2008/12 老年精神医学雑誌Vol.19 No.12
精神科医師が,認知症を診ることの意味
水野 裕
特定医療法人杏嶺会いまいせ心療センター/認知症センター
半年ほど前になろうか,日本のトップレベルの老年科医師が,学術雑誌の認知症の特集号の中で,「認知症が疑われる本人に『どうですか?』などと聞くのは,時間の無駄であり,意味がない,家族から適切な情報収集をすべき」という診察のコツ(?)を解説している記事を読んだことがある.
内科や,そこから専門分化した老年科,神経内科では,おそらく,このような情報収集の仕方は,当然のことかもしれない.「記憶障害や作話の可能性がある,患者自身に,現在の状況を聴くことなどは,ナンセンスだ.本人には,神経心理検査などをしてもらうだけで十分であり,家族や介護に携わる人たちからの情報収集をすれば,診断が効率よくできる」,という趣旨だろう.しかし,そう頭では理解しようとしても,本人に「どうですか?」と聞くことに意味はないと言われると,精神科医師としては,反発を感じる.このような反発を感じるのは,おそらく,精神科医師の本能のようなものだろう.なにかわけのわからないことを言っている,どうせ狂っている,という人たちの言動,行動に意味を見いだそうとして,毎日を生きてきた精神科医師としての本分(アイデンティティー)を否定された気分になるのだろうと思う.
最近,私のような若輩医師のもとにも,「認知症を勉強したい」という精神科医師が訪れることがある.しかし,彼らの多くは,最先端の画像検査や,新しい心理学的検査に対する意欲は総じて旺盛で,学会発表や論文作成には力を注ぐが,認知症の本人を診察したり(進行すれば,観察が中心となるが),家族やケアワーカーの悩みを聞いたりすることには,あまり関心がないような気がする.
これは,私の少ない経験だけに基づくものではなく,他の病院の先輩医師に聞いても,残念ながら,印象は同じである.私としては,記憶障害や,作話,失見当のために,客観的事実としての信頼性には欠けるだろうが,今感じている,本人の不安や当惑,怒り,悲しみを直接,本人に聞いてそれを共有しようとする努力なしでは,精神科医とはいえないと思う.さらに,このような,精神科医師のなかには,「精神科は,インタビューなどが面倒だ,認知症はそれらがなく,楽だ」という本音が透けて見える医師すらいる.「精神科には,入局したものの,精神科の患者は,境界例など,いろいろ言ってきてうるさい,その点,ぼけた年寄りなら,放っておいても文句は言ってこないし,認知症の専門というとなにやら格好いい」というくらいなのだろうか.
内科医(神経内科や老年科も含めて)が,血液や髄液などの検査,最新の機能画像を中心に診察,診療をしようとするのは,当然である.「本人に聞いても,(時間の無駄だから)情報を家族に聞くべき」という老年科医も,彼らの専門性から考えれば,批難されるべきではないかもしれない.なぜなら,それが彼らのアイデンティティーであり,本分であるからである.そして,そのような基本的な態度,アプローチから,さまざまな神経疾患,身体疾患を解明し,治療法を開発してきただろうから.しかし,それら目に見える変化以外の精神症状,態度,行動などから,本質に迫ろうと努力しているのが,われわれ精神科医ではないのか.少なくとも,私たちの大先輩たちはそのようにしてさまざまな精神病(器質性も含め)の解明に力を注いできたのだろうと思う.お名前をだして恐縮だが,三山吉夫先生が,以前学会で,「(三山病の)神経症状が取り上げられることが多いが,本当は精神症状が重要なのに,取り上げられることが少ないのは残念だ」と嘆いていたことがあった.おそらく,レビー小体型認知症も,三山病も,直接,先生方に確認したことはないが,おそらく,精神症状から研究の糸口を見つけたのではないか,とも思う.
しかし,前述のような自称認知症専門精神科医が出現する背景には,なにか理由があるにちがいない.以前に比べて,診察,診断の道具として各種画像検査や,神経心理学検査などを使用するのが中心になっていき,しだいにわれわれ精神科医師が,内科医師のような診察スタイルになっているのではないかとも思う.したがって,それを見ている若手もどうしても,認知症の専門医は,精神症状に付き合うというよりは,検査を駆使して,状況を説明し,後は入院か,デイサービスなどへの社会的なケア環境を紹介するだけ,と理解してしまうのではないか.
このような医師たちを作り出してきてしまったとするならば,私たちにも責任の一端があるかもしれない.私たち,日本老年精神医学会にアイデンティティーを感じる医師たちが,「認知症を診る精神科医」を謳うのであれば,内科,老年科医師とは違うスタンスで,認知症と向き合い,そこからしか得られないような発見や気づきをもって,診療や,研究を進めるべきではないか.
2008/11 老年精神医学雑誌Vol.19 No.11
地域づくりと「認知症予防」
柿木達也
兵庫県立西播磨総合リハビリテーションセンター
認知症予防に100%はありません.現在認知症予防といえば,(1)生きがい,(2)運動,(3)栄養,(4)休養といったことしかありません.うつ病対策を行い閉じこもりを防ぎ,口腔ケアをして,栄養に留意し,運動を勧め,同時に十分な休息をとる.医学的に100%の予防法がない現在,多少なりとも効果のある取組みをこつこつと積み上げる努力しかありません.つまり現在できる認知症予防の取組みは地域ぐるみでの総合的なものであるという意味では,地域づくりそのものが認知症予防であると考えることもできるのではないでしょうか.地域づくりは全国で取り組まれている課題です.1つの例として筆者が関係している兵庫県での取組みを紹介させていただきます.
兵庫県では,認知症地域資源ネットワーク構築事業の一環として,県下モデル地域で実践を行っています.そのひとつ県立但馬長寿の郷が中心となって,高齢化の進んでいる但馬地域のなかで認知症予防の取組みを行っています.地域の人たちと職員が定期的に話し合いをもつことから始め,認知症という言葉は前面にださないなど,種々の話し合いにより,「○○地区しあわせ検討会」という名のもとに具体的取組みが始まっています.たとえば地域防災マップに近所で行われている行事や活動を具体的に書き込みながら,皆で楽しみながら,再認識しています.最初動き出すまでのエネルギーの注入は必要ではあるものの,いったん動き出せば,地域が自律性をもってきます.活気がでてきます.そしてエネルギーを注入する人たちに対する期待も大きくなってきます.そして,その自律性を地域の人たちのエネルギーだけで維持できるような工夫を検討しているところです.
但馬地域のモデル地域以外の朝来市や養父市でもそれぞれの地域特性に合わせた活発な活動を展開しています.朝来市では「脳耕会」という,地域での公的私的関係機関および地域住民の参加した会を設立し,そこで認知症への取組みをどのように進めていくかを検討しています.認知症検診としての「脳の元気度チェック」「ドリル脳耕」の発行,認知症サポーター研修を通しての認知症啓発活動の活発化,啓発活動のための市民劇団の活動など,身近な取組みを積み重ねることで地域での認知症対策を進め,それがそのまま地域づくりへと発展していっている側面もあります.また,養父市では認知症サポーターなど,介護予防サポーターの自律的な活動が活発になってきており,市民が介護予防について学ぶことで,高齢者を支えながら地域づくりを進める「市介護予防サポーター」としての動きへと広がっていっています.高齢者の居場所づくり,体操の普及,寸劇を通して認知症予防を呼びかける劇団に取り組むグループなどが出来,サポーターが自律的に意欲をもって動き始めた結果です.サポーターのほとんどは地域の高齢者であるため,意欲的に取り組むという活動そのものが認知症予防であるともいえます.兵庫県西部では,筆者のいる病院でも脳リハ練習帳といったドリルを作成し,ドリルを希望する人への入手の利便性を高めたり,近隣の市町である佐用町では,認知症サポーター養成をきっかけに,地域での助け合い,見守りの動きがほんの一部にせよできてきています.また週1回の生きがいデイサービス「ほっとちゃん」に熱心に参加する人たちの地域での要介護度をみると相対的に低く,認知症の人も少ないとのことです.地域に密着した取組みで認知症を含めた介護予防効果が期待されています.兵庫県での取組みがこれだけでないことはいうまでもありません.
さて,認知症に対しては医療面での適切な対応がなされているということが当然のことです.そのための認知症診療における医療連携はどうでしょうか.診断を主たる業務とする専門医療機関といわれる病院は多くはなく,患者さんが集中し医師は消耗していきます.なにも認知症に携わる医師だけが消耗しているわけではありません.地域で認知症に真剣に取り組んでいるかかりつけ医の活躍なくしては認知症対策はあり得ません.高血圧や糖尿病のようにとはいかないかもしれませんが,認知症の人を地域で支える核になるのはかかりつけ医と考えます.認知症専門医療機関といわれるところだけが超高齢社会での認知症対策の中心というにはあまりにも認知症の問題は大きいと思います.
どの地域でも高齢化は押し寄せています.全国でさまざまな対策が試みられています.認知症があるかないかが問題ではありません.さまざまな認知機能の人たちが一体となって生活しているのが地域です.地域全体が認知症について理解しさりげなくそっと見守ることができ,その人としてのあり方を実現できるのが地域と考えます.画一的な取組みではない地域の特色を生かした取組みこそが求められているのではないでしょうか.
2008/10 老年精神医学雑誌Vol.19 No.10
新しいことを習得する能力の減弱
稲田俊也
財団法人神経研究所附属晴和病院
「時代の流れに遅れてはいけない」という思いと,「新しいバージョンに早く慣れよう」という思いから,パソコンを買い換えた際にワープロソフトと表集計計算ソフトも新しい2007年版を使ってみることにした.バージョンアップだから更新された機能の内容によってはボタンの位置などに多少の変更があるのはやむを得ないと覚悟していたが,いざ実際に使ってみたら,ボタンの分類まで変わっていて,どこに以前使っていた機能があるのかがすぐにはわからず,まったく新しいソフトウエアを使うようで,まるで浦島太郎が竜宮城から戻ってきたときの心境に似たものを感じてしまった.忙しい業務の合間などに少しでも文書やデータを更新しようと思って文書ファイルを開いてみても,昔から使い慣れた機能のボタンが,使い慣れた位置には見当たらなくなっている.どこにあるのかとあれこれ探してみるが,探すのに一苦労で,すぐには思った通りの機能が使えずどうしようかと思案する.そのうちに,電話が鳴ったり,会議や外来診療が始まったりして,結局はほとんどなにもできないまま文書ファイルを閉じてしまう.そういうことが何度かあったが,それでも慣れてしまえばそのうちまた違和感なく使えるようになるだろうと,一生懸命新しいバージョンに慣れようと努力を繰り返す.しかし,何度使ってみてもなかなかなじめず,いよいよアルツハイマー型認知症の前兆の,新しいことを習得する能力が減弱し始めてきたのではないかと危惧するようになってきた.そうなってはいけないと思い,さらに強い意欲で新しいバージョンに慣れようと心がけたが,マスターするコツをつかんでいないのか,締め切り間近の仕事やタイムリミットのある仕事では,文書などの作成が遅れて間に合わなくなりそうで,結局は使い慣れた旧バージョンがインストールされているコンピュータを使ってやむを得ず仕上げるという事態にしばしば遭遇した.
そもそもバージョンアップというのは,これまで問題なく使えた機能はそのまま残して,使い勝手の悪かった機能を使いやすく改良したり,それまでできなかった新しい機能を加えたりするのが本来の姿であろう.このような,利用者の利便を図るバージョンアップを,私は生物学的精神医学研究のなかで,何度か経験している.例を挙げると,アメリカ留学中に行ったマイクロダイアリシス研究では,市販された初期のprobeを脳内に挿入してコカイン注射前後のカテコールアミン濃度を測定する実験を行っていたが,コカインを注射するとラットの運動量が増して,マイクロダイアリシスのprobeが折れてばかりいて,とても脳内カテコールアミン濃度を測定することができなかった.そこでどうすればよいかとあれこれ思案しているうちに,3か月かけてエッペンドルフチューブを組み合わせてprobeが折れないように頭にかぶせるキャップをプロテクターとして自分なりに開発した.それが出来上がり,実験を再開しようと思ってprobeを購入してみたら,バージョンアップされた「折れないprobe」が発売されていた.また,日本に帰国後,遺伝子断片増幅機器(PCR)で遺伝子断片の増幅を行う際に,生成産物が飛んでしまわないようにと,すべてのチューブに油をポトンと落として,遺伝子断片増幅を行い,油の下の生成産物だけをピペットで最大限に引き出す操作に慣れたと思ったら,新しい遺伝子断片増幅機器では,その最も面倒だった各チューブの中に油を落とす作業と油の下の生成産物だけをピペットで吸い取る作業をしなくてもよいように改良されていた.せっかく開発したprobe折れ防止のキャップを使う機会を逸したことや,簡単なこととはいえコツを覚えた油の下の生成物収集技術が無用なものとなってしまったことは,少し残念に思ったこともあるが,研究者が一番たいへんだと思うようなところが,次々と的を射て製品に改良が加えられていくバージョンアップは,利用者のニーズに合った好ましいバージョンアップであることにまちがいはなく,おおいに納得のできることである.
話を最初に戻すと,蚊取り線香から電子蚊取りに変えたときも,筆記カルテから電子カルテに切り換わったときも,従来診断からDSM診断への切り換えも,環境の変化に抵抗なく順応できると思ってきたが,2007年版の新しいワープロソフトと表集計計算ソフトには結局なじめないまま,慣れ親しんだ旧バージョンにダウングレードしてしまった.これは新しいことを習得する能力が減弱してきたのとはおそらく違う次元の問題が潜んでいるのだろうと自分なりには考えている.
2008/9 老年精神医学雑誌Vol.19 No.9
老年精神医学の昔,今,将来
中野倫仁
北海道医療大学心理科学部臨床心理学科
認知症を勉強しようと思ったのは,札幌医科大学の学生時代にポリクリをさぼって友人と参加した新潟大学神経学夏期セミナーがきっかけだった.当時の演者は,重鎮としては亀山正邦先生,若手では,井原康夫先生,北本哲之先生と今思えば錚錚たるメンバーであった.21世紀の有望な研究テーマはアルツハイマー病だと確信し,意気揚々として札幌に戻った.まもなく大学の事務から呼び出しを受け,ポリクリの出席日数が足りないから留年だと言われる羽目になった.担当教員には事前に了承を受けて参加したことを説明し,何とか夏休み中に補習を受けることで勘弁してもらった.結局,神経精神医学講座に入局したのだが,神経内科にも興味があったため,高畑直彦教授に神経内科の研修を受けることを条件に入局するとの生意気な(?)申し出をした.少し迷惑そうな顔をされたのを覚えている.同期の入局者が12人と多かったため,市内の中村記念病院で神経内科の研修を行うことになった.神経内科のボスは,伊藤直樹先生といってたいへん該博な知識の持ち主であった.閉口したのは,回診中に患者さんの前で質問され,答えられないと,「医学に興味がないのか.そんなやつは医者になってほしくないな」と責められることだった.何とか負けまいと思って勉強し,時に反論したのだが,その日のうちに伊藤先生の主張を支持する論文を渡され,ギブアップする日々が続いた.主張には必ず論文の裏づけがあるという姿勢には敬服したものである.
大学に戻り,精神科での臨床を始めたのだが,20年前の認知症の臨床は,診断が主なテーマであり,治療まで力が及ばないという状況であった.中等度で入院した患者さんが,最後は四肢拘縮の状態で寝たきりになるのを見るのは正直つらかった.亡くなった後に剖検し,ほとんど神経細胞が残っていない標本を鏡検して,「これに効く薬があるのだろうか」と治療的悲観論に傾く日々であった.しかし,認知症を勉強したいという若手は多く,それなりに教室は活況を呈していた.神経病理や眼球運動が教室のテーマであったが,将来必ず役に立つという使命感だけが頼りだった気がする.
あれから20年が経過し,老年精神医学の研修を取り巻く環境は一変した.MRI,SPECT,PETなどを用いた統計学的画像解析,アセチルコリンエステラーゼ阻害薬などの治療薬の出現,介護保険制度の導入によるデイケア等の普及など,認知症の臨床は少しずつだが着実に進歩している.しかしながら,老年精神医学を志す若手は全国的に減少しているのが現状である.その理由はいろいろあるが,精神科に限ってみると次のようなことが考えられると思われる.
第一に,老年期の臨床には精神科プロパーの仕事が少ないと思われている.画像診断は放射線科の協力が重要であるし,介護保険は他職種がメイン,老年期を対象にした精神療法はまだ無力,精神科医の仕事はBPSDに対する向精神薬の投与だけであるいった考え方である.根本的治療は無理でも,患者・介護者に対する援助はさまざまに可能であると思うのだが,あまり興味を惹かないようである.
第二に,老年期の臨床には,狭い意味の医学の範囲に留まらない厄介な問題が多い点が敬遠されている.例を挙げると,「何度も同じことを言うのにどうしたらよいでしょう」「デイサービスの回数増やせば楽になるのですが,お金がありません」などの医学の問題としては即答しかねる問題が多いことである.
ただし,現在に比べて医療水準がまだまだ低かった時代にも,当時の医師は悪戦苦闘しながらも努力してきたのである.16世紀のフランスの外科医アンブローズ・パレの言葉とされる「ごくまれに治し,時に和らげ,いつも慰める」は,けだし金言である.精神科医として,老年期の臨床で精神科医の存在意義を示せないことなどあり得ないと個人的には思っている.臨床および研究が,生物学的側面に偏ってしまうと,精神科医としてのアイデンティティが揺らぐのではないかと心配している.
以前,アメリカの経済が停滞していたときに,優秀な人材が証券会社や金融機関に流れ,マネーゲームでのみ財を築こうとしたことがその原因であるとの議論があった.その打開策として,「アメリカの再工業化」の必要性がいわれ,真剣な検討がなされたと記憶している.老年精神医学においても,アメリカ経済の話は他山の石ではない.生物学的研究のいっそうの進歩の必要性は当然の前提としても,老年精神医学の「再精神医学化」の重要性をあえて提唱したい.
2008/8 老年精神医学雑誌Vol.19 No.8
精神科とパーキンソン複合
小林克治
粟津神経サナトリウム
認知症の基礎研究,すなわち遺伝子やタンパクの研究は神経内科領域で精力的に行われるようになり,精神科では非認知障害またはbehavioral and psychological symptoms of dementia(BPSD)の病態と治療が臨床や研究の主体になってきた.しかし,器質性精神疾患は精神科の若い先生方には最も人気のない分野のようである.神経学を離れ,うつ病,不安障害,統合失調症の薬物療法と生物学的研究が主流にみえる.うつ病・不安障害は最近の精神疾患のトレンドで,新聞雑誌にも広告が多い.一方で,診療を求めてくる患者さんの3割は認知症や器質性精神疾患である.うつ病と診断された不活発型せん妄患者や抗うつ薬で活動型せん妄になった患者さんをよくみる.内因・心因・外因を暗算のように意識しないで操作的診断に走るからかもしれない.精神症状には意識水準の評価が大切で操作的診断のような二次元ではなくて三次元の見方が大事なのに.
近年,meta-iodobenzylguanidine(MIBG)心筋シンチグラフィーがパーキンソン症候の鑑別診断に応用されるようになり,認知症の診断精度が格段に向上した.パーキンソン症候は多彩で,パーキンソン症候を伴う認知障害の診断はむずかしい.パーキンソン病やレビー小体病なのか,それともアルツハイマー病や血管性認知症などの非パーキンソン病性疾患なのか,鑑別は困難なことが多い.精神病症状,うつ病,不安障害が老年期に初発し,MIBGで典型的な低集積を示す症例がある.一方,MRIで基底核に多発性の小梗塞があり,認知障害とパーキンソン症候を示す患者が正常なMIBG集積を示す.前者はパーキンソン病あるいはレビー小体病,後者はかつての脳動脈硬化性パーキンソニズム,最近の用語では脳血管性パーキンソニズム,と考えられる.とくに後者では,ドーパミン剤や抗コリン薬の投与でせん妄や幻視が生じやすく,昔はさんざん苦労させられた病態であるが,今はあらかじめ薬物治療を計画できる.
パーキンソン病による認知症の概念も定着した.これまでパーキンソン病の認知障害の原因として,ドーパミン枯渇,うつ病,アルツハイマー変化,抗コリン性薬物,皮質レビー小体などが挙げられていた.病理学研究から,認知障害の病理学的病巣が絞られてきた.前脳基底部と扁桃体周囲皮質のシヌクレインの変化が認知障害と関連しているとする学説が有力である.またBraakらのシヌクレインのステージングの研究が多施設で行われ,アルツハイマー病とよく似た病理学的な段階が区別できるようになった.パーキンソン病認知症とレビー小体病認知症の違いをどう考えるかについても村山繁雄博士の明快な論説がある.このような研究から,パーキンソン病認知症の病理変化をMRI画像とSPECTからある程度推定することができる.MRI画像からは内側側頭葉の萎縮がアルツハイマー病に一致した形態かどうか,また扁桃体の萎縮はどうかを検討する.パーキンソン症候の特徴,認知障害のプロフィールは皮質性か皮質下性か,巣症状の有無,記憶障害と実行機能障害のバランスなどから臨床的には判断できることがある.しかし実際はMIBG低集積の症例であっても,アルツハイマー変化と血管性変化はお構いなしに症状に修飾をかけ,臨床症状を複雑にする.パーキンソン病認知症がアルツハイマー変化の重畳ではないのか,血管性変化による修飾があるのではないか,といつも考える.また高齢者に特有の姿勢異常も脳幹のタウ変化で大脳のそれとは独立して変化を生じるとの論文もあり,混乱するのであまり考えないことにしている.
このように老年期に初発する精神疾患はMIBGのおかげで,頭の中でかなり整理がつくようになった.遅発性パラフレニーや悪性退行期精神病と呼ばれたおどろおどろしい名前の疾患がレビー小体病であることも多い.また,パーキンソン精神病と呼ばれる病態があり,パーキンソン病初期の精神病はレビー小体病の診断を示唆するとの学説がある.老年期に初発する幻覚妄想状態であり,診療では念頭においておくべき疾患であるが,パーキンソン精神病とパーキンソン病認知症をあまり区別しない研究論文も多いので,両者が近接した病態と考えられているようだ.
MIBGのようにたった1つの検査法がこのように臨床を前進させる.学者の数だけあった老年期精神疾患の診断名もそろそろ整理したほうがよいと感じる.また,運動機能を神経内科,精神症状を精神科で診られている患者さんはたいへんだろうと思う.両者が少し歩み寄るだけで患者さんの負担は格段に軽減する.認知症の基礎研究をしている神経内科医が精神症状に,生物学的精神医学に邁進している精神科医が神経学に少し歩み寄ればよいだけのことである.
2008/7 老年精神医学雑誌Vol.19 No.7
レビー小体型認知症の早期発見
大川愼吾
兵庫県立姫路循環器病センター高齢者脳機能治療室
現・医療法人俊仁会大植病院
わが国では,認知症高齢者の数が近い将来300万人に達するといわれ,老年患者の診療に携わる医師は認知症を避けて通ることができない.私が所属する認知症の診療科でも,外来患者数は確実に増加している.また,当院は循環器疾患に特化した専門病院のため,老年患者の占める比率が非常に高く,他の診療科を受診したのが契機となって認知症が発見されることが多い.認知症の原因としては,アルツハイマー病,レビー小体型認知症(dementia with Lewy bodies;DLB),および血管性認知症が大部分である.そのなかで,DLBは特異な病像を有し,他の診療科の医師もとくに注目すべき疾患と考えている.
DLBはKosaka(Kosaka K:Acta Neuropathol,1978)が最初に報告した原因不明の神経変性疾患で,病理学的には大脳皮質・辺縁系・脳幹にびまん性にレビー小体(神経細胞内封入体で主要構成タンパクはα-synuclein)を認める.DLBの生前診断は臨床診断基準(McKeith IG,et al.:Neurology,1996;McKeith IG, et al.:Neurology,2005)に基づいて行う.すなわち,社会的または職業的機能に支障をきたす進行性の認知機能障害に加えて,中核症状である(1)注意や明晰さの著明な変化を伴う認知機能の変動,(2)構築され,具体的な内容の繰り返す幻視体験,(3)特発性パーキンソニズムが2つ以上揃うとprobable DLB,1つあればpossible DLBと診断する.典型例では1回の診察だけでほとんど診断ができる.しかし,中核症状が揃わない病初期や非定型例では診断が容易でないことも多い.
DLBの診断基準には,診断を示唆,あるいは支持する臨床的,画像的特徴が挙げられている.画像検査では,MRIやCTで側頭葉内側の萎縮が比較的軽く,SPECTやPETで後頭葉を含む大脳のびまん性脳血流低下・糖代謝低下を示すのが診断を支持する特徴である.また,MIBG心筋シンチの心臓集積の低下,すなわち心臓/縦隔比(H/M比)の低下があれば診断が支持される.
DLBの診断を示唆する特徴のひとつにREM睡眠行動障害がある.心疾患で入院した老年患者が,夜間に異常行動を繰り返し当科に紹介されることがしばしばある.その原因として睡眠導入薬や代謝性障害によるせん妄が多いが,REM睡眠行動障害と考えられ,認知機能検査と脳画像・MIBG心筋シンチの所見から,初期のDLBと診断することがある.自律神経症状の失神はDLBの診断を支持する特徴である.当科でも,DLBと診断した患者が,既往歴に失神をもつことが時にある.また,意識消失発作を繰り返す患者が,てんかんや心疾患の疑いで神経内科や循環器内科を最初に受診し,てんかん脳波や心電図異常を検出されず,その後当科に紹介されてDLBと診断することもまれではない.DLBでは運動機能においても顕著な変動を示す例がある.入院中のDLBの患者が,急に上下肢の動きにくさや喋りにくさを訴えたため脳卒中の疑いでCTやMRIを施行するが,血管性病変を認めず症状も軽快してしまうことがある.また,急性の運動障害のため救急外来を受診したが,症状が一過性で脳血管障害が否定され,最終的に当科でDLBと診断した患者も何例か経験している.したがって,このような発作性,反復性の病像をもつ患者に注意すれば,潜行しているDLBを早期発見できる可能性がある.
抑うつはDLBの診断を支持する特徴である.当科でも,うつ病やうつ状態のため他病院の精神科で通院治療を受けている老年患者が,もの忘れや幻視を主訴に受診してDLBと診断することが少なくない.また,DLBに伴ううつの患者では,治療開始後に抗精神病薬に対する過敏性(DLBの診断を示唆する特徴)や抗コリン作用薬誘発性のせん妄のため急速に重症化することがある.このため,早期発見の重要性を痛感することも多く,老年期うつに関してはDLBを念頭において診療に当たるべきと思っている.軽度認知障害(mild cognitive impairment;MCI)レベルでうつの既往歴をもつ老年患者で,中核症状がないか幻視だけであるが,脳画像とMIBG心筋シンチがDLBの所見を示す例が時々ある.これらはDLBの前段階の可能性があることから,当科では老年期うつともの忘れに注目して本症の早期発見に努めている.
DLBではまだ根本的治療薬はないが,わが国で臨床試験中の塩酸ドネペジルが認知機能障害や幻覚に有効とされている.また,最近ではDLBの行動・心理症状(behavioral and psychological symptoms of dementia;BPSD)に対して漢方薬の抑肝散の治療効果も期待されている.さらに,DLBの薬物治療に際しては,抗精神病薬に対する過敏性にも十分に留意することが必要である.実際,当科でも塩酸ドネペジルや抑肝散の服用後に認知機能障害やBPSDが非常に改善した例,服用していた抗精神病薬を速やかに中止することにより症状が劇的に回復した例を経験している.したがって,DLBでは,適切な治療法を選択するために早期診断が非常に重要である.DLBの患者は,認知症以外の診療科を最初に受診することも多く,認知症が専門でない精神科医や神経内科医,あるいは神経精神疾患の診療に直接携わらない医師との連携により早期発見が可能と考えている.
2008/6 老年精神医学雑誌Vol.19 No.6
変わりゆくもの,変わらざるもの
玉井 顯
敦賀温泉病院
NHKの連続テレビドラマ『ちりとてちん』で有名になった「若狭」,その若狭湾に面する敦賀市に私は生まれ,現在,この地で認知症疾患センターを有する病院を開設しています.
敦賀は松尾芭蕉が元禄2年(1689年),江戸深川から奥羽・北陸を行脚し,自らの俳諧のあるべき道を探った『奧の細道』の旅の最終目的地であるともいわれています.芭蕉はこの旅で俳諧の神髄を「不易流行」という言葉に求めました.「不易」(時が過ぎても永遠に変わらないもの)と「流行」(時とともに変わりゆくもの)という互いに矛盾するものを融合し,俳諧の理念として確立しました.
「不易流行」は私たちがかかわっている老年精神医学の世界にも通じるように思います.近年のCT・MRIやSPECT・PETなどの画像診断,アルツハイマー病のワクチン療法などの治療薬の進歩,遺伝子診断や再生医療の開発,あるいは社会の高齢化に伴う介護保険制度の導入など,医療・福祉関連のソフトならびにハード面の大きな変化はまさに「流行」そのものともいえるでしょう.
一方,高齢化とともに年々増加し,老年精神医学のなかで現在最も重要なテーマとなっている認知症に向き合っていると,なにが「不易」なのかを教えられているような気がしてなりません.
老年精神医学のなかでも医学のみならず介護・福祉,保健,司法,教育などの分野を越えた協力をとりわけ必要とするのが認知症です.医療関係だけをみても,大学をはじめとする最高研究・臨床機関,現場で広く臨床を実践している病院・診療所,認知症の人と家族の暮らしを直接支援する看護・介護など,それぞれの立場・部門がお互いの役割を理解し協力・連携しなければ,認知症の問題に対応することは不可能です.認知症の人と家族を支えるには医療も福祉も重要です.医療の側がもっと福祉を理解し,福祉の側も医療をさらに理解することが必要でしょう.認知症の人の尊厳は守られるべきですが,見守る側には余計なプライドを捨てて他の部門や職種の役割を尊重し謙虚に学ぶ姿勢が求められます.
近年は人間対人間のコミュニケーションが希薄化していると指摘されています.認知症もいわば社会と同様に脳内におけるコミュニケーション障害の状態です.認知症の問題を解決あるいは解消するためには,脳内の治療だけでなく,社会のコミュニケーションの再生・強化が不可欠です.医療,福祉,保健といった分野の違いや国,地域などの立場や環境の違いを超えてみなが手を結ばなければ,認知症のよりよい治療や対応はできません.逆にいえば,認知症の人たちは彼ら自身の存在そのものによって私たちのすさんだ社会を正してくれる治療者なのかもしれません.「患者さん,家族さらには地域の人たちのために,それを支え合う人みなが協力し合うこと」のなかから,私たちが忘れてはならない“変わらざるもの”がみえてくるのではないでしょうか.
芭蕉の『奥の細道』の旅の目的はもう1つありました.それは,折しも五百年忌に当たっていた西行法師の旅路をたどることでした.西行の詩の本質を知るには,その地に出向き自分自身でその地を見て,聞き,味わい,感じなければならないという信念から,芭蕉は西行が足跡を残した34の地を訪ねました.敦賀でも西行が歌に詠んだ色ヶ浜へと舟を漕がせました.
「自分自身で現場を知る」という精神もまた老年精神医療に通じるところがあります.画像診断や心理検査もさることながら,患者さんを直接よく診ること,すなわち臨床が大事であるという教えです.私も芭蕉にならって,時間のあるときには,患者さんの俳諧ならぬ徘徊に同伴することにしています.認知症ドライバーの患者さんには,家族・ご本人の許しを得て,車に同乗させてもらいます.安全第一を考えて私が運転手,ご本人が助手席でナビ役という役割分担です.
一緒に散歩やドライブをしていると,かつてあった抜け道を行こうとして道に迷う,近所のランドマークになっている小さな森とよく似た別の森を誤認して迷子になってしまう等々,外来場面では知り得ないことがわかってきます.認知症ドライバーからは,地図は正確に描けるのに現場を走ると道がわからない,近道を選べないといったさまざまな支障が生じることを教えられました.
芭蕉が旅の終わりに敦賀に残した竹杖はちょっと変わった形をしています.手に持つところの柄から2つに枝分かれして,杖の先まで二重になっています.旅先案内人であり人の支えである杖が二重になっていることと,芭蕉の旅の目的が2つあったことがまったく無関係とは思えません.その杖が現在もここ敦賀に措かれ,時を隔てた今,認知症に取り組む私が芭蕉から多くを教えられていることに不思議な感慨を覚えています.
2008/5 老年精神医学雑誌Vol.19 No.5
私的老年精神医学の今昔
山寺 博史
杏林大学医学部精神神経科学教室
老年精神医学との出会いと関わり合いを思い返し,以下,思うことを書き綴らせていただいた.
1.老年精神医学の授業
老年精神医学と最初の出会いはやはり,学生時代精神科の講義であろう.昭和49年の学生時代の精神科講義のノートを改めて見直してみた.老年精神医学の分野では大きな項目として,1)脳動脈硬化症,2)老年痴呆,3)初老期痴呆,4)初老期うつ病,5)老年性うつ病,6)老年期妄想状態,7)老年期神経症に大別されていた.2)老年痴呆はa.単一痴呆型,b.抑うつ型,c.妄想型,d.プレスビオフレニー,e.意識混濁型に細分類されていた.3)初老期痴呆はアルツハイマー病,ピック病,クロイツフェルト・ヤコブ病に細分類されていた.今,臨床の場で振り返ってみると,老年痴呆はアルツハイマー型認知症に置き換えられ,その細分類は臨床の場で非常に役立つ分類でもあり,現在の中核症状,辺縁症状と大別するより,アルツハイマー型認知症のその人をイメージしやすい.先人の臨床症状をみる洞察力の高さに敬服される.クロイツフェルト・ヤコブ病は亜急性海綿様型脳症ともいわれていたが,ここ30有余年の診断学の進歩のおかげで,プリオンタンパクに責任病因があることが判明したことは周知のとおりである.
コピーもパワーポイントもない時代で,板書に先生がお書きになったのをノートにとった授業形態であったが,かなり,細かく内容も充実した講義であり,臨床レベルでは今でも通用する部分が多いことを実感している.
2.老年期認知症と神経病理学
研修医時代,精神症状から発症した変性疾患の患者さんを受け持ったことから,神経病理学の勉強する機会を得た.そのことから,昭和59年の日本医事新報でここ1年の神経病理学の進歩についての報告を依頼された.それによるとアルツハイマー型認知症やアルツハイマー病の責任病巣のひとつとしてマイネルト核を挙げ,そこでの神経線維の減少を報告していた.また,老年精神医学の進歩としては,老年期認知症のアセチルコリン仮説やそれに対するフィゾスチグミン,レシチンの治験的試みなどが報告されていた.その流れは現在の治療薬の塩酸ドネペジルの臨床使用に結実されているのであろう.昭和51年には.小阪憲司先生はすでにレビー小体を伴う認知症をすでに発表されておられたが,まだこの疾患概念は,広く浸透されてはいなかったように思われる.
3.老年精神医学と薬物脳波学的研究
その後,神経病理学から神経生理学へと興味が移り,脳波を用いて向精神の効果を予測する方法(薬物脳波学)を勉強するために留学した.そこでは,ジヒドロエルゴトキシンメシル酸塩(ヒデルギン®)をはじめとした向知性薬の研究が行われていた.その後,国立精神・神経センター武蔵病院に移った.そのころ,わが国では,脳代謝改善薬や賦活薬,脳血流改善薬が次々と発売され,その分野での薬物脳波学的研究も行われていた.その後,それらの多くは効果がないということで,発売が禁止された.研究もほとんど行われなくなった.
4.老年期認知症と概日リズム的研究
日本医科大学に移り,高照度光療法やビタミンB12を用いて概日リズム的な観点から,季節性うつ病の治療的研究を行っていたが,アルツハイマー型認知症においても概日リズムの異常が判明してきた.そこで,いわゆる辺縁症状に,とくに介護の観点から,高照度光療法が有効ではないかと考え,当時,大学院生とともに研究を行いその有用性を報告した.その後,同じく他の大学院とともに,メラトニンを用いて同様の研究を行い,その有用性を報告した.
5.老年精神医学のおかれている現況
現在,多摩地区の杏林大学に籍をおいている.多摩地区の人口は約400万人である.その当時,老年期精神病患者の入院が可能な公的専門治療機関は筆者の知るかぎりは2施設は存在していた.しかし,医療から介護へ厚労省の方針のおかげか経営の面からか,両施設とも組織変更に伴い,その機能は大幅に低下していると思われる.老年期認知症が市民権を得て,一般の臨床家でも対処できるようになったようにみえるが,これからは,団塊の世帯の高齢化を迎えて,老年期認知症を含めた老年期精神障害者の増加も近づいており,介護施設のみでは種々の問題は解決できず,それらに対応できる医療機関や専門家の関与が必要と思うのは私ひとりではないであろう.
生物学的な老年精神医学的研究の重要性は当然であるが,社会的な面での医療の関与の必要性も強く感じている今日このごろである.
2008/4 老年精神医学雑誌Vol.19 No.4
認知症高齢者の精神神経内分泌免疫学とQOL
末丸 修三
医療法人紘友会福山友愛病院
昨秋,「第13回国際老年精神医学会(IPA 2007 Osaka Silver Congress)」が,56か国約2,900名という過去最多の参加者により盛会裡に終わった.筆者は,1993年Berlin,1995年Sydney,2003年Chicago,2007年Osakaでの“IPA Congress”に,また1996年Osakaと1998年Amsterdamでの「アルツハイマー病と関連疾患に関する国際会議(ICADRD)」に参加した.このたびのIPA 2007 Osaka Silver Congressでは,1993年Berlinに比して,時の流れによる医学,看護・介護学と社会システムの進歩もあるが,IPAは著しく成長し発展したものだと感銘を受けた.
「中枢神経系−内分泌系−免疫系連関」,すなわち脳・神経系,神経ペプチド・ホルモン,サイトカイン免疫系の間の双方向性情報伝達が1987年前後から報告され始めた.1990年Buffalo/Niagara Fallsでの「第21回国際精神神経内分泌学会」において,「精神神経内分泌免疫学psychoneuroendocrinoimmunology」という統合された学問分野の名が初めて登場したように思う.その際,「関節リウマチの発症には脳の視床下部障害が関与する」という想定外の仮説の発表が,アメリカのマスメディアにより大々的に報道されたのである.精神医学で「精神免疫学」や「精神内分泌学」という領域は以前より存在するようであるが,「精神神経内分泌免疫学」と呼称する統合分野は比較的最近のことである.1993年にギリシャRhodes島で2つの国際学会が合同で開催した「第1回国際ホルモン,脳と神経精神薬理学会議」は,まさに「精神神経内分泌免疫学」の黎明のようであった.
筆者は,1981〜1983年にSalk研究所のW.W. Vale教授らが視床下部より単離同定した41個のアミノ酸からなる神経ペプチドであるcorticotropin-releasing hormone(CRH)の生理・病態学的役割,とくにストレス,日内リズムや摂食行動における脳内CRH分泌機構の研究を,岡山大学内科学第三講座とUniversity of California,San Francisco(UCSF)で進めていた.CRHニューロンは,視床下部室傍核のみならず,大脳辺縁系,大脳皮質等脳内に広く存在,受容体も脳内に広く分布しており,CRHはACTH放出刺激という向下垂体作用のみならず,自律神経系や情動行動系等への作用をも有する.1986〜1988年のアメリカ留学から帰国後,現在の精神科病院で神経変性疾患や認知症高齢者を診る機会に恵まれ,研究報告の乏しい「認知症高齢者の精神神経内分泌免疫学的研究」とあわせて,「認知症ケアと生活の質(Quality of Life ; QOL)に関する研究」に従事してきた.
1991年以降,アルツハイマー病(AD)患者における髄液中CRHレベルの低下,髄液中CRH濃度低下と体知覚性大脳誘発電位(SEP)N3頂点潜時延長が相関すること,NK細胞活性低下と血中IL-6上昇,夜間の下垂体ACTHと副腎皮質cortisolの過剰分泌と日内リズムの消失,すなわちglucocorticoid(GC)feedback機構の障害等を,さまざまな学会や海外誌で報告した.1993年のBerlin IPAで,オランダのD.F. Swaab教授(後の1998年AmsterdamでのICADRD会長)と出会い,ADにおける神経内分泌学,とくに視床下部室傍核や視交叉上核の神経ペプチド,CRH,vasopressin,oxytocin等と日内リズム等の異常に関する少人数のセッションに参加し討議する機会があった.その際,認知症学にも神経内分泌研究に従事する研究者が少なくも存在することをたいへん心強く思った.UCSF留学中,「GC feedback機構においてGC受容体の豊富な“海馬”がきわめて重要である」という仮説のもとに研究していた.ADにおける視床下部-下垂体-副腎系の異常は,“海馬”のニューロンの脱落,顕著な萎縮に伴うGC feedback機構の障害によるものと考えられ,1996年San Franciscoでの「第10回国際内分泌学会」で発表した.以前から知り合いだったイタリアPavia大学のE. Ferrari教授も筆者の隣で同様の内容を発表し楽しく議論したことを覚えている.一方,アメリカのE.B. De Souzaらは,ADにおける大脳皮質のCRH含量の減少とその受容体数の増加,大脳CRHとコリン作動性ニューロン活性や老人斑との関連性を報告した.筆者も髄液中CRHの低下を見いだし,CRHのアナログ・フラグメントがAD治療に有効な薬物となりうることを1991年に発表した.さらに,認知症を伴う歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(DRPLA)やオリーブ橋小脳萎縮症(OPCA)等の脊髄小脳変性症(SCD)においても髄液中CRHが低下すること,SCDでのCRHの関与を指摘しそのアナログ・フラグメントが奏効する可能性を臨床医として世界で初めて報告した2).今もなお,創薬に期待している.中枢と末梢のcross-talk,脳内サイトカインnetworkの存在,脳内の数々の神経ペプチドの産生細胞体・神経線維,受容体の広範な分布と解剖生理学的構築,および脳内アミン等多くの生理活性物質との相互作用を考えると,「精神神経内分泌免疫学」の世界を知らずして『こころとその病』を正しく解き明かすことは,ほとんど不可能であろうと思わざるを得ない.
さて,当院では1994年ごろより,「認知症高齢者の治療・ケアの場はindoor(屋内病棟)のみならず,outdoorをも病棟として考えるべし!」と発想転換し,看護スタッフらが中心となって創案し実践してきたユニークな「青空緑芝Outdoorアクティビティケア・プログラム(FY-OACP)」がある.Indoorでの過密・拘束ストレスからの解放,広く美しい自然環境下での陽光による光療法および日中の活動性増加による睡眠−覚醒リズムの是正,生理的日内リズムの獲得,感染防御能(免疫能)の増強,行動心理学的症候(BPSD)の著減,排泄能力はじめ日常生活動作能力(ADL)の改善,意欲の改善,QOLの向上等,多彩な効果があることを実証し,さまざまな機会に報告してきた1,3).近年,認知症高齢者のQOLが注目され,いくつかのQOL評価尺度開発の試みがなされている.介護保険導入後,介護サービスの質を包括的に評価する手段として,信頼性のある妥当なQOL尺度が開発された.その尺度を用いた検討により,FY-OACPは認知症高齢者のQOLの向上にきわめて有効な非薬物的介入であることが実証されたので,2003年Chicagoと2007年OsakaでのIPAにおいて,認知症高齢者のさまざまな視点からのQOL評価の重要性を報告した.
老年精神医学,認知症ケア学の分野で自ら歩んで来た道を振り返り,「精神神経内分泌免疫学」と「認知症ケアとQOL」について述べ,巻頭言とさせていただいた.
[文 献]
1)原田和子,下江由記,末丸修三:「青空緑芝Outdoorアクティビティケア・プログラム(FY-OACP)」の認知症高齢者における意欲および生活の質(QOL)に及ぼす効果;積極的自立排泄支援を併せた複合ケア介入の評価.日本認知症ケア学会誌,2(1):68-78(2003).
2)Suemaru S, Suemaru K, Kawai K, Miyata S, et al.: Cerebrospinal fluid corticotropin-releasing hormone in neurodegenerative diseases ; Reduction in spinocerebellar degeneration. Life Sci, 57 : 2231-2235(1995).
3)Suemaru S, Maeba Y, Suemaru K, Nishioka T, et al.: Effects of a long-term trial of Fukuyama Yuai-Outdoor Activity Care Programme(FY-OACP)on behavioural disorders, hypothalamic-pituitary-adrenal axis and immune activity in demented elderly patients. In Alzheimer's Disease : Biology, Diagnosis and Therapeutics, ed. by Iqbal K, et al., 805-813, John Wiley & Sons, Chichester, England(1997).
2008/3 老年精神医学雑誌Vol.19 No.3
認知症の薬物療法
堀 宏治
昭和大学横浜市北部病院メンタルケアセンター
今から10年ほど前の話である.西暦では1900年代,世紀でいえば20世紀の後半,平成年代で1桁,消費税はまだ3%だったころの話である.その当時は,統合失調症は精神分裂病といわれていた.そのころの統合失調症の薬物療法といえば,定型抗精神病薬を数種類と定型抗精神病薬の副作用である錐体外路症状の出現を防止するために抗コリン作用のある抗パーキンソン薬を併せ投与するのが常であった.頭の中のドーパミンを徹底的に減らされ,さらに中枢神経系に抑制の作用がある抗コリン作用の負荷までも負わされたために精神病の患者は生気のないボッとした表情をしていた.それでもなお,陽性精神症状が残存する症例に対しては定型抗精神病薬を増量,追加投与していた.それにより精神科医療に携わらない世の人々には「精神科医は精神病患者を薬漬けにしている」と言われていたが,私を含め当時の精神科医は「ヒトの苦労も知らないで,なにも知らない素人が余計なこと,勝手なことを言いやがって」と思いながら,「ゆ〜じゃなーい」と言い返していたものであった(少々,古いギャグでした).
しかし,西暦では2000年代,世紀は21世紀へ移行し,消費税は5%になり,精神分裂病は統合失調症となり,非定型抗精神病薬の登場とともに,統合失調症の薬物療法は中枢のドーパミンを減少させるのではなく,中枢のドーパミンのアンバランス(インバランス)を調整することに主眼がおかれるようになった.言い換えれば,薬物療法は症状を生じさせる伝達物質の是正から疾患の基盤となる脳全体の伝達物質の不均衡を是正することへと変化してきた.精神科医は自分たちを鑑み,「以前は陽性症状を生じさせる伝達物質の是正のみを追及し,多剤・大量療法をしていた」と反省した.角を矯めて牛を殺していたのであった.現在では単剤適量療法が推奨されている.結局,「精神科医は精神病患者を薬漬けにしている」と言うのは正しいことであった.私を含め精神科医は「残念」と言うしかなく,「切腹」と言われても仕方がなかった(そういえば,あの人,最近見かけないなあ).
西暦が2000年代,世紀が21世紀,消費税は5%になり,精神分裂病から統合失調症へと名称変更となるとともに,痴呆も認知症へ名称変更になった.抗認知症薬も開発され,認知症にも本格的な薬物療法の時代が来た.しかし,認知症の薬物療法はいまだ,「認知症症状の薬物療法」「行動心理学的症候の薬物療法」など,疾患の基盤となる脳内全体の伝達物質を是正することより,症状を生じさせる伝達物質を是正することに主眼をおいているような気がする.認知症に伴う幻覚・妄想,徘徊,暴力行為,不穏・興奮,夜間せん妄などの行動心理学的症候は介護困難,施設入所,精神科病棟への入院を促進する因子であるために,たしかに,適切な薬物療法が必要と思う.しかし,症状に対して向精神薬を投与するのは結局のところ,統合失調症の薬物療法で犯した誤りを再び繰り返すことではないだろうか.行動心理学的症候をコントロールするための薬物療法は重要であるが,統合失調症でもそうであったと同じように,認知症では伝達物質がどのように不均衡をきたしているのかを突き止め,それを是正するための薬物療法を意識する必要性があるのではないか.ここでも,角を矯めて牛を殺すことになっている.また,幻覚・妄想には抗精神病薬,うつ状態には抗うつ薬,不安症状には抗不安薬を投与するのは若年精神病の薬物療法をそのまま,老年精神病の領域に持って来ることではないか.薬物療法で治療するべき行動心理学的症候と薬物療法をしてはいけない行動心理学的症候を区別することも重要である.老年精神医学の分野では老年精神医学にふさわしい薬物療法を展開することが必要ではないか.統合失調症で犯した過ちを認知症でも犯そうとしているのではないか.統合失調症は統合失調症としての疾患の基盤となる脳全体の伝達物質の不均衡があり,認知症には認知症としての疾患の基盤となる脳全体の伝達物質の不均衡がある.当然,両者の薬物療法は異なるものである.私を含めた精神科医は統合失調症の呪縛から逃れ,認知症としての疾患の基盤となる脳全体の伝達物質の不均衡を是正するための薬物療法を確立する義務があると思う(「Start low and go slow」だけではありません).
現在,精神科病棟に入院している認知症の患者は生気のないボッとした表情をしている気がしてならない.認知症の老人がもし精神科病棟に入院させられたら,徘徊をするであろうし,帰りたい,帰りたいと言うであろう.おむつを替えられるときに感ずる恐怖心は女性が強姦をされるときに感じる恐怖心と同じぐらい強いものがあると思う.だから,なにかをされるかと思って,興奮・抵抗するのは当然のことではないか.少なくとも,私ならそうする.それを薬で抑えられるのが正しいことだろうか.薬で抑えるべきなのだろうか.これらは薬物療法をしてはいけない症状だと思う.
もう,「精神科医は精神病患者を薬漬けにしている」と言われたくない.「残念」と言いたくない.当然,「切腹」をしたいとは思わない.
2008/2 老年精神医学雑誌Vol.19 No.2
医科学は人生観への責務を負っている
西川 隆
大阪府立大学総合リハビリテーション学科
「おばあさん」についての興味深い動物生態学の知見が報じられた.京都大学霊長類研究所を含む複数のチームの調査によって,野生チンパンジーのメスの繁殖期はヒトより長く,死ぬまで出産し続けることが明らかになったが1),このことから,閉経後の老年期という生存期間はヒトに固有のものであることが示唆されるという.この知見は,進化の過程で人類が緊密な社会集団を形成したことに関連するらしい.他の霊長類に比べて成長期間が極端に長く,複雑な技能と社会性を修得するためには,母親による養育だけでなく,生殖にかかわらなくなった「おばあさん」の協力が必要であり,その必要性が淘汰の圧力となって人間に閉経後の老年期をもたらしたのだと推測されている.
こうした知見は,老年個体を生殖と生産からの引退者として否定的にのみとらえるべきではないという見解を,ただ文化的・倫理的理由だけでなく,生物学的根拠をもって裏づけるものであり,高齢者の社会参加や再就労という時代的要請に応えるかのような時宜を得た報告でもある.
しかし,近年の世相の変化をひそかに懸念している筆者にとって,この報告は,まさに現代において,人類が生物種としてのターニングポイントを迎えていることを暗示するように思われてならない.老年期という生存期間の意義が,もはや種の維持という生物学的原則や文化の伝承・発展という社会的原則から遊離し,重大な危機に直面しているのではないだろうか.
エリクソンのライフサイクル論は,人生各期の心理発達的課題とその病理を考えるうえで今も一定の理論的枠組みを保っている.しかし高度成長に続く急速な社会構造の変化によって,彼の時代の一般的なライフサイクルのパースペクティブはその後半部分で見失われてしまったようである.青年期の遷延化が指摘されて久しい.過剰な情報による価値の相対化と細分化,それに伴う世代間の隔絶,核家族化と女性の経済的自立,離婚の増大による家族の離散傾向,等々が進行した結果,文化的・習俗的伝統によって培われてきた社会規範は解体し,役割意識というアイデンティティの外的規定が弱体化して,青年が目指すべき成人期以降の到達目標は収拾が困難なほどに拡散してしまった.
エリクソンによれば,成人期の課題は「生殖性」対「耽溺・停滞」の葛藤であり,家庭や社会での生殖や生産,文化の創出などの活動を通じて,自らの影響力とその限界を体験することから,次の世代の育成や世話の役割に新たな可能性を見いだすか,あるいはそれを拒絶して自らの権威と影響力に固執し続けるかが課題となるのであった.同じく,老年期の課題は「統合」対「絶望」であり,終焉を予感しつつも哲学的英知によって自らの一生を価値あるものとして総括できるか,あるいは自己と世界を無意味なものと侮蔑しニヒリズムに帰するかが問われるのであった.
こうした成人後期と老年期の課題は「おばあさん」の進化論的意義に見事に合致している.おそらく人類の本能はいまもその課題に応えることをわれわれに命じているのであろう.しかし,現代の社会はその本能が作用し得る多くの場を奪ってしまった.祖父母の家には彼らが養育を助けるべき孫もおらず,技術の革新は大人が青年に伝授できる経験と知識の多くを無価値にしてしまった.
長寿社会の実現とともに逆にわれわれは老年期の意義を見失いつつある.今日的ライフサイクルは成人前期を到達点として,その期間を可能なかぎり引き延ばすことに莫大な努力がはらわれている.
遺伝子操作や細胞工学の進歩によって疾患や老化を制御することが人類に利益をもたらすことは疑いがない.しかし,不老と長寿がただちに個人にとっても社会にとっても幸せであるという保証はない.人生観や死生観の成熟を伴わない限り,われわれは老いと死の問題を単に先送りするだけでなく,ますます忌避し恐怖するばかりではないだろうか.死を恐れぬとしても,老いに抗って若い世代との競争に明け暮れ,ある日ぽっくりと断絶的な死を迎えればよい,という人生観をしか科学が準備しないのであれば,チンパンジーと分かれて以来作用し続けてきた人類の種族維持の方略は淘汰にさらされるだろう.
人生観や死生観は医科学の役目ではない,という見解は正しくない.不老不死に価値をおく思想に医科学はすでに加担してしまっている.現代において老年期の意義を再発見し,生の循環(ライフサイクル)を回復するという思想的営為は,むしろ医科学の責務であろう.
[文 献]
1)Emery Thompson M, Jones JH, Pusey AE, Brewer-Marsden S, et al.: Aging and fertility patterns in wild chimpanzees provide insights into the evolution of menopause. Curr Biol, 17(24): 2150-2156(2007).
2008/1 老年精神医学雑誌Vol.19 No.1
睡眠学と老年精神医学との新しい出会い
篠崎 和弘
和歌山県立医科大学医学部神経精神医学教室
レム睡眠行動異常(REM behavior disorders ; RBD)がレビー小体型認知症(DLB)の診断基準(McKeith IG)に提案されたのは2005年であった.Coreな3症状(動揺性認知機能,幻視,パーキンソニズム)に続く,suggestiveな3所見(RBD,抗精神病薬に対する感受性亢進,SPECTで線条体でのドーパミン親和性薬物の取り込み低下)のひとつに取り上げられた.これまでRBDは睡眠障害の専門が扱う特殊な睡眠随伴症とみなされてきた.RBDが認知症の臨床で広く理解されることで,たとえば夜間せん妄との混同が避けられ,またシヌクレイノパチーの臨床の向上が期待される.
DLBの最初の報告が1976年に横浜市立大学の小阪憲司名誉教授によってなされたことはわが国の誇るべき業績である.RBDに関しても秋田大学の菱川泰夫名誉教授,清水徹男教授らの功績は大きい.RBDの名称の提案は1989年であるが,菱川らは1980年前後より「Stage 1-REM with tonic EMG」として研究をリードしてきた.入眠直後ではなく一眠りした深夜,あるいは早朝に起こる;異常行動エピソードは1分から数分である;エピソードから覚醒させると正常である;鮮明な夢体験を語り,夢の内容と異常行動が符合する,などRBDの特徴を明らかにしてきた.オリーブ・橋・小脳変性症,シャイ・ドレーガー症候群,進行性核上性麻痺,パーキンソン病(PD)などや薬物離脱(アルコールなど)で出現するので,橋の覚醒・睡眠機能の異常と理解されてきた.論文リストをみると,この研究で育った睡眠学者たちが今日の睡眠時無呼吸研究を支えていることがうかがえる.
また当時は,「夢」の機構と機能について綺羅星のような大家が活躍した時代であった.統合失調症の形態・機能研究で高名なハーバード大学のMcCarley RWが活性化・合成仮説をHobson JAとの共著で提唱されたのもこのころである(1977).橋に起源をもつPGO波(ponto-geniculo-occipital wave)のインパルスが動眼神経と外転神経を介して急速眼球運動を生じ,大脳の感覚系,情動系,記憶系を興奮させ,さらに前頭葉で統合されて夢が体験されるという.急速眼球運動で眼球が右に動いたときには,夢のなかの登場人物が目の前を右に横切ったところであるとの説明に驚いた記憶がある.論文の題名が“The brain as a dream state generator”と,なにかしら香り立つ気配があるのも研究者の品格を彷彿とさせる.また二重らせん構造でノーベル賞を受賞したCrick FがREM睡眠中の夢は不要な記憶を消去する逆学習過程であると,刺激的ではあるが実証困難な仮説を提唱をしたのもこのころであった(1983).せん妄や夢の研究が統合失調症の幻覚妄想の成立機序の扉を開くかと期待したが,ついに夢に終わろうとしている.
しかし今日,RBDがシヌクレイノパチーの臨床指標として注目されている.たとえば多系統萎縮症は障害部位がPDより広範でかつ橋に強いためsubclinical RBD(異常行動は発現しないがポリグラフでは筋弛緩を伴わないREM睡眠)がほぼ必発と報告され(Vetrugno R,2004),parkin遺伝子変異によるPD(PARK2)でレビー小体が確認されてRBDとシヌクレイノパチーの強い関連が示された(Pramstaller PP,2005).RBDをDLB診断根拠とする提案はこのような流れでなされた.RBDが老年精神医学に新しい貢献をすると期待されていることは,長く脳波に携わってきたものとして感慨深く,この新しい出会いを喜びたい.
RBDへの懸念と期待を最後に述べておきたい.MCIはアルツハイマ病の前駆状態と広く理解されているが,RBDがDLB,PDの前駆状態となり得ることを知る患者や家族はまだ少ない.中途半端な告知がトラブルを招くことが危惧される.RBDからPDへの進展率に関しては7年で65%(29例中15例)とする報告(Schenck CH,2003)があるが,少数例であり報告も少ない.頻度に関して70歳以上の一般住民約1,000人への睡眠中の怪我を目安にした質問紙調査では0.8%とされている(Chiu HF,2000)が,怪我に至らない軽症RBDが洩れている.RBDに関する疫学的データが不足している.シヌクレイノパチーに対する神経保護作用のある予防技術が開発されたときには,RBDは早期介入の生物学的指標となると期待される.診断精度の高い大規模前向きコホート研究が楽しみである.