2010/12 老年精神医学雑誌Vol.21 No.12
不知所終 ─ 無縁社会とは無縁に ─
山田通夫
宇部フロンティア大学
幕末,長州の支藩の宇部兵は京都での戦い(禁門の変)に敗れ,藩地に逃げ帰った.その途中,はぐれて行方不明となった家臣たち19人の情報は入らず,「七月十九日 城州伏水之役(山城の国伏見の戦い)不知所終(終わるところ知れず)」と刻み,墓碑を郷里に建てざるを得なかった.これが,人の死に対する当時の地元民への責任のとり方のひとつであったと考えられる(一坂太郎著『長州奇兵隊』,中公新書).
150年ばかり飛び,今日の話となる.平成22年の夏は,連日連夜の例をみないような猛暑であった.子どもや高齢者には,水分を十分にとり,日中あまり外出しないようにとの注意が繰り返された.しかし,室内でも換気が不十分であると危険で,残念ながら熱中症による犠牲者の報道が相次いだ.
日本で2番目の長寿者として表彰の話のあった東京都足立区の111歳の男性は,調査の結果,死後30年ばかりの時間が経っており,自宅で白骨化した姿となって発見された.大きな報道になったのは,その死後,年金を家族が不正に受け取るといったようなケースがほかにも何例もあったからである.家族が故人にパラサイト化している事実を知らされ,暗然となるばかりであった.民生委員の方々のいっそうのご尽力と,個人情報保護法の本来の目的に合わせた適用が望まれる.
われわれにとって戸籍は,国民の行政サービスの基本となる住民登録とは別立てで,普段の生活にあまり影響がないこともあり,長い間その対応が不徹底な面があった.今回,江戸時代に生まれたような超長寿者の除籍作業に着手しているが,このギャップの早急な処置が望まれる.
日本人の平均寿命の計算は,戸籍によるものではないのでそのデータに問題はない.このところ長らく世界一の長寿国であることに,ランク付けの好きな日本人は納得し,自慢にもしているようである.県別の長寿者の割合のトップは島根県で,長い間1位の沖縄県は2位となった.それは沖縄の人たちの寿命が短くなったというわけではなく,若い年齢層が増えてきているからである.
しかし,高齢化が進行すると事実,働き盛りの人たちの経済的なものをはじめさまざまな負担が大きくなる.気の重くなる話題を打ち消すような泉重千代さんや,きんさん,ぎんさんの明るい言動は,超高齢社会に生きるわれわれの心を暖めてくれた.
高齢化が進行するなかで,「老老介護」や「認認介護」なる言葉が出来てしまった.外国の方々にもお願いするほど,とにかく人手不足である.介護福祉にかかわる人への手当のあまりに低いことは皆が知っていながら,介護の現場で働く人たちの心意気に頼っている現状ではどうしようもない.また,家族が自宅ですべてやろうとする場合「介護うつ」「介護自殺」発生への十分な配慮が必要となる.
日本人の平均寿命は伸び,少子高齢化へのスピードは加速するばかりの今日,長命は素晴らしいことであり,健康で生きられれば立派である.しかし,不老長寿は願望であるが,願望でしかない.「老い」「死」の問題について改めて各人がしっかりと考えてみるときでもある.緩和医療の必要性もあるが,1人ひとりの死生観についてはさまざまでそれだけで解決する問題ではないだろう.
筆者の地元の地域包括支援センターに寄せられた高齢者虐待の被害者の80%は認知症である.この対応としては,介護する家族への支援が鍵であると考えられる.無縁社会への対策はこれに始まる.
生存の確認をしないままに長寿の祝いの品を贈っていた自治体や,本人が死亡しているにもかかわらず年金を払い続けている現状を世論が激しく叱責しているが,行政のみの責任でないことは明らかである.孤独死,高齢者を食い物にする悪徳商法への対応など,精査されるべきであろうし,成年後見制度もスタートして10年となるが,どうして当初期待したほどの普及がみられないのか.
世界一の長寿国としての日陰の部分が一気に表へ出てきた.家庭や地域でできることから議論し実行すべきであろうか.多くの方からの声に,われわれ日本老年精神医学会への期待の大きいことを,改めて確認した次第である.
郷土の所在不明となっていた敗残の家臣の多くは,大坂で捕虜となり,その地で次々と亡くなったことがその後判明した.明治に入り改めて丁重に葬ったという.今,大阪阿倍野霊園にはその墓碑があり,昭和に入って顕彰碑が建てられた.人間として生死はその証であってみれば,不知所終ならぬ,人らしく知所終であらねばと念じられる.
2010/11 老年精神医学雑誌Vol.21 No.11
精神神経科医と神経内科医
中村重信
洛和会京都治験・臨床研究支援センター
高齢の精神疾患患者を診療するにあたっては精神神経科医と神経内科医あるいは老年科医が協力するとよい.
1.歴史的背景
日本神経学会は1902年に設立され,三浦謹之助(内科医)や呉秀三(精神科医)が主なメンバーとなり,機関誌「神経学雑誌」を刊行した.創刊号冒頭には三浦謹之助著の「筋萎縮性側索硬化症ニ就イテ」の論文が掲載された.内科医と精神科医が協力して船出した学会であったが,1935年に日本神経学会が日本精神神経学会と改称された.この流れは欧米におけるNeurologyの学会の進展とは異なるものであった.
1956年沖中重雄の提案のもと,内科神経同好会が設立された.1960年に内科神経同好会が日本臨床神経学会に改称され,機関誌「臨床神経学」が創刊された.その後,1963年日本臨床神経学会が日本神経学会に改称された.多くの大学に神経内科学教室が設立され,専門医制度も整備された.
一方,1986年老年精神医学研究会が設立され,1988年日本老年精神医学会に改称された.
2.専門医の問題
神経学会は神経内科医の臨床の場における存在理由を示すために,専門医制度を確立した.しかし,専門医は学会により認定されたもので,社会的な位置づけはあまり明確にされていない.
一方,専門医を系列化する流れがあり,議論の末,神経学会は内科学会の系列に属することにした.理由のひとつは歴史的に内科学講座から独立したという,わが国特有の事情によるものであった.他の理由は精神神経科や脳神経外科より歴史が浅く,内科から独立するための時間的余裕がなかった.そのような理由から内科学会のsubspecialtyとなったわけであるが,決して精神神経科や脳神経外科の方々を神経学会から排除するものではない.
もともと,専門医をいくつも併せ持つことには専門性という意味からも問題がある.たとえば,老年精神医学会専門医と認知症学会専門医を同時にもつことにも違和感を覚える.専門医の数が多ければよいというものではない.私自身は老年精神医学会の専門医であったが,自分の臨床上の専門性を考えて,老年精神医学会専門医を辞退し,認知症学会専門医になった.しかし,日本老年精神医学会には今後も微力ながら参画したいと考えている.したがって,専門医の問題と学会活動は分離して考えたほうがよかろう.
3.精神科医のすごさ;故小澤勲先生のこと
1957年京都大学医学進学課程に入学したとき,同級に小澤君がいた.語学力など,すばらしい才能があり,将来を期待していた.卒業後精神神経科に入局し,アスペルガー障害などの児童の精神医学的研究をしていた.
ところが1990年代,私が広島大学に着任してまもなく,小澤先生は広島県三原市の小泉病院にやってきた.小泉病院はJR三原駅から西の方へ車で30分ほど行った山の中にあり,そこに立派な精神病院が建っていた.
それまで,私も知り合いであった谷本康子先生のところで認知症患者さんに囲まれた幸せそうな小澤先生がおられた.都会的な雰囲気のある先生が認知症の方々と同じようなトレーナーを着て,サンタクロース役をしたり,屋台でおでんをふるまっていた.当時,神経疾患の遺伝子の研究にのめり込んでいた私など神経内科医には真似のできない世界であった.小澤先生はその当時の経験をもとにして,認知症の人の心を見事にとらえられて,名著を世間に問われた.「さすが」と敬服せざるを得ない.
4.神経内科医も役に立つよ
2週間ほど前のカンファレンスで神経内科医が新患を紹介した.65歳の男性が45歳の時,胃がんのため胃全摘,膵臓の部分切除をしていた.
2010年8月31日意識障害にて緊急入院した.家族の話によると記憶障害と下肢筋力低下があり,体重が減少していた.しかし,摂食量は正常で飲酒歴もなかった.行為や会話の内容はすぐ忘れるが,計算はできた.注視性眼振があり,筋力低下,感覚障害,下肢の浮腫も認められた.腹部MRIにて十二指腸がblind loopになっていた.血中ビタミンB1濃度は12 ng/ml(正常値>28 ng/ml)と低下していた.神経伝導検査により,感覚伝導速度が低下していた.ビタミンB1の投与により症状は改善した.ビタミンB1は十二指腸より吸収されるため,手術により,脚気・ウェルニッケ脳症が起こったと思われる.
5.まとめ
高齢者では一人で多くの病気を抱えているため1),老年期の精神疾患を診療するには精神科医と神経内科医あるいは老年科医が協力して診療に当たるのがよいと思われる.1902年当時の初心に戻って診療したいものである.
[文 献]
1)精神保健福祉研究会(監):我が国の精神保健福祉(精神保健福祉ハンドブック).平成16年度版,太陽美術,東京(2005).
2)山口成良:精神科病院における老年精神医学.老年精神医学雑誌,16(1):89-93(2005).
2010/10 老年精神医学雑誌Vol.21 No.10
精神科病院外来新患患者で認知症の増加
山口成良
松原愛育会松原病院名誉院長,金沢大学名誉教授
わが国の精神疾患の最近の動向として,(1)統合失調症の軽症化,(2)気分障害の増加(自殺の増加),(3)摂食障害の増加,(4)ストレス関連障害・身体表現性障害の増加,がいわれている.それに加えて,筆者は認知症患者が増加していることを強調したい.
図1は,平成14年度の厚生労働省精神保健福祉課の全国患者調査より作成したもので1),外来患者では,気分障害(30.5%)が最も多く,次いで統合失調症圏(23.7%),神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害(22.0%),てんかん(11.2%)となっている.認知症はアルツハイマー病(3.1%)と血管性および詳細不明の認知症(3.8%)を足しても6.9%である.これは外来通院中の患者もおれば,新患患者もおるということで,新患患者だけの趨勢をみることはできない.
図2は,筆者の勤務しているM病院の新患患者の疾患別の推移をみたものである.新患とは内科,精神科を含めて初めてM病院を受診した新規患者を意味しており,平成21年度(4〜3月)は1,000人を越えているが,そのうち精神科だけの新患患者は876人である.これをICD-10に従って疾患別に%をみると,症状性を含む器質性精神障害(F0)が25.6%(224人)と最も多く,次いで,気分(感情)障害(F3)が23.3%(204人),神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害(F4)が16.4%(144人),統合失調症,統合失調型障害および妄想性障害(F2)が12.8%(112人)と続いている.図2からもわかるように,平成19年度から症状性を含む器質性精神障害(F0)の割合が最も多くなっている.F0のなかには,アルツハイマー病型認知症や,血管性認知症や,その他の認知症が含まれており,巻頭言のタイトルのように,精神科病院新患患者で認知症が増加しているわけである.
かつて本誌において筆者2)は,「今後のわが国の精神科病院において,認知症を含めた高齢精神障害者の老年精神医学的アプローチが最重要である」と述べた.その予言のごとく,精神科病院新患における認知症患者の増加について,その対策として,現在医療費で認められている,重度認知症患者デイ・ケア,認知症治療病棟入院だけでは追いつかない感じがする.そこで介護保険による介護サービス,介護予防サービス,地域密着型サービス(認知症対応型通所介護,認知症対応型共同生活介護)などが必要となると思われる.いずれにしても,精神科病院外来新患患者における認知症の増加について,その医療・介護対策のシステマティックな構築と実施が早急に望まれるところである.
[文 献]
1)精神保健福祉研究会(監):我が国の精神保健福祉(精神保健福祉ハンドブック).平成16年度版,太陽美術,東京(2005).
2)山口成良:精神科病院における老年精神医学.老年精神医学雑誌,16(1):89-93(2005).
2010/9 老年精神医学雑誌Vol.21 No.9
これからの老年精神医学
石井 毅
興生会 相模台病院
わが国で老人の精神医学が最初に取り上げられたのは,昭和29年の日本精神神経学会総会シンポジウム「老人の精神医学」で,演者は金子仁郎,新福尚武,猪瀬正であった.しかし,昭和30年代には学会でも,精神科の臨床でも老年の精神障害はあまり問題にならなかったと記憶している.当時,アルツハイマー病は60歳前に発病するまれな疾患で,見いだされた場合は一例報告の対象となった.群馬大学の前田進先生の報告した26歳のアルツハイマー病の一例は,衝撃的であった.1980年ころから老年痴呆とアルツハイマー病は同一の疾患と考えられ,アルツハイマー型老年痴呆と呼ばれるようになったのは,周知のことである.そのころから,65歳以上の高齢人口は急速に増加し,平成22年9月には65歳以上の高齢者は全人口の23.1%,2941万人に達しており,これに伴い高齢者のうつ病,認知症その他の老年精神障害は著しく増加している.このような状況のなかで,日本老年精神医学会が設立され,専門医制度も創設されて,発展しているのは,当然とはいえ喜ばしいことである.しかし,現在の精神医療のような精神科病院中心の体制で増大する老年精神障害に対処できるのか,私はこの機会に,これからの老年精神医学のあり方について考えてみたい.
老年精神医学の主な治療対象を挙げれば,認知症関連疾患,うつ病,不安障害であろう.認知症の患者で老年精神医学的に最も問題になるのは,せん妄,徘徊,物盗られ妄想,その他のいわゆるBPSDと呼ばれる状態で,そのために精神科を受診するといっても過言ではない.相模台病院では平成9年に46床の療養病棟を開設したが,1年間の入院患者60人のうちアルツハイマー型認知症は38例で,ほとんどが著明なBPSDを伴う症例であった.しかし,これらの患者のBPSDは治療により急速に軽快し,その後同病棟への入院希望者は徐々に減少している.さらに私は平成5年から4年間,厚木保健所の厚木,愛川町地区の「老人性痴呆疾患相談」を引き受け,訪問面接を行った.総数46例のうち,アルツハイマー型認知症が20例,血管性認知症が14例であった.しかしBPSDを伴うケースは少なく,徘徊が1例,物盗られ妄想1例のみであった.患者のおかれた環境は実に多様であったが,精神科を受診した症例は1例もなかった.また平成4年より近くに新設の老人ホームに月一度,精神科の往診を行ってきた.当初は活発なBPSD症状をもつ患者もみられたが,しだいに様相が変わってきて,18年後の今日,精神科医の診療を要する患者は4人になり,最近私は訪問診療を中止した.しかし,ホームの入所者には急速に認知症が増加しており,半数に及ぶと思われるが,いずれも軽症で,ホーム職員によりケアされてほとんど問題がない.また,私は相模台病院の外来で,しばしば近くの内科クリニックから認知症およびうつ病の患者を紹介され,助言を求められるが,内科医の処方をみると,すでにドネペジルおよび抗うつ薬が投与されており,多くの患者が内科のクリニックを受診していることを知った.以上述べてきたことを要約していえば,地域の家庭,あるいは独居老人,老人ホーム,特養その他のケア施設には多数の認知症,うつ病の患者がいるが,それぞれの場でケアされており,トラブルの際も,なるべく近所の内科医に相談し,とくに精神科を受診することはまれのようである.このような実情をみると,軽症の場合,認知症やうつ病に対する老年精神医学の関与は薄いといわざるを得ない.さらに,ほとんどの高齢者は何らかの身体疾患をもっているが,老年精神障害者も例外ではない.嚥下性肺炎その他の呼吸器疾患,成人病,循環器疾患,腎臓障害など,多種多様である.そのため,精神科単独の診療態勢になじまない患者が多数を占めていると考えられる.
このような高齢者医療の状況にもかかわらず,現在の精神科医療は,大学精神科と関連する単科の精神科病院が主流で,しかも,そのほとんどが郊外に偏在しており,老年精神障害の患者に対する対応は困難であろう.居住地の患者に対して,精神科クリニックは増加しているが,いまだ少数であり,十分な対応はできていない.
上述のような高齢者医療との関連を考慮すれば,老年精神障害の診療は高齢者の居住地に近いことが重要であり,また,高齢者の身体合併症を考えれば,精神科の診療も他の一般診療科と協力(リエゾン精神医学)しながら行う必要がある.さらにまた,高齢者医療と介護は切り離せず,家族および各種の介護施設および介護職との協力も大切であろう.したがって,老年精神科診療も,居住地における包括的な高齢者医療介護の一環として行うべきではなかろうか.最近,各地に設立されている高齢者医療センターでは,すでにそのような取組みが始められているが,さらに広く各地の地域的な医療介護ネットワークに参加していくべきであろう.
2010/8 老年精神医学雑誌Vol.21 No.8
「ひとり老い」を支えるもの
清水 信
静心会常盤台病院
筆者は先ごろ,後期高齢者の仲間入りをした.昭和1桁生まれで,当時「国民学校」と呼ばれた小学校6年のときに戦争の終結を迎えたが,平和のおかげで生きながらえ,精神科医としての体験を重ねながら今日を迎えることができた.
思えば戦時中,日本の若者の大多数は,それほど遠くない死を意識して日々を生きてきたといえる.この時代と対照的に,先進諸国はこぞって高齢化社会に突入しており,かつての若者も次々と高齢期にはいっている.生活水準の上昇で,GNP(国民総生産)は上昇し,社会は豊かになったといわれるが,高齢者の実情には楽観できないものがある.
最近,「国家戦略上の指針」として,「幸福の尺度(幸福度)をなにに求めるべきか」について政府内で専門家を交えた検討がなされ,近日中に一応の結論が出される予定と聞いている.調査の詳細はわからないが,デンマーク,フィンランド,ノルウェーなど,福祉の充実した北欧諸国での得点が高く,比較のための日本でのアンケート調査の得点はこれと比べて「意外に」低かったという.また,幸福度とGNPとの相関は,やはり高いといえないようである.
結論的に,国民は社会の現状に満足していないが,問題はこの部分を(とくに弱者に対する)公的サービス,国家的な施策でどこまで支えられるか,あるいは「支え合い」などの民間の支援組織で補えるか,ということになろう.「経済的な成長があまり期待できない今のようなときこそ,物質的な豊かさから,精神的な豊かさへの転換が必要」と考えられている.
聞き慣れない言葉だが,マスメディアなどで「無縁社会」という言葉が最近用いられている.高齢者ばかりでなく,郷里を離れ,独立・自立した結果,仕事のなかへと孤立していく人々を多く含む現代の世相を指す言葉のようである.終身雇用が崩れ,不安定な状況のなかでの競争に,高齢は強い追い討ちをかける.無縁社会のなかでの「ひとり老い」を家族に代わって支える数少ない絆として,NPOの活動が始まっている.葬儀などの死後の手続きや,入院の世話などを家族に代わって引き受けるNPOと契約し,利用しようとする人々,とくに高齢者は,今後さらに増加するとみられている.家族をもたない人たちはもちろん,子どもと離れて暮らす人々,未婚の高齢者,兄弟がいても互いに高齢で支援を期待できない人々も含まれている.
この種の活動を行うNPOに対して,われわれは個人としても,本学会などの団体としても強い関心をはらう必要がある.われわれの税金がこのような民間の組織に潤沢に注がれることを要請したい.
身寄りのない認知症高齢者が,他人から経済的虐待を受けたり,不利な賃貸契約を結ばされないために,親族に代わって首長が成年後見法の適用を申請し,弁護士などの後見人を立てることができる.しかし,制度と手続きについて行政側の理解が不足しているためにこの制度の趣旨が生かされていないという指摘が,従来から専門家によってなされてきた.最近の報道によると,この制度は平成12年に始まったが,従来から自治体の首長による申請は少なかった.平成19年ころから大阪,川崎,神戸などの都市で徐々に増加しているが,本格的な活用は今後の課題といわれる.
堅い話ばかりになったが,最近テレビで紹介された1人の高齢者の話で終わりたい.
40年間仕事中心で過ごし,他人との交流も少ないAさん.心臓の持病を抱えていたが,数か月前に妻に先立たれ,その後は毎朝オルゴールを聴きながらひとりで亡き妻にあいさつし,自宅に閉じこもる生活が続いていた.たまたま,病の妻が一緒に行きたいと願っていた名所のメモを見つけたのを機会に,妻の写真をプリントしたシャツを作り,それを着て名所めぐりを始めた.見知らぬ人たちから旅先でプリントの説明を求められ,会話が始まった.それ以来,他人との会話に慰められ,未知の人々との交流が始まった.これをきっかけに同じマンションの女性たちとの交流が始まり,手料理をもらったり,励まされたりで心が外を向いてきた.
朝6時に起きると,マンションの女性たちに渡された赤い布の玉を玄関口に提げるのが日課になっている.「赤い玉が出ていなければ,すぐだれかが見に来る」仕組みである.「自分はひとりでなく,まわりの人に支えられている」と感じ,「できるだけ外に出て近所の人に話しかける」ようになった.「人とのつながりが命綱と思う,切れたらおしまい,自分はひとりじゃない」.新たなつながりがひとりで生きる老いを支えていた.
2010/7 老年精神医学雑誌Vol.21 No.7
本誌発刊20周年を迎えて
平井俊策
群馬大学名誉教授
「老年精神医学雑誌」も発刊以来20年を経過したとのことで最初から本誌に関係してきた者の一人として感無量である.この巻頭言の執筆を依頼された機会に当時のことを振り返ってみたい.
1990年というと時代背景としては世界的にベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一された年であり,日本では現在の天皇が即位された年であった.老年精神医学で最も問題となる認知症については,アルツハイマー病の成因に関する研究がかなり進んできた時期である.アルツハイマー病においてアセチルコリン系の活性低下が見いだされマイネルト核との関連が話題になったのは1980年代であったが,1985年にはアミロイドβタンパク(Aβ)が発見され,1990年にはいるとAβが切り出されるいわゆるAPP処理の分泌経路が報告され,1991年にはアミロイド前駆体タンパク(APP)遺伝子の変異による家族性アルツハイマー病の最初の報告がなされ,分子遺伝学の面からの重要な発見が次々となされてきたころであった.1988年に筆者らはびまん性老人斑を,また1990年にアルツハイマー病の診断マーカーとして髄液中のα1-アンチキモトリプシン(α1-ACT)を報告したが,これらも懐かしい思い出である.その後のアルツハイマー病の研究の進歩については私からの多言を要しないであろう.わが国で高齢者が急速に増加し,各方面からその対策を急がなければならないことは,それ以前から識者の指摘するところであったが,1989年には厚生省(現在の厚生労働省)も高齢者保健福祉推進10か年戦略,いわゆるゴールドプランを実施し老人性痴呆疾患センターを創設した.
日本の老年精神医学会について振り返ってみると,長谷川和夫教授が国際老年精神医学会(IPA)からの要請で総会を日本で開催することになったことを契機に,その受け皿となる日本での学会を作ることになり,その第1回と第2回の研究会が1986年と1987年に開催された.第1回は精神科の先生だけが世話人として参加されたが,私も1970年代初頭から痴呆の研究に従事していたご縁もあって第2回の会から世話人の一人としてお誘いいただいた.当時は神経内科で痴呆の研究をしていたのはまだ少なかったので,神経内科側の世話人は私のみだったと記憶している.第2回の研究会は大阪大学医学部精神医学教室で当時の西村健教授を会長として行われた.日本における最初の国際会議は名誉会長金子仁郎大阪大学名誉教授,会長長谷川和夫教授のもとで1989年に東京で開催され盛会であった.思えば本誌が創刊されたのはこのような時代であり,時代の要請に合った専門誌の刊行であった.
その後の主な痴呆関連のニュースとしては,1999年に抗痴呆薬アリセプトRが日本でも市販が認可された.これは日本の開発薬であるが,アメリカでの治験が先に終了して認可されていたものであり,現在でも最も使用されている抗痴呆薬であることは周知のとおりである.さらに2000年には介護保険制度が発足した.2004年には痴呆という言葉が差別的であるとして厚生労働省の検討会が行政用語としては「認知症」という言葉を使用することを決め,マスメディアなどではこれを使うことを提唱した.当初この言葉は学術用語としては不適当であるし,学会が正式に認めたものではないとして批判が多かったが,しだいに一般に使われるようになり,学会でも「認知症」という言葉を使わざるを得ない状態となり,今日に至っている.その後「認知症」という言葉が世間的に広く使われだしたことは結構ではあるが,さまざまな原因があることが十分に認識されず,「認知症は治る」とか,逆に「認知症は治らない」とか各種のタイプが一緒に議論されたり,患者さんに対する対応が画一的になされたりするのを見るにつけ,もう少し専門家による社会的な啓発が必要であることを痛感している.なお日本では2007年に再度IPA総会が大阪で大阪大学精神医学教室の武田雅俊教授を会長として開催されたことは記憶に新しいところである.東京での第4回から実に18年目であった.
以上,本誌の創刊以来20周年目の巻頭言として,この間の主な出来事を思い出すままに記した.
2010/6 老年精神医学雑誌Vol.21 No.6
認知症の街ぐるみ支援ネットワークの構築
赫 彰郎
日本医科大学理事長
認知症患者は増加傾向にあり,その頻度は高齢者の約10%と推定されている.さらに25年後には445万人になるともいわれ,認知症は医学・医療のみならず社会的にも大きな関心が寄せられている.
たしかに,認知症の早期診断技術,治療・ケア等で一定の進歩がみられるものの,独居老人,高齢者夫婦のみの所帯の増加,家族,隣人の認知症に対する理解や認識が不十分,かかりつけ医(非専門医)の認識不足等により,早期診断,早期治療,介護等必ずしも十分に行われていないのが現状である.
認知症対策は医療や介護の面のみではなく,患者家族をはじめ周囲の人たちが十分な理解をもって当たらねばこの問題の解決はむずかしい.今回,本学老人病研究所が中心となり「認知症の街ぐるみ支援ネットワーク〜早期発見から介護まで〜」(初代統括責任者:川並汪一老人病研究所所長)の研究プロジェクトを立ち上げた.本プロジェクトは平成19年度の文部科学省 私立大学学術研究高度化推進・社会連携事業に選定されたことにより,研究助成金を受けることができ,本研究プロジェクトを進めている.
プロジェクトの組織は川並前統括責任者をはじめとする先端基礎医学研究グループ,北村伸准教授(現統括責任者),学外から参加いただいている本間昭先生をはじめとする認知症専門家グループ,一般臨床グループ,また,地区医師会,川崎市経済局,健康福祉局,街づくり局,各種団体(地元NPO法人,町会,劇団,家族の会,老人クラブ,介護施設,社会福祉協議会,有料老人ホーム)の方々等からなる.地区医師会,地元各種団体からは,住民や患者の紹介,啓発公開講座,よろず相談を担当していただいている.川崎市の人口は140万人,対象となる老人病研究所のある中原区の人口は23万人である.
本プロジェクトでは,一般市民,行政,地域のかかりつけ医,専門医療機関,介護施設,企業,認知症を介護する家族,地域の老人会やボランティアグループ等とネットワークを構築することから始めた.そのネットワークを基盤として,老人病研究所の成果を広く社会に還元すること,また,基礎医学者と認知症専門医と共同で認知症早期発見,診断,治療,ケア等について検討し,“健康川崎街づくり”を達成することが目的である.このプロジェクトの意義は,認知症についての社会連携ができることにより,認知症の早期発見と認知症になっても患者さんが安心して,できるだけ長く住み慣れた街になじみの人々と生活できるということである.
そこで,本学武蔵小杉キャンパス内に認知症相談センターを創設し,ここでは市民の認知症の早期発見のスクリーニングを行い,認知症についての相談に対して解決へのアドバイスを行っている.さらに,認知症相談センターはかかりつけ医,専門医,介護に携わる人々と密接な連携を促進し,患者と家族を街ぐるみでケアする.
当センターに訪れる方の多くはもの忘れが心配で来ているが,そのほかには,周辺症状,成年後見制度,治療薬,介護疲れ,病名告知等さまざまな相談等ある.相談者数は2010年1月末までに1,351人で,相談者の30%にもの忘れが始まっている疑いがあった(センターでは認知症という言葉は使用しないようにしている).かかりつけ医に検査結果を記載したものをつけて報告し,そのうち154人について自院や専門医への紹介等を通じて診断や治療に進んだことがかかりつけ医からの返事で確認されている.かかりつけ医がいない人には住居近くの診療所を見つけて紹介をしている.
認知症早期発見の試みとして,臨床診断,MMSEの結果と対応しながら,タッチパネル式コンピュータとDimensionを用いた脳電位解析により検討し始めている.
認知症の啓発活動も並行して行っている.2008年2月に川崎市と共催で認知症フォーラムin Kawasakiを開催し,認知症になっても安心して暮らせる街づくりについて理解を深めてもらった.2008年12月には川崎市と共催で認知症国際フォーラムを開催し,最新の認知症診断,治療等について紹介し,また,日本および海外における街ぐるみケア・システムについての現状と将来の課題を市民に紹介した.また,介護職と医療との連携を促進するために,ケアマネジャー,介護スタッフ,社会福祉士,看護師,医師のカンファランスを開催し,公演と事例研究を行っている.これらの試みは,認知症の街ぐるみの医療連携の構築と促進に役立っている.
本プロジェクトも3年目にはいり,関係者の努力により多くの成果がみられてはいるが,市民の認知症についての理解はまだ不十分であり,さらに理解を深めることが必要である.市民だけではなく,すべての医師にも必要と考えている.本学を中心とした社会連携事業は,これから計画を進める地域のモデルとなることも考え,計画している本学の武蔵小杉病院建て替え時には,認知症相談センターのさらなる充実と,安心,快適に住める街づくりを念頭に,医療・福祉・文教の核となる病院造りを目指す考えである.
2010/5 老年精神医学雑誌Vol.21 No.5
老年心身医学から老年人間医学へ
新福尚武
ライフ・プランニング・センター
老年医学は老年精神医学を配下に取り込むことでその展望を急速に拡大し,その実績を予想以上に豊富なものにすることになったが,このことは人間は年をとるにつれて心の問題が急増し,その対応に困り果てることが多くなるという事実を裏書きしたものである.
ここに老年の精神医学がもっと発展しなければならない根本的理由があるが,見方を変えていえば老年期にはいった人間は積極的に健康,幸福のために配慮した生き方をしていかなければ苦悩に陥ることが多くなりがちなことが示唆されるのである.
老年期にはいろいろの心の問題が生じやすいが,症状は心の領域にとどまらず,身体領域にも,社会領域にも,その他さまざまの領域にも出現しやすいので,それらについての正しい理解,正しい対応がなされない限り老年期は暗い悩みの多いものに,あるいはさらに不安,絶望に陥りやすいものになりやすい.だから老年期にはいったらどう生きるべきかを真剣に問い,真剣に考慮していかなければならない.老年期こそ真の人間医学の開花が求められる時期といえる.
さて心身とか心身相関とかいうときにはすでに人間の二元的取り扱いがなされているのであるが,二元的扱いはどこまで行っても二元の桎梏から解放されることがない.並行的捉え方でも,相互作用的捉え方でもまったく同じで,もし違うところがあるとすればせいぜい捉え方の徹底度にあるだけで,いずれも究極の問題解決には程遠いものであることを確認しなければならない.
二元論には心の側に重きをおくものと,身の側に重きをおくものと,派としての違いはあるが,重さそのものには違いはなく,客観的基準も,確証もなく,あるのはただ主張の強弱だけである.心に重点をおく臨床家は心の役割を強調し,身に重点をおく臨床家は身の役割を強調するだろうが,主張はどこまで行っても真の解明にはつながらずただの水かけ論でしかない.
心身医学は医学史上では重要な役割を演じたものであるが,結局は過渡期的なもの,つまりやがて乗り越えられなければならないものになっている.しかしその理論的乗り越えは容易ではない.心理一元論でも駄目,身体一元論でも駄目,心身二元論でも駄目だからである.そのことはこれまでの臨床医学の歴史がよく証明している.
ここで登場してくるのがただの一元論でも,ただの二元論でもないまったく新しい内容の人間医学であるが,その人間医学は心と身の統合や融合などの産物というようなものではなく,生きた臨床の,生きた人間との直接接触の産物である.
この段階になるとこれまで心身医学という名称で取り扱われてきものが実は過渡期的なものであることがはっきりしてくるので潔くそれを投げ捨て,その亡霊から離れて人間医学という新名称を堂々と掲げていきたいのである.人間医学とは人間の医学というだけのものではなく,新しい人間の捉え方,接し方で明らかになった人間の真実に迫ろうとするものである.人間というユニークな存在,単に生きているというだけのものではない,独自的,個性的,創造的に生きている人間であるが,それをさらに発展させたい願いをもって,その診療と研究に従事する人間的活動の本拠となるものであることを強調したい.
老年医学の将来についてはいろいろ考え直さなければならないことがあるが,鍵になるのは老人の生き方で,その生き方に関するあらゆる要素をしっかり考え直し,仕組み直していかなければならないと思う.
これまでの老年精神医学は人間の悩み方,苦しみ方,治り方,環境への対応の仕方などで自由度の狭い世界に追いやられたものの取り扱いになりがちであったが,これからの老人は悩み苦しみをあるがままに受け入れ,あるがままに乗り越え,あるがままに生きていくことによって真の老人らしさを自覚していくものであるから,その医学はただの庇護的,援助的なものではなく,より積極的な,より発展的なものに変わらなければならない.そのような医のあり方を共に研究し,共に実践していくこと,これが新しい人間医学の方向,進む道なのであるまいか.
21世紀の老年人間医学の進路次第では,あるいはオートポイエーシス(autopoiesis,自創成)を加えることもありうるであろう.
2010/4 老年精神医学雑誌Vol.21 No.4
認知症精神医療における地域連携の重要性
大森健一
獨協医科大学名誉教授,滝澤病院理事長
私が精神科医として診療に従事したのは1964年であった.それからすでに45年が経過した.時の流れの速さに唖然とする思いがある.しかしこの半世紀,日本の社会状況にも,それを体験したものでなければ実感できないような大きな変化があった.そのひとつが長寿社会の到来である.物資は豊富に溢れ,交通は利便となり,生活環境は改善し,健康に対する配慮,さらには医療技術の進展もあり,日本は世界一の長寿国であり続けている.統計的予測によれば,わが国の65歳以上の高齢者は2045年には全国民の30%を超え,また今後10年ほどすると後期高齢者の実数が前期高齢者のそれよりも上回る事態が起こると予測されている.さらに一人暮らしあるいは夫婦のみで暮らす高齢者世帯の増加も著しい.
このような状況にあって当然精神障害を病む高齢者が増加する.認知症の出現率は加齢とともに高まり,とくに後期高齢者ではその出現率は加速し,80歳を過ぎれば4人に1人は認知症になるといわれている.平成27年には全国で250万人,さらに将来は300万人を超えるであろうと推定されている.また高齢期の健康問題,経済生活問題に悩み,うつ状態に陥る高齢者も介護者家族も出現し,さらには自殺,心中,あるいは虐待に至る例さえも少なくない.
このような状況は,当然精神医療の世界にも反映して,精神科外来を訪れる高齢者は年々増加し,入院に至る例もしばしばである.なかでも認知症の患者がこのように精神科を受診する状況は45年前には実感できなかったことである.
この認知症の高齢者に接していていつも思うのは,当の患者をめぐる人々,家族,ヘルパー,他科の医師など含めて多くの職種の人々との連携の重要性である.これがなければ十全な医療は成り立たない.たとえば認知症の高齢者はその多くの者が,認知症以外のさまざまな身体疾患に併せ罹患していることがしばしばである.それゆえ地域の内科,整形外科,眼科などを受診し治療を受けている.そこではたとえば薬の使用に関しても十分な情報交換が重要である.また最近では多くの高齢者がデイサービス,ショートステイ,あるいは施設入所を利用している.また市町村保健センターの保健師,あるいは福祉関係の職員,地域包括支援センター,ヘルパー等の援助を受けている.これらの人々と精神医療の連携が大切である.認知症を病む人が地域で幸せに人生を送るために,上記共同作業のひとつとして精神医療が存在し,十全な協力のもとにその役割を果たすという体制である.
平成21年11月の栃木県の地方紙にアルツハイマー型認知症の男性とその妻による,「認知症を受け入れるということ」と題した講演が宇都宮市の事業の一環,認知症サポーター養成講座で行われたことが掲載された.男性は「外に出れば多少は自分の気持ちも晴れるし,病気の進行も穏やかでいられると思う」と述べ,妻は「認知症をまわりの人が理解してくれるとスムーズに外に出て行ける.なにかあったときは注意するのではなく,さりげなく支えてほしい」と述べたという.ここから連想されるのは認知症高齢者を地域で支えることであり,精神医療もそのひとつの役割を多くの人々との連携のもとに果たすということである.
実は栃木県では県高齢者支援計画「はつらつプラン21」のひとつとして地域認知症対策の推進が企画されている.その内容としては(1)認知症に関する理解の促進と家族等への支援,(2)医療との連携による早期発見・早期対応,(3)認知症ケアの質の確保・向上,(4)高齢者虐待防止対策の推進などが挙げられている.具体的には(1)としてはキャラバンメイトの養成とそれによる認知症サポーターの養成などで住み慣れた地域で安心して暮らせるように認知症に関して一般人の正しい理解の促進を図ること,(2)としては高齢者が日頃受診するかかりつけ医の認知症患者およびその家族に対する理解を深めてもらうこともその対策のひとつである.(3)としては認知症の介護に当たる介護職および各種事業所の職員の認知症介護技術の向上を図る必要がある.またC認知症高齢者に対する虐待も大きな問題である.平成19年度栃木県では虐待があったと判断された件数は158件であり,被虐待者の80%が女性で年齢別では78%が70歳以上,71%が介護保険の認定者で,その79%に認知症が認められた.高齢者虐待に至らないよう家族および介護者をサポートすると同時に早期発見・早期対応が重要である.一方で精神科医としては,認知症患者の家族に対する暴力,暴言のケースを相談されることも少なくなく,この事態への対応も十分検討しておく必要がある.
以上,認知症の対応に対する地域でのあり方について述べた.認知症医療,介護に関係する,地域包括・在宅介護支援センター,老人福祉施設,老人保健施設,認知症高齢者グループホーム,認知症疾患医療センター,医師会,家族会,自治体などが問題解決に手を組むことが大切である.しかしいずれの分野の活動についても精神科医あるいは認知症を専門とする医師が関与し,連携をとって進める必要がある.たとえば,認知症患者に接する人がとくに悩まされる認知症周辺症状,BPSDにしても,早期発見できて,医療,介護,家族との連携がうまく構築されているとその出現率が意外に低い印象がある.
精神科医は率先して認知症医療・介護の連携に現在以上に取り組むべきであろう.
2010/3 老年精神医学雑誌Vol.21 No.3
だれのための認知症治療であるべきか
小田原俊成
横浜市立大学附属市民総合医療センター精神医療センター
現在,アルツハイマー型認知症をはじめとする根治的治療法をもたない認知症疾患の治療目標は,患者のADLおよびQOLを維持することであり,認知症の早期診断・早期治療導入が重要であることは患者・医療者双方にとって異論のないところである.しかし,患者サイドからすると,診断イコール即治療の開始とはならない.判断能力が保たれる病初期の情報提供は重要であるが,治療(医行為)そのものの是非および治療法の選択に関する判断は患者自身に委ねられ,治療によるリスクとベネフィット,その人を取り巻く経済社会状況や人生観など,諸々の要因を勘案して患者が治療方針を自己決定することになる.もの忘れ外来は軽度認知障害(MCI)および早期認知症の受診者が増え,近い将来アミロイドワクチンをはじめとするdisease-modifiying drugが臨床応用される時代が到来すると,認知症治療における「説明と同意(IC)」の問題はますます重要な意味をもつことになろう.
しかるに,認知症患者の周辺症状(BPSD)および身体合併症に関する治療の現況はどうであろうか.BPSDの治療は,通常個別の心理社会的アプローチが優先されるが,ケアに関するエビデンスの乏しさから,とられた対応の評価が困難な場合が少なくない.認知症の専門医を称する筆者に相談があったときには,すでにケアの工夫のみでは対応困難と総括されたあとであったり,介護主担者が燃え尽き寸前であったりするので,こちらも「何とかしなくてはならない」という思いから,仕方なく(?)漢方薬や気分安定化薬,抗精神病薬等の処方を外来で行う機会が多い.こうした経験は本誌の読者にも少なからずあるのではないだろうか.日本に限らず,包括的な認知症診療ガイドラインを有するイギリスにおいても,BPSDの治療として安定薬の処方量は増加し,専門医の間でも薬物投与の判断基準や処方内容に一貫性がないとする報告があり,どの国も似た状況にあることが推察される.ここで常々気になっているのが,BPSDに対する薬物療法の是非は,多くの場合,患者以外の者が判断を行っている点である.「施設退去を求められることは,本人にとって不利益である」「行動障害の改善は患者にとってのベスト・インタレストである」という理由をカルテに書き留めてみたところで,詭弁を弄した感を払拭できるものではない.抗精神病薬の投与が保険外使用であることやFDA勧告の内容を伝えるのは,ほとんどの場合,患者家族や施設職員であり,精神科治療全体を俯瞰しても,外来診療において死亡率が上昇する(かもしれない)適応外処方薬を,本人の十分な理解と同意なくして長期間処方している状況はほかにないように思う.判断する立場の家族もさまざまであり,介護者としての適性に問題があるようなケースに限って,薬で何とかしてほしいと要求してくる.単身者に至っては,治療的側面のみが取り上げられてしまう.代諾者の資格や資質について十分な議論が行われていないことも問題であると思う.
身体合併症治療についても,しかりである.筆者の勤務する施設は精神科救急基幹病院であることから,まれに認知症措置症例の受け入れを行う機会がある.先日,入院後検査で悪性腫瘍が発見された症例を経験した.認知機能障害は軽かったので,本人に検査結果の説明を行い外科的対応を勧めたが,被害念慮の存在が妨げとなり,治療を拒否されてしまった.しかし,ご家族が身体的治療を切望されたため,一時他院の認知症治療病棟で精神科的治療を行い,再度本人にICを行ったうえで,無事手術を行うことができた.本例は,当初より家族や主治医・身体科医が患者の利益について十分に検討できた事例であったが,当然ながら代諾者である家族の想いが治療方針の決定に最も影響を及ぼしている.単身の患者であったら,と振り返ると,同じ結論に至ったか,いまだ自信をもてずにいる.かりに家族がいた場合でも,導かれる治療方針は一様ではない.治療に標準的手法はあっても,その選択過程には個人(家族)の考え方や判断能力という要因が関与しており,医療者の立場にとって最良の選択がとられるとは限らない.
筆者は法学に関してはまったくの素人であるが,専門家に聞いた話では,日本の後見制度で選任された後見人は,医行為の代諾者とはならないとのことである.イギリスでは2005年法が制定され,身上監護に対する後見が法的に認められるようになったと聞く.これも種々の矛盾に翻弄される臨床現場の声から生み出された制度と想像する.今後,わが国においても,だれのための認知症治療であるべきなのか,声なき認知症高齢者の代諾者の資質の議論を含め,代諾制度の整備を進めてもらいたいと願っている.
2010/2 老年精神医学雑誌Vol.21 No.2
高齢者の医療,雑感
佐藤 新
東京都立神経病院神経精神科
森鴎外のお墓が三鷹市にあり,先日の冬晴れの日,散歩がてらに出かけてきた.鴎外が歴史小説を書き始めたのは50歳,亡くなったのは60歳のことであるという.昨今の高齢者よりかなり若い年齢で心理的晩年を迎えていたのだろうかとか,晩年というのはかなりの程度に相対的なもので,人は残された自分の時間に反比例して歴史的風景の深さを意識するのだろうかなどとまた他愛ないことを考えた.
夏目漱石が亡くなったのは『明暗』を連載中の50歳のことであるし,また45歳で結核に倒れた二葉亭四迷の『平凡』の冒頭は次のような文章で始まっている:私は今年三十九になる.人世五十が通相場なら,まだ今日明日穴へ入らうとも思はぬが,しかし未来は長いやうでも短いものだ.── わが国の平均寿命が50歳を超えたのはようやく昭和22年のことである.
ところで私が今よりは若かった時分,年輩の人を患者として前にして,自分が治療者たりうるのかと不安になることをしばしば経験した.それは精神科医として受け止めるべき課題であると教えられたりもしたが,今にして思えば本当は起こるべくして起こった不安であったのではないかと思うときがある.ある知人は,「患者の立場としても経験豊かな医者のほうが安心できるのは当然だ」と言う.技術的側面もさることながら,経験に基づくパースペクティブが醸し出す雰囲気が違うということらしい.
われわれが高齢者の医療というときには,当然のことながら患者の年齢を問題にしているのであって,普通は医師の側の年齢を取り上げているのではない.しかしたとえばすでにC. ミュラーは,老年精神医学における医師の側の加齢の問題にふれており,それは否定的なものでもなければ,逆に推奨すべきものでもないといったことを述べている.生あるものは時の流れの外に立つことは許されない,というのは私の恩師の教えのひとつでもあった.
ここで少し古くなったデータを挙げて恐縮であるが,厚生労働省の発表によれば,平成20年の60歳以上の医師数は55,375人であり,全医師数271,897人のうちの20.4%である.ちなみに,平成8年の57,767人,24%という数字以来,平成18年までの10年間は60歳以上の医師の数と割合はともに少しずつ減少していたのだが,平成20年になってわずかながら上向いたのである.60歳という年齢が高齢という図式に入らなくなってきている昨今の事情は別にしても,70,80歳を迎えた医師による診療は巷間取り立てて話題にするほどまれなことではないし,尊敬すべき方々が数多くおられることもここで述べるまでもない.
主として神経難病の医療を提供する病院に勤める精神科医として,入院を要するような神経疾患のかなりの部分は,運動症状や知覚症状のみに限定されない神経精神機能面での臨床的症候群としてあり,そこに個人の心理,生活,社会機能などの問題が生じてきていることを実感する.内科系,外科系といった医師だけでなく,多職種の集約的かかわりが求められることになる.神経難病の治療をかりにオーケストラになぞらえるならば,さまざまな楽器がありそれぞれ専門の演奏者が必要なだけでなく,加えてそれらを支える多くのメンバーがあって初めてひとつの音楽が奏でられるようなものである.
医療や介護チームは多職種から構成されるだけでなく,さらにまた世代の補完に気を配ることも大切な視点のひとつであると思っている.病院というシステムは多くの場合実質的にそのように構成されているので,あえて述べることではないのかもしれない.医師自身が高齢である必要がないのはもちろんであるが,チーム医療に限らず,高齢の治療者であれば行うであろう高齢の患者への医療という視点も,老年精神医学の知恵として尊重すべきことなのではなかろうかと思う.身体的変化へのまなざしとともに,同時代に老年期を生きるピア(peer)な間柄でこそ共感できる人生観があろうはずだからでもある.
冒頭に,晩年というライフサイクル上の自己規定はかなりの程度に相対的なものであろうかと書いた.人間として不可避の死を意識することは,さまざまな困難のなか,絶望を越えて新たな地平へと歩む力にもつながる.青年,中年,老年期を問わず,いつのときも明珠はその掌の中に在るのではないかと思ったのである.
[参考文献]
1)Erikson EH,Erikson JM,Kivnick HQ(朝長正徳,朝長梨枝子訳):老年期.みすず書房,東京(1990).
2)飯田 眞:老いの微笑.老年精神医学雑誌,13(10):1118-1119(2002).
3)Mu¨ller C(市川 潤,森 荘祐訳):臨床老年精神医学.岩崎学術出版社,東京(1976).
2010/1 老年精神医学雑誌Vol.21 No.1
もの忘れ外来でなにができるか
中嶋 義文
三井記念病院精神科
もの忘れ外来に対して診断はしてくれるがその後なにもしてくれないという不満の声をよく聞く.診断(見立て)は医療の根本であり,重要である.私が初学者のころ,「診断だけして治療できない場合にそれを告げることに意味があるのですか」とある先輩に問うたことがあった.先輩は「先を見通すことに意味があるんだよ」と答え,そういうものか,と私は納得したが,今では臨床ができるということはうまく治せるということではなく先を見通せることだと信じている.そのような考えから臨床教育においては常に複数の展開(成り行き)を想定するように指導している.自分の予想と実際の出来事とが合致したか合致しなかったか,それはなぜかを動きながら考える,Donald Schonの言うreflective practitioner(内省的実践家)の態度を強調している.
家族は,時には患者も,その時点での見立てや手当てだけではなく,今後の成り行きを聞きたがる.老年精神医学の臨床医としては常に成り行きを予想しながら,冷酷な未来を宣告するのではなく希望を与え続けることが仕事だと考える.
アルツハイマー型認知症の根本治療がいまだチャレンジ段階であることから,私たちの専門性は治療(手当て)という意味ではBPSDに対する非薬物療法的介入と薬物療法に最も発揮されている.もの忘れ外来で診断と展開の想定と周辺症状の治療とあとなにができるのだろうか.
2009年勤務先の病院の建て替えにあたって,私は精神科の午後の外来をすべてもの忘れ外来(メモリークリニックと称している)にすることに決めた.私と同僚は共に老年精神医学専門医であるが,5分診療で老年精神医学の臨床をやっていることに我慢できなくなったことが最大の理由である.まず医師の診察室に列をなして待つ患者を順番に呼び入れることを止めた.医師の診察室に患者を割り当てるのではなく,4つの診察室それぞれを30分刻みで患者と患者の家族に割り当て,そちらの部屋に心理士や研修医や上級医師が必要に応じて赴いて相談や検査や診療を行う仕組みにした.初めて会う場合など30分を超える場合は面談室なども利用して柔軟に運用している.2人の医師では1日最大16組の患者や家族しか診られないし,実際には直接に医師が接する時間は以前とさほど変わらないのであるが,それぞれの家族はよく話を聞いてもらえたと満足している.もの忘れ外来の機能を広げるためには,医師以外の力を借りることが必要だと思う.
医師のできることは限られている.私は医師は医師にしかできない業務に専念したほうがよいと考える.医師はその役割の重さのために疲弊している.私たちが行った日本医師会の1万人の勤務医に関する調査注では,勤務医の2人に1人は休日が月に4日以下であり,6%は1週間に数回以上死や自殺について考えており,9%はメンタルヘルス面でのサポートが必要と考えられ,2%は治療が必要なレベルの抑うつ状態を示していた.このような勤務医の疲弊軽減策として事務補助員やナースプラクティショナーの導入が検討されている.とても任せられないという意見を聞くこともあるが,医師は自らの能力と責任の範囲を広げて考える傾向があり,他の専門職や非専門職の能力を低く見積もったり自らに当てはめるよりも厳しい基準を当てはめる傾向があるせいだと考えている.
介護者のサポートはもの忘れ外来で最も重要な機能のひとつだろう.家族が認知症をもつ患者との関係を変えていくことで患者が穏やかに不安なく生活していけるようになることはよく経験される.私たちは常に希望を与え続けなければならない.
もう亡くなられた患者さんの奥さまが私にくださった歌集にこのような一首があった.
風の橋
たましいの焦げる思いというべきか 一枚のカルテの苛酷に堪える
私はこの思いを引き受けることをもの忘れ外来ができるようになってほしいと願っている.
2010年が読者諸兄姉にとってもよい一年となりますように.
注 日本医師会勤務医の健康支援に関するプロジェクト委員会報告.