2011/12 老年精神医学雑誌Vol.22 No.12
民間病院におけるPIB-PETの導入
藤元登四郎 
社団法人八日会藤元早鈴病院
 藤元早鈴病院は,新燃岳の噴火で話題になった都城市に位置している.噴火は1月26日に始まり,町は一面に灰が積もり,まさに死の世界のようになった.一時は,入院患者さんの疎開を真剣に考えたほどであった.それから40日ほどして,東日本大震災が発生した.今から考えてみると,新燃岳の噴火はその前触れであったのかもしれない.現在再び,新燃岳にはマグマが蓄積しつつあり,2012年には噴火すると予想されている.また大地震の前触れになるのではないかと懸念される.ともかく,火山の噴火はマグマの状態をマーカーにして予測できるが,地震は明確なマーカーがないので予測はむずかしい.
 さて,認知症の予測も地震予知よりさらにむずかしい.予測するためのマーカーがほとんどないからである.しかし,2002年にピッツバーグ大学で開発されたPittsburg Compound-B(PIB)を使用したアミロイドイメージング検査は,認知症のマーカーとして期待されている.とくに,アルツハイマー病(AD)の早期診断,治療効果の判定,病態理解のうえに有効とされている(AD発症の10年以上前から,アミロイドβペプチドの蓄積は始まっているという)2)
 しかしことはそれほど単純ではない.石井賢二先生によれば,ADの診断の観点からすると,アミロイドイメージングは,感度はきわめて高いが特異性はそれほど高くはない.したがって,アミロイドイメージングはADを明確に否定できるというに過ぎない.
 しかしながら,PIB検査がある程度,早期認知症の診断に応用できることは確かである.現在のアミロイドイメージングは,がんの画像診断のパラダイムに従っている.がんのように,認知症を画像的に早期発見し,早期に治療をすれば克服できるという概念である.はたしてそううまくいくだろうか.
 当院では,PIB検査を2008年1月から現在まで約4年間,三山吉夫先生のご指導のもとに,放射線科の藤田晴吾先生と認知症専門の宇田川充隆先生が行っている3).なお,九州管内でこの検査を行っているのは当院だけである.
 アミロイドイメージングに必要な[11C]PIBの合成に要する原料は,1回につき2 mg/lである.原料は高価ではないが,サイクロトロンを使用するので高度な技術が必要である.当院では,PETプローブの専門家である薬剤師の濱田竜一郎先生が東京都健康長寿医療センターの石渡喜一先生にご指導をいただいて,合成を行っている1).1回の検査の原料代は2万円程度であるが,総合的な費用は20万円のオーダーになる.まだ保険適応ではなく,原料提供会社とは,有料で検査しないという契約を結んでいるので,病院の研究費を使用している.
 1週間に1回,2〜3人の検査をしており,認知症の検査件数は2011年9月末までに,182件である.なお1回の検査時間は70分である.問題は非常に多い.認知症患者さんは,来院されたときにはすでに認知症が進行している.このレベルだと,FDG-PETやSPECTなどの検査で異常は検出できる.これまでの検査では,PIB検査のみ異常を呈するケースはほとんどなかった.早期認知症の診断は,PIB検査だけ異常が出て,しだいにアミロイドβが蓄積していき,発症するまでの経過を観察しなければならない.理想をいえば,認知症検診のような形式で,健常な同一人物に対して,時間をかけて経過を追うべきであろう.それには数年,あるいは10年単位の時間が必要だろう.経費だけを考えても不可能に近い.しかし,全世界で盛んに研究が行われているので,やがては診断法が確立されるかもしれない.
 現在のところは,やってみなければわからない状態なので,地道にデータを積み重ねていくしかない.ただ残念ながら,当院のスタッフは診療に追われていて,アミロイドイメージングの研究にかける十分な時間的余裕はない.けれども考えすぎてもきりがない.近い将来,早期認知症の画像診断が可能になることを夢見て,可能な限りアミロイドイメージング検査を続けていくだけである.

[文 献]
 1)濱田竜一郎:藤元早鈴病院における[11C]-PIBの導入.PET journal,9号:6-8(2010).
 2)石井賢二:MCIの画像診断を考える;PIB-PETによる画像診断の将来.老年精神医学雑誌,20(増刊-T):55-60(2009).
 3)宇田川充隆,三山吉夫,井上輝彦,藤田晴吾ほか:アルツハイマー型認知症の画像診断.PET journal,12号:7-8(2010).

2011/11 老年精神医学雑誌Vol.22 No.11
アルツハイマー型認知症治療の新時代に思うこと ─ 根本治療と予防との狭間で ─
渡辺 憲 
社会医療法人明和会医療福祉センター渡辺病院精神科
 アルツハイマー型認知症(DAT)の治療薬としてわが国に初めてドネペジルが導入され,今年で12年が経過した.DATの軽度〜重度までの各病期・病態における同薬剤の適応について,臨床的に多くの知見が現在までに蓄積されてきたが,2011年は,さらに新たに3種類の治療薬が上市され,まさにDATの治療ならびに早期介入の新時代に入った画期的な年と言えよう.また,これら4種類の治療薬が自由に使いこなせることは,超高齢化を迎えた地域社会における認知症の医療現場にとって,大きな福音でもある.ただし,以上の治療薬は,あくまで症状を改善させ,病態の進行を若干でも遅らせるという対症療法的役割にとどまっている.
 一方,アミロイド・カスケード仮説に基づくDATの根本治療薬の登場が間近といわれ,多くの臨床試験が行われたが,いくつかの有望と思われた治験薬も含め,ことごとくその有用性の証明が失敗に終わった.この結果を受けて,アミロイド・カスケード仮説そのものに疑問を呈する議論も一部にあるが,筆者は,同仮説の大筋は正しく,アミロイドの脳内への蓄積およびそのプロセスにおけるニューロンへの障害が10年〜20年以上のきわめて緩徐な経過をたどっていることから,薬物療法をはじめとした治療的介入の効果を通常の臨床試験のスキームで証明することをきわめて困難としており,現行の治験の失敗につながっているのではないかと推察している.
 一般に,ある病気の治療薬の開発には,長期的,短期的有害事象の排除はいうまでもないが,その病気の原因に働きかける何らかの機序が証明されており,安全性にかかわる現行の治験の第T相もしくは前期第U相試験までをクリアしていることを前提に,暫定的に治療薬としての承認を行ったうえで,数年の長期にわたって認知症の病態の発現,進行をモニターし,また,非侵襲的に測定できるパラメータを定期的に測定しながら,介入群と非介入群とを比較するようにしてはどうであろうか.
 たとえば,Aβ42-43の産生を減らすことが証明されている薬剤があり,安全性がかなり厳密に担保されていれば,「アミロイドβタンパク異常症」等の適応病名で暫定的に認可をしてはどうかというものである.これは,血中の脂質異常(高コレステロール,高トリグリセリド血症)の治療が10年〜20年以上経過して血管の動脈硬化性病変を介して脳梗塞,心筋梗塞等の重篤な疾患に進展するのを防止することと同様である.すなわち,血中脂質異常の改善そのものが1〜2年の経過で明らかな臨床徴候の改善に結びつくものではないとしても,長期的な疫学的データと組み合わせることで,脳梗塞,心筋梗塞の予防に有用であることが示されることで,初めて「脂質異常症」という疾病概念が成立するという図式である.
 多くの疾患における病態プロセスが解明される過程で,どの時点で疾患が始まったかを判定することがむずかしくなっている.一方では,遺伝子診断の進歩により,ある病気について一定以上の発病リスクをもつ人にとっては,その疾患の症状が現れる前に,介入できることが理想でもある.これは,ある意味では,予防の範疇にはいるとも考えられるが,治療コスト上の利点および予後が,発病後に介入を行う場合に比べて,はるかに上回る可能性が高い.
 個々人の体質(遺伝子情報を含め)に合わせ,さまざまな疾患の発病リスクについて精査は必須であるが,発病までにきわめて長い時間を有する疾患については,疾病の病態に関連した中間指標を標的とした治験を行い,長期的疫学的手法も用いながら,10〜20年の観察を通して最終的に治療効果を検証するというスキームがあってもよいのではなかろうか.

2011/10 老年精神医学雑誌Vol.22 No.10
認知症のくすり
佐野 輝 
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科精神機能病学分野
 最近,相次ぐアルツハイマー型認知症治療薬の発売を受けて,講演会などが頻繁に行われ,認知症に関する話を聞く機会が多い.テレビでは「単なるもの忘れと認知症は違います」との疾患啓発広告が流れ,一昔前までは認知症には治療薬もまったくなく医学医療に期待されることさえ少なかったことを考えると隔世の感がする.しかしながら,これらの薬剤に対して承認された効能・効果はいずれも「アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」であり,決して「認知症症状の改善」ではないところはとくに留意すべきであろう.この点に関しては,世間の誤解も多く,「認知症をよくする新しいお薬が出たそうですねえ.うちの連れにもすぐ使ってみてください」などと依頼されることを経験されている医師も多いのではないかと思う.また,処方する医師側もこれらの状況に精通しているとは限らず,「認知症の薬は効かない」との声を聞いたりしたり,また自らの説明のなかにも「認知症症状の改善」を思い描かせるように強調して説明していたりする.「認知症症状の改善」をデータ的におしなべて考えるならば「投与開始とともに認知機能の変化はADASで1点程度の変化」を感じなければならないことになるが,実際には認知症症状の改善効果を実感する著効症例はまれであろう.
 こういった微妙でかつ慢性の変化をじっくりみていくことには内科等の身体科の医師は苦手であるように思われるが,われわれ精神科の医師では対象疾患の慢性性からかとくに珍しいことではないと思われる.ただし,予測される進行性との頭のなかでの比較といった課題は,われわれ精神科の医師にとっても決して簡単なものではないことであろう.こういった事情をよく理解して患者家族に説明を行わないと,誤解をますます助長することにもつながりかねない.だからこそ,われわれの頭のなかももう一度よく整理してから,「アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」との効能・効果をわかりやすく説明しなければならないと感じるこのごろである.こういった「くすりの適応」に関する複雑化は,認知症治療薬に限らない.たとえば,最近ラモトリギンに追加された効能・効果は,「双極性障害における気分エピソードの再発・再燃抑制」である.一昔前には,○○病のくすりという言い方が通じるように,くすりの適応には病名が座ることが多かったが,疾患概念の再編や病態理解の進展でより精細な効果・効能が認可されるようになっており,患者・家族に対して適切な説明が必要である.
 国際的にも先進諸国では著しい高齢化社会を迎え,アルツハイマー型認知症をはじめとする神経変性疾患に対する世間の注目度もうなぎ上りとなり,研究に対する投資や研究者人口の増加が加速されている.そのようななかで,認知症に関する研究に関しては,アルツハイマー型認知症のバイオマーカーを用いた診断法の開発や分子レベルの変性機序の解明とそこに立脚した根本的な治療法あるいは予防法の開発が精力的に進められている.一方,最近,とくに前頭側頭葉変性症において分子病理学・分子遺伝学的な研究の成果として神経変性の鍵となる分子の発見が相次ぎ,従来の臨床症候学的な分類から脱却した新たな分子病理学的分類の提唱など進展が著しい.すでにアルツハイマー型認知症において先行しているように,これらの鍵となる分子の発見は,それらの分子をバイオマーカーとして利用した診断法や変性過程を分子的に阻害する薬物やワクチンの開発などの根本的な治療法の開発につながることがおおいに期待される.
 認知症疾患の包括的なケアを含めた臨床研究のますますの進展とともに,上記のような分子レベルの研究の成果が日常の臨床に応用される時代の到来がそう遠くない将来に来るのではと切に期待して筆を置くことにする.

2011/9 老年精神医学雑誌Vol.22 No.9
アルツハイマー病の新しい診断基準と神経病理
山田正仁 
金沢大学大学院医学系研究科脳老化・神経病態学(神経内科学)
 2011年4月,アルツハイマー病(AD)の新しい診断基準がアメリカのNational Institute on Aging(NIA)/Alzheimer's Association(AA)グループから提案された(Alzheimers Dement,7:257-292,2011).それによると,ADは(1)ADによる認知症,(2)ADによる軽度認知障害(MCI),(3)発症前AD(現時点では研究用)に分類され,バイオマーカー(画像や脳脊髄液マーカー)によって診断確実度が評価される.一方,DuboisらのInternational Working Group(IWG)は,2007年と2010年に,やはりバイオマーカーを取り入れた診断基準の改訂を提案した(Lancet Neurol,6:734-746,2007;Lancet Neurol,9:1118-1127,2010).NIA/AA基準の“ADによるMCI”,“preclinical AD”は,それぞれ,IWG基準の“prodromal AD”,“AD pathology”に該当する.
 従来からの診断基準[NINCDS-ADRDA診断基準(1984),DSM-IV診断基準(1994)]から新しい診断基準への移行の背景にあるものは,バイオマーカー研究の成果に基づき,バイオマーカーでADの脳病理を推定するようになったことである.新しい診断基準ではADは病理学的なプロセスであり,無症状〜MCI〜認知症のプロセスを1つのスペクトラムとして統一的にとらえ,そのステージでADを区別する.こうした診断基準が一般的に臨床で使用されるためには,バイオマーカー検査の標準化が前提となる.脳脊髄液などの生化学マーカーは標準化しやすいが,MRI,PETなどの画像検査は機種や測定条件の違いなどを施設間で標準化するには努力を要する.そのうえで,神経病理による診断基準の検証が必要である.また,AD病理のみで無症状の発症前のステージを診断する場合,倫理的な問題がある.老人斑を有する健常高齢者が将来,ある一定期間内に発症するかどうかはむずかしい問題であり,かなりの多様性があろう.さらに,検査の保険適用の問題もある.
 しかし,疾患を病理学的プロセスとしてとらえ,それに基づき診断,病態評価,治療を行うことはメリットがある.たとえば,近年,レビー小体関連病理の出現を特徴とするレビー小体型認知症が臨床診断されるようになり,認知症診療の質が高まったことは周知の事実である.また,将来,脳病理特異的な根本的治療,すなわち脳病理修飾薬(ADに対する抗アミロイド療法など)が使用可能になったときには,病理学的プロセスの臨床診断が前提になる.さらに,80歳前後以上の高齢者の認知症ではしばしば複数の疾患・病理がオーバーラップしており,患者さんの脳病理を推定することは,きめ細かい診療のうえで有用である.
 神経病理学的理解が認知症診療の質を高めることはまちがいない.筆者は神経内科が専門で認知症診療に従事しているが,かつて修行した教育的な施設では70〜80%の剖検率があり(当時は「昔は剖検率100%だった」と言われた!),自分の眼で患者さんの脳を見させていただき勉強する機会が多々あった.しかし,最近,どの施設も剖検率の低下が著しい.筆者はプリオン病のサーベイランスに従事しているが,プリオン病は感染性の問題で病理医の理解が得られにくいことがあり,わが国における剖検率が欧米と比べて著しく低い(欧米が70%以上に対してわが国では20%未満).あるとき,この問題をサーベイランス委員会で議論していると,ある委員から「他の神経疾患の剖検率はもっと低い」との発言があった.なるほど,たしかにそうである.以前と比較して,剖検を通じて神経病理学的な研鑚を積む機会が格段と少なくなっているという事情は,神経内科ばかりでなく,精神科,老年科など,どの科でも同じであろう.
 学会の教育コースなどで専門家から神経病理を教えてもらうことも1つの方法である.しかし,自分が診させていただいた患者さんの脳を検索させていただく経験は何物にも代えがたい.患者さんの臨床症候と脳病変の関連を真剣に考え,脳病変の成り立ちに思いをはせることによって洞察力が深まるからである.筆者は大学病院で診療をしているが,大学病院で診た患者を含めて多数の神経疾患の患者さんを長期にわたって診療していただいている近くの関連施設(病理医はいない)で,剖検資格を有する神経内科医自身が剖検を行う体制を構築した(剖検率≒50%).月平均1例の臨床病理検討会を行い,専門医を目指して研鑚中の若い医師が神経病理のプレゼンテーションをする機会を設けている.診療の質を維持し高めるために,若い世代に神経病理の理解を深めるチャンスをどのように提供していくかは重要な課題であろう.

2011/8 老年精神医学雑誌Vol.22 No.8
父と「名医」
西村 浩 
厚木市立病院精神科
 2010年8月10日,父が89歳で永眠した.
 すでに数年前から施設に入所していたが,脳梗塞により施設近くの救急指定病院に搬送されて約10日間の経過で亡くなった.心房細動のため20年ほど前に植え込んだペースメーカー(火葬の際にリチウム電池が爆発する危険性がある)を取り出す許可をいただき,臨終後に筆者が取り出した.快く許してくださった病院の配慮に今でも感謝している.
 石川県で生まれ,少年時代を北海道で過ごした父は,「頭がよくて立派な男たちは戦争で死に,美人はみな結核で死んだ,つくづく日本は残りカスみたいな国だ」と時々口にしていた.父の母は北海道で結核に倒れ,父は徴兵検査で結核を疑われて兵役に就かなかったために戦死を免れた.「結核で美人が死に絶えたから日本海側の大学には行くな」などと冗談めかして話してもいた.社会人を経てから進学した父は,卒業後なぜかアナウンサー採用試験を受け,どういうわけか合格して定年まで放送局に勤務した.
 幼いころに父から「名医」の経験談を聞いた記憶がある.ある夜のニュース担当であった父は,放送時間まで4時間あると考えて昼から日本酒4合を飲んだ.しかし事前の原稿下読みをしたところ呂律が回らないことに気づき,あわてて多量の水やお茶を飲んだり,当直者用の風呂場へ行き冷水を浴びたりしてみたが,いっこうに改善しない.本番が近づき慌てた父が放送局そばの医院に飛び込み事情を話したところ,「少々痛いが酔いざましにたいへんよく効く注射があります」と院長先生がにっこりされ,「それはそれは痛い大きな静脈注射」をされたところ,たちどころに酔いはさめて無事に放送を終えることができた.翌日羊羹を手土産に医院を訪れ御礼を申し上げた父に,「あれはただのビタミン注射ですよ」と院長は大笑いされ,「これぞ名医」と深く感じ入ったとのことであった.
 1947年と翌1948年いずれも9月に東北地方をカスリン・アイオン台風が襲い,岩手県一関市だけで計500人以上の犠牲者が出た.仙台放送局勤務の父がその被害を取材に行き,一関に住んでいた母と知り合ったらしい.大雨に加え戦争中に山林を乱伐したことも手伝って激しい河川の氾濫が起こり,せっかく空襲を生き延びた女学校の同級生を母は数多く失っていた.その後,仙台から東京への転勤を経て,名古屋放送局勤務中の1959年9月に両親と筆者とは5,000人以上が命を落とした伊勢湾台風に遭遇した.高所恐怖傾向の強かった父が屋根の上に立って実況中継をしている姿を見た母はひどく驚いたそうだが,「屋根のすぐそこまで水があったから怖くなかった」とのちに語ったという笑い話があるほどの水害であったという.岩手と愛知とでのこうした経験から母は水害に対し非常に敏感となり,水辺に住むことを極端に嫌うようになった.
 このゴールデンウィークに岩手県一関市(現在でも「カスリン・アイオン台風来襲時水位」が市内の電柱に示されている)にある母の実家を訪れ,東日本大震災のため本棚からすべて投げ出された亡父の蔵書を数日かけて整理した.偶然,机の引き出しに残されていた父のメモを発見した.「8月15日小生の腕時計がどうしても見つからぬと思ったら和子が保管していたという.もの忘れがひどい,もう死ぬのか」とあった.施設に入所する数年前,避暑のために滞在した際に残したもののようであり,直接口にはしなかったものの,記憶障害の進行を自覚し記録していたことに驚いた.筆者の弟も「認知症になったらしい.切腹しようかと考えたが,痛そうなのでやめた」というメモを見たことがあるという.父は剣道七段で日本刀を数振り所持していた.危ないところであった.また本棚から落ちて散乱していた古い写真のなかには,「養老院でのインタビュー」と書かれ,年若き父がお年寄りの肩を抱くように耳元に口を近づけてインタビューしているものもあった.
 そして今回,母のいとこたちからさまざまな話を聞いた.シベリア抑留中に寒さと飢えとで毎日同胞が亡くなっていったと話してくれた88歳の親戚は「こんなに長生きしなければ今回の地震や津波のような悲しい思いをしなくてすんだかもしれないとも思う」と語った.また83歳の親戚は「学校ではほとんど勉強した記憶がないくらい,動員されての作業ばかりだった.戦争に勝とうと負けようと,国はその後のことはいっさい考えていなかったのだと,つくづく思う」と語ってくれた.
 今回のこうした経験を通じて「平和な世界で長生きして本当によかった」と思ってもらえるような医療に少しでも近づきたいという念を新たにした.たとえそれが,お年寄りの受診者が待つ時間を少しでも減らすといったささいなことでも,あるいはプラセボとさほど変わらない効果しか期待できない薬物しか使えない場合でも,どんなことでも可能なことは自ら実行していこうと.      

2011/7 老年精神医学雑誌Vol.22 No.7
津波てんでんこ
高橋 智 
岩手医科大学内科学講座神経内科・老年科分野
 2011年3月11日,東日本大震災がわが国を襲った.犠牲者の多くは,津波でその命を失った.警察庁の発表によると,被害の大きかった岩手,宮城,福島3県の犠牲者で,発災1か月後までに年齢が判明した11,108人中,60歳以上の死者は計7,241人(65.2%)に上った.3県の人口に占める60歳以上の割合(31.7%)と比べると,高齢者の死者は2倍以上と多く,死因のほとんどは溺死であり,逃げ遅れ,津波にのまれて死亡したとみられる.

 三陸には,「津波てんでんこ」という伝承がある.「てんでんこ」とは「てんでんばらばら」という意味であり,「津波が来たら,他に構わず,各自,てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」というのがその本来の意味である.古来より何度も津波の来襲を受け,リアス式海岸のため被害の大きかった三陸地域において,津波から身を守り,一族を全滅から防ぐ知恵として言い伝えられてきたものと考えられている.また,この言葉は,自分自身は逃げて助かったのに,他人を助けられなかったとしても,それを非難しないという不文律にもなっており,地域の高齢者は,自らを犠牲にしても,若い世代が生き残る教えを地域につないできたのである.
 東日本大震災で1,200人を超す死者と行方不明者を出した岩手県釜石市では,3,000人近い小中学生のほとんどが無事に避難した.昭和三陸地震やチリ地震などの津波で大きな被害を受けた釜石市内の小中学校では指示されなくても「とにかく早く,自分の判断でできるだけ高いところ」に逃げるよう指導してきた.各小中学校では,津波を経験した高齢者の講演会を開いたり,当時の映像を見せたりして津波の恐ろしさを伝えてきた.釜石市北部の大槌湾を臨むある中学校では,担任教師が「逃げろ」と叫び,校庭に出た生徒たちは教師の指示を待たず,高台に向かって走りだした.途中,同校に隣接した小学校の児童も合流した.小学生の手を引く中学生の姿も目立ったという.
 一方,岩手県沿岸部の老人福祉施設では,寝たきりや車椅子利用者,そして,認知症患者など,多くの「災害弱者」が犠牲となった.さらには,住民の高齢化が進んだ三陸地域において,町内会等の自主防災組織で点呼を行ってから集団避難することがルール化されていた地域では,高齢者の逃げ遅れがないよう点呼に当たった区長や町内会長が津波に巻き込まれて犠牲になるケースも多かった.
 宮城県南三陸町では,震災前から「認知症でも笑顔で暮らせる町づくり」を進めてきた.町の人口は約1万7600人であるが,町長も含めて約1,800人,すなわち,町民の1割が認知症サポーターであった.同町では,発災直後から民生委員らが地域でリーダーシップをとり,認知症の高齢者らに呼びかけ,避難を促し,避難所でも認知症の人に目を配り,トイレなどに誘導し,災害時にも自然なサポートが行われたという.

 今回,被災地の避難所を回って感じたことは,“ます”と“ゆい”の尊さである.“ます”とは,人間社会の生活単位の大きさの升である.“ゆい”は,ボランティアとは異なり,地域がお互いに助け合おうという阿吽(あうん)の契約である.被災した三陸沿岸部は,地域社会のつながりが強く,3世代同居の複合家族も多い.家族の升,地域の升が大きい.避難所でも,仮設住宅に移っても,認知症を含めた避難弱者を大きな升が支えてくれた.そして,“ゆい”が「隣のじいちゃん」「近所のばあちゃん」を救ってくれた.ある避難所では,それまで,引きこもりであった高齢者が,避難所入所をきっかけに皆に声をかけられ,大勢での食事,久しぶりの入浴を経て,元気になって,仮設住宅に移って行った例もある.
 震災から100日が過ぎ,高齢者,認知症患者をはじめとする避難弱者への対策も含めた防災対策が検討されなければならない.ハード面では,高齢者施設の高台への建設やバリアフリーの避難路の確保などが検討されるべきであろう.ただし,リアス式海岸で,高台の平地に乏しい三陸にあっては,すべての高齢者施設を高台に作るのはむずかしいかもしれない.まして,すべての一般住宅を,高台に建設することはむずかしいと思う.ソフト面では,現代の高齢社会で「津波てんでんこ」の心をどう生かしていくか.お互いに助け合って,集団行動したことが過ちとは思えないし,実際に南三陸町のように,地域のネットワークが高齢者の命を救った実例もある.
 そして,なにより懸念されるのは,同様の惨事が小さな“ます”,そして“ゆい”が失われた都会で起こったときの対応であろう.独居の高齢者に避難情報は的確に伝わるのか,隣人の顔も知らない状況で避難は円滑に進むのか,近所付き合いの経験のない若者がプライバシーの損なわれた大きな避難所で何か月も暮らすことは可能なのか.震災がわれわれに突きつけるのは,決して新たな問題ではなく,高齢社会をはじめ,人のつながりの希薄化,独居問題など,眼の前にある,まさに現代社会の問題点である.      

2011/6 老年精神医学雑誌Vol.22 No.6
訪問看護の利用は療養者が重度化してからでよいのか
諏訪さゆり 
千葉大学大学院看護学研究科訪問看護学教育研究分野
 療養者・家族には訪問看護の利用を検討したり,実際に利用しているという状況はどのくらいあるだろうか.

 訪問看護は,療養者が望む可能な限りにおいて居宅で,その有する能力に応じて自立した生活を営むことができるよう,看護職が療養者の家庭に直接出向き,その療養生活を支援する看護活動である.訪問看護は,高齢化という日本の現状を踏まえて1992年に老人保健法によって老人訪問看護として制度化された.その後,1994年に健康保険法の改正によって訪問看護の利用者の年齢制限が撤廃され,すべての年齢のあらゆる疾患を有する療養者が訪問看護を利用できるようになった.
 具体的な訪問看護活動として@療養生活の相談・支援,A病状や健康状態の管理,B医療処置,C疼痛など苦痛の緩和,Dリハビリテーション,E精神的支援,F家族の相談と支援,G看取り,H住まいの療養環境の調整,I療養生活に必要になる社会資源の活用,J病院から在宅への移行する準備などを挙げることができる.
 現在の日本では,平均寿命が女性86歳,男性79歳(2010年現在),高齢化率22.5%,平均世帯人員数も2.63人であり,高齢者だけの世帯,あるいは高齢者の単身世帯が増加している.一方で未婚者やシングルマザー,シングルファザーも増加している.このような状況を踏まえると,介護サービスを利用しながらも家族で介護を行っていくという家族のありようは今後崩壊していくことは明らかである.家族が出勤や登校することによって,日中あるいは夜間に長時間一人で過ごしている療養者もすでに多い.

 このような状況があるため,

 ・家族の心身状態が安定しておらず,十分な介護ができない可能性がある,
 ・療養者が単身で生活しているか,介護できる家族がいない,
 ・療養者と家族に退院してから容体が急変したらどうしたらよいのだろうという不安がある,
 ・自宅で療養生活を維持していくうえで,社会資源の活用も含めてさまざまな不安を抱いている,
 ・療養者本人だけでは処方通り服薬することができず,家族も服薬を管理できる状況にない,
 ・療養者と家族だけで食事,入浴,排泄が適切にできるか不安がある,
 ・通院するための移動能力や手段が十分ではなく,通院を介助する者もいない,

などの状況に療養者と家族がある場合は,積極的に訪問看護の利用を検討してほしい.訪問看護師から日常生活の様子などについて主治医に的確に情報が伝わり,治療にも貢献できるだろう.

 とくに高齢者では,複数の疾病を有して薬物療法を行っている者がほとんどである.しかし認知機能や視覚・聴覚機能が低下し,手指の巧緻性も十分に発揮できなくなる高齢者では,処方通りに服薬することがむずかしくなる.しかも診察室で主治医から口頭で伝えられることの多い内服薬の量やタイミングの調整に関する指示を,正確に記憶し理解することが困難になる.それらの指示を介護支援専門員や訪問看護師,ホームヘルパー,デイサービスの職員などからなる在宅ケアチームを的確に伝えることも療養者と家族にとってさらにむずかしい.高齢者は代謝・排泄機能の低下から副作用が出現することも多いため,薬物調整中の療養者の状態把握や副作用の出現を迅速に見極めることも不可欠である.
 現在の訪問看護の利用者はターミナル期にあるがん患者,筋萎縮性側策硬化症などの神経難病の患者,何らかの疾患を有しADLが著しく低下した認知症高齢者など,何らかの医療処置を必要としている療養者であることが多い.しかし,高齢者が住み慣れた自宅,地域で自分らしく豊かに人生を送っていくためには,高齢者の安全な薬物療法の実施を目指していくことが重要になる.そのためには訪問看護を重症化し医療処置が必要になってから利用開始するのではなく,より早期から利用することで,訪問看護師はより適切な療養生活に向けた工夫を療養者・家族とともに考え,的確な薬物療法を支援し,心身状態の悪化や合併症・二次障害を予防する看護援助を提供することができる.
 訪問診療や往診を利用している療養者のみならず,病院に入院しているが近々退院となる療養者や外来通院している療養者にも訪問看護のニーズはある.しかし,それらのニーズは潜在化しており,訪問看護というサービスの存在を知らない場合も多い.

 ぜひ訪問看護という看護サービスを理解し早期から利用することで,療養者には安心と安全を得ながら人生を生ききってほしい.そのような在宅での療養生活は,家族や在宅ケアチーム,インフォーマル・サポートとして支援した人々にも生きることや支え合うことについて深い思考をもたらしていく.

2011/5 老年精神医学雑誌Vol.22 No.5
マスメディアの影響力
松田 実  
滋賀県立成人病センター老年内科
 年末から年始の外来をしていて,テレビをはじめとするメディアの力は恐ろしいと改めて感じさせられた.「治るようになったとテレビで言っていましたよ.うちの人も治らないんですか」という質問を,何度も受けたからである.NHKで放送された認知症の特集番組の影響であることは明らかだった.
 ビデオで収録してあったその番組を見直してみた.「認知症は治らない」「認知症は予防できない」という常識がいまや覆されつつあるという趣旨で,全体がまとめられている.「治る認知症」として取り上げられていたのが正常圧水頭症(NPH)とレビー小体型認知症(DLB)であり,アルツハイマー病(AD)でも新しい薬が開発され治験段階で著明な効果が認められたことが紹介されていた.また,後半では糖尿病や高血圧などの生活習慣病が認知症の危険因子であることを紹介し,生活習慣病を予防することが認知症の予防になるとまとめている.
 紹介された個々の事例の内容に,特別にまちがったことがあるわけではない.NPHが「治る認知症」の代表格であるのも,DLBで幻視などの症状が薬剤で改善する場合のあることも確かである.ADの薬剤開発が各地で進行中であるのも,また事実である.ただ,これだけの証拠で「認知症は治るようになった」と話をまとめるのはいかがなものであろうか.
 NPHと診断され手術で劇的に改善した例は,明らかな外傷に引き続いて認知症の症状が起こっており,私たちが日常診療でみる特発性のNPHとは少し異なる印象を受けた.NPHでもADなどの変性型認知症の要因が重なっている場合は多く,この場合は手術で一時的には多少の改善がみられても,結局再び悪化する場合も多い.年齢が高くなるほど,認知症の原因は複合的になりやすく,たとえNPHの要因があったとしても,単純に「手術で治る」とはいえない場合も多い.
 DLBは「治らない認知症」である.薬剤調節で一時的に症状が改善することはあっても,基本的な病態は徐々に進行する.また,病気の性質も個人個人によってさまざまであり,多様性が大きいのもこの病気の特徴である.比較的穏やかな進行の人もあれば,頑張って薬剤調節や環境調整を行っても,うまくいかない場合も多い.とくに起立性低血圧などの自律神経症状や,動作緩慢などパーキンソン症状が強い人では,比較的急速に病状が悪化してしまうこともまれではない.平均してみればADよりもDLBのほうが症状進行は速い可能性が高く,あたかも「よくなる認知症」のようにいうのは誤解を与えかねない.
 ADに奏効する薬剤開発については,これまで何度期待を裏切られたことか.NHKでは以前にも,ある治験中の薬剤で著効がみられた例を長々と放送していたが,その薬剤は結局,効果がないことが判明している.あれだけセンセーショナルに取り上げたのだから,その後の結果も報道すべきだと思うのだが,NHKはそういう話はしない.
 後半の「認知症は予防できる」についても,注釈が必要だと感じた.生活習慣病を防ぐことによって,認知症が予防できるような誤解を生みかねない内容だったからだ.確かに,ADなどの変性型認知症に糖尿病や高血圧などの動脈硬化性疾患が重なると,認知症の症状が重度になりやすく,変性型認知症の程度が軽くても病状が現れやすくなるのは事実であろう.しかし,何の生活習慣病をもっていない人でも,非の打ち所のない立派な生活習慣を営んできた人にも,認知症は発病する.「生活習慣病を予防すれば認知症は予防できる」といった言い方については,その一部分は正しいが,その一部分はおおいに誤っているのである.
 新聞やテレビでしばしば認知症が取り上げられるようになって久しいが,一般的にマスメディアの記事や番組の作り方は,あらかじめ製作者のなかでストーリーが決まっていて,そのストーリーに合う事実を必死に追い求め,ストーリーに反する事実には目をつぶって無視するというやり方がなされているようである.今回の番組についていえば,「認知症は治る,予防できる」という趣旨に合う事実だけを一所懸命に取材し,治らずに苦労している例や,あるいは生活習慣病がなくても発病した例などは,見向きもされなかったのであろう.そうした例をいくら紹介しても,当たり前すぎて,絵にはならないからである.
 私は市民講座などの講演を頼まれた際には,「認知症は治らない」「認知症は予防できない」病気であることを最初に述べることが多い.NHKとはまったく逆の主張なのだが,その厳しい現実を真摯に受け止めて,そこから出発しないといけないと強調している.むしろ,そんなに世の中甘くない,うまい話には騙されないでください,と訴えている.できもしない予防を喧伝したり,期待を裏切られ続けている新薬への希望を述べたりすることは無責任だと思うからである.
 社会の多くの人たちに求められているのは,認知症がどういう病気かを正しく知り,認知症でなにがどのように不自由になるのかを理解することであろう.そして,認知症が決してなにもわからなくなる病気ではないことを知って,認知症の人の思いや家族の苦労を理解することではないだろうか.マスメディアには,認知症の人や家族に今どういう支援が必要なのか,そうした支援を果たすために現在の制度や今の社会になにが足りないのかなどを,特集してもらいたいものである.

2011/4 老年精神医学雑誌Vol.22 No.4
老後の父とその息子
服部英幸 
国立長寿医療研究センター行動心理療法部(精神科)
 3月初めの暖かい朝,息子は突然,中国地方の故郷に住む父親からの電話を受けた.朝から母が息をしておらず冷たくなっているという.すぐ救急車を呼べと言ったが「もうムダだ遅い」と言ったのは付き添ってくれていた叔父であったろうか.都会で精神科医をしながら,年に1度の帰省しかしない息子はその日の外来予約はすべてキャンセルにしたまま,とるものもとりあえず新幹線に乗った.不思議なことだが嘘に決まっているという感覚をぬぐえなかった.しかし母はたしかに死体だった.ひどく遠い存在に見えて悲しいというより呆然とした.父はというとうずくまっていた.すすり上げたり,大声で「くそ!」などと叫んでいた.息子はすでに集まってきていた近所の人たちと,葬式の段取りに追われた.通夜から葬式にかけては,故郷の風習ですべて隣組の差配で進んでいったが,その間父はただぼんやりとしてまったくなにもしようとしなかった.突然の死であるから当然といえばそうだが,息子の心には父に対する腹立たしさだけが募っていた.こういうときはもっと同情や悲しみといった感情が湧いてきそうな気がしたが,周囲の慌ただしさのなか,なにもしないで泣いている父が許せなかった.
 葬式のあと,突然の一人暮らしとなった父の生活をどうするかが問題になった.家事はなにもできない男だった.息子もすぐ同居というわけにもいかなかった.父と同年齢だが,何事にも如才ない叔父が,介護認定申請や介護サービスの手配をしてくれた.とりあえず週2日の有料ヘルパーと弁当宅配サービスを頼み,息子は都会に戻った.近所や親戚の人にあとを頼むしかなかったのだ.軽いパーキンソニズムがあるほかは日常生活が送れる程度の認知機能が保たれているのが救いだった.その年の初盆,お彼岸と故郷に戻る機会は多くなったが,父はヘルパーや近所の人たちの援助を受けつつ何とか生活していた.毎日電話をかけていたがいつも「さびしい,早く戻ってくれ」と哀願する父親に「独りになってうろたえるなよ.どっちかが先に逝ってしまうのはわかっていたことだろうが」と苛立ちを覚えていた.べったりとすがりついてくる親の姿が情けなかったのかもしれない.高齢患者とその家族に接する機会の多い息子は,以前から家族のなかにみられる患者への怒りの心情をもうひとつ理解できないでいたが,自分が近い立場になって体感できることもあった.
 それでも,母親の生前よりも父と話す機会が多くなった.それまで知らなかった父の半生を聞く機会ができたのだ.父は若いころに両親を結核でなくして,妹と二人暮らしになった.農林学校をでたあと召集され,中国大陸で兵隊として数年間を過ごした.終戦後,郷里で小学校の教師になってからは自宅のある村よりさらに奥に入った山村の小学校で教えていた.交通が不便なので学校の近くに下宿していた.息子が幼いころ,父は日曜日にしかいなかったという記憶がある.母の死後に父とともに,とっくに廃校になっていた昔の小学校を見に行ったことがある.とにかくひどい山の中で,いまはもう廃屋ばかりとなり,車も途中で入れなくなった.月曜日の朝4時ごろに自宅を出て2時間バスに乗り,バス停から1時間歩いて学校に着く生活だったそうだ.雨の日などたいへんだったろうと思う.田舎で生まれたくせに農作業が嫌いで,家で本ばかり読んでいた.教師だからまわりからは「先生」と呼ばれていたが,付き合いは嫌いだった.都会で生まれて戦争がなければ,まったく別な人生もあったのではないかと思う.今でも,学校の思い出はあまり話したがらない.本当は教師という職業が好きでなかったのではないかと思う.結局,校長,教頭になることもなく定年退職した.その後はいろいろ仕事を勧められたようだが,結局なにもせず,自宅で本を読んだりテレビを見たりの自閉的生活で終始していたのだった.
 年末になって息子は父のところへ戻った.父は相変わらず,なにもせず時折すすり泣いたりしていた.このままにしておけないという思いは強くなっていたが,どうしてよいかわからなかった.年が明けて息子が戻った次の日,夜中にトイレで倒れてそのまま入院したという報せが届いた.たまたま残っていた息子の姉や,隣に住む叔母が面倒を見てくれた.息子もすぐに戻って病院に駆けつけた.父の病状は原因不明の感染症であったようで,2週間の入院でよくなったが,息子や嫁はついていることができず,田舎の親戚の世話になるしかなかった.息子は周囲から「おまえが父親の責任をとれ」という無言の圧力を感じ,都会へ連れて来る決意を固めた.家が狭いので自宅での同居は無理と判断した.要支援Tの認定を受けていたので,介護付老人ホームを探すことにした.インターネットや職場のソーシャルワーカーの話などを頼りに何件か見学に行った.マンションかホテルのような100床以上の大規模施設もあったが,父はなじめず疲れきってしまうだろうと思った.勤務先の近くに,20床の小規模だがスタッフが親切なところがあったのでそこを選んだ.当初は当惑していた父だが,そのうち近くの公民館で本を借りて読書生活をする元気も出てきたようだった.息子は,ほぼ毎日父親に会うことになって全面的に依存されたうっとうしさを感じつつも,身体・精神的な大きな病気もせず暮らしてくれている父に安堵し,これまでの人生でこれほど父と身近に接した時期はなかったなと思い,母の死には父と息子を近づける意味があったのだなあと思うのだった.

2011/3 老年精神医学雑誌Vol.22 No.3
僧侶(禅僧)の寿命
仲村禎夫 
早稲田大学名誉教授
 筆者は21世紀の医学的,社会学的な最大の課題はアルツハイマー病(AD)の予防であることを主張してきている.
 日本人の平均寿命は,年々伸長し,男性79.59歳,女性86.44歳で過去最高を更新している.女性は世界一,男性は5位である.100歳以上の超高齢者をみても,1963年には153人であったものが,2010年には44,449人(86%が女性)と増えている.もはや高齢者は身辺にも珍しくない.職業別でみると,これまで長寿の代表は「僧侶」と「キリスト教聖職者」などの宗教家が他の職業を離して断然トップの座を占めていた.そこで宗教家のなかでも歴史に名を残されている禅の高僧,祖師方に絞ってその寿命を調べてみた.
  鎌倉・室町時代:明庵栄西(1141〜1215,世寿75,日本臨済禅の開祖),永平道元(1200〜1253,世寿54,日本曹洞禅の開祖,永平寺開山),円爾弁円(聖一国師)(1202〜1280,世寿79,東福寺開山),無関普門(大明国師)(1212〜1291,世寿80,南禅寺開山),南浦紹明(大応国師)(1235〜1308,世寿74,大燈国師の師),高峰顕日(仏国国師)(1241〜1316,世寿76,雲巌寺開山,夢窓国師の師,西の大応国師・南浦紹明,東の仏国国師・高峰顕日と称された),宗峰妙超(大燈国師)(1282〜1337,世寿56,大徳寺開山),夢窓疎石(夢窓国師)(1275〜1351,世寿77,七朝の帝師,天竜寺開山),関山慧玄(1277〜1369,世寿84,妙心寺開山),寂室元光(1290〜1367,世寿78,永源寺開山),春屋妙葩(1311〜1388,世寿78,相国寺開山,夢窓の高弟),一休宗純(1394〜1481,世寿88,大徳寺の復興者)
  江戸・明治時代:至道無難(1603〜1676,世寿74,市井にあって枯高の生涯を生きた禅者,正受老人の師),沢庵宗彭(1573〜1645,世寿73,東海寺開山,徳川家光,柳生但馬守宗矩などから深い帰依を受けた),桃水雲渓(1612〜1683,世寿72,乞食桃水といわれ貧困のなかに生きた禅者),盤珪永琢(1622〜1693,世寿72,不生禅で知られる),道鏡慧端(通称正受老人,1642〜1721,世寿79,白隠の師,名利を嫌って飯山に正受庵という草庵を建てて隠棲),白隠慧鶴(1685〜1768,世寿84,臨済禅中興の祖,現代の臨済禅はすべて白隠の流れをくんでいる),誠拙周樗(1746〜1820,世寿75,関東臨済禅の復興者),仙涯義梵(1750〜1837,世寿88,博多聖福寺の復興者),大愚良寛(1758〜1831,世寿74,草庵に過ごした詩人,脱俗の禅者)
  近・現代でみると,独園承珠(1819〜1895,世寿77,明治初頭の廃仏毀釈の危機の際の禅宗の復興者),足利紫山(1859〜1959,世寿101,方広寺派管長),山本玄峰(1866〜1961,世寿96,三島龍澤寺住職・師家,妙心寺派管長を歴任,近代の名僧として知られる),古川大航(1871〜1968,世寿98,妙心寺派管長),古川尭道(1872〜1961,世寿90,円覚寺派管長,朝比奈宗源の師),朝比奈宗源(1891〜1979,世寿89,円覚寺派管長),林恵鏡(1896〜1979,世寿84,東福寺派管長),竹田益州(1896〜1989,世寿94,建仁寺派管長),関雄峰(1900〜1982,世寿83,永源寺派管長),山田無文(1900〜1988,世寿89,神戸祥福寺師家,妙心寺派管長も歴任,多くの著書がある),関牧翁(1903〜1991,世寿89,天竜寺派管長),中川貫道(1910〜1987,世寿78,建長寺派管長),梶谷宗忍(1914〜1995,世寿82,相国寺派管長),中村祖順(1922〜1983,世寿62,大徳寺派管長)
  上に挙げた禅僧は「禅僧伝」「禅の名僧列伝」「禅僧の生涯」などの資料を参考にしたもので,系統的なものではないが,生きた時代背景を考慮すると,おおむね長寿の方が多いことがうかがえる.
  禅僧の長寿の要因には,その生活様式,環境など種々のことが考えられるが,厳しい修行で悟りを開き,生死を超越し,もろもろの煩悩から離れ,精神的には最も安定した理想的な境界にあると考えられる.私の師であった朝比奈宗源老師は,幼少のときから身体が弱く,長生きできないといわれていたそうであるが,89歳という長寿を全うされた.自分が今日まで生きてこられたのは坐禅のお蔭であるとよく言われていた.禅者に長寿者が多い理由の大きなものとして,精神生活と寿命との関係を示唆する言葉であると思う.
  病気に関していえば,いくら修行しても,基本的にはわれわれと同じ生身の人間であるから,がん,脳卒中,心疾患,認知症,糖尿病など普通の人と変わりはないようである.精神疾患では,うつ病がある.以前,自殺した老師がおられ,センセーショナルに報じられたことがある.重度のうつ病ではないかといわれているが,詳しいことはわからない.人を導き救う立場の僧の自殺には批判的な意見もあったようであるが,うつ病が遺伝子や神経伝達物質などが関係した脳の器質的疾患であるとすれば修行とは関係ないのかもしれない.  

2011/2 老年精神医学雑誌Vol.22 No.2
アルツハイマー病とメタボリックシンドロームとの関連
大友英一 
浴風会病院名誉院長/財団法人認知症予防財団会長
 筆者は21世紀の医学的,社会学的な最大の課題はアルツハイマー病(AD)の予防であることを主張してきている.
 わが国は世界トップクラスの高齢社会となっており,高齢化とともにADは確実に増加している.ADは原因は不明であるが老化と関係が深いことは確かであり,その治療費,介護費の増大は健康保険,介護保険の破綻につながりかねないのである.
 認知症者の数については,2002年は約150万人であったのが2005年に250万人,2025年には350万人を超えると予想されており,2025年には2002年の2倍以上になると予想されている.ただし,これはADと血管性認知症の合計であり,このうちADがどのくらいを占めるかについては明らかではない.
 筆者が前世紀末,浴風会病院の剖検例について検討した成績では血管性認知症が過半数を占め,ADは20〜30%程度であった.この成績は欧米先進国ではADが大部分を占めていることと異なっている.しかし,今世紀にはいり検診制度の普及により,高血圧,高脂血症などの早期発見,早期治療が普及,また優れた降圧薬,抗高脂血症薬の開発などもあり血管性認知症は著明に減少している.筆者の担当している「もの忘れ外来」では患者のほとんどがADである.
 参考として国際アルツハイマー病協会で推定した世界の認知症者の数を挙げてみると,2001年当時で2000万人を超えていた認知症は2020年に4000万人,2040年には5000万人に達するとのことである.つまり,2040年には2001年の2.5倍になるというわけである.なおアメリカでは2030年には2001年の約5倍になると推定されている.
 ADは老化と深い関連があり,その発現機序が不明であることが大きな問題である.
 最近,肥満の人が増加しており,2つの私鉄で通勤している筆者がいったいなにを考えているのかと不思議に思うほどの肥満者が,男女ともに若い世代に増えている.これには最近の食生活,その他の生活様式の変化なども関与している.すなわち,エレベーター,エスカレーター,車などの普及である.そしてメタボリックシンドローム(以下,メタボ)という概念がつくられたのである.この定義は国により異なるところはあるが,わが国では,内科学会,肥満学会など関連するいくつかの学会で以下のように定義されている.
 すなわち,必須項目として・臍のレベルでの腹囲が,男性85 cm以上,女性90 cm以上,これに加えて・中性脂肪150 mg/dl以上,かつ/または,HDLコレステロール40 mg/dl未満,・血圧130/85 mmHg以上,・空腹時血糖値110 mg/dl以上のうち2つ以上有する場合とされている.
 すなわち,「メタボは肥満という土台に3つの危険因子(高血圧,高脂血症,糖尿病)のうち2つを含むもの」である.したがって生命を脅かすものということができる.
 最近,欧米諸国からメタボがADとかなり密接な関連を有することが次々と報告されてきている.
 わが国では2005年,厚生労働省が行った国民健康・栄養調査によると国民の40〜74歳の男性の2人に1人,女性は5人に1人はメタボおよびその予備軍,そしてウエスト周囲径が基準を超えている人は,基準未満の人に比べて,高血圧,高脂血症,糖尿病(糖代謝障害)のうち2つをもっている割合がすべての年代で高く,ADのリスクと密接な関係が認められている.そして,メタボの人はそうでない人に比較してADに罹患しやすく,高血圧を除外して検討するとメタボの人がADに罹患するリスクは健康な人の7.0倍であるとしている.
 次にメタボとADとの関係について,海外の研究をみる.スウェーデンでの79〜88歳の高齢者を対象にADになったグループとならなかったグループにおいて70〜79歳時のBMIを比較した研究では,ADになった群25.7〜28.2,ADにならなかった群25.0〜25.7と明らかな差があった.
 アメリカの研究では40〜65歳のユダヤ人男性について52歳時の比較で非糖尿病群に比して糖尿病群では認知症発現率が2.83倍であったことが報告され,また55歳を超える修道女を対象とした9年にわたる調査で,糖尿病群は非糖尿病群に比してADが65%多かったのである.
 わが国では九州大学の調査で糖尿病およびその予備軍といえる人はそうでない人の3.1倍,ADの発症が多いとされている.
 またアメリカの研究でコレステロール低下剤のスタチン服用例はAD発症が少ないことが報告されている.
 このほかにも種々報告されており,ADも一種の生活習慣病であり,ある程度予防可能と主張してきた筆者が驚くほど,生活習慣とくに食生活との関連が明らかとなりつつあり,メタボとの関連が大である.  

2011/1 老年精神医学雑誌Vol.22 No.1
認知症は長寿社会の落とし子 ─ 医療と福祉の連携を強化 ─
十束支朗
植草学園大学客員教授/山形大学名誉教授/東北文教大学名誉教授
 わが国では,1970年65歳以上の人口が総人口に占める比率が7%を超え,高齢化社会の仲間入りをした.さらに高齢化は進行し,2010年は22%,2030年には32%)に達すると推計されている.人間は不老長寿を目指し努力してきた.その反面,認知症が続出してきた.筆者2)は「認知症は長寿社会の落とし子であり,見方によっては長生きした人間に授けられた勲章だ」と書いた.長寿社会では認知症を厄介なものと考えてはならない.表裏一体だからである.だれもが長生きすれば認知症になろう.認知症の人について,国をあげて保健,医療,福祉のすべてにわたり,いっそう連携した社会的対策がとられなければならない.
 筆者が精神科医になった頃,外来で診た認知症症状の患者さんは,神経梅毒(進行麻痺)か脳動脈硬化症(今日の血管性認知症)であり,アルツハイマー病(AD)やピック病はほとんど診る機会はなかった.当時の千葉大学精神科の神経病理研究室には,ピック病の剖検脳が数例保存されていたが,ADの脳標本は見当たらなかった.その頃,わが国におけるAD,ピック病の剖検例の集計はなされていなかった.その後,畏友の故西川喜作博士(慶應義塾大学)が両疾患の病理標本を収集し,統計的調査を行ったが,ADの剖検例は稀有であった.
 1963年,筆者は記銘・記憶力障害,嫉妬妄想で発病した63歳女性を診る機会を得た.空間失見当識,健忘失語,失行,失認などが現れ,7年半の経過で亡くなった.脳はアンモン角,海馬回の萎縮が著明で,びまん性に老人斑とアルツハイマー神経原線維変化が際立ってみられ,大脳皮質の各脳回には予想外に変化が少ない.ADと診断する自信がなかった.1972年,文部省在外研究員として欧米各国に遊学した際,まずGo¨teborg大学(スウェーデン)を訪れ,神経病理学部門でこの症例の臨床経過を口演し,日本ではADは珍しくピック病のほうが多いと話し,標本を提示した.Sourander教授は「ADがピック病より少ないというのはおかしい.この症例はまさしくADだ」と指摘された.ちなみに,その後Queen Square研究所(ロンドン)のBlackwood教授に同じ標本を供覧し意見を求めたところ,「Alzheimer-like-changeをもったtemporal lobe atrophy」あるいは「限局したAlzheimer-like-changeの1例」としたいと言う.その頃すでに英国では,ADや非ADなどの認知症の臨床・病理的な細分化が試みられていた.この頃はわが国の老年人口は7%であり,ADを診ることがまだまれであったが,スウェーデン,英国などはすでに15%を超えており,認知症の研究はかなり進んでいたのである.
 1980年代になり,やっと全国自治体による認知症の有病率や原因別の出現頻度の調査が行われた.65歳以上の在宅認知症老人の有病率は全国平均4.3%とされ,欧米諸国とさほどの違いはないが,原因別では,血管性認知症42.8%,AD 32.0%,鑑別困難な認知症14.4%,その他10.8%とされた(大塚らによる).欧米では血管性認知症とADの比率は3:4といわれている.その後わが国の高齢化率は1994年14%(欧米並みの高齢社会)に達し,ADの有病率が高くなり,欧米と同じレベルになっている.もちろん,脳血管障害の予防と治療の進歩が寄与していよう.なお,ADとされるなかに,かなりの頻度でレビー小体型認知症が存在することや,前頭側頭型認知症と呼称されるタイプが明らかにされてきた.わが国は高齢化の進行が急速で,たかだか20数年で倍増し,長寿社会を迎え認知症も急増した.ADがまれであった時代を経験した筆者には,まさに隔世の感がある.
 最近の認知症の対応は福祉に重点がおかれている.病院・診療所を受診し認知症と診断されると,とくに精神症状や行動障害が著しい場合は老人性認知症疾患治療病棟で医療を受けるが,その他は自立度のランクにより要介護認定にしたがって居宅(通所を含む)あるいは施設入所になり,介護保険サービスを受けることになる.老人保健施設における筆者の経験では,ケアするスタッフが認知症の人に対応する際,中核的な精神症状と,おかれている環境や対人関係によって生じているいわば心因的な行動障害(BPSD)とを識別して適切な介護がされない場面がよくみられる.たとえば,レビー小体型認知症で幻視が激しくみられ,対応に困惑している場合もある.その結果,抗精神病薬や睡眠導入薬が乱用あるいは長期連用されることもある.このような施設での状況を解消する手立てとして,医療側より,認知症の人それぞれについて,医学的診断,症状,治療とケアの方針など具体的な情報(アセスメント)を福祉側に伝えることが必要であろう.介護保険制度の改革のなかで,医療と介護を同時に提供できる「複合サービス」の導入が考えられているというが,医療と福祉の連携がさらに強化され一体となり,認知症の人が幸せな生活を送れるように支えていきたいと思う.そこで,初めて長寿社会の勲章の意義があろう.  

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