2013/12 老年精神医学雑誌Vol.24 No.12
認知症の人の「寄る辺なさ」に寄り添う精神科医療
高橋幸男
エスポアール出雲クリニック

 認知症医療における精神科の役割としては,認知症の行動・心理症状(BPSD)への対応が最も重要であろう.最近は,抗認知症薬の対BPSD効果を謳う報告がにぎやかであるが,精神科らしい対応はどうあればよいのだろうか.
 いうまでもなく,BPSDは身体の不調などを原因とする場合もあるが,多くは認知症の人と周囲の状況との関係性で発生するものである.私たちの経験(著しいBPSDをもつ認知症者を対象とする重度認知症患者デイケアを20年間行ってきた)では,BPSDは,家庭では困難が大きくても,デイケアではほとんどの場合問題にならなかった.つまりBPSDの多くは,介護者などの身近な人との間で顕在化しやすい.たとえば認知症の妄想は,ほとんどの場合,家族などの親密な人をめぐって出現する.あるいは興奮し暴力の対象になるのも身近にいる人である.そういう人がデイケアでは別人のように穏やかになるのである.もちろんよい医療・ケアがなされているからでもある(抗認知症薬が登場する前からの経験であり,抗認知症薬の効果ではない).
 そうであるならば,BPSDへの精神科らしい対応は,認知症の人がどのような思いで暮らしているのか,身近な人など周囲の人との間でどのような事態が起こっているのかなどについて知る必要があるだろう.認知症の人の思いを知ることができれば,BPSDへの対応の道筋がみえてくるはずである.
 そのような思いもあり,筆者は認知症の人の言葉(つぶやきや手記)に注目してきた.記録された多くの言葉から導かれたことは,認知症の経過にはほとんどの事例に共通する社会心理的な特徴があり,BPSDの発現に至る仕組みがあることであった.以下,簡単に述べてみたい.
1.認知症になりゆく社会心理的経過からくり
 ほとんどの認知症の人たちは,中核症状の進行を嘆き,不安や戸惑いを感じている.落ち込み,自信をなくす人も珍しくない.しかし認知症の人たちがそれ以上につらく不安に感じていることは,認知症を病むことによって自分と地域や家庭など,周囲の人たちとの関係性が,認知症になる前とは違った状況になることである.多くの認知症の人は思い悩んでいる.
 実際に,認知症になりゆく過程は,周囲の会話についていけず,友人や家族などの身近な人とのさりげなく温かい会話が減り,一人取り残された感じをもつようになる.友人や近所の人との付き合いがなくなるが,家族のなかにいても孤立感・孤独感が日々募り,気がつくと愛しい家族に囲まれていても寄る辺ない状態になっている.公私とも役割を奪われ,居場所も失いやすい.
 つながりをなくし,寄る辺ない認知症の人を周囲は理解していない.むしろ本人にとってはつらい対応をしてしまう.多くの場合,身近な人は中核症状を黙って受け入れられない.「違うでしょ」「こうするんでしょ」などと励まし・願望を込めて指摘をしてしまう.認知症の人は,BPSD発現よりかなり前からそれらの指摘を「叱られている」と受け止めるが,周囲には「叱っている」意識はない.
 時間が経つにつれて,本人よりも介護している側が苛立ちやすく,多くの介護者は,眉間に皺を寄せて励ます(叱る)ようになる.認知症の人は,寄る辺ない状態で,(怖い顔で)叱られ続けることになるが,しだいに追い込まれて,限界を超えたときにBPSDを示すようになる.BPSDが発現すると家族も戸惑い,叱責してしまい,BPSDはさらに悪化するという悪循環に陥る.結果的に介護者も疲れ果て,うつ状態になることも珍しくない.
 このような社会心理的経過を,私たちは“からくり”と呼んでいるが,認知症の種類や,家族関係の善し悪しを問わず“からくり”にはだれもがはまりやすい.どのようなBPSDにつながりやすいかは,性差,性格,家族関係などを知ることである程度予想もつく.
 BPSDは寄る辺ない認知症の人の叫びであるが,“からくり”を確かめることで,BPSDの成り立ちや症状の意味を理解しやすく,BPSDの対応についての道筋がつき,本人も家族も安心することが多い.
 BPSDを軽くするためにも,本人と家族とともに対処法を話し合う意味は大きい.それは,認知症の人の寄る辺なさを知って,いかに寄り添うかということでもある.身近な人とのつながりを取り戻すために,周囲の人がコミュニケーションを図ることと,励ましの指摘は減らすことが重要なのである.
 認知症は脳の病であるが対人関係の病でもある.BPSDに対する精神科らしい対応は,認知症の精神病理などの研究・実践がもっとなされてもよいと思うのだが,どうだろうか.


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2013/11 老年精神医学雑誌Vol.24 No.11
認知症診療の視点
橋本 衛
熊本大学医学部附属病院神経精神科

 私が認知症患者を日常的に診察するようになってから20年余りになるが,その間,認知症を取り巻く状況は大きく様変わりした.とくに認知症ケアの領域においては,BPSDはその人の心の表現であり,その意味をその人の立場で理解して対応するperson centered careの重要性が浸透し,幅広く実践されつつある.私自身,認知症に関する講演や総説のなかでperson centered careについては繰り返しふれてきたが,「日常の診療のなかで実践できているか」と問われれば,はなはだ心許ない.私は精神科医なので,うつ病などの精神疾患の患者の訴えには時間をかけて耳を傾けてきたつもりであるが,それが認知症患者になると,「認知機能障害はどの程度か」「ADLは保たれているのか」「BPSDは生じていないか」「家族の負担感はどの程度であろうか」「神経学的な異常所見はないか」「身体の異常はないか」などの機能評価が優先され,患者の訴えに対する傾聴や,患者の心情への共感がついつい後回しになってしまう.従来,認知症患者に対する私の診察は,患者が3割,家族が7割の時間配分で,家族からの情報聴取と家族の精神状態のケアを優先させてきたが,2年ほど前に1人の若年性アルツハイマー病の患者に出会ってから,その診察スタイルが変化してきた.
 その患者は,隣県との県境にある自宅から大学病院まで自分で車を運転して,当院の作業療法に定期的に通院していた.同乗している妻の話では運転技能に衰えはないとのことであったが,立方体の模写はまったく形にならないほど視覚構成障害は顕著で,MMSEも16点であった.この認知機能では交通事故を引き起こすリスクが高いと判断し,当院の作業療法士や妻とも相談のうえ,自動車運転の中止を本人に勧告した.本人は穏やかに受け入れた様子で,「いつもは苦労する運転の中止勧告を,さほどの抵抗もなく素直に受け入れてくれてよかったな」と私は心のなかでほっとしていた.運転を中止するように告げた次の診察では,患者は浮かない表情で活気がなく,やや抑うつ的になっている印象を受けた.しばらくして患者は,「だれか男が来ていたのか」と妻に詰問するようになった.しだいに被害的な言動が増え,「妻のところに男が通っている」「俺が認知症だからお前が馬鹿にしている」と訴え,興奮して妻につかみかかるようになった.患者の変化に戸惑った妻は,当院の作業療法士に相談の電話をかけてきた.
 この患者の経過を概観すれば,自動車運転中止勧告が患者の嫉妬妄想を誘発したことは明白である.その発現機序として,「認知症のため生活の幅が狭まり,慢性的に喪失感を抱えていたところに自動車運転の中止勧告がなされたことで患者の喪失感がさらに強まった.そして『このような自分には何の価値もない』と考えるようになり配偶者への劣等感が引き起こされた.この劣等感という心の痛みを解消するために,『配偶者が背徳的で非難されるべき立場にある』と確信することによって精神的に優位な立場を確保しようとする心理が嫉妬妄想を引き起こした」という構図が想定される.
 このとき,嫉妬妄想が生じるまで,妄想を引き起こさざるを得なかった患者の“思い”に配慮していなかった自分にはたと気がついた.抗認知症薬を投与し,さらに作業療法も行っているから,医療的な対応としては十分ではないかと安心しきっていたのである.この慢心が,「認知機能が低下しているから運転はできない」という機械的な運転中止勧告につながり,嫉妬妄想を誘発したのではないだろうか.
 いまさらとのご指摘を受けるかもしれないが,この経験を経てようやく患者の心情に思いを馳せることが増えてきた.とはいえ,患者と長時間接するケアスタッフとは異なり,2〜3か月に1回,わずか10分程度しか接することができない外来診察において,person centered careを実践することは想像以上にむずかしい作業である.前述したように,限られた診察時間のなかで実施しなければならない作業は山のようにある.そのなかでなにも特別なことを始めたわけではなく,「なにか心配事はないですか」と必ず本人に尋ねるようにし,雑談でも何でも患者と会話をする時間を増やし,そして介護者からBPSDを聴取した際には「どのような気持ちでご本人は行動されているのでしょうね」と介護者に問いかけるようにしただけである.これらを心がけるだけで,案外患者の心情がみえてくるものである.
 近年の認知症診療技術の普及と進歩とともに,ADASやNPI,ZBIなどの評価尺度を実施するだけで患者のすべてを把握したような気になり,患者とほとんど話をせずに診察が終わってしまうという弊害が増えてきているように思われる.たしかに,さまざまなツールを用いて客観的に症状を評価することは重要であるが,それだけではBPSDの背景にある患者の“思い”知ることはできない.神経内科,脳神経外科,内科など認知症診療に携わる診療科は精神科以外にも数多くあるが,患者の話に直接耳を傾け,心情を汲み取ることが精神科医の役割ではないだろうか.

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2013/10 老年精神医学雑誌Vol.24 No.10
マニュアルと医療・介護
入谷修司
名古屋大学大学院精神医療学講座

 先日,長年使っていた携帯電話の電池がへたってきて,電池交換に店に行くと,機種が古く製造終了と言われ,やむなく機種変更をした.スマートフォンでなくとも最近の携帯電話にはさまざまな機能がついており,その取扱説明書(トリセツないしマニュアル)はかなりの厚さがある.マニュアルを読まなくてもさして不自由はないのでマニュアル本はまだ開いたことがない.わからなければ若者に聞くとたちまち教えてくれるので困らない.
 先日,ポリクリで回っていた医学生が持っていたのは,国試対策マニュアルである.精神科の研修医が持っているのが精神保健指定医取得申請マニュアル,診察室や病棟を見渡せば,医療事故予防マニュアル,針刺し対応マニュアル,クリニカルパス施行マニュアル,医療安全マニュアルなどなど,マニュアルのオンパレードである.また医療観察法の施行にあたり,指定入院医療機関には,『事故・火災発生対応マニュアル』および『無断退去等対応マニュアル』が整備されていることが義務づけられている.
 マニュアルはもともとは英語で,「手引き書」ないし「取扱説明書」が日本語訳であるが,すでにマニュアルは日本語として使われている.一時代前はハウツー本ともいわれていたが現在は死語である.さて医療でマニュアルといった場合,それは規範や一定の集団の方向性を示し,道を外させないためのガイドラインといった意味合いが強いように思われる.逆に,マニュアル以外のことをすれば,それが危機的な状況をもたらすことも意味している.さらに,マニュアル通りにやったがやむなく発生した事故に対して,ハーバード大学では『医療事故:真実説明・謝罪マニュアル;本当のことを話して,謝りましょう』というものが使われているらしい.このようにしてみると,医師になる前からも,医師になってからも,医療事故に遭遇しても,マニュアルがあれば大丈夫という具合にいえるようになった(先日,本屋で『新入社員安心マニュアル』という題名の本も見かけたが……).
 医療から離れてみても,原子力発電所の過酷な事故が起こる前には,原発は安全に稼働するための運転マニュアルが充実しているはずであったが,「想定外」の事故のあとには,緊急時における食品放射能測定マニュアルが活用され,原発事故緊急対策マニュアル,原発事故・損害賠償マニュアルといった本が出版され,各自治体では事故時避難マニュアルが新たに作成され,はては原発世論対策マニュアルなどまでもが作られたらしい.たしかに,大きな組織を動かすためにはマニュアルは必要であろう.各個人が同じ手続きを踏む必要は,組織が大きければ大きいほどそれは信頼性を担保しているものであろう.たとえば,交通安全にかかわる自動車運転マニュアルの類は,運転している人々がそれに基づいて安全運転をしているといった信頼性を裏打ちしているものであろう.しかし,個人的精神活動のマニュアルはどうか.婚活マニュアル,離婚マニュアル,子育てマニュアル,就活マニュアル等々,人生もマニュアルに依存しないと身動きがとれないのかと思われる世相である.Googleで「認知症・マニュアル」を検索すると,認知症高齢者のケアマニュアル・認知症の人と家族の支援マニュアル・認知症の人と家族の支援マニュアル・認知症予防マニュアル・認知症予防モデル事業運営マニュアル・認知症への対応マニュアル等々がヒットする.これらのマニュアルを揶揄するつもりはまったくないが,ここで言いたいことは,マニュアルを使うことも,また自分の感覚や観念,さらにはそれに基づいた人間関係も大事ではないかということである.どの人にとっても子育てはたいへんであろうが,それは,母親が「ああでもない」「こうでもない」と迷いながら育て上げることのなかで,「愛情」といったものが形成されるということも確かなことであると思われる.認知症の介護もたいへんで,だからこそマニュアルがたくさんあり参考にすべきことが多くあることは確かなことである.しかし,認知症の本人も介護者もだれひとりとして原発のように設計図で作られたものではないはずである.逡巡しながら,何とか落ち着きどころを見いだす「介護」という作業がつきまとう.だからこそマニュアルはあっても,それだけでは完結しないのは当然である.
 試しに,医療現場で目についたマニュアル類を体重計に乗せたら,5 kgを軽く超えた.人間の脳は,せいぜい1.3 kgである.「人間は一本の葦に過ぎない.しかしそれは考える葦である」はずである.
 筆者がもし介護される側になったとき,「認知症患者取扱説明書」通りにはしてほしくないというのは,密かなごく個人的希望である.

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2013/9 老年精神医学雑誌Vol.24 No.9
水頭症診療への誘い
数井裕光
大阪大学大学院医学系研究科精神医学

 平成25年6月4〜6日に第28回日本老年精神医学会が開催された.この学会のランチョンセミナーで,筆者は水頭症(normal pressure hydrocephalus ; NPH)診療について講演させていただく機会をいただいた.老年精神医学会ではあまりなじみのない疾患なので,席がガラガラになるのではないかと直前まで不安であった.しかし当日会場はほぼ満席となり,かつ講演後も多くの先生方からご質問をいただき,関心をもっていただいている先生がおられることを実感し嬉しく思った.
 筆者がNPH研究を行うきっかけとなったのは,上司に依頼がきた平成14年の第3回日本正常圧水頭症研究会での特別講演のピンチヒッターであった.当時,私たちは,認知症の原因となる疾患であれば何でも研究対象としており,NPHもそのひとつに過ぎなかった.水頭症研究会は,厚生省難治性水頭症調査研究分科会を引き継ぐかたちで組織され,メンバーは全員が脳外科医であった.そのためか内科系の筆者の講演は新鮮であったようで,講演後の質問が途切れなかったことを記憶している.また手術を依頼する側の筆者にとっても目から鱗が落ちる発表ばかりで,提示されるシャント術のビデオを食い入るように見,ノートをとり続けたことを覚えている.
 この研究会のあとすぐに,特発性正常圧水頭症(idiopathic NPH ; iNPH)診療ガイドライン作成委員になってほしいとの依頼があり,筆者のNPH研究が始まる.ガイドラインの作成にあたり,筆者は過去のNPHの診断に関する論文517本に目を通すことになったが,この経験が後々の研究におおいに役立った.『iNPH診療ガイドライン初版』は予定通り平成16年に出版されたが,ガイドライン作成の途中から,iNPHには解決すべきリサーチクエスチョンが山のようにあることに気づかされた.そしてこれらのクエスチョンに答えを見つけようと自然にiNPHを研究するようになったのである.
 近年,iNPH診療が徐々に世の中に浸透し,水頭症研究会も平成23年度に学会に昇格した.しかしシャント術の治療成績はまだまだ改善できると思っている.そのためには,まず早期診断,早期治療が必要である.われわれの施設に紹介されてくるiNPH患者をみても,シャント術の時期を逸した患者が一定数存在する.最近行われた疫学研究でiNPHは一般高齢者200人に1人の割合で存在すると報告されており,従来考えられていたよりも多い可能性がある.そこでiNPHの存在を啓発し,かつ早期診断に役立つ特徴的なDESH画像を多くの医療者に知っていただくことが重要である.ちなみに,DESHとは,disproportionately enlarged subarachnoid-space hydrocephalusの略で,側脳室や第三脳室などの脳室系は拡大するが,シルビウス裂よりも上位の円蓋部(高位円蓋部と呼ぶ)や大脳縦裂は逆に狭小化するiNPHのことである.治療成績を改善させるためにもう1つ重要なことは,他疾患の正確な除外である.老年精神医学会の会員がiNPH診療に参加することにより,この2つの課題が改善されると思う.
 「脳外科医にiNPH患者を紹介してもシャント術をしてくれない」という声を認知症専門医からよく聞く.ある長老の脳外科医の話では,「過去に治療可能な認知症として過度にiNPHが強調され,過剰に診断された時期があり,多くの手術無効例や手術合併症を経験した.この苦い経験を記憶している脳外科医が案外多い」とのことであった.当時は鑑別診断が十分でなく,脳萎縮による脳室拡大にiNPH以外の理由による認知障害,歩行障害や尿失禁が合併した患者にシャント術を行ったのではないかと予想される.このため脳外科医にシャント術をしてもらうよう働きかけることもわれわれには必要かもしれない.筆者はまずシャント術で顕著な治療効果が長期的に得られるiNPH患者を第一例として脳外科医にお願いすることにしている.そして,その患者や家族の「よくなった」という喜びの声を先生に直接聞いてもらうのである.筆者が思うシャント効果が大きい患者の条件は,明確なDESHであること,MRIで血管障害が目立たないこと,高齢でないこと(75際くらいまでか?),典型的な皮質下性認知障害を呈するがこれが比較的軽度であること,ワイドベース,小歩,磁性歩行という典型的な歩行障害を呈することである.これに加えタップテストで明瞭な改善が認められればなおよい.またシャント術後の経過観察を脳外科医とともにわれわれが行うことも脳外科医のハードルを下げる.残存した認知障害やADL障害に対する対応や支援は,われわれのほうが得意だと思うからである.さらにシャント術は脳外科病院のベッドコントロールに役立つことも伝えてほしい.
 認知症を診療する者にとってiNPH治療はやりがいのある診療である.認知症の原因疾患の多くは,根治困難で医療者が患者を積極的に改善させたという実感を得ることは少ない.しかしiNPHの診療は,早期診断,適切な除外診断と,タップテストなどの補助診断によって,シャント効果の高い症例を同定することができる.顕著な症状を呈していた患者がシャント術によってほとんどの症状が目立たない状態になって再会できたときの医療者としての喜びはひとしおである.この喜びを多くの医療者に経験してほしい.平成26年2月1日(土)に大阪大学コンベンションセンターで第15回日本正常圧水頭症学会を開催することになった.テーマは「NPHをよりよく治すためにできること―啓発,連携,研究成果の臨床への応用―」である.治る認知症を本当に治すために,私たち日本老年精神医学会の会員が脳外科医と交流する機会になればと思っている.

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2013/8 老年精神医学雑誌Vol.24 No.8
生理的もの忘れと病的もの忘れ
池田研二
香川大学医学部炎症病理学

 私事で恐縮ですが,私も高齢者の仲間入りをしてご多分に漏れずもの忘れが激しくなり,あとで調べようと思ってもうっかりメモを忘れると何だったか思い出せずにしばしば歯がゆい思いをしています.教科書に書いてある生理的記憶障害の特徴,「まったく忘れてしまうわけではなく,なにかの拍子にふと思い出す」「もの忘れのために生活に支障をきたすことはない」「もの忘れの自覚はある」── まったくその通りです.そこで,問題はこのもの忘れが将来,病的な記憶障害に移行する可能性はあるのか,つまり質的に異なるようにみえる両者の間に病理学的な連続性はあるのかないのか,ということであり,この連続性の問題は解決しているのだろうかと思い,少し調べてみたのですが…….
 病的な記憶障害については,有名なHM例やRB例に一致して疾患病理でも「海馬CA1に相当程度に病変が及んだ場合」ということである.神経原線維変化(NFT)のみが出現する疾患である神経原線維変化型老年期認知症(SD-NFT)では病的記憶障害のみが長く続く(すなわちamnestic MCI状態)という特徴があるが,病理所見は海馬CA1に病変が及ぶブラークステージ(Braak stage ; BS)・〜・に一致している.ここでBSについて,海馬領域を中心に簡単に説明すると(NFTは神経細胞脱落部位や程度をよく反映するためBSは有用な指標である),
  Stage0:NFTは出現しない.
  StageT:NFTの出現は海馬傍回の経嗅内野に限られる.
  StageU:StageTの進行した段階で,経嗅内野の多数のNFTに加えて,これよりやや軽いが海馬傍回の嗅内野にNFTが出現する.海馬体ではCA1〜海馬台移行部に少数認められる.
  StageV:経嗅内野と嗅内野は高度に冒される.海馬ではNFTがCA1に出現するようになり,海馬台の錘体細胞には尖端樹状突起まで伸びるNFTが認められる.
  StageW:経嗅内野,嗅内野は非常に高度に冒される.海馬ではCA1に多数のNFTが現れる.等皮質に軽度の変化が現れる.
  StageX:海馬はすべての部位が冒される.等皮質も連合野が強く冒されるようになる.
  StageY:StageXの変化がより進行し,連合野に加えて,少ないが一次感覚野にもNFTが出現する.
 生理的記憶障害については,海馬傍回にNFTが出現するBST〜U段階が相当する,つまり「連続性あり説」と,両者の病理基盤は別物であろうとする「連続性なし説」があり,必ずしも解決していないらしい.この問題を考えるうえで重要なことは,生理的記憶障害は普遍的な現象であり,60歳代前半で70%,後半で85%,70歳代になると100%の人に出現するという事実である.さっそく70歳代の高齢者の脳病理所見を通常の社会構成に近いモデルとして総合病院で死亡し,剖検となった70〜79歳(38例)において調べてみた.指標として前述のBSを採用した.結果は,BS 0:29%,BST:21%,BSU:34%,BSV:10.5%,BSWとXがそれぞれ1例で各2.6%であった.ちなみに認知症が確実に出現するのはBSX以上とされている.70歳代の半数がまったくNFTが出現していないBS 0であるか,エピソード記憶障害に影響はないと考えられるBSTであったということは,これらの人たちの生理的記憶障害の病理基盤は少なくともアルツハイマー型認知症やSD-NFTの病的記憶障害の病理とは別物ということになる.
 生理的記憶障害は,より普遍的で生理的な加齢現象のひとつと考えられる.なにかのきっかけで思い出す「想起の障害」という特徴からして,発火パターンの再現(=想起)を担う機能の低下が疑われる.おそらくシナプス形成能や可塑性が加齢に伴って低下することが記憶の再生を困難なものにしているのではないかと思われ,そのように考えると両者の質的な相違に合点がいくが,これはいくら顕微鏡を覗いてもわからない.
 私のなかでは「連続性なし説」に軍配,ということでひと安心と言いたいところであるが,病的記憶障害の予備群とも考えられるBS・段階の割合が70歳代の人で約1/3(34%)ということであるので,まだ安心はできない.
 それではBSUについてもう少し考えてみたい.BSUでは海馬傍回の嗅内野に強い変性が及ぶ.嗅内野は広く連合野と双方向性に線維結合しており,連合野からの情報は嗅内野を介して海馬に伝えられる.海馬からは嗅内野を経て逆に連合野に出力しているので,嗅内野は連合野と海馬を結ぶ中継点となっている.したがって,海馬CA1が強くは冒されていないBSU程度でも病的記憶障害が起こる可能性はあるように思われる.これらの人たち(BSU)に記憶障害を含めた何らかの臨床症状がみられたのかどうかを知りたいところであるが,残念ながら詳細はわからない.

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2013/7 老年精神医学雑誌Vol.24 No.7
精神科医療と認知症
前田 潔
神戸学院大学総合リハビリテーション学部

 2年ほど前,ある認知症家族教室でのある介護家族の次のような発言が記憶に残っている.「認知症の父親が肺炎かなにか身体疾患で一般病院に入院せざるを得なくなったときのことである.入院したところ例によって行動症状が出て,うろうろする,他の病室に入って行こうとする,点滴はさせないとなった.病院も何とか入院を継続させようといろいろ工夫をしてくれたが,他の患者の家族からクレームが出て仕方なく退院してくださいとなった.退院を強いられても自宅でみられる状態ではなく,自宅で介護するとなると家族のだれかが仕事を休まなければならない.途方に暮れてある精神科病院に駆け込んだところ,そこの院長先生が,『すぐに連れてきなさい.うちで面倒をみます』と言っていただいた.助かりました.地獄で仏とはこのことです」という話であった.
 2012年6月に公表された厚生労働省の「今後の認知症施策の方向性について(以下,「方向性について」)」,同年9月の「認知症施策推進5か年計画(オレンジプラン)」では,「不適切なケアの流れ」という表現で,精神科病院入院をできるかぎり避けるべきであると謳っている.同時に認知症治療薬(抗精神病薬)の不適切な使用により精神科病院入院が長期化しているとも述べられている.
 認知症医療・ケアの世界標準は認知症者を精神科病院に閉じ込めておくことではなく,はたまた,抗精神病薬による薬漬けでもない.人生の最期をせめて精神科病院のベッドでは迎えたくないという心理はすべての国民に共通のものであろう.
 精神科医療,精神科病院が目の敵にされているように理解した日本精神科病院協会はこれに強く反発し,厚生労働省老健局認知症・虐待防止対策推進室に抗議したと聞く.「方向性について」にはまちがいが書かれているわけではない.必要な患者だけが精神科病院に入院し,入院の必要がなくなった患者は速やかに退院することについてはだれも異を唱えない.ただそれが行われていないのが実情であり,問題はどうすればそれが実現されるかということである.
 筆者らは認知症治療病棟を有する全国100以上の精神科病院のご協力をいただいて認知症治療病棟の調査を行ったことがある.それによると,これらの病棟の平均在院日数は720日を超えており,入院期間が60日以下の患者は12%に過ぎず,1年以上の患者は59%に上った.退院できない理由としては40%の患者では周辺症状が残存しているためであり,20〜30%は退院先である介護施設の空きがない入所待ちにより退院できない.また15%は家族が退院を拒否していることによる.ADLが低下しているために退院できない患者の割合は10%であるが,入院期間が長くなるにつれてその割合は増加し,入院期間の長期化がさらに退院困難の原因となる悪循環をきたしていることになる.ほかに身体疾患のために退院できない患者の割合が8%であった.
 これらの結果から,現在,精神科病院に入院している患者の6割は必ずしも精神科病院に入院している必要はなく,自宅,他の施設,一般科病院などに移すことができ,その結果悪評高い認知症者の精神科病院入院を半減させることが可能であると結論することができる.平成20年の患者調査の結果では5万2000人の認知症者が精神科病床に入院しているとのことであったので,3万人以上の入院認知症者を減らせることとなる.精神科病院では,認知症の入院患者について,精神科病院と地域の介護関連施設その他との間でもたれる地域連携会議というものがある.さきと同じ調査のなかで,平均在院日数と関連が得られる要因を検討したところ,この地域連携会議がより多くの患者について開催されている病院ほど在院日数が短いという結果が得られた.精神科病院での認知症者の入院期間を短縮する切り札は地域との地道な連携づくり,緊密な情報交換といえる.
 一方,精神科病院には医師,看護師ほか臨床心理士,精神保健福祉士,作業療法士などの認知症を専門とする人材やデイサービス,デイケアなどの医療資源が豊富にある.これらの職種には病院が費用を負担し雇用しても診療報酬の点数にならない職種もあると聞く.精神科病院は出血覚悟で一部の職種を配置しているのである.精神科病院の豊富な人材と医療資源を活用しない手はないとも考えられる.
 認知症者の精神科病院入院期間の短縮化のために,入院期間に応じた入院医療費の低減措置の徹底がまもなく打ち出されてくるであろう.もしそれが退院患者の受け皿が整備されずに実施されれば最もしわ寄せがくるのは認知症の当事者と家族である.精神科病院から放り出された当事者と家族が途方に暮れるということのないように受け皿整備が必要である.

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2013/6 老年精神医学雑誌Vol.24 No.6
高齢社会と就労
小山善子
金城大学,(独)労働者健康福祉機構 石川産業保健推進センター

 最近,総務省から速報で平成24年11月1日現在の人口推計が発表され,総人口は1億2751万2000人で,前年度より過去最大の28万8000人減で,マイナスは2年連続であった.65歳以上の人口は前年度より3.59%増の初めて3000万人を突破し(3089万4000人),人口減と高齢化の進行が鮮明になった.65歳以上人口の総人口に占める割合は24.2%と最高を更新し,他方14歳以下の割合は13.0%と最低であった.年々少子化で人口減が続くと見込まれる一方で,昭和22〜24年ごろのベビーブームで生まれた「団塊の世代」が続々と65歳に達するため,高齢者の社会保障費の増加,医療・介護の問題は政策上の重要課題となっている.
 私は現在,石川産業保健推進センターに携わっている関係で,高齢者の就労が気になるところである.就労人口からみてみると,生産年齢(15〜64歳)は平成22年8152万人,平成23年8134万人,平成24年8008万人と年々減少している(平成72〈2060〉年には4418万人,現在の約半分になると推計されている).
 このように少子・高齢化が急速に進展し,就労人口の減少を考えると,高齢者,女性,障害者の就労力としての活用が期待されるところである.働くことのできる人すべての就労を図り,社会を支える全員参加型社会の実現が求められるなか,高齢者の就労促進の一環として,平成25年4月1日から「高齢者等の雇用の安定等に関する法律」の一部改正で「高齢者継続雇用制度」が打ち出されている.
 平成23年度版内閣府の高齢社会白書の厚生労働省の調査(「国民生活基礎調査」平成22年)をみると,高齢者の健康状態については半数近くが何らかの自覚症状を訴えているが,日常生活動作,仕事・家事・学習,運動等の日常生活に実際に影響があるとの回答は1/5程度であった.また,60歳以上で「健康である」と考えている人の割合を韓国,アメリカ,ドイツ,スウェーデンのそれと比較しているが,日本は65.4%であり,スウェーデン(68.5%)に次いで高かった.また,「中高年者の縦断的調査」では「団塊の世代」を含む60〜64歳では仕事をしている人の56.7%が65歳以降も「仕事をしたい」と考えており,仕事をしていない人では「仕事をしたい」と考えている人は20.1%で,「したくない」と考える人は59.0%となるが,60〜64歳全体でみると44%は仕事を継続したいと考えているようである.また退職の希望年齢は,「65歳で退職したい」人は3割にも達せず,残りの約7割は「70歳以降まで」または「働けるうちはいつまでも働きたい」と考えている.さらに,仕事を選ぶ際は高齢の男性は「経験を活かせること」を重視し(28.3%),女性は「体力的に軽い仕事」を重視する(23.2%)傾向があるが,平成18年の同調査と比較すると,「収入(賃金)」を最も重視する人が増加しており,とくに男性では9.9%→20.7%で,60歳代前半のみならず,65歳以上の人でも収入を重視する人が増えている.
 上記でみられた調査結果を考えると,認知症対策はもちろん急務であるが,むしろ元気な高齢者の社会対策も取り組まないといけない課題である.高齢者は若・中年者をそのまま延長したものではない.加齢に伴い,身体的ばかりでなく精神面でも変化が生じてくる.心身両面の加齢変化のみならず,環境変化も受けやすくなる.高齢者は不安,抑うつ,孤独に傾きやすく,心理的危機に陥りやすい時期でもある,このことが認知機能低下,抑うつ状態につながっていく.身体的および環境の両面からの配慮が必要になってくる.
 定年が延長されいつまでも継続して就労できる法律がつくられても,はたして受け入れる企業側の整備はどうであろうか.高齢者が職場で継続して安心・安全が確保され,生涯にわたって生きがいをもって活動できる職場環境づくりは急務である.また,職場のメンタルへルス対策に高齢者のメンタルへルス対策が取り入れられなければならない.

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2013/5 老年精神医学雑誌Vol.24 No.5
一般市民を対象とした遺伝子検査
米田 博
大阪医科大学総合医学講座神経精神医学教室

 Newsweek日本版,2013年4月16日号のcover storyに,禁断の新医療 遺伝子診断;「新型出生前診断などで身近になったDNA診断──『夢の医療技術』は人々を幸せにするのか,遺伝子診断が招く禁断の未来」と題する記事が掲載された.会員の先生方もお読みになった人が多いのではないかと思う.遺伝学者のリッキー・ルイス氏が,「検査キットの普及で身近になったDNA検査には生命倫理から個人情報漏洩まで危険な罠が潜んでいる」として,遺伝子診断のメリットは大きいと紹介しながら,出生前診断による中絶,知りたくない権利への配慮と医師が診断結果を知らせる際の守秘義務との葛藤,遺伝子情報の有用性の限界,遺伝子情報による医療保険加入や採用・昇進における不利な扱い,遺伝子情報といういわば究極の個人情報の漏洩などの問題点を指摘している.このなかでアルツハイマー病はアポリポタンパクE4(ApoE4)が発症リスクを上げるとして紹介されている.この記事に対する反論として,サイエンスライターのバージニア・ヒューズ氏による「あまりにも不毛なDNA恐怖症」との記事も掲載されている.「遺伝子検査の倫理問題をめぐる論争は患者や親の判断力を軽んじ過ぎている.医学界の義務は患者の意思決定を助けることだ」と指摘している.両記事とも遺伝子検査の有用性とその限界を認めるところでは一致しているが,商業ベースで拡大している遺伝子検査の倫理的な問題についての見方の違いが際立っている.倫理的な問題は社会の課題ともいえる.
 商業ベースの遺伝子診断は,Newsweek誌で紹介されたアメリカばかりではなく,わが国でも提供されている.また唾液を採取してスピッツに入れて送れば,結果がweb上で確認できるという簡便さもあって,グローバル化が進む今日,日本から世界中のサービスを利用できるようになっている.検索サイトで調べると,すぐに多くのサービスにアクセスできる.たとえば,子どもの潜在能力について,記憶力は脳由来神経栄養因子(BDNF)遺伝子,セロトニン2A受容体(HTR2A)遺伝子,思考力についてコリン作動性ムスカリン受容体2(CHRM2)遺伝子,カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)遺伝子など,41の能力を4段階で評価できると広告されている.また認知症では,「認知症3項目DNA検査」としてApoE,プラスミノーゲン活性化抑制因子(PAI-1),インターロイキン-10(IL-10)が調べられ,統合失調症などの精神疾患についてのDNA診断も提供されている.しかしながら認知症も含めた精神疾患については,まだまだスティグマが大きいこともあって,国際精神科遺伝学会(ISPG)は,遺伝子検査についてanalytic validity(検査の信頼性が確保されているか),clinical validity(十分な科学的エビデンスがあるか),clinical utility(患者の予後を改善できるか)が担保されていなければならないことを指摘し,精神疾患についてはclinical utilityが確保できていない状態であり,検査結果が不適切な治療に結びついたり,必要な治療を中断したり,避けたり,ライフプランを変更したり,中絶に結びついてしまう危険性について強く警告し,検査結果をどう受けとめるのかサポートするための遺伝カウンセリング体制を充実させることが急務であることを指摘している.また日本人類遺伝学会は同様の問題点を指摘し,3つの提言を行っている.「一般市民を対象とした遺伝子検査に関する見解」(2010):1.一般市民を対象とした遺伝子検査においては,その依頼から結果解釈までのプロセスに,学術団体等で遺伝医学あるいは当該疾患の専門家として認定された医師等(臨床遺伝専門医等)が関与すべきである.2.不適切な遺伝子検査の実施によって消費者が不利益を受けないように,学会員および関係者は,関連する科学者コミュニティと連携を図り,ヒトゲノム・遺伝子解析研究の最新の進行状況についての情報を得るとともに,遺伝子解析の意義,有用性,およびその限界に関する科学的な検証を継続的に行うべきである.3.学会員および関係者は,あらゆる機会を通じて,一般市民,学校教育関係者,マスメディアに対し,ヒトゲノム解析研究の成果や遺伝子検査がもたらす意味について,積極的に教育・啓発活動を行い,遺伝子検査に関する一般市民の理解が促進されるように努力すべきである.
 このような一般市民を対象とした商業ベースの遺伝子検査とは別に,医療のなかでは遺伝子情報はなくてはならないものになっており,認知症については家族性アルツハイマー病の遺伝子診断が先進医療に認定され,主として実施する医師の基準に精神科専門医が加えられた.しかしながらこのような遺伝情報の取り扱いについても,社会的なニーズと関連して倫理的側面や個人情報の保護などから常に見直しが必要であり,日本老年精神医学会の課題としても重要であると考えられる.

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2013/4 老年精神医学雑誌Vol.24 No.4
流行の精神医学
角 徳文
東京慈恵会医科大学精神医学講座

 私がちょうど研修医だったとき,他病院に研修に行った同級生と話をする機会があった.私は母校の大学附属病院で研修を行っており,そのころはとくに専門とする領域も考えておらず,ただ何となく将来は臨床だけではなく研究にも携わってみたいと漠然と考えていた程度であった.そのようなときに,国立精神・神経センターで研修をしていた彼の話に「やっぱり国立系の著名な病院は違うな」と感心したものであった.
 その際に「アルツハイマー型認知症は髄液検査で診断可能であり,あと何年かすると診断に専門的な知識はいらなくなる」と言われた.そのときは,自分自身まだ老年期を専門とする医師になるつもりもなく,アルツハイマー型認知症に関してたいした知識もなかったが,何となく彼の言動に「軽さ」を感じたことを覚えている.
 その後20年が経過し,実際はどうなったのかは本誌の読者であればご存知であろう.最近の研究で,血液生化学検査,種々の画像検査を組み合わせたアルツハイマー型認知症の早期診断に関する研究で最も鋭敏に早期の診断に寄与したものはMini-Mental State Examination(MMSE)であったという報告があった.もちろんMMSEだけで診断できるわけでもないが,彼の話ほど診断は単純ではなかったわけである.
 また,こういうこともあった.私が留学から帰ってきたばかりのころ,後輩の精神科医に「先生,まだ三環系なんか使っているのですか?」となかば嘲笑気味に言われたことがあった.私がいなかった数年の間に,日本でも一気に選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が複数登場し,うつ病の薬物治療の主役の座はそれまでの三環系,四環系抗うつ薬からSSRIへと移っていたのであった.また,当時薬物治療の強化療法なる言葉が盛んに謳われていたが,従来行われていた焦燥の強いうつ病の人に抗精神病薬を少量投与することとなにが違うのかピンとこなかった.自分の不勉強もさることながら,日本の精神医療の変り身の早さに戸惑いを感じたものであった.留学中は研究が主体であったが多少臨床にも携わっており,そこではaugmentationなる言葉は一度も聞いたことがなかったからである(留学先がヨーロッパの片隅だったということもあるかもしれない).
 私が医師になり約20年近く経過したが,その間だけでも日本の精神医療にはさまざまな(語弊を承知でいえば)流行があったような気がする.ボーダーライン,解離性障害(多重人格),心的外傷後ストレス障害(PTSD),発達障害(アスペルガー),最近では双極性障害であろうか.どれもこれもそのたびに診断される患者の数が増えるが,結局は中途半端なままに過ぎ去っているような気がする.地道に取り組んでいる専門の先生からすれば「とんでもない」とお叱りを受けるかもしれないが,流行ごとにそれに飛びついた精神科医も多いのではないか.たしかに既述したような疾患が注目されたことは,実際に見落とされていた障害が新たな疾患概念としてまとめられ治療法が進歩するという医学の進歩の結果かもしれない.また,髄液検査が完璧な診断法ではなくても,それによってもたらされた知見がその後のアルツハイマー型認知症の病態解明に寄与したように,新たな発見の波が積み重なって医学は進歩していくのかもしれない.しかし,この20年でこれらの疾患に対する治療法が確立されたとはとても思えない.
 
 19世紀から20世紀初頭まで医学の最先端であったヨーロッパの医学部では,当時瀉血が治療としてまかり通っていたし,精神医療でいえば統合失調症や気分障害,認知症の概念も確立されていなかった.しかし,現代のわれわれの医療とどれだけの違いがあるのだろうか? 19世紀と21世紀の間には飛行機の発明やIT,医学ではDNAの発見といった人類の大きな進歩がありそれはルネッサンスに匹敵する歴史の転換点である,という説には私も同感である.では,そもそも14世紀と16世紀の医療の違いをどれだけの人がわかっているだろうか? われわれは瀉血を笑うことができるのだろうか?
 とくに精神疾患の場合は,たしかに時代背景により表現型が影響を受けやすいかもしれないが,その本態にある病態生理は同じはずである.肺炎はいつの時代であっても肺炎であって,少なくとも「現代型肺炎」といった言葉はおかしいのではないだろうか.以前,先輩の精神科医に「精神科医は流行に敏感でなければならない」と言われたことがあった.私自身は優れた研究者でもないし,今後大発見もしないだろう(残念ながら).しかし,私は少なくとも流行に目を奪われずに,精神医学の真理を垣間見たと“感じる”ことができるような精神科医の人生を歩みたい.

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2013/3 老年精神医学雑誌Vol.24 No.3
認知症疾患進展の法則性とヒトのnatural history
宇高不可思
住友病院神経内科

 スフィンクスの謎「朝には四つ足,昼には二本足,夜には三つ足で歩くものはなにか」への答は“ヒト”であるが,現代では,“晩にはまた四つ足”を追加すべきではないだろうか.
 文明の進歩のおかげで多くの人々が生物寿命の限界近くまで生きられるようになった結果,長生きすれば認知症を免れることがむずかしい状況になってきた.日頃接する患者さんたちの姿は自分たちの将来の姿であり,いずれ自分も認知症になりうることを前提に生活設計すべきである.
 認知症の精神・神経症候の進行を経時的に観察すると一定の法則性がある.とくにアルツハイマー病の場合,個体発生におけるdevelopmental milestoneとほぼ逆の順で機能が失われていく.Functional Assessment Staging of Alzheimer,s disease(FAST)重症度分類(Reisberg B,1984,1986,1988,1999)はこの考えに基づいており,症候の理解のみならず,ケアのあり方についても乳幼児の場合を参考にすべきであると主張されている.病理学的にも遺伝的に定められた髄鞘形成の順序とほぼ逆に病変が進行する.脳波の基本周波数の変化,PETによる脳局所グルコース代謝の変化も発達を逆行する.安直なアナロジーは慎むべきであるが,行動・心理症状に類似の症状は幼児の発達の過程でしばしば観察される.
 脳血管障害,血管性認知症の場合はより多様であるが,法則性がないわけではない.脳の構造はきわめて複雑であるが,3層構造で理解できる(亀山正邦,1983).個体および系統発生的に最も古い構造である中心層(自律神経系の視床下部),中間に当たる中間層(辺縁系),および最も新しい表層(新皮質,皮質下構造,伝導路)の3層であるが,血管障害は表層部に多発し,加齢変化は中間層に強く現れる.中心層では血管障害はまれであり,加齢変化も少ない.もしこの関係が逆ならば脳血管障害による片麻痺や失語を呈するまでもなく死亡してしまうはずである.運動や言語などの生活機能は主として内頸・中大脳動脈系(“生活動脈”)で,血圧や心拍・呼吸などの生命維持は脳底動脈系(“生命動脈”)の血流によって維持される.血管性認知症の中核を占める小血管性認知症(多発性ラクナ梗塞型およびビンスワンガー病)の主病変は前頭葉白質や線条体であり,やはり表層部位の病変による.
 『神経系の進化と解体』(Jackson JH,1884)には,神経系の機能は進化の過程において階層体制を形成しており,高次階層はそれ自身に固有の機能とともに,低次の階層を統制,制御する機能を備えていること,神経系の疾患はこの進化の過程の逆行(機能解体)であり,ある階層の機能解体はそれ自身に固有の症状(陰性症状)とともにそれ自身は健全な低次階層の機能解放(陽性症状)を伴うことが述べられている.てんかん,アルコール中毒,精神病,失語症においてこの理論が展開されたが,認知症疾患,とくにアルツハイマー病の場合にも進化の過程の逆行という原則が当てはまるように思われる.
 図1はヒトの一生の姿勢と起立・歩行の変遷に関する模式図である(Yakovlev PI,1954より改変).一度は発達した抗重力機構が加齢で弱体化し歩幅や腕の振りの少ない高齢者歩行(↑)になるが,脳の病気でこの機構が破綻すると点線以下の病的な歩行・姿勢(*)を示し,最終的には重力に負けて胎児の姿勢と同じ,“大脳性屈曲性対麻痺”にまで至ることを示す.責任病変は前頭葉・淡蒼球・線条体(前脳)の広範な病変であり,全介助・失禁状態で生まれ,発達のあと,脳疾患によって最終的に全介助・失禁の寝たきり状態に戻るのは,起立,排尿,精神活動の中枢のいずれもが主として前脳に存在するからである.
 脳疾患の多くが認知症をきたしうるが,順序や速さに差異はあっても病変拡大とともに,運動機能,ADLも低下が進む.認知機能の低下で始まり晩期に歩けなくなるのがアルツハイマー病ならば,歩行障害で始まり20年ののちに認知症になっていくのがパーキンソン病である.血管性認知症では代表的な小血管性病変による場合,両者が相次いで進行する.認知症疾患の本質は生後に獲得したADLを失う過程であるといえる.
 認知症診療においては,このような長いスパンでみた人生のnatural historyの視点も必要であろう.医療・介護の長期的な役割は,認知症疾患により脳機能が広範に損なわれて“老年症候群”に至るのをできるかぎり遅らせることである.認知機能やBPSDのみ,現状のみを診るのでは不十分である.老年病科の視点は臓器別の細分化とは対極にあり,人体を総合的に診る,医学的側面のみならず社会・心理的視点で診る,現在のみならず終末期まで見越し長期的に診るなどの特徴がある.これこそが認知症診療に要求される視点であり,認知症診療に老年医学が必要な理由がここにある.


2013/2 老年精神医学雑誌Vol.24 No.2
老年精神医学関連事項の最近の動向について
柴山漠人
医療法人晴和会 あさひが丘ホスピタル

 2011年にアメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)のCollins PYらによる世界保健機関(WHO)の調査報告がNature誌に掲載された.それによると,日本など高所得国で最も多い疾患は,精神神経領野では単極性うつ障害で,次いで多いのは,アルツハイマー病およびその他の認知症となっている.このことは,精神科・神経内科では個人の専門にかかわらず,認知症について精通している必要性を示唆している.
 このことも関連があるかどうかは不明であるが,厚生労働省が医療計画のなかで重点項目として,従来のがん,脳卒中,急性心筋梗塞,糖尿病に精神疾患を追加して「5疾患5事業および在宅医療」とした.この背景には,うつ病による中年の働き盛りの人々の自殺が多いことと認知症の人が300万人を超えたことがあると考えられる.
 また厚生労働省は,日本が超高齢少子社会へ変化したのに合わせて,医療体制も従来の医療機関完結型から,慢性期医療を重視した地域完結型の医療提供体制へと舵を切った.慢性患者には,医療だけではなくケアも提供する必要があり,WHOのintegrated care(包括ケア)は「診断・治療・ケア・リハビリ・健康促進等に関するサービスの投入・提供・管理・組織化をまとめて一括する」コンセプトであり,これに準じた「包括ケアシステム」を導入しつつある.
 認知症についても,同省認知症施策検討プロジェクトチームが「今後の認知症施策の方向性について」を平成24年6月に提出している.そのなかで,地域での生活を支えるサービス,支援が強調されている.
 学会でのトピックとしては,2011年にSperlingらによって提唱されたアルツハイマー病のpreclinical stageの概念があろう.このアメリカ国立老化研究所(NIA)とアルツハイマー協会(AA)ワークグループの会議には,日本からは東京大学の岩坪威教授が参加されており,日本認知症学会でも報告されている.治療面からも重要で,アミロイドイメージングでアミロイド沈着があり,まだ発症していない人にワクチン療法を行えば発症しないですむ可能性を示唆している.ワクチンの副作用である微小出血や炎症反応などが克服されれば,実用化されるものと考えられる.第V相臨床試験の受動的(passive)なワクチンと,以前脳炎の副作用で中断した能動的(active)なワクチンも第T相試験では脳炎の副作用はないとの報告もある.
 最近,巷間では振り込め詐欺,訪問販売詐欺,未公開株購入詐欺など高齢者,とくに認知障害のある高齢者をターゲットにした犯罪が多発している.これらの犯罪から保護する目的である成年後見制度が十分に機能していない状況があるのではないかと思量している.高齢者の認知機能のチェックに甘いところがあり,被害を大きくしているのではないか.たとえば,ウェクスラー成人知能検査第三版(WAIS-V)では89歳までが標準化されているが,80歳でIQ 100の人は表面上,正常な認知機能を保持しているということになるが,実は基準年齢群(20〜34歳)と比較するとIQは60程度であり,もし精神発達遅滞者ならば保護されるIQ 70以下よりも低い水準なのである.このようなことを考慮にいれないと,成年後見制度の適用が不十分になるおそれがある.
 日本でも頻用されているアメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルであるDSM-5が2013年度に公表される由で,現在,その草案がインターネットでも公開されている.それによると日本で「痴呆」から「認知症」に呼称変更がされたが,アメリカでも「dementia」から「(major)neurocognitive disorders」へと呼称変更がなされるようである.数年前から,本人・家族・支援者らから学会への働きかけがあったようだし,「dementia」にも「痴呆」と同じような意味があるので,当然といえば当然である.学会では,HIV患者や外傷性脳障害患者などの増加で要望が強くなったといわれているが,以前からアルツハイマー病やピック病などでも若年発症はあったし,もっと早く患者たちの人権・尊厳に配慮すべきであったのではないだろうかと私たちも反省している.
 近年,認知症の予防について学会でも取り上げられ,2012年の第31回日本認知症学会学術集会では会長の朝田隆先生が講演されておられたが,2010年にNIAでは世界中の研究論文をチェックし,評価したところ,危険因子としては@糖尿病,AApoE4,B喫煙,Cうつ病が挙げられ,低減する因子としては@地中海食,A知的活動と社会的交流,B身体運動が挙げられたという.これらの大半は,生活習慣の改善により達成される事項であり,私たちも日常の診療や市民向け講演で強調しているところである.  

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2013/1 老年精神医学雑誌Vol.24 No.1
東日本大震災・原発事故からの復興と高齢者
丹羽真一
福島県立医科大学会津医療センター準備室

  平成23年3月の東日本大震災と福島第一原発事故から約2年が経ち,「復興2年」にはいった今年,被災地についてもまた日本全体についても復興の歩みが早まることが期待されている.ところで,復興事業のなかでは高齢者の問題をしっかりと位置づけて歩みを早めていきたいものと考え,この拙文を書かせていただいた.それは被災地では高齢者に被災の傷跡が大きく,復興の過程で高齢者をめぐるさまざまな問題が深刻になってきていると感じるからである.それは高齢者が災害弱者であり,被災した東北地方は高齢化が顕著な地域であったからである.図1は東日本大震災と阪神・淡路大震災による年齢別・男女別死者数を示す(平成23年版防災白書から社会実情データ図録が作成).いつの災害でも高齢者の被災が目立つが,図1にみるように東日本大震災では60歳以上の死者数が桁外れに多いことは今回の被災・復興と高齢者の問題を端的に示している.

  本稿では高齢者の被災状況を振り返り,復興元年にみえてきたこと,および高齢者をめぐり復興のなかで解決を求められている課題を明らかにしておきたい.

1.大震災・原発事故と高齢者の被災
  東日本大震災と原発事故が起きた直後,筆者が勤務していた病院の心身医療科病棟に入院しておられた患者さんのうち,認知症を含む器質性精神疾患(ICD-10のF0)の患者さんは,気分障害(F3)や不安障害(F4)の患者さんでは症状悪化が多かったことに比べて症状変化なしの方が多かった.しかし,平成23年3月11日〜5月11日の2か月間の福島県内精神科医療施設への新入院患者610人についてみると,F0の方は114人(18.7%)と多かった.それは避難生活など生活環境が変わってしまった影響が原因として大きいと思われた.平成23年4月から6月にかけて福島県では高齢者の自殺が相次いだ.全村避難を命じられた飯舘村では4月中旬,102歳の男性が死亡しているのが見つかった.家族が村外に避難し,離れ離れで暮らしていたことを苦にした自殺とみられている.6月下旬には「老人はあしでまといになる.お墓に避難します」と遺書に記し,自殺された南相馬市の93歳の女性もいた.避難生活が高齢者へ与えたストレスの大きさを示すものであろう.避難と高齢者ということでは,突然の避難を余儀なくされた精神科病院入院者と介護老人保健施設入居者の高齢者が,貧弱な避難環境のなかで50人も亡くなられたという出来事は,災害避難に備えるという復興課題のなかの高齢者問題を考えるうえで記憶しなければならないものである.

2.復興元年にみえてきたこと
  昨年平成24年は復興元年と位置づけられた.被災県のなかで福島県についていえば地震,津波,原発事故という複合災害だけに復興は容易ではない.復興元年も終わり,みえてきたことは次のような重い事実である.@依然として県内外に避難しておられる方が県全体では約156,200人(県人口1,961,600人に対して約8%)で,うち県外避難者が約58,000人(平成24年12月現在)おられること,A福島第一原発のある双葉郡(8町村)だけをとると,元来の人口約67,500人のうち避難者数は約66,600人(人口の約99%,平成24年10月現在)で,うち65歳以上高齢者が40%もおられること,B今後の双葉郡の避難住民の帰還可能性は,長期に帰還困難(大熊町)の住民数が11,000人(65歳以上34%),立ち入り制限継続(警戒区域,浪江町,双葉町,富岡町)の住民数が40,100人(65歳以上40%),4〜6年は戻らないと自主的に決めている計画的避難区域(葛尾村)の住民数が1,500人(65歳以上53%)という状況で,双葉郡住民の78%が少なくとも4年以上は帰還できない,帰還しないこと,などである.65歳以上が40%を占めるので,多数の高齢者が避難生活の長期継続を求められることに対応が求められている.

  復興元年のなかでみえてきた被災県の高齢者に関連する問題を福島県に限らずさらに挙げると次のようになる.まず上のBで述べた高齢者の避難生活の長期化の影響に関連して,C仙台市の65歳以上の高齢者の2割が震災後歩行困難になり,10か月後でも多くが回復していない(平成24年6月時点の調査,大川ら)という報告にみられる「心と体の機能が低下する生活不活発病」の広がりがあること,さらに,D南相馬市や石巻市では平成23年5月からの1年間で要介護認定を受けた高齢者数がそれ以前の1.4倍と急激に増加(全国平均は1.05倍)し,E逆に災害後一時閉鎖した介護施設が再開されず施設数は減少し,F再開できても職員が復帰せず介護の人材不足が深刻なこと(平成24年8月時点の介護関連職種の有効求人倍率は福島県で1.83倍,岩手県で1.61倍),などである.

3.高齢者と復興の課題
  上に述べてきたような高齢者の被災の特徴,および復興元年にみえてきたことから,高齢者をめぐる復興の課題は次のように整理できる.

  (1)再び起こると予想される大震災などの災害に備えて,災害直後の避難によるストレスから高齢者を保護する対策を強化すること,具体的には自治体が設置を求められている「福祉避難所」を各市町村が早期に整備すること.

  (2)今回の被災県では長期化する避難生活のストレスから高齢者を保護する対策を強化すること,具体的には各県の「こころのケアセンター」が行う被災者訪問事業や仮設住宅の集会場などでの地域保健事業を継続できる予算の確保を国が行うこと.

  (3)同じく長期化する避難生活から起こる高齢者の「生活不活発病」を改善する対策を強化すること,具体的には被災地特区としてデイサービスへの参加条件を緩和し,デイサービスを担う人材確保対策を国が行うこと.

  (4)被災地での高齢者介護施設の再開を促し,介護施設を増加させるために,全国から被災地へ人材を派遣する国の事業をいっそう強化すること.

  (5)自治体が高齢者介護施設を増加させやすくするための予算的支援を国が自治体に行うこと,などである.

  被災した東北のどの自治体も財政的には破綻寸前であり,どの自治体でも高齢化が進んでおり,医療・介護従事者が不足しているという特徴がある.この特徴を見据えた継続的な復興支援策を国に求めるとともに,現に高齢者の医療・介護に取り組んでいる方々のご努力に感謝申し上げ,引き続くご尽力をお願いしたいと思う.  

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