2018/12 老年精神医学雑誌Vol.29 No.12
天災は忘れたころにやってくる;そうでしょうか,寺田先生
内海久美子
砂川市立病院認知症疾患医療センター

 「天災は忘れたころにやってくる」という箴言は,地震学者,文学者として有名な寺田寅彦の言葉としてあまりに有名である.もうすぐ終わろうとしている平成を一言で締め括るとすれば「天災に見舞われた平成」と言ってよいだろう.平成になってからの大規模地震(マグニチュード8以上,もしくは震度7以上で人的被害が生じた地震)は,平成5年の北海道南西沖地震に始まり,平成30年9月の北海道胆振東部地震までの8つに上る.とくに平成7年阪神・淡路大震災,そして平成23年には東日本大震災が発生して,想像を絶する大地震,大津波が日本列島を襲い,その様はリアルタイムにテレビで生々しく放映された.ある意味では大規模劇場型震災として日本人の心に深い傷を残すトラウマとなった.さらに福島第一原子力発電所は津波により全電源喪失に陥りメルトダウンを招き放射能被害にとどめを刺された.いまだに復興への道筋を描けないでいるとも言われている.この5年後には震度7の直下型熊本地震に見舞われ,そのまた2年後の平成30年9月6日午前3時8分,震度7の北海道胆振東部地震に襲われることになった.
 北海道胆振東部地震災害の特徴は,地震による大規模な土砂崩れと,地震直後から全電源喪失,すなわちブラックアウトが北海道全域に発生したことである.今回の地震は内陸直下型であったことに加え,地震の前日には台風21号による大雨の影響もあり,崩壊面積は推定約13.4 km2と明治以降では日本最大規模となり,死者の大半は土砂での生き埋めや倒壊した家屋の下敷きによる窒息死であった.またブラックアウトにより,この広大な北海道は漆黒の闇へと変貌した.当院は震源の厚真から約100 km北西に位置する砂川市にあり,震度4を記録した.地震による直接的な被害はなかったが,何といっても電源喪失は生活全般に根こそぎ深刻な影響を与えた.当院は災害拠点病院であるため,非常電源により人工呼吸器や人工透析などの医療機器や最低限の電灯が確保されたが,電子カルテは一部しか稼働できないことや院外薬局が営業停止に陥ったこともあり,外来業務は急を要する患者のみの診療へと制限を受ける羽目となった.しかし札幌では大学病院はじめ,多くの大病院は外来業務が中止に陥っていた. 当院のDMATは地震発生後直ちに現地に派遣されたが,被災地近隣の医療機関が停電により人口透析患者や人工呼吸器患者の受け入れ先が決まらない事態が発生して,当院に受け入れ要請をされることになった.今回の地震被害では,地震による直接的被害 (死者41人, 負傷者691人, 避難者458人, 建物被害:全壊1,419棟,断水48戸等)もさることながらブラックアウトによる2次被害への対応に追われた.この医療現場での危機は,震源地近傍にとどまらず全北海道に及んだ.幸いにも,ほぼ全道的な電力の回復が40数時間後と地震直後の想定より迅速であったため,停電の影響による医療現場での死者が出なかったのは何よりも不幸中の幸いであったというほかはない.
 それでは地域の保健師,地域包括支援センター,在宅ケアマネジャーはどのような対応をして非常事態を切り抜けようとしたのか.担当している高齢者宅に安否確認の電話をしてもつながらず,信号機が消えている街中を一軒一軒訪ねて歩き続けた.しかし玄関チャイムはいつものようには機能しないため,家屋の窓ガラスを叩いて安否確認を強行したが,2階以上高層の集合住宅でやむを得ず断念しなければならない場合も経験された.担当者宅への連絡先を固定電話の番号のみ聞いていて住所録を作成していたものの,今回のように停電になると固定電話は使用不能になるため,携帯電話を持っている場合には携帯電話番号も聞いておくべきであったという反省点も挙げられている.これらは実際経験してみなければわからない,まさに想定外のことばかりではある.今や「想定外」という言葉に聞き慣らされ,思考停止と責任所在を体よく不明にする手段に堕ちてしまった感が強い.だからといってこのまま見過ごすことができるはずもない.全電力がダウンすると文明機器はもはや無用の長物と化してこれまでの威力を一瞬にして失うことを思い知らされた. 緊急時の有効な手段となるのはきわめてローテクな「向こう3軒両隣」的なご近所組織なのかもしれない.砂川市は平成26年より条例を制定して高齢者見守り事業を始めている.本人の同意を得て,個人情報を町内会や民生委員に渡して見守りをしてもらう仕組みがあるが,平成28年に水害があった時には避難命令が発令される前に町内会長がいち早く町内の高齢者を避難させたということができたのであった.このように災害弱者とされる高齢者や障碍者のためには,日頃より地域住民同士の連携・助け合いの互助・共助の組織・体制の再構築が必要不可欠である.
 今回の地震によるブラックアウトは,供給電力の半分を厚真苫東火力発電所が担っていたこともあり,人災と指摘する見解もある.前述した平成になってからの8つの大地震のうち,半数が北海道で起きていることを考えれば,北海道電力は電力供給システムを見直すべきであったといえる.寺田寅彦は「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない.『現象』のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性がある」と,重要な指摘をしている.
 同様に「この地震列島に生きる日本人は,この災害をこれから先どのように受け止め,どのように生きていったらよいのか,そのことを根本的に考え直さなければならない事態に追い込まれたといってよいのではないだろうか」とは『天災と日本人 寺田寅彦随筆選』に寄せた山折哲雄の序文である.大震災を体験した両巨人の言葉を噛みしめてぜひとも新しい体制を構築したいものである.

BACK

2018/11 老年精神医学雑誌Vol.29 No.11
フランスで抗認知症薬保険償還が終了
小田陽彦
兵庫県立ひょうごこころの医療センター

 2018年8月,有用性の乏しさを理由に抗認知症薬がフランスの公的医療保険の対象から外された.元来同国の抗認知症薬保険償還率は15%にすぎず保険外しによる財政効果は小さいので2),経済的理由の保険外しではない.日本の当局は抗認知症薬の薬効を認知症の進行を見かけ上約半年遅らせる程度と見積もっているが3),2011年に承認された3剤については国内治験で有効性の証明に失敗したのに「海外で標準治療薬だから」という非科学的理由で承認された特殊な経緯がある5).ゆえに2018年8月以降,抗認知症薬の国内承認理由の一角は崩れているといえる.
 抗認知症薬の有効性は臨床試験に関する論文で繰り返し報告されているが,一部論文は薬の有効性を強調しすぎる傾向があるので要注意である.日本のアルツハイマー型認知症患者へのリバスチグミンの有効性を検証したプラセボ対照試験の論文は主要評価項目のCIBIC plus-J(全般臨床症状の評価尺度)で9 mg/日群,18 mg/日群ともプラセボ群との間に有意差がなく有効性の証明に失敗しているのに,抄録でリバスチグミンはアルツハイマー型認知症において好ましい有効性と忍容性を有していると結論づけられているので,粉飾が認められると指摘されている6). 海外のレビー小体型認知症患者を対象にリバスチグミンの有効性を検討したプラセボ対照試験の論文では主要評価項目はNeuropsychiatric Inventory(NPI-4:精神症状・行動障害の評価指標)とスピード・スコア(コンピュータ化認知機能評価システムに対する反応時間)で,投与20週時点での治療企図解析によるとNPI-4点数は投与開始前と比べるとリバスチグミン群が2.5点の改善に対してプラセボ群が0.8点の改善で群間差は1.7点(95%信頼区間:-1.1〜4.6)にとどまり統計的有意差が認められなかったのに,論文抄録においては「レビー小体型認知症に対しリバスチグミンは統計的かつ臨床的に有意な行動効果を生み出す」と結論づけられている4).コンピュータ化認知機能評価システムやその他の神経心理検査でリバスチグミン群はプラセボ群に比べて好ましい成績を示したと抄録に記載されているが,その割にMini-Mental State Examination(MMSE)で統計的有意差が認められなかった事実は記載されていない.統計的有意差が得られなかったNPI-4やMMSEの結果にふれずに「統計的かつ臨床的に有意な行動効果を生み出す」と抄録で結論づける科学的根拠はないであろう. 臨床試験論文を読む際は抄録だけで判断せず本文を確認する,試験の審査報告書等の論文以外の複数の情報源を収集するなどの姿勢が望ましい.幸い抗認知症薬の国内治験の審査報告書は医薬品医療機器総合機構のウェブページにおいて日本語で公開されており入手は容易である.専門医が試験結果を正しく読み解くことにより抗認知症薬を適切に取り扱うことができると思われる.
 ドネペジル特定使用成績調査を報告した論文において,ドネペジルを投与された患者のうち4.6%にドネペジル以外のコリンエステラーゼ阻害薬が併用されていたと報告されている1).コリンエステラーゼ阻害薬は添付文書上併用が禁止されているので,ドネペジル投与例の4.6%に添付文書違反の不適切な薬物療法がされていることになる.抗認知症薬の情報が普及していないことが懸念される.適切な薬物療法実施のためのさらなる情報発信を,専門医側から一般臨床医や薬剤師に対してすべきであろう.それには各種公開講座や研修会の機会を利用することが望ましい.専門医が抗認知症薬の不適切処方を看過していると,フランスのように当局の掣肘によって抗認知症薬が保険対象外とさせられてしまうことにもなりかねない.

[文 献]
1)本間 昭,山川昇也,大嶽 恵,石井美佳ほか:アルツハイマー型認知症に対するドネペジル塩酸塩によるADAS-J cogを用いた調査;アリセプトR特定使用成績調査最終報告とADAS-J cog合計得点推移モデルの構築.老年精神医学雑誌,29 (4):413-426(2018).
2)五十嵐中:認知症治療薬「保険外し」で決着したフランス.医薬経済,1756:20-21(2018).
3)医薬品医療機器審査センター:審査報告書.平成11年7月29日.Available at : http://www.pmda.go.jp/drugs/1999/g991001/55repo01.pdf
4)McKeith I, Del Ser T, Spano P, Emre M, et al.: Efficacy of rivastigmine in dementia with Lewy bodies ; A randomised, double-blind, placebo-controlled international study. Lancet, 356(9247): 2031-2036(2000).
5)小田陽彦:抗認知症薬の意義.精神科,23(2):234-238 (2013).
6)奥村泰之:粉飾された臨床試験の判別法;臨床試験のすべての関係者へ.臨床評価(Clin Eval), 45(1):25-34(2017). 

BACK

2018/10 老年精神医学雑誌Vol.29 No.10
MCIリング;認知症医療とケアのアンメットニーズ
朝田 隆
東京医科歯科大学脳統合機能研究センター認知症研究部門

 精神科に関与する人ならだれでもフレッシュマンのころに,不安と恐怖の差異について学ばれたことと思う.対象が漠然としている不安に対し,それが明確なのが恐怖である.さて現代社会で中高年が最も怖がるものが認知症だとしばしばいわれる.実際,認知症の臨床にかかわっていて,この病気に対して多くの人々が不安とも恐怖ともつかない思いを抱いていることがわかる.
 こうした人々のなかから,いつまでも一人で悩むことはやめて,意を固くして専門機関を受診するケースが増えてきているようである.ところが,そうした機関で予備軍や初期認知症だと告知されると,多くの人では早期発見が早期絶望に変わる.また,考えたくないとこの問題に目を背ける否認型もある.しかし最近では,たとえ予備軍(軽度認知障害〈MCI〉)でも4人に1人は健常に戻れるというリバーターの概念やその確率なども報告されている.それだけにライフスタイルづくりや認知トレーニングと生活習慣病への対応という非薬物慮法は,新たな予防戦略の核として注目されている.それにもかわらず,こうした心理をもちながらも積極的に予防に取り組む人は多くない.そこで認知症に対して徹底抗戦型になってもらうには,だれもが前向きに取り組めるための基本構造と具体的な方法が求められる.
 これに関して国レベルでは,厚生労働省事業として介護予防や認知症初期集中支援チームがある.2018(平成30)年4月からは全国すべての自治体で義務化された.しかし少なくとも今のところ,それが機能しているとは考えにくい.なにより多くの地区でそのような人々が集まらないと聞く.その理念はともかく,問題は認知症初期集中支援チームの活動方法にある,「自分は認知症の前段階にあると理解したうえで,今後の生活を計画し努める」ことは多くの人にとってきわめてむずかしい.換言すれば,初期の人にいきなり,「あなたは初期にある」と言っても,受け止められる人はまずいない.考えたくもないほど敷居が高いこのテーマを自分事としていきなり突きつけられたら,拒絶か怒りかの反応になるのも無理はない.
 一方で,民間レベルでも認知症の発見や予防対応に注目した散発的な取組みや製品はある.しかし,その発見から認知症進行のステージという連続性までも見据えた対応の具体策はまだない.かりに試案的なものがあったとしても,それらの予防効果が未知だから,予防事業全体としては未熟の域を出ていない.そこが認知症医療とケアの最たるアンメットニーズだと思われる.
 この現状に対して,具体的にみていくと以下の必要性を感じる.まず「あなたが感じる認知症の不安と恐怖心を緩和する」ことである.そして「あなたの現状を評価してもらい,早期発見から認知症初期集中支援チームにつなげてもらう」ことである.さらにかりにMCIだと診断されても,支援チームはリバーターになれる具体的な方法を提示し,それを実行してもらうことである.これが本稿を「MCIリング」と題した筆者の私案の骨格である.
 具体的には次のように対応法を考える.意外ながら,身内に認知症の人がいないと多くの人は認知症を知らない.だから「発症から1年もすれば,両便失禁となり徘徊する」とか「すぐに廃人になってしまう」と言う.おそらくは10年程度かと思われる経過の長さに思い至らない.それだけに見たことのない幽霊を恐れるかのように目を背けても無理はない.そこで「たとえぼけても当面は普通に生活できる」認知症という病気を知ってもらう必要がある.一方で,記銘力や注意分散の障害など認知症で生じやすい問題を自分事として自覚してもらいたい.それにはインターネットのYouTubeのような手段を使い記銘力等を試してもらい,そこで失敗があれば自分の生活のなかのその部分に注意してもらえばよい.幸いこれについてはすでに多くの企業が製品をもっている.
 次に早期発見には,日本老年精神医学会で開発を進めてきた,行動から客観的に評価する「MCIチェックリスト」などを倫理的に十分配慮して使うマス・スクリーニング法が有用であろう.普通のテスト形式は当事者に嫌われるうえに,周囲の気づきは思いのほか正しい.
 認知症初期集中支援チームに欠かせないのは,今は示されていないが対応の具体的手段を示すことだ.エビデンスが乏しいから示しにくいこともあるだろう.しかし注目すべきは,生活習慣病(糖尿病,高血圧,歯周病,睡眠時無呼吸,ロコモなど)だと思われる.近年の疫学研究では,これらはいずれも認知障害や認知症の危険因子として報告されている.しかも多くの人が1つや2つのこうした疾患をもっているのである.いきなり,認知症と大上段に構えるのではなく,まずはこれら周辺疾患の啓発や対応法から始めるほうが抵抗は少ないであろう.そのうえでたとえばWebシステムを使いゲーム感覚の脳トレなど徐々に本来の狙いに移っていくべきかと思われる.

BACK

2018/9 老年精神医学雑誌Vol.29 No.9
理事長としての所信
池田 学
公益社団法人日本老年精神医学会理事長,大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室

 2018年6月に公益社団法人日本老年精神医学会の理事長を拝命しました.たいへん光栄なことではありますが,重責に身の引き締まる思いです.このたび準機関誌である「老年精神医学雑誌」の巻頭言を執筆する機会を頂戴したので,2年間の任期のなかで取り組むべき課題,取り組みたい課題について私見を述べさせていただきたいと思います.
 まず,専門医数の増加と専門医ならびに研修施設の地域偏在の解消は喫緊の課題です.本学会は2000年に精神科領域では最初の専門医制度を発足させ,堅実に専門医の数を増やしてきました(2018年9月10日時点で1,004人).しかし,日本認知症学会の専門医と合わせても約2,000人(オーバーラップを除く)の専門医数では,対象疾患を認知症疾患に限ったとしても,認知症と軽度認知障害(MCI)おのおの500万人の高齢者に寄り添うには困難な状況が続いています.地域偏在はさらに深刻で,専門医が10人に満たない県や,評議員が不在の県もあります.その結果,認定施設の地域偏在も大きくなって,地元で専門医の研修が受けられなくなり,専門医数が減少するという悪循環がすでに起こりつつある地域もあります.認知症疾患医療センターや認知症初期集中支援チームのバックアップ,また,あってほしくはないことですが,続いている大規模災害時の老年期精神医療の拠点形成,さらには,これから老年精神医学を志す次世代のためにも,この問題には早急に取り組みたいと思います.
 しかし,本学会の専門医として従来からの高度な専門性という質の担保は前提条件ですし,2017年度から始まっている日本専門医機構のサブスペシャルティとなる可能性も注意深く検討を続けることが必要です.その一方で,前述のような絶対数の不足や地域偏在を解消するという早急に解決すべき社会的なニーズ,あるいは責務もありますので,この問題は就任早々ですが本学会の「在り方委員会」(新井哲明委員長)において議論を始めております.
 次に,本学会の会員は学際的かつ多職種で構成されていることも特徴です.老年精神医療は多職種連携が大前提です.新井平伊前理事長と関係理事の尽力で,老年精神医学や老年心理学などの専門知識と技能を備えた専門家を養成するために,専門心理士制度がスタートし,2018年初めての専門心理士と上級専門心理士が認定されました.同様に,精神保健福祉士や作業療法士など,その他の職種についても,老年精神医学の研究や研修の場を提供することが本学会の使命のひとつであると思います.学術集会や生涯教育講座のプログラムにも,さまざまな専門職が参加しやすいような工夫ができればと思っています.
 第3に国際的活動としては,2021年に14年ぶりに国際老年精神医学会(International Psychogeriatric Association ; IPA)が新井前理事長を大会長として京都で開催されます.私は長年本学会の国際交流委員会の委員長をさせていただき(2018年6月からは繁田雅弘委員長),IPAの理事でもありますので,会員の皆様と力を合わせて日本での総会を成功させたいと思っています.なお,2021年の本学会の学術集会 ――「第36回日本老年精神医学会」は高知大学の數井裕光先生を大会長として,IPAとの合同開催になりますので,皆様のご協力,積極的なご参加をよろしくお願いいたします.このIPAの準備を契機に,高齢化が急速に進んでいるアジアでの日本のプレゼンスを高め,日本における認知症対策や認知症研究をはじめとした超高齢社会における知見を国際貢献に役立たせたいと思っています.学会機関誌である「PSYCHOGERIATRICS」誌は田中稔久編集委員長をはじめとして編集委員の先生方の長年の尽力で,アジアを代表する老年精神医学の学術誌に成長しました. 本機関誌や学術集会のプログラムの工夫などにより,将来に備えて,ゆっくりと,しかし確実に国際化を進めたいと考えています.
 最後に,数年前から新井前理事長と岸本年史広報委員長を中心に,毎年5月にはマスメディアを招いてプレスセミナーを開催して,国民にわれわれの活動を知っていただく機会を設けています.老年精神医療の現場における診療報酬の改定や一部の国会議員によって検討が開始されている認知症施策推進基本法(仮称)などに対して,アカデミアからの主張をきちんと反映させていただくためにも,このような広報活動をより積極的に行うべきではないかと感じています.
 超高齢社会を世界の先頭を切って走り続けているわが国のなかで,高齢者の全人的な医療と研究を担う本学会の責任と重要性は,さらに増してきていると思います.これから老年精神医学を目指す若手会員の皆様が,充実した研究や診療に邁進できるように,ともに歩んでいきたいと思います.本学会の活動に関するご意見,ご批判は,直接あるいは学会事務局を通して,遠慮なくお寄せください.
 今後ともよろしくお願いいたします.

BACK

2018/8 老年精神医学雑誌Vol.29 No.8
老年精神医学に関する若手精神科医の興味
松岡照之
京都府立医科大学大学院医学研究科精神機能病態学

 精神科医になる人は医学部学生時代から心理学や精神医学に興味のある人が多い印象があります.私は,脳や心理に興味があり,医学部に入学しました.私が卒業した2004年から臨床研修制度が始まりましたが,精神科で研修していたときがいちばん楽しく,そのときに外来陪席についていろいろ学んだことが現在の診療スタイルに反映されています.精神科医になる前やなりたてのころは,精神療法など心理学的分野に興味がありましたが,老年精神医学に興味をもつきっかけになったのは,嫉妬妄想を認める高齢女性の症例でした.頭部画像検査,神経心理検査をしたところ,アルツハイマー型認知症を示唆する所見であり,ドネペジルの投与を開始したところ嫉妬妄想が改善し,家族にたいへん感謝されました.今から振り返ると一般的な症例ではありますが,この症例を学会発表し,論文発表をいたしました(Matsuoka T, et al., J Neuropsychiatry Clin Neurosci, 2011).その過程で老年精神医学を専門とする諸先輩方にいろいろ教えていただき,鑑別診断のおもしろさ,考察を考えることの楽しさを教わり,老年精神医学の世界にどっぷりはまっていくことになりました. このように,精神科研修前と経験を積んだあとでは興味が変わることはよくあるかと思います.
 2009年に開催された第24回日本老年精神医学会の若手シンポジウムのなかで,柴田らによって「若手精神科医は,いかにして老年精神医学に興味を持つのか」という演題が発表されました(柴田ら,老年精神医学雑誌,2009).全国多施設の精神科医(精神科に従事していた平均年数6.2±5.8年)を対象にアンケート調査をしたところ,老年精神医学を専門分野に選択した対象数は依存症の次に少ないという結果でした.老年精神医学を選択した精神科医の選択理由としては,“やりがいがある”“回復の見込みがある”が他の分野を選択した精神科医よりも有意に少なく,“訴訟が少ない”が有意に多いという結果でした.
 今回,再度若手精神科医の老年精神医学に対する興味を調べるために当大学の精神科医49人を対象にアンケート調査を実施しました(回答者33人,精神科に従事していた平均年数8.0±3.7年).精神科医になる前は「心理学的分野」(30%),「児童・思春期」(21%),「統合失調症」(21%)が興味ある分野として多く,「老年期」は0%でしたが,現在は「児童・思春期」(21%),「老年期」(21%)が多くなっていました.現在老年精神医学に興味がある群(n=7)とそれ以外の分野に興味のある群(n=26)を比較すると,老年精神医学に興味のある群のほうが“注目されている分野である”という理由で選択している割合が有意に高く,老年精神医学に関して“やりがいがある”と感じており,“鑑別診断がおもしろい”と思っているようでした.一方で,それ以外の分野に興味のある群では,“回復の見込みがある”という理由で選択している割合が高い傾向でした.
 アンケート回答率が33/49=67%であり, 当大学のみの結果ということ,私が調査しているので忖度もされていることを考えると,参考程度の結果にはなりますが,若手精神科医に対して老年精神医学に興味をもってもらうためにどうしたらよいかを考えたいと思います.老年期症例を経験できたという人は約8割であり,高齢化が進み,精神科医が老年期の疾患を診ないといけない状況を反映しているかと思います.今回の調査では “鑑別診断がおもしろい” “やりがいがある” と思う人が老年精神医学を選択していました.老年精神医学に限らず,どの分野でも診ていておもしろさ,やりがいなどを経験することがその道を選ぶ動機になると思います.精神科医になる前は老年精神医学に興味をもっている人は少ないかもしれませんが,精神科医になったあとは老年期の疾患を診る機会が増えているので,症例について一緒に考えるなかで,やりがいや鑑別診断のおもしろさを伝えられるとよいかもしれません.診断をつけることがむずかしい症例もありますが,経過をみることで診断がつくこともあるので,そのおもしろさも伝える必要があるかと思います. また,老年期の精神障害だと回復の見込みが少ないと思っている傾向がありました.「認知症は治らない」という印象は強く,とくに精神科単科病院に入院して退院できない患者さんをたくさん抱えているとそのような印象になるのかもしれません.認知症そのものを治すことは現時点ではできませんが,介入することで認知症の行動・心理症状 (BPSD) を改善させたり,患者さんや家族のQOLを改善することができるため,その楽しさ,やりがいを若手精神科医に経験していただいたり,伝えていく必要があると感じました.前述のアンケート結果を受け止め,さらに老年精神医学に興味をもつ後輩を増やす努力をしていきたいと思います.

BACK

2018/7 老年精神医学雑誌Vol.29 No.7
ある日のもの忘れ外来診察室から
涌谷陽介
倉敷平成病院神経内科・認知症疾患医療センター

私の心の声 (精神保健福祉士の事前問診情報をチェック)いつも詳細にありがとう!(かかりつけの先生からいただいた診療情報提供書をチェック)いつもご丁寧にありがとうございます! 最敬礼.
 うーん,85歳もの忘れ外来初診.2年ほど前からエピソード記憶障害はありそう.MMSE 22点,HDS-R 20点,FAB 14点.離れに住んで夕食だけ家族と一緒.IADLやADLはそんなに落ちてない.草取り始めると気が済むまでやめない.元気やなあ! 大きな声で怒ることが増えた.ますます元気.耳も遠いのかも.MRIで右側に優位な海馬や側頭葉下面の萎縮はあるけど,ほかの部位は目立たない.タウオパチーかなあ.降圧薬と便秘薬程度.薬は適当に間引いている様子.大病なし.人生のエリートだ.俺はここまでとても元気に生きられん.(心電図を見ながら)んっ? ありゃ心房細動と徐脈傾向ある.紹介状には記載がない.心エコーいるかな.DOACどうしよ.認知症の薬使いにくい.今日の胸写は心臓ちょっと大きめ.うちで5年前撮った腰のレントゲンあるけど,胸写はなしか.残念.
 そんじゃ入ってもらいましょうか.
看護師 はーい.Aさーん,お待たせしました,どうぞ〜.
私の心の声 (笑顔で観察かつ以下ずっと笑顔)笑って手を合わせてお辞儀.腰はそんなに曲がってない.やせ型.お化粧している,顔面神経麻痺なし.服装乱れなし.礼節OK.歩行は,姿勢もリズムも歩幅も手振りもOK.着座バランスもバッチリ.すごいじゃん.パーキンソニズムもなさそう.同伴は50歳代ぐらいの女性2人.こちらもお化粧,服装,笑顔バッチリ.お一人は少しやつれた感あり.
 Aさんこんにちは.この病院は初めてですか?(少し大きめの声で)
Aさん ずいぶん前に腰が痛くて一人で来ました.
 へーそうなんじゃ(以前のことはOKじゃ).私の名前ですが(名札を見せながら距離を縮める)…….
Aさん オケヤヨウスケ先生,ん? オケタニ? あー!ワクじゃな!
 そうなんよ.木偏ならオケじゃけどなあ.(さらに近づいて脈を診ながら)今日はどうしてまたここに来たんですか?(ついでに上肢の筋強剛を診てしまう)
Aさん ぼけてるかどうか,頭を診てもらいにきました(笑顔).
 もの忘れが気になるのですね.
Aさん この人たちからも言われるしなあ(Aさん後ろを振り向き,同伴者笑顔).
 皆さん,仲いいですねえ.
Aさん あれこれ言われてばっかりです(Aさん・同伴者やや表情曇る).
 それは「思いやり」ですか? それとも『重い槍』(ジャスチャーも一緒に)ですか?
Aさん (後ろを振り返って,同伴者とともに笑顔)先生うまいこと言いますなあ.
 それはそうと今日は体の健康診断も兼ねてなので(聴診器構える.Aさん,ささっとボタンを外して胸を出してくれる,動作スムーズ).
 ありがとうございます(下着の重ね着なし,お肌の状態よさそう,心雑音pSRM LV U度かな,呼吸音は問題なし).足むくみませんか(下腿を触る).
Aさん ちょっとむくむんです(pitting edema軽度).
 体重も増えたり減ったりないですか?(今日の体重は39 kg)
Aさん 変わりないです(『だんだんやせてきているんです』と同伴者が合いの手).
 おや,食欲やお通じはどうですか?
Aさん 便秘は少しあるけど食欲は大丈夫です(『お通じのことはわかりませんが,食が細くなっているんです』と同伴者が合いの手).そんなことないわあ!(顔曇る)
 あと,息切れとか.
Aさん 大丈夫です(『あるみたいですよ』と同伴者が合いの手),大丈夫だって言っとろうが!(声が大きくなり,眉間にしわが寄る)
(それに構わず)手は普通に動きますか?
Aさん 動きますよ(麻痺なし,巧緻運動正常,手指模倣スムーズ,振戦なし,すぐに笑顔に戻る)
(中略)
 いろいろありがとうございました.それでは脳の健康診断の結果を説明しますね.
Aさん はい.
 結論,大ぼけではないけど,「ちょっとぼけ」(親指と人差し指で『ちょっと』のジェスチャーつき)は始まっているみたいです.(MRIを見せながら)この写真にも「ちょっとぼけ」の始まりが写っています.
Aさん そりゃ先生,この歳になればだれだってありますがな(笑顔).
 あら,おいくつでしたっけ?
Aさん 83歳です(『85歳のお祝いしたよ』と同伴者が合いの手と困り顔).そうじゃった,そうじゃった.年忘れじゃ(笑顔).
 私は85歳まで生きる自信がないんじゃけど,長生きの秘訣はありますか?
Aさん 別に自然にこうなったし,毎日のことをしとるだけじゃ(笑顔).
 あとどれぐらい頑張りましょうか(ちょっと真剣に).
Aさん もう,いつあっちに行ってもいいと思っとるよ.この人たちに迷惑かけんうちになあ(穏やかな真顔で).
(後略)

 以下いろいろ続きますが,Aさんの認知機能障害の背景病態としては,老年期アルツハイマー型認知症か高齢者タウオパチーと判断しました.脳血流シンチグラフィーはしないことになり,明確な鑑別はむずかしいようです.軽い認知症もですが,心不全と心房細動があるのが心配です.CHADS2 3点,CHA2DS2 5点で,脳卒中発症リスクは高いと判定され,抗凝固薬の予防的投与も考慮されますが,今後の服薬サポートをどうしたものか.
 ご家族への認知症の病態や対応の工夫の説明,生命予後にかかわる心疾患の説明と治療(ご家族はちょっとショック),介護保険サービスの導入(よいケアマネジャーさんに当たるといいなあ),かかりつけ医の先生にもしっかり報告しなきゃ…….
 私や介護者の前でお気持ちをあれこれ語ってくれたAさんの「生」を全うしていただくためには,どうすればよいか(advanced care planning〈ACP〉や終末期医療のことも考えながら).お互いあまり「ありがとう」を言わない関係性が気になりますが,介護者のサポートも考えなければ…….

BACK

2018/6 老年精神医学雑誌Vol.29 No.6
親孝行とは,親のおかげ
森川将行
三重県立こころの医療センター

 もの忘れ外来に限らず,高齢者の方々と日々の診療を通してお会いしているなかでさまざまなことを考える.どんなに年老いても,できる限り子どもの世話にならないように心がけている方,自分が軽度認知障害になっていることを忙しい娘に伝えられない方などさまざまな親子に接する.自分が介護される年代になったときに,はたしてどのように行動するのであろうかと問いかけながら答えが出ないのが本心である.そして,自分の身体を壊してまでも,自宅で介護をしようとする娘,共働きのため,まだ自宅で過ごせるが,やむなく軽度で施設に入所させた長男夫婦,長男がなにもせずに長女が一人で頑張る家,長女の反対を押し切って自宅での一人暮らしを見守ることにした長男,脳梗塞後意識が戻らず,胃瘻にて身体管理し看病が5年を超え,その間看病していた娘が脳卒中となった方……振り返るとさまざまな老後の家族の景色がよみがえってくる.
 親子関係のあり方1つを取り上げてもさまざまで,子どもたちのだれもが「これでよいのでしょうか?」と思い悩むなか,また,自身の親がすでに認知症の領域にはいった精神科医として,傾聴にとどまらず,その人が少しでもほっとするような言葉はなにかないものかと考えていたときに,ある言葉に出会った.それは,渋沢栄一の「親孝行とは,親のおかげでできるものだ」である.引用元の『論語と算盤』4)を見ると,「親から子に対して孝を励めよと強ゆるのは,かえって子を不孝の子たらしむるものである.……(中略)……孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので,子が考をするのでは無く,親が子に考をさせるのである」と記載されている.渋沢栄一(1840〜1931年)は,幕末から昭和初期までの実業家,銀行家,官僚で,倒幕をもくろんで志士となるも,徳川慶喜に仕えることとなり,幕府に出仕して渡仏した.しかし,明治維新により帰国となり,新政府で官僚となるが,政策上の意見の違いから辞職し,以後,実業家として470あまりの会社を創り社会実業を実践した.日本資本主義の父とも呼ばれている3). 親孝行とは,親にそれを受ける気持ちがなければ,子どもだけがやろうとしても,できるものではない.子どもが親孝行をするのではなく,親が自然と,子どもにさせるのであると解釈されている5).この言葉自体が介護における免罪符となってはいけないが,少しは心の荷を軽くしてくれるように感じられた.時代とともに親子関係も変化を余儀なくされているとはいえ,欧米とは異なり,日本においては,まだまだ年老いた親は長男が面倒をみるべきであるという風潮が根強く,その結果として長男の嫁が主たる介護者となるのが現実である.
 実際に,急速に少子高齢化が進むなか,わが国では,2025年にいわゆる「団塊の世代」(1947〜1949年生まれ)がすべて75歳以上となる.2065年には,約2.6人に1人が65歳以上,約4人に1人が75歳以上となり,2015年には,高齢者1人に対して現役世代(15〜64歳)2.3人で支えていたのが,2065年には1.3人となると推定されている.また,65歳以上の高齢者について子どもとの同居率をみると,1980年にほぼ7割であったものが,2015年には39.0%となっており,子どもと同居の割合は大幅に減少している.単独世帯または夫婦のみの者については,1980年には合わせて3割弱であったものが,2015年には56.9%まで増加している2).病気のなどのときに看護や世話を頼みたいと考える相手は,子どもがいる人は男女ともそれぞれ「子」が41.0%,58.2%と最も多い1)
 こうした超高齢社会における親孝行のかたちもさまざまではあるが,片方の努力だけでは不可能で双方の努力が必要であるということであろうか.「親孝行とは,親のおかげ」―― この言葉を今日も診察室で唱えている.

[文 献]
1)内閣府:平成27年版高齢社会白書(全体版). Available at:http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2015/zenbun/pdf/1s3s_3.pdf
2)内閣府:平成29年版高齢社会白書(全体版). Available at:http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/zenbun/pdf/1s2s_01.pdf
3)渋沢栄一(著),守屋 淳(編訳):現代語訳 渋沢栄一自伝;「論語と算盤」を道標として.平凡社,東京(2012).
4)渋沢栄一:論語と算盤.第21版,273-275,KADOKAWA,東京(2017).
5)渋澤 健:渋沢栄一 100の訓言;「日本資本主義の父」が教える黄金の知恵.154-155,日本経済新聞出版社,東京(2010).

BACK

2018/5 老年精神医学雑誌Vol.29 No.5
老年期うつ病の専門外来で学んだこと,感じたこと
馬場 元
順天堂大学医学部附属順天堂越谷病院メンタルクリニック,順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学

 「巻頭言」というのは臨床や研究を極めた大先生が,その多くの経験から築かれた自身の哲学をもって,次世代の医師にメッセージを投げかけ,そして考える機会を与えるものと考えていたので,まさか自分にそれを執筆する機会がくるとは思ってもいなかった.たしかに50歳の大台に乗った今の自分の年齢や医師になってからのキャリアを改めて考えると,もはや自分を「次世代」というのははばかられるが…….
 私が精神科医として思い入れをもって継続しているもののひとつが老年期うつ病の専門外来である.現在勤務している順天堂大学医学部附属順天堂越谷病院で「老年期うつ病専門外来」を開設して10数年が経過した.老年期うつ病は精神科医であれば当然だれでも日常的に診察する疾患なので,特別な専門知識も技術も必要ない.それでもこの専門外来を開設した背景は2つある.
 背景のひとつとして,専門外来開設の数年前からうつ病の臨床研究(Juntendo University Mood Disorder Project〈JUMP〉)を始めたのだが,新井平伊主任教授の主催する教室だけに,必然的に老年精神医学へ関心が寄り,うつ病のなかでも老年期うつ病が主な研究の対象となった.うつ病の認知機能やうつ病から認知症への移行が中心的なテーマなので,臨床経過や認知機能を追跡調査するためにも対象患者さんを専門外来でフォローするのが望ましいと考えたのだ.新井教授の指導とアドバイスを受けながら今も継続しているこの研究プロジェクトは,前向き縦断研究を含め,毎年数本の国際論文を発表できるまでに成長した.
 もう1つの背景は,もともと高齢者と話をするのが好きで,心気的な訴えや迂遠な話を聞くことは苦痛ではなく,むしろゆっくり耳を傾けたいと思っていたのである.ところが常に混み合う一般外来では,こうした高齢者の話をゆっくり聞くゆとりがない.そこで一般外来に加えて「初診1時間,再診15分の完全予約制」というぜいたくな時間枠の専門外来を開いたのである.一般のクリニックでは採算が合わないだろうから,これは大学病院だからこそ許されたものかもしれない.
 開設当時は「専門外来」ということで気負いがあったため,「老年期うつ病の専門家にならなくては!」と関係するガイドラインや文献を読み漁り,可能な限りのエビデンスで武装し,診察の多くの時間をこうしたエビデンスに基づく治療の説明,いや「説得」に費やしていた.当時はそれが正しい診療で,目前の患者さんを助ける最良の手段だと盲信していた.しかしこのやり方は同伴する家族を納得させるのには有効だが,患者さん本人の病気に対する不安を取り除き,治療に期待をもたせるには効果的ではなかった.そもそも多くの老年期うつ病の患者さんが医師に求めるものの一番は,苦しさの理解と共感であり,診断や治療そのものではないということに気づくようになった.
 老年期うつ病の患者さんのなかにはうつ病と診断されたことで,それまでどの診療科に行っても「異常なし」と言われていた多彩な身体症状が一元的に理解することができて安心する人もいる.一方いまだにうつ病を統合失調症と同じ「精神病」と認識し,うつ病と告知したことで「精神病になってしまった」と余計に落ち込んでしまう人もいる.治療に際しては,重症の患者さんにはもちろん入院も含めた積極的な治療を提案するが,軽症の患者さんでは同伴した家族に病状の理解と対応についての説明をするだけで患者さん本人が安心し,薬物療法が不要となる人もいるし,逆にしっかり抗うつ薬による治療を求める人もいる.しかし「苦しいので治療は受けたいが,精神安定剤の類を飲むのは怖い」という人が最も多いように思う.最近では問診のなかからこうした患者さんのタイプを見極めて,病名・病態の告知や治療法の提案の仕方を工夫するようにしている. たとえば軽症患者さんの治療導入に際しては,生活指導だけで薬物療法をしないで2週間だけ様子をみる,まずは漢方薬を使ってみる,最初から抗うつ薬を使う,などの選択肢を提示してdecision makingをshareすると,比較的不安なく治療導入ができることが多い.こうして初診時に患者さんの苦痛を理解し共感することで信頼関係が構築され,治療に対する「期待」を得ることができれば,たいてい診察室を出るころには表情が和らいでおり,次回の受診時には症状が軽快していることが多いと実感している.
 近年,老年期うつ病では重症であってもプラセボ効果が出やすいとしたメタ解析(Locher C, et al., J Affect Disord, 2015)や,最初の2週間で治療反応性がよかった老年期うつ病の患者は寛解しやすいとしたオープン試験(Joel I, et al., Am J Geriatr Psychiatry, 2014)が報告されたが,これはつまり,最初の対応がうまくいき,プラセボ効果を出せるような初期対応がなされたことを反映しているものだと解釈している.
 つらいことや満たされないことがあるために訪れた相手に対し,その人の話を共感をもって傾聴し,そこからその人が本当に求めていることを読み取って,それに沿った対応をし,そして満足してもらう,老年期うつ病の専門外来って何だかホストクラブみたいだなと,最近よく思う.

BACK

2018/4 老年精神医学雑誌Vol.29 No.4
「認知症科」が求められる時代
小林直人
医療法人湖山荘あずま通りクリニック

 半年前に100歳を迎えた外来患者と記念写真を撮った.長寿にあやかりたいという気持ちからであるが,自分はこんなには長生きできないなというやるせない思いにさいなまれた.それからまもなくして,2人目の100歳.同じように記念写真を撮った.最近では,95歳前後の初診患者が急増している.患者のというよりも家族の専門外来受診への期待は大きい.皆口をそろえて,「うちのお婆ちゃんはとにかく食べるし,身体は元気なんですよ.でも,頭のほうがね……」と.「先生,最近いいお薬が出たって聞いたんですが,ぜひ出してもらえませんか?」と続く.どうしたものかと悩みながら,有益性が高いと評価ができれば,希望により抗認知症薬の処方を開始する.これからこのような対応はますます増えていくのだろう.
 患者を支える家族がいれば,それは幸せなことだ.少し前から,独居認知症患者の問題が社会的問題になってきている.新オレンジプランでは,住み慣れた地域で……,地域包括ケアを……等々,望まれる体制が掲げられているが,現場目線からいえば,病状の進行した独居患者を理想のプランに乗せていくことはきわめてむずかしい.訪問すれば,薬が散乱し,適切に内服している状況ではない.かかりつけの病院,クリニックがいくつもあって,担当医は薬手帳を確認するわけでもなく,患者の訴えに応えようと新しい薬を考え,投薬を開始する.この一連の流れにはいつもがっかりしてしまう.高齢者の薬物療法についてはガイドラインが整備されているにもかかわらず,10種類を超える多剤処方や推奨されない薬剤の漫然投与を多数目にするが,はたしてこのような事態が見逃されていてよいのだろうか.
 そこで「認知症科」があったらどうであろう.ネーミングはもう少し工夫の余地があるとして,認知症高齢者の総合的な窓口になる診療科である.すでに「老年科」や「老年内科」といった診療科で認知症診療が行われる時代になっているが,受診抵抗を軽減するうえでは,よいのかもしれない.しかし,これから団塊の世代が75歳となる2025年問題を迎えるにあたり,「認知症」がますます社会的用語として取り上げられることはまちがいなく,生活習慣病と同様に,ここに行けば認知症を診てくれるというわかりやすい用語の選択も必要になるのではないだろうか.
 認知症患者を対応するうえでは,各診療科との連携も重要であるが,薬の管理の点からいっても,多くの診療科を受診するよりは,1つの診療科で投薬調整することが望ましいケースも増えている.認知症があることで処方される薬剤の種類や飲み方も変わってくる.年間500億円とも推計される潜在的な飲み忘れの薬剤費の削減にも貢献できる.
 「認知症科」での活躍が期待される医師は,日本老年精神医学会の専門医や日本認知症学会の専門医などのスペシャリストとなるであろうが,専門医の間における診療スタイルにばらつきがありすぎるように思える.診断重視というよりもその後の患者,家族のフォローを得意とする専門医がいる一方で,診断のみを行い,その後のフォローは投薬中心となる専門医がいることも事実である.もちろん,両方にたけていて,診断から心理的サポートまで丁寧にこなす先生方も多数いることにまちがいはなく,その点,誤解のないようにお願いしたい.筆者の外来でも,すでに専門医にフォローされている患者が「薬だけ3か月処方されて,全然話を聞いてもらえない」ということで,初診に至るケースがあとを絶たない.とくに家族自身が精神科に通院していたり,パーソナリティに偏りがあるような場合には対応がいっそうむずかしくなる.このようなケースについては,初診の際にこちらでも期待どおりの時間が十分にとれるかわからないことを中心に,外来診療でできることとできないことの限界設定をしておく必要がある. 認知症の行動・心理症状(BPSD)の激しい患者の薬物調整や家族の心理サポートは認知症診療においてはとても重要な作業であり,時間もかかる.それを丁寧にこなすことができる医師は限られるため,そのような医師に受診患者が殺到し,負担が大きくなってしまうことはどの地域でも同じであろう.患者,家族のニーズに応えられるバランスのとれたスペシャリストのさらなる養成が期待される.
 「認知症科」はやや極端な話でもあったが,認知症疾患医療センターのなかでも,2017(平成29)年度から新設された「連携型センター」がこのような機能を積極的に担ってもよいかもしれない.気軽な相談窓口として,患者・家族目線に沿った診療を提供するなかで,診断のみでなく,患者の身体的問題,投薬内容の調整,BPSDのコントロールなどを密に行える理想的な機関である.予防を目的とした受診から困難事例に至るまで,多くの患者を丁寧に対応していくことは,地域に根ざした医療体制構築の基盤ともなる.それがひいては,時代が求める多職種連携や認知症にやさしいまちづくりにつながっていくものと考えている.

BACK

2018/3 老年精神医学雑誌Vol.29 No.3
Superager
三品雅洋
日本医科大学大学院医学研究科脳病態画像解析学講座

 2017年は久しぶりに国際アルツハイマー病学会に参加した.前回参加したのは2006年にマドリードで開催されたInternational Conference on Alzheimer’s Disease and Related Disorders(ICAD)であったが,今では名称もAlzheimer’s Association International Conference(AAIC)に変わった.2002年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校が2-(1-{6-[(2-18F-fluoroethyl)(methyl)amino]-2-naphthyl}-ethylidene)malononitrile(18F-FDDNP)PETによりアミロイドイメージングを実現,その4年後のICAD 2006では11C-Pittsburgh Compound-B(11C-PiB)PETを用いた研究が全盛であった.今回のAAIC 2017では,多くの大規模研究で,ブドウ糖代謝・アミロイドに加え,タウイメージングも分子イメージングのルーチンになっていて,まさに隔世の感がある.それぞれの分子イメージング用リガンドの特徴や問題点が明らかになったにもかかわらず,そんなことお構いなしに突っ走っているといった感もあるところが気になるが…….
 AAIC 2017の最終日は,超高齢になっても健康を保ち認知機能が低下しない「superager・successful aging」のセッションが興味深かった.これらの研究も分子イメージングが有力なバイオマーカーとして使用され,superagerはアミロイドやタウの蓄積が少ないこと,MRIのmorphometryでも萎縮が少ないことが示された.ワーキングメモリは低下しても,エピソード記憶が低下しないらしい.
 Superagerは健康管理の勝利なのか.脳卒中やアルツハイマー病に罹患してしまえば当然,superagerの資格を失うわけだから,メタボリック症候群・愛煙家の方々は脱落する確率が高い.昨今の研究はアルツハイマー病ですら成人病リスクファクターとの共通性を謳っている.また,superagerのライフスタイルや思考についても研究されている.自身の社会的役割を重要視し,健康に留意しながら,活動を社会に還元する傾向があるようだ.このあたりは認知予備能の要素に類似している.
 さて,私たちの業界には,superagerに該当する諸先輩方がたくさんいらっしゃることにご同意いただけるのではないかと思う.現役時代と変わらず講演内容は明瞭だし,ご質問も鋭い.立ち姿さえ美しい.経歴も,生まれながらにしてsuperagerになることが決まっているのではと思える方々ばかりである.ApoE e4がアルツハイマー病のリスクであるように,superagerも遺伝的背景があるに違いない.認知予備能は個人の努力が関与しているのかもしれないが,努力せずして高学歴の人も多い.そもそも「努力」も才能のひとつである.一流の音楽家やスポーツ選手の業績は才能と練習の賜物であろうが,彼らは繰り返し同じ練習をすることがあまり苦にならない傾向があるらしい.それゆえに庸人には想像もできない天才的な演奏・プレイを実現するのであろう.
 それでは,superagerを目指すべきなのか.これまで述べたように,単純に目指してなれるものでもなさそうだ.そもそもsuperagerが「successful」なのか.これは考え方・感じ方次第である.高齢になっても頭脳明晰で,いつまでも就業し続けることを幸せと感じるか.なにもせずにぼーっと暮らすのも幸せそうだが,退屈に耐えられるかどうか.私たちの患者さんのように,悪いことを忘れて朗らかに生活するのも一案.もちろん家族はたいへんであろう.しかし以前より,非薬物療法や看護・介護のテクニックが進歩したからか,ご家族も患者さんの状況に苦労しながらも上手に付き合っている人たちが増えた.根本治療としての薬物療法はことごとく失敗に終わっているが,現行の抗認知症薬4剤や向精神薬を上手に使うと,それなりにコントロールできているし,それでもむずかしい症例は,認知症専門病院での入院で調節もできる.私たちに与えられた使命はsuperagerを増やすことではなく,dementiaになっても家族も含めて幸せに過ごせる医療・社会を提供することである.
 少なくとも私は,患者と話しているうちに頼まれていた湿布の処方を忘れたり,調剤薬局から予約日と処方日数の齟齬を指摘されたりと,五十にしてsuperagerの道から大きく外れている.多数のメディカルスタッフの「介護」のもと,何とか医業をなしているといったところか…….

BACK

2018/2 老年精神医学雑誌Vol.29 No.2
「徘徊」について考えてみた
北村 立
石川県立高松病院

 「まったく嫌になっちゃう」とサキさんが憤慨している.考え事をしながら商店街を歩いていたら,見知らぬ女性に声をかけられたのだという.「『おばあさん,お家はわかりますか?』だって.先生,私そんなふうに見えますか」.東京育ちの口調は鋭い.以前うつ状態で苦しんでいたころはそう見えた,とは口が裂けても言えなかった.
 サキさんの住む町は徘徊模擬訓練が盛んだ.警察署員も参加し年々シナリオもリアルになっているらしい.徘徊訓練は,住民に関心をもってもらう,子どもにも参加してもらう,など認知症の啓発活動になるばかりでなく,住民間のつながりを深める効果もある.昔は町内会対抗の運動会などで親睦を深めていたが,今は徘徊訓練や防災訓練がその役目を果たしているのかもしれない.何だか戦時中みたいで不気味だけど.
 「徘徊」が認知症のシンボルになったのは,やはり有吉佐和子の『恍惚の人』,茂造じいさんの影響だろうか.若い人に「恍惚の人」なんて言ってもきょとんとされるが,当時社会に与えたインパクトは大きかった.そのことが日本人の頭にこびりついているのか,行政もマスコミも「認知症といえば徘徊」みたいに短絡的に結びつけてしまうきらいがある.だから家族も徘徊をことさら心配する.「この人は徘徊の心配はないね」などと言うと,とても喜ばれる.「手はかかるけど,外に出ないので助かります.徘徊されたら家では看られない」という家族も多い.たしかに鉄道事故や自動車を運転しての徘徊など,ニュースバリューのある事件も続いた.家族の心配は当然だ.
 2016(平成28)年に全国の警察に届け出があった認知症による行方不明者は,前年比26.4%増の1万5432人だったという.2012年の統計開始から4年連続で増え,過去最多を更新し続けている.警察の捜索活動や通報で発見されたケースが63.7%,自力帰宅や家族による発見が32.3%であり,3.1%に当たる471人は死亡した状態で見つかった.当事者や家族,また警察や消防にとっては重大な問題だ.でも別の見方をしてみよう.2012年の朝田隆先生の調査をもとにすれば,現在わが国の認知症の人は500万人くらいだろう.ということは認知症の人の0.3%が行方不明になる計算になる.国民の印象からすれば案外少ないのではないだろうか.模擬訓練や通所サービスなどの整備も含めた対策が,ある程度成果を上げている証かもしれない.
 母から久しぶりに電話があった.「古いガラケーを交換したついでに,前から欲しかったタブレットも契約したのでよろしく」とのこと.相変わらず奔放だが,教育歴も職歴も経済状態も,ごく標準的な80歳の日本人女性であるわが母でさえ,携帯電話とタブレットを持つ時代である.車に乗れば,「携帯電話に接続できません」と言ってくる時代である.外出時に携帯電話を持たない高齢者は,今後減少の一途をたどるだろう.だから徘徊による行方不明者もそのうち減少に転じる可能性がある.
 「彼女,携帯持っとるから連絡はつくけど,どこかにおるか聞いてもわからんし,そこにおれといってもどっか行ってしまうし,結局GPSでわかるんやけど,この前なんか20 kmも離れたところにおってびっくりしたわ」と,しょっちゅう自宅から姿をくらます早発性アルツハイマー病の奥さんを抱えるご主人が言う.営業職なのでしょっちゅう帰宅しているから大丈夫とおっしゃるが,主治医としては「不安なので」と,何とかしてデイサービスへ通ってもらえることになった.「女房と娘に子ども扱いされた」と嘆く元町会長のお父さん.買い物帰りに慣れない道を歩いたら帰宅できなくなり,長年使い慣れたガラケーを青い自動車の描かれたキッズケータイに替えられたのだと.「最近のキッズケータイの機能すごいですよ.先生も奥さんのために替えたら」と娘さん.そんなことしたら酒場放浪できなくなるじゃないか.
 今,徘徊しているご老人はみな働き者で,なにかをしていないと不安になる人.「歌は世につれ世は歌につれ」というが,認知症の行動・心理症状(BPSD)も時代とともに変わっていくのだろう.当然,対応方法も変わってくる.われわれが認知症になるころには,外を出歩くような活発な認知症の人は少なくなるのではないか.自分がそうなったら,小型ゲーム機を持たせておけばよい.「チー,ポン,チー,ポン」と半永久的に麻雀ゲームをしているにちがいない.あるいは仮想現実の世界に浸るのもいい.VR(バーチャルリアリティー)技術がゲーム以外に応用される日も近いだろう.私は『三丁目の夕日』より少しあと,『20世紀少年』の世代である.昭和の街を,野山を,ランニングと半ズボン姿で駆けずり回る.そんな未来も悪くない.

BACK

2018/1 老年精神医学雑誌Vol.29 No.1
認知症と自損行動
新井哲明
筑波大学医学医療系臨床医学域精神医学

 日本における自殺者数は,1998(平成10)年以降14年連続して3万人を超える状況が続いていたが,2012(平成24)年以降は減少傾向に転じ,2016(平成28)年は22年ぶりに2万2000人を下回った.年齢階級別にみると,「40歳代」が3,739人で全体の17.1%を占め,次いで「50歳代」(3,631人,16.6%),「60歳代」(3,626人,16.6%),「70歳代」(2,983人,13.6%)の順となっており,初老期から老年期にかけての年代に自殺者数が多く,この傾向は変わっていない(警察庁自殺統計原票データから厚生労働省が作成した資料より).すなわち,認知症発症のリスクが高い年代に自殺者数が多いわけであるが,このなかで認知症の人がどれぐらいの割合を占めているかは不明である.
 従来,認知症の人は,遂行機能等の認知機能障害のために自殺は少ないとされてきた(Conwell Y, Crisis 16, 1995;Ferris SH, et al., Alzheimer Dis Assoc Disord 13, 1997;Harris EC, et al., Br J Psychiatry 170, 1997).しかし,2008年に発表されたデンマークの50歳以上約250万人を対象としたコホート研究の結果では,自殺既遂者5,699人中,認知症者数は136人であり,生存分析により相対リスクを算出すると,とくに若年(50〜69歳)の認知症者は一般人口の8〜10倍既遂のリスクが高いことが明らかとなった(Erlangsen A, et al., Am J Geriatr Psychiatry 16, 2008).日本の研究では,Koyamaらは,外来通院の認知症者634人中64人(10.1%)に希死念慮を認め,希死念慮が認められた群は認められなかった群に比べて,妄想,興奮,不安,抑うつなどの認知症の行動・心理症状(BPSD)がより重度であること,また認知症のタイプおよび重症度は希死念慮と相関しないことを報告している(J Affect Disord 178, 2015). また,伊藤らは,17年間に精神病院に入院したアルツハイマー病の人409例中13例(3.7%)に自殺企図が認められ,手段は縊首が最も多く,全例に抑うつ,心気,不安焦燥,妄想等の精神症状が認められたことを報告した(臨床精神医学 27,1998).認知症における自殺のリスク要因に関するこれまでの報告をまとめると,@認知症と診断されてから早期(3〜6か月以内),A病期が早期,軽度認知障害,洞察の保持,B若年,Cうつ病や他の精神疾患の合併,D自殺企図の既往,などが挙げられる(Haw C, et al., Int Psychogeriatr 21, 2009;Erlangsen A, et al., Am J Geriatr Psychiatry 16, 2008;Draper BM, et al., Int Psychogeriatr 27, 2015;Serafini G, et al., Curr Alzheimer Res 13, 2016).認知症に関連する脳の病理変化と自殺との関連性については,60歳以上の既遂者28例と対照例56例を比較したところ,神経原線維変化の程度を表すBraak scoreが既遂者のほうが有意に高かったという報告がある(Rubio A, et al., Biol Psychiatry 49, 2001). 一方,2017年の第36回日本認知症学会学術集会における吉田らによる連続法医解剖1,614例の検討の報告では,タウ病変と自殺との関連性は認められず,自殺と脳病理との関連性について現時点で一致した見解が得られているとはいえない.
 筆者が認知症の人の自殺に関心を持ち続けている理由のひとつに,過去の自身の手痛い経験がある.その方は,うつ状態で発症し,その後にパーキンソン症状が出現し,神経内科にてパーキンソン病の診断で内服加療が開始された.しかし,うつ状態が改善しないことから当科を紹介され受診.希死念慮は否定するものの抑うつ的であり,その他幻聴,幻視,被害妄想,注察妄想などの精神症状が認められた.記銘力障害と視空間認知障害が認められ,軽度の認知症レベルであり,脳血流SPECTにて両側後頭葉の血流低下が認められた.レビー小体型認知症と診断し,内服加療を開始したが,ほどなく縊首にて既遂されてしまった.この方は,上記の認知症の自殺のリスク要因のAとCが当てはまり,また認知症でなくても精神病症状を伴ううつ状態が自殺のリスクが高いことは周知の事実であり,既遂されてしまったことは筆者の力量不足によるというほかない.
 認知症における自殺の実態はいまだ不明な点が多いが,レビー小体型認知症に関しては,横浜市立大学保健管理センターの小田原俊成先生が研究代表者を務められ,多施設共同観察研究(レビー小体型認知症患者の抑うつ症状および自損行動に関する調査研究)が開始される予定であり,当科も参加施設に加えていただいている.真摯に研究に取り組み,認知症の人の自殺の病態解明とその防止に寄与していきたい.

BACK