2004/12 老年精神医学雑誌Vol.15 No.12
高齢化は精神医療を変化させるか
中村 純
産業医科大学精神医学教室
 総務省は9月,敬老の日にあわせて高齢者人口の推定値をまとめて発表した.それによると,65歳以上の高齢者は過去最高の2484万人で昨年より65万人増えた.総人口に占める割合も昨年比0.5%増の19.5%と過去最高で,わが国の5人に1人は高齢者という人口構造となった.この数字はイタリア(18.9%),フランス(16.2%),イギリス(15.9%),アメリカ(12.4%)など主要各国と比べても突出している.そして10年後には25.3%となることが予測されている.男女別では男性16.9%,女性22.0%であった.老年人口指数(15〜64歳までの生産年齢人口を100とした場合の高齢者人口の値)も2004年は29.2となり,昨年より0.8増加した.

 2025年には48.0になることが予測されている.つまり高齢者1人を生産年齢人口の2人で支える社会になる.社会環境も変化してきており,住宅・土地統計調査によると高齢者のいる世帯は,全世帯の35%,高齢者1人の世帯は337万世帯,夫婦(片方が高齢者)だけの世帯は442万世帯で,両方で高齢者のいる世帯の5割弱を占めていた.

  このような統計をみるまでもなく,たしかに大学病院の入院患者も高齢化しており,10年前に比べると数倍,せん妄状態への対応を精神科医に要請される機会が増えてきていることが実感される.ところで高齢者の老化の程度には差異があることが以前より指摘されていたが,年齢に比して非常に若く見える人,あるいは老けて見える人がいるのはどうしてであろうか.高齢にもかかわらず記憶障害も目立たず,身体能力がまったく低下していない人も多くみられる.むしろ進学,結婚,仕事に従事する年齢の高齢化などの社会的な変化に加え,身体および精神の発達も遅れているのではないかと思われる.そして,多くの精神疾患の発症年齢が高齢化しているのではないかとも思われる.

 統合失調症の発症年齢はDSM-IIIでは40歳以下であったが,DSM-IVになってそれが除かれた.しかし,実際40歳以上の妄想性障害や統合失調症と診断する人が増加しているように思われる.またそのような人は女性に多く,症状は軽症ではあっても抗精神病薬が効きにくいようにも感じる.このような症例は幻覚・妄想を主体とするが,隣人や退職後の配偶者との人間関係上のトラブルが誘因と考えられる人では嫉妬妄想や被害妄想が多い.さらに幻聴も多いが,高齢になると幻視を訴える人もいる.幻視も意識清明下で明瞭なものが多いため,レビー小体型痴呆などとの鑑別が問題となる.しかし相当の高齢にならなければ痴呆症状を呈する人は少なく,せん妄や痴呆とは鑑別すべき症例である.このように高齢化によって精神症状は変化しているように思われる.

 双極性障害も躁状態を繰り返すごとにしだいに被害妄想の訴えがでてきたり,幻聴が出現するなど精神病的色彩が強くなり,いわば非定型化するようである.とくに躁病だけの人が躁状態を繰り返すと精神病像を伴う症例が多いような気がする.

 社会のなかで活躍する高齢老人が増え,社会はその老人力を活用しようとしている.むしろ健康な老人の増加も目立ってきているが,一方で新しい精神疾患が出現しているのではないか,あるいは統合失調症や感情障害の病像が加齢とともに変化するのであろうか,慎重な経過観察が必要になってきたように思われる.このように感じるのは筆者だけであろうか.

 新規抗精神病薬や選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitor ; SSRI)やセロトニン-ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(serotonin-noradrenaline reuptake inhibitor ; SNRI)などの抗うつ薬が上市されて従来の薬物に比べて副作用が少なくなり,高齢者にもこれらの薬物が十分量,十分な期間投与できるようになってきているが,これらの薬物を投与しても十分効果をあげているとはいえない.今後,このような変化を踏まえて高齢者に対する精神医学的診断,治療の確立が課題になってきているように思われる.
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2004/11 老年精神医学雑誌Vol.15 No.11
痴呆症の病名変更について思うこと
斎藤正彦
慶成会老年学研究所
 痴呆という言葉を別の術語に変更しようという動きがある.厚生労働省がその気になっているし,術語を変更して実害のある人はいないから,おそらく,近々,別の用語が選択されることになるのであろう.

 病名変更と言われてすぐに思いつくことは,精神分裂病を統合失調症と言い換えた事例であろう.統合失調症という病名そのものに対しても,病名変更によって差別的なニュアンスを薄めようというねらいに対しても,さまざまな批判があった.この手の議論がいつもそうであるように,精神分裂病という病名と統合失調症という病名といずれの側に立っても,それなりの正当性を主張できる.精神分裂病という病名が差別を助長する,という議論に対しては,差別があるから結果として病名が差別的意味合いをもつのであって,病名をかえても新しい病名が差別の対象となるだけだという主張がある.精神分裂病という病名の由来に愛着があって,統合失調症などというわけのわからない造語は嫌だという人がいるかと思うと,精神分裂病という病名は病気の実態とかけ離れていて,統合失調症のほうが病態を反映しているという人もいる.

 私自身は,率直に言って,この議論に大きなエネルギーを注いで参加する動機づけに欠けていたのだけれど,病名変更から短時間のうちに,統合失調症という病名がこれだけ定着してしまったのをみると,変更は成功だったのであろうと認めざるをえない.実際,最近,精神科の臨床をしていると,自ら「統合失調症ではないかと言われたのですが…」と話す患者が増えたことを実感するし,家族が相談に来るときも,「息子が統合失調症なのですが…」と自然に話をし,『精神分裂病』という病名を口にするときのあの一種独特なためらいを見せないことが多くなった.患者自身が口にしやすい病名ならば医師も告知しやすい.精神科の臨床で,治療を受ける人と提供する人が共通の言葉で率直に話をするために統合失調症という言葉が役に立つならば,それだけでも大きな前進であるといってよい.

 私は,日常の臨床で,原則として診断を告げて治療することにしている.患者自身を目の前にして話をするとき,痴呆という言葉には大きな抵抗がある.「アルツハイマー病でしょう」とは抵抗なく言えるのに,「脳血管性痴呆だと思います」と言うことがとてもつらい.それは,おそらく『痴呆』という言葉のもつ,絶望的でおどろおどろしい印象のせいだと思う.そもそも,近年,痴呆性疾患に対する社会的な認知が高まり,軽症で受診する患者が増え,記憶障害,見当識障害,実行機能障害などの症状がそろい,画像診断上もアルツハイマー病の疑いが強いけれども,家庭内適応もよく,場合によっては町内会の役員などを続けているような程度の人が医療機関を受診することが,少なくとも,私のまわりではまったく珍しいことではなくなった.アルツハイマー病ではあろうが,精神医学的に『痴呆状態』とはいいがたく,かといってMCI(mild cognitive impairment)とするには精神機能の低下が広範であるという人がたくさんいる.

 いわゆる言葉狩りのセンスで,痴呆や呆けといった言葉を私たちのボキャブラリーから抹殺しても,そのことが,この不治の病を養う人びとの救いになるとは思わないし,われわれの心のなかにある,病気への恐れやその裏返しの偏見が消えるとは思わないし,精神病を『心の病』と言い換えたようなまやかしが,なにかの役に立つとも思えない.けれども,医師として患者と向き合うとき,余計な価値感や感情的反応を内包しない,クールな言葉がほしいと思う.そういう用語が手に入ったら,アルツハイマー病や脳血管性痴呆の患者と病気について語り合い,精神科医としてその苦しみ,悩み,絶望を支えていくための力になるだろうと思う.アルツハイマー病をはじめとする痴呆性疾患に対する世間の認識が高まれば,専門家に対する要求も高まる.精神科医は言葉を磨かなければならない.よい術語を求めることはよい精神医療に不可欠の努力だと思う.
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2004/10 老年精神医学雑誌Vol.15 No.10
臨床老年精神科医の役割
吉岡 充
上川病院
 大学病院,都立松沢病院で一通りの精神科の修行をした後,筆者の父が院長をしていた八王子の山奥にある(父の表現を借りると文化果つる地)上川病院で老年精神科医として働くことになった.経営的には潰れかかっていたからである.わが国の老人医療が混乱と困惑のなかで,安かろう,悪かろうという制度のなかで,貧しく,いま思えば恥ずべき姿だったころである.お年寄りの身体的リハビリテーションを目指したが,母体が精神病院のためか,痴呆性老人,とくにさまざまな精神症状を抱えた方が多かった.多くの人,約2/3の人が,他院で縛られて治療やケアを受けていた.われわれは,縛らないで治療・ケアをすることにした.それが当たり前のことだからである.そこから痴呆ケアの技術が当院で進行することになる.筆者は,痴呆のお年寄りに対してのわが国での医師の役割は以下の6つであると考える.

(1) 痴呆の診断:痴呆かそうでないのか,何の痴呆なのか.
(2) 身体合併症の診断と痴呆:訴えも少なく,治療に協力的ではないときもあり,ちょっとした技術と工夫が必要である.
(3) 問題症状の解釈と説明:とくに家族の人に対して,そして今後どのようなことが予想されるのかを生命的予後を含めて,話してあげるべきであろう.
(4) 身体的・精神科的にその人のための独自なリハビリの処置:これは,グループホームケアや,楽器演奏,絵画等のアートセラピー等も含む.
(5) 適切なケアによっても改善しない問題症状に対しての向精神薬の注意深い丁寧な処方の技術.
(6) ドネペジル(アリセプト®)等の抗痴呆薬の処方.

ここでは(5)についてふれたいと思う.

 筆者は,いまでは一般的になってきているが,少量の投与量により副作用を極力少なくする方法を独自に工夫していった一人であろうと思う.都立松沢病院時代での身体合併治療(リエゾン精神医療)の経験が役に立ったのである.多量の向精神薬を服用し続けている患者さんに全身麻酔で手術をしなければならないとき,私はリスクをなるべく少なくするために,向精神薬の減量の工夫をしていた.当然,精神症状が悪化することもあったが,生命を第一とし,副作用に対して神経質になることは父から教わったことでもある.さまざまな良質なケア,徹底した5つの基本的ケア,1.起きる,2.食べる,3.排泄,4.清潔,5.アクティビティによっても改善しない問題症状に対して,筆者はスルピリドの1日量10〜20 mg前後投与を試みた.抗潰瘍薬として開発されたこの薬が,同量くらいで抗うつ作用があり,一方それくらいの量で統合失調症の妄想を活発にするということは,よく知られている.もっと多くの量を使用すると,副作用も少なく,統合失調症の治療に役立つことを松沢病院の先輩から教わった.その後,塩酸チアプリド等も開発されたが,私は,スルピリドの10ミリ剤形を作ってくれないかと製薬会社に頼んだが,無理であった.乳糖等に混ぜ,粉で使うしかない.クロルプロマジン,ハロペリドールも最少剤形の1/2,時には1/4くらいを1回量とする.そして副作用を看護師たちに覚えてもらう.パーキンソン症候群,眠気,ふらつき,ピサ症候群,覚醒不良,喉のパーキンソンともいえる嚥下障害,悪性症候群などである.当院では,体温が37.5℃以上あると,自動的に抗精神病薬は中止される.医師の診察は無論のこと,看護師を中心とした24時間副作用モニタリングシステムを作り上げた.毎晩電話等で頻回に変更を行っている.現在はフェノチアジン系がフマル酸クエチアピン,ブチロフェノン系がリスペリドンにかわってきている.たしかに副作用は少ない印象を受ける.こういった向精神薬の処方の工夫が,よいケアと相乗効果をもたらしていったことは,確かなようである.

 最後に,痴呆性老人の自立とはなにかについて,筆者なりの結論がでたので,それを述べてここでの私の役割を終えたいと思う.年をとるということは,痴呆ではなくても社会的役割の喪失の連続である.痴呆になると,それがとくに著明となる.役に立たないとされるわけである.痴呆性老人は,グループホームケアや楽器演奏―昨年,中野サンプラザで14人の入院中の患者さんたちが,700人の観客の前でコンサートを開いたが,感動的であった―等で自分ができることがある.そのことを周囲からきちんと評価されると自分はまだ生きていてもよいのだと思える.すると,自信がでてくる.笑いの数も増え,1回の笑いも大きくなる.社会的役割を再獲得したわけである.そういう姿を愛する家族が見て,「うちのおばあちゃんもぼけちゃったけれどこういう状態ならもっと長生きしてほしい」と思うわけである.これが家族にとっては,存在役割である.この2つの役割を取り戻すことが痴呆性老人の自立ではないであろうか.われわれの役割はこのお手伝いをすることであろう.
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2004/9 老年精神医学雑誌Vol.15 No.9
超優秀老人・物集高量(もずめたかかず)氏の晩年
―医療と福祉は本人の意思尊重が大切である―
葛原茂樹
三重大学医学部神経内科学講座
 わが国は高齢社会に突入し,推定では20年後には4人に1人は65歳以上の高齢者によって占められる.このような状況を背景に,高齢者問題では,痴呆や老年病対策だけでなく,社会に有用な健康老人・優秀老人をどう確保していくかが大きな課題になり,優秀老人の「老人力」エッセイからぼけ予防と高齢者知的能力開発のHow-To本までが巷にあふれている.
 ぼけは努力や生活習慣によって防げるのか.医療や福祉はどこまで役に立つのか.このような疑問に対して,私が出会った最高齢の超優秀老人・物集高量さんの晩年の姿を紹介したい.
 物集さんが東京都老人医療センターの神経病棟に入院されたのは,昭和60年の春であった.板橋区の福祉職員が自宅を訪問したところ,部屋の中で倒れていたので救急車を呼んだとのことであった.しかし,ご本人はいたってお元気で,古畳に足をとられて転んだところに偶然に職員が来合わせて,無理やり救急車に乗せられて入院させられたと抗議しておられた.年齢を聞くと106歳と答え,「朝,なにも説明もせずに採血しようとしたのは人権無視だ」とお叱りを受けた.ご本人は耳が遠いためか,こちらの言い分はほとんど聞かず一方的にしゃべられたが,言い分は至極当然で理屈は通っており,どことなく風格と愛敬がある小柄な老人であった.
 これはただ者ではないと思ったとおり,明治時代に東大文学部教授だった父・高見氏を補佐し,私財まで擲(なげう)って日本最初の百科事彙(じい)「広文庫」を完成させ,百歳を超えたいまも借家の貧乏暮しをしながら,気骨ある連載文を寄稿している文筆家であると,あとから知った.そういえば,「徹子の部屋」に出演したTVを観たことがあった.
 頑固一徹だが自由奔放で品がよく,知的で人を引き付ける会話をなさるので,物集さんはたちまち病棟の人気者になり,数々の逸話を残された.そのなかで,担当医師のY君が手玉にとられた一件を紹介したい.
 Y君は百歳老人の知的能力を調べようと,長谷川式簡易知能評価スケール(旧版,HDS)に沿って,まず「今日は何月何日ですか」と質問した途端に,「なぜ,そんな馬鹿なことを尋ねるのか」と反論された.記憶力などのテストであることを説明すると納得されて,スラスラと回答された.HDSやMMSEのような認知機能テストで,目的を説明されないままに素直に回答する場合には,認知機能障害の存在を疑う必要があると思ったのはこのときからである.
 Y君のつまずきは7問目の「1年は何日ですか」で起こった.物集さんの答えは「一概には言えない」であった.怪訝な顔をするY君に物集さんは「うるう年がある」とおっしゃった.「普通の年です」と言うと「365日」と答えたあとに,「どうしてうるう年というのか,理由延べよ」と逆に質問された.Y君が「わかりません」と答えると,「漢字を書けばわかるから書いてみよ」と言われた.書けないので降参すると,物集さんは「閏」と書いて,「昔の中国では大陰暦を用い,月ごとに王が政(まつりごと)を執る部屋が12個用意されていた.しかし閏年には1月多く,13か月目用の部屋はなかったので,門の下で政をした.だから,門構えの中に王と書いて閏という」と説明された.名講義で職員一同は1回で字を覚えてしまった.Y君には追い撃ちが待っており「明治の医者は大学卒で漢字を知っていたが,昭和の医者は漢字も書けないが,大学には行っておらんのか」と一喝され,テストはここで終わった.改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)ではこの設問がなくなったが,閏年のせいかどうかは定かでない.
 この前年に新札が発行されていた.顔の認識能力を調べようと見せたところ,「お札の肖像のようだが,これは夏目漱石,これは福沢諭吉」と答え,5千円札では「知らん」と答えられた.まわりの医師や看護師に聞いても首を振るだけであったが,物集さんは「わしは新渡戸稲造のような,つまらん男のことは知らん」とおっしゃった.顔と名前はよくご存知だったのである.新札の肖像を見て,瞬時に氏名を答える認識力と記憶力に舌を巻いた.そのあとで,私たちは福沢諭吉の著書について質問されたが答えることができず,再び無知を一喝される羽目に陥った.
 「百歳老人に一人暮らしはさせられない」という福祉職員の熱心な説得に負け,最初は拒否していた物集さんも,ついに特養入所に同意された.独居の自立生活から,上げ膳据え膳の特養の被介護生活に慣れるにつれ,意気軒昂だった物集さんから見る見るうちに覇気と関心が消えていった.「百歳は折り返し点」という本を著して二百歳まで生きると豪語していたのに,「私は長生きし過ぎたようだ」とつぶやくことが多くなり,ついには食事を受け付けなくなって同年10月25日に永眠された.
 福祉という名の公的おせっかいと過保護は,超優秀老人でさえ無気力老人にしてしまうことがあることを知り,福祉の適用は画一的であってはならないと痛感した一件でもあった.
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2004/8 老年精神医学雑誌Vol.15 No.8
痴呆性高齢者への精神科病院のかかわり
森村安史
医療法人樹光会・財団法人仁明会理事長
 昨年ユネスコ世界無形文化遺産に登録された「文楽」を時々観賞する機会がある。人間国宝の吉田玉男さんという人形遣いの舞台を見るたびにいつも感じることがある。ご高齢(84歳)になられても玉男さんが一度人形を持つとその人形は突然見事に生命を帯び、まるで生きているもののような表情を作り出すのである。言葉も発しない、顔の表情がかわるわけでもない、それでもその人形は喜び、笑い、怒り、そして悲しんでいるのである。まさに人形にこころを吹き込むかのように操っておられる吉田玉男さんの表情も人形の動きと一体となり、そこには老いをまったく感じさせない凛とした姿がある。このように見る人を感動させる美しさはいったいどこから生まれてくるのであろうか。老化という言葉がもつネガティブなイメージとはまったく正反対の老いの美を吉田さんのなかに感じるのである。その美しさこそが文楽を楽しむものに感動を伝える源になっているという事実が歴然として存在するのである。

 私たちの身近にも吉田玉男さんと同じように人生の手本ともいえるような、すばらしい老後の生き方をみせてくださる先輩たちは数多い。老年精神医学を学ぶものにとって、このような美しい老化のなかにこそ病的な老化を知る手がかりがあるのではないかと常々考えさせられるのである。またどのように生きることが美しい老後の世界を作り出す源になるのか、ここには痴呆の予防医学を考えるなかで大きな手がかりが存在している。

 さて日本精神科病院協会の高齢者対策・介護保険委員をお手伝いさせていただいているなかで、精神科病院がどのように痴呆性高齢者と向き合っていくべきなのかを考えさせていただく機会を与えられた。痴呆性高齢者を治療・介護している施設は精神科病院のほかにも介護老人保健施設、介護老人福祉施設があり,そして一般科の病院でも多くの患者を抱えている。このように利用者が選択できるメニューはたしかに多くなりサービスも多様化してきている。しかし実際には,これらの病院や施設のいずれを選択したらよいのか逆に利用者が混乱している面もうかがえる。本来それぞれの施設にはその施設がもつべき役割や理念が基礎に位置づけられている。つまり本来は扱うべき領域が医療であるのか、介護であるのか、また精神科には精神科の,一般科には一般科が担うべき役割分担があるはずである。しかしながら、これらの境界ははっきりとした線引きができるものではなく、ともするとわれわれ自身が混乱していることも事実である。そのような現状のなかで痴呆性高齢者へのサービスのひとつとして、あるいは痴呆医療の一翼として精神科病院にある痴呆専門病棟の果たすべき役割は何であろうか。ともすると老健への入所待ちのためだけに精神科専門病棟が使われたり、長期収容施設としての側面のみが前景にでてしまっていたりすることもみられる。その結果痴呆性高齢者の終末期医療や身体合併症に対する治療を求められているなど、時として単科の精神科病院としては重すぎる課題を与えられることもある。当然のことながら各地方によって,周囲に受け入れてくれる病院や施設があるところ、それらがまったくなしにすべてを自分たちで抱えなければならない状況にある病院など、精神科病院を取り巻く環境もさまざまである。平成15年度に行った調査では精神科病院の痴呆専門棟、介護老人保健施設、介護老人福祉施設を対象としてなされ、これらの施設が痴呆に伴う行動障害と精神症状(BPSD)にどのように対応できているのかを知ることで、精神科病院が痴呆性高齢者を取り巻くさまざまな要素のなかで今後どのように展開すべきかを考える目的でアンケート調査を実施した1)。研究事業では精神科病院の痴呆専門病棟は比較的早期の痴呆で、痴呆度は低いものの激しいBPSDを示す患者が多く入院していることが明らかとなった。このことからも痴呆専門棟ではBPSDに対する医療的介入を求められていることは明白であり、またこれらBPSDに対して薬物療法を中心とした治療によって、介護負担を軽減できるようにするなど、一定の役割を果たしていることもわかった。このように精神科病院は本来目指すべき方向を見失うことなく進んでいるのであるが、一方では精神科病院の敷居の高さがまだまだ指摘され、「痴呆症の高齢者を精神科病院に転院させられないおもな理由は何ですか」との設問に対して、「本人や家族が拒否する」との回答が介護老人保健施設の38.9%,一般病院の40.5%に認められた。これらの病院や施設では精神科病院が痴呆専門棟をもつなど高齢者の痴呆医療に対して一定の役割を果たしていることを認めながらも、患者・家族の拒否によって精神科的介入を困難にしている現状がみられるのである。これはBPSDに悩む患者、家族にとって不幸なことであるばかりでなく、この方々を介護する者、医療を行う者すべてにとって大きな損失でもある。精神科病院の質を高めより安心して入院していただける病院を作っていくことはもちろんとして、さらに精神科医療のなかでも考え直していかなければならない問題である。

 張り詰めた空気が漂う舞台の上で演じられる吉田玉男さんの姿はまさに静謐である。一方精神科病院の痴呆専門棟に入院しておられる患者は喧噪である。静と動という対極に位置した老化である。この静かな老いを作り出すことが精神科病院痴呆専門棟に与えられたテーマであり、そのために療養環境がどのようにあるべきか、痴呆に対する治療をどのようになすべきか、介護者への適切なアドバイスも含め多くのことが精神科病院に使命として与えられているのであろう。

[文 献]
1)老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業)老人性痴呆疾患の診断・治療・介護マニュアルに関する研究事業報告書.平成15年度,日本精神科病院協会(2003).
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2004/7 老年精神医学雑誌Vol.15 No.7
老いの人間学
村田忠良
柏葉脳神経外科病院精神保健科
 かつて『老いの人間学』(サンパウロ,1986)を上梓したとき,恩師の諏訪望先生に献呈したら,「村田君の本楽しく読んだよ.なるほどな,そういうものかな,と思いながら」と言われた.

 私は,しまった,と思った.諏訪先生は当時75歳であられたはず.55歳の筆者の老人観は未熟な推論に終止したものであったか.75歳になったときには改訂版を書かなければ,と思ったことであった.
 約20年を経て70歳を過ぎたいま,あらたに「老いの人間学」のペンをとろうとしてはいる.この文章が改訂版執筆作業の契機となれば望外の幸せである.

 筆者の外来患者の3割は70歳以上である.高齢の患者の診療をとおして,また高齢者の集団とのかかわりをとおして,“老い”についての筆者の心に沈殿したものを以下に述べる.「老いの人間学」と題したが,「私の老いの人間学」であることはいうまでもない.

 釈迦は人生の苦(四苦八苦)の根本苦に,生,老,病,死を据えた.患者と対話していて,老いが苦であることはまぎれもないことだ,と痛感する.ちなみに,“長寿”とは長生きしてめでたいということであるが,筆者の前に現れる高齢者は,長生きしてつらい人ばかりである.“長寿”の必要十分条件は,ぼけていないこと,身体的に健康であること,財力が十分であることと,生き甲斐のあることだと思うが,このなかのどの1つが欠けても“長寿”ではなくなる,と思うのである.
 高齢社会を生きている高齢者を絶望のふちに陥れるのは“長寿社会”のやかましい掛け声ではあるまいか,とさえ思う.
 良寛は,老いの身のあはれを誰に語らまし 杖を忘れて帰る夕暮 と詠み,窪田空穂は,老いぬれば 心のどかにありえむと 思ひたりけり 誤りなりき と詠った.

 老いは苦なのである.人生の段階を四季になぞらえて,老いを冬にあてたのはヒポクラテスであったという.いかにもそうだと思うし,現代は老いを美化しすぎるとは思うのだが,しかし,そうは思いつつも,筆者の「老いの人間学」では,老いの苦を“内包”しつつも老いを秋に,それも豊穣の秋になぞらえたいのである.
 秋の侘びしさ,寂しさ,静けさなどなどは老いを生きる人がそれぞれに感得すればよい.力まずに自然体で自分の秋を体験すればよいのである.体験する生活舞台は冬ではない.ぜひ,秋でなければならない.

 筆者はあるシンポジウムで「人間の生命エネルギー仮説」を発表した(1982).
 要約すれば,「人間の生命は,身体的生命,精神的生命,社会的生命と宗教的生命の統合体であり,生命現象はエネルギー現象で,エネルギー恒存の法則に従い,老化による身体的生命エネルギー減弱(病弱),精神的生命エネルギー減弱(孤独),社会的生命エルネギー減弱(貧困)に逆相関して,宗教的生命エネルギー値は上昇し,前三者のエネルギー枯渇(死)の時点で最高点に達し,以後は減衰しない」.
 宗教的生命エネルギーは人間性の中心にある宗教性…瞬間瞬間に生きつつ永遠を思う,故人をしのぶ,祈るなどの,人聞と動物を分かつ人間固有の感性を意味する…を維持するものである.
 老人はこの宗教的生命エネルギーの高まりのなかにいる人でhomo religiosus(Zunini教授)といってよい.
 V.E.フランクルは,人生を生きる意味は,創造的価値,経験的価値,態度的価値の吟味で確認できる,と言い,態度的価値とは不治の病,たとえばがんの末期を生きる生活態度のそれである,と言う.
 筆者はそれを老境を生きる態度ととらえるのである.
 現代医学はquality of life(QOL)ということを強調する.そしてそれを“生命の質”と訳するのであるが,筆者は“その人らしさ”と解釈している.
 老境を“その人らしさ”を失わずに生き抜きたいものであると思うし,そのことが人を単なる高齢者から“老人”(老いはかつて尊称であった)へと熟成させ,1人ひとりの歴史時間を体験しつつその人の「老いの人間学」を構築させるのだと思っている.

 筆者の「老いの人間学」を支えてくれている,2人のメッセージを紹介して擱筆する.

 “苦悩がなければ,愛は生まれない.愛がなければ,人生は生きるに価しない”(聖ソフィア・バラ)
 “人生ほど,生きる疲れを癒してくれるものは,ない”(ウンベルト・サバ 須賀敦子訳)
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2004/6 老年精神医学雑誌Vol.15 No.6
介護という指南役
黒田重利
岡山大学大学院医歯学総合研究科精神神経病態学教室
 痴呆診療において介護相談,指導の重要性はいうまでもない.まず,日々の介護の苦労を心からねぎらい,支持する.また困っている症状には具体的に指導,助言を行う.また,「介護はけっして楽なものでない,大変である」ことも必ず話す.しかし,介護者ははじめのうちは聞き流す,あるいは「ほかの人はそうかもしれませんが,私はやります」と答える人が多い.ここ数年間診ている人に登場願う.患者さんは2人とも70歳代であり,いずれも男性でアルツハイマー病である.
 Aさんは外来ではまことに愛想がよい.また毎回「ありがとうございます.先生にお目にかかってよかったです」と繰り返す.しかし,自宅ではすぐに怒り,月に1,2回夜間放尿がある.奥さん(A夫人)は気丈で世話好きで,ひとりで世話をしている.もと学校教師である.かつての職業気質がしばしば登場する.すぐにしかる,訂正する.できないとすぐに自分でしてしまう.ついには,怒る.「怒らず,しからず,仲よくしましょう.ご主人のペースに合わせましょう」と言うが,聞く耳をもたない.「ひとりで問題を抱え込まず,子どもさんと話し合ったらどうですか.ホームヘルパーを頼んだり,デイケア,グループホームを利用したらどうですか」と何度も言うが,A夫人は「私は元気です.世話をします.私以上に主人に詳しいものはいません」の繰り返しであった.娘さんはいなくて,息子家族は遠く離れており,日ごろ電話などによる交流もない.しかしこの半年間「やっぱり主人は病気ですかね.いまの状態を見て,昔の主人を思い出すと情けない.こうなった主人がかわいそう.でも毎日だから,やっぱり腹が立つ」と言う.明治時代,大阪の商人,職人の間でいわれ,最近も藤本義一氏が紹介している「オイ!アクマ」(おこるな,いばるな,あせるな,くさるな,まけるな:同じ言葉を住友銀行の堀田庄三氏は『あおいくま』と紹介している)を話した.「よい言葉ですね」といたく感心してもらった.最近の様子では厳しさが減っているし,ゆっくりと世話をしている.
 Bさんは毎日のように「会社へ行く」「部下が家に来るから,お茶を出せ」とやかましく奥さん(B夫人)にいう.B夫人は毎回「先生,困りますよ.疲れます」と言うが,笑顔があり,明るい.Bさんはデイケアにも週5日行っている.ところが1年半前,歩行がおかしいというので検査したところ慢性硬膜下血腫が見つかり,手術を受けた.その後,再出血,再手術となり,痴呆に加えて意識障害の存在も疑われた.幸い改善して,まずまずに経過している.初回の手術以降,娘さんが介護を手伝い,毎日のように実家に来ては世話をし,また母親とかなり長い時間しゃべっている.途中まで介護は奥さんだけであったが,娘さんの参加で,三者間のほどよい関係ができた.
 妻の困窮度からみれば,A夫人のほうがより強い.これまで病気,痴呆と何回も話してきたが,「そうですか」と気のない返事であった.病気が進み,通常では起こりにくい症状が出現して,怠け,さぼりではなく痴呆と認識してきた.「この年になって,こんなこと(介護)で人生勉強をさせられるとは思ってもみませんでした.主人の姿を見るとかわいそうです.主人の世話をします.『オイ!アクマ』を忘れず,自戒していきます.一生涯勉強なのですね!」と語る.B夫人の「先生,毎日大変ですよ!」は続いている.しかし,ひとり介護から娘さんとのふたり介護となり,夫婦,娘の3人の輪ができて,介護の負担は軽くなるし,母娘の絆が強まり,苦労話,四方山話でくつろぎの時間が増えた.
 A夫人,B夫人は70歳を過ぎているが,2人とも健康には自信があり,将来の介護不安を言わない点は共通している.しかし,比較してみると,ほとんどの面で好対照である.A夫人はいまもってひとりで介護をしており,気丈な性格で,また今日までこれという失敗経験がなかったので,今回も乗り切ることと思われる.しかし,その一方で加齢の心身への影響はあるし,デイケア,ホームヘルパーの利用,家族からの援助はいまも拒む.燃え尽き症候群が懸念される.しかし日々の世話のなかで,察知力はすばらしい.指導・支配的態度,厳しさは減ってきている.なによりも第一に介護の意義を自覚している.B夫人は利用できるサポートをすべて活用し,明るく楽しく接している.
 介護という連日しかも長く続く,大変な献身の行為のなかで,A夫人は人間性を磨き,B夫人はくつろぎ・安寧というそれぞれの長所を伸ばしている.
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2004/5 老年精神医学雑誌Vol.15 No.5
痴呆性高齢者ケアのあり方
長嶋紀一
日本大学文理学部心理学科
 2000(平成12)年4月1日に介護保険制度が施行されてから5年目を迎え,制度そのものの大幅な見直しが行われようとしている.介護保険制度が導入された当初から,要介護認定に際して,痴呆症状のある高齢者の介護度がケアの実情(時間,労力およびケア技能など)と合わず低く評価され,要介護度の認定も低く認定される傾向があり大きな問題となった経緯がある.具体的には,痴呆性高齢者は,身体面の機能は健常ではあっても,記憶障害,認知障害などの中核症状(認知機能障害による症状)に加えて,徘徊,せん妄,幻覚・妄想,性格変化などの周辺症状(非認知機能障害による症状)があるために,居宅においても,施設などにおいてもケアに時間と労力はもとより専門的な知識や技能が必要とされるにもかかわらず,要介護度は低く認定されていたことが問題視されたということである.
 そして2003(平成15)年6月26日には,厚生労働省老健局に設置された高齢者介護研究会の報告では,2015年の高齢者介護のあるべき姿について検討した結果,「2015年の高齢者介護〜高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて〜」を提言している.この報告書に掲載されている,要介護(要支援)認定者における痴呆性高齢者の推計(2002年9月末についての推計)によると,要介護(要支援)認定者314万人の約半数149万人(47.5%)は何らかの介護・支援を必要とする痴呆症状がある高齢者(痴呆性老人の日常生活自立度II以上)であった.さらに,4人に1人となる79万人(25.2%)は一定の介護を必要とする痴呆症状がある高齢者(痴呆性老人の日常生活自立度III以上)であった.また,痴呆性老人の日常生活自立度II以上の149万人のうち73万人(49.0%)は居宅で生活しており,痴呆性老人の日常生活自立度III以上で運動能力の低下していない痴呆性高齢者25万人のうち60%(15万人)は居宅で生活している.これに対して特別養護老人ホーム入居者32万人のうち痴呆性老人の日常生活自立度II以上は27万人(84.4%)ではあるが,痴呆性老人の日常生活自立度II以上149万人に対しては18.1%にすぎない.このことから痴呆性高齢者の約半数(49.0%),しかもケアに時間と労力,さらに専門的知識と技能が必要とされる痴呆性高齢者の多くが居宅で家族介護者の介護を受けながら生活している現状を認識したうえで,これからの痴呆性高齢者のケアのあり方について検討することが求められる.
 痴呆性高齢者ケアの専門的な人材の育成に関しては,2001(平成13)年度より,高齢者痴呆介護研究・研修センター(東京・大府・仙台の3センター)において,痴呆介護実務者研修を企画・実施することができ,かつ介護保険施設・事業所などにおける介護の質の改善について指導することができる指導者を養成する痴呆介護指導者研修が実施されている.同時に都道府県政令指定都市においては,痴呆介護実務者研修(基礎課程,専門課程)が実施され,それぞれ成果をあげつつある.しかし,居宅サービス,施設サービスにおいて,痴呆性高齢者に対して質の高いケアサービスを提供するためには,ケアスタッフを対象とした専門的人材の養成だけでなく,痴呆専門医や地域のかかりつけ医を対象とした具体的な専門的人材育成のカリキュラムの検討や研修が求められる.
 痴呆介護実務者研修のカリキュラムには,実技演習科目を設け,痴呆性高齢者を対象としてケア目標ごとに,たとえば座位・離床,食事,排泄,入浴,コミュニケーション,生活リズムの確保などについて,より科学的にしかも計画的・効果的に,達成段階に沿ったケアの展開手順によるケア手法の習得も含めて検討すべきであろう.
 人材の育成と同等に現在求められているのは,介護保険の理念を実践するために必要な痴呆性高齢者を対象としたケアマネジメント手法の開発である.ケアマネジメントは,ケアプランおよびケアプランと連動したサービスごと(介護保険施設でのサービス,通所介護サービス,訪問介護サービス等)の実行計画である個別介護計画書によって進められることになっている.ケアプランの策定には,的確なアセスメントが必要であるが,現時点では痴呆性高齢者に適用可能なアセスメントツールは皆無に等しいように思われる.現在公にされているアセスメントツールはいずれも,極端に評価項目が多く,総合的,網羅的であり,痴呆性高齢者のケアプラン策定には必ずしも有効とは考えられない.居宅サービスにおいても施設サービスにおいても使用可能な,痴呆性高齢者用のケアマネジメントツールの開発が期待される.
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2004/4 老年精神医学雑誌Vol.15 No.4
抗痴呆薬の次にくるもの
工藤 喬
大阪大学大学院医学系研究科精神医学教室
 先日,大学病院の外来にダンディーな老紳士が息子夫婦に連れられ受診してきた.主訴は,嫁曰く「義父の異常行動を何とかしてほしい」とのことであった.詳細を聞くと,義父はいわゆる風俗店なるものに最近頻繁に通い詰めているという.本人は否定するが,クレジットカードのレシートで確認されているという.この老紳士はもともと一流企業の役員までしてきたような人で,そのようなふしだらなこととはまったく無縁の立派な人間であったという.「痴呆症になったのでしょうか?情けなくて……」と,嫁は涙ながらに訴えた.一方,息子のほうは男性の味方なのか,「日常生活で軽いもの忘れはあるが,痴呆症によると考えられる症状はあまり見受けられない.たしかに,昔は女遊びなどするような人間ではなかった.でも風俗店に行くといっても,他人に迷惑をかけるわけでないし,元気なら大目にみてやってもよいと思うのですがね.母もとうの昔に他界しているわけですから」と言う.その言葉に嫁は,「あなたはお義父さんの尊厳を何と考えているの!」と反論し,夫婦喧嘩が始まってしまった.ご本人はというと,その年代ではかなりおしゃれな感じで,問診をとおして「風俗店通い」は否定するものの,とくに異常は認められなかった.Mini-Mental State Examination(MMSE)やAlzheimer's Disease Assessment Scale(ADAS)まで施行してみたが,痴呆症と診断できる点数ではないし,MRIでも年齢相応の変化しか認められなかった.しかし,状況から,この老紳士の「風俗店通い」は,何らかの脳の器質的変化と無関係ではなさそうなので,いちおう今後もフォローさせていただくことになった.このケースは筆者に,高齢者,とくに軽度痴呆患者QOLとはいかなるものかを考える機会を与えてくれた.
 自分の人生の質の善し悪しを決めるのは,基本的には自分であろうから,QOLは本人に認知された主観的な満足度や幸福感に基づいて評価されるべきであるという意見に異論を唱える人は少ないと思われる.少なくともQOLを定める際に,この主観的な,本人に認知されたQOLは重要な要素であろう.しかし,痴呆患者の場合,根本的に本人の認知に問題があるわけで,主観的であるべきQOLの評価では家族やケア担当者の客観的評価をいかに用いて行っていくかという点が痴呆患者のQOLを議論する論点であった.しかし,軽度な認知障害を呈する患者ではもう少し主観的に自らのQOLを評価してもよいのではないかとも考えられる.
 現在,抗痴呆薬の開発は急ピッチで進められており,アルツハイマー病のアミロイド・カスケードそのものを治療のターゲットとしたAPP(amyloid precursor protein)セクレターゼ阻害薬やアミロイドワクチンなどは近い将来,臨床応用が可能となるであろう.これらの薬物で痴呆の進行は阻止でき,惨めな痴呆の終焉を迎える患者は大幅に減少する可能性がある.それと引き替えに,軽度な認知障害のある軽度痴呆患者が大量に増える可能性がある.このような事態に至って,必ず問題となるのは軽度痴呆患者のQOLの問題であろう.失いかけた余生を抗痴呆薬で取り戻した患者にはぜひ充実したものとして送ってもらわなければならない,さもなければ何のための薬物療法かわからない.そのためには,現在の収容を目的とした施設よりも,社会のなかでの患者の生活を支援するシステムの充実をはからなければならない.また,患者によるQOLの自己決定も推進していかなくてはならない.こういった施策は,ぜひ抗痴呆薬の開発と並行して行わなければならない.抗痴呆薬の開発で多くの患者の痴呆の進行を止めても,それら患者のQOLを充実させなければ,途中で梯子をはずしたも同然である.
 くだんの老紳士を以後何回か診察したが,「風俗店通い」についてはことがことだけに,彼の「まっとうな認知能」が働いてか,否定し続けている.何回目かの診察のあと,嫁は密かに続く義父の「風俗店通い」に,「少し見守っていこうと思います」と語った.この「見守る」気持ちこそが,痴呆患者に対する基本姿勢であることにまちがいない.
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2004/3 老年精神医学雑誌Vol.15 No.3
老人患者の精神科救急
柏瀬宏隆
長谷川病院
 老人患者とくに痴呆患者を,現在筆者は特別養護老人ホームと精神科病院とにおいて診察している.特別養護老人ホームでは,痴呆患者で精神症状や問題行動があっても,薬物療法に関していえば,せいぜいチアプリド(グラマリール(R)の投与で落ち着くことが多い.リスペリドン(リスパダール(R)やクエチアピン(セロクエル(R)を投与するほどまでに至るケースは,きわめて少ない.

 この特別養護老人ホームでは,患者の入所時に精神症状や問題行動が顕著な痴呆例などは入所させていない,すなわち,入所者をセレクトしている.したがって,精神科的には軽症例が多いわけである.

 一方,筆者が現在勤めている精神科病院では,老人の精神科救急患者の入院を(原則としてセレクトせずに)引き受けている.たとえば,痴呆患者でかつ,せん妄,精神運動興奮などのBPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)の激しいケースが,昼夜を分かたず救急で入院してくる.この精神科病院に赴任した当初は,チアプリドで対応していたが,それではBPSDがおさまらず,結局はリスペリドンなどを投与するに至る.そこで最近では,はじめからリスペリドン1 mgの眠前投与を開始するケースが多くなった.そして,大部分のケースは,リスペリドン2 mg/日程度で落ち着いてくる.ただし,リスペリドンを使用した場合には,保険用病名として,主病名のたとえば老年期痴呆のほかに副病名に「統合失調症」も加えることになる.書類上は,高齢になって,痴呆患者に「統合失調症」が突如合併したことになっているので,何とも居心地が悪い.しかしながら,保険診療なので,やむをえない(いまでも,超高齢者であったり,身体合併症をいくつかもっていたり身体的に衰弱している老人患者の場合には,まずはグラマリール(R)の投与で様子をうかがっているが).

日頃,この精神科病院で老人の救急患者を受け入れていて,躁病(躁状態)の患者が多いことにも大変驚いている.
 他方,老年期のうつ病の患者については,妄想型うつ病が多く入院してくる.うつ病の三大妄想のなかでは,貧困妄想を訴える患者が多い.その他では,自殺未遂例,強い不安焦燥例,食欲不振が強い例の,うつ病患者である.
 痴呆のなかでは,特別養護老人ホームにおいては,アルツハイマー型老年痴呆と血管性痴呆ばかりを診てきたが,精神科病院に来て初老期(50歳代)発症のいわゆるアルツハイマー病,幻視とパーキンソン症候群を伴うレビー小体型痴呆,PVL所見が認められたビンスワンガー病の,それぞれの典型例も診ることができた.いずれも,神経内科医の診察によっても診断が確認されている.
 ところで,せん妄状態の改善後,80歳前後という高年齢を考慮にいれると,痴呆とはいえずせいぜい生理的老化の範疇にはいるぼけ程度のケースがあるが,さて,その診断名を臨床的にくだす段になると困惑してしまうことが少なくない(predementia,subdementiaとでもいうべき病態なのであろうか).

 老人の救急患者で入院後にしばしば遭遇し治療上難渋するのは,「嚥下性肺炎の併発」である.そこで,嚥下困難がある老人患者では,予防的に数日間は禁食・禁飲水にして点滴を行っている.うつ病患者で静脈内高栄養輸液(IVH)をしなければならないような場合には,躊躇せずに電気けいれん療法(ECT)を検討している.

 昨今,老人保健施設などの療養型施設は増えてきた.また,介護保険のおかげで,在宅で介護に努める家族も増えてきた.その結果,家族の休養のために定期的にショートステイをする患者も増えてきている.しかし残念ながら,急性にBPSDなどを呈して周囲が困っている老人患者を緊急に入院させてくれる精神科施設はいまだ少ないように思う.家族ばかりでなく,他科入院中ならば他科の医療スタッフが対応にとても困っている精神科救急患者についてである.

 老人患者では,つねに身体面(身体的合併症)にも注意をはらっておかなければならない.先日も,老年期痴呆のせん妄状態として紹介され緊急入院したケースが,当日の頭部CT検査で巨大な硬膜下血腫を発見され,翌日ただちに脳神経外科病院へ転院となった.

 老人の精神科救急患者を診るためには,精神科と少なくとも内科の診療とが充実していなければならないことを,日頃痛感している.
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2004/2 老年精神医学雑誌Vol.15 No.2
Maturity is a natural recovery course
―― 老年アルコール依存症者の回復過程 ――
洲脇 寛
香川大学医学部精神神経医学講座
 老年精神医学というと,脳の萎縮や脳機能の低下,痴呆といった言葉を連想するせいか,それらの言葉に含まれるネガティブなイメージがどうしても前面にでてきてしまう.しかし,Erikson Eはライフサイクル論のなかで,老年期の課題として統合(integrity)をおいており,危機としての絶望(despair)と対置している1,2).ところで,日常診療のなかでアルコール依存症者の長期経過を眺めていると,たしかに肝硬変や上部消化器がんなどの身体合併症で死亡する人も少なくないが,老年期に至ってはじめて配偶者とのこころの絆の大切さに気づき,統合感と呼びうるものを獲得し,アルコール問題から脱出する例に遭遇することがある.ここでは,限られた紙幅のなかであるが,自験例をとおして,老年アルコール依存症の回復過程におけるこうしたspiritualな展開について述べてみたい.

 2症例の共通点は,いずれも60歳代の男性で,ともに自助グループへの参加を望まれなかったが幸い配偶者の協力が得られ,数年間にわたり配偶者同伴で外来へ通院されたことである.

 Aさんの酒歴は長く,20歳代から晩酌が始まり,やがて休日には昼間からの常習飲酒が加わった.30歳代には毎晩清酒5合程度となり,40歳代にはいると肝障害で入退院を繰り返すようになり,40歳代なかばで運送関係の仕事を退職し農業を始めた.体は頑強で力仕事をいとわず,真面目な性格であった.しかし,その後もさらに入退院の回数が増え,不機嫌を伴う抑うつエピソードがみられるようになり,エピソード中にはさらに酒量が増え,泥酔,転倒がみられるようになった.

 その後X-9年以来当科へは3回の入院歴がある.当科受診当初は,肝機能障害が顕著で,血小板減少,出血傾向も認められ,泥酔時の転倒によりその後2回硬膜下血腫除去術を受けた.また,2回目の入院までは奥さんが仕事を続けていることもあって奥さんからの十分な協力が得られず,通院の継続がむずかしかったが,2回目の入院以後は,奥さんの運転で1.5時間の道のりを月1回定期的に通院されるようになった.抑うつエピソード時に飲酒があるものの,比較的穏やかに経過する期間が増え,肝機能も徐々に改善し,低値であった血小板数もX-2年には正常下限まで回復し出血傾向も認められなくなった.その後抑うつエピソードも徐々に治まり,2人の表情も明るくなり,2人とも多くを語るほうではないが,やわらいだ和やかな雰囲気がこちらに伝わってくるようになった.しかし,これまで壮健であったご両親も90歳となり,母親が入院することとなり,毎日昼間は母親の介護にAさんが出向き,父親のほうも日常生活が不自由となってきたが施設入所を拒むため,毎晩父親を抱きかかえ風呂に入れることが本人の日課となっている.

 一方Bさんも,60歳代なかばになるが,20歳代後半から毎晩清酒2合程度をたしなむようになり,X-20年娘さんの結婚後酒量が増えてきた.X-12年ころから自営業なので仕事の合間にも飲酒するようになり,また,そのころから休日には朝から酒が入るようになった.胃・十二指腸潰瘍の既往があり,X-5年よりアルコール性肝障害で総合病院内科で治療を受けていた.当科受診時の主訴は,上記の飲酒問題に加えて,睡眠障害,食欲低下,体重減少を認め,さらに「女房が浮気している.30年間眼をつぶっていたが,いろいろぼろがでるようになった」と言い,奥さんの言などを総合すると嫉妬妄想と判断された.性格は穏やかで,奥さんの協力も得られ外来での治療が継続できそうであったので,ともかく1年間は断酒を続けることを提案し,シアナマイド5 ml,ハロペリドール1.5 mgを投与し,奥さん同伴で2週間ごとの通院治療を重ねていった.半年後には肝機能障害,嫉妬妄想,その他の自覚症状は改善し,また,酒をやめてから喘息のほうもよくなったと喜ばれ,家業も毎日営むことができるまでに回復した.しかし,8か月後の法事の席でビールを飲んだことを契機にビール350〜720 mlを晩酌するというペースになったが,それなりに安定した状態で経過した.X+2.5年には,家計を補う必要性から奥さんがパートタイムで仕事にでるようになり,その後は本人ひとりで1か月に1度の頻度で外来通院を続けている.X+3.5年とくに自覚症状があったわけではないが,軽度の貧血傾向と体重が増えないということで血液内科をコンサルトしたところ,若干の汎血球減少の傾向はあるが,造血機能等に異常はないという返事であった.その後,とくにこちらがすすめたわけではなかったが,自ら断酒に踏み切ったところ体重が4 kg増加し,ヘモグロビン,白血球数,血小板も正常範囲まで回復し大変喜んでいる.

 2人の治療の経過を振り返ってみると,共通して認められる回復要因として,いずれも夫婦同伴で数年以上にわたり外来へ通院されたことがあげられる.こうしたいわば夫婦の共同作業としての通院の意義として,治療者―患者関係以上に,通院途上の対話を含めて夫婦間にこれまでになかったあらたなこころの交流を育んだことがあげられる.そうした交流をとおして老年期に至ってはじめて最も身近で生活をともにしてきた配偶者の存在の大きさに気づき,相互の信頼と愛情を結実させることができたことが,回復への一番の原動力になっているように思われる.

 Aさんの場合は,田舎での昔ながらの生活習慣の名残りがあり,年とった両親と子どもたちとの三世代の同居生活を当然のこととして受けとめていたと思われるが,通院のための往復の車中の時間は,夫婦の大切なこころの交流の機会となったと推察され,お互いへの理解と信頼が深まり,かけがえのないパートナーとして尊敬し合えるようになったことが,なによりもこころの拠り所になっているように感じられる.Bさんの場合も,2年半にわたって毎月夫婦同伴で外来通院という行動を欠かさず続けてきたことが,これまでになかった夫婦の共同作業であり,Bさんのなかにあった猜疑心を払拭する結果につながったように思われる.

 Eriksonは,「統合(integrity)とは,自分自身のただ1つのライフサイクルを受け入れることであり,自分のライフサイクルにとって存在しなければならない,代理のきかない存在として重要な人物を受け入れることである」と述べ,さらに「ただ1つのライフサイクルとは,歴史の一節との偶然の一致であることを認識することでもある」と指摘している1).まことに味わい深い洞察である.これらの症例の回復過程を振り返って言えることは,“Maturity(Integrity)is a natural recovery course”ということになろうか.
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2004/1 老年精神医学雑誌Vol.15 No.1
日頃の診療で思うこと
田辺敬貴
愛媛大学医学部神経精神医学講座
 表1に,痴呆が疑われる患者さんに対する筆者の診察の手順を示す.精神疾患であれ,神経疾患であれ,導入部分はすべての患者さんで同じであり,名前や年齢,主訴を尋ねていく数分の過程で,以後の診察の流れが,疑われる疾患により切り換わって行く.予診や紹介状により,この切り換えが患者さんに実際に会うまえに起こりそうになる場合があるが,これは危険なバイアスである.

 先日,中堅の医師より,交通事故のあと,数字がわからなくなり車の運転ができなくなったという患者さんがいるので一度診てほしいと頼まれた.頭は打っていないらしいとのことであった.56歳の男性で奥さんと一緒に診察室に現れた.

 いつもの手順で「お名前は」と尋ねると,正しく答える.「お年は」と聞くと,「わからない」と答える.「生年月日は」と尋ねると,「昭和」と言って口をつぐんでしまう.「住所はどちらですか」と尋ねると,○○市○○甲まで答えるもあとの数字が続かない.「甲の何ですか」と再度尋ねると泣き出してしまう.利き手は右手と答える.「なにがお困りですか」と尋ねると,「数字がわからないので運転ができない」と言って再び泣き出す.

 話題をかえ3つの物品,はさみ,消しゴム,爪楊枝を覚えてもらい,引き出しに隠す.即時再生は可能である.「クリスマスは何月何日ですか」という質問に対して,「冬だと思います」と答える.「お正月は何月何日ですか」には,「わかりません」と言う.「『猿も木から』というとあとは何ですか」と問うと「落ちる」と続け,「似た諺は」と問うと「弘法も筆の誤り」と答える.「一寸の虫にも」と投げかけると,「わかりません」.「二兎を追う者」に対して「得ず」,「暖簾に」は「腕押し」と答える.名前や「空が青い」は書け,立方体も描けるが,「計算はできない」と言う.

 「結婚したのはいつですか」と問うと「わかりません」.「『イチニサンシ』のあとは何ですか」に対しては,反応なし.「イチニサンシゴロクシチハチ」に対しても反応なく,「わかりません」と答える.「ニニンガ」「ニサンガ」に対しても「わからない」と答える.時計を見せて「いま何時」と問うと,「わかりません」.以上,一貫して数字がかかわる部分の応答が欠落している.

 ここで考えていただきたいのは,系列語である「イチニサンシゴロクシチハチクジュー」や語呂で覚える「ニニンガシ」のような九九は数の概念そのものがなくても成立する作業ないし脳内過程である.このような自動的ないし意識下の神経・精神活動は連合野がかかわらなくても成立する.言語や思考という一見複雑な精神作業にも意識的ないし意図的な過程だけでなく自動的・無意識的な脳内過程の存在が想定される.このような潜在的な脳内過程と顕在的な脳内過程には脳の異なる部分ないしネットワークがかかわることが示されている.

 ある日,奥さんがご主人がビデオを予約していることに気づき,よくなったと思い,そのことを言うと,ビデオの予約はしなくなった.奥さん・ご家族には,必ずよくなること,最も疑われる病態,そしてその病態を起こしている可能性が高い心の問題,望まれる対処法について意見を述べ,本人とは治療的対決はしていない.

 この患者さんは,MRI,SPECT上異常は認められなかった.心の問題で,あるいは心的異常過程で上記のような症状が無意識的に起こるかもしれないと言われれば,絶対にそんなことはありえないと言うことはできない.多重人格と同様,その有無の証明の仕様がない.

 随分以前に診た失語症の患者さんが,私が「ハッパ」と言うと「フミフミ」と返したシーンが思い出された.私たちの世代には懐かしい大橋巨泉氏のギャグである.

表1 診察の手順
1) 名前
2) 歳,生年月日,利き手
3) 最近困っていること;僕とまえに会ったことがありますか?
4) 3つの物品:即時再生
5) 猿も木から落ちる」の意味,似た諺;筆の呼称−“筆”のつく諺のヒント
6) 名前の書字,‘ソラガアオイ’ or ‘トモダチニテガミヲダシタ’ の書き取り
7) 100−17 or 100−7 の連続計算(serial 17 or 7)
8) 立方体(cube)の模写;指の形の模倣(キツネ,ハト)
9) いま,何時何分(アナログ時計)
10) 神経学的診察:眼球運動,錐体外路症状,錐体路症状,原始反射
11) 3つの物品の想起:遅延再生
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