創生ははるか遠い彼方だろう.目の前の認知症の人の尊厳に思いを寄せることは,ひいては社会のあり方を考えることにもつながる.根治的な治療薬がないなかでニヒリズムに陥ることなく,私たちの専門的な知識や技術をどのように使うのか,私たちはなにをする人であるのか,常に考えていきたいものである.小さなことかもしれないが,手の届く範囲で,今後もこのような姿勢をとり続けていきたい.


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2019/6 老年精神医学雑誌Vol.30 No.6
その人をみる
長濱道治
島根大学医学部精神医学講座
私が島根大学医学部精神医学講座に入局した際,先輩医師から「10年後には,自分の専門がこれだと言えるように頑張りなさい」とアドバイスをいただきました.
あれから10年以上が経過し,浅学ながら日本老年精神医学会の専門医を取得しました.この「巻頭言」を書くにあたり,若手(中堅?)の一精神科医として,また,老年精神医学の一専門医として,若輩者ではございますが,老年精神医学に対する自身の想いについて振り返ってみようと思います.
 
私は,若いうちから自分の専門分野を老年精神医学と決めておりましたが,幸いにも「もの忘れ外来」を早くから担当させていただきました.また,日本老年精神医学会に関する仕事も多く経験させていただきました.
老年精神医学を専門にして,認知症の患者と出会う機会が増えました.認知症に対する治療は,薬物療法よりも,むしろ非薬物療法・ケアが重要になります.薬物療法はあくまでアイテムであり,「その人らしさ」あるいは,その人の残存している生活能力を高めることが大切だと思います.
われわれの教室では,常々「とにかく,その人(患者)をみろ,一例一例を大切にしろ」と指導されます.「その人をみる」とは,「(自分の担当した)ケースを大事にする」ということです.そのためには,「その人をみる(診て勉強する)」ことに尽きますが,認知症に限らず,とくに高齢者では,その人の年齢の数だけ「歴史」があるはずです.まずは,その人がしっかりと生きてきた「歴史」を知り,普段のささいな言動や日常生活の小さな変化をみていくことが大切です.
改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R),Mini-Mental State Examination(MMSE)などで評価された認知機能障害と,臨床的な認知症の重症度や行動・心理症状(BPSD)の出現は,必ずしも関連するわけではありません.実際の現場では,認知機能障害と生活障害とはパラレルなものではないことは,よく経験することですが,認知機能障害がありながらも,ふとした生活場面に「その人らしさ」がみられ,そこに治療・ケアのヒントを見いだすことをよく経験します.治療・ケアを実践する医療従事者や家族の観察力は,とても重要でありますし,多職種で知恵を持ち寄って,「あの手この手」でかかわりを積み重ねていく努力がこれからも必要となっていくはずです.
認知症診療においても,他の精神疾患と同様に,患者によってみられる症状や治療経過が違うため,時に診断確定に時間を要することがありますし,認知症の診断が確定したとしても,認知症そのものを根治させることはできません.医師一人の力だけでは,目の前にある患者・家族が抱えている問題を解決することはできません.前述のように,多職種による力が必要であり,皆で「あの手この手」の知恵を持ち寄って,「治療経験」を積み重ねていくしかありません.
高齢者は,多くの経験を積んでおり,生活の知恵が豊富であり,私がこれまでもっていた高齢者に対するイメージ以上に「力」があります.認知症患者に対して,「人生の先輩」として,とにかく,その人に触れ,その人の話(訴え)を聴き,その人の「歴史」を知る,さらにそこから(その治療経験から)多くのことを学び,日々,勉強していくことが大切だと考えます.
また,これからの診療においても,こうした老年精神医学を専門にしている先輩医師から教わったことを忘れず,先輩医師の診療スタイルから多くのことを吸収し,そして自身の診療(実践)に活かし,やがて自身の経験から得られたものを後輩医師へ受け継いでいくことが今の専門医としての役割のひとつではないかと考えているところです.
 
2019年3月3日(日)に島根県松江市において,大会長として「一般社団法人 日本認知症ケア学会2018年度中国・四国地域大会」を開催させていただきましたが,私のこうした想いから,その大会テーマ,また,今回の巻頭言のタイトルを,『その人をみる』とした次第です.
 
最後に,自身のこれまでの診療ならびに老年精神医学に対する想いを振り返る機会を設けていただき感謝いたします.引き続き,ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます.


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2019/5 老年精神医学雑誌Vol.30 No.5
認知症疾患医療センターとして地域の課題を考えること
樫林哲雄
高知大学医学部神経精神科学講座,兵庫県立リハビリテーション西播磨病院
西播磨圏域認知症疾患医療センターは兵庫県の西部に位置しており,たつの市,赤穂市,相生市,宍粟市,佐用町,上郡町,太子町の4市3町の広範囲な圏域の診療を行っている.東は神戸市,西は岡山市の80か所以上のかかりつけ医から広く紹介がある.圏域内の高齢化率は地域差が大きく,山間部では40%を超える地域もある.当センターを受診した人は鑑別診断や認知症の行動・心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia ; BPSD)の治療を行い,診断や治療経過を踏まえて専門相談員が個別の専門相談を行い,必要に応じて介護保険サービスや介護保険以外の地域の社会資源への「つなぎ」を行っている.
わが国の介護保険制度は人口の高齢化に伴い費用の総額が,2000(平成12)年創設時の約3倍のおおよそ10兆円になった.さらに,2025年にはいわゆる団塊の世代すべてが75歳以上となり,2040年には団塊ジュニア世代が65歳以上になるなど,高齢化はさらに進展することが見込まれている.介護保険制度を取り巻く状況が変化するなかで,ここ数年で一般の人の自己負担限度額が引き上げられ,福祉用具貸与価格の上限が決められるようになった.さらに,制度の持続可能性を確保していくことを念頭におき,創設から17年後の2017年に介護保険法の改正が行われた.改定のポイントは「地域包括ケアシステムの深化・推進」と「介護保険制度の持続可能性の確保」である.前者は全市町村,都道府県,国が事業の実施状況の調査・分析を行って結果を公表することや,さまざまな取組みに対する財政的なインセンティブ付与の規定が整備された.また,新たな医療および介護を一体的に提供する「介護医療院」の創設や,地域のリハビリテーション活動を支援する事業等に対して都道府県が協力に務めることが明記された. そして,市町村では地域住民と行政の協働による包括的な支援体制の構築や,高齢者と障がい児者が同一の事業所でサービスを受けやすくするための共生型サービス事業所の設置など,地域共生社会の実現に向けた取組みが推進されるようになった.後者の趣旨は介護保険の財源の維持である.第1号被保険者の高所得層の利用者負担を3割負担にすることや,第2号被保険者で被用者保険(全国健康保険協会〈協会けんぽ〉,健康保険組合,共済組合)間の負担の差異を是正するために,従来は第2号被保険者数に応じて保険者が負担する納付金の額が決まる加入者割から,被用者保険間の報酬額に比例して納付金を負担する総報酬割に変更された.介護給付費の財源は,国が25%,県が12.5%,市町村が12.5%で,残り50%のうち第1号被保険者,第2号被保険者からそれぞれ22%,28%ずつ賄われる.国費25%のうち,5%は調整交付金で後期高齢者や低所得高齢者の数によって,市町村ごとに異なっている.3年間の保険料総額が決定され,第1号被保険者の保険料の基準額が決定される. 各市町村は向こう3年間(2018年4月〜2021年3月)の介護保険事業計画を策定して公開しているが,当然ながらサービスの利用量が増えるほど第1号被保険者の負担が高くなり,高齢化率が高い地域の被保険者負担料は高くなる.西播磨圏域隣接市町村では基準額が7,500円を超える地域もある(全国平均5,869円).圏域内でも高齢化率が高く人口減少が顕著な市町村では,基準額が高額になっていくことが介護事業所を増やすことを困難にしていることの理由のひとつかもしれない.そして,認知症の精神症状が悪化して利用していたデイサービスの継続が困難になると,その後の治療で改善しても,利用が再開できないことがある.この場合,他の事業所へ切り替えようとしても選択肢がない.在宅サービスの継続には家族の介護協力が影響し,独居や高齢者世帯の場合は施設入所や入院を選択せざるを得ないこともある.ここ数年は鑑別診断後に地域の社会資源へつなぎたくても,つなぎ先がないことも多くなっている.
高齢化に伴いさらに財源が厳しくなるなか,認知症疾患医療センターの専門医は正しい診断を行うことのみならず,現症を正確にとらえて生活上の支障を引き起こす原因を考察して介護者に伝え,適切な介護環境になるように連携を行うこと,BPSDの背景にある要因を推測して薬物治療や環境調整を行っていくことがより重要になる.限られたサービスからあぶれないように,より早期の診断と治療,BPSDへの早急な対応が必要である.環境調整については地域ごとに介護資源の情報を収集して,地域ごとの連携体制を構築していくことが求められる.また,専門相談員の知識と相談能力の向上,介護者や家族の教育,限りある施設で勤務する職員の教育に積極的に寄与していくこともまた重要であると考えている.


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2019/4 老年精神医学雑誌Vol.30 No.4
白衣認知症
三村 將
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
私が昔からよく知っている婦人Aさんが最近,かかりつけの内科診療所で認知症のスクリーニング検査を受けた.Aさんはこの診療所で血圧の薬をもらっている.どういういきさつがあったのかよくわからないが,たぶんまた睡眠薬を出してほしいと希望したのだろう.「また」と書いたのは,Aさんは日頃からよく眠れないと言っていて,以前その診療所で実際に睡眠薬をもらったこともあったからである.しかし,飲んでもあまり眠れるようにはならなかったし,むしろ日中ぼうっとするというので,もうもらわないことになっていた.私も個人的に相談を受けたことがあり,飲まないことにしましょうと話していた.しかし,おそらく診療所に行くたびに,主治医に「先生,睡眠薬を飲んだほうがいいですか?」と聞くものだから,認知症を疑われてしまったのだろう.
Aさんは今年90歳になる.多少のもの忘れはもちろんある.しかし,毎日の生活をみていて断じて認知症ではない.強いて診断するならば,軽度認知障害ではあると思う.かくしゃくとしていて,去年の今ごろ,家族とどこへ行ったとか,最近白内障の手術をして指示どおり右目と左目で違った目薬をさすのがたいへんだったとか,とてもよく覚えている.一人で暮らしていて,買い物も,かなり手の込んだ料理も,全部一人でやっている.くだんの診療所では,急に100引く7を聞かれて,「……93……86」で止まり,完全にあがってしまったようである.「先生,なにを引くんでしたっけ?」などと,どんどん悪循環に陥り,しどろもどろになってしまった.「今日は何日ですか?」と問われ,「さあ,毎日同じように暮らしているので……,あなたわかってる?」と同席していた長女に尋ねた.振り返り行動である.慣れた専門医でもアルツハイマー型認知症を疑うかもしれない.循環器系が専門の主治医はとどめに「神経内科を紹介しましょうか?」
Aさんはこのときのとても恥ずかしい思いをしたエピソードを1週間くらいしてから私に話してくれた.
「私もうだめになっちゃった」「元気なくなっちゃった」
長女も危機感を高め,
「普段できているでしょう.何であんなこと答えられないの.どうしよう」
だいたいにおいて,娘さんが母親を見る目は知らず知らずのうちに厳しいものになっていることが多い.
改めて考えてみると,Aさんのような人はまれではないと思う.むしろ認知症を心配して(心配されて)もの忘れ外来などを受診してくるのはそんな人だらけではないか.私はたまたまAさんの日頃の生活をよく知っていたから,認知症ではないと断言できるが,診察場面や検査中の様子というのはその人の日常生活のごく一部を切り取ったのにすぎない.というより,非日常といったほうがいいかもしれない.
そういう言葉はどうもないようだが,これは「白衣認知症」ではないかと考えている.私自身は普段家で測っていると血圧はむしろ低いくらいなのだが,なぜか年に一度の大学の健康診断では必ず血圧が高く出る.いわゆる「白衣高血圧」である.測ってくれる人も気の毒がって,深呼吸して,とか,急いできたからですかね,とか,声をかけてくれるが,言われれば言われるほど動転してしまう.とくに緊張している自覚はないのだが…….同じようなことが認知症にもあるのではないか.医師や心理士の前に出ると,とたんにしどろもどろになって,普段なら簡単に答えられることが答えられなくなる.普段の生活をよくみていないと思いがけない勘違いをしてしまうことがあるような気がする.これからは単身高齢者がもっと増えてくるので,その人の生活歴や日常生活の状況を踏まえて,総合的に判断していくのはさらにむずかしくなってくるように思う.
ところで,Aさんはもともと膝が悪いということで要介護認定を受け,要支援1になっていたが,改めて見直しのために訪問調査を受けた.そのときはすっかりしゃんとなっていて,ケアマネジャーさんの質問にもすべて的確に答え,膝が悪いのに片足立ちまでやってみせたようである.さりげなくデイケアを勧められても,「チーチーパッパは嫌です」とはっきり断ったらしい.要支援2になることはなさそうで,長女は逆の意味で頭を抱えた.さて,このような人にどのような介護支援をしたものだろうか.


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2019/3 老年精神医学雑誌Vol.30 No.3
母親たちの黄昏;子守唄との再会
河合 眞
河合メンタルクリニック
今はまだ春浅い季節だが,夏の初めの緑濃い黄昏時になると筆者は北ドイツの港町,ハンブルク郊外にあるハーゲンベック動物園で出会った老婦人のことを思い出す.毎日散歩に来ていると言う.シロフクロウの家族の檻の前で,「こっちがお母さん,そっちがお父さん……」とゆっくり唄うように話してくれたが,それは微笑みながらもどこか寂しげで自分に言い聞かせているようであった.おそらくこの婦人は一人暮らしなのだろう.伝統的な女性のあり方に従って子どもを育て上げ,独立させ,さらに夫をも見送ったのだろう.彼女はそこにかつての自分の家族の姿を重ね合わせているのではないかと思ったのである.
子育てを終えた母親たちが異口同音に言うのは,どんなにたいへんであったにしても「子どもの小さいころがいちばん幸せだった」ということのようだ.熱が出た,犬が寄ってきた,といった不安のたびに柔らかい小さな手でしがみついてくる.時にはわずらわしく思えてもその後数年,年齢が2桁にもなればそんな瞬間は望んでも得られない.その幸せだったころを偲ぶ子守唄は,「家庭」を喪失したあとの老年期を癒やし,幸せだった時代へと回帰させる.
かつて全国健康福祉祭大会である“ねんりんピック”の折,映画作家の大林宣彦氏も参加したシンポジウムは,“音楽で語る私の道程”というテーマで,音楽療法に携わる立場から筆者が選んだ曲は期せずして童謡が多くを占め,そのうちいくつかを挙げると年代順に,かつて親になったときの“七つの子”,初老期以降にさまざまな喪失感を味わっていく年代の“ずいずいずっころばし”,やがて出会うであろう「心の彼岸」を求める年代に至るころの“夕焼け小焼け”となった.
人生の節目節目で封印されていた幼児期の記憶は,これらの歌とともに呼び起こされることになる.どの音楽療法のセッションの現場でも,“七つの子”をバイオリンで弾き始めるとお年寄りの間から期せずして歌声が起こる.これは自分の幼い時というより,わが子の小さな時を思い出しているのかもしれない.「カラス,なぜ鳴くの?」とカラスに向かって呼びかけているように思えるが,実はこれは母と子の対話なのである.「あれ,カラスが鳴いているよ.カラスはどうして鳴くのかな」「カラスはどうして鳴くの?」「カラスは山にね……」「かわいい,かわいい」とゆっくりと繰り返すうちに子どもは少し眠くなってきて落ち着く.母親も安心して仕事にかかれる.
子守唄は母子関係にとどまらず,世代間のつながりを深める役割をもっている.
シンポジウムの当日,“ずいずいずっころばし”の曲が演奏されたが,会場全体,スタッフの誘導のもとに一糸乱れずに手拍子足拍子で合わせていった.このリズムと歌詞にお年寄りは年齢を重ねた今,庶民のたくましい生活感情をいくらかでも感じ取っているのであろう.
人は年齢を重ねていくにつれて必然的に失うものも多くなる.一方を選べば他方を失うのであって,自分の選択によらない不幸な喪失も否応なく増えていくわけである.これを乗り越えるうえでも,幸せだった若いころや,幼児期に帰るよすがとして歌の役割は小さくない.そして幼児期体験に回帰して終末を迎えるならば,これ以上のことはないと思われる.
いつのころからか音楽療法のセッションの締めくくりに“夕焼け小焼け”を歌うようになった.「遊び」の終わりにいかにもふさわしいので,ごく自然に定着したのである.お手手つないで帰る先に待っているのは,温かい灯影,夕食,そして母親である.はるかな昔から,生まれながらに現世の苦しみをなめてきた庶民にとって救いとは,いつか ―― それは死後のことである場合が多いが ―― 理想郷において安らぎを得ることであった.人が舞台を去ったあとには満月と満天の星という悠久の昔から変わらぬ大自然が残るのである.精神分析によれば人は胎内回帰願望があるという.とすれば人は静寂の水の中から生まれて外界の音の波動のなかに浸ることになるが,またそこに還っていくのだろうか.
筆者があまり深く考えることもなく選んだ童謡は,図らずも静寂から生まれる人の象徴としての「静」,躍動的な人の営みを表す「動」,そして終末を暗示する「静」に至る3曲となったが,これらはだれもが普遍的に心の底にもつ感情を想起させる曲であったのかもしれない.
ワーズワースの「幼き日々の思い出をうたった詩」(“Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”)にこのような一節がある.
 
草原の輝きも草花の栄光も
かえすすべなくとも哀しむことなかれ
残れる力を見いださん
 
ここには人が過去を振り返るときの感慨が将来への希望とともに語られている.子守唄もまた,人の過去の記憶を揺り動かすことはなかっただろうか.


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2019/2 老年精神医学雑誌Vol.30 No.2
温故知新
宮永和夫
南魚沼市病院事業管理者
最近,若年(性)認知症という言葉が流行っているためか,「若年性アルツハイマー病」という診断を目にするようになりました.通常は,アルツハイマー型認知症ですが,これはアルツハイマー病とアルツハイマー型老年痴呆(認知症)を同じ疾患として統一した際に,両者を含む診断名としてつくられたものです.前者は若年期ないし初老期の認知症を,後者は老年期の認知症を代表したものです.ですから,アルツハイマー病はもともと65歳以前にみられる初老期痴呆(認知症)に含まれていましたので,若年性をつけるのは余分と思うのですが,皆さんはどう思われますか.
ところで,アルツハイマー病の名づけ親はエミール・クレペリン(Emil Kraepelin)といわれています.彼はアロイス・アルツハイマー(Alois Alzheimer)たちが報告した症例と自験例をあわせ,「アルツハイマーの特殊群」としてまとめました1).この意味は,通常の年齢よりも早く発症した老化現象,いわゆる早発性老化(senile praecox/senium praecox)です.その後,「アルツハイマーの特殊群」は,「アルツハイマー氏病」となり,「アルツハイマー病」さらに「アルツハイマー型認知症」となりました.ただし,アルツハイマー病は,早発性老化(senile praecox)ですが,早発性痴呆(dementia praecox)ではありません.早発性痴呆の名づけ親もクレペリンといわれていますが,この言葉は破瓜病,緊張病,妄想病を統一した非器質性精神疾患の名称で,オイゲン・ブロイラー(Eugen Bleuler)が精神分裂病群と名づけ,現代は統合失調症(schizophrenic disorder)と呼ばれます. その点で,「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」以降話題になっている若年(性)認知症はearly onset/young onset dementiaと英語表記されますが,ドイツ流にいえばDemenz Praecox/dementia praecoxになり,なにやら統合失調症と混乱しそうです.なお,インターネットの百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」で検索したところ,早発性痴呆(Demenz Praecox)―― 今の統合失調症ですが,初めての報告例は,クレペリンでなくアーノルド・ピック(Arnold Pick)と記載されていました.クレペリンは当時,早発性痴呆(Demenz Praecox)を早発性(65歳以下の)精神的変調として,認知症に限らない広い概念で使用していたようです.
また,クレペリンが分類した早発性痴呆のなかのひとつに破瓜病(Hebephrenie)がありますが,カール・ルートヴィヒ・カールバウム(Karl Ludwig Kahlbaum)はこの言葉と対比させて,ギリシア語で「老人」を意味するpresbysを付け加えて,プレスビオフレニー(Presbyophrenie)というコルサコフ症候群様の器質性疾患を報告しています.このようにみていくと,dementiaに関連する言葉は,器質性と非器質性の区別も曖昧なものであるとともに,今の意味でいわれる認知症に限った使い方にとどまらなかった長い歴史があったようです.
ところで,「dementia」という言葉がいつから使われたのかを調べましたが,正確にはわかりません.またまたWikipediaの登場ですが,その検索では,共和政ローマの詩人で哲学者のティトゥス・ルクレティウス・カルス(Titus Lucretius Carus,BC99〜BC55)が精神的破綻・変容という意味でこの単語を初めて使ったと書かれていました.さらに,紀元後になると,老年痴呆/認知症(senile dementia)は,高齢者に起きた精神的変容(器質・非器質ともに)状態のすべての意味で使われ,クラウディウス・ガレノス(Claudius Galenus (Galen),130〜200)がmorosis(dementia)を老人にみられる精神障害であり,かつ脳の障害と述べたと書かれていました.
そして,dementiaが現在のように知的/認知機能障害という意味で使われ,定着したのは19世紀後半になってからのようです.今後,認知症はDSM-5で新たに名づけられたMajor Neurocognitive Disorderとなり,dementiaという単語は使用されなくなると思いますが,2000年以上も使われてきたこの言葉の意味や歴史は知っておいても損ではないと思いました.しかし,私のこの文章は単なる懐古趣味といわれるのでしょうか.に発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.

[文 献]
 1)エーミール・クレペリン(伊達 徹訳):〈精神医学〉5 老年性精神疾患.みすず書房,東京(1992).


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2019/1 老年精神医学雑誌Vol.30 No.1
発達障害と高齢者
林 博史
山形大学医学部精神医学講座
注意欠如多動症(ADHD),自閉スペクトラム症(ASD)などの発達障害は,幼少期にその特徴が明らかになる生来性の障害である.最近は,うつ状態などを呈して青年期以降に初めて精神科を受診して診断される人が年々増加し,一般精神科医も発達障害をもつ人を診察する機会が多くなった.精神科医はだれでも,患者を診立てるうえでパーソナリティの評価に加え,発達障害の視点が欠かせなくなっている.発達障害をもつ人もいずれは老年期を迎える.それまで医療機関を受診したことのない人たちでも,中年期以降に仕事や家庭で求められる役割の変化や加齢の影響が加わり,何らかの不適応を生じ,われわれのところを受診するかもしれない.最近は孫が発達障害と診断され,自分も孫と似ているから発達障害ではないかと受診する壮年期以降の患者もいるという.
これまで気づかなかっただけなのかもしれないが,ここ数年,「もの忘れ外来」に発達障害をもつ人が受診することが増えているように思う.多くは50〜60歳代で認知症では若年層に当たる.症例を呈示する.なお,本報告において,本人から文書で同意を得るとともに,プライバシー保護のため一部改変した.50歳代の男性であるが,他県に出向時に仕事の手順や注文内容を忘れるなどのミスが増え,認知症が疑われて受診した.認知機能の低下はそれほど目立たなかったが,職場で安全管理を怠るなどして解雇された.脳MRIでは楔前部や後部帯状回の萎縮,脳血流SPECTでは頭頂葉の集積低下を認め,若年性アルツハイマー型認知症(EOAD)と矛盾しない所見であった.EOADとして治療を開始したが,数年経過しても認知機能低下が進行しないことからPiB-PETを施行したところ陰性であった. その後,上記の症状が出現したときは,慣れない出向先で上司の要求が厳しくて仕事が嫌になっていたと話すなど適応障害の様相を呈していたことが判明した.また,子ども時代には静かに座っていなければならない状況で動き回ったり,就労後も講習会などでじっと座っているのが苦手であることなどが明らかになった.ADHDの自己記入式症状チェックリスト・パートAが陽性であり,ADHDの可能性があると考えている.ADHDにおけるワーキングメモリ(WM)の障害は高齢になっても持続し,加齢の影響も加わり,日常生活の問題解決が困難になる可能性があることが指摘されている(Thorell LB, et al., Eur Psychiatry, 2017).また,神経変性疾患による軽度認知障害と類似の症状を呈することから,「もの忘れ外来」を受診することが多いと考えられる.ADHDの脳画像において小規模ながらコホート研究がある.小学校時代にADHDと診断された少年をフォローアップし,41歳の時点で脳MRIを施行した結果,健常者に比べて頭頂葉の容積が小さかったことが報告されている(Proal E, et al., Arch Gen Psychiatry, 2011). 画像所見がEOADと共通する可能性があり,子ども時代の情報が得られないと,初期には鑑別がむずかしいかもしれない.また,ASDでは社会的コミュニケーションの障害と常同性やこだわりなどが特徴として挙げられる.これらは認知症,とくに前頭側頭型認知症の症状と一部重なる.ASDの診断にも,発達早期から症状が存在していることが必要とされ,ADHD同様に子ども時代の情報が得られないと,初期には両者の鑑別がむずかしい場合もあるだろう.いずれにせよ,認知症と鑑別を要する疾患にADHDやASDなどの発達障害も忘れてはならない.
2016年に施行された改正発達障害者支援法では,乳幼児期〜高齢期まで切れ目のない支援が求められている.高齢者ではこれまで多くの苦労があったにちがいない.支援のためには,実態を把握することが必要であるが,高齢者では前述したように発達障害の診断がむずかしい.また,ADHDに関しては小児期に診断された人と青年期に新たに診断された人では,特徴に違いがみられることが報告されるなど,ADHDの多様性も指摘されている(Agnew-Blais, et al., JAMA Psychiatry, 2016).ASDはさらに複雑で多様であると考えられる.当面は,小児期あるいは青年期/壮年期に発達障害と診断された人の老化のプロセスを丁寧に追っていく必要がある.発達障害をもつ人が老年期にどのような特徴を呈するのか.認知症になりやすいのか.認知症になった場合は発達障害をもたない人と違いがあるのかなど解明しなければならない課題が多い.高齢者を対象とした神経心理学的研究や脳画像研究はまだ少なく,老年期までの大規模なコホート研究が必要であろう. 2018年に開催された第33回日本老年精神医学会では,児童精神医学の専門医である内山登紀夫先生からASDに関する教育講演があり,さらに発達障害と認知症の鑑別に関するシンポジウムも開催された.発達障害の概念が老年期にまで広がりつつあるなかで,時代の要請に応えるためにも発達障害について私たちはもっと学ばなければならないと思う.


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