2014/12 老年精神医学雑誌Vol.25 No.12
高齢者を改めて考える
忽滑谷和孝
東京慈恵会医科大学附属柏病院精神神経科

 高齢者とは,「社会のなかで他の成員に比して年齢が高い一群の成員」となっているが,この定義は主観的で曖昧である.この,「年齢が高い」とは何歳のことであろうか.1956(昭和31)年に開催された国際連合(UN)の経済社会理事会において高齢化率の定義を「65歳以上人口の割合」としたことにより,65歳以上を採用することが多い.わが国の現状をみると,2008年4月施行の「高齢者の医療の確保に関する法律」では,65〜74歳までを前期高齢者,75歳以上を後期高齢者としていたが,平均寿命の延長に伴い85歳以上を超高齢者とするようになっている.
 高齢者を示す言葉として昔から「年寄り」が使われているが,この「寄り」とは重ねるという意味があり,歳(年)を重ねた人,つまり老人を示す.『三省堂大辞林』によると,古くは「老人」以外にも,武家で政務にあずかる重臣である人をいい,鎌倉〜室町時代より使われ始めた.また江戸時代では一般庶民,とくに農村で名主や庄屋を補佐する村役人や町名主の上にあって市政を預かる人のことを指した.そして,現在でも相撲業界で使われている「年寄」とは,引退した力士,行司が年寄株を持ち,日本相撲協会の運営,力士の養成に当たる者を指している.このように,年寄りの定義には,年齢による取り決めはなく,重要な立場にある人,そして一線を退いた者を意味しているといえよう.
 日本人の平均寿命は戦前では短かった.高い乳幼児死亡率の影響を差し引いたとしたら,もう少し延命できていたと思われる.それでも,現在のように男女とも80歳を超えていたことはなかったわけで,今よりも若い人たちを「年寄り」と呼んでいた.筆者が小学生のころは,放課後に公園で遊んでいるとよくステテコをはいて腰が曲がり,杖をついて歩いている人をよく見かけた.まさに老人であるが,今考えると60歳代の人であったのであろう.70歳を過ぎると介護が必要となり,道端にいればまだ元気なほうであった.60歳で還暦,70歳は類いまれな歳として古希と呼ばれ長寿のお祝いをする風習がある.しかし現在では,80歳でも一人元気で杖もつかず医療機関の外来を受診し,老人ホームでも100歳以上の高齢者を1人や2人は見かけるようになった.筆者が勤務する病院でも入院患者の平均年齢が65歳を超え,一昔前は適応ではなかった高齢者の手術も,今では条件さえそろえば90歳でも行う.70歳定年制が現実化しなかった国会議員の年齢層からわかるように,70歳を古希と呼ぶには抵抗が出てきている.
 このような現状で,高齢者を一律に65歳以上というくくりをし続けてよいのか,という疑問が湧いてくる.
 近代西洋では,「人は年寄りに見えたり,年寄りのように振る舞うときに,年寄りである」と考えられた.この年寄りのイメージとして,身体面では,頭は震え,顔は皺だらけ,背中は曲がり,眼はかすみ,髪は抜け落ちる.歯は抜け落ち,耳は遠くなる.また精神面では,頑固,短気,陰うつ,強情,堕落,愚かさなどが挙げられる.老人の「老」の解字では毛,人,七を合わせた構成がされており,七は「化ける」こと,つまり変化することであり,老人は,人の髪の毛の長い人が背を曲げて杖をついている象形文字でもある.
 このような悪い印象である一方で,年寄りは多くの経験を積んでいるために,その頭の中にしまわれた知識は若年者にはなく,かけがえのない存在でもある.なにか大きな判断を迫られたときには,その存在価値は計り知れない.儒教の五倫のひとつである「長幼の序」,日本の「年功序列制度」がそれを物語っている.
 もう1つの高齢者の指標として,定年退職もしくは老齢年金給付対象以上という,社会としての責務を免除されているという側面が挙げられよう.
 わが国の定年と年金受給ができる年は60歳であったが,近年,社会保障の財源の問題が露呈し,その見直しが行われ,若者への負担軽減の観点から受給年齢を段階的に引き上げて65歳となり,あわよくば,開始年齢をもっと引き延ばそうという案まで浮上している.長寿国と誉れ高きわが国で,高齢者は「パラサイトシルバー」なる汚名を着させられそうになっている.免責と年金受給の面にのみとらわれず,知情意の熟成,心身の衰えと依存状態などの特徴が生じて初めて老人という考えに立つと,医学の発達により心身の衰えは先送りされ,高齢者の定義も見直しの時期に来たのかもしれない.

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2014/11 老年精神医学雑誌Vol.25 No.11
正常と認知症の狭間で
中野正剛
医療法人相生会認知症センター

 巻頭言のご指名をいただき,執筆することになった.そもそも巻頭言というものはほとんどの読者から読み飛ばされる宿命にあるのではないかと推察される.かくいう筆者もこれまで諸先輩がお書きになった巻頭言をほとんど読み飛ばしてきた.そこで今回巻頭言を執筆するにあたり,巻頭言を拝読させていただいた.これまで掲載された巻頭言の多くは認知症をはじめとする高齢者精神疾患についての取組みや診療の姿勢など,明日からの診療の心構えとしてたいへん勉強になる内容であった.そこで浅学菲才の身ではあるが,日々の診療で思うことを書いてみたい.
 奇しくもこの原稿執筆を開始した平成26年9月19日,ドネペジル塩酸塩がレビー小体型認知症に対する適応追加承認を取得した.本年は1月にドーパミントランスポーターイメージング製剤であるイオフルパン(123I)注の販売が開始され,わが国におけるレビー小体型認知症を取り巻く環境が大きく変化した年となる.本年の動きは認知症診断と治療を求める国民からは医療者に対してよりいっそう正確な診断と治療が求められる事態となった.
 もの忘れ外来を担当していてしばしば遭遇するのが,前医による不適切な診たてである.曰く,「記憶障害がないから」「HDS-RあるいはMMSEが正常範囲だから」「幻視を認めないから」「パーキンソニズムがないから」「VSRAD®のZスコアが1より小さいから」「脳血流SPECTで後頭葉の血流が低下していないから」「MIBG心筋シンチグラフィーが正常範囲内だから」「ダットスキャン(DaTscan)が正常だから」などの理由でレビー小体型認知症を否定しているのである.
 こうした誤解の背景には大きく2つの要因があるように思う.一つは圧倒的な問診と診察の足りなさである.いわゆる「もの忘れ」を訴え受診した場合,記憶障害の存在を軸に問診を進めていくことが多いと推察されるが,レビー小体型認知症の認知機能障害の特徴は記憶障害ではなく,注意や視空間認知の障害である.記憶障害のエピソードの有無を通り一遍に家族から聞き取り,HDS-RやMMSEだけで診断を進めてしまうと,こうした症候を見逃す可能性が高い.とくに近年では軽度認知障害(MCI)がクローズアップされてきた背景もあり,正常加齢やMCIと診断され,治療の機会を逃してしまった例を経験している.幻視は有名な症状のひとつであり中核的な症状であるが,必ずみられるわけではない.このことが十分に知られておらず,必須症状と誤解されている場合も多い.パーキンソニズムの存在も診断基準の中核的な症状のひとつであるが,これも必須症状ではない.
 大きな誤解要因のもう一方は画像診断に頼りすぎている場合である.身体疾患とは異なり,画像所見が認知症診断を決定するわけでなく,診断に有用であるが必須条件ではない.わが国ではMRIの画像統計解析であるVSRAD®(Voxel-based Specific Regional analysis system for Alzheimer’s Disease)が広く普及しているが,レビー小体型認知症ではZスコアが有意でなないことをしばしば経験する.Zスコアは認知症の存在そのものを判断する指標ではない.脳血流SPECTはわが国では認知症診療で施行できる検査であるが,近年は画像統計解析の手法で検査結果を評価することが多くなった.しかし,画像統計解析はあくまで統計学的に有意であるかを表示しているにすぎない.後頭葉の血流低下の有無は元のSPECT画像も参照して確認すべきである.また,MIBG心筋シンチグラフィーの心筋への取り込み低下は全例で認められるわけではないことも知っておくべきである.ドーパミントランスポーターシンチグラフィではSWEDDs (scan without evidence of dopaminergic deficits) といって病初期には基底核への集積が正常に見える場合があり,さらには基底核への集積が勾玉状であってもバックグラウンドの集積が高い場合は,全般的に基底核への集積が低下していることを知っておかなければならない.画像所見の解釈で重要なことは放射線科医の報告を鵜呑みにするのではなく,検査依頼をした医師自身が検査結果をきちんと確認することである.読影するすべての放射線科医が認知症に精通しているわけではない.
 これからの臨床の現場ではレビー小体型認知症をアルツハイマー型認知症(MCI due to ADを含む)や老年期精神病などと誤診しないことが重要となる.しかしこの作業はたやすいようでいて困難さを伴う.よりいっそう,レビー小体型認知症についての啓発が必要となろう.筆者自身,他者を批判するだけでなく,診療技術の研鑽に励み少しでも国民の皆さんのご期待に応えられるよう,精進していきたい.

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2014/10 老年精神医学雑誌Vol.25 No.10
一歩前へ
真田順子
さなだクリニック

 高知市中心部から路面電車で15分,空襲から焼け残った古い民家が多い下町に「アテラーノ旭」はある.高齢化した町,近所付き合いがしだいに減って元気をなくしつつあった人たちに集いの場所を提供しようとして始まったアテラーノ旭は,今年で8年目を迎える.今では地域にしっかり根づいて,なくてはならない存在である.町のだれでもが入ってきて,食事をしたりコーヒーを飲んでおしゃべりしたりしていく.ここへ来ればいつもだれかがいる.
 引きこもりだった女性が,お客さんに声をかけてもらいながら皿洗いをしている.最初は保健師と来ていたらしい.今日は要らなくなった電動自転車をもらえることになってとても嬉しそう.奥のテーブルに陣取った女性たちは世間話をしながら玄米の空籾を取り除いている.昼食後そのまま作業になった様子.そのテーブルは近所のだれかが持ってきたものだそうだ.そういえばテーブルはみな不揃いである.
 ここへ毎日食事をしに来るうちに人付き合いに慣れ,就労した男性もいる.今でも彼は休日には食事をしに来る.そして,ちょっとした大工仕事や修理をしてくれるという.また,クモ膜下出血で倒れて元気をなくしたある男性を,毎日迎えに行って引っ張り出し本復させたのは,いつもここに集っていた友人である.今も一緒にここへ来るし,山の果樹園へも一緒に行って作業をする.収穫した大量の梅をみなで加工したのもこの場所である.梅仕事のときのお年寄りたちの張り切り様といったら,眼を見張るばかりだったそうだ.
 手作業をしながら何時間も雑談していると,ご近所のことが話題になる.アテラーノ旭まで出て来られない人が大勢いることに気づいて訪問も始めた.他人を寄せ付けずに暮らしていた3人の老女宅を繰り返し訪問して,昔語りを聞き出したのは県立大学の福祉科に通う女子大生である.訪問するたびに実習レポートばりの報告をしてくれたそうだ.報告を聞いてくれるスタッフがいたからこそ,女子大生は訪問を続けられたのだろうとも思う.
 「あったかふれあいセンター事業」という県の施策に乗って,4年前から高齢者向けの配食事業と,介護保険の使えないもろもろの手助け事業も開始した.以来,いらなくなった布団やベッド,タンスなどが持ち込まれるようになった.保管場所が不足したとき,常連の一人が「ここがアタシの応接間じゃき.お客が来たらここへ来るき,アテんくへ荷物を置きや!」と家具の保管を申し出てくれた.これも立派なボランティア.
 宅配弁当は手渡しがお約束.留守だと何度でも訪問する.常連さんたちがいつのまにかアテラーノ旭を支えるボランティアに変わっていく.今では毎日100食が動く.
 彼らは自分たちを,助ける側,だれかを助けているとは思っていないように見えた.
 2013年から実施されている「オレンジプラン」では,「本人の意思を尊重」し,「住み慣れた地域」の「よい環境」で「暮らし続ける」ことが基本理念となっている.質の高い医療も福祉も,安定した生活環境がなければ連携しにくいし生きてもこない.ここは住むに適したよい環境なのか,ここを住むに適したよい環境に変えることはできるのかが鋭く問われている.
 だれもが安心して住める地域づくり ―― 年齢,職業,持病の有無,その他属性を問わない,なにかの縁でここに暮らす人たちが無事に暮らせる地域づくりが基本にある.地域の一員としての高齢者が充実・安心して暮らせないならば,そこに認知症の人の安心・安全な生活はない.地に足の着いた生活の場には,サービスを提供する側,される側の区別はないはずである.いろいろな場面で互いの役割を交代しながら助け合い見守り合う.互助の心はだれにでもある.ただそれを発揮するきっかけがないだけではないか.
 アテラーノ旭は集いの場として始まり,互助のきっかけとなった.住み続けたい町づくりに汗を流し,たとえ解決しなくともつながり続ける努力を惜しまなかった.その実績が人と情報を集め,人が育つ格好の拠点となった.
 「オレンジプラン」では,地域包括支援センターを中心とした地域包括ケアシステムの確立が柱のひとつになっている.しかし,地域づくりに積極的に参画しないまま地域包括支援センターで待っていても,情報は集まらないかもしれない.一度や二度,高齢者世帯を訪問しただけではなにも言ってくれないかもしれないと危惧する.
 私たち医療機関は,比較的人や情報の集まる場所である.とくにかかりつけ医は住民との間に顔の見える関係をもっている.医師として患者を手助けするだけでなく,地域包括ケアシステム策定時に医療現場からみた地域の問題について情報提供することも可能であるし,さらには一住民としても地域にかかわれるのではないか.
 一歩前へ進もう.

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2014/9 老年精神医学雑誌Vol.25 No.9
老年精神医学の司法精神医学への役割
桂木正一
桜が丘病院

 精神医学は他の身体医学に比較して社会との関連の強い領域であり,とりわけ司法領域とは大きな関係をもっている.
 急速な超高齢化社会となった日本で老年精神医学を専門とする者は,刑法に触れた高齢者を社会のなかでどのように処遇していくのか,そして高齢者に犯罪行為を行わせないために,どのよう施策が必要なのかを社会に発信していく義務があると考える.
 警察庁・警察政策研究センターと太田達也慶應義塾大学教授による平成25年3月の「高齢犯罪者の特性と犯罪特性に関する調査」報告書によれば,65歳以上の高齢犯罪者の人口10万人あたりの検挙人数は,平成元年の46人から平成18年の175人へと3.8倍になっている.
 同報告書によれば,いささか古いデータではあるが,平成17年度中に発生し,検挙された65歳以上の高齢者による犯罪で,認知症の症状を呈する者の割合が高いのが殺人(8.2%)で,これに窃盗(5.4%),強盗(4.8%),詐欺(4.0%),傷害(3.8%)が続いている.検挙されたときに精神障害を理由に通院中であった者の割合は殺人で7.5%,強盗では8.4%であり,精神科医療を受けていない人の割合の多さや,さらには精神科医療を受けているにもかかわらず加害者となってしまう人が12〜13人に1人であることは驚きである.したがって,犯罪予防の観点からも,認知症の人への援助は急務である.
 また,認知症の人の窃盗が多いことは予想できるが,平成18年10月1〜31日に窃盗の罪で1,920件検挙され,そのなかでは認知症の人が5.4% (104人) とされている. しかし, 窃盗などの微罪では, 認知症を理由に検挙されない人々が多数含まれていると思われる.検挙された人々についても,精神鑑定がなされる前に処分保留とされたか,簡易鑑定ないしは起訴前嘱託鑑定で適切な法的処分がなされたものと推測される.
 しかしながら,認知症であるとの判断がなされずに起訴され,かりに執行猶予がついても有罪とされている事例の存在を精神鑑定に携わっていると経験することがある.
 一見,認知症とはみえない前頭側頭型認知症の人で,会社で真面目に仕事をし,周囲から信頼を得ていた人が,突然に平素の人格とは無関係な万引きなどの窃盗を行い,社会的地位を失う.このようなことがしばしば起こったことから,平成19年2月には厚生労働省も実態調査に乗り出したが,十分に周知徹底されているとは言い難い.
 自験例でも,前頭側頭型認知症で記憶がしっかりしており,時刻表的生活のなかで道に迷うことなく行う散歩途中で万引きをしたという人が起訴され,公判段階でその人の精神鑑定を依頼されたことがあった.精神科医の目からみると,人格変化が進行しており,臨床症状と頭部MRI所見から責任は問えないことを証言して,その人は無罪となった.その後,入院先で口唇傾向,寝たきりとなり,静かに息を引き取ったと聞いている.
 また,家族が人格の変化に気がつき,保健所で認知症の有無の検査をしてもらったが,改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMini-Mental State Examination(MMSE)で認知機能に異常なしとされた前頭側頭型認知症の事例では,その直後に強制わいせつ罪で逮捕された.もしも事前に,少なくともFrontal Assessment Battery(FAB)やTrail Making Testでチェックされていたならば,被害も加害も防げただろうに,と思われた.
 このようなケースを未然に防ぐためにも,日本老年精神医学会からも,日常的には認知症の人に接することのない医療者へ認知症に関する十分な情報提供をすることが重要である.一方では,常習窃盗の人を前頭側頭型認知症であると主張して,精神鑑定を依頼する弁護士に対しても,認知症の基本的な知識を伝える必要がある.
 筆者は,以前に医療観察法病棟に勤務していたが,認知症が見過ごされて入院治療の決定がなされた事例に苦慮した経験がある.医療観察法病棟の成り立ちは,主として統合失調症の人を治療することに主眼がおかれている.しかし,対象行為を起こした軽度の認知症患者を医療観察法病棟に入院させて,入院の間にどのような医療が適切かを決定させるのであるとの意見をもつ人々がいるのも事実である.しかしながら,このような意見は医療観察法の仕組みを十分に理解しない人の意見といわざるを得ない.
 適切な医療を決定するのが目的で,ひとたび医療観察法病棟に認知症患者を入院させると,認知症の専門病棟に転院するまでには短くても数か月はかかり,残された彼らの人生が少なからず損なわれるのである.この点を考慮して,法の運用に携わる精神医療者が認識を深める必要がある.
 現在は,認知症をはじめとする高齢者の司法精神医学は,器質性障害に一括されている.しかしながら,幅広く老年期の心性に根差した老年期司法精神医学とでもいうべき分野が老年精神医学の一分野として位置づけられることが必要ではないであろうか.

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2014/8 老年精神医学雑誌Vol.25 No.8
我が終末期体験
井口昭久
名古屋大学名誉教授,愛知淑徳大学

 私は今,自宅の書斎でこの原稿を書いている.庭にはバラが咲いている.かすかに紫陽花の葉が揺れている.妻が雑草を抜いている.
 2014年5月の中旬であるが,1年前には,このような穏やかな日常が帰ってくるとは思わなかった.
 昨年の5月の連休に家族全員で集まった.孫たちとホテルで夕食を食べた.私は,のどに違和感があってやわらかい食べ物を食べるか,スープしか飲まなかった.家族は私の異変に気がついていなかったが,私は2年ほど前から飲み込みにくさを自覚していた.症状が進行しているのはわかっていたが,検査はしなかった.検査をすればその日から私は入院することになり,社会の活動ができなくなると,おびえていたのであった.
 子どもたち夫婦4人にそれぞれの孫が2人ずつ,総勢10人でホテルの写真屋で記念写真を撮った.私が家族とともに写る最後の写真になるであろうと思っていた.
 それから1週間後,連休が終わり5月13日の月曜日,私はゼミの学生7人と近くの食堂で昼食を食べようとした.蕎麦を頼んだ.蕎麦はつるつるとのどを滑っていくはずであった.しかし飲み込めなかった.飲み込んだ量だけ,歯で噛み切った長さになって口に戻ってきた.数回飲み込んでも同じ状態で数cmの蕎麦を吐き出した.
 すぐに大学病院へ入院した.胃カメラ,CT,PETと検査が進み,食道がんであることがわかった.入院して4日目ごろにはすべての検査の結果が出た.
 食道がんは食道下部全層にわたり,周辺へのリンパ節転移も認められた.肺などへの遠隔転移は認められないが,不幸にしてリンパ節転移が縦隔の深部に点在しており,手術での郭清は困難であった.万が一にも郭清に成功しても,CTに映らない微小なリンパ節からがんが展開しないという保証はない.というのが私を囲むチームの結論であった.結局手術はできないという結論であった.
 食道以外の身体はまだ使える.そのことが残念であった.私の体の各臓器が一様に老化して一様に終わりにならないものか.私の手足は生活するのに不自由ではない.走ることだってできる.それに私の脳がまだ健全であると信じていた.平均寿命にまだ10年あるというのも私の心残りであった.
 仲間外れの感覚があった.人の世界から外されるという感覚は拭えなかった.平均寿命を超えていたならば,この感覚はないのかもしれなかった.私一人での孤独な道のりであった.いずれ行き着く道.やがてそうなる運命.だれでも迎える終末期.私が自由にできるのは,私のベッドの周囲の狭い空間でしかなかった.
 私の人生の後半の困り事は,私の知らないところで事件が起こり,私はだれかを介してその事故の収束を図らなければならないことであった.病院長の時代は,私の手が届かぬところで事件が起こり,ふれることが不可能なところで怨念が生まれていた.そういう経験を繰り返していた.
 しかし今回はあくまでも自分に降りかかってきた問題である.私が問題を生み,私のなかで問題は終わる.死ぬ恐怖は思いのほか少なかった.私の気持ちは私が整えればよいことだった.
 入院して1週間後から放射線療法と化学療法が始まった.とりあえず腫瘍を小さくしてから,運がよければ手術をしようとういうことになった.私の日常が断ち切られることは確実になった.
 テレビでは,エベレストへ80歳で登頂した三浦雄一郎さんが出ていた.「希望」という言葉があった.少しでも希望があるのであれば,どんなつらいことでも耐えられる,と三浦さんは言っていた.
 今回の私の出来事は私の人生の最大の不祥事であった.その不祥事の後始末ができない.私にかかわる雑事をすべて他人にお任せするしかなかった.恩返しの機会は訪れそうもないというのに.身体に障害を負うということはそういうことだと知った.
 自分自身は運命に身を任せた気分であったが,家族の不安はどうにもしようがなかった.彼らの不安感は手にとるようにわかった.彼らの悲しみは窓ガラスの向こうの映像のようで,私には操作しようがなかった.せいぜい早く予定の行事を終えて通常の生活に戻してやりたかった.ところが,4か月の治療で私は予期していなかった「完全寛解」に至った.
 今は元気である.再発は今のところ確認されていない.

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2014/7 老年精神医学雑誌Vol.25 No.7
自殺対策逍遙
石田 康
宮崎大学医学部精神医学教室

 ようやく年間3万人を下回るようになってきたものの,日本ではいまだに多くの人々が自殺で亡くなられている.残念なことに当地宮崎県の自殺率も高く,ここ四半世紀の間,47都道府県中ワースト10圏内から漏れたことはない.
 宮崎県内でも例年自殺率が高い地域の特性(脆弱性)として,以下のものが挙げられる.@山間部に位置し,農林畜産業が主産業(収入不安定),A高齢者が多い(若者が少ない),Bギャンブル・アルコール依存に傾きやすい,C精神科医療資源に乏しい,D精神疾患や精神科医療に対する偏見が強い,E自殺に寛容な傾向がある.ただし,これらの地域特性は,宮崎県特有のものではなく,全国の自殺率の高い地方都市に共通した特性なのかもしれない.
 宮崎県では,平成19年に東国原英夫知事自らが自殺対策本部長に就任し,「『自殺ゼロ』推進プロジェクト」をスタートした.自殺対策において,医療従事者ができることは限られている.とくにわが国においては,ここ20年ほどの期間に増加してきた50〜60歳代の男性の自殺に対する対策は,社会全体で多種多様な取組みを企てないことには推進困難と考える.
 うつ病の早期発見・早期治療を目的にしたプライマリ・ケア医に対する啓発は,自殺対策の視点からも重要である.しかし,スウェーデンにおける疫学研究の結果が示しているように,プライマリ・ケア医向けの講演を短期間,散発的にやるだけでは,少なくとも恒久的な自殺対策につながるような成果は生まれない.身体科の医師は,精神疾患の診断や初期対応を専門にしているわけではないので,刺激がないと,ノウハウを忘れてしまう.精神疾患を見逃すまいとか,精神科医に紹介しよう,といった“アンテナ”は,いつも感度が高いわけではない.結論として,住民を巻き込んだ地域活動,いわゆる地域のコミュニティを再興させるような行動を起こさないことには,実効性を伴った自殺対策には発展しないであろう.
 現在,全国で展開されている自殺対策事業の多くは,自治体職員が中心となって運営されている.しかし,ご存知のとおり,自治体職員は往々にして2〜3年で担当部署が替わる.この点も自殺対策の障壁のひとつである.自殺対策においては,なるべく既存の事業・組織を利用して,うつ病対策に特化しない,地域づくりを中心とした対策事業を推進することが重要であろう.たとえば,どこかで弁護士が多重債務の相談室を開設していたら,それも自殺対策に組み込む柔軟性やたくましさが必要である.ここで強調したいことは,既存の事業を自殺対策に組み込むためには,腕利きの交渉人(negotiator)が必要である.自治体(それが無理ならNPO法人)スタッフのなかに,1人でもそのような交渉人がいると,自殺対策の大きな推進力になる.
 警察などの機関が調査した代表的な自殺の動機には,がんやうつ病等に罹患することやその他の健康問題と,失業率・自己破産件数の増加に現れる経済問題の2つが挙げられる.ただし,これらの表面的な動機には現れない.ある意味もっと深刻な社会的・文化的要因が修飾因子として介在しているのではないかと考える.そのひとつには,個人や家族の「孤立化」がある.携帯電話やインターネット等のテクノロジーの普及で,ヒトが群れをなす必要がなくなった.そのうえ,個人情報保護という“諸刃の剣”的なルールをうまく使いこなせていない現状が,この「孤立化」に拍車をかけている.結果的に今,都会はおろか地方都市や農村部であっても,かつての日本社会に存在した地域住民のコミュニティはほぼ消滅,あるいは形骸化している.筆者が生まれた昭和33年(東京タワー開業の年,そう,映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の設定年である)当時の社会が当たり前のように携えていた地域力は,今,確実に低下している.
 自殺のハイリスク者の一部は,上記のような社会的脆弱性をもった人々であろうと想定して,宮崎県は平成20年に「みやざきこころ青Tねっと」(http://www.m-aot.net/)というインターネットの情報検索サイトを立ち上げた.たとえば多重債務で困っている人が,その問題を解決するための相談窓口はどこにあるのか,クリックしていくと宮崎県内外の該当する施設や部署がいくつかリストアップされる.そういったコンテンツがメニューに並んでいる.当然そのなかには精神科,プライマリ・ケアで精神疾患を診てくれる医療従事者のリストも含まれている.青Tねっとは平成20年4月に立ち上げられたが,その1年後には携帯電話からもアクセスできるようになった.ちょっとせつなくもあるが,平成版『三丁目の夕日』の世界を構築するには,スマートフォンも欠かせないのであろう.

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2014/6 老年精神医学雑誌Vol.25 No.6
「もの忘れ外来」で感じていること
末次基洋
朝倉記念病院

 5年前,福岡県朝倉郡内の病院で「もの忘れ外来」を始め,以来,地域の医師会やケアマネジャー,介護保険施設の職員との連携を意識しながら診療を行っている.この「もの忘れ外来」は最近になり,この地域における認知症相談窓口としてようやく認められつつあるように思われる.ここでの実践で感じたことを述べたい.
 パソコンや周辺機器の電源をパイロットランプ付きの5〜6連のテーブルタップからとっていた家庭でのことである.当事者の人がそのパイロットランプをつけたり消したりしてその前から離れず,なかなか寝ようとしないため困っていると家族から相談があった.筆者がその家族に「使っているテーブルタップを昔からあったパイロットランプがついていないシンプルなものに変えてみたらどうか」と提案したところ,旧式のものに変えるだけの単純なことではあるが,そうすることで数年に及んだ苦労はたちどころに解消したという.たとえ消費電力はわずかであるかもしれないが,一晩中ランプがついたままになっているのをもったいないと感じ,時に火事になりはしないかと心配するのはその年代の人々には特別なことではない.このような感覚を共有できるのはこの当事者と筆者が同年代だからでもあろう.
 3年前からは地域のケアマネジャーが集まる研究会に出席して,彼らが受け持っている利用者の問題点やサービス提供のうえでのむずかしさについての相談に加わっている.そのなかで,認知症の人とのかかわりが深く,経験も豊富なケアマネジャーの多くは,むずかしくはあっても利用者に寄り添って支援を続けようと精一杯努力していることを知ることができた.一方,経験の浅いケアマネジャーのなかには,困難性を医療とくに薬物療法で何とか早く解決してもらおうとする人が一部にあることも感じている.これは,抗認知症薬に関する報道などから薬物療法に過大な期待を寄せている一般の人と同じ考えなのであろう.
 筆者のその研究会での役割は,支援していくうえでの困難性の多くは薬物療法だけで容易に解消できるものではないこと,先輩のケアマネジャーが苦労している姿を見習って,困難性が即座に解消できなくてもしっかりと支援を継続していく姿勢を保つことが大切,と伝えることであると思っている.こうすることで,問題を抱えた当事者を医療機関や施設に送って手っ取り早く問題を解決しようとするような安易な気持ちを若いケアマネジャーがもたないようになればと考えている.
 なかには診断や治療上の工夫など純粋に医学的な支援や説明が有用と思われる場合ももちろんある.その場合には当然,それにしっかりと対応することが地域や家庭で苦労している人たちの信頼に応えることになる.
 認知症の人の家族には,認知症が病気であるなら治療してもらいたいとか医学や医療の力で何とか食い止める方法があるはずだと考えられる人も当然おられる.発症後,あまり間がない段階では何とか進行を食い止めたいと強く希望されるのも理解できる.しかしながらこのような気持ちが強すぎる家族はともすると当事者を叱咤激励しがちである.時間が経過し,しだいに認知症の程度が重くなるにつれて,進行を抑えることよりも当事者の現状を受容するということに徐々に目を向けていくほうが家族としては望ましい姿勢であると考えている.筆者個人としては,このような家族の気持ちの移り変わりに寄り沿うことに力を注いでいる.つまり,認知症という「病気」が起こったことに対応しようという姿勢から,家族として当事者と一緒に過ごすという当然の受け止め方への転換である.
 当事者本人に対しては,筆者は努めて明るく,しばしばこの地方の言葉や言い回しを交えて,残っている記憶や能力ができるかぎり表面に現れるような面接を心がけている.そうすることにより,側でそのやりとりを聞いている家族が日頃感じている当事者の印象とは異なる部分を感じ取ってもらうことを期待している.しかし当方の期待どおりに当事者についての印象や接し方がすぐに変わるとは限らない.そのような家族をどう支援していくのかが,今の筆者の課題である.
 ジャーナリズムなどから取り入れた,認知症に関する固定した観念にとらわれず,当事者の能力が低下することを歳をとってさまざまな機能が衰えていく変化の一部として受け止められるよう,家族や地域社会の人々をサポートしたいのであるが,現実にはなかなかむずかしい.認知症の人とその家族に対して上述したような態度で気長に付き合い,地域の主治医やケアマネジャーと意見交換を続けていくことぐらいが現在の筆者にできることであろうか.
 ともあれ,今後も認知症の専門医である以前に,年齢を重ねていく当事者とその家族に付き合いながら,筆者自身も年齢を重ねる老年(の)精神科医でありたいと願っている.

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2014/5 老年精神医学雑誌Vol.25 No.5
脆きもの,その名は高齢者なり
上野修一
愛媛大学大学院医学系研究科精神神経科学

 高齢者を扱う医学では,「frailty」という概念が一般化しつつある.Frailtyの日本語訳として,虚弱,脆弱などがあてられるようだが,言葉の印象から「フレイルティ」と片仮名で記載することも多い.Frailtyとは,「加齢により生理的予備能が低下し,生命維持にかかわる機能が制限され,外界の刺激に対して健康やADLに障害を起こす可能性の高い臨床的な状態」を意味し,エネルギー代謝や筋肉量の低下,ホルモン系や免疫系の変化など,加齢にかかわる多方面の生物学的脆弱性すべてを指す.Frailtyは,その病因からくる状態を適切な処置・治療により予防し改善できる,すなわち,治療可能性があると理解すればよいようである.文献によってその頻度はさまざまであるが,65歳以上の1〜2割はこの病態にあり,90歳以上になると約3割を占めるとされ,加齢による増加が直線的ではなく,個人差がある点も通常の老化とは異なっている.
 Frailtyの評価では,栄養障害,易疲労感,筋力低下,歩行能力低下,ADL障害を指標とし,歩行時間や握力などの身体的評価と,体重減少,うつ症状や認知機能障害などの精神的評価の双方から行う.Frailtyの精神面として,まず特別な配慮が必要なのはうつ状態である.高齢者のうつでは,悲哀感を表面に表さず,疲れや食思不振などを主訴として受診する場合が多く,適切な治療が行われないと自殺企図など,うつに直接関連した行動により,また,食思不振によるやせや不活発からくる運動障害などから身体状態を悪化することにより,寿命が短縮してしまう.
 糖尿病や高血圧,高脂血症などは,全身の血流異常から中枢神経系のfrailtyにかかわる.HbA1cが7%以上では認知障害を示すオッズ比は約5倍となり,心機能が低下すると脳容積は小さく反応速度も有意に低下すると報告されている.また,中枢神経系のfrailtyは,身体症状に先行することもある.高齢者のうつ病はミトコンドリア障害の結果である,アルツハイマー病には酸化ストレスが関連するとの報告もあり,脳の変化は全身で起こっている変化の一部であるともいえる.考えようによると,若年で起こる精神障害,統合失調症や双極性気分障害も,frailtyで説明できるかもしれない.
 すでに記したようにfrailtyは,ある患者に対して問題点を把握し,悪化を遅らせるか悪化させない,可能なら改善する治療を行うための概念である.Frailtyの身体面の治療,たとえば,サルコペニア(sarcopenia)と呼ばれる筋肉量の低下では,適切な運動療法による改善が期待される.体重減少,倦怠感などは食生活の改善により回復が期待され,炭水化物や脂質の摂取,ビタミン補充が重要なポイントとなる.
 では,frailtyの精神面への治療はどうであろうか.n-3系やn-6系不飽和脂肪酸は,体外から補う必要があり必須脂肪酸と呼ばれる.うつ病では,神経細胞膜に必要なn-6系のエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)の低下が,メタ解析により確認されており,アルツハイマー病では,脳内の飽和脂肪酸は増えているのに比して,サイトカイン合成に必要なn-3系のアラキドン酸,EPAやDHAなどの不飽和脂肪酸は低下していることが報告され,これら栄養素の投与による治療が期待できる可能性がある.抗認知症薬のみならず,リチウムや抗うつ薬をはじめ向精神薬は神経栄養作用をもつとの報告も多く,血流障害を改善する薬物も脳機能を高めることが指摘され,frailtyには,薬物の効果も期待できると思われる.ただし,まだ十分なエビデンスが集まっているわけではなく,治療については引き続き検討,確認が必要である.
 赤瀬川原平氏は,著書のなかで,「人は老いて,ものをうまく忘れる力,つまり老人力がつく」と提唱し,「老人は敬い皆で大切にする存在である」と記した.1990年代に発表されたこの本はベストセラーとなり,多くの共感を得た.高齢者数が急増した現在,「老人は共存する仲間」となった.そして,今,われわれが問われているのは,「老人力」をいかに上手に生かすか,それには,加齢に伴うfrailtyを弱点ではなく,個性と理解し,「バランスよく年齢を重ねるためにはどうするべきか」を考えていくべきであり,個人的には,精神医学におけるfrailtyを生物学的視点から解析していきたいと改めて感じている次第である.

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2014/4 老年精神医学雑誌Vol.25 No.4
認知症診療に心理学の専門職は必要か;心理学の専門職の養成をめぐる現状と課題
松田 修
東京学芸大学教育心理学講座

 認知症診療に心理士は必要か? 筆者は認知症を研究する心理学者であり,また,臨床心理士や認定心理士の資格をもって実践に当たる心理士でもある.同時に筆者は,学部や大学院における心理士養成にも携わる教育者でもあり,多くの学生を認知症診療の現場に送り出してきた.その筆者が,あえて「認知症診療に心理士は必要なのか」と問いかけたのには理由がある.それは心理士養成の現状に対する危機意識からである.
 日本には心理学関連の資格が数多く存在し,各資格認定団体が独自のカリキュラムや受験方法を定めている.いずれの資格もその取得には多くの時間と努力を要し,それぞれの特色に応じた高い専門性をもった心理士を輩出してきた.しかしながら,わが国では,これらの資格はすべて民間資格である.医師免許や看護師免許のような国家資格ではない.そのためか,心理士が医療や介護に関する法制度のなかで明確に位置づけられてはこなかった.一部の国家資格の試験問題やカリキュラムに「心理学」はあるのにである.
 心理の国家資格をめぐる動きには長い歴史がある.紆余曲折したが,ようやくここ数年,国家資格化への動きは再び動き出した.筆者は,一日でも早く,心理の国家資格ができることを望んでいる.それは,心理士の公的制度への位置づけや,心理士を目指す学生の未来のために必要だと思うからである.そして,もう1つ,国家資格化の実現を願う大きな理由がある.それは,心理士養成におけるスタンダートカリキュラムの構築のためである.
 無論,筆者は認知症診療に心理士は必要だと考えている.日本老年精神医学会の研究発表や特集の執筆者を見ると,現在でも,多くの心理士が認知症診療の現場で活躍する様子を伺い知ることができる.彼らの多くは,現場に出て認知症について学んだ人が多く,学生時代から認知症について学んだ人はきわめて少ない.なぜなら,一部の大学を除いては,認知症の心理実践を学習する機会がほとんど用意されていないからである.そのため,医療機関で働く心理士のなかには認知症について十分に学んだ経験のない人が多いのが現状である.しかし,これは彼らのせいではない.彼らが受けた教育の問題である.
 心理学のおのおのの資格を認定する機関,大学によって,どのような人材を養成したいかは当然異なる.そのために,資格ごとにカリキュラムが異なっていても,大学ごとに特色ある教育を行おうとも何ら問題はない.しかし,診療の現場に一歩踏み出すと,学びの内容の違いは大きな問題となっている.国家資格は,一般に,国が定めたカリキュラムを修了し,そのことを確認するための資格試験を合格した者に与えられる.その資格を有する者であれば,力量には差があったとしても,業務の基礎となる学びの内容に違いは生じない.しかし,現在の心理士はそうではない.たとえば同じ心理士資格をもつ人であっても,そのなかには,「子どもの臨床は学んだが,高齢者の臨床は学んだことがない」という人もいれば,「カウンセリングは学んだが,検査はあまり……」という人もいる.これが心理士養成の現状である.
 限られた時間の枠内で,あらゆることを学生に教育することはむずかしい.しかし,少なくとも彼らが将来心理士として現場に出たときに,そこでの新しい課題に柔軟に対応するのに必要な基本的知識と技能は,しっかりと教育しなければならない.もちろん,可能ならば,時代や社会が心理士に求める役割を果たすべく,今日的な課題を学ぶ機会はあってしかるべきである.今の時代に合わせて学生になにをどう教えるべきかを心理士養成に携わる教育者はもっと真剣に考えるべきである.
 認知症診療に心理士の力は必要である.しかし,そのような力をもった心理士をすべての大学で養成できているのかいえば,残念ながら「ノー」である.国家資格化で問題がすべて解決するわけではないかもしれないが,国家資格化は,心理士養成のコア・カリキュラムの構築の大きな原動力となるはずである.願わくは,そのなかに認知症の学びを入れてほしい.それが超高齢社会を迎えた時代の要請だからである.

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2014/3 老年精神医学雑誌Vol.25 No.3
二而不二
上村直人
高知大学医学部神経精神科学教室

 私事で恐縮であるが,一昨年,認知症および神経心理学の師匠に当たる故田邉敬貴教授(愛媛大学大学院脳とこころの医学講座)の墓参に行く機会があった.その際に墓標に刻まれていた文字が,表題の「二而不二」である.正式には「而二不二」らしいが,あとで気になり言葉の意味を調べると,「不二」とは,2つの面があっても,その本質は「一」である,「而二」とは,1つのものを2つの面からみることであるらしい.別の解説では,物事には表と裏があり,その両者があるからこそ物事が存在しているという意味であるらしいことを知った.もともとは仏教用語で,「知恵」の世界と「慈悲」の世界,これら2つの世界は別々に描かれているが,実際には一つに融合していることを指す意味もあるらしい.医療でいえば,「だれか救いたいという気持ち(慈悲)があっても,救う方法(知恵)を知らなければ救うことはできないし,救う方法を知っていても,救いたいという気持ちがなければ,やはり救われない,と解釈される」とのことである.さらに,私たちは自分の力だけで生きているわけではなく,たくさんの人々に助けられ,たくさんの人が作り上げてきた社会の仕組みに守られ,また,大自然からたくさんの「命」を分けていただくことによって生かされている.そして私たちはその「生かされている」ということに気づき,感謝をする気持ちをもつことができたならば,自然と「だれかのために」とか,「よりよい社会にするために」とか,「自然に優しく」といった,「慈悲」の心が生まれてくるとも述べられている.田邉先生は常々,「勉学のためには常に謙虚になりなさい」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「わからんことはだれにでも聞くことや.とくにこと勉学については……」「患者さんの症状を的確に把握し,真摯に聞く.患者さんに教えてもらうという態度が重要なんや」「『精神医学は土着の人を大事にしないといけない』と東京大学の松下正明先生が言うとる」という言葉を高知での講演や学会で時々お会いするたびに聞かされていたことを思い出す.
 また,これも偶然だが,昨年,筆者が生まれ,精神科医として働く高知県には精神科医として世界的にも有名な森田正馬先生の生家があり,最近その生家が更地にされようとしている事態に遭遇した.たまたま筆者が認知症の家族会の顧問をしている地域に森田の生家があり,認知症の対策はそっちのけで郷土出身の世界的な精神科医である偉人の生家保存に筆者なりに奔走するようになったのである.そのことを通じて森田の有名な,「あるがまま」「事実惟真」などが生まれた歴史や森田が生家の近くで地獄絵と出会い,死への恐怖を体験し,そして催眠療法や祈祷性精神症(病)の研究を経て,森田神経質および神経症治療論である森田療法が完成する過程を知り,その過程で高知の森田家の方のご厚意により森田正馬先生の神経質に関する講義(昭和9年10月10日)での生の声をカセットテープで聴くことができた.それはまるで現代にも森田が生きていて,なにかのメッセージを筆者に伝えているように感じられたのである.
 そして,平成25年3月で高知大学医学部精神科教授 井上新平先生(現・福島県立医科大学会津医療センター教授)が高知大学を退官するにあたり,井上先生の最終講義に接した.その際に,東大闘争や群馬大学時代の家族史的生活臨床のアプローチを拝聴した.昭和40年代の統合失調症の再発予防は,まだまだ今ほど確立されていなかったが,その時代の工夫が非常に斬新であった.エビデンス優位の治療が当たり前の現代型精神医療とは異なり,精神科の患者さんが生まれ育った生育環境や,親や家との関係性が患者さんの社会適応には非常に重要であり,改めてその患者さんの生活史や家族史を知ることの重要性を教わった.
 前置きが長くなったが,筆者からみると,故人となられた田邉先生,明治生まれの森田正馬先生,そして高知を離れられ指導的コメントを伺うことはほとんどなくなった井上前教授の,過去のそれとなく語られた言葉が,まるで自分のそばでささやきが聞こえてくるかのような体験が多くなった.日常臨床で判断に困ったとき,方向性を迷ったときに,とくにそれぞれの先輩の金言や常套句が聞こえてくるのである.もちろん教えを受けたことはなく,過去の書籍のみでその人の学問を知ったり,現在も交流がある精神科医の同僚や仲間,先輩との議論も日々の臨床におおいに影響することがある.人の出会いや交流というものは今現在生きている人物以外にも,故人となった先輩,遠く離れた元師匠の言葉は筆者のなかで生き続けている,つまり,消えることなく心の中に存在し続けるのである.その意味で,医療や医学の師匠は,「而二不而」という言葉でいえば,故人のようでいて故人ではなく,今の現代も存在する,離れていても,まるで自分の傍らに師匠がいるかのような感覚にさせるという,時空間を超えて表と裏がつながったかのような存在なのではないだろうか.
 そして自分のなかで生き続ける師匠や先人の言葉・それとなく耳に残る指導的教えから,筆者は最近,高齢者が生きづらい現代社会こそ先人の教えを統合し,高齢者のメンタルへルスに活かそうと考えている.すなわち,人間は否応なく親から生まれ,生まれた風土に育まれ,両親,そして先祖の教えや生き方を享受しながら成長し(家族史的アプローチ),老後を迎え,死を意識するようになる.そこで,老年期には人生の振り返りが起こり得る.自分の人生を振り返るとき,自分自身のみではなく,親,先祖,社会のなかで経験したことが含まれているはずである.そしてそのようなときに,家族史的振り返りを無意識に,自然に取り入れ,「自分の人生は何だったのか」を考えるのであろう.森田の指摘した,「あるがまま」「日々之好日」というような,人生とはその人なりに懸命に生きてきたことをあるがままとして受け入れ,その日その日を大切に生きていくことが,高齢者の心の健康に重要であると思えるのである.今後,わが国は未曾有の超高齢社会を迎えるが,高齢者が認知症を含めた精神障害を患ったとき,病気のみを対象にするのではなく,その人の家族史,生活史にも注目して傾聴することが精神科臨床では大切になると考えている.

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2014/2 老年精神医学雑誌Vol.25 No.2
G8認知症サミット
渕野勝弘
医療法人社団淵野会緑ヶ丘保養園

 高齢化に伴う認知症の人の増加を世界共通の課題ととらえて国際的な対策を進めようと,2013年のG8議長国であるイギリスの呼びかけにより12月11日,ロンドンで「G8認知症サミット」が初めて開催された.各国の担当相のほか,世界保健機関(WHO)の責任者,研究者,製薬会社の関係者などが参加して協議が行われた.日本からは土屋品子厚生労働副大臣らが出席した.
 2012年4月,WHOは“Dementia:A Public Health Priority”というタイトルで報告書を出した.2010年,全世界に3560万人の認知症患者がいると推計し,毎年770万人の新しい患者が増え,世界のどこかで4秒に1人が新しく認知症患者になっている.そして2050年には1億1540万人になると推計している.認知症の増加が今後,低中所得国において爆発的に増加することを示し,具体的な先進事例等を提示しつつ国家が果たしていくべき役割を提言している.さらに大きな課題は認知症治療,ケアにかかわるコストの増大である.現時点でコストは毎年6040億ドル(約50兆円)であり,その増加は有病率の上昇よりも急速であると推計されている.各国の社会保障全体に及ぼす経済的インパクトは莫大なものである.
 イギリスにおける認知症関連コストは2009年時点で約3兆円であり,30年後には9兆円に増大すると推定されている.2009年に「認知症とともによき生活(人生)を送る」国家戦略を発表し,2014年までに改善に取り組んでいる.フランスではアルツハイマー病および関連疾患に関する国家計画(2008〜2012年),「プラン・アルツハイマー」を実施している.またオランダにおいては2000年代にはいり,「コーディネートされた認知症ケア」実現への国の取組みが進められ,デンマークにおいても2010年から4年間にわたる「認知症のための国家行動計画」が発表されている.諸外国に比べて日本の認知症政策はどうであろうか.
 人口高齢化速度の国際比較をみると,他国に比べて高齢化速度は速く,1989年に「高齢者保健福祉促進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」を策定した.2000年には介護保険制度を施行するが認知症に特化した政策ではなかった.真に認知症施策が示されたのは2011年11月の「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」の報告を受けた翌年である.2012年6月,厚労省官僚だけによる「認知症施策検討プロジェクトチーム」が組織され,「今後の認知症施策の方向性について;ケアの流れを変える」が発表された.「認知症の人は,精神科病院や施設を利用せざるを得ない」という考えを改め,「認知症になっても本人の意思が尊重され,できるかぎり住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」の実現を目指したのである.さらに同年9月には厚労省老健局より「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」が公表された.認知症ケアパスの作成・普及,早期診断・早期対応,医療・介護サービスを担う人材育成,若年認知症施策などを柱としたものである.そして5年後の目標設定については施設や精神科病院に入るのではなく,地域や在宅で支える介護サービスに重点がおかれ,認知症に対する医療施策は忘れられたのである.オレンジプランを受け,「認知症初期集中支援チーム」を設置,認知症者の自宅に訪問支援をするが,法的整備はどうなのであろうか.また認知症疾患医療センターの所管は老健局となった.2013年12月現在,243施設(基幹型・地域型)あり,さらにより身近な「認知症医療支援診療所」を65歳以上人口比率や地理的状況に応じて設置するとのことである.早期診断・対応,危機回避支援も役割としてあるが認知症の医療体制としては脆弱である.地域包括支援センターやケアマネジャーに対しても過度な負担を強いることになる.老健局はさまざまな施策を打ち出してくるが,国として認知症対策をどのようにしたいのか,理念がみえてこない.諸外国のように認知症施策の目標をしっかり立て,達成最終年に本人や家族が生活を楽しみ満足のいく人生が送れたかを評価することが重要である.
 認知症サミットの共同声明では2025年までに治療法などの特定を目指し,研究費増加については各国が2年に一度,金額を報告し合う,基金の資金集めなどの活動をする「特使」をイギリスが任命する,各国の研究内容について情報開示を進める等であり,2014年に日本などで国際会議を開催することが決まった.
 日本政府の強いリーダーシップで認知症医療と介護サービスを行う専門局をつくる必要がある.適切な時期における診断・対応,治療,急性期医療,身体合併症医療,終末期医療のシステムの確立は十分に検討されなければならない重要課題である.

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2014/1 老年精神医学雑誌Vol.25 No.1
ここ25年の認知症医療の変化
田北昌史
田北メモリーメンタルクリニック

 平成も四半世紀が過ぎた.また筆者が老年精神医学を主な仕事としてから約25年になる.そこで,昭和のころの認知症の医療を振り返ってみると現在とは隔世の感がある.
 診断でいえば,当時はまだレビー小体型認知症の概念はなく,「幻覚が激しいアルツハイマー型痴呆」とか「老年期精神病」と考えていた.庭にライオンがいると興奮し,ハロペリドール(セレネースR)を投与したところ激しい振戦が出現した男性や,肩のところに猫がいると常に首を振っていた女性は今思えばレビー小体型認知症であったのであろう.
 薬物療法ではまずアルツハイマー型認知症治療薬がなかった.今でこそ4剤からどれを選択するかが話題になるが,当時はまず治療薬がなかったのである.したがって早期発見しても,積極的な治療の方法がなかった.また非定型抗精神病薬もなく,定型抗精神病薬のみを認知症の行動・心理症状(BPSD)に対して使用していた.ハロペリドール,オキシペルチン,チオリダジンなどを投与していたが,CPK(クレアチンホスホキナーゼ)が上昇して悪性症候群のような状態が生じたり,嚥下障害から肺炎が起こったりしていた.抗精神病薬が投与できない場合はカルバマゼピンを使うことが多かったが,転倒もあり,また皮膚病変も心配しながら投与していた.さらに抗うつ薬でいえば選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)も発売されていなかった.当時は四環系抗うつ薬が新薬で,ほとんどの場合三環系抗うつ薬を使用していた.今思えば高齢者のうつ病にどのような薬物療法を行っていたのかと不思議になる.
 検査でいえばMRIはすでに登場していたが,今のように一般的ではなく,せいぜい0.5テスラであった.また撮像にも時間がかかり,認知症患者は鎮静をかけなければ撮像が困難であった.
 高齢者介護では介護保険制度がなく,現在のようなデイサービスやグループホームもなかった.ショートステイなどの制度もなく,またケアマネジャーもいなかった.そもそも認知症という疾患自体が社会にあまり認知されておらず,ようやく一部で問題になっていたような状態であった.
 当時と比べれば,認知症治療や老年精神医学をめぐる状態は大きく進歩したといえるであろう.現在はアルツハイマー型認知症に対する薬物療法も可能になり,また社会や一般医への認知症の啓発も進んで,その認識も高くなっている.しかしこれらの進歩は一方では経済的なインセンティブが働いている側面もあると思われる.
 アルツハイマー型認知症治療薬や非定型抗精神病薬,SSRIなどはいずれも高価な薬剤で,それを販売する企業に多大な売り上げをもたらしている.
 また介護保険制度の導入以来,多くの企業や法人が介護に参入し,バブル崩壊以降成長したのは介護産業だけといえる状態である.
 介護がビジネスの対象になり,そこに競争が生じてサービスのレベルが向上することは悪いことではない.また医療についても,患者さんが新しい薬剤により安全に症状が改善し,それで企業が正当な利益を得ることは「ウィン・ウィン」関係といえるだろう.
 ただし医療の場合は近年この経済面が強調され過ぎているのではないかと思われる場合がある.
 先日通院中の患者さんが内科で肺結核を疑われた.BPSDを伴う重度のアルツハイマー型認知症の人で入院施設を探したが,一般の身体疾患を受け入れてくれる病院も結核は受け入れ困難とのことで,非常に困った事態になった.結核病棟を併設した精神科病院が激減しているのである.昭和の終わりころ非常勤で勤務した精神科病院には結核病棟があり,そこでマスクをして診察をしていたが,患者さんも長期入院が多く,現在のようなシステムではとても医業収益が上がらない病棟であった.福岡市近郊にある県立病院には結核病棟があったが,そこも経営形態の変更により廃止されている.収益が上がらない施設には厳しい時代になっているのである.結局この患者の場合は排菌していないので,外来で治療可能との内科医の判断で事なきを得たが…….
 しかし平成23年の80歳以上の結核の患者数は7,329人と報告されており,かりに認知症の人が10%とすれば,年間700人以上の認知症合併の結核患者が発生することになる.70歳代以下の人の数をいれれば,もっと多くなるであろう.そのなかにはBPSDを伴い,精神科病棟での治療が必要な患者もかなりいると思われる.そのような人々をどのように治療していくか,問題にならないのであろうか.
 消防署は利益を生む組織ではない.しかし火事がないからとか消防署がもうからないからといって,消防署を廃止する自治体はないだろう.認知症の医療にも経済的にはペイしない分野もあるだろうが,それらを維持することも必要なのではないであろうか.

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