2015/12 老年精神医学雑誌Vol.26 No.12
アルツハイマー病モデルのその先に
品川俊一郎
東京慈恵会医科大学精神医学講座

 Alois Alzheimerが進行性認知症の50歳代の女性症例を報告したのが1906年であり,その後の認知症研究の100年はアルツハイマー病(AD)研究の100年であったともいえる.基礎的研究でいえば,まず神経病理学的研究により老人斑や神経原線維変化の分布が明らかとなった.1970年代のモノアミン研究によりAD脳においてアセチルコリン系の機能低下が起こっていることが示され,これがコリンエステラーゼ阻害薬の開発につながった.そして1980年代からは分子生物学的な手法が用いられ,それによってAβタンパクとタウタンパクが抽出され,1990年代からは分子遺伝学的な研究により家族性ADの原因遺伝子が究明された.時を同じくして大規模な疫学研究が盛んに行われ,発症の危険因子の解明が進んだ.さらに1980年代からは画像解析技術の進歩とともに神経心理学的な研究によって大脳皮質の萎縮や血流低下のパターンが明らかになり,それに伴う認知機能障害の様式との対応が示された.こういった流れのなかで,ADは遺伝子-原因タンパク-組織病理-形態画像-認知機能-社会機能を1本の線で結ぶ変性疾患による認知症の疾患モデルとなった. あえて単純化していうならば,Aβタンパクが存在すれば記憶障害が出現し認知症となる,という「タンパクが症候を規定する」ともいえる,きわめて明快な疾患モデルである.その明快さがAD研究を促進し,一般市民に対しての疾患啓発を進めた.実際このモデルを基礎としてアミロイドイメージングの技術が開発され,原因タンパクをターゲットとしたdisease modifying therapy(疾患修飾治療)の試みが盛んとなった.根本治療薬の開発が期待されているが,現時点ではなかなか成功していないようである.2011年に発表されたNIA-AA診断基準においても,このモデルに従ったバイオマーカーが重視されており,タンパクを通じた連続性のある病態としてpreclinical AD,軽度認知障害(MCI),そして認知症をとらえている.
 一方で,1990年代の後半からは非アルツハイマー性の神経変性疾患にも注目が集まるようになり,とくにレビー小体型認知症(DLB)と前頭側頭型認知症(FTD)において,基礎研究と臨床研究が進んだ.これらの疾患の研究で明らかになったのは,その臨床-病理学的な多様性である.たとえばDLBの場合,α-シヌクレインタンパクの分布は脳幹から大脳皮質まで広範に及び,病変の分布によって錐体外路症状,自律神経症状,睡眠障害,認知機能障害,そして精神症状など症状は多岐にわたる.これらは必ずしもすべてが同時に出現するというわけではなく,前駆段階から出現する症状もあれば,症例によっては出現しない症状もある.DLBはパーキンソン病と連続する病態であり,また病理学的にADと高頻度にオーバーラップするということも明らかになった.近年,老年精神医学の分野ではこのDLB概念は勢いを増して普及しており,その是非には議論があるにせよ,これまで老年期精神疾患(老年期うつ病,遅発性パラフレニー)と考えられていた疾患群までDLB圏と診断されるようになった.他方,FTDの研究でクローズアップされてきたのは,その組織病理学的な多様性である. 類似のいわゆる「FTDらしい」特徴的な前頭葉症状を呈しても,その背景の原因タンパクはタウ(ピック病,大脳皮質基底核変性症〈CBD〉,進行性核上性麻痺〈PSP〉,嗜銀顆粒性認知症〈AGD〉),TDP-43(type A〜type D),FUSと多彩であることが近年明らかとなった.その意味において,FTDにおいては,ADにおけるAβタンパクのようなバイオマーカーの開発が困難である.そして,組織病理学的には筋萎縮性側索硬化症(ALS)やCBD,PSPといった疾患とも類縁疾患であるとされる.
 これらの疾患を通じてわれわれに突きつけられたのは,これらの疾患においては「タンパクは症候を規定できない」という現実である.DLBではα-シヌクレインタンパクが存在しても症候群は多彩であり,FTDでは臨床像が類似していても原因タンパクが多彩である.この明快でない現実は一見無情にも映るかもしれない.しかし疾患には常に多様性があり,疾患群はオーバーラップし,単純な一対一対応が通用しないスペクトラムであるという事実は,むしろこれまでわれわれ精神科医が認知症以外で常に経験してきた当然のことであるともいえる.われわれは一巡して振り出しに戻ったといえるのかもしれない.このADモデルが通用しない世界でこそ,その先にわれわれ精神科医の出番が待っていると考えている.

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2015/11 老年精神医学雑誌Vol.26 No.11
認知症診断と治療技術が解離する時代;精神科医療の必要性
安野史彦
奈良県立医科大学精神医学講座

 筆者が老年精神医学にかかわるようになって約20年になるが,この間,認知症の早期発見,早期鑑別について,長足の進歩があったと振り返って実感する.レビー小体病や前頭側頭型認知症など,各種の認知症疾患の診断基準について医療者の認識も高まり,疾患の鑑別精度が向上した.認知症の疾患早期への対応の重要性が認識され,認知症の病前クライテリアとして軽度認知障害(mild cognitive impairment ; MCI)概念が提唱されるようになり,認知症の前駆段階について医療の枠組みのなかで考えることが可能になった.そのような横断的,縦断的な疾患概念の広がりに加えて,神経心理,神経画像,髄液中のマーカーをはじめとする生物学的指標が臨床場面で使用可能になり,臨床的な判断のうえで大きな手がかりを提供してくれるようになった.
 とくに筆者がかかわりをもってきた脳神経画像に関して考えてみると,MRIの導入と普及により,より精度の高い脳器質的異常についての判断が可能になった.またSPECTによる脳血流撮像について,どのような領域がアルツハイマー型認知症の進展に伴い血流低下を示す可能性が高いのか,共通のコンセンサスが得られるようになった.さらに統計画像解析手法やソフトウェアの開発が進み,それまで主観的な判断に委ねられていた脳画像による疾患の有無と程度についての評価が,健常被験者との比較に基づいたより客観的な情報に従って行うことが可能になった.症候学的な診察を入念に行っても,認知症の診断や鑑別に迷う場合に,このような客観的な生物学的情報を得ることができることの意味は大きい.さらに現時点で臨床場面では未導入であるが,技術的には十分に活用可能な手法として,アルツハイマー型認知症に特異的な病理過程の検出を可能にするアミロイドイメージングがある.認知機能低下が明らかになる以前に,アルツハイマー型認知症の発症リスクの有無についての検討が可能である.またタウイメージングも開発段階であり,近い将来,タウオパチーについての客観的な診断に使用される日も近いかもしれない.
 問題がないわけではない.健常な人のアミロイド画像を検討すると,思っていた以上に多くの割合でアミロイドが増大していることに驚かされ,また,その人の将来について,いろいろとおもんばかる.一方で,個々人の脳の病的変化に対してもちこたえる力の個体差も,個々の画像検査の所見から思い知らされており,アミロイド増大所見を見いだしてから,はたして何年後に発症するのか,あるいはその人の天寿まで発症しないことがあるのか,個体差を踏まえたリスク評価の困難は,これまでに臨床上で経験のなかった新たな地平の問題だと感じる.この問題が未解決なうえ,アミロイド除去にかかわる根本治療のない現状では,アミロイド画像の適用も制限されざるを得ない.
 このように症候学的な臨床診断精度の向上,生物学的な客観情報の援用,さらには生体内での病理過程を検出することでの発症前段階でのリスク評価に至るまで,新たな問題を生みつつ,診断鑑別技術は長足の進歩を遂げてきた.しかしながら,治療的側面についてみた場合,いかがであろうか? 脳循環代謝改善薬が有意な効果を否定され,診断後の積極的な治療の方法がなかった時代を思えば,現在,4種類のアルツハイマー型認知症治療薬が一般臨床で使用可能であることは大きな進歩である.しかしながら,これらの治療薬の効果は部分的にとどまり,根本治療からはほど遠い.これらの治療薬の効果に十分満足している認知症専門医はいないと思われる.現在,異常アミロイドやタウタンパクの除去や合成・凝集阻害薬の開発が,たびかさなる治験の失敗にもかかわらず,精力的に続けられている.将来,10年か20年後にはアルツハイマー型認知症の根本治療薬は,開発されるものと信じる.その時点から現在を振り返れば,戦前の結核や梅毒と同様に,病理は特定され,診断技術もかなりの水準で確立しているが,治療手段の限定された時代の病として認識されるのであろうか? 楽天的にすぎる見方かもしれないが,過去のさまざまな疾患を克服してきた人類の英知を思うと,妥当な見方とも思う.
 与えられた時代の技術の制約のなかでも,臨床医としては,できるかぎりのベストを尽くしていかなければならない.現状の治療に先行する診断技術の進歩の結果として起こる「早期診断,早期絶望」に陥らない医療を実現しなければならない.幸い,われわれ精神科医は,その長い伝統のなかで,完全に治癒には至らない各種の精神疾患患者を対象にさまざまなアプローチを駆使して,よりよい生活を送っていただくことに習熟してきた.認知症患者および家族間の精神的なかかわりを評価し,生物学的な背景を理解しつつ,心理社会的な側面について注目し支援を行うことで,可能な限り,本人と家族の生活をより妥当なものにすることが患者の精神行動面の安定化につながる.治療技術的に制約のある現状のもと,今こそが精神科医が認知症医療に携わらなければならない一つの時代なのだと感じている.

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2015/10 老年精神医学雑誌Vol.26 No.10
国民総幸福量と世界幸福度
三森康世
広島国際大学総合リハビリテーション学部リハビリテーション学科

 高齢者の医学・医療の目標として「QOL(quality of life)の維持,向上」というキーワードが必ず挙がってくる.QOLにはさまざまな要素があり,個人個人の背景や生きがいまで踏み込んだ評価が必要であるが,それらのなかで個人の,そして社会の幸福感,満足度は最重要の項目であろう.
 国民総幸福量(gross national happiness ; GNH)という言葉がある.国民総幸福感と訳されることもある.これは精神面での,言い換えれば心の豊かさを指標として国民の社会的,文化的生活を評価,考察しようという考え方である.この考えは国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)といった経済的,物質的豊かさやそれらに派生する社会環境の充足度に基づいて評価,比較されてきた,これまでの国際社会のなかでの国家の位置づけや達成度,あるいは国家間の比較に対する疑問から,近年,世界的にも多くの注目を浴びるようになっている.GNHは1972年に,ブータン王国のジクメ・センゲ・ワンチュク第4代国王が提唱したもので国家の理念となっている.一言でいえば「国民総幸福は国民総生産よりも重要である」という信念に基づく考えであり,@持続可能で公平な社会・経済の発展,A自然環境の保護,B伝統文化の保護と発展,Cよりよい統治,の4つの柱からなっている.方法上の問題点も指摘されているものの,2005年の調査ではブータン国民の95%以上が「自分は幸せである」と答えているという結果が報告され,わが国でもセンセーショナルに取り上げられた.
 一方,今年になって以下のようなニュースが飛び込んできた.国連は『世界幸福度報告書2015年度版World Happiness Report 2015』(2015年4月23日発表)のなかで各国の幸福度をランクづけしている.これは1人あたりのGDPが高い,健康寿命が長い,社会福祉が充実している,寛容度が高い,人生の選択における自由度が高い,汚職や腐敗が少ない,などの項目を指標として数値化して比較したものである.この方式は従来のGDPや社会環境整備,寿命を重視した判定法を発展させた折衷的な評価ということができよう.報告によると,第1位はスイスで,上位10か国にはヨーロッパ諸国(とくに北欧諸国)が名を連ねており,日本は158か国中46位,前述したブータンは79位であった.日本の位置づけは中位ということになり,同程度にランクされた国としてはウズベキスタン,スロバキア,韓国,エクアドル,バーレーン,イタリアなどがある.本報告は,開始されたのが2012年で毎年実施されており,今後の推移を見守っていきたい.
 もちろん国家の幸福度と個人の幸福度は異なる次元のものであり,簡単には比較はできない.しかし,いくつかの共通したポイントを挙げることはできる.第1は,なにを指標として「幸福」を測定するかというむずかしさである.評価項目としてなにを選ぶかによって結果は大きく変わってしまう.幸福度,幸福感はあくまでも主観的なものであり,数値化しにくい.最も簡便なものはVisual Analogue Scale(VAS)を用いる評価法であろうが,そのなかに含まれる個人個人の思いを汲み取ることはできない.第2に,幸福を考える際にはその人の価値観を重視しなければならないが,そこには伝統や文化,個人の歩んできた歴史,さらには家族,地域,宗教といった要因が多かれ少なかれかかわってくる.国を比較する際にも単なる順位や点数に注目するばかりではなく,その中身をよく考察しなければならない.個人の場合においては「全人的な」かかわりが求められてくる.しかし,限られた時間のなかでじっくりと患者に向き合う時間は医師にはないのが現状である.これを補うためには他職種との連携が必須である.第3に,幸福度,幸福感は主観的なものであるがゆえに変動しうるものであると考えている.個人のなかでも年代,環境,合併症(障害),社会制度などの影響で変化し,変動するものであり,その状況や原因をしっかりと分析することが求められている.
 わが国は世界一の長寿国であり,65歳以上の高齢者人口はすでに3000万人を突破している.高齢者の「幸福」をどのようにとらえるのか,その実現に向けてどうサポートしていくのか,はこれからの大きな課題である.ブータンや幸福度ランキングで日本よりも上位の国々(それらは決していわゆる先進諸国ばかりではない)の特色や課題,そして個々の努力からわが国が学ぶものは決して少なくないはずである.

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2015/9 老年精神医学雑誌Vol.26 No.9
認知症50年の想い
三山吉夫
藤元メディカルシステム大悟病院老年期精神疾患センター

 私が医師になった1963年ごろは,「痴呆」(認知症)を専門にしようとする人は,非常に少なかった.神経精神医学講座の大学院で研究テーマの検討にあたり,今後わが国は平均寿命が延びて高齢者が増えることから,老年精神医学が注目される領域となり,その過程で認知症が問題になってくると予想された.そのころ,わが国で神経病理学の大家であった故武谷止孝先生から「痴呆の神経病理」がテーマとして与えられた.当時の九州大学(以下,九大)病院精神科病棟には,進行麻痺は常時2〜3例は入院していたが,アルツハイマー病やピック病は年に1〜2例であった.当時,九大精神科脳病理研究室には,九大病院で剖検された症例(全診療科)の脳がすべて保管されていた.私が研究を始めたころ,九大精神科には約4,600例の脳があった.そこで,そのなかから,死亡時60歳以上の症例の臨床経過から生前の認知症の有無を検討し,対照例とあわせて脳を検索し学位論文とした.当時,わが国では,アルツハイマー病やピック病の一剖検例が症例報告される時代であった.以来,認知症の症例を初期から亡くなるまで受け持ち,ご家族の理解を得て脳病理学を続けて50年が経った.
 さて,時代は変わり30年前ごろから,高齢者数の増加とともに認知症が社会問題になり,認知症を専門とする医師が急増した.私が医師になったころは,精神科医でも「変わり者」といわれるような者しか認知症を診ようとしなかったのであるが,最近は精神科のほかに神経内科,老年科,内科,脳神経外科,整形外科等,小児科を除くすべての診療科が診るようになった.しかし,50年間認知症を診ていると,最近の認知症の理解はこれでよいのか,と考えるのは私だけかと不安になることがある.認知症に真剣に向き合っている人の多くは,そのように感じているのではなかろうか.
 社会問題となっている認知症は,多く(85〜90%)が80歳前後の発症で,人生の最終期にある高齢者である.80歳以後の高齢者で残りの人生をどのように過ごそうかと考えている人である.2年前,わが国の認知症高齢者の推定数が,ほぼ時期を同じくして2つの専門機関から発表されたが,その数に100万人の差があったのをどのように理解するのかについての意見を知らない.診断基準は国際的に定められているし,その解釈に差があるとは思われない.私は,そこにはそれぞれの専門機関の認知症に対する想いに差があったと理解するのである.認知症は生物学的モデルであり人間学的モデルでもあるから,そのどちらに想いを傾けるかの差であろうと考えたのである.バランスのとれた診断が,とくに精神医学では求められるが,多くの報告をみると,簡単な生活歴,心理検査,画像検査等での除外診断から決定されていると判断される.認知症は脳の病気であるとしながらも,剖検で確かめられている報告はきわめて少ないのが現実であろう.初期〜中期〜末期まで,かかりつけ医として付き合い,可能であれば脳の病理まで診ると,横断的な診断の問題点に気がつくはずである.
 診断基準だけで認知症と診断してよいものか,除外診断で安易に認知症とするのは高齢者の人権や尊厳に反していないか,と考えたりするのである.後期高齢の認知症の人の多くは,その人の生活習慣からの「なりゆき」や「生きざま」に基づくその人の認知機能の低下であり,認知症の診断のもとにひとくくりにできるものではないと考える.80歳ごろから認知症と診断された症例の脳をみると,加齢相応か病的かの鑑別がむずかしいことが少なくない.その人の自然加齢の範囲と考えることができることも多く(私個人の想いの影響もあるが),高齢者が自分の心身の健康管理に関心を向ければ,その人の加齢相応の認知機能低下(age-associated cognitive decline ; AACD)で人生を終えることができると思われる.Braak and Braakの組織診断学的基準に従っても,後期高齢者の認知症では,臨床と病理がかみ合わない症例が少なくないのである.認知症は人間学であり,その人の全生活史を知らずしては語れないと思う.人間学的モデルを優先したほうが,高齢者の尊厳,福祉の理念に沿うことになり,高齢者にとっても優しい国になるのではないであろうか.
 認知症の課題はいまだ夜明け前の状態である.社会学,倫理学,法律学を積極的に巻き込んだ高齢者学の発展が望まれるところである.

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2015/8 老年精神医学雑誌Vol.26 No.8
サクセスフル・エイジング
武田雅俊
藍野大学

 高齢者の特徴は個人差が大きいことである.人は皆似たような赤ん坊として生まれ落ちるが,さまざまな環境における人生を経験し,異なる家庭,教育,経験,就労を体験しながらそれぞれの人生を経験する.数十年の多彩な生物的,心理的,社会的経験の結果として高齢期を迎えることを考えると,高齢者には個体差が大きいことが理解できる.高齢者の多様性を考慮すると,これまでのような正常か病気かの単純な二分類では不十分であろう.高齢者の多くは,「通常の老化」から「成功した老化」までの幅広いスペクトラムのどこかに位置づけられるものである.
 理想的な高齢期を表す用語として「サクセスフル・エイジング」「アクティブ・エイジング」「クリエイティブ・エイジング」などが提唱されている.そしてサクセスフル・エイジングを構成する要件として,(a)身体的健康,(b)正常な認知機能,(c)人生の満足(ウェルビーイング),(d)社会活動・社会的生産性,の4つが挙げられることが多い.(a)は身体的疾患にかからないことであり,最も基本的な要件であるが,ここでは(b)〜(d)について考えてみたい.

1.認知予備力(cognitive reserve)
 アミロイド沈着,神経原線維変化,神経細胞脱落はアルツハイマー病の基本的病理と考えられてきたが,同程度の病理所見を示す患者群においても,認知機能には個体差が大きいことが知られている.実際に死後剖検脳においてアルツハイマー病の病理を呈する人のなかには生前に認知機能低下を示していなかった人がいることも知られている.このような事実から,アミロイド沈着や神経原線維変化の量は,必ずしも認知機能低下と相関しない場合があることが理解されるようになった.そして,病理所見と認知機能の乖離を説明する仮説として認知予備力の概念が提唱されている3).認知予備力が高い個体においては,アルツハイマー病理があったとしても認知機能を維持できる可能性がある.

2.アンサクセスフル・エイジング
 「不成功の老化」の代表は認知症(dementia)であろう.認知症はサクセスフル・エイジングの対極にあり,さまざまな社会的機能の障害を意味する.DSM-5では,認知機能について,(複雑な)注意力,実行機能,記憶・学習機能,言語機能,知覚・運動機能,社会認知機能の6つの領域を規定している.これらの認知機能を構成する6領域は,同時に低下するものではなく,患者ごとに異なる領域の機能がさまざまな程度に低下しており,認知機能低下によりもたらされる症状には多様性がある.そして,認知症患者の認知機能低下は人生の満足度を低下させ,さらには社会活動や社会的生産性を損なうことになる.
 これまでは,認知機能が維持できることは,人生の満足の条件であり,さらに人生の満足があることが,社会活動をなすための要件であると考えられてきた.すなわち図1左に示すような階層構造で理解されてきた.しかしながら,認知予備力についての検討は,(b) 正常な認知機能,(c) 人生の満足 (ウェルビーイング),(d) 社会活動・社会的生産性の間には相互関係があり,必ずしも単純な階層構造ではないことを示している.

3.認知予備力としてのウェルビーイングと社会活動
 認知予備力を高める因子として,社会活動,運動,食事などが重要とされているが,ここでは社会活動について考えてみたい.社会活動はサクセスフル・エイジングの重要な要件であることはいうまでもない.高齢者が身体的に健康であり,認知機能が正常であることをベースとして,ウェルビーイング(個人的生活のQOL)があり,さらに社会的役割意識とその達成感が加わることにより,社会活動・社会的生産性が達せられる.これまではサクセスフル・エイジングは図1の左に示すように,認知機能が正常であり,個人的生活が充実(ウェルビーイング)していることが,社会活動の必要条件になると考えられていた.
 一般的な高齢者における認知機能低下の様子をみると,機能低下が早くから始まる場合には,その低下速度は比較的ゆっくりであり,認知予備力が高い人にあってはある程度までは機能低下に抵抗してその機能低下を防御できることが知られている.しかしながら高い認知予備力を有する人でも,いったん機能低下が始まると認知機能は急速に低下することが知られている.別の言葉でいうと,認知予備力とは,認知機能低下の始まりの時期を遅らすものである.そして,認知予備力を高めるためには,運動と社会活動が重要であることを指摘しておきたい2).
 高齢者となっても働き続けることは心身によい影響を及ぼすと古くから考えられてきたが,実際にフランス人において60歳で退職すると65歳まで仕事を続ける場合と比較して認知症発症のリスクが15%高くなることが報告されている1).仕事を続けることが認知機能と社会機能によい影響を及ぼすことが示されており,仕事による社会活動と社会生産性が認知予備力を高めることに役立つことを示す報告であろう.ウェルビーイングと社会活動は認知予備力を高めることにより,高齢者の認知機能維持に役立っているものと考えられる.体調に問題がない限り,70歳以降も働き続けて健康増進と長寿を目指すことが可能であることを示す知見であろう.毎日の運動,脳の刺激,他人との交流は認知予備力を高めるライフスタイルであり,健康長寿のためには重要な観点である.

[文 献]
1)Dufouil C, Pereira E, Ch麩e G, Glymour MM, et al.: Older age at retirement is associated with decreased risk of dementia. Eur J Epidemiol, 29 (5) : 353-361(2014).
2)柴田 博,杉原陽子,杉澤秀博:中高年日本人における社会貢献活動の規定要因と心身のウェルビーイングに与える影響;2つの代表性のあるパネルの縦断的分析.応用老年学,6 (1):21-38(2012).
3)Vemuri P, Weigand SD, Przybelski SA, Knopman DS, et al.: Cognitive reserve and Alzheimer’s disease biomarkers are independent determinants of cognition. Brain, 134 (Pt 5) : 1479-1492 (2011).

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2015/7 老年精神医学雑誌Vol.26 No.7
日本の教育現状
阿部隆志
医療法人あべ神経内科クリニック

 文部科学省が発表した統計によれば,2013年度に心の病や精神疾患を理由に休職した公立小中高等学校の教師は5,078人に上る.公立学校の教師は全国に約90万人いる.ということは0.6%,要するに200人に1人の割合で,心を病んでいる教師がいる計算になる.いささか乱暴に言うなら,近所にある3〜5校に1人は確実に精神を病んだ教師がいるということになる.精神的に追い詰められる教師が増えた理由は,あまりにも仕事が多忙で,生徒とうまくコミュニケーションをとれないことがいちばんの原因のようだ.2013年に,経済協力開発機構(OECD)により,中学校の学習環境や教員の勤務環境についての国際調査が行われた.日本は今回初めて参加したが,10項目に分かれた労働時間の総計をみると,日本の教師は国際平均の1.4倍も働いていた.労働時間の内訳をみても,ほとんどの項目が国際平均を上回っており,興味深いことに,次の2つの項目は国際平均に達していなかった.1つは授業,もう1つが保護者対応であった.つまり,教師の仕事として最も重要である部分が低いという結果であった.昔は,教師という職業に対する尊敬の念が強かった.地方には「先生様」という言葉が残っており,以前は教師というだけで敬意を表されたと語る元教師もいる.しかし,教師といえば格の高い職業という意識があったのも今は昔.社会全体が高学歴化した現代では,「先生よりも自分のほうが学歴は上なのに」という思いをもつ保護者が少なくない.教師たちは,そういったプレッシャーに日々さらされている.精神的にぎりぎりまで追い込まれている教師は相当数に上っている.彼らはもう,満杯のコップに1滴でも水が入ったら,すべてが決壊するような,危うい精神状況で働いているのである.
 「日本の教師はダメだ,『ゆとり教育』で学力が低下した」―― こうした言説が国内では流布している.しかし,国際機関が日本の教育や教師を高く評価していることは,ほとんど報道されていない.たとえば2014年6月に発表されたOECDの「国際教育指導環境調査」(TALIS)である.「日本の教師は世界一忙しい」という結果ばかりが注目されていたが,来日していたアンドレアス・シュライヒャー局長は記者会見で,日本の教師(調査対象は中学校)を「非常にすばらしい.生徒の学習到達度調査(PISA)で最もよい結果を出しているのに,もっと学ばせたい,もっと力をつけさせたいと考えている」と絶賛している.3年に一度実施されるPISAに関し,国内では2003年や2006年の結果が学力低下の根拠とされ,2009年以降は「脱ゆとり」のおかげで急回復したとのストーリーが出来上がっている.しかし,PISAの実施主体であるOECDは,そんな見方を一切していないようである.「ゆとり教育」の代表例とされる,「総合的な学習の時間」にしても,OECDが推奨している未来志向の学力「主要能力(キー・コンピテンシー)」「21世紀型スキル」を身につけさせる学習であるとみている.そもそも文部科学省は自らの教育課程政策を「ゆとり教育」と呼んだことはないし,ましてや「ゆとり教育はまちがっていた」などとは一言も言っていない.次期指導要領の改訂でも「アクティブ・ラーニング」の導入など,OECDが推奨する路線をひた走ろうとしているが,覚える知識の量は減らしても考える力を伸ばそうというのは「ゆとり教育」と呼ばれた政策が目指していた方向であったようである.謙虚さは日本文化の特質でもあるが,日本の教育や教師に対しても「ダメだ」という思い込みがあるため,海外から「強み」を指摘されても理解できない,あるいは自ら立てたストーリーに呪縛されて正しい自己認識ができていないようである.最近,「日本人のここがすごい!」といった番組や書籍がもてはやされているが,「強み」が正しく認識できないということは,裏を返せば「弱み」を正しく把握して改善したり伸ばしたりすることができない,ということでもある.グローバル化への対応をめぐっても自己主張できない日本人の問題ばかりが指摘されるが,国際交渉に携わる人に言わせれば「相手の話をよく聞き,異なる意見をまとめるのは日本人の強み」なのだそうである.
 最近,県内で中学2年生が「いじめが原因」で自殺したという報道がなされた.生徒が,2か月前から担任教師との連絡ノートに「いじめられていることを書いていた」ということで,担任教師と学校側の責任が強く問われている.いじめの問題は,教師の児童生徒観や指導のあり方が問われる問題でもあるが,いじめの問題の解決には家庭がきわめて重要な役割を担うことはいうまでもない.いじめの問題の基本的な考え方は,まず家庭が責任をもって徹底する必要があり,家庭の深い愛情や精神的な支え,信頼に基づく厳しさ,親子の会話や触れ合いの確保が重要であることを肝に銘ずるべきである.
 これからの「日本の教育」で必要なものは,学力の向上ではなく,生徒の個性や差異を尊重する態度やその基礎となる価値観を育てる指導を推進することであり,「道徳教育」「心の教育」を通してかけがえのない生命,生きることの素晴らしさや喜びなどについて指導すること,が必要であると考える.

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2015/6 老年精神医学雑誌Vol.26 No.6
認知症の臨床アプローチの課題;私の邂逅した体験
長谷川和夫
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長

 超高齢社会のわが国には,65歳以上の認知症の人の数は全国で462万人と推定される.さらに前駆状態の軽度認知障害(MCI)高齢者の400万人を加えると,実に800万人を超える人がその対象となる.認知症は,中核症状としては記憶低下,失語,失行,失認,人格水準低下などがあり,さらに行動・心理症状(BPSD)として妄想,引きこもり,攻撃性,徘徊,失禁などが加わる.介護する家族の苦労も著しく,自身のうつ状態や心身症などに苦しむことになる.
 私が認知症医療に関わり始めたのは,1968年からなので,約47年になる.それ以前の15年間では,一般精神科の臨床経験をもった.すなわち東京慈恵会医科大学を卒業後,同大学精神神経科学教室に入局し,高良武久主任教授より森田療法について学んだ.1956年より2年間はアメリカに留学し,IBCというキリスト教関連団体のサポートを受けて,ワシントンD.C. にある聖エリザベス病院で精神科のレジデントになった.そして,留学期間最後の6か月間に,ジョンズ・ホプキンス病院脳外科教室にて臨床脳波の研修を受けて帰国した.さらに,1960〜1962年にかけて,カリフォルニア大学医学部(サンフランシスコ)の神経内科に客員講師として赴任し,R. B. Aird教授のもと研究に携わった.この2回の留学体験はその後の私のキャリアに大きな影響を与えた.
 省みて私は運命的といってよい出会いをもった.恩師である故新福尚武先生から薫陶を受けたことである.それは邂逅といってもよいであろう.邂逅とは自己の根源を揺さぶられるような優れた人との出会いである.まさに私が老年精神科医として今日あるのは,新福先生との邂逅があったからである.1956年に先生は鳥取大学から慈恵医大精神神経科の主任教授として赴任された.当時私は医局長であった.ある日の早朝のこと,医局員がたむろしていると,隣の教授室からバタンとドアを開ける音がする.そして2分も経たないうちに再びドアの音がする.廊下に出てみるとそこには精神科病棟に向かわれる先生の後姿があった.48床の病棟の1人ひとりの患者を担当医と同じくらいに知悉しておられた.
 新福先生は,東京都内の老人福祉施設の利用者を対象として精神保健調査を行っていたこともあり,認知症の診断の目安になる尺度を作成することを私に勧められた.そこで種々の検討を重ねた結果,1974年に記憶,見当識および一般知識を問う11の質問項目よりなる長谷川式簡易知能評価スケール(HDS)を開発したのである.HDSは,その設問の難易度に応じてギルフォード法により得点の重み付けを行った結果,全問正解すれば32.5点,正常は31点以上,10点以下は認知症と評価した.このHDSの認知症の診断を数量化した試みは,一般臨床医にも認知症の有無をみることについて扉を開くこととなった.また1991年には,HDSは不適切な項目を除いて一般高齢者にも適用できるように修正された(改訂長谷川式簡易知能評価スケール〈HDS-R〉).HDS-Rでは,満点は30点で,20点以下の場合は認知症の疑いありとした.本スケールは簡易スクリーニング検査であるため,本スケールのみによって認知症の診断を行ったり,その重症度を評価することは避けるべきであることはいうまでもない.超高齢社会にあって高齢期の認知症はcommon diseaseであり,専門医の領域だけでなく広く一般臨床医の領域に移りつつあるといえよう.
 新福先生は,なにか課題に直面したときに,その本質をしっかり把握されることにも長けておられた.たとえば教室内での問題を抱えて相談に伺うと明快なお答えをいただいたものである.それは私自身が日常の課題に向き合ううえでの姿勢として学んだことであった.退職してお歳を召されてからも新年のご挨拶に伺っていた.お元気で悠々自適の晩年を送られていたが,2012年2月12日に逝去された.享年99歳であった.
 さて,1985年の夏のことである.スイスのバーゼルで研究集会があり,たまたま国際老年精神医学会(IPA)の役員が顔をそろえた.そのとき,1987年の第3回IPA総会(シカゴ)に続く1989年の第4回総会の開催地を決めることになった.まずイスラエルの代表が名乗りを上げ,続いてイギリス,さらにイタリアも候補に,となかなか決められない状況になった.そのときドイツのBergener教授が,突然私を指名した.私は一瞬困惑したが,今この機会を逃したらいつ日本に順番が回ってくるかわからないと考えて“承諾”の答えをした.当時,日本にはIPAを迎える学術組織はなかったので,たいへんな決断をしたものだと思った.帰国後すぐに都心で行われたある研究会のあと,永田町の小さな喫茶店で大阪大学精神科の西村健主任教授(当時)に状況を説明して,早急にIPAを受ける組織をつくること,そして第4回IPA総会の準備を進めることを相談した.西村先生に即座に賛成していただいたとき,私は100万人の味方を得たと思った.1986年,第1回の老年精神医学研究会を川崎市の日航ホテルで聖マリアンナ医科大学の私が担当世話人として開催した.1日のみの小さな集会で,およそ100人弱の参加者であったが,そこには新福先生の特別講演があり,20の演題が発表され,老年精神医学の基礎と臨床にわたる発表と討論には自分たちのアイデンティティーを満足させる魅力に喜びを感じるという体験をした.
 その世話人会で第4回IPA総会のことを相談したところ,大阪大学の金子仁郎名誉教授から,「会長は引き受けてきた長谷川に」と提案され,責任を再び痛感したことであった.西村先生には組織委員長として全体の学会運営をまとめていただくことになった.そして第4回IPA総会は,1989年9月5〜8日まで新宿のセンチュリーハイアットホテルを会場として国内外より約750人超の参加者を得て,盛会裏に終わった.
 2000年4月,国は介護保険法と成年後見制度を施行するとともに認知症介護研究・研修センターを東京都杉並区,宮城県仙台市,愛知県大府市に設立し,私は東京センター長として赴任した.現在,認知症ケアの主流をなす理念は,Tom Kitwoodが1997年に提唱したperson centered careである.その人を中心にしたケア,私たちと同じ人格として対応するケアである.その人の視点に立ち,その人の内的体験を理解し,個別的な自分史を尊重していく対応である.私はこの理念を保健・医療の実践にも適用したいと考えている.患者や家族が暮らしていくときに体験する不便,苦悩,悲しみなどを理解して日常診療に活かしていくことである.さらに認知症の人,当事者が自分の体験を公的な場所で公表し始めたことは,認知症の対応に大きなインパクトを与えている.2014年11月,G7認知症サミット日本後継イベントが東京・六本木ヒルズで開催された.これは,2013年12月にロンドンで開催されたG8認知症サミットに続くもので「認知症の予防とケア」がテーマであった.安倍晋三総理大臣も出席し国家戦略を策定する方針を示し,さらに「本人に寄り添い,認知症の人とともによりよく生きていくよ うに支援する」姿勢を明確に示した.「認知症は病気,生活習慣の改善が重要である.生涯を通じリスクは発生する.予防を始めるのに早すぎる,遅すぎるということはない」との発表を心強く感じた.また認知症のケアについては,日本の認知症サポーター養成の取組みがWHO(世界保健機関)などから高く評価され,これまでに約550万人の市民が参加しており,このシステムはイギリス,カナダなどにも広がっているという.重要なポイントは人が人を支えるということで,ケア職などの専門職の育成と処遇の改善を早急に行うことである.認知症の最終目標は,私たちが認知症になっても安心して住み慣れた地域で暮らせるまちづくりを進めることである.さらに一般市民への啓発活動を行い,地域が積極的に支えを担っていくことである.地域ケアの構築である.市民との連携をつくって,ぬくもりのある絆をつくっていくことになる.この仕組みを維持していくことが,これからの時代に求められている.また認知症の人が安心して住める地域は,身体障害者や精神障害者,さらに幼少児や高齢者にとっても安心して住めるまちであり,その際に最も必要な診療実力をもつ組織が 日本老年精神医学会であることを期待したい.

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2015/5 老年精神医学雑誌Vol.26 No.5
私の人生の終局
原田和佳
和栄会 原田医院

 知命を過ぎてから時折,「私はどのような姿で人生の幕を閉じるのだろうか」と思索するようになった.愛棋家らしく,人生を一局の将棋になぞらえて想像するなら,「私の人生の終局図(投了図は敗北を意味するものなので,あえて終局図とする)はどのような図面になるのであろうか」
 近年,当院(精神科クリニック)では患者さんの高齢化が進み,彼らの人生の終盤から幕切れに接する機会が増えてきた.当院への通院が困難となり,他院入院や施設入所された場合は,最終盤をつぶさに観察することは不可能であったが,後日その方の終局の様子をご遺族と語り合うことはできた.
 人生の終局図は幸か不幸か当事者は見ることができず,その評価は遺された人たちに委ねられるものである.「まだ戦える,勝負はこれから」と思える場面でのあっけない幕切れ,刀折れ矢尽きた凄絶な終焉,孤高を貫いた終局図など,同じ局面は2つとなく,まさに人それぞれである.
 臨終に関していうと,ある生命保険会社のアンケート調査の「理想の最期とは?」という質問の回答で圧倒的に多数派を占めたのは「突然死派」であり,「家族に迷惑をかけたくないから」や「苦しまずに逝きたいから」が主な理由であった.
 近年「終活」という概念が注目されているが,その背景には「人生の終盤に子どもたちに負担をかけず,可能な限り自分の意思を盛り込んだフィナーレにしたい」という思いが込められている.これは「自分らしく誇り高い終局図でありたい」とも言い換えられるのではなかろうか.
 ふと85歳の父(精神科医)がやはり50歳代のころ,県医師会報に投稿した随筆を思い出した.そこでは,自身の父,祖父はいずれも80歳前後に突然死というかたちで旅立っており,「当家は頓死の家系に相違ないから,私もだれの手も煩わさず,ある日忽然と息を引き取るものと期待している」と「突然死派」願望を表明していた.筆者もその思いが理解できないわけではない.しかし,「決して楽ではなかった序盤,勝負手を連発した中盤,忍耐を重ね,粘り強く指し続けた終盤の果てが頓死ではあまりにも寂しすぎる」が本音である.
 小説やドラマと同様,人生もラストシーンは印象深いものが多い.とくに故人との別れの場面,最後に交わした会話は深く心に刻まれやすい.話すのもやっとの状態で絞り出すお礼の言葉はもちろんのこと,「どうしてこんなにぼけてしまったのかなぁ」「長く生きすぎた」「皆に迷惑ばっかりかけて申し訳ない」などと自嘲気味に語る姿はことさらである.それが最後の会話だとわからなかった未熟な筆者はどのような言葉を返すことができたであろうか.まさに「後悔先に立たず」である.
 ここでKさんの衝撃的なラストシーンを紹介したい.早くに夫と死別したKさん(初診時84歳)は約3年前よりレビー小体型認知症にて,当院に通院していた.初診時より「悪党が息子や私の家を狙っている」という幻覚・妄想が持続していた.長男は15年来当院に通院中であり,若いころは事業の失敗から自棄になり,悪い仲間と組んで騙されたり,裁判沙汰になったりで,Kさんの悩みは尽きなかった.一昨年夏,長男は悪性腫瘍に冒され,一時危篤状態に陥ったが一命をとりとめた.このころからKさんの身体機能はとみに低下してきた.長男は退院し,仕事に復帰していたが,PET検査で腫瘍の再発が疑われ,予後は不良と宣告された.
 晩秋の寒い日の夜明け前,家を出て数時間歩き回ったのちに警察に保護されて帰宅したKさんは,その日からほとんど食事がとれなくなり,総合病院入院となった.そして,入院数日後,肺炎,心不全にて急逝した.薄れゆく意識のなかでうわごとながら,しっかりとした口調で「絶対あいつらの仲間にはいるなよ,家を守れよ」としきりに長男を諭した.亡くなる数時間前,「お母ちゃん,しっかりしてくれ.オレ,親不孝息子だけど,これから精一杯罪滅ぼしするから,長生きしてくれよ」と涙ながらに語る長男に,少し微笑みながら,「お母ちゃんがお前の毒を全部食べてあの世に持って行ってやるからな」 ―― それがKさんの最期の言葉であった.
 葬儀の数週後,検査で長男の腫瘍は消えていた.Kさんの死後約半年経った今,長男の経過はきわめて良好であり,担当医も驚嘆しているらしい.
 「母が命を削って私にくれた最後の贈り物を一生の誇りにしたい」と語る長男のまなざしは凛として実に誇らし気であった.
 人生の終局図は当事者一人で作成するものではなく,周囲の人々との共同制作といえよう.まさに当事者と縁者が織りなした厳かな作品である.むろん優劣を競うものではないが,死力を尽くした感のある終局図は当事者の尽力のみならず,共演者の貢献度も大きいと思われる.そう考えると,精神科医として,あるいは一人の共演者として(たとえエキストラでも),ご縁あってかかわった人々の終局図が,後味のよいものとなるようなお手伝いを筆者が担うことができるならば,このうえなく光栄なことではなかろうか.
 筆者は願う,「私の終局図は遺された子孫のためにも,さわやかで潔いものであってほしい」と.

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2015/4 老年精神医学雑誌Vol.26 No.4
首を回らせば……
深津 亮
西熊谷病院

 周知のとおり,わが国は高齢化への道を一途にたどっている.平成25(2013)年10月1日現在では総人口は減少して1億2730万人となり,4人に1人が高齢者となった.高齢者人口の急激な増加によって認知症者数の増加がもたらされるのは必至である.実際,最近の調査研究によると,認知症者数は,平成24年時点では462万人,団塊の世代がすべて75歳以上となる10年後の2025年には最大730万人に達し,高齢者のおよそ5人に1人に上るとされる.認知症者と軽度認知障害者は膨大な数に達している.「どこまで増える認知症」といわれるゆえんである.
 高齢社会は@後期高齢者の増加,A高齢者世帯の増加,独居高齢者の増加,B大都市部の急速な高齢化(限界集落化),C高齢者多死社会などの影の部分を生み出してはいるが,平均寿命は伸長して男性80.2歳,女性86.6歳と男女ともに80歳超となって,健康寿命(平均自立期間)は,男性71.2歳,女性74.2歳であり,非自立期間は男性8.9年,女性12.4年となり,世界的にみてもわが国のそれは最高の水準にある.これらの側面は「高齢者の高齢化」によってもたらされた光の部分といえる.
 老年期をどのように生きていくのか ―― 定見をもって生きることは,他の年代に比較してもなかなかむずかしい問題がある.たしかにフォスターが指摘するように,「老年」と「歳をとること」とは同じではなく,老年期の捉え方という精神的側面の果たす役割が大きいためと思われる.諸賢の生きざまをみると,老いとそれに伴うすべてを受け入れ,肯定し,そのうえで老人の品位ある生き方を考えることが必要であるらしい.良寛もその代表的な一人であろう.浅学菲才を顧みず良寛さまを振り返ってみたい.

 草庵雪夜の作
 首を回らせば七十有余年   人間の是非 看破に飽きたり
 往来 跡幽かなり深夜の雪  一pキの線香 古窓の下 
 (訳)
生涯を振り返ってみれば,はや70有余年も生き,
もう人々が勝手に是非善悪を主張しあうのを見きわめるのに倦きあきした
いま,夜ふけまで降り積もった雪に,行き来の跡も幽かになろうとしている
わたしは今も古い窓の下に一本の線香を焚いて座禅しているだけだ
 
 この中野孝次の現代訳のとおり,この世の善悪や是非にも頓着が薄れ拘泥することはなにもない超越した境地への到達を歌う姿は,非現世的で高踏的なニュアンスがあるいは感じられるかもしれない.しかし,次の歌はどうだろうか.
 
 「眠れぬ夜」
 この夜らの いつか明けなむ   この夜らの 明けはなれなば
 をみな来て 尿をあらはむ    こひまろび 明かしかねけり
 ながきこの夜を
 
 この長歌とは呼べない新体の詩を絶賛する吉本隆明は,次のような論評を加えている.
 病気で臥して苦しんでいる,この夜が明けたなら,
 世話をしてくれる女性が来て,たれ流した尿を洗ってくれるだろう
 早く夜が明けて来てくれないかと悶え苦しんで眠れないでいる
 この長い夜の明け方を待っている
 「老齢で病身となり,臥床して起き上がることもできず尿に塗れているという身体苦の歌である.『苦』を歌って詩になるという考え方は,近世にはまったくなく,そこでは花鳥風月と物語の詩があっただけです.青年期に志した道元前の思想や老荘の思想や仏教禅の説く,天地との合一や生死の超越する悟りの世界や境地から遠く隔たって,だらしなく病苦を歌い,看護の女性(貞心尼)を待ちこがれる歌を作ることなど挫折の極みにちがいないでしょうとする一方,「老い」の苦悩や病苦などの近代的な人間苦を正面に見据えて歌ったところに近代の萌芽が時代に先がけて貌を出したことになるとして絶賛しているのである」(吉本隆明『良寛』より)
 
 村の童たちと毛毬をつき隠れん坊に興じるなど多くの逸話に描かれる姿とは,まったく異なる病苦に苦しむ赤裸々な姿を露わに歌っている.恐るべきリアリズムである.しかし,極限状況に身をおきながらも自己の姿を客観的に見据えながら,決して絶望に陥ることなく幽な希望を見いだしている.この草庵の赤貧生活によって,良寛さんは魂を純化させ勁さを涵養していたのであろうか.驚嘆を禁じ得ないのである.
 諸家の研究によると,良寛は18歳から出家の準備をして備中圓通寺の国仙和尚との邂逅を得て圓通寺にて12年間の修行をして,「印可の偈」を授与された.そして諸国行脚の旅を続けて越後に戻り,国上寺の小さな五合庵で20年に及ぶ修行生活を送った.五合庵を訪れた中野孝二は,「よくぞこんな生活に耐えられたものだ,とあきれずにはいられなかった.室内には炉もなく,裏に便所もなく,生活の痕跡はまるでないもので,板敷にムシロを敷いたもので,越後の冬の寒さをしのぐには最も適さない.壁には黒衣がかかっているきり,室の片隅にはセンベぶとんがきちんとたたんであるが,これではとても冬の寒さを防げまい.(中略)米が乏しくなったので粥にし,ようやく腹ふさぎして寒夜に堪えるのだ.乞食をして米を恵まれなければ今という時を過ごせない暮らしだ.良寛は幼少の頃より病気がちで,決して頑丈な人ではなかったが,それでも勁い生命力を持っていた.それがそのまま精神の勁さでもある.良寛のやさしさを支えていたのは,この精神の勁さなのだ,と思った」と,述べている.
 良寛さんは,生を賭けた厳しい非日常の世界で修業という日常を営みきったといえる.良寛さんはもとより,先入見に支配されて,高齢者=弱き者であるかのごとく喧伝し「老人は弱い者,いたわりを必要とする者」とみなしてきた自らの不明を恥じつつ,このような先入見によって老人を疎外し矜持の心を奪い去っている面がなかったといえるだろうかと,顧みているところである.

[参考文献]
1)E. M. フォースター(小野寺健編):フォスター 老年について.みすず書房,東京(2002).
2)水上 勉:良寛を歩く 一休を歩く.NHKライブラリー,日本放送協会,東京(2004).
3)水上 勉:良寛.中公文庫,中央公論新社,東京(2010).
4)中野孝次:風の良寛.文春文庫,文藝春秋,東京(2009).
5)良寛全集刊行会,谷川敏明:良寛全集.別巻1,野島出版,三条市(1981).
6)東郷豊治:良寛全集.上下巻,東京創元社,東京(1959).
7)吉本隆明:良寛.新装版第一刷,春秋社,東京(2004).

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2015/3 老年精神医学雑誌Vol.26 No.3
与えているものと求められているもの
横田 修
きのこエスポアール病院

 精神科医は脳を扱う専門家を自負してきたが,認知症の精神療法という話がこれまであまりなされてこなかったのは認知症患者に対して失礼なことだったかもしれない.多くの精神科医は患者の話を傾聴し支持することを最も基本的で最も精神科医らしい技術であると教えられ,私もそう指導された.しかし患者が認知症であると,診察室に入ってきた本人に尋ね,会話することをほとんど省略されているケースがある.彼らは著しい記憶障害や空間認知の障害を有するかもしれないが,一瞬一瞬の思考,その場の空気を理解して言葉をやりとりする能力はしばしばアンバランスに保たれる.そこを無視されるのは本人も残念だろう.言っても忘れる人にはしゃべる意味がないと思っていると足元をすくわれる.彼らは何年も通っている病院の名前を言えず,毎日飲んでいる薬を飲んでいないと言うかもしれないが,病院や医者の雰囲気といった,言葉で言い表せないことは覚えている.そのため,病気が相当進行しても,あそこの病院の診察室には絶対入らないけれど,ここの診察室にはいつも入るということが起こる.残存機能でいえば,とりつく島がないように見える前頭側頭葉変性症の人も,彼らは無関心ではなくこちらをやや強制的によく見ているし,見知らぬ人には表情が硬くなるのである.初対面で医者の前に座らされても,無言でつと立って部屋の隅の椅子に座り直し,そこからこちらを見る人もいる.彼らの健常な部分に,はっとさせられる.アルツハイマー病の人も前頭側頭葉変性症の人も,生きにくくなっている原因は比較的限局した機能障害のようにみえる.
 精神科医は他の科では対処できない重い症状を有する認知症の患者に,向精神薬の投与や精神保健福祉法に裏づけられた行動制限といった,いわば特別な医療を行える医師として認知症の治療を行ってきた.そこに職業的アイデンティティーを感じる人もいるだろう.精神科医は患者の人権に敏感なはずであるが,認知症治療の現場では精神保健福祉法上の手続きがなされていれば患者の人権は保たれているという単純化された思考に陥りやすい.治療はもちろん合法的に行われなければならない.しかし社会の人々が認知症医療に求める水準は,法的な書類が整っているか否かの次元ではなく,人間らしい生活が与えられるか否かのレベルにある.従来精神科病棟でよく見た光景である,患者をホールに集めて長時間かかわらなかったり,足元が悪いからと車椅子に拘束したり,トイレに行きたいと言ったら紙パンツの中にすればよいと返事する対応は合法であるが,世間では許容されなくなった.合法であることと人として基本的な権利が維持されることは必ずしも同じではないと精神科医は整理しておくべきだろう.最近は専門的な知識がない家族でも,認知症を有する人にとって生活を維持する「支援」がこのうえない「治療」であることに直感的に気づいている.「私たちは専門的医療を提供しているが,家族が病状を受容できていない」という言葉をいくつもの病院で聞いた.私たちは自分が提供しているものと社会の求めているものがかみ合っているのかを考える必要がある.
 認知症の経過中に向精神薬を使用するケースは私自身まれではない.しかしここでも,本人のため家族のためなど言い方はいろいろ変えられるが,結局,鎮静作用を利用して発語と行動を減らすために向精神薬を投与していることがしばしばだということに精神科医は率直に向き合うべきである.薬物介入の影響は転倒,肺炎,死亡のリスク上昇といったわかりやすい副作用の次元にとどまらず,治療理念の核心部分に及ぶ.今日,認知症介護の領域では,行動障害とは彼らがニーズをうまく表現できなかったり,彼らのニーズとわれわれの提供しているものが一致していない結果であると理解し,ニーズをいかに満たすかという方向でかかわりを考える.一方で,向精神薬投与は基本的には本人のニーズを表現する力を弱める介入である.生活支援の方向性についての理解は最近10年ほどで急速に進んだ.以前は軽度の人向けといわれていたグループホームでも,経営面もあろうが,多動,不眠,大声,放尿といったむずかしい症状をもつ人を工夫しながら支えている.鋭い介護者は「先生が薬を出して少しは静かになったかもしれないけれど,本人の行動の意味や話の筋がわかりにくくなった」と教えてくれる.向精神薬投与は生活支援に対してしばしば逆向きの介入であり,そこには抗精神病薬の死亡リスクの高低を議論することでは解決できない,治療における根本的な矛盾が含まれることを心に留めておきたい.投薬の是非はケースバイケースの判断であるが,希望をうまく表現できない人に対して希望を汲み取るよう努力するか薬物で鎮静するかという点についていうなら,これはエビデンスに基づいて議論する科学というより,むしろ人道的側面の強い事柄を含むと個人的には思う.

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2015/2 老年精神医学雑誌Vol.26 No.2
もの忘れ外来の軌跡
石渡明子
日本医科大学武蔵小杉病院神経内科

 今から15年前,日本でほとんど浸透していなかった「もの忘れ外来」を大学病院で開設することになった.当時私は神経内科専門医を取得して1年間一般神経内科の外来を行っただけの状態で,認知症診療という慣れない外来を文字通り手探り状態で始めた.認知症はかつてアメリカでは“Go home disease”,診断しても治療法はない,家に帰りなさいと言われた時代もあったが,その年には日本で初めてコリンエステラーゼ阻害薬が認可され,それまでの脳循環・代謝改善薬に代わって,ようやくわれわれ医師も認知症と戦う武器を身につけることができるようになったという時期でもあった.病院のある文京区だけでなく,近隣の台東区,荒川区,千代田区のすべての開業の先生方にもの忘れ外来を開設した旨をお知らせし,最初は少なかった紹介もその後順調に増え,病診連携がうまくいくようになった.
 内科医としてもがん告知,終末期医療,家族ケアなど医療面以外での資質が求められることがあるが,この15年間もの忘れ外来を行ってきて,認知症診療ほど医療以外の多岐にわたる資質を必要とする外来はないと感じている.振り返ってみても,私自身外来のあり方を何度となく考えさせられるといった場面があったように思う.おそらく同じ認知症診療に携わる精神科の先生にとってはそうした外来診療時の工夫などは慣れていらっしゃるかもしれないが,内科医にとってはなかなかむずかしい面もあった.
 家族は本人が認知症の診察だとわからないようにしてほしいという場合もあるが,初診時にどのように担当医に伝えたらよいのかわからないこともあり,診察室に入ってきたときから瞬時にそうした意向を問診票の中や家族の雰囲気からうまく汲み取らなければいけないこともある.「健康診断だと言ってください」と言われることもあれば,「記憶のテストはしないで」と言われる場合もある.診断名を言わないでほしいという家族も多い.記憶の簡易テストも患者さんのプライドを傷つけないようにうまくできるようになってきたと思っても,やはり途中で怒り出してしまう患者さんもいる.
 1つとして同じ外来はないし,患者さん1人ひとり,家族も十人十色,短い診察時間内に家族や患者さんのキャラクターをつかみ,「認知症」という重い診断をいかに正確に伝えるか.あやふやな表現を使うと,帰り際に「アルツハイマー病なのですね,認知症じゃなくてよかったです」と言われてしまうことにもなりかねない.かなり高等テクニックを要する外来なのではないかと思うわけである.
 1年ぐらい試行錯誤のなかで外来を続けたあと,2001年からアメリカのUniversity of Washingtonの放射線科に留学する機会を得たが,そこでボスからの推薦で老年精神科のMemory Disorder Clinicで3年間Borson教授の診療を見学することができた.1日4〜5人程度の患者さんを,1人1時間ぐらいかけて診察する.近隣の提携をしている州から飛行機に乗って診察に訪れる人もいて,家族総出で診察を受けるケースも多い.プライマリ・ケアドクターから紹介され,診断や治療方針が決まると逆紹介する.1人の診察時間が十分とれるため,生活の細部にわたった聞き取りが可能であるし,逆に診断後は生活面での細かい指導もできる.老年精神科外来であることやBorson教授の人柄からか,温かい患者さんの心のケアも学んだ.学生や研修医の時代には,教授や上級医の外来につく機会はあるが,いざ自分が外来を担当するぐらいの年齢になってからは他の医師の外来を見る機会はなかなかない.貴重な経験であった.帰国後,私の外来はひと味もふた味も違った外来になったと感じている.
 1か月前,私の患者さんが亡くなった.8年前に軽度認知障害(MCI)と診断した患者さんであったが,何回か診察をしたあとに家族から手紙を受け取った.「アメリカで受けた診察と似ていてびっくりした」と書いてあった.以前アメリカに駐在していた方であった.2年後にはアルツハイマー病と診断した.治療に前向きな家族で治験にも参加された.奥様は毎回,患者さんの様子を的確にメモしてこられ私に伝えてくれた.そのままカルテに書けるぐらいの的を射た内容であった.奥様は完璧を求めるがゆえに途中でご自身がうつ病になり,患者さんができないことが増えてくると,優しい対応ができなくなったと嘆き,外来で涙を流した.患者さんは大好きだったタンゴの鑑賞会に行かれなくなり,CDの再生の仕方がわからなくなった.口数が減り,奥様の横で黙って穏やかに座っているだけになった.デイサービスは奥様が5か所回り,患者さんに最も合った場所を見つけたと話されていた.そして昨年11月の外来日に来院せず,どうしたかなと思っていた矢先のお知らせであった.誤嚥性肺炎であった.奥様はすべてしてあげられたと思う,やり残したことはないとおっしゃっていた.8年間,MCIからアルツハイマー病,初期,中期,後期とすべての症状を実際に学ばせていただいた.家族の葛藤も教えていただいた.奥様は弔辞のなかで私に出会えてよかったと話してくださったという.私の外来はまだまだ成長し続けている.

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2015/1 老年精神医学雑誌Vol.26 No.1
リハビリテーションと認知症
飯島 節
国立障害者リハビリテーションセンター自立支援局

 「リハビリテーション」あるいは「リハビリ」という言葉は広く一般市民に認知されており,すでに日本語に同化しつつある.古来わが国では「神経」の例に代表されるように,外来の概念を巧みな造語で置き換えて上手に吸収してきた.リハビリテーションにも「更生」という日本語があてられているが,残念ながらあまり普及していない.神経は広く漢字文化圏で通用しているが,リハビリテーションを更生と呼ぶのはわが国だけで,中国では「康復」,台湾では「復健」,韓国では「再活」である.ちなみに筆者の勤務する部門はかつて更生訓練所と呼ばれていたが,5年ほど前の組織改編に伴い現在の名称に変更された.現在,更生という言葉を見かけるのは,会社更生法や更生保護法のようなお堅い法律用語が中心で,更生がリハビリテーションのことだと理解している人はほとんどいない.ちなみに,会社更生法は英語では“the Corporate Rehabilitation Law”である.
 以上のように,今日では更生よりもリハビリテーションという言葉のほうがはるかによく通じるが,他の片仮名で表記された外来語の場合と同じように,日本語化する過程でその概念がいささか変質してしまった感もある.すなわち,本来は広い概念を包括するリハビリテーションという言葉が「病院で行う機能回復訓練のこと」のように矮小化されている印象がある.一方,欧米ではリハビリテーションという言葉は古くから,名誉,身分,権利,資格などの回復を意味する言葉として使われてきた.たとえば,「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」とは,ジャンヌが魔女として火刑に処されたあとに再度の宗教裁判によって名誉回復を果たしたことを指している.「ガリレオ・ガリレイのリハビリテーション」も同じく教会自身が誤りを認めて彼の名誉を回復したという意味である.このほか,リハビリテーションという言葉は,犯罪者や薬物中毒患者の更生,建物の改修や地域の再開発,自然災害からの復興など,非常に幅広い意味で用いられている.わが国にはこうした歴史的背景がなかったために,リハビリテーションはもっぱら医学の領域で使われる用語として定着した.
 リハビリテーションという言葉が医学の領域で使用されるようになったのは比較的新しく,第一次世界大戦中にアメリカ陸軍に組織されたDivision of Physical Reconstruction and Rehabilitationに始まるとされている.第二次世界大戦中にはアメリカ陸軍航空隊のハワード・ラスクによるプログラムが傷病兵の社会復帰に効果を上げ,医学領域におけるリハビリテーションの評価が定着した.戦後,リハビリテーション医学は,そのラスクがニューヨーク大学に設立した物理医学・リハビリテーション研究所を中心に目覚ましく発展し,それがわが国にも輸入された.このように,もともとリハビリテーションという言葉が存在しなかったわが国に,リハビリテーションは医学を窓口として導入されたため,もっぱら病院で行う機能回復訓練のことがリハビリテーションだと理解されるようになったものと思われる.
 その結果,たとえば,「認知症リハビリテーション」といえば認知機能を回復させる何らかの訓練のことだというように,非常に狭い意味にとらえられるようになった.実際に認知機能を回復させることを目的としてさまざまな療法が試みられているが,認知機能そのものが改善するというエビデンスはほとんど存在しない.にもかかわらず,脳血流などの検査を用いて脳が活性化されたなどと主張する,似非科学に類する「リハビリテーション」が横行している.今のところ,人々のリハビリテーションに対する信頼あるいは期待は非常に高く,そのため認知症に有効なリハビリテーションがあると聞くとすぐにそれに飛びついてしまう.認知症患者における訓練的な療法は,時に過大なストレスを与えるため,むしろ臨床症状を悪化させる危険があり,したがってそれをリハビリテーションと称して導入することには慎重であるべきである.
 現在のところ認知症リハビリテーションのあり方は確立されていない.中身は玉石混交であり,リハビリテーションという名称で一括りにすることは非常に危険である.一方,認知症者の生活を支えるためには,さまざまな非薬物療法が重要であり,なかには回想法やリアリティ・オリエンテーションのように一定の効果が期待できるものもある.しかし,それらをあえてリハビリテーションと名づけて,人々を駆り立てる必要はない.リハビリテーションという用語の使用はむしろ控えて,認知症者の名誉や権利の回復を目指した非薬物療法の開発と普及を図るべきである.

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