2009/12  老年精神医学雑誌Vol.20 No.12
高齢者の自殺問題からみえてくるもの
白川 治(近畿大学医学部精神神経科学教室)
 日本の自殺者が10年以上にわたり年間3万人を越えた水準で推移していることは周知のとおりである.その背景には主に40歳から60歳代の中高年男性の突出した増加があり,長期的な経済不況,金融危機,労働・雇用環境の変化など,社会経済的な視点からさまざまな要因が指摘されてきた.
 一方,日本の自殺率が75歳以上で最も高いことはあまり強調されていないし,さほど知られていないのかもしれない.しかし,超高齢化社会を迎えたわが国で高齢者における自殺問題が今後クローズアップされてくることはまちがいない.
 担当患者の自殺に遭遇し,自身の臨床の未熟さとともに患者を死に追いつめた要因の重たさを痛感することは,長く精神科臨床に携わるものなら共有する苦くてつらい体験であろう.筆者自身は自殺の生物学的研究を始めたことが自殺問題に深くかかわるきっかけとなったが,自殺について知れば知るほど,自殺には医学的アプローチ,疾病学的側面では語り尽くせない人の生き方,家族のあり方,社会のあり方にかかわる根深い問題が横たわっていることを思い知らされる.
 わが国における自殺予防対策としては,高橋邦明らによる新潟県東頸城郡松之山町(現・上越市)における取組みを嚆矢として,東北地方を中心にした高齢化率が高い郡部地域でのうつ病や自殺予防の啓発活動を軸とした精神保健活動が成果を上げてきた.高齢者の自殺は,既遂率が高く,それ以外の年齢に比べて背景疾患としてうつ病圏の関与が大きいことが知られており,高齢者の自殺率がきわめて高いこれらの地域でのうつ病対策は最も実効性の高いアプローチといえる.ただし,こうした成果を,うつ病の早期発見から適切な治療介入がなされたことによると考えるのは拙速すぎるであろう.うつ病対策を柱にした心の健康づくり推進という精神保健活動は,うつ病という疾病化,医学化を通して高齢者が抱える精神保健上の問題点を際立たせることで,役割を失い家族の重荷になるなら死を選んだほうがましという地域共同体に深く根を下ろした高齢者の死生観を変え,さらには高齢者の生き方,あり方そのものに影響を与えたとはいえないであろうか.一方,そもそも共同体の絆が希薄である都市における自殺予防は,さまざまな困難を抱え,有効なアプローチを模索している段階にある.
 自殺問題の精神医学的な背景としては,うつ病に加えて,アルコール問題も重要である.一般に,アルコール問題は主に中年男性の自殺の要因として知られているが,近年,定年後(65歳以降)のアルコール問題の増加が指摘されており,今後高齢者における自殺との関連が問われるようになるかもしれない.
 高齢者のうつ病では,さまざまな喪失体験を背景に,身体的,精神的な衰えもあって適応障害的な様相を呈することが少なくない.したがって,高齢者のおかれた状況に対する具体的な支援が予後に大きな影響を与える.環境調整の重要さが強調される所以である.また,高齢者の自殺では,独居老人の孤独な死というイメージがあるかもしれないが,実際には同居家族がいるケースが多い.傍らに家族がいながら死を選ぶ姿からは,自殺に至る高齢者における深い孤立感,孤独感の存在がうかがわれる.役に立たなければ生きていく価値・資格はない,役割を果たせなくなった自分に生きる意味を見いだせない,もう自分が必要とされなくなった,家族の重荷になりたくないなどの思いは,単にうつ病と関連した思考としてのみ理解されるべきではなく,高齢者のおかれている状況を色濃く反映していることはいうまでもない.  4人に1人ともいわれる介護うつの問題が取り上げられて久しいが,介護の主体となる家族のおかれている状況も深刻である.老老介護,認認介護の背景には,伝統的な地域共同体秩序がもはや過去のものとなり,核家族化,少子化も相まって,(高齢者に限ったことではないが)家族の絆はいびつなかたちで濃密となりがちで,家族内の緊張,病理が緩衝されることなく容易に増幅されてしまう現状が垣間見える.
 こう考えてくると高齢者の自殺問題で見え隠れする情景,構図は,わが国が本当に豊かで成熟した社会であるかどうかを映し出す鏡のようにも思えてくる.高齢者が生きていることに苦痛を感じることなく,役割は限られているにしても生きがいを失うことなく穏やかに暮らしていけるには,なにが求められているのか,なにが大切なのか考えていきたい.
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2009/11  老年精神医学雑誌Vol.20 No.11
高齢精神障害者の地域ケアとサクセスフルエイジング
水野雅文(東邦大学医学部精神神経医学講座)
 わが国における精神科医療の喫緊の課題として,精神科病院における長期入院の解消が挙げられて久しい.長期入院者はおしなべて高齢であるから,世間で退院促進が強調されても実現を待つうちに歳をとり,退院を果たせなかった者の数もすでに多数に上っているはずである.
 平成17年の患者調査によれば,精神病床に入院している32.4万人のうち統合失調症患者が19.7万人おり,これでも平成11年に比べると1.5万人(7%)減少したという.残念ながらこの減少分は,前述のように退院促進による成果ばかりではない.実際精神病床に入院する統合失調症患者の平均年齢は平成5年には50歳であったのが,平成17年には56歳となっている.このうち35.9%が在院期間が10年以上に及んでいる.精神病床では,入院が長期化するほど総数に占める統合失調症患者の割合は高まり,10年以上入院している患者では85%以上にも及んでいる.受け入れ条件が整えば退院可能な患者,いわゆる社会的入院患者については,精神病床のうち約7.6万人(23%)とされているが,一方で統合失調症患者に限れば全体の約45%が「近い将来退院の可能性なし」とされ,入院治療を要する程度の身体疾患を併発する患者ではその割合が6割にも達する.
 筆者らが福島県郡山市で追跡研究しているささがわプロジェクト(Mizuno et al.,2005)では,平成14年4月1日に平均年齢55歳の長期入院(平均26年)をしていた統合失調症患者78人が一斉に退院し,地域住民としての生活を開始した.現在平均年齢は60歳を超え,もちろん死亡した者や再入院している者もいる一方,約60人が一般住宅,アパート,グループホームなどで地域生活を送っている.これまでも,おそらく今後も,当初心配された精神症状の再燃や再発より,身体疾患の併発や発見の遅れなど身体面のケアが大きな課題であろう.当事者たちは訪問看護,デイナイトケア,就労支援などさまざまな地域資源のネットワークで支えられてはいるものの,運動機能に制限が生じれば地域生活の維持は非常に危うくなる.入院していたほうがよかったと口にする人は少ないが,内心心細いにちがいない.
 同時にもう1つの大きな課題は,生活者としての地域住民との交流であり,心の安寧や生活の充実に関することにある.統合失調症という病を得て長期に入院生活を送った人々では,同年代の健康人と比べて心身ともに老化がいっそう目につく.一般の地域住民との交流が,いろいろな意味で困難であることは述べるまでもないが,これは解消不能な問題ではなさそうだ.10年以上前であるが筆者はイタリア留学中に,高齢精神障害者に対する精神保健サービスの日伊2国間比較を行ったことがある.精神科病院を全廃した国イタリアでは一般の老人保健施設に多数の精神障害者が入所しており,他の健康高齢者に溶け込んで生活している笑顔が印象的であった.加齢により人格は先鋭化するとされているが,一方で他者への寛容も広がるものかと,受け入れ側のスティグマの少なさに対し興味を惹かれた.せっかく退院しても,専門家による支援の囲いのなかだけで生活し,地域のなかで孤立していたのでは退院の意義が薄れてしまう.地域環境との良好なインタラクションによりストレスが軽減すれば,精神症状の増悪・再燃のリスクも下がるはずである.退院者をコミュニティのなかでいかに受け入れるか,そのためには住民・当事者のなかにどのような努力が求められるのか.地域に生活する高齢精神障害者について,生活満足度,ウェルビーイング,自己効力感,レジリアンス,社会的ネットワークの広がりなどについての検討はきわめて乏しく,増加する高齢精神障害者に地域サービスのあり方や精神保健,社会福祉資源の活用などのさらなる研究が求められる.しかしこの課題を考えるうえでは,なにより統合失調症そのものの長期予後,とくに器質的変化とそれによる認知機能や社会機能が高齢に至ってどのような様態を呈しているかという老年期の統合失調症の病態研究がいっそう進められる必要があるだろう.
 近年統合失調症においては神経画像研究の成果により,発症早期の変化については多数の新たな知見が重ねられている.これに対して高齢者あるいは長期予後としての症候も含めた転帰に関する研究は必ずしも十分とはいえない.認知症の併発を例にしても,改めて見直す必要があるだろう.長期経過に関する研究そのものが,未曾有の長寿国でなければ行い得ない課題であり,わが国は今まさに好適な環境にある.
 長期入院の解消が当事者にとって本当に幸せな体験となり,サクセスフルエイジング(Rowe,1987,1997)を実現できるようbio-psycho-socialなアプローチが重ねられていくことを願いたい.
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2009/10  老年精神医学雑誌Vol.20 No.10
認知症医療の近未来について
川又敏男(神戸大学大学院保健学研究科)
 附属病院の認知症専門外来“メモリークリニック”で,認知症診療をしながら感じていることを述べさせていただきたい.現在,臨床症状の詳細な評価に加えて,神経心理学的な認知機能検査をはじめ構造・機能神経画像検査およびその統計画像解析やアミロイドイメージング,髄液・血液の生化学的検査,脳波など生理学的検査等を複合的に用いることにより,認知症とくにアルツハイマー型認知症はより早期から,より正確に診断されるようになりつつありますが,このような早期かつ正確な診断の重要性は議論するまでもありません.
 ご存知のようにアルツハイマー型認知症に対する根本的治療法の研究開発は,世界中で急速に進展しつつあります.たとえば,多くの研究はアミロイド仮説上流にあるアミロイド形成過程(産生・凝集・沈着)を標的とし,β・γ-セクレターゼ(アミロイド前駆体タンパクの部位特異的切断酵素)の阻害・制御,産生されたAbペプチドの分解促進・凝集阻害・沈着除去などを含む抗アミロイド療法が中心になっています.そのなかでも,近年とくに大きな期待を寄せられていたのはAbペプチドの沈着除去をターゲットとするAb能動免疫によるワクチン療法でしたが,昨年6月にイギリスで初期のAb能動免疫療法治験を受けた患者の6年間追跡研究結果が報告されました.その結果は,剖検例において患者脳組織のAb沈着つまり老人斑は十分に除去されていたにもかかわらず,認知機能障害をはじめとする認知症の症状は進行し,アミロイド病変以外の神経変性(タウ病変,慢性炎症,シナプス障害を含む神経細胞変性等)の進行を止められなかったというショッキングなものでした.従来からタウ病変である神経原線維変化(タングル)の沈着に比べて,老人斑沈着自体は神経細胞変性つまり認知機能障害との直接的な関連が少ないともいわれており,この報告によってアミロイド仮説が否定されるものではありません.また,この結果からAbワクチンの予防的・早期投与の重要性も示唆されています.しかし,集中するかにみえた根本的治療研究の標的は再びやや拡大しているように思われます.
 根本的治療法によりアルツハイマー型認知症の進行性経過を停止性あるいはそれに準ずる経過へと変換できれば,早期のかつ正確な診断の意義ははるかに大きくなり,またその後の治療も大きく変容することになります.その意味でも,より正確な早期診断や発症前診断(リスク診断)の確立,あるいはその後の治療を視野にいれた研究や臨床実践が求められていると考えています.
 活動的な知的生活,社会生活,身体運動生活の習慣を以前もっていた,あるいは現在もっている高齢者は,認知症など認知機能障害のリスクが低くなることがよく知られています.また認知症発症後に,あるいは発症前であっても日常生活の活動性が低下した場合,より症状が進行し顕性化・重症化しやすくなることも廃用性機能障害としてよく知られています.この神経基盤には,入力特異的な伝達効率の変化という短期的な,あるいは新規合成タンパク質の効率変化部位特異的なシナプス機能(シナプスタグ)という長期的な神経シナプス可塑性があるのではないかと考えられます.しかし最近,環境エンリッチメント(豊かな環境)や身体活動が動物実験においてシナプス可塑性のほかに神経細胞そのものの新生・生存にも影響することがわかり,さらにアルツハイマー病モデル・トランスジェニックマウスでも認知機能に加え脳内Abタンパク量が変化すると報告されています.このような環境エンリッチメントをはじめとする非薬物療法のメカニズムが神経科学的に解明されることを期待しています.
 以上,私的な考えを含めてまとまらず書かせていただきました.今後,医療の発展や生活水準の改善の流れのなかで世界全体の,そしてとくにわが日本の認知症患者数は飛躍的に増加することが予測されています.多様な病態を示す認知症の理解へのニーズはますます増加するでしょう.さらに認知症の進行を防止可能な薬物治療法や望みうる根本的治療薬の開発を,またその開発後あるいはその開発を前提として臨床における認知症患者の家庭・社会生活への再適応,リハビリテーションを進める非薬物的治療法を,基礎医学および臨床医学の2つの視点から相互連関させながら,また医学・保健学のみならずさまざまな方面の専門家と共同して模索することがますます重要になる時期に来ているのではないかと思います.
   
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2009/9  老年精神医学雑誌Vol.20 No.9
急性期医療での精神科置き去りと療養病床大削減計画
一瀬邦弘
精神科七者懇談会医療経済問題委員会DPC検討小委員会委員
(財)東京都保健医療公社 豊島病院精神科
 何人かの精神科医は,いま急性期医療の変革の波に乗り遅れた精神科医療が,これから先も医療経済の大きな流れから外れ取り残されていくのではないかと予感しています.しかし,大多数の精神科医はこうした医療制度の変化に無頓着です.
 誤解のないように言っておかなければなりませんが,今のDPC(Diagnosis Procedure Combination;診断群分類)に基づく支払い方式(診断群分類包括評価)の仕組みのなかで精神科疾患がまったく外されているわけではありません.2008年2月の中医協総会で見直され,「MDC17精神疾患」という名称で分類されるようになりました.MDC(Major Diagnosis Category;主要診断カテゴリー)では01脳神経,02眼科,03耳鼻科等々と各診断分野が括られています.精神疾患はそれまで外傷・中毒・その他と一括してMDC16に入れられていました.これを3つに分け,MDC16外傷・熱傷・中毒(分類数235),MDC17精神疾患(分類数12),MDC18その他(分類数12)に細分されました.
 MDC17精神疾患のうちの12分類とは,症状性を含む器質性精神障害(170010),精神作用物質使用による障害(170020),統合失調症および妄想性障害(170030),気分(感情)障害(170040),神経症性障害,ストレス関連障害および身体表現性障害(170050),その他の精神および行動の障害(170060)の6つが,おのおの社会適応の水準を示すGAFの40点を境に2つずつに枝分かれした樹形図で計12となっている分類です.それぞれ入院してからの日数によって包括点数が決まっています.
 しかし,こうしてDPCコードのなかには一応入ってはいますが,現状とはほど遠く,全国30万人強の精神科入院患者のほとんどはこの制度外にあります.当院でも先月の精神疾患による入院者のうち該当する者はありませんでした.
 その理由として,支払い方式以前の条件として,医療法によって病床は大きく一般病床と精神病床に分かれていいます.DPCは精神病床入院者には適用されていません.かろうじて一部の大学病院などで,精神科が一般病床を病棟運営しているところがありますが,この全国的に例外的な部分(約3施設)のみがDPC支払い方式の対象となっています.精神疾患による入院患者は,ほとんどが一般病床でなく,精神病床に入院しているのが現実だからです.こうした条件から,精神疾患入院患者のほとんどは,DPC適用から外れるという結果になっています.DPCの適用例として浮かび上がってくるのがかえって例外的とさえいえるでしょう.まさに「仏つくって魂入れず」の状態です.
 いま,約91万病床の全国の総一般病床のうちで50.2%(46万病床)がDPC適用になるだろうというのが,今年2009年7月時点での予測です.急性期医療を担う病床のほとんどが組み入れられると考えてよいでしょう.1998年ごろから国立病院機構を中心に試行された疾患別定額支払い(DRG/PPS)から,2003年に特定機能病院82病院のDPC包括支払いへと発展し,この診断群分類包括評価を用いた入院医療費の定額支払い制度はここまで広がり熟してきました.
 当院も調査協力病院から始め2004年からDPC定額支払い方式をとってきましたが,これと一緒にさまざまな調査に協力してきました.その内容はICU入室患者調査,診療材料,人件費,薬剤関連と多岐にわたっています.今年度は中医協の専門組織・コスト調査分科会は一般原価調査と特殊原価調査を行うことになっています.いま医療分野の部門別収支計算も洗いざらい明らかにされ,疾患分類別に多数のデータが出ています.国策としての医療費計画にこのデータが使われないわけがありません.土俵に乗っていない状態の精神科の医療費は中医協での論議に乗らず,精神科医療費だけが評価から外れるおそれがあります.
 さて,多数の科から成り立っている一般の総合病院で,たとえば大学病院などでも精神科だけがこうした包括払いから引き離されているとどのようなことが起こるでしょうか.DPC支払い方式では,医療の質を評価する目的で,たとえば地域支援病院と認定されると係数が増して約3%総報酬額が増額されます.看護基準の7:1を達成すると,この係数が10.56%,つまり約1割上積みされます.同じ病院内で,どうしても低い出来高払いの精神科病床から,7:1志向のDPC一般病床へと看護師さんの人員配置が傾斜していきがちになります.
 いま精神科七者懇談会を母体にMDC17班ごと作業班が日本精神神経学会の清水達夫委員長を班長にして動いており,「DPC適用病院においては,入院病棟の如何を問わず,医療資源を最も投入した傷病名としてMDC17によるコーデイングを認めていただきたい」との要望を提出しています.この9月には初めての班会議が開かれました.席上GAF 40点を分岐にした結果を解析しても,以上群と未満群の平均在院日数に差がみられないというデータが示され,これらの一本化が検討されました.またMDCのなかで,アルツハイマー病がMDC01,アルツハイマー型認知症がMDC17と2つの領域におかれている矛盾が論議され,もともとのICD-10分類の不備が指摘されて統一化が俎上に上りました.
 こうした細かい樹形図の精緻化は進んでいるわけですが,その樹の立っている地盤ともいうべき病床についての現状はお寒い限りです.こうしている間にも,身体合併症や精神科救急を担っている総合病院(一般病院,このうちの多くはすでにDPC適用病院となっています)の精神科は人員を縮小されたり,閉鎖されたりと地盤沈下が続いています.
 こうした急性期病床をめぐる変革と同時並行して,医療費適正化計画に基づく療養病床再編計画が提出されています.2006年段階で医療保険適用の25万病床,介護保険適用の13万病床の計38万病床を,医療保険適用のみの15万病床に削減するというものです.成立の舞台裏1)も当事者によって明かされ削減目標も22万病床にとどめると変更されましたが,達成のめどは2012年に据え置かれたままです.いま民主党政権の成立によって,医療政策の転換が急ピッチで進むことが期待されています.しかし「医療費を,OECD先進諸国なみのGDP比率(14%程度の意味か)にする」と述べられていますが,医療のなかでどのような順に変更が加えられるかはっきりとしているわけではありません.
 急性期医療の場面での精神科置き去りと療養病床大削減計画という両方向からの締め付けに,蟷螂の斧を振りかざし堂々と政策提言をしていかなければなりません.

[文 献]
1)吉岡 充,村上正泰:高齢者医療難民;介護療養病床をなぜ潰すのか.PHP選書,東京(2008).
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2009/8  老年精神医学雑誌Vol.20 No.8
これからの研修医制度と地域での老年精神科医療
田知二
岐阜県立多治見病院精神科
 10年余り勤めた大学病院から,この4月に地域の病院へ移った.折しも,平成16年から必修化された医師臨床研修制度の見直しが進められるなかでの異動であった.
 これまでの精神科研修を振り返ってみたい.研修医は2年目に精神科を1か月以上研修し,その間に統合失調症,気分障害,認知症の入院患者を担当し,レポートを作成する.将来,精神科医になる者は全体の5%程度であるから,ほとんどが他科志望である.彼らは思った以上に(彼らに失礼であった)精神科診療に取り組み,患者の評判もよい.将来何科に進むにも,精神状態の把握は重要であるし,認知症やせん妄,BPSDの臨床能力が不可欠であることを彼らは知っている.そのお陰であろう,彼らが各科の第一線で活躍するようになり,そういった疾患でのコンサルテーションは減り,あったとしても初期治療がきちんとなされている場合が多くなった.こういったことは,総合病院では広く経験されていることであり,老年精神医学の普及という意味でも一定の成果が上がってきた.
 では,どのように変更されるのであろうか.平成21年2月18日に,臨床研修制度のあり方等に関する検討会から「臨床研修制度に関する意見のとりまとめ」が提出された.その内容は,この制度の成果から始まり,多くの診療科で短期間の研修が一律に行われることで研修医のモチベーションが損なわれる,受入病院の指導体制等に格差が生じている,大学病院で研修を受ける医師が大幅に減少し,大学病院が担ってきた地域への医師派遣機能が低下したため医師不足問題が顕在化・加速するきっかけとなった,研修医が研修後も含め都市部に集中する傾向が続いているといった反省がなされている.
 厚生労働省は,これを受け,3月19日に「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令の一部を改正する省令及び関連通知の一部改正(案)」を提出した.その内容は,内科6か月以上,救急部門3か月以上,地域医療1か月以上を必修科目とする,外科,麻酔科,小児科,産婦人科および精神科を選択必修科目とし2診療科を研修医が選択するものの,病院はこれらの全部または一部を必修科目とすることもできる,臨床研修病院は年間入院患者数が3,000人以上であることとし,病院における募集定員は都道府県の募集定員の上限を各病院が希望する募集定員の合計で除したものに各病院の過去3年間の研修医受入実績の最大値をかけたものとした.ただし,募集定員の上限に関しては批判が相次ぎ,各病院の今年度研修医実績数は来年度に限り認められ,(案)は決定された.
 そもそもこの制度は,厚労省が大学病院の医師派遣機能なるものを認めず,無効化させるために開始したと理解していたが,それが奏効したと思った途端に重篤な副作用が明らかになり,荒療治の手を緩めたということなのか.
 では,当の研修医たちの評価はどうであろうか.最新のアンケート調査は現在集計中であるため,「平成18年度『臨床研修に関する調査』」をみてみたい.研修医の研修体制等についての満足度は大学病院より臨床研修病院において高く,しかも病院規模が大きくなるにつれて下がる.その理由は,待遇の悪さ,雑用の多さばかりでなく,症例や手技の経験が不十分,コメディカルや診療科間の連携不良といった研修体制そのものの問題が挙がっている.専門医・認定医の取得を希望している2年目研修医の割合は臨床研修病院,大学病院ともに90%を越えているのに対して,博士号の取得を希望している割合はそれぞれ30.2%,41.9%,大学への入局希望者は50.0%,75.2%であった.4.3%の者が研修後に精神科を専門にしたいとし,その志望動機は学問的興味,やりがい,自由な時間の順である.このように,制度改正の趣旨と研修医の希望とは必ずしも合致していない.
 私は,研修医の意向を十分に汲み取ることができなかったことに,医師不足問題の根幹があるとにらんでいる.このままでは,研修医の大学離れは加速し,これまで以上に都市部の人気のある病院に集中するのではないか.しかも,大学病院自体の医師不足も深刻であり,医師派遣機能なるものがいつ回復されるのか心許ない限りである.
 しかし,手をこまねいてばかりもいられない.地域の病院としては,研修医に精神科臨床の魅力を伝えていかなければならない.幸いなことに,中規模病院での研修の満足度は低くはない.当院では精神科も含めた選択必修科目をすべて必修とした.精神科研修は高齢社会の臨床を担っていく上での要であり,成果も上がっている.それを継続させていこうということである.そして,地域の病院やクリニック,福祉,行政と連携しつつ老年精神医学を志す精神科医を育てていきたいと考えている.
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2009/7  老年精神医学雑誌Vol.20 No.7
3つの「どうしたらよいか悩む」
木之下徹
医療法人社団こだま会こだまクリニック
 認知症全体の「量」に比べると,在宅訪問診療で認知症にかかわれる部分は小さい.それでもそのピンホールの窓から見える風景を通じて,今の私の悩みを述べたい.しかしこの悩み,いつまでも抱えてはいられない.
1.悩み1:認知症の「すべり台」を止められない
 処遇困難となり外来,入院,入所できない認知症の方々を,私は普段拝見している.そんな日常でよく見かけるストーリーを紹介したい.「外来に通えていたときまではよかった.徐々に認知症が変化し,調整された薬剤が合わなくなる.あるいは処方薬の副作用が精神神経症状となって現れる.家族が外来に連れて行けなくなる.食事も摂れなくなる.やがてBPSDとせん妄が重なり合い,症状はますますひどくなる.家族はうろたえる.介護職も医療とうまく結びつけることができず,徐々に医療と切り離されてしまう」.いわゆるセーフティーネットの網目から,認知症の「すべり台」をどんどん滑り落ちていくのである.そこには手を差し伸べる者もおらず,自らの力でそこから這い上がることもできない.この構造はちょうどワーキングプアの問題と類似する.セーフティーネットのほころび,これをどうしたらよいか悩む.
2.悩み2:患者に不利益な医療行為(ヒポクラテスの誓いはどこに?)
 医療とはだれのためにあるのか.それは患者のためである.そんなことはわかっている.しかしふと気づくと,家族救済医療をしている自分がいる.「夜眠ってくれない」と家族が言う.「では睡眠薬ですね」と私.「すごく不機嫌で怒りっぽいのです」と別の家族が訴える.「わかりました.そういうときによく効く薬があります」と私.少なくとも私のこの目線,「家族のため」から始まっている.そしてそのたびに心の中で,「面倒を看る家族が疲れ切ってしまっては,患者の面倒が看られなくなる」とか,「きっと患者本人だっていらいらしているのだから,薬で抑えれば楽になる」などといった言い訳をしている.認知症の数値が語る.高齢者の高い有病率.そしてBPSDを伴う率の高さ.つまり自分も時間が経てば,そうなると思ったほうがよい.だから目の前にいる患者は未来の自分でもある.ところで「明日の朝は遅くまで寝ていられる」と思えば,私は夜通し起きて本を読むこともある.お腹が痛ければ不機嫌になって,家族に迷惑をかける.そんなときに,家族から睡眠薬や抗精神病薬を飲まされたらたまったものではない.私の意識から患者が消える瞬間,これをどうしたらよいか悩む.
3.悩み3:薬の適否を測る尺度がおかしい
 アセチルコリンエステラーゼ阻害薬によりレビー小体病の症状が改善するといわれている.われわれの訪問診療でもレビー小体病の何十人かは,この薬で次のような経過をとった.「初診時ほとんど会話できず支離滅裂.少量の投与ですぐに盛り上がる.増量後もっと興奮する.さらに増量すると,ある日突然会話ができる!」.その間,家族のつらい日々が続く.そんなつらい目に遭わせたくない.もっとよい方法があるのかもしれない.われわれは毎日電話で様子を確認する.訪問も増やす.時にはこれが何週間も続く.しかし劇的によくなるのだ.とてもうれしい.ともかくこのうれしさがゆえに,他の疾患のように加算がなくて経営が苦しくてもやっていける.しかし本音をいうと診療報酬,少しは改善してほしい.これは余談,もとい.私の尊敬する先生の言.「このやり方は『水遣り』で『閾値』があるのか」.私もそう思う.実は次のようなことを介護者から教えられた.ある訪問先でのこと.「某は,怒れば怒るほど,頭がよくなるのよね」と,介護者がやさしい眼差しで本人に語りかけていた.ふと耳にした言葉である.それを聞いて自分の中でなにかが変わった.別の人の話.「お薬で興奮しているので,切りましょう」と私が言う.すると「いや,手はかかるけれど,母はこちらのほうがよいです」との答えが家族から返ってきた.私は多様性の最たる本人の生活事象を,安易に「興奮」と抽象化してしまった.しかし家族にとっては「快活」であったのだ.「興奮」だなんて失礼な言葉を使ってしまった.深く反省した.
 別の薬の話.認知症にとって抗精神病薬は大切な薬だと思う.この薬なくしては生活できない家族もいる.しかし副作用も大きい.訪問診療では薬剤によるアカシジアを散見する.誤嚥もある.転倒もある.悪性症候群もある.厄介なことに,抗精神病薬は適応外だから使いにくい.企業による啓発活動も期待できず,情報も少ない.最近ではしばしば抗精神病薬の長期投与例を見かける.実は私も時々長期投与をすることがある.だから単純には批難できない.ある施設からの手紙.「利用者間のトラブルを防ぐため,何とか薬で調整していただけないか」とのこと.私はこの方を訪問したことがあり,家では穏やかなのを知っていた.だからこのときは投与を思いとどまった.結局ケアマネジャーが社会資源を使って調整してくれた.頼もしい限りである.薬の適否を測る尺度の問題,これをどうしたらよいか悩む.
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2009/6  老年精神医学雑誌Vol.20 No.6
脳をみること
水上勝義
筑波大学大学院人間総合科学研究科精神病態医学
 昨今,アルツハイマー型認知症(AD)をはじめとする認知症疾患の診断技術は,画像診断の発展や生物学的マーカーの開発などを通して,格段の進歩を遂げ,それによって認知症の早期診断や早期介入が可能となってきました.しかしながら,臨床場面では,いまだに診断に迷う例が少なくないことも確かです.またたとえ老年期うつ病と診断しても,精神症状の背景に脳の器質的障害の存在が強く疑われる場合もしばしば経験されることです.
 私は2年間の大学病院での研修の後,都立松沢病院や東京都精神医学総合研究所で,臨床神経病理の研修をする機会を得ました.この経験は私にとってたいへん貴重なものでした.外来や病棟で診療してきた患者の死に立ち会い,その後遺族から解剖の承諾をいただき,実際に解剖を行いました.そして剖検脳を肉眼的に観察したり,顕微鏡を用いてより詳細な神経病理的検討を行いました.このような検討により,自分自身の臨床診断や治療方針がまちがっていなかったかを確認し胸をなでおろしました.しかし時には自分自身が血管性認知症と臨床診断していたケースが神経病理学的にADであったり,進行性の失語や認知障害を認め,ピック病が疑われたが,皮質基底核変性症であった症例などを経験し,臨床診断のむずかしさを痛感しました.臨床診断と神経病理診断にはある程度乖離が生じることは従来から指摘されています.もちろん「実際の脳をみないと,診断がつかない」では,臨床も研究も立ち行かなくなってしまいますが,神経病理の研修を通して,臨床診断しても他の診断の可能性はないか,常に注意をはらう慎重さが身についたように思います.そして神経画像所見を読影するときに,その背景にある病理学的変化を常に意識し,あるいはイメージしながら読影する習慣がつきました.このような実際の「脳をみる」研修は現在非常に限られた施設でしか行われていませんが,臨床診断能力や画像診断能力の向上に役立つので,今後研修の機会が増えるとよいと思います.また神経画像の技術が今後ますます向上し,あらたな診断マーカーが開発されるにしたがって,その精度を検証するために神経病理診断もさらに重要性を増すといえるでしょう.
 ところでADやピック病をはじめとする認知症疾患の疾患概念は,先人たちの詳細な臨床および病理所見の検討によって確立されてきました.わが国も小阪のびまん性レビー小体病(レビー小体型認知症)や湯浅,三山の運動ニューロン疾患を伴う認知症をはじめ偉大な業績を輩出しています.現在でも神経病理学的に分類困難な症例は決して少なくありません.病理学的に分類困難な症例があるのですから,臨床的に診断困難な例に遭遇するのも不思議ではありません.実際の臨床場面では,目の前の患者や家族の苦悩に早急な対応を迫られ,診断に迷っても対症的に治療せざるを得ないことが少なくありませんが,個々の症例の特徴や特異性に留意しながら症例を蓄積すること,そして可能であれば病理所見を検証することで新たな疾患概念の確立も期待されます.
 次に研究面から「脳をみる」ことについて考えてみたいと思います.現在認知症疾患はもちろんですが,統合失調症や躁うつ病も含めた精神疾患全般において,病態解明を目指した生物学的研究が盛んに行われています.その多くは神経画像研究,遺伝子研究,神経生理学的研究あるいは培養細胞や疾患モデル動物を用いた研究です.これらの研究の重要性についてはいまさらいうに及びませんが,認知症疾患の神経細胞変性機序の解明や精神症状の背景にある脳の機能異常の解明には,実際の脳を用いた研究が必要で,その意味で死後脳研究もまた重要といえます.前頭側頭葉変性症におけるTDP-43の発見は記憶に新しいことですが,しかし一方でいまだにADの病態も十分に解明されたとはいえません.また老年精神医学における重要なテーマであるBPSDや老年期うつ病などの生物学的背景の解明においても死後脳研究が果たす役割があるのではないかと思います.世界的にみると,研究をサポートするブレインバンクがいくつも設立され,死後脳研究が盛んに行われています.ところが残念ながらわが国においては,解剖数は年々減少傾向にあり,研究に用いる脳の入手も困難で,死後脳研究は決して盛んとはいえないのが現状です.そして死後脳研究を行っているわが国の研究者は(私も含めて),しばしば海外からの脳に頼って研究を続けています.今後わが国における認知症疾患や精神疾患の病態の解明や治療法の開発には,わが国においても脳の解剖数が増加し,研究をサポートするブレインバンクや研究センターが充実していくことが望まれます.
 「脳をみること」の意義をもう一度評価する時期にきているのではないかと考えております.
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2009/5  老年精神医学雑誌Vol.20 No.5
神経ホルミシス(neurohormesis)
布村 明彦
山梨大学大学院医学工学総合研究部精神神経医学講座
“What doesn't kill you makes you stronger”

 いまさら根性論の序でもないが,優れた警句は人生の指針となるのみならず,生物学の真理の一端をも指し示していることがある.低レベルのストレスを受けた生体がより侵襲的な高レベルのストレスに対する抵抗性を獲得するメカニズムは,「ホルミシス」理論のもとに近年,神経科学者の間で注目され始めている.老年精神医学とのかかわりも希薄ではなさそうであり,ここで取り上げてみた.
 医学辞典によれば,ホルミシス(ホルメシス,ホーミシス,hormesis)とは,毒性学由来の概念で,多量であれば毒性を示す物質や作用原が少量のときには生体を刺激し,生理学的に有益な効果を生じることを意味する.ホルモン(hormone)と同じ語源であるギリシャ語の“horme”(刺激,興奮)に由来する用語であるという.低線量の放射線を細胞や動物に照射すると発育成長の促進,免疫機能の向上,疾病抵抗力の増加,発がん抑制,寿命延長などが観察されることは放射線ホルミシス効果(radiation hormesis effects)として知られているが,ホルミシスの作用原は放射線に限らない.多数の化学物質,熱,運動負荷,カロリー制限などが生体に与える作用をホルミシス理論でよく説明できると考えられている.
 ホルミシス理論の萌芽はルネッサンス初期の医師,錬金術師Paracelsus(1493〜1541)の記述にまで遡るという指摘があり,また,近代病理学の父R. Virchow(1821〜1902)は1854年にホルミシス理論に合致する2相性の用量反応(biphasic dose-response)をすでに記載しているという.ホルミシスの最初の実験的証明として引用されるのは1888年のH. Schulz(ドイツ,薬理学者)による酵母を用いた実験であるが,ホルミシスという用語が実際に用いられたのは1943年で,C.M. SouthamとJ. Ehrlichにより多量では菌類の成長を阻害するオーク樹皮抽出物が少量では菌類の成長を促進する現象に対して用いられたのが最初とされている.
 神経ホルミシス(neurohormesis)という用語は,筆者が渉猟した文献の範囲では,現在の神経科学分野で論文の被引用回数が最も多い研究者の一人であるM.P. Mattson(アメリカ,National Institute on Aging)により用いられたのが最初と思われる.口演では2004年にコロラド大学セミナーやアメリカ神経化学学会シンポジウムで用いられ,論文では2006年にAgeing Research Reviews誌やTrends in Neurosciences誌上の総説論文中で用いられている.Mattsonの2004年の2回の口演タイトルがNeurohormesis:Implications for Aging and Neurodegenerative DisordersおよびNeurohormesis:Mechanisms and Implications for Cog-nitive Impairment in Agingであったことをみれば,加齢関連性の認知機能障害や神経変性との関連で神経ホルミシスが論じられていることがわかる.2006年の論文上で神経ホルミシスは,「神経細胞あるいは神経系が,適度な強さのストレスに対して反応することによって,より高度で本来は致死性あるいは障害・疾病惹起性のストレスに対する抵抗力を増強させる適応過程」と定義されている.Mattsonは神経ホルミシスの例として,(1)虚血プレコンディショニング,(2)興奮性神経伝達に対する適応反応,(3)運動負荷に対する適応反応,(4)カロリー制限に対する適応反応,(5)ファイトケミカル(レスベラトロール,クルクミンなど)に対する適応反応を挙げている.また,従来は神経毒性がより強調されてきた内因性の分子,すなわち,一酸化窒素,一酸化炭素,グルタミン酸,およびカルシウムイオンなどが神経ホルミシスの誘導に関与すると論じている.これらによって誘導される細胞内シグナル伝達がcAMP応答配列結合(CREB)タンパク質,熱ショック因子(HSF-1),核内因子κB(NF-κB),フォークヘッド型転写因子(FOXO)などの転写因子を活性化することによって,最終的には分子シャペロン(ストレスタンパク質),内因性抗酸化酵素,神経栄養因子などの発現が促進される.その結果,神経新生やシナプス形成が促進されて神経細胞の生存や機能維持に有利に作用するという.
 近年,適度な運動,認知刺激,カロリー制限あるいはファイトケミカル摂取が,中年〜高齢者の認知機能維持・改善あるいは認知症発症率低下に寄与するという観察的疫学研究あるいは介入研究やモデル動物の神経変性を遅延させるという実験研究の結果が注目されている.これらは神経ホルミシス理論でよく説明できるかもしれない.また,一部の抗うつ薬の効果が神経ホルミシスと共通の細胞内経路を介していることを示唆する報告もあり,神経ホルミシス理論は認知症予防を考察するうえで有用であるのみならず,より広くメンタルヘルス増進の戦略構築に役立つ理論として今後注目されるかもしれない.
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2009/4 老年精神医学雑誌Vol.20 No.4
アルツハイマー病治療薬の治験を通じて感じること
柴田 展人
順天堂大学医学部精神医学教室
 現在日本で保険診療を認められているアルツハイマー病治療薬はドネペジル塩酸塩(アリセプト®)ただ一剤です.筆者の知る範囲では,近い将来わが国ではおそらくガランタミン,メマンチンなどが治験を終了すると思われます.さらにはアミロイド仮説にアプローチしたアミロイドワクチン療法,γ-セクレターゼ阻害薬が現在進行形で治験が進んでいます.欧米の状況からすると,おそらくβ-セクレターゼ阻害薬も治療薬の候補になってくるだろうと予想されます.またほかにもイチョウ葉エキス,高脂血症治療薬,非ステロイド系抗炎症薬(NSAIDs),など多くの薬剤がアルツハイマー病への効果があるのではないかと謳われ,アルツハイマー病患者さんとそのご家族に治験薬として期待されています.情報化社会のなかで,アルツハイマー病についてもテレビ,インターネット等を通じて,患者さんやご家族は多くの情報を得て,また一部に混乱している場合も見受けられます.筆者は大学附属病院にて外来診療を行っており,比較的多くの初期の段階のアルツハイマー病患者さんとそのご家族に接する機会に恵まれております.これまでにガランタミンの治験を経験させていただき,現在ではアミロイドワクチン療法に携わり,多くのアルツハイマー病患者さんやそのご家族にご案内しています.そのなかで患者さん,ご家族の不安や,われわれとの認識のギャップを痛切に実感させられました.

 まずいちばん耳にした不安が“プラセボだったらどうしよう”というものです.これは治験の宿命なのですが,とくにアルツハイマー病では観察期間が1〜3年にわたる治験薬もあり,ご家族などがとくに心配されています.アミロイドワクチン療法ではアリセプト®の併用は可能ですが,それでもkey-openまでに長い期間がかかったり,また新規の治験薬が可能となった場合などにはいろいろ悩まれる方が多いように思いました.われわれも安全性の面から観察期間中に他の治療を勧めることもできず,もしプラセボだったらという思いがやはり拭いきれないのも実感としてありました.次に筆者や,他の医師も経験したことですが,ガランタミンの治験終了後に効果があったので継続したいという申し出がありました.われわれとしては実薬を提供することができずに他の治療を勧めると,ご家族がインターネットを通じて,ガランタミンを個人輸入して服用するケースが少なからずありました.もちろん論文や製薬会社を通じて,ガランタミンについてある程度の知識はあるものの,実際にはわが国での詳細なデータはない状況なので,われわれとしても不安を抱えながら診療(?),経過観察(?)を続けることになってしまいます.現代のようなネット社会を恨みながらも,もし自分が同じ立場だったら……と考えざるを得ません.やはり現場で切実な患者さんやご家族の思いを受け止めるとわれわれにもいろいろな感情が呼び起こされます.もう1つは地域の問題です.現代の日本では交通網が整備され,非常に便利になりました.治験も大規模で広く行われるようになってきています.それでもかなりの遠方から筆者が所属する大学病院に治験を目的に受診される方々が多くいらっしゃいます.長期間にわたる経過観察を考えると,かなりのご負担になるだろうと危惧される場合も多くあります.

 以上,私的な感情も含めて,まとまらず書き連ねました.今後アルツハイマー病の治験はますます盛んに行われるだろうと思われます.最近では,治験は各施設の倫理委員会,治験委員会の承認を得るために膨大な仕事量に忙殺され,患者さん,ご家族とのコミュニケーションにも十分な時間がとれないように感じます.製薬会社にももっと現場での患者さんやご家族の不安にも関心をもってほしいように思います.臨床治験なくして新規薬物の開発はあり得ません.アルツハイマー病は最もそれが期待されている疾患のひとつであり,今後のわれわれの担う責任は非常に重いと感じる日々です.
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2009/3 老年精神医学雑誌Vol.20 No.3
終の棲家は どこ?
内海久美子
砂川市立病院精神神経科
 平成16年当地域では認知症の地域連携を推進するために,“中空知・地域で認知症を支える会”を発足して,市民への啓発運動や医療と介護の連携に力をいれてきた.その活動の一環として,介護・福祉に携わる関係者の知識・技術の向上を目的に,研修会や症例検討会を年に数回開催して実際の現場で直面している問題について話し合っている.また平成20年度より,当院の精神科医師と精神保健福祉士が各介護施設に訪問してスタッフとの座談会を行う取組みを始めた.実際の現場を見学して膝を突き合わせながら彼らの意見に耳を傾けると,介護スタッフの労働環境の厳しさが実感として伝わってくる.離職率が他職種と比べて高いという実態が昨今取り沙汰されているが,憂慮の念を禁じ得ない.とくに認知症グループホームでの苦悩は大きい.
 平成9年認知症グループホームの制度が創設され,平成12年介護保険施設として加えられてからはうなぎのぼりに増加し,平成20年には全国で約9,500か所に上る.当初の設立基本理念は,家庭的環境の提供と認知症の特性を活かした個別ケアにより,人としての尊厳を重視して残存している能力を最大限に引き出し・保持することである.入所時にはおそらくADLについては見守りや半介助であったとしても,寝たきり状態ではなかった高齢者であっただろう.しかし年々,加齢変化に加え認知症は確実に進行しかつ身体疾患も加わり重度化していくのは自明のことである.とくに認知症高齢者の重度化は,3倍のスピードといわれている.平成12年の入所者の要介護度は1と2で7割,4と5の重度者が1割であったのが,平成19年の調査では前者が5割弱,後者は2割以上と数値のうえでも明らかである.さらには最近ではグループホームで看取りを行っている施設が出てきている.認知症グループホームにおける看取りに関する研究事業調査報告書(平成19年度)によれば,アンケート参加796事業所のうち2割が看取りを経験している.
 グループホームが看取りの場としての役割を担うことを,制度開始時にはたしてどれだけの者が想定していただろう.そこに働くスタッフのうち,これまで自分の人生のなかで死を看取った経験のある者はごくまれにしかいないであろう.昭和35(1960)年時の死亡場所は自宅が7割,病院2割であったのが,平成18年では自宅1割強,病院8割とすっかり逆転している.たしかに筆者の幼少時,同居していた祖母が自宅で亡くなったときにはその晩は同じ部屋で家族みなで枕を並べた記憶が鮮明に残っている.幼な心に死というものが畏怖の念と同時に身近な出来事であることを経験した.しかし今や死は病院の中に封印されてしまい日常から遠いところに位置するようになった.医師になった筆者でさえも,いまだに死に立ち会うことは,もっとなにかできたのではないかという後悔と無念さを痛感し,時には自己不全感にまで至ることさえある.ましてや死とは程遠いところで日常を送っていた介護スタッフにとって,仕事とはいえ看取りを行っていくことのストレスは想像を超えるものであろう.夜間などは一人勤務でただでさえ不安と緊張感が強いられるのに,終末期の入居者がいるとなるとまんじりとすることもないだろう.
 筆者は介護スタッフを対象にした講演会などで,参加者に次のような問いを投げかけている.「グループホームで終末期になったときその対象者への介護が多くなるため,他の入所者に十分な介護ができなくなる可能性があるが,家族が望む場合そのままそこで看取るほうがよいか」.何と約3割の参加者が「そのままグループホームで看取るのがよい」と答えている.自分たちの負担を考えてもなお看取りをしたほうがよいと答えてくれたその熱意には感服する.また前述した看取りに関する研究調査では,家族の意向も何と7割がそのままグループホームでの看取りを希望している.その背景には,だれもが「終の棲家」は住み慣れたなじみの場でありたいという時代を超えた,おそらくは民族を超えた普遍的な望みなのであろう.「これがまあ 終の棲家か 雪五尺」と辞世の句を詠んだ小林一茶は生誕の地である北信濃で最期を迎えることができたが,せめて故郷ではなくとも住み慣れたなじみの場・なじみの人(もちろん家族も)に囲まれ死出への旅立ちをしたいものである.
 平成21年度の介護報酬で久しぶりに3%のプラス改訂となった.今回の改訂で,グループホームなどでの看取り介護加算が80単位/日が新たに制定されたが,はたしてこの加算で十分な看取り体制ができうるのだろうか.看取りを行うためには,職員の教育や研修など多くの課題が山積されていることを考えれば,答えは否であるといわざるを得ない.
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2009/2 老年精神医学雑誌Vol.20 No.2
認知症高齢者と精神科医療
三原伊保子
三原デイケア+クリニックりぼん・りぼん
 私が認知症高齢者を拝見するようになってはや四半世紀が過ぎた.当時はどの診療科も彼らの受け入れは悪く,その家族は,どこにかかってよいのか,どこに相談したらよいのか,まったくわからずに途方に暮れていた時代であった.
 私は当時,北九州市内のM病院に勤務していたが,外来痴呆(認知症)患者の寝たきり防止と家族支援のために,日中過ごす場所を提供してはどうかという提案が看護職からあがり,職員寮の1階を提供して始めたのが,老人保健法が成立する2年ほど前だったように記憶している.
 その後,老人保健法に基づいて老人デイ・ケアが創設されたが,当初この老人デイ・ケアの人的基準の医師は実は<精神科医>であった.今と比較すれば不完全なシステムであったが,利用者は急速に増えていった.しかし,一方で<精神科医>が施設基準であるということは,老人デイ・ケアが全国的に広まるには高いハードルとなっていたようで,まもなく基準に神経科医も加わり,やがて<医師>ということになっていったのである.
 では,なぜ当初は<精神科医>が基準となったのだろうか.もちろん,全国で第1号施設であった当時の勤務先のように,精神科病院を母体としたところが多かったことは大きな理由であったろう.しかし,一勤務医であった私からみて,これは真に妥当な判断であると感じていた.認知症はその疾患だけを診断・治療すればよいというものではない.<全人的なかかわり>を念頭において診療に当たれる医師が必要とされるのである.元来,精神科医療は,疾患の治療のみではなく,人が人としてかかわることを,好むと好まざるとにかかわらず求められてきた歴史がある.論理的かつ客観的な診断・治療を基盤におきつつも,患者を「疾患としてではなく人としてとらえる」という点で,認知症高齢者や家族を支えていくには,当初の精神科医基準は実に適切な選択であったといえる.
 老人デイ・ケアが,高齢者一般を対象としたこともあり,昭和63年に老人性痴呆疾患デイ・ケアが新たに設定されることとなった.これが,現在,精神科専門療法のひとつとなっている重度認知症患者デイ・ケアの基である.
 一方,老人デイ・ケアは介護保険制度下,通所リハビリテーションとして医療保険制度からは離れていったのだが,ここ数年,これら介護保険の通所系サービスと重度認知症患者デイ・ケアとの相違が,後者の存亡をかけての論点となっている.
 しかしながら,その誕生からの歴史をみてきたものとしては,デジャ・ヴュを見る思いもするのである.なぜならば,老人福祉法に基づくデイ・サービスが設定されて以来,<デイ・サービス>と<デイ・ケア>の相違は長いこと論議の的になっていたからである.デイ・サービス側は「両者に相違点はない」と主張し,一方デイ・ケア側は医療のかかわりの重要性を強調し,しだいに,グループ療法的なかかわりが念頭にない他科の治療者らによって<個別リハビリテーションのみがデイ・ケアで求められるもの>との考えが大勢を占めるようになる.この結果,集団としてのかかわりは「<北国の春>と風船バレー」などと,揶揄されるようになっていった.認知症高齢者にとっては,個別的かかわりとグループのなかでのプログラムは同程度に重要なものであるはずなのだが.
 この当時の構図はいわば<老人医療VS. 老人福祉>といえるものであったが,現在,重度認知症患者デイ・ケアを取り巻く状況もこの歴史を引きずっているようにみえてならない.今回は<精神科医療VS. 介護保険>というところだろうが.医学雑誌で診療報酬にふれることにお叱りをいただく向きもあるかもしれないが,平成18年の診療報酬改定で重度認知症患者デイ・ケア料は当初廃止と言われ,結局残留したものの一律1,000点となった.これに対して,現時点での介護保険の地域密着型認知症対応型通所介護は,たとえば要介護2で地域積算をいれないでも1,071単位である.つまり,同程度の介護度の通所者であれば,精神科医療がかかわればむしろ報酬が低くなるという結果になる.しかも,前者の設置基準は段違いに厳しいものである.
 しかしながら,こういった現状に嘆息しているばかりでは済まない.認知症高齢者にとって医療と介護はいわば車の両輪であることはまごうことない事実だが,それぞれの果たすべき役割の違いがある.また,重度のデイ・ケアだけが認知症の精神科医療ではないことも重々承知だが,今まで積み重ねてきた技量と成果をもって,認知症高齢者への精神科医療のかかわりの重要性を説き,その必要性を具現化していきたいと思っている.
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2009/1 老年精神医学雑誌Vol.20 No.1
認知症は生活障害という視点で診よう
山口 晴保
群馬大学医学部保健学科
 私は,医学部を卒業したあと,大学院で4年間神経病理を学び,平井俊策教授率いる神経内科に入局した.以来30年近くβアミロイドの病理研究を続けている.途中1986年に,医療短大理学療法学科に移り,リハにもかかわってきた.2001年には,大学院で地域理学療法学を担当することになり,地域活動を始め,2006年には群馬県内の認知症ケア研究の普及を目指してぐんま認知症アカデミーを立ち上げた.したがって,認知症には,神経病理研究者,神経内科医,リハ医,さらに地域活動家としてかかわっている風変わりな医者が,変わった巻頭言を書いている.
 認知症をリハの視点である国際機能分類(ICF)に照らしてみよう.認知症の定義を振り返えると,認知障害により「社会生活が困難になった状態」とある.つまり認知症は生活障害である.中核症状はICFの心身機能・構造(かつてはimpairmentととらえた)である.周囲との関係が大きな影響を与えるBPSDは参加(同handicap)に相当する.そして,金銭管理,服薬管理,調理などのIADL障害は活動(同disability)に相当する.
 こうみると,現在の認知症医療では,活動(生活能力)に対するアプローチが弱いことに気づく.ケアに任せて,医療は無関心に近い.認知症の診療では,その人の生活状況の把握が必須である.どのように食事の準備をし,食べ,片づけて,掃除をし,洗濯をし,買い物に行き,生活をしているのか.本人のいないところで生活状況を介護者から聞き取り,介護者にアドバイスを与え,介護者の相談に乗ることが,日々の診療で大切だと感じている.
 そこで,認知機能ではなく,生活機能を向上させる方法を紹介したい.私が取り組んでいる脳活性化リハは,(1)快刺激が笑顔を生む,(2)コミュニケーションが安心を生む,(3)役割を演じることが生きがいを生むことを原則としている1).認知機能そのものを高めようとせず,認知症の人が楽しく能力を発揮でき,笑顔でいられる時間を設けることが,その人の生活能力を高め,結果的にBPSDが低減し,しばしば認知機能の改善にも結びつく.
 リハは人間が人間にかかわる仕事である.かかわる人間が,「この人によくなってほしい」という強い思いをもって熱心にかかわると,よくなる.逆に機械的にかかわるだけでは,リハの効果は現れにくい.よく○○療法は有効かと問われるが,私は,「上手な人がやると有効ですが,下手な人がやると無効です」と答える.上手とは,上記3原則を守った介入である.セラピストもクライエントもともに楽しく,笑顔でコミュニケートし,認知症の人が役割を演じ能力を発揮する.このような取組みなら,どんな療法でも有効となる.それは人が人にかかわると両者の脳が変わるからである.リハでは,本人のよくなりたいという気持ちとセラピストのよくしたいという気持ちの有無が結果に大きな影響を与える.認知症にかかわる医療・ケアスタッフは,笑顔で元気でなければならない.
 私は脳病理を研究してきたが,認知症の症状は脳病変だけで決まらないことが,修道女を対象にしたNun研究などから示されている.廃用を防いで余力を高める脳活性化リハや,ストレスの除去,さらには認知症を防ぐライフスタイル2)を実行することが,進行の防止に有効と思う.
 ドネペジルについても一言.ドネペジルで認知機能が高まったがBPSDが悪化し,困って相談に訪れる例をしばしば経験する.とくに10mg投与に多い.ドネペジルを減量するように言うと,「この薬は進行を遅らせる薬だと主治医に言われている.減らすのは心配だ」と家族が言う.認知機能ばかりをみるのではなく,その人の生活状況を診て投与量を検討すべきであろう.ドネペジルは1人ひとりに適切な量を投与できるよう,5mg以上ではなく1〜10mg投与可能にしてほしい.
 認知症の人の抱える困難は認知障害だけではなく,生活が困難になり,不安や混乱を抱えている.生活全般への配慮が認知症の医療では必要である.さらには介護者へのケアも必要である.たとえば介護者がいらいらしていると,笑顔で対応できず,本人もいらいらしてBPSDが悪化する.最近BPSDに処方される抑肝散は,子どもの夜泣き・疳の虫では母子双方に処方される.私は,抑肝散を認知症の本人だけでなく,不安やイライラを抱える介護者にも投与し,相乗効果で双方が穏やかになることを経験している.
 たとえ認知症になっても,本人と家族がともに笑顔で生活できるような支援をしたいと思いつつ研究や診療に当たっている.

[文 献]
 1)山口晴保ほか:認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント;快一徹!脳活性化リハビリテーションで進行を防ごう.協同医書出版社,東京(2005).
 2)山口晴保:認知症予防;読めば納得! 脳を守るライフスタイルの秘訣.協同医書出版社,東京(2008).
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