2012/12 老年精神医学雑誌Vol.23 No.12
わが国の高齢者の終末期医療,緩和医療,延命処置について考える
葛原茂樹 
鈴鹿医療科学大学保健衛生学部医療福祉学科

  医学の発達は,多くの人々に幸福をもたらした一方で,さまざまな価値観が交錯して判断がむずかしい倫理的な問題に対して,人間自身が判断を下さなくてはならないという苦しい状況をも生み出した.脳死判定や出生前診断は,命の維持や中断を決めなくてはならないきわめて重い判断である.最近,大きく取り上げられるようになった終末期の高齢者や認知症患者の延命処置の是非も,同質の問題を含んでいる.

  わが国では,患者の病を克服して救命と延命を図ることが,医学の究極の目的であると長い間信じられてきた.そのためには,患者はどんなに苦しくてもそれを受容することが当然のことと思われてきた.しかし,生命予後が限られている末期がん患者治療の現場から,緩和医療という新しいアプローチが始まり,命の長さよりも命の質を大切にする思想に基づき,苦痛を伴う侵襲的な治療で延命を図るよりも,苦痛から患者を解放する治療によって,充実して幸福な環境で最期を迎えるという医療が確立した.延命よりも緩和医療という思想は,近年は回復が見込めないことが明らかな高齢者や認知症患者の終末期医療にも導入され始めた.

  わが国では,急性疾患で嚥下困難になり嚥下能力の回復可能性がある患者だけではなく,徐々に嚥下能力と食欲を失い将来にわたって回復が望めない高齢者に対しても,経管栄養で延命を図ることが日常的に行われてきた.とくに1990年代にアメリカから経皮内視鏡的胃瘻造設術(PEG)が導入されて以降は,嚥下能力を失った寝たきり高齢者の経管栄養法として利用され,現在はPEGを造設された高齢者数は20万人以上とも50万人ともいわれるPEG大国になった.終末期のアルツハイマー病や血管性認知症の患者も例外ではなく,特別養護老人ホームや介護療養型医療施設は,PEGを造設された高齢者で埋まっている.これは,外国ではみられない日本独特の光景である.

  PEGは,1979年にアメリカで経口摂取が困難な小児の消化器疾患の治療法として開発された.経鼻胃管よりも違和感がなく,収納することによって社会生活や入浴も可能で,開腹手術も必要でないことから,現在では経管栄養の主流となっている.欧米におけるPEGの適応は,原則として経口摂取困難である以外は健康な社会生活を行うことができる疾患の患者であり,終末期高齢者や単なる延命のためだけに造設されることは例外的である.欧米の事情について,筆者自身もスイスやオーストラリアのナーシングホームや緩和医療病院を訪問し,それぞれの国の事情について医師に質問してみた.いずれにおいても,自ら食べようとする意欲を失った終末期の高齢者や認知症患者の場合は,励まして口から食べさせるが,それすら拒否あるいは不可能となったときには,水や氷を口に含ませる程度で,経静脈輸液や経管栄養は実施しないという回答であった.デンマークやアメリカの医師の知人の答えも同じであった.日本で寝たきりの高齢者がPEGで生きているということを話すと,「信じられない」と非常に驚き,「本人がそれを希望したのか? 本人が希望や同意をしていない場合に,侵襲的処置を家族の同意だけで医師が行うことが,日本では倫理的にも法的にも許されているのか?」というのが,彼らの素朴な疑問であった.

  自力で摂食できなくなると,それを生命の終焉として本人も周囲も受容し,静かに自宅や施設で自然死を迎える欧米の高齢者終末期と,PEGや輸液などの延命処置を施して,寝たきり状態で長命を達成しているわが国の高齢者の終末期と,どちらが本人にとって幸せで適切な対応であるかは,宗教や死生観,社会的風習の違いを考慮する必要がある倫理的内容を含んでおり,簡単には結論を出すことはできない.しかし,人生の最期に臨んでどこまで医療的対応をするかを判断するにあたっては,家族や医療側の都合よりも,本人の希望や人生観・死生観にもっと考慮がはらわれるべきであろう.

  2012年1月に日本老年医学会は,「『高齢者の終末期の医療およびケア』に関する『立場表明』2012」を発表した.このなかでは,「死を迎える高齢者であっても,最善の医療を受ける権利を有する」ことを前提にしたうえで,最善の医療の選択肢のなかに,従来はふれられていなかった「治療の差し控えや撤退」が新たに加えられた.さらに,医師は患者に代わってその権利を擁護する必要性や,高齢者自身が,判断能力がある健康時に事前指示書などで自分の意思表示をしておくことの必要性にもふれられている.わが国ではこれまで「死に備える医学」を語ることはタブー視されてきたが,今は高齢者の1人ひとりに,終末期に備えて考え,話し合い,自らの意思表示をしておくことが求められているのではあるまいか.
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2012/11 老年精神医学雑誌Vol.23 No.11
精神医学と神経病理;絶滅危惧種からの復興
天野直二 
信州大学医学部精神医学講座

  神経病理学は精神医学であまり顧みられなくなったのだろうか? 絶滅危惧種とささやかれるようになって久しい.私が卒業した昭和50年ころには全国の精神医学講座には神経病理を専門とする教授が多かった.精神科に関連する学会に参加するとその先生方から精神医学のエッセンスを拝聴できた.あまり顧みられないとする要因は精神医学が期待することにきちんと答えなかったからだと思う.その結果,神経病理を目指す学徒が減ってきた.われわれの責任は重いと痛感している.何とかしなくてはと悲観的に焦っても新しい展開にならない.この巻頭言では神経病理が果たしてきた役割を振り返りながら,進むべき道を模索して神経病理復興論を述べてみたい.

  アルツハイマー病研究の歴史を紐解いてみると神経病理学の果たしてきた役割の大きかったことに気づかされる1).アルツハイマーがニッスルに学び,クレペリンのもとで活躍した19世紀から20世紀初頭はまさに神経病理の黄金時代であった.つぶさに顕微鏡を覗いていれば新しい疾患に巡り合えたころでもあった.レビーはアルツハイマーと同じ研究室で学問に勤しんだ.ピックは精神医学のさまざま症候論を語り,限局した脳萎縮を呈する特異な例を報告した.当時は大脳病理学が精神医学と密着しており,それをばねとして神経病理が隆盛を迎えた時代でもあった.

  神経病理学の目指すところは大きく2つあると思う.一つは臨床例における厳密な診断を求めていることであり,それには病変の質を問うとともに症候学に寄与する病変分布を明らかにすることである.もう1つは病変を有する脳から疾患の病因を探究することにある.神経病理が対象としてきた病態は主に認知機能の障害を呈する疾患であった.

  認知症にとって求められる臨床診断は,症候・臨床経過・家族歴・診断基準との整合性・画像などの検査所見を着実に把握することが基本であり,できるかぎりその病理学的な背景を確認することである.その病理学的背景は,アルツハイマー病などの神経変性,血管障害,炎症,腫瘍,代謝性障害,そして外傷などと多種多様であり,神経変性の一つとっても,アルツハイマー神経原線維変化,アミロイド,レビー小体,グリアタングル,嗜銀性グレイン,ピック球,グリア細胞質封入体などに代表される特異なタンパクの集合体によって,その病変の質は規定されてきた.そして,その背景にあるタウ,α-シヌクレイン,ユビキチンなどの異常蓄積化を指標に変性性認知症が再整理された.2,30年前のアルツハイマー病,血管性認知症,その他の認知症と大雑把に括られていた時代をみると隔世の感がある.近年,このユビキチンに関してはTAR DNA-binding protein of 43kDa(TDP-43)がわが国の研究者らによって同定されてまた一つ大きく前進し,より病因に近づいている.

  このように神経病理学は器質性精神病についての見識を深めるきっかけをつくってきた.一方,精神医学は神経学,神経科学とともに進歩してきた.また,神経内科との境界では,器質性精神病や脳局所症状群,急性外因反応型,通過症候群,そして器質性人格障害や認知症が接点となっており,精神医学がしっかり守るべき領域である.実際に抗NMDA(N-methyl-D-asparate)抗体陽性例も含めた辺縁系脳炎や橋本脳症などのように積極的に疑わなければなかなか診断できない,画像にも顕著に現れないような疾患が注目されるようになってきた.意識障害や特異な幻覚妄想を呈し,そのことにまして生命にもかかわる疾患であり,精神科医にとってはますます留意すべきことである.

  精神医学における課題は時代の特徴を反映して変遷している.人類が経験したことのない超高齢化という未知の世界に突入しており,その変化を真摯に受け止めて展開しなければいけない.神経病理学は脳を直接に観察する神経科学の地味な分野として,これからも大切な役割を果たしていくものと信じる.

  図1,図2は第31回日本精神科診断学会の会長講演で使用したスライドである.端的に神経病理の課題が記されている.参照していただきたい.

[文 献]
1)天野直二:老年期を考える.精神科治療学,25:11-15(2010).
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2012/10 老年精神医学雑誌Vol.23 No.10
若手精神科医からみた老年精神医学について考える
山本泰司 
神戸大学大学院医学研究科精神医学分野

  私自身もすでに40歳代半ばを過ぎて若手とは言い難くなりつつあるが,それでも「老年精神医学雑誌」の過去の巻頭言をざっと読み返す限りでは,まだまだ若手の部類であると自覚している.

  本誌の読者の皆さんの目に留まるよい機会でもあるため,臨床経験を含め浅学であることを自覚しつつも,若手精神科医とベテラン精神科医(先達)の中間世代の一人として,今回このようなテーマで私が日頃から考えていることを述べたいと思う.加えて自身の精神科医としての20年あまりの経験を振り返りながら,私よりも若手の精神科医が現在老年精神医学に対して感じているであろうことを書くことにする.

  私が最初に老年精神医学に興味をもつきっかけになったのは,昔でいう初期研修2年間を終えたばかりの医師3年目のころであった.当時,私の入局した医局では中井久夫教授(現・名誉教授)の専門分野が精神分裂病(統合失調症)の精神病理学であったこともあり,臨床精神医学の主流は統合失調症の研究という雰囲気が自然と漂っていたことを覚えている.当時の医局では,若手の教官や医員の多くが統合失調症もしくはストレス関連障害(PTSD),解離性同一性障害(多重人格)などを研究対象としており,老年期の精神疾患(認知症を含む)をテーマにしている若手の精神科医はほとんど皆無であったことを記憶している.

  そのころ,私はちょうど大阪にある某総合病院での2年目研修を終えて関連病院のひとつである単科精神病院へ転勤したばかりの時期で,勤務の合間に多少の時間的余裕ができたこともきっかけとなって,週に1〜2日(平日1日の研究日と週末)のペースで兵庫県立高齢者脳機能研究センター(現・兵庫県立姫路循環器病センター高齢者脳機能治療室)に通う研究生活が始まった.

  研究開始当初は,動物モデル(ラット)を使った統合失調症の脳内神経伝達物質の測定実験(in vivo microdialysis法)を行っていた.この実験には非常に苦労して,測定実験系を作り上げるのに2年近くを要した.その後,大学院に入学して,4年間の大学院生活の前半2年間をさらにこの実験に費やした.苦労を重ねて,何とか論文を1本完成させたのち,次の2年間をどうしようか迷っていたところ,当時の上司であった前田潔先生(神戸大学名誉教授)の助言で,統合失調症から認知症(分子遺伝学)に研究テーマを変えることになった.その当時,兵庫県立高齢者脳機能研究センターでは,精神科医以外にも神経内科医や老年内科医などが多く在籍しており,認知症疾患をテーマとする基礎および臨床研究が非常に盛んであった.そのなかには,本学会の活動分野に近い先生方として前田先生をはじめ,三好功峰先生(京都大学名誉教授),森悦朗先生(東北大学教授),川又敏男先生(神戸大学保健学科教授),池田学先生(熊本大学教授),柿木達也先生(兵庫県立西播磨リハビリテーション病院認知症疾患医療センター長),保田稔先生(大植病院院長),寺島明先生,嶋田兼一先生(兵庫県立姫路循環器病センター高齢者脳機能治療室),谷向知先生(愛媛大学准教授)をはじめとして,老年精神医学(認知症)の分野を研究テーマにする研究者が数多く含まれていた.

  このような非常にアクティブな研究環境のなかで数年間を過ごしているうちに,当時はまさに若手精神科医であった私も自然と主な研究対象の興味が老年精神医学にシフトしていったのである.

  さて,現在私のまわりにいる若手精神科医はどうかというと,残念ながら老年精神医学に強い興味をもつ者は全体の10〜20%であろうと思う.その少なさの理由のひとつには,高齢者を対象とする疾患は,若い患者さんにあるようなよくも悪くも精神的エネルギーの強い精神疾患と比較して学問的興味のインパクトが弱いこともあり,老年精神医学が若手精神科医の興味の対象の上位になりにくいようである.

  しかし,私の過去の経験を振り返ってみると,自分のおかれている環境によって魅力を感じる対象の順位は時々刻々と変化するものであると実感していることから,次世代を担う若手の先生たちにはぜひとも食わず嫌いにならずに精神医学全体を広い視野で見つめてもらいたいと望むものである.老年精神医学は精神医学のなかでも他の領域と同様,もしくはそれ以上に興味深く探求でき,奥の深い領域であることに気づかされることも多いと考える.

  たとえば,現在老年精神医学の領域のなかでも,とくに認知症に関するより詳細な臨床診断基準および次世代の根本治療薬に関する基礎ならびに臨床研究をはじめとして,未完成の部分や未知の領域が多く残っていることから,今後も次の世代の若手精神科医が継続的に他の専門分野の医師や研究者と切磋琢磨して新たな段階に進んでいただきたいと願うものである.
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2012/9 老年精神医学雑誌Vol.23 No.9
気分障害から認知症への移行
中村 純 
産業医科大学医学部精神医学教室

  臨床の現場でうつ病などの気分障害と診断される人がこの10年間でおよそ2.5倍増加し,100万人を超えたことが報告された.そして,うつ病と診断された人はどの世代の人にも増加しており,当然高齢者にもうつ病は増加していた.

  このうつ病診断の増加の要因としては,社会・文化・経済的な要因によってそれぞれの世代の人へのストレスが増大し,その変化に適応できない人が増えているのではないかと考えられ,その結果として,1998年以来わが国で急増した自殺者数もうつ病の増加と関連しているとされた.また,1999年以来のわが国への選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)などの新規抗うつ薬の導入の過程でうつ病という病名が盛んに啓発され,さらに操作的診断基準DSM-・が精神科医間で浸透してきたことなどが挙げられている.とくにDSM-・の診断基準は,症状項目と持続期間だけで診断するために,幅広いうつ状態の人をうつ病として診断していると指摘されている.もっとも従来のメランコリー親和型うつ病だけをうつ病としてとらえること自体に問題があるのかもしれないし,臨床研究における共通用語としてのDSM診断の意味はあると思われる.

  うつ病が社会一般に啓発されたことで,社会のなかで精神科への偏見が減り,精神科を受診することへの敷居が下がったことは事実であろう.もっとも高齢者の場合は,定年退職や配偶者を失うなどのライフイベント上の変化だけでなく,身体的,精神的な老化も喪失体験ととらえることができ,うつ病が発症しやすい状況にあるといえる.そして,以前は本質的にはうつ病であるが一見認知症と見間違う仮性認知症と認知症との鑑別が重要な課題となっていた.

  この事実は,現在も変わってはいないが,高齢になっても社会のなかで健康に働く人が増えて,たしかにうつ病になる人も増加していると考えられる.しかし,増加したうつ状態の人のなかには症状が遷延し,さまざまな薬物療法や認知行動療法あるいは電気けいれん療法などを行っても治療に抵抗するうつ状態の人がおり,経過をみていくと結局は認知症であったという症例をこれまでより多く経験するようになった.

  多くのうつ病患者では海馬萎縮が起こっており,脳由来神経栄養因子(BDNF)が低下しているという報告がなされているが,認知症は,海馬萎縮が不可逆的に起こった状態と考えれば,高齢のうつ病は,認知症の前駆症状ということもでき,仮性認知症から認知症へ移行していく症例はこれまで考えられている以上に多いのではないかと推察される.

  最近では,うつ病の既往は認知症発症の危険因子という報告もあり,うつ病と認知症の発症には密接な関連があると考えられている.ロッテルダム研究などのコホート研究の結果は,うつ病の人が認知症へ移行する症例や,認知症の人のなかに若いころのうつ病の既往を有していた人が多いことを示した.したがって,最近では高齢者のうつ病の人に対して,「うつ病は治る」と軽々に言えなくなってきている.そして,高齢者のうつ状態を診たときには,病前性格,家族歴,うつ病エピソードの既往の有無などの情報から安易にうつ病と考え,治療するのではなく,認知症の可能性をいつも念頭において診療すべきと思えてきた.

  先日,60歳代の自営業者の男性が不眠と思考制止,意欲低下を訴えて受診された.その人の母親にはうつ病の既往があったという情報があり,最近,能力以上に仕事を引き受けて疲弊して受診されたという.しかも3日前まで自動車の運転ができていたとのことであった.他の精神科医がすでに診て紹介を受けた人であった.MMSEは施行できず,急激な精神症状の発症からうつ病の昏迷状態ではないかと診立てたが,入院を決定し,最後にCT検査をしたところ慢性硬膜下血腫であることがわかった.麻痺がまったくなかったので正直驚いてしまった.手術によって1週間で退院されたが,初診時の行動は覚えており,結果的には運動性失語によってコミュニケーションがとれなかったということであった.教科書に記載されるような典型的な症例であったが,高齢の患者さんを診るときには,常に器質性精神病の可能性を考えることが重要であることを再認識した症例であった.

  最近,気分障害が増加し,その症状についての知識が一般の人にも伝わって,本人,家族がうつ病ではないかと受診する人が多くなっているが,高齢者の場合,認知症を含めた器質性疾患を除外したあとに気分障害としての治療を始めることを常に意識すべきではないかと考えている.
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2012/8 老年精神医学雑誌Vol.23 No.8
長寿社会とジェンダー医学
大川匡子 
滋賀医科大学睡眠学講座

  近年,日本の人口が減少する一方で,寿命が延長し高齢者数は増加する傾向が明らかになってきた.このような人口高齢化現象は社会生活や医療に大きな影響を与えることになる.すなわち,高齢者の増加により,高齢者の年金,生活保障,医療・介護の問題は政策上の重要課題になっている.これらについては高齢者自身が自己の問題として真剣に考えることが求められている.そのなかでも,筆者は,長寿社会と性差(ジェンダー)について大きな関心を抱いている.

  わが国では戦争の時期を除いても女性人口は増加し,人口に占める女性比が年々上昇し,とくに65歳以上の高齢者層でその傾向は顕著である.さらに注目すべきことは,平均寿命の性差である.1950年以降の女性の寿命の延びは著しく,現在,女性と男性の平均寿命の差は7年であり,人口統計予測では2050年には8年を超すとされている.世界の長寿国といわれる北欧の国々は寿命の男女差が3〜4歳と日本に比べるとかなり小さい.

  このような動向から,2005年に世界の政財界の指導者が集まる「ダボス会議」で,世界主要58か国の男女格差(ジェンダーギャップ)を指数化注してランキング形式で発表された.男女格差が最も少なく,男女平等社会に近いと判定された国はスウェーデンほか,北欧諸国が上位を占め,日本は58か国中38番目であった.また,ジェンダーギャップと寿命の男女格差には有意な相互関係が認められた.この事実をどう受け止めるべきだろうか.今後わが国で男女共同参画社会がいっそうに促進すれば,男女の寿命差が減少するようになり,これまで働く男性に多かった病気が女性に増加するようになるものと推測される.

  次に,世界一長寿の日本人女性が,実は健康ではないという事態に注目すべきである.すなわち長寿女性が医療費を増加させているという事実である.加齢による要介護者は,64歳までは男女ほぼ同数であるが,65歳以上になると徐々に女性が多くなり,90歳代で男性の3.3倍となる.つまり,90歳以上の要介護者10人のうちの7.7人が女性なのである(平成22年総務省統計局).女性は閉経前までは女性ホルモンの働きによりバランスが保たれていて,さまざまな生活習慣病から保護されているが,閉経後,急速に女性ホルモンが減少し,骨粗鬆症をはじめ全身の代謝に悪影響がみられ,生活習慣病も増加することが,大きな要因のひとつと考えられる.

  さらに近年の長寿社会では,認知症が医療や介護など,社会問題として大きくクローズアップされている.厚生労働省は,2013年以降の医療計画に精神疾患を追加して「5疾患5事業」を掲げ,認知症医療は新たな局面を迎えることになった.つまり,認知症は加齢とともに増加する“common disease”という認識が定着してきているようである.認知症にも性差はあるのだろうか? 2010年に報告された久山町での研究は,地域住民全員の協力のもと,単にアルツハイマー型認知症を含めた認知症の疫学的変化のみならず,生物学的,社会,文化的な要因を含めた長期的調査で,さらにさまざまな介入試行が行われ,世界的にも注目されている.その研究データによると,全疾病に対するアルツハイマー型認知症の割合は1985年には6.7%であったが,2005年には12.5%にも高まっており,とくに女性に多くみられるという.

  また,うつ病は他の精神疾患に比べて著しい増加傾向にあり,自殺件数が一向に減少しない事実とともに大きな社会問題である.厚生労働省による患者調査では,うつ病患者は1996年に43.3万人であったのに対し,2008年には104.1万人と12年間で2.4倍に増加した.アメリカにおけるうつ病の生涯有病率は女性が21.3%で,男性の12.7%に比べて有意に高い.近年,うつ病の病態解明に画像診断が用いられるようになった.このような新しい手法により,ジェンダー医学の側面から,うつ病の生物学的背景が解明される可能性がある.

  最後に述べたいことは,日本人の多くがこれまで経験したことのない長寿をいかに過ごすかという自分の健康を自分で守るための生活設計である.女性は時代の波に翻弄され,生物学的差異に加えて劣悪な社会・文化的環境下で生活することを強いられてきたが,現代の働く女性の生活スタイルが変容し,よい方向に向かっていることがうかがわれる.男女共同参画達成はまだまだ道半ば,今後何年かかって達成されるのであろうか? 国全体として,社会的・文化的性差,ジェンダーギャップの問題に立ち向かうことが望まれる.このような均等社会が達成できるときに,わが国のさまざまな社会問題にみられる男女差は減少の方向へ向かうものと推測される.

注 @女性の就業率など経済への参加度,A産休制度の充実や専門職に占める女性の比率,雇用の機会均等性,B議会や政府など政治決定機関に女性が占める比率,C教育の機会均等性,D女性の健康への配慮など5項目ごとに完全な均等を7点として各国の得点を算出した.
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2012/7 老年精神医学雑誌Vol.23 No.7
人間の進化からみた老年精神症候学
奥田正英 
医療法人資生会八事病院精神科

  人間の進化の視点から老年精神医学を眺めると,いろいろな示唆に富むことを教えられる.ヒト科の進化は約650万年前に始まり,現代の人類は約20万年前にアフリカに誕生したといわれている.人類は繁栄して世界に分布したが,それには直立二足歩行により大脳を発達させたことが大きく関与する.すなわち手で道具を使用し生活に必要な物を作り出し,火を利用して多様で豊富な食料を調理するなど個人の衣食住を充実させ,同時に共同体のなかで言語や非言語を含めたコミュニケーションの能力を発達させた.さらに他の人に共感し,さまざまな想像をする能力も発達させた.つまり私たち人間は進化の過程で,共同社会という集団をつくり生命の安全を図りながら繁栄した.共同体を維持・発展させ社会で生きていく能力,いわゆる社会脳を進化させた.この結果,人間は現在に至る文化や文明を創造してきた.

  昨年の3月11日に東日本大震災が起こり,津波,さらに2次災害の原発事故のために,2万人弱の方々が犠牲になられ,現在なお避難生活を送っている方も多い.その際に被災された人々に国内はもとより,世界から援助が寄せられた.私たちは他人の体験を自分のことのように,時空を超えて疑似体験をする能力が備わっている.小説や映画などにも自分のことのように感動し,また悲嘆の涙を流すこともある.今,大河ドラマ『平清盛』がテレビで放映されているが,脚本は藤本有紀氏,音楽は吉松隆氏により,過去の史実を現前させている.物語の脚色や展開にも興味を惹かれるが,とくに『梁塵秘抄』の今様,「遊びをせんとや生まれけむ」がメロディーをつけた音楽として聴くことができる.それにはドラマのテーマである「夢中になって生きる」というメッセージが込められているという.私たちには他の人へ共感する能力があり,想像力を働かせ過去に未来にそれに空間的にも心を瞬時に移動させ,豊かな精神生活を送ることができる.人間は,他人とコミュニケーションをする社会的人間であるが,社会性は,人間関係のなかでしか発達せず,言葉を替えれば長年かけて社会で生きていく知恵を身につけることである.つまり他人とのコミュニケーションを基礎として,人間個人とその属する共同体との相互作用を通してある価値観に基づいた社会性を個人のアイデンティティとして発達させる.

  さてこのような観点から老年精神症候学をみると,いわゆる行動・心理学的症候(BPSD)は,当然社会性が破綻することから生じるので社会性障害を示す.たとえば,徘徊はアルツハイマー型認知症に典型を認めるが,常同的に無目的な行動が増えることであり,家族は対応が困難であることが多い.徘徊を動物モデルでつくることはむずかしいが,多動モデルとしてならば覚醒剤をラットに投与すると著明な探索行為の増加としてとらえられる.覚醒剤は脳内の報酬系を賦活させる嗜癖物質である.本来おそらく多動や探索行動は食物などさまざまな報酬を求めるのに役立ち,危険を察知するなど合目的な行動であったと考えられる.しかし,徘徊になると社会性から逸脱した迷惑行為とみなされる.また夜間せん妄では,睡眠・覚醒のリズムが障害されるが,睡眠・覚醒は社会脳として基本的なもので生命活動や社会性の維持には欠かせない.せん妄は症候群であり病因の究明や治療に難渋することが多い.夜間せん妄を含めてせん妄では睡眠・覚醒の概日リズムの障害や意識レベルの障害が関与するので,広範で総合的に病態が解明され治療が確立されるのは現状ではむずかしい.筆者も以前に日本老年精神医学会で収集癖,異食,まさぐり・指しゃぶり行動,姿勢の障害,身だしなみの障害などについて報告したが,それらの症状や症候も人類の進化や人間の文化・文明の発達史からみると興味深い.

  このように人間の進化からみた老年精神症候論は人間の進化とは逆に中枢神経の疾病による社会性の障害と密接に関連する.そこで症候論から治療論を将来への展望として考えたい.もちろん研究により認知症の病態が明らかになり病因に対する薬物療法が確立されれば大きな福音をもたらすであろう.他方,現実的な治療論として人間として発達させた社会性の再構築を病態に応じて行う非薬物療法も必要であろう.残存機能という現実的な制約を踏まえて,言語的および非言語的なコミュニケーションを介した新皮質の大脳皮質を刺激するばかりでなく,さらにアロマセラピーや音楽療法など五感を介した旧皮質に属する大脳辺縁系に対しても刺激的で社会性の枠を拡大させ再構築を促すような複合的な治療法が進められることを今後に期待したい.さらに共感力や想像力を広げるような治療的な取組みが発展するように願っている.
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2012/6 老年精神医学雑誌Vol.23 No.6
災害弱者の避難;災害時下における医療者の管理責任
朝田 隆 
筑波大学医学医療系臨床医学域精神医学

  東日本大震災から1年以上が過ぎたが,つくばの地で体験したあの振動と恐怖は身体の深部が覚えている.大学病院の内部で経験したのだから,他の場所にいた人に比べれば,安心感はずっとましだったはずだ.けれども徐々に震度を増し,時に地鳴りを伴って大地を6分あまりも揺り動かし続けた地震はまさに大震災であった.
 
  この間,恥ずかしながら自分の身の安全を守ることが精一杯で,家族の安否やさらには入院・外来患者さんのことまでとても思い至らなかった.少しは収まってきたかなと思ったころにやっと,「病棟・外来は大丈夫か? こうしちゃいられない」と管理責任者としてのなすべき振る舞いを思い出した.外来が先か病棟が先かで,一瞬考えたが迷わず病棟と決めた.7階の病棟へ向かう階段を走っている最中にも余震がきて,ひやひやしながらも2段跳びに駆け上がっていった.病棟は停電中で,午後3時ころだというのに薄暗いデイルームでトランジスタラジオから「大津波がまもなくやってくる」と絶叫する声が響き渡っていた.そのような状況下で,結構大きな余震が繰り返し襲ってきた.患者さんたちは意外なくらい冷静であった,あるいはそう見えたが,むしろ私が浮足立っていた.「もっと大きいのがきて建物が倒壊し始めたら,自分は最後まで患者さんを守れるだろうか?」「法律的には自分が先に逃げたら罪に当たるのだろうか?」と自問自答していたのである.
 
  さて最近,マスコミが,いや地震専門家が声高に地震の危険性を叫んでいる.大別すると太平洋岸の大地震とそれによる大津波,そして首都圏直下型大地震による大規模倒壊である.前者は太平洋岸の平野部にある大方の都市にとって自分ごとである.後者が生じたら人類の歴史上空前絶後の大被害であろう.
 
  以前から欧米では,認知症や精神障害のある人は,災害弱者だといわれてきた.この東日本大震災でもそれが実証された.「老年精神医学雑誌」の読者の少なからぬ人々がこのような災害弱者と日々接しておられるであろう.考えてみるまでもなく,この人たちの多くは避難訓練にさえ参加できそうにない.震災対策は地方自治体ごとの差が大きいが,静岡県のそれが最も進んでいるといわれる.最近,同県の「高齢者福祉施設における災害対応マニュアル」をダウンロードして読んだ.対策は,平時,注意情報・警戒宣言時,発生時,発生後と時系列で5つに分類してあり,かなりよく練られた内容になっている.ところが残念ながら発生時の対応,とくに避難誘導についてはあっさりした一般論にとどまっている.現実を思うと無理もないという気になる.なお精神科病院における災害対応マニュアルはまだないそうだ.
 
  最近,被災地にある筑波大学でも学際的に自然災害対応を講じ始めており,筆者らも災害弱者の避難という課題に注目している.建築系,情報工学系,あるいは芸術系の先生方とともに勉強するなかで次のようなことが基本ではないだろうかと考えるようになった.まずあらかじめ患者さんをどこにどう避難させるかは考えておきたい.実際的に最も重要なのは,避難誘導者となるスタッフへの教育と訓練だろう.その次に災害弱者の五感すべてに危険を実感させられる警報手段の開発が大切だと思う.大規模災害下では,停電,交信不能,道路は数珠つなぎで完全ストップ状態になる.自施設の内部においてすら,電気はつかず,エレベーターも動かなくなるのである.国も今のところこのような災害弱者である患者たちの避難について具体的な避難マニュアルをもっているわけではない.それだけに災害時下における医療者の管理責任の範囲とは? と疑問に感じるようになった.そこでこれについて最近各方面に問い合わせているが,今のところ明確な返事や指針は得られていない.
 
  そのような現状で,一般社団法人日本老年精神医学会に関与する人々が災害弱者の避難とその誘導について,継続的に英知を出し合えるならば,これは現代社会へのおおいなる貢献になることだろう.
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2012/5 老年精神医学雑誌Vol.23 No.5
本誌の創刊当時のこと
三好功峰
財団法人仁明会精神衛生研究所

 本誌の創刊は1990年4月である.本誌が創刊される前,実は,1984年から「老年精神医学」という雑誌が,情報開発研究所という出版社から隔月に刊行されていた.老年精神医学の重要なテーマを特集し,それに原著論文と症例報告を加えた専門誌であった.ただ,この雑誌は,1988年に,突然,第5巻第4号をもって廃刊となった.その理由は知る由もなかったが,当時は,専門医の少ないこの領域で専門誌の刊行を続けることの厳しさによるものか,と推測したものである.
 
 その2年後に,日本老年精神医学会の準機関誌として,株式会社ワールドプランニングから本誌が創刊されることになった.「老年精神医学」の廃刊を惜しんでいた人々は,この新しい専門誌の発刊に改めて大きな期待を寄せた.先行誌が廃刊という運命をたどったことから,その前途を気遣う声もなくはなかったが,ワールドプランニングの吉岡正行社長の熱意と実行力がその心配を吹き飛ばしたかたちになった.その後の着実な発展は,読者諸賢のご存じのとおりである.
 
 本誌の創刊から22年あまり経っている.創刊時に生まれた赤ちゃんが,そろそろ大学を卒業するほどの年月が経ったわけである.本誌が創刊された1990年といえば,その4年前には,日本老年精神医学会の前身である研究会が設立されており,2年前には,長谷川和夫会長のもとで第4回国際老年精神医学会(IPA)総会が開催されている.このように,わが国において,老年精神医学の研究成果が活発に討議される場が確立された時期であり,この領域の専門誌の発刊が求められた時代でもあった.
 
 小生は,創刊以後6年あまり,編集委員長として本誌の仕事にかかわらせていただいた.創刊号を読み返してみると,「今後の老年精神医学」と題した金子仁郎,新福尚武,長谷川和夫など諸先生による座談会の記事では,先年に開催された国際学会やわが国の老年精神医学の歴史,それに将来への展望などについて述べられており,当時の状況をありありと知ることができる.また,「老年精神医学の最新の進歩」の表題のもとに,痴呆の初期診断(西村健),老年期の良性健忘(長谷川和夫),アルツハイマー病の原因(平井俊策),初老期,老年期の妄想症(宮岸勉),老年期のうつ病・うつ状態をめぐって(清水信),それに痴呆の動物モデル(三好功峰,植木昭紀)といったテーマの総説論文が掲載されている.これらは20年以上前のものであるが,いま読んでも十分に興味深い.
 
 また,小生の書かせていただいた創刊号の編集後記には「……いうまでもなく,高齢化社会を迎えて,老年精神医学は,社会から,他の医学の領域から,多くの期待が寄せられている.また,老年精神医学に関心をもつものがますます増えつつあり,そのため日頃の診療や研究の成果を発表したり,意見の交換をしたりする場としての雑誌の刊行が強く望まれていた.(中略)ここに創刊された本誌が,新しくこの領域に加わろうとする若い人たちに老年精神医学の魅力を示すものとなり,わが国における老年精神医学の発展に大きく寄与するものとなってほしい」と当時の気持ちがそのまま反映されている.その後,本誌は格段の飛躍を遂げたが,本誌にかかわる方々の気持ちは,今も同じであろうと信じている.
 
 初期の編集委員会は隔月に開催され,とくに本誌の方向性を決める特集テーマの決定においては活発な討議が行われた.臨床的な課題と基礎的なテーマのどちらにも偏らない配慮がなされたと記憶している.もちろん,出版社のワールドプランニングからも,優れた提案がなされ,しだいにかたちを整えていくことができた.読者はすでにお気づきかと思うが,本誌の表紙は一度として同じものはない.毎巻毎号変化している.これは出版社のご発案であり,創刊号からGの字を使ったバリエーションが使われていて,Geriatric Psychiatryが,無限に変化,発展していく希望が込められている.その一方で,雑誌のスタイルやレイアウトにおいては,創刊以来,一貫した方針が守られているようにみえる.これも,わが国における老年精神医学の伝統をつくっていくという関係者の心意気を反映しているといえるかもしれない.
 
 巻頭言を書かせていただいたこの機会に,本誌創刊のころのことを思い出させていただいた.着実な発展を遂げたといっても,本誌はやっと成人になったところである.今後のさらなる飛躍を心から願っている.
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2012/4 老年精神医学雑誌Vol.23 No.4
所在のわからない人,素性のわからない人
柄澤昭秀
元・東京都老人総合研究所

 事はやや旧聞に属するが,過日,記録上111歳で生存していると思われていた人が実はとっくに死亡しており,ミイラ化した死体で発見されたことが報道され,人々を驚かせた.それをきっかけに100歳以上とみなされていた高齢者のなかに,すでに死亡している人や所在不明の人が少なからず存在することが明らかになった.そして,その後さらに江戸時代に生まれた人が戸籍のうえではまだ生存していることになっていたなどとの報道もあった.筆者は40年ほど前にわが国の百歳長寿者の調査研究に携わったことがある.わが国の100歳以上人口がまだ400人ぐらいであったころのことである.このときの面接調査で,100歳以上とされていた人121人のなかに実際には100歳に達していなかった人が数人発見され,当時の百寿者の年齢にこういうまちがいがあることを知ったが,所在不明という人はなかった.その後わが国の100歳以上人口は急速に増加し,2010年には4万人を超えたと発表された.この数の増加はまさに驚異的である.百寿者は国や自治体において特別の表彰の対象になっていることが多いので,少なくともその存在は公的に確認されているものと思っていたが,実はそうでなかったことになる.戸籍や住民票の記録にいったいどのくらい誤りがあるのだろうかと改めて思った.
 
 ところで一方,自分自身がだれだかわからない素性の不明な人に精神科医として出会うことがある.昔,ある精神科病院に入院中の患者さんでこういう人に出会った.仮の名前がつけられて統合失調症の疑いで処遇されていたと思う.またあるとき老人専門病院で,無言のまま街なかを徘徊していて保護されたが,ひとことも口をきかなかったために老人施設に収容されたという中年男性を診察したことがある.診察の場面でもやはりまったく口をきかない.身体機能に異常はみられず耳も聞こえるようであった.精神の障害が疑われたが,診断がつかない.そこでとりあえずテレビ局に依頼して「尋ね人」として放映してみてもらったらどうかと施設の職員に提案してみた.公営の施設であったことが幸いしたのか,それはすぐ実現した.そして放映直後,それを見た家族から連絡がありその人の身元が判明し,本人は無事家族のもとに戻った.
 
 それからほどなくして,ある友人からその人の母親が行方不明になってしまったという話を聞いた.認知症があり,ちょっと目を離した間に外出して行方がわからなくなってしまったという.すでにひと月になるので生存を危ぶんでいるということであった.そこで先日のテレビの件を思い出して話してみた.「知り合いにテレビ局とコネのある人がいるので話してみましょうかね」と言っていたが,すぐには実行しなかったらしい.しかし数か月後,その友人からテレビのおかげで母親の所在がわかったという知らせがあった.電車で行けば2時間以上かかる遠方の精神科病院に入院していたという.列車の中の検札で乗車券のないことが発見されたが,話がよくわからず身元が不明ということで,その地域の精神科病院に入院することになったらしい.その方のことがテレビで放映されたのをたまたまその病院の夜勤明けの看護師さんが自宅で見ていて所在がわかったということであった.偶然とはいえテレビの影響力の大きさを改めて実感する出来事であった.
 
 家庭裁判所で取り扱う「就籍許可申立事件」(戸籍のない人,失った人に戸籍を与えるための審判)の当事者のなかに,長期にわたる全生活史健忘と思われるケースがある.これらのなかには裁判所の調査や警察への照会で身元が判明する場合もあるらしいが,まったくわからない場合もある.何年経っても記憶が戻らず身元も知れないというようなまれなケースで詐病の疑いがもたれるような場合,精神科医に診断あるいは意見を求められることがある.筆者自身はこれまでに2例経験しているが,身元のまったくわからない人の全生活史健忘を正しく診断することは非常に困難である.かりに詐病であったとしても診察でそれを見抜くことは至難であると思う.たとえ本人の述べることにやや不自然なところがあったとしても,それだけで偽りだ,詐病だとは言い切れないであろう.素性をたどる手がかりのないもどかしさのなかで再び思い出されたのはさきに述べたテレビの威力である.大昔のことになるが,戦争後しばらくの間ラジオで「尋ね人」の時間というのがあった.今の時代,こういう身元不明者の探索のためにテレビやインターネットがもっと利用されてもよいのではないかと思った.もちろんその利用には何らかの制限や本人の同意は必要になるであろうが.
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2012/3 老年精神医学雑誌Vol.23 No.3
認知症診療の今とこれから
長谷川和夫
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長,聖マリアンナ医科大学特別顧問

  東日本大震災から1年,被災者のご苦難を想い,具体的な支援の継続を念願している.原発事故による放射能被害,経済不況,雇用不安等々まさに未曾有の国難状況にある.これに加えて人口の高齢化が進行し,ことに高齢期精神障害の対応はわれわれ日本老年精神医学会に期待される喫緊の課題である.
  最近,筆者は街角のクリニックで短時間ではあるが,認知症診療の機会をもっている.かつての大学病院での診療とは著しい違いであるが,臨床医としては本来のあるべき姿のひとつの位置についた.1970〜1980年代は,アルツハイマー型認知症(AD)の診断に到達しても適応薬をもたなかった状況では,医師は情けない無力感を体験したが,対症療法薬であってもevidenceに基づいた効果をもつドネペジルが手中にあって,さらに新薬として同様の作用をもつ3薬が与えられた現在,これからが新しいADの臨床に研鑽を積む本道にはいったと考えている.

  ところで筆者は2001年以来,浴風会認知症介護研究・研修東京センターで主として認知症介護職の育成にかかわりをもつようになった.現在認知症ケアの主流は,イギリスのTom Kitwood(1997)の提唱した“person centered care”である2).認知症のご本人の視点に立ったケアであり,その人の内的体験を理解しようとする視点を重視する.
  2004年10月,当時の「呆け老人をかかえる家族の会」は第20回国際アルツハイマー病国際会議を開催し,国の内外からの参加者は4,000人を超える盛況となった.筆者は組織委員長を務め,多くの老年精神医学会の諸先生にご協力をいただいた.最終日のAホールで認知症のご本人がステージに立って講演を始めた.“もの忘れはありますが,まだ考えることはできます.もっと働いて家内を支えていきたい”と発言し,参加者に感動を与えスタンディングオベーションが起こった.これを機に“認知症本人の会”がつくられ認知症の当事者が発信を始めた.
  2004年12月24日,クリスマス・イブの日,厚生労働省の「痴呆に替わる用語に関する検討会」(高久史麿委員長)は,国民の意見募集についてのパブリックコメント等の検討をもとにして「痴呆」を「認知症」と改称することを決定した.認知症の当事者が“人”として広く社会にvisibleになったと思う.
  このように昨今の約10年,認知症の対応や状況には新しい流れが起こっているにもかかわらず,認知症の医療はオールド・カルチャーに残されて技術だけが進んでいった.認知症医療に限られたことではないが,精緻を極める診断技法を駆使して診断名を得たことで終わりとする傾向や,単に疾患対応の操作的診断とこれに続く治療アルゴリズムに依存して足れりとする現状では,診断も治療も一定のレールに乗って効率的に進む.昨今,アメリカではDSM-X,WHOではICD-11の作成が進行中であるが,さらに操作的診断の流れが強くなることを懸念する.
  本来の臨床場面では,生育歴,病前性格,発病に至る状況,身体所見等を重層的に考えて診断にたどりつく.その過程では初診の出会いから精神療法的なアプローチが含まれる1).
  前述のクリニックにおいて高齢の女性Aさんは約10年前にADを発症,HDS-R得点は3〜5点,ADLは家族の支えによって何とか維持されている.小柄で体重は39 kg,ドネペジル5 mgを服用している.過去についての記憶はまったくなく,失見当および相貌失認等があり,FAST stage 6に当たる.しかし面接では微笑を浮かべ,単純な会話はできる.なにも一人ではできないが,筆者の前に座った老女の顔は,晴ればれとしている.Doingもgoingもできなくてもbeingはある.Aさんに与えられたユニークな存在があった.過去のわだかまりや束縛から解放され,未来に対する懸念に惑わされずに“今”という時を生きている.いうまでもなくこれには条件がつく.症状の安定,病前性格や身体状況,そしてなによりも周囲からの支えがあることが必要であろう.それにしても認知症の人には平安な存在性や澄み切った透明感のようなものがあって,その人の中核にある尊厳性に心打たれる.
  筆者が現在考えていることは,認知症診療にパーソン・センタード・ケアの理念を活かすことである.そのことは認知症のご本人と家族に平安をもたらし,私たち診療医もケア専門職も貴重な学びと達成感をいただくことになるだろう.そして,医療職とケア専門職との緊密な連携が行われること,そして地域包括ケアの結実を将来に期待したい.

  日本は,超長寿社会という未来に向けて世界のトップランナーになった.私たちはモデルなき挑戦を始めている.高齢期になって認知症や精神障害等をもつ方も安心して暮らせる新しい文化を創造することを念願するものである.本学会に寄せられる期待は大きい.
  
 [文 献]
  1)飯森眞喜雄:精神科医にとって精神療法のもつ意味;見立て,身体,薬物療法との係り.精神経誌,113(4):389-391(2011).
  2)Kitwood T : Dementia Reconsidered ; The Person Comes First. Open University Press, Buckingham(1997).
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2012/2 老年精神医学雑誌Vol.23 No.2
認知症にかかわった40年間の思い
宮川太平
天草病院顧問,熊本大学名誉教授

  現在,日本は老年人口の比率が世界で最高となり老年期の疾患が急増している.そのなかでも認知症(老年・初老期認知症)がとくに注目を集めている.昭和36年に私は神経精神医学教室に入局したが,当時はアルツハイマー病はきわめてまれな疾患であった.昭和39年,東京大学医学部附属脳研究所で故・白木博次教授の講義を受け,都立松沢病院で種々の疾患の脳の組織標本を検鏡し石井毅先生(のち東京都精神医学総合研究所・所長)の教えを乞うた.そのときに検鏡したアルツハイマー病の組織病変が今も印象に残っている.したがって臨床を経験する以前に脳病変の組織を検鏡したことになる.昭和41年,大阪大学で濱清教授のもとで1年あまり中枢神経系の電子顕微鏡による研究を行い,それ以来,主にアルツハイマー病の脳組織病変を研究することになった.このことから約20年間にわたってアルツハイマー病の国際シンポジウムに10数回にわたって招待され講演する機会を得た.
 日本では昭和57年に石井毅先生が創設された「老年期脳障害研究会」(現在の日本認知症学会)が開催された.当時はほとんどの演題が基礎研究の発表であり,参加人員も限られていた.この時代はまだ初老期認知症(アルツハイマー病,ピック病,クロイツフェルト・ヤコブ病など)と老年認知症に分けられ,脳血管障害による認知症が60%以上を占めていた.以来,しだいに老年人口が増加し長寿となるにつれて老年認知症(アルツハイマー型認知症)が脳血管障害を上回って現在に至っている.アルツハイマー病は若年性で症状の進行が急激であり,巣症状を有し脳の萎縮が高度であることから老年認知症とは区別されていた.一方,老年認知症は組織病理所見では老人斑,神経原線維変化などが量的には少ないが両者に共通して認められることからアルツハイマー型老年認知症(SDAT)と呼ばれた.現在では両者をまとめてアルツハイマー型認知症と呼んでいる.なお,海外で開かれる国際シンポジウムや会議では現在までアルツハイマー病と一括して使用されている.

 私は大学在籍中に典型的アルツハイマー病や多くの認知症を臨床,病理学を通して研究してきたことから,大学を平成12年に退官後は,熊本労災病院で5年間,次いで現職の天草病院で引き続き「もの忘れ外来」を続けている.外来においては慢性硬膜下血腫,正常圧水頭症,甲状腺障害,脳腫瘍や代謝疾患など種々な疾患に遭遇するが,圧倒的に多いのが,いわゆるアルツハイマー型認知症を疑って来院する症例である.そのなかで問題となるのが,・本人が心配して来院する者と・家族がもの忘れがひどくなったとして連れて来る例である.・の場合は正常の老化であることを詳しく説明することにより安心して元気になることが多い.・の場合は多くはいわゆるMCIである.この場合,認知症として抗認知症薬を処方するのは最も安易な方法であり,実際に他の病院ですでに抗認知症薬を処方されている症例も多い.しかし,私は「現時点では正常老化の範囲であるが心配であればまた病院を受診するように」と説明している.その理由は,マスメディアの影響や医師の軽々しい発言で「早期に発見して治療をすれば治る」と思い込んでいる家族が多いことである.反面,認知症と診断がつけば病院へ入院させることで自分たちの責任逃れをする者も少なくないからである.私は医師として病気という診断を下すことに消極的であり,家族には「本人がそれまでに生活してきたことに大きな支障がなければ,正常の老化という考えをもって対処するように」と説明している.現場に立つ医師として認知症の病態を詳しく説明して納得してもらう努力を続けている.「不安や迷いは無知より生ずる」ものであり,本人や家族の不安をまず取り除くことが大切であることをつくづく感じている.

 振り返ると,G. Glennerがアミロイドのアミノ酸配列を発見して以来,アミロイドカスケード説が現在も重要視されているが,当時は10年もすればアルツハイマー病の根治療法が解明されると思われたときもあった.しかし,周知のようにいまだこの問題は解決されず根本的な治療は見いだされていない.とくに親しくしてきた故G. Glenner教授がどのような思いであったかを今,私は思い浮かべている(写真).
 老年期になると,身体はもとより精神的にも脆弱性を増し種々の疾患が出現してくる.とくに身体疾患をもつ患者は不安や恐怖を抱えている人が多く,うつ状態を呈し自殺者も増加する.さらに幻覚・妄想や夜間せん妄,徘徊・興奮,不眠などを呈する例が多く,種々の疾患や精神状態に適切に対応することが必要とされている.私は40年にわたりアルツハイマー病の基礎的研究と臨床を続けて今日に至っているが,日々の診察でつくづく感じることがある.それは,家族と一緒に話しているときは表面に出さないが医師と1対1で話すと「一人で暮らしていると寂しい」と涙ぐんで話す人が多いことである.このことはきわめて重要である.人は孤独感,疎外感,生きがいのなさを感じるときは精神的危機に陥る可能性が強い.最近は核家族となり,さらに一人暮らしをする人が急増している.このことを解決することはきわめてむずかしく,社会構造の変革が必要であるが,まずは人と人との心の絆を強めることがいかに大切かを感じる毎日である.一刻も早く根本的治療が確立されることを祈るのみである.
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2012/1 老年精神医学雑誌Vol.23 No.1
「幸福」と「幸福感」と「臨床」と「老年精神医学」
新井平伊
順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学

 わが国の歴史を変えた一年が明け新たな年を迎えるにあたり,読者の皆様に,そして日本老年精神医学会の会員の方々に,新年のご挨拶を申し上げ,今年は安寧な日々が続くことを心から願う次第です.
 さてこのような状況で,わが国は超高齢社会に突入している.社会福祉の充実を名目にして消費税値上げ等も議論されているが,いつも思うのは,

 「わが国は高齢者を大切にしているだろうか?」 「社会保障や制度は高齢者に優しいだろうか?」

ということである.

 もちろん,どの国にとっても出産や子育て,そして教育が最重要なことはいうまでもない.しかし,高齢者が不安を抱えながら生活するような社会では,若い世代がその国で子どもを育もうなど思うはずがない.仕事を毎日頑張って社会にも貢献しようなどと考えるはずがない.働けるうち働けば,あとは国が面倒をみてくれるという安心感がない限り,いかなる教育も社会制度もその実質的効果はないと思う.
 しかしその一方で,単に「高齢者の幸福を目指す」といっても,それは定義しがたく,絶対的な幸福など存在しない.ブータン国王夫妻が来日し大きな関心を呼んだ国民総幸福量(gross national happiness ; GNH)は一つの答えかもしれない.5年ごとの世界の大学・研究機関による各国18歳以上の男女2,000人程度の意識調査である世界価値観調査も別の指標であるが,ここでの日本の幸福度は57か国中24位との結果であった.また,健康なことも幸福のひとつであることは確かであり,このためか「認知症にだけはなりたくない」と願う人々が多い.

 しかし,では,

 「認知症がなくなれば幸せになれるのか?」 「認知症になったら幸せになれないのか?」

 これらの答えはいうまでもなく「No」である.われわれの学会が認知症だけでなく高齢者の諸問題を対象としている理由もここにあるが,問題は認知症だけを克服しても解決しない.筆者は若年性アルツハイマー病専門外来を開設しているが,ここのご家族からは大きな示唆をもらう.「病気はあるけど,私たちは幸せをたくさんもらっています」とよく聞く.もちろん疾病などないことに越したことはないが,彼らは日々のたいへんな苦労のなかで家族,親族,友人,近隣の人々との交流を通して,心の触れ合いや優しさなど1つひとつは些細なことながら大きな幸せを感じることが多いという.まさに人生を全うしようとする姿に心打たれ,自分は日々をそして人生を無駄に過ごしているのではとの思いになる.そして,だれもが共通して感じる「幸福」の達成は難しいが,個々の生活における「幸福感」であれば獲得はそれほど難しいことではないと気づく.また,われわれの目指すべきもの,そして目指せるものは「幸福の獲得」ではなく「幸福感の獲得」ということにも.
 そして,この目標のためにわれわれができることのひとつが日々の臨床である.しかし,最近の操作的診断中心の精神科医療には危惧を抱くのは筆者だけであろうか.1つは,まもなく実施されるDSMの改定ではアルツハイマー病の診断基準に生物学的な指標が採用され,認知症という用語自体も消失するとのことである.もちろん,診断の客観性や早期診断の信頼性を高めることは意義深いが,臨床情報や神経心理学的評価などが軽視されてはならない.臨床経過や症候学,つまり1人の人間が示す症候を重視するからこそ,認知症を患った人間の苦悩や対処としての症状が理解できる.
 もう1つは,症候学を大事にしたとしても,操作的診断頼りだと表面上の診断に終始する傾向に陥りやすい.近年,パニック障害や双極性障害が注目されているが,認知症の前駆期もしくは初期にも同様の症状は呈する.ICD分類のF3気分障害圏やF4不安障害圏に関して,さらにいえばF2妄想性障害圏も含めて,該当する症候があればその診断を下して事足れりとする傾向はないだろうか.ICD-10において器質的要因や薬物関連がF0,F1と最初に分類されているのは,F2,F3,F4群に該当したとしても,その基盤にいわゆる外因性疾患がないか見極める意義を示唆していると理解できる.加えて精神発達やパーソナリティーも考慮し総合的に病状を理解する必要がある.臨床ではこのような姿勢が最も重要であり,これこそが精神科的アプローチといえる.
 従来診断も重視しながらのevidence-based medicineとnarrative-based medicineの融合,言うは易しであるが,認知症のご本人とご家族から多くの示唆を受けながら,老年精神医学で私自身はこの道を追求していきたい.  

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