2003/12 老年精神医学雑誌Vol.14 No.12
人を理解するということ
――だれのためのアセスメントか――
加藤伸司
東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科,高齢者痴呆介護研究・研修仙台センター
 人を知るということはたやすいことではない.私たちは人をまず見かけで判断し,その後さまざまな情報を集めて自分なりの「その人」像を形成していく.恋愛に発展しそうな状況にあるときや,目下恋愛中というときに,「君のすべてが知りたい」と思うこともあるだろうが,「恋は盲目」という言葉があるように,その場合の判断はたいてい歪んでいるし,いかなる方法を用いてもその人すべてを知ることはできない.私たちはその人を客観的に理解しようとするとき,アセスメント技法を用いることがあるが,恋愛の対象となる人に対して心理テストを行うことはないだろう.第一そんなことをしようとしたら,その時点で相手に嫌われてしまうにちがいない.

 筆者が以前精神科で臨床心理士をしていたころ,さかんにWAIS(ウェクスラー成人知能検査)やWISC(ウェクスラー児童用知能検査)などの知能検査や認知機能検査,MMPI(ミネソタ多面的人格目録),TPI(東大式人格目録),ロールシャッハテストなどの心理学的検査を行ってきた.その目的は,患者さんのある部分を客観的にとらえ,それを診断や治療にいかすことにあった.このような場合,アセスメントの目的は「診断の補助」や「治療計画の参考」という比較的明確なものである.良識ある臨床医であれば,これらの心理学的検査の結果を的確に利用し,その結果が患者さんの利益に結びつくことになる.しかし,「とりあえず検査」というような目的で心理学的な検査をオーダーするような場合には,たいてい負担が利益を上回ることになることが多い.私たちは長年にわたってテストに苦しめられてきた.テストが大好きという人は筆者を含めてほとんどいないだろう.テストを受けてきた患者さんたちはさぞかし負担が大きかったにちがいない.直接的なテストではなくても,治療計画や援助計画,ケアプランなどを立てるためのアセスメントでは,聞き取りなどによって患者さんやその家族からさまざまな情報を集めることになるが,そのなかにはかなりプライベートな部分が含まれるし,内容にはかなりデリケートな部分もある.つまり人の生活史や人間関係,経済状況などかなり立ち入った問題を聞くことがあるかもしれず,患者さんや家族にとっては,見ず知らずの人に自分のプライバシーをさらけださなければならないこともでてくるだろう.しかし人にはふれられたくない部分や,立ち入ってほしくない問題がある.それをアセスメントだから聞き出そうという態度はいかがなものかと思う.「なぜそんなことまで聞くのか」という疑問をもちながらも,患者さんや家族は答えてくれるかもしれないが,それを答えるのが当たり前と思ってはいけない.

 筆者自身研修などで「ケアプラン作成演習」を行うことがある.短い事例を呈示するとだいたい情報が少なすぎるというクレームがつく.「知りたい情報はなにか」と尋ねると,「生活歴」「学歴」「職歴」「家族関係」「経済状況」「住宅の間取り」「親しい人と嫌いな人」「食べ物の好き嫌い」など実にさまざまな要望がでてくる.このなかで自分だったら答えてもいいなと思えるのは,「食べ物の好き嫌い」くらいなものである.「これらの一つずつの情報を得ることの目的はなにか」と尋ねると,その目的を明確に答えられる人はかなり減ってくる.さらに「その情報は具体的にどのようなケアに結びつくのか」と質問すると明確な答えは極端に少なくなる.目的が曖昧でケアに役立つかどうかわからない情報を何のために苦労して集めるのだろうか.とりあえず情報は多いに越したことはないというアセスメントはいかがなものかと思う.アセスメントする人にとっては,いろいろ立ち入ったことを聞くのが日常業務かもしれないが,アセスメントされる側にとっては自分や家族のプライバシーにふれるようなことを聞かれることは非日常的な出来事なのである.

 アセスメントの結果は患者さんと家族にとって利益をもたらすものであり,アセスメントする人の「わからない」という不安を解消するためのものではない.立派なアセスメントと粗末な援助計画になってはならない.よりよい援助計画を立てるために申し訳ないがいろいろ教えていただきたいという気持ちを忘れないようにしたいものである.
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2003/11 老年精神医学雑誌Vol.14 No.11
アルツハイマー病に対するリハビリテーション
――その理論づけを――
宇野正威
吉岡リハビリテーションクリニック
 アルツハイマー病は,記憶を主とする神経心理学的検査と画像検査により,高い確度で早期に診断することが可能である.最近,全国的に「もの忘れ外来」が開設されるようになったのは,その診断技術,ドネペジルの認可と介護保険の導入に負うところが多い.問題は,病気の進行を抑止する薬物をもたない現在,この疾患に罹患した人と家族にどのようにかかわってゆくかである.平成6年に国立精神・神経センター武蔵病院に「もの忘れ外来」を開設したときから,病気を進行させないためにはどうしたらよいのか,という家族からの質問が繰り返されてきた.これは重い課題であった.

 そこで,さまざまな段階のアルツハイマー病の人について,とくに初期から中期へかけての日常生活上にみられる知的機能の低下のパターンに注目した.炊事などのように道具を使用する行為系列の障害と,日常会話の減少として表現される言葉の理解と表出の障害を詳しく診ることにした.これらは動作性知能と言語性知能におおよそ対応する.病気の進行は症例によってさまざまであるが,介護者との関係と日常生活の送り方が,それらの症状進行と何らかの相関をもつのではないかと考えた.介護者が心身ともに健康な配偶者であり,なにくれとなく世話をしながら日常生活の指導をしている場合,症状の進行は緩やかであるようにみえる.また検査上はその成績は落ちても,家庭での生活は穏やかである.

 介護保険が導入されてから,痴呆を病む人たちがデイケア・デイサービスに通所することにより日常生活をある程度活発にすることができるようになった.家庭に引きこもっていた人も社会との接触を部分的にも回復することになり,在宅介護に大きな力となった.たとえ軽症であっても,原則としてデイケア・デイサービスへの通所をすすめている.そこを社会の場と考え,それに適応することは症状の進行を少しでも遅くすることを期待するからである.しかし,病気の初期で,まだ一般的知能がほぼ保たれている場合,デイサービスを嫌がる場合もある.そのプログラムが幼稚であると感じ,そのことが彼らのプライドを時として傷つけることのあることは理解できる.もっとも,最近は,通所する人のレベルに合わせ,比較的初期の人にも楽しめる内容を考えている場所もあり,現在変わりつつあるところかもしれない.

 われわれが,芸術造形研究所の人たちを知り,比較的初期の人にアートセラピーに参加してもらったのは,記憶障害は著しいとはいえ,全体的知能はまだ保たれており,それだけのプライドをもつ人たちには,それに相応しい内容をもつリハビリテーションが必要と考えたからである.このような,芸術的な創作活動が進行性の痴呆性疾患のリハビリテーションとして,どのように意味があるのかを学問的に明らかにすることはなかなかむずかしい.この活動は,ある目的をもった創作活動であり,さまざまな道具を手にする行為系列からなる.そして,ほぼ10人の患者さんが集まって,制作活動を行いながら会話を交わす雰囲気をつくっている.WAIS-Rなどの心理検査でその効果をみると,視覚的注意集中力が高まる効果もみられるが,2年以上の経過ではやはり記憶障害の進行の力が強く,むしろ病気の進行を印象づける.一方,その場で親しくなった人たちが会話を交わすことでの感情面への効果はより大きく,制作活動のあとなにを制作したかは覚えていなくても,楽しかったことは覚えており,次の活動に結びつく.音楽療法や回想法など他の方法を用いてリハビリテーションに取り組んでいる人たちも同じ印象をもっていると思う.

 このようなリハビリテーションを発展させ,この疾患の進行を少しでも抑制するには,進行性の疾患であるアルツハイマー病にとって,リハビリテーションはなにを目指すのか,そのためにはどのような方法論が必要かを追究する必要がある.本年6月に高齢者介護研究会が報告した「2015年高齢者介護」は,今後の介護の重点を痴呆性高齢者のケアにおくこととし,そのための地域のサービス体系として,小規模多機能サービス拠点の整備をあげている.そして,痴呆性高齢者に対するリハビリテーションの重要性を指摘しつつ,真に効果のあるプログラムの開発を求めている.そこではリハビリテーションの意味を,単なる機能回復訓練ではなく,より根元的に「権利・資格・名誉の回復」ととらえている.介護保険が始まって以来,比較的軽症の痴呆高齢者に対する介護の要求が急速に大きくなっている.彼らに対しどのようなリハビリテーションからのアプローチがその症状進行を少しでも遅らせ,彼らが人間らしく生きる権利を喪失しないようにすることができるのか.その方法論と理論づけこそ,われわれ臨床医に期待されている研究課題であろう.
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2003/10 老年精神医学雑誌Vol.14 No.10
老年精神医学会専門医制度について思うこと
宇高不可思
住友病院神経内科
以下は,最近経験した症例である.
 
〈症例1〉78歳,女性
 Yahr III度のパーキンソン病で老健施設入所中,熱発,食思不振あるも数日間放置,半昏睡で来院.高度の脱水,腎前性急性腎不全,高CK血症と判明.
 補液,抗生剤投与にて回復,薬物調整とリハビリにてADLは以前より改善し,帰所した.
 
〈症例2〉82歳,女性
 Yahr IV度のパーキンソン病,抑うつ,軽度痴呆で在宅療養中,夫が肺結核を発症,介護者不在のため2週間のショートステイのあと,るいそう,寝たきり状態となった.
 食事摂取は不足,内服薬の管理もされていなかった.
 
〈症例3〉74歳,女性
 32歳時よりリウマチ性関節炎.四肢関節変形,環軸亜脱臼,間質性肺炎を合併,プレドニン10mg長期内服.脳梗塞,痴呆,抑うつが出現し,特養に入所.
 2か月後よりプレドニンを含む内服薬をほとんどすべて中止され,まもなく38℃台の熱発と全身の関節痛で緊急入院.
 リウマチの再燃と診断,プレドニン投与ですみやかに改善した.


 老健施設,特養など長期療養を目的とした施設では,介護職員は多いが医師の数が病院に比べて極端に少なく,急性増悪時の発見および急性期病院への転送などの適切な対応が遅れる傾向がある.また,定額医療のため,必要な薬物まで減量,中止されてしまうことが少なくない.とくに注意すべきはパーキンソン病,抑うつ,痴呆などの虚弱高齢者である.高価なドパミン作動薬や抗痴呆薬の中止による悪化,食事介助が不十分なための栄養障害や脱水,抗パーキンソン薬の急な中止による横紋筋融解などの危険が大きい.このような悲劇を防ぐために,高齢者を多数収容する施設に勤務する医師に老年医学会および老年精神医学会専門医の取得を義務づけるべきである.無理なら講習を義務としてもよい.企業の診療所で勤務するには産業医の資格が必要となったように,専門医制度が充実してきたいまこそ,学会をあげて真剣に検討すべき課題であると思う.

 このようなおり,老年医学講座を診療科に格下げする国立大学もあるという.詳細は知る由もないが困ったことである.たしかに,臓器別編成との整合性,すなわち,内科系のどの科も高齢者が大半を占めるようになっており,あえて老年科を分ける必要があるのかという意見があること,また,国立大学の独立行政法人化や研修制度義務化などとも関連して老年医学講座の今後のあり方に関しては大いに議論のあるところであろう.しかし,社会と医療の現状からみて,老年学,老年医学の臨床,教育,研究の重要性は今後も減じることはないと断言できる.診療科に格下げされると,予算,人員の大幅な削減,志望者の激減によって研究,教育を行うことは困難となろう.専門医制度が確立しているにもかかわらず,講座のない大学では老年医学会専門医取得を目指すものがいなくなる可能性が高い.老年精神医学会も当然その余波を受けるだろう.多くの大学で同様の動きが起こる可能性もある.

 現在でも臨床軽視,インパクトファクター信仰という弊害が指摘されているが,独立行政法人化によってその傾向が加速されることが危惧される.アルツハイマー病やパーキンソン病など神経変性疾患における基礎研究業績も華々しく,新しい発見が次々と報告されている.遺伝子治療や再生医療など,マスコミに派手に報道されるような実験研究が夢と希望を与えてくれるのは事実であるが,試験管内や動物実験で得られた成果が将来,ヒトの病気の治療に役立つまでには多くの難関がある.モデルマウスの病気が治れば人間でもすぐ治ると考えている研究者も少なくないのかもしれない.しかし,疾患モデルマウスを治せても,患者を対象とした臨床試験によって臨床効果が証明されないかぎり,医学的に意味があったとはいえない.華々しい研究成果と診療の現場との間のギャップ.その原因は,疾患のモデル動物が多くは極端な状態で発症させられているということ,タイムスパンの違い,そして,なによりも重要なことは,実験動物の脳とヒトの脳との間にはあまりにも大きな差があるということである.さらに,理想的な化学物質が見つかったとしても,それをヒトに投与し,第I相から第III相を経て,臨床に導入されるまでには長い時間が必要である.アルツハイマー病のコリン仮説からコリンエステラーゼ阻害薬の臨床応用までに30年を要していることを考えると,開発のスピードが加速しているとはいえ,10年以上の年月を要するであろう.予想外の副作用のために中止を余儀なくされる場合もあるし,臨床試験の結果,有用性が否定される結果に終わる可能性も大いにある.これら,重要な有効性と安全性を評価することができるのは,ほかならぬ第一線の臨床医であることを忘れてはならない.その養成は一日にしてなるものではなく,患者を実際に診ることのできる医師の養成,臨床試験の評価を十分行うことのできる専門医の養成も大学の重要な機能であることを強調したい.
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2003/9 老年精神医学雑誌Vol.14 No.9
痴呆症患者の処遇と生命予後について
納富昭人
福岡県立遠賀病院精神科
 福岡県立遠賀病院は,昭和30年に結核療養所として設置され,その後,地域の中核病院として,さらに高齢者医療センターへと機能転換をはかってきたが,その一環として,平成7年に老人性痴呆疾患センター,老人性痴呆疾患治療病棟,重度痴呆デイケア,痴呆専門外来が開設された.以来,8年が経過したが,当院の老人性痴呆疾患治療病棟に入院した痴呆症患者の処遇と生命予後について,いくつかの知見を得たので紹介する.

 遠賀病院では,以前,痴呆病棟入院患者の退院後の処遇について,本誌(10:1065-1073,1999)に報告した.退院後の処遇により入院患者を,転院群,施設群,自宅群の3群に分けると,転院群は,身体合併症が重症であるため転院になっていること,施設群と自宅群では,身体合併症や痴呆症状に大きな差はなく,おもに介護状況により施設群と自宅群に分かれることがわかった.すなわち,介護者が同居していないか,仕事や病気のため介護が十分できない場合,施設処遇となり,介護可能な者が同居している場合,自宅処遇となることが多いという結果であった.

 今回,痴呆病棟を退院した痴呆患者の追跡調査を行い,痴呆患者の生命予後について検討した.とくに,施設群と自宅群で生命予後に差があるかどうかが知りたかったところであった.
 平成7年4月から平成10年3月までの3年間に,痴呆病棟に痴呆の診断で新入院した患者272人を対象とし,生命予後を調査した.追跡期間は最長で7年となる.

 対象者272人のうち,生死が判明したものは215人(79%),生死が不明のものは57人(21%)であった.生死が判明した215人について,生存者(70人)と死亡者(145人)の臨床像の違いを検討した.その結果,男性群,身体合併症ありの群,病院への転院群の死亡率が高いことがわかった.一方,痴呆の診断分類,年齢,Mini-Mental State Examination(MMSE),N式老年者用日常生活動作能力評価尺度(N-ADL)には差がなかった.
 次に,打ち切り例も含めた全対象者272人について,痴呆の生命予後に関与する要因を生存分析法により検討した.対象者の入院時平均年齢は79.2歳,性別は男性110人,女性162人,入院時のMMSEは13.2点,N-ADLは31.4点,診断はアルツハイマー型痴呆130人,血管性痴呆112人,その他の痴呆30人であった.
 Kaplan-Meier法による生存分析での平均生存期間は,(1)性別(男性1,100日,女性1,529日),(2)合併症の有無(合併症なし1,659日,合併症あり924日),(3)退院先(施設1,830日,自宅1,581日,病院813日)において有意差があった.
 生命保険数理法による5年生存率でも,(1)性別(男性0.249,女性0.510),(2)合併症の有無(合併症なし0.518,合併症あり0.251),(3)退院先(施設0.632,自宅0.462,病院0.171)において有意差があった.
 多変量解析法のCox比例ハザードモデルによる生存分析では,性(男性),年齢(加齢),退院先(転院)が生命予後の危険因子であった.

 今回の調査で印象的であったことは,これまでの報告と異なり,自宅群より施設群のほうが生命予後がよかったことである.自宅群と施設群では,入院時の身体合併症や痴呆症状に大きな差はなかったので,この結果は退院後の自宅ケアと施設ケアの差を反映していると考えられる.これまでの文献報告では,在宅ケアを受けている者のほうが,ナーシングホーム入所者より生命予後がよいといわれていた.今回,在宅ケアより施設ケアのほうが生命予後がよいという結果となった原因がいくつか考えられるが,そのひとつとして,日本では,介護保険制度も始まり,施設介護が充実してきたため,施設入所者の生命予後がよくなっているという可能性が考えられる.

 厚生労働省は平成12年にゴールドプラン21を策定し,現在5か年計画が進行中である.しかし,グループホームの増設等によって施設数はたしかに増加してきたが,グループホームでの重度痴呆のケアはむずかしく,他の施設(介護老人福祉施設,介護老人保健施設)は入所待機期間が長すぎるため,重度痴呆の施設処遇はまだ充実しているとはいえないのが現状である.それにもかかわらず,在宅処遇と施設処遇の生命予後に差がないか,むしろ施設処遇のほうが生命予後がよいという今回の結果は,施設のスタッフが対応がむずかしい痴呆患者を頑張ってケアしてきた証拠であるとも思われる.厚生労働省は,在宅ケアとともに,施設ケアの質と量(とくに痴呆対応の施設数と入居可能人数が少ない)もさらに充実させ,世界一の長寿国の名に恥じない痴呆の施設介護のモデルを世界に示していただきたい,という思いを強くした.
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2003/8 老年精神医学雑誌Vol.14 No.8
痴呆性高齢者のケア
山根巨州
エスポアール出雲クリニック
 痴呆性高齢者は人口の高齢化とともに,急速に増えつつある.ことにアルツハイマー型痴呆は年齢とともに発生率が高まりつつあり,平成7年126万人,10年後189万人と推計された.アルツハイマー型痴呆の診断,病態の解明も進み,塩酸ドネペジルの開発による痴呆の薬物療法も最近注目されたところである.しかし痴呆のケアについては,在宅および施設において介護にかかわる人,家族にとっては問題が山積している.

 2000年4月公的介護保険が施行されて今年で4年目を迎えた.全国的に高齢化率の高い島根県では65歳以上の高齢者は平成7年21.7%,平成11年24.1%と全国平均14.5%をはるかに上回って高齢化が進んでいる.高齢化に伴う痴呆性高齢者は年々増加し,在宅痴呆性高齢者の年間の出現率から平成12年10,700人,平成17年12,200人と推計される.平成10年の高齢者実態調査では,「痴呆性老人の日常生活自立度判定基準」ランクIII以上の介護を要する在宅痴呆性高齢者は2,167人,入院・入所を含め痴呆性高齢者の出現率は65歳以上全体では6.3%,85歳以上では27.3%と推計され,長生きすることにより痴呆となる割合は高率となり,だれでも痴呆になる可能性があることが明らかとなった.自治体としては,痴呆の予防活動,痴呆性高齢者を支える相談体制,痴呆性高齢者支援に関するサービスの提供体制,人材育成,社会的基盤の確立を進めている.

 痴呆の基盤には,記憶障害,見当識障害,高次脳機能障害など中核症状といわれる疾病性としてみられる部分があると同時に痴呆をもって生きる高齢者,そのありように対して問題行動,不安をもつ,などのケアの基本となる症状の部分がある.痴呆ケアを進めるうえでは,一般の誤った痴呆観と痴呆恐怖を取り除く,痴呆性高齢者の心を理解する必要があることが指摘されている2).

 2001年,アルツハイマー国際会議がニュージーランドで開催され,クリスティーン・ボーデン氏は,自ら痴呆患者であるが,その体験を発表した.アルツハイマー病患者からの10のお願いは大きな反響をよんだ.

私のことを我慢してください―
 自分ではなにもできない脳の病気にかかったどうしようもない患者であることを思い出してください
私に話しかけてください―
 たとえ私がいつも答えるとはいかなくても,声は聞こえるし,言葉を理解することができます
私に親切にしてください―
 私の毎日は長い絶望的な戦いです.やさしさは私の一日のなかでとても重要なことでしょう
私の感情を考えてください―
 私はまだしっかりと感情をもっています
人間としての尊厳と尊敬をもって扱ってください―
 私ならベッドに横たわっている患者には喜んでそうするでしょう
私の過去を思い出してください―
 かつて私は健康で人生は愛と笑いでいっぱいでした.能力と知性も兼ね備えて
いまの私を知ってください―
 私は家族と家庭を失って寂しい恐れおののく人であり,愛している夫,妻,母,祖父,祖母,叔父,叔母,であり,親しい友人なのです
私の将来を思ってください―
 将来は暗いように見えるかもしれませんが,私はいつも明日の希望でいっぱいです
私のために祈ってください―
 私は時の流れと永遠の間に漂う霧のなかで迷っています.どのような同情よりあなたがいることがとても大切なのです
私を愛してください―
 愛という贈り物によって私たちは光で永遠に満たされるでしょう


 デンマークのオーフス大学精神科のグルマン氏は,痴呆性高齢者のケアには彼らの心理社会的要求を受け入れることを述べ,初期痴呆には尊厳が,中期には活動と共生,重度には安心と愛がケアの基本であると提唱した.近年,痴呆介護実務者の研究教育のための研究・研修センターが全国で3か所設置された.この出雲の地域では,痴呆について学び考える会として,市民,家族,痴呆にかかわる医療福祉の人びとの交流の会(交流塾,代表高橋幸男)が今年2月に発足した.月1回,木曜日の集いには80〜120人の人びとが参加し,テーマに基づき(痴呆のお年寄りの心とかかわり等)将来,教育研修の場にもして,地域中心の痴呆にかかわる問題を共有し,痴呆ケアの共同体としての発展を願っている.

 [文献]
 1)長谷川和夫:21世紀の痴呆ケア(3).ほーれほーれ,263号:4-5(2002).
 2)高橋幸男:痴呆を患ってどう生きるか.精神神経誌,102(9):770-775(2000).
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2003/7 老年精神医学雑誌Vol.14 No.7
精神鑑定書を書いて思うこと
平澤秀人
平沢記念病院
 2000年4月から新しい成年後見制度が開始された.旧法下で使われていた「禁治産宣告」「準禁治産宣告」という用語はきわめて人権的に差別的であり,抑圧的な語感が強く,実際に戸籍への記載や欠格事由という資格制限があった.それが「ノーマライゼーション」「自己決定権の尊重」「身上保護の重視」の考えのもと法改正が行われ意思能力に障害がある要保護者に対するサポート体制ができたことはたいへん望ましいことである.
 裁判所は,保佐または後見の申立てがなされた場合には,原則として,鑑定を行うことを決定し,鑑定人を指定したうえで,鑑定事項を定め鑑定人に鑑定を依頼する.その鑑定事項として次の3点の記載が求められる.

(1)精神上の障害の有無,内容および障害の程度
(2)自己の財産を管理・処分する能力
(3)回復の可能性


 この鑑定書ならびに鑑定事項について日頃感じていることを述べたい.

 われわれ老年精神科医は意思能力に障害がある痴呆性高齢者を保護するために成年後見制度において法的手続きに診断書および鑑定書の作成という役割がある.改正時に最高裁判所事務総局より診断書および鑑定書作成の手引きがだされ,「簡にして要を得た」診断書,鑑定書が作成されるようそれぞれの規定の書式が示された.必ずしもその規定に従う必要はないが,ほとんどそれに準じて作成されている.改正前には鑑定書は診断書1,2通程度のものから微に入り細をうがつ生活史,家族関係が記載され裁判所の資料よりも詳細な鑑定書まであった.改正後はじめて鑑定書の規定の書式を見たときにその簡素化に驚いた精神科医は少なくないであろう.
 書式を決め鑑定医師の負担を軽減したとはいえ,これで本当に被鑑定人の意思能力が判断できるのだろうか疑問に思うこともある.軽度の痴呆や重度の痴呆であれば意思能力の判断は比較的容易であるが,中等度の痴呆ではかなりその判断はむずかしい.意思能力は,知能指数のように数値化できるものではない.また,法律的判断の対象にはさまざまなものがある.たとえば身分能力としての遺言や財産管理行為としての契約など,被鑑定人が抱える問題は多様であり,医学的判断を一様にしてよいのだろうか疑問に思う.さらに,たとえば簡単な遺言があれば複雑な遺言もあるだろうし,また日用品の購入から不動産の取得という重大な判断が求められる行為もあるので,単に意思能力,判断能力の判定といってもさまざま状況を考えて判断をしなければならない場合がある.
 鑑定記載ガイドラインに沿って作成すれば「能力判断の資料としての重要性を損なうことなく,より迅速に当事者にとって利用しやすい」鑑定書になるとあるが,当事者にとって利用しやすいものとはいったいなにかはよくわからない.利用しやすさ,簡素化を求めるならば介護保険における意見書のようにA4用紙2枚分のチェックリストでも済むようにも思えるが,いかがであろうか.
 また,ガイドラインではいくつかの知能検査,心理検査をあげ,その結果の記載を指示している.ウェクスラー成人知能検査改訂版(WAIS-R)におけるIQやMini-Mental State Examination(MMSE)の得点は被鑑定人の知的レベルを評価する意味においては有用であるが,その得点のみで法律的判断,とくに意思能力,判断能力の程度を判断することはむずかしい.それらの検査において下位項目が記銘力,見当識,判断力などとの関連性が高いものがあり,できるかぎりそれら下位項目をとりあげたうえで精神医学的診断に至る考え方およびその根拠を説明すべきであり,簡素化すべきではないところもあろう.

 最後に,自分が担当した精神鑑定が実際の裁判ではどのように利用されたのか,またどのような点が不十分だったのか,など気になることがある.裁判は,守秘性の高く,情報が得にくいところではあるが,われわれの医学的判断が法律的判断においてどのように利用されたのか,少なくとも鑑定を書いた医師であれば当然知りたいものである.審判または判決と精神鑑定とを対にして,個々人が事例を積み重ねていくことで,より信頼性の高い鑑定書が書けるようになると思うのだが.
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2003/6 老年精神医学雑誌Vol.14 No.6
島根県下の老人ホーム症例から
妹尾晴夫
松江青葉病院精神科
 筆者が島根医科大学精神医学教室に在籍していたころ,老人ホームで亡くなられた方の脳,すなわち直接の死因が大脳病変以外である方の脳を多数見る機会をいただいていた.西暦2000年前後に,この17年間の経験(310例)を数編1〜5)に分けて報告したが,ここに少しまとめて記載しておきたいと思う.

(1) 310例中122例(36%)に痴呆が認められた.痴呆の認められた122例(男性48例,女性74例)を神経病理学的に分類すると,アルツハイマー型痴呆(ATD)が34%(41例),血管性痴呆(VD)が35%(42例),混合型痴呆が11%(14例),その他の痴呆が20%(25例)であ った.
(2) 痴呆の認められた122例の性別・年代別特徴は,50歳代,60歳代では男女ともにVDのみであった.男性では,70歳代・80歳代でVDがATDより多く,90歳代になるとATDがVDよりも多くなった.しかし,全体でみるとVDが主であった.女性では80歳代以降からATDがおもな痴呆であり,全体でみてもATDがおもな痴呆であった.
(3) 17年間を前半と後半に分けて比較すると,前半と後半では,ATD/VD比が全体で0.83から1.15と増加していた.男性では0.53から0.7,女性では1.13から1.44であった.比率自体は女性のほうが高いが,男女ともに後半のほうのATD比率が増加していた.
(4) 後半にATDが相対的増加を示し,VDが相対的減少をきたしていた原因を求めるため,VDの原因である脳梗塞について調べた.後半では前半に比べて,多発性梗塞の増加傾向,大梗塞の減少傾向がうかがえた.この結果が後半のVDの相対的減少に影響を与えていたかもしれない.


 最近,日本の疫学調査の結果も欧米と同様にATD比率の増加を示している.日本一の高齢県(島根県)の老人ホーム例の剖検結果も同様であった.疫学調査とは少し趣が異なる調査であるが,この結果は日本でのATDの比率の増加を反映していると思われた.
 さて,痴呆のある例とない例の大脳染色切片を見ると,髄鞘の染まり具合からかなりの確率で痴呆の有無が当たる.大脳白質の「しっかり感」が痴呆の有無で違うのである.正常例の大脳白質は肉眼で見てもしっかりと髄鞘が染まるのに対し,痴呆例では染まりにくいものが多い.つまり疎鬆化していることが多い.これは,ATDにもVDにもいえるように思う.「しっかり感」などと感覚的に書いたが,これは大脳白質がきちんと機能しているかいないかに置き換えられるであろう.つまり痴呆例では大脳皮質(神経細胞)そのものの機能低下もみられるが,それを連結している大脳白質の機能もかなり低下している例が多い.この大脳白質疎鬆化の原因について,多くの文献は血管性の要因が大きいとしているが,老人ホーム脳でこの点についても調べてみた.
 その結果,

(5) 大脳白質に多発性ラクナを認める症例で,痴呆例と非痴呆例との差を求めると,痴呆例では大脳白質病変(ビンスワンガー病様病変)を前頭葉と頭頂葉で有意に多く認めた.
(6) ラクナを伴うATD例は,ATDだけの例に比べて大脳白質病変(ビンスワンガー病様病変)を前頭葉,頭頂葉,後頭葉で有意に多く認めた.


 つまり,痴呆を呈する多発性ラクナの症例は,大脳白質病変を伴っていることが多く,ラクナを伴うATDの症例も大脳白質病変を伴っていることが多かった.言い換えると,痴呆の成因に大脳白質病変の役割がかなり大きいのではないかとの結果であった.痴呆の成因に,大脳白質の血管病変をもう少し考慮する必要があるのかもしれない.

 以上,西暦2000年前後に報告した,島根県下の老人ホーム死亡例からの結果をまとめて記載した.なにかの参考になれば幸いである.

 [文 献]

1) Seno H, Ishino H, Inagaki T, Iijima M, et al.: A Neuropathological study of dementia in nursing homes over a 17-year period, in Shimane Prefecture, Japan. Gerontology, 45 : 44-48(1999).
2) Seno H, Ishino H, Inagaki T, Iijima M, et al.: A Neuropathological study of dementia in nursing homes in Shimane Prefecture, Japan ; Evaluation of the age and gender effect. J Gerontol, 54A : M312-M314(1999).
3) Seno H, Ishino H, Inagaki T, Iijima M : Frequency and classification of cerebral infarctions in nursing homes over a 17-year period in Shimane Prefecture, Japan. Gerontology, 45 : 269-273(1999).
4) Seno H, Ishino H, Inagaki T, Yamamori C, et al.: Comparison between multiple lacunar infracted patients with and without demantia in nursing homes in Shimane Prefecture, Japan. Dement Geriatr Cogn Disord, 11 : 161-165(2000).
5) Seno H, Inagaki T, Yamamori C, Miyaoka T, et al.: Dementia of Alzheimer type with and without multiple lacunar infarctions ; Evaluation of white matter lesions. Neuropathology, 20 : 204-209(2000).
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2003/5 老年精神医学雑誌Vol.14 No.5
死をどこで迎えるか
稲庭千弥子
久幸会今村病院ニコニコ苑
 私事であるが,新年を迎えて早々に実父が亡くなった.父自身が設立した当院(精神科病院)の身体重症病棟で死を迎えることができたということは,本人の望む幸せなかたちであったと思う.
 われわれ老年精神医学の現場の専門職にとって,身内以外の方の死に向かうのは厳粛でありなおかつ大いに迷う(悩む)ところである.というのは精神科または精神科病院で亡くなるということが,本人や家族にとって望むことであるかを悩む一瞬がないと言えば嘘になってしまうからである.ここで日本の精神医療の現状と問題点・日本独特の民間精神病院の歴史とシステムは善くも悪くも現実として受け止めている.

 高齢期に生活できる場所または死を迎えることができる場所として,自宅(一軒家・マンション・アパート等)・有料老人ホーム・ケアハウス・グループホーム・介護老人福祉ホーム・介護老人保健施設・介護療養病棟・精神科病棟(痴呆疾患療養病棟・痴呆治療病棟・一般精神病棟)・一般病棟などがある.「死をどこで迎えたいか」と問うと必ず自宅という言葉がでる.自宅には狭義の自宅と広義の自宅がある.本来住んでいた場所を狭義の自宅とするならば,広義の自宅には有料老人ホーム・ケアハウス・グループホームなどがある.生涯現役のなかで,ある日突然ぽっくりというかたちが望ましいと思っている方は多いだろう.しかし生まれてきたときと同様に,人様の世話になりながら死を迎える割合が多いのも事実である.ただ一人消えていくということが困難ないま,どのようにすることで残された家族にできるだけ迷惑をかけずに,また見苦しくなく死を迎えることができるのだろうか(この死の迎え方は私的基準であるが…).
 日本の精神科医療の現場にいると,この選択時に矛盾を感じてしまう.日本の経済効率のよい(安い?)医療費のなかで精一杯に頑張っているわれわれは,利用者様とご家族様だけではなく,自身の家族に対しても現在可能なベストの選択をしてかかわっている.これは真実である.しかし入院において任意か医療保護かを決めるときに本人に判断能力がないのをわかっていても,筆者は任意入院の形態を選んだ.他の家族にも精神科病院の常である入院形態の選択時には,医療保護という届出のシステムに家族が少しでもつらそうな表情をすれば,まずは任意入院からスタートしている.そして拘束等何らかの対応が必要になったときに,あらためて医療保護をお願いするという姿勢でいる.この15年間「呆け老人をかかえる家族の会」の秋田県支部顧問をしているが,この入院形態と精神科という響き,親の最後を精神科病院に入れたという思いがいつも家族の心の底に引っかかっているのを感じるのは筆者だけなのだろうか.
 筆者自身は精神科病院の敷地内で育ち,食事も同じ内容でまた秋田の厳寒のなかでトイレが凍れば病院のトイレを借り,おやつを分け与えてお互いをそばに感じながら暮らしていた.戦後の経済事情がよくなるとともに食事内容がよくなり,病院環境も改善されてきているのを目の当たりに実感している.ここにおいて急に文化歴史の異なる欧米の医療福祉の現場や価値観を導入しても,混乱に陥ってしまうのが普通である.個々人の生活環境の変化に医療福祉が十分ついていかないのは景気問題だけではなく,日本人の価値観・選択に欧米人と異なる面があるからと思う.ただしこの日本人も単一の考え方ではない.個々の経済事情・国内の地域性も当然異なる因子になっている.

 もうひとつの視点がある.はたして痴呆のターミナル・死期はどこで迎えるのがよいのだろうか.すでにグループホームでも死を迎える準備ができている.実際に迎えた人もいる.グループホームで死を迎えるにあたっては,インフォームド・コンセントとともに方向性を確認し,またグループホーム内で死を迎える人がいることを他の利用者とその家族に了解してもらい,スタッフの人手を厚くし医療のバック体制も強化し,最後には発語もままならない重度の同居人たちに厳粛に付き合ってもらってようやく死を迎えることができた.結論としてはどこで死を迎えようとそれが納得のいく,望むかたちであるのが喜ばしい.
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2003/4 老年精神医学雑誌Vol.14 No.4
痴呆性高齢者と自動車運転
池田 学
愛媛大学神経精神医学教室
 痴呆性高齢者の運転については,昨年の本誌巻頭言で深津亮先生が論じておられる1)が,あえてもう一度とりあげてみたい.愛媛県のような中山間地域(ほとんどが過疎地)を多く抱えるところで精神医療に携わっていると,この問題は本当に深刻なのである.たとえば,いったん運転の中断が実現すると,今度はその高齢者の通院はおろか買い物などの日常生活すらままならなくなる場合もある.しかし,これまでわが国の老年精神医学の分野でこの問題が注目されることはあまりなかったようである.系統的な研究に取り組んでいるのは,同じ四国の共同研究者でもある上村直人先生のグループ(高知医科大学)2)のみである.お二人の問題意識は,深津先生が北海道で,上村先生が高知県で長年にわたって臨床研究を展開されてきたことと無関係ではないと思われる.この問題に関しては,老年精神科医の間でも,東京や大阪などの大都市圏で診療に当たっている者と,われわれのような自動車に頼らざるをえない地域で活動している者との間に温度差が感じられる.そもそも,大都市圏に住む高齢者は運転免許を所有していても,実際に自動車を運転している人は少数であろう.かりに運転を続けていたとしても,代替移動手段が豊富なため,身体的機能や認知機能の低下が明らかになれば,運転の中断も比較的容易であろう.

 平成14年6月から改正道路交通法の施行により,痴呆性疾患が運転免許取り消し要件として明確化された.けれども,これまで痴呆性高齢者の運転能力評価や運転中断の方法について,医学的検討を加えた研究はわが国では見受けられない.臨床場面では痴呆患者の運転中止を強くすすめているが,多数の痴呆性高齢者が正確な診断を受けないまま運転を継続していたり,痴呆のため運転を中断したにもかかわらず再びそのことを忘れて運転したり,家族が運転中断を強要することにより痴呆性高齢者と介護者との関係が悪化し家族の介護負担がかえって増えてしまう,高齢の介護者自身が痴呆性高齢者の運転に生活基盤を依存している,といった問題も生じている.

 欧米ではすでにさまざまな研究が実施され,対策も始まっている.アメリカ精神医学会の治療ガイドラインでは,「(痴呆が)中等度〜重度の場合は運転を中断するように強く警告すべきであり,家族にも告げておくべきである」とされている.また,アメリカ神経学会のアルツハイマー型痴呆の自動車運転に関する指針では,「CDR 1以上は運転を中断すべきであり,CDR 0.5は6か月ごとに患者の運転能力を再評価し,さらに重症化すれば運転を中断すべきである」とされている.わが国においても,痴呆患者の運転能力を判断する拠り所となるような基礎的研究と客観的な判断基準の作成が急務であり,地域の実情に応じたきめ細かなガイドラインの整備が必要不可欠である.

 したがって,医学的立場から痴呆性高齢者の自動車運転の実態を評価し,運転能力と認知機能の検討をもとに運転継続の危険要因を探り,痴呆の原因疾患別の運転中断のタイミング,運転中断の方法,家族の介護負担に対する対策などを盛り込んだ痴呆性高齢ドライバーに対する総合的なガイドラインづくりを目指して,その根拠となる実証的研究を積み上げることは,われわれ老年精神医学に携わる者の責務であろう.ごく初期の痴呆性高齢者の運転免許を取り消すには,本人に説明できる十分な根拠となるデータが必要となろうし,病名告知の問題も避けてはとおれないであろう.そして,運転中止をせざるをえなくなる痴呆性高齢者やその家族介護者に対して,代替交通手段の整備などの十分な行政面での配慮が望まれる.

[文 献]
1)深津 亮:高齢者と交通安全.老年精神医学雑誌,13(3):252-253(2002).
2)上村直人,掛田恭子,下寺信次,北村ゆりほか:痴呆老人と自動車運転;わが国における痴呆性老人の運転問題への対応.臨床精神医学,31(3):313-321(2002).
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2003/3 老年精神医学雑誌Vol.14 No.3
健やかに老いる
稲垣俊明
名古屋市厚生院附属病院内科
 近年,社会的環境の改善,医療の進歩により平均寿命が伸びた結果,わが国では人生80年時代が到来した.このような長寿社会で健やかに老いるためには社会的・経済的環境,家族関係,精神的・肉体的状況など種々の条件が満たされることが必要であるが,その阻害要因として若年期には不慮の事故など,中年期には悪性腫瘍,心疾患,脳血管障害(cerebrovascular disorder ; CVD)など,老年期には痴呆,CVD,骨運動器疾患などがある.とくに老年期では健やかに老いるためには日常生活動作能力(activity of daily living ; ADL)が自立し,痴呆がなく,身体的にも精神的にも異常がない状態で年をとることが重要と考えられる.
 1980年,Breslowらは7つの健康習慣(禁煙,定期的運動,アルコールの制限,7〜8時間の睡眠,適正体重,規則正しく朝食をとる,間食をとらない)を多く守っている群の死亡率は少なく守っている群に比較して低下することを示し,健康にはよい健康習慣を守ることが重要であると報告している.筆者らは名古屋市の100歳以上の高齢者(百歳老人)の実態調査を施行したところ,食生活の注意,禁煙,飲酒制限,肥満がない,適度な運動をしているが高率にみられた.百歳老人になるためには健康習慣を守ることが大切であると考えられた.ここで筆者が経験した健やかに老いたと思われる百歳老人を呈示する.

〈事例1〉103歳,男性
 生活歴では,小児期より学業成績は優秀で,性格は温厚であり,食生活は野菜を好み,間食をせず,タバコ・酒をたしなまなかった.特記すべきことは75歳で妻と死別後に独居老人となり,125歳まで生きようと決心した点である.医学関係の本を読み,睡眠は8時間で,朝5時に起きて体操をし,食事は腹八分目であった.100歳時に当院の特別養護老人ホーム(特養)に入所したが,ADLは自立し,DSM-III-Rで痴呆はなく,長谷川式簡易知能評価スケール(HDS)が30.5点,Mini-Mental State Examination(MMSE)が29点であった.諸検査の結果,軽度の高血圧と小脳梗塞が認められたが,神経学的所見では異常はなく経過観察となった.入所後,書道に励まれ悠然とした生活を送っていたが,103歳時に肺炎で死亡した.
〈事例2〉107歳,女性
 生活歴では教育歴は未就学であったが,食生活は偏食がなく,規則正しく食事をし,食事の量が腹八分目であった.散歩を好み,睡眠は約8時間であり,嗜好は酒・タバコをたしなまなかった.49歳で夫と死別後に独居生活となり,99歳時に当院の特養に入所した.骨粗鬆症,白内障,難聴を認めた.106歳時,長寿の秘訣は愚痴を言わない,嫌なことをすぐ忘れることであると述べている.ADLでは歩行,食事,着替え,排泄,入浴は緩徐であるが自立し,整容は保たれ,テレビをよく見ていた.知的機能はHDSが12点,MMSEが12点であり,精神症状はみられなかった.DSM-III-Rでは日常の社会生活および他者との人間関係に障害がないことより痴呆なしと判定された.107歳時に心不全で死亡した.病理所見では大脳皮質に軽度の老人斑と海馬に中高度の神経原線維変化がみられたが,アルツハイマー型痴呆(dementia of Alzheimer type ; DAT)ではなかった.
〈事例3〉116歳,女性
 生活歴では,教育歴は未就学であったが,食生活は偏食がなく,規則正しく食事をした.嗜好は酒・タバコをたしなまなかった.長女と死別後独居生活となり,93歳時に当院の特養に入所した.入所時に変形性脊椎症と老人性白内障を認めた.入所後,運動は朝,夕にラジオ体操をし,睡眠は8時間で,趣味は手芸,歌であり,特養の行事にも積極的に参加し,大太鼓を打つなどリーダーシップをとった.107歳まで,難聴はあるが杖歩行,排泄,食事は緩慢であるものの自立していた.HDSは9点であったが,DSM-III-Rで日常生活および他者との人間関係に障害がなく,精神症状もないことより痴呆なしと考えられた.108歳ころより明らかな記憶障害,独語,徘徊が出現しDATと診断された.109歳時に脳梗塞が発症し寝たきり状態となった.116歳時に大腸がんにより死亡した.病理所見ではDATと脳梗塞,大腸がんがみられた.


 以上,筆者が経験した3例について述べた.日本の最高齢記録は戸籍調査を行った研究などにより116歳と推定されているが,健やかに老いることは何歳まで可能であろうか.現在,この種の報告はないものと思われるが,107歳と116歳の自験例より,その年齢の上限は107歳あたりと推測される.健やかに老いるためには健康習慣を守り,適度な運動,適正体重を保ち,がんの早期発見とともに高血圧,糖尿病などの慢性疾患に対する治療とその合併症の予防に心がけることが重要である.
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2003/2 老年精神医学雑誌Vol.14 No.2
痴呆高齢者の精神科医療
植田孝一郎
精神病院 真光園
 厚生労働省保険局は平成14年4月の診療報酬改定にあたって,「老人性痴呆疾患療養病棟入院料」の算定に算定制限を設けた.その内容は次のとおりである.
 「平成14年10月1日から『3老人性痴呆疾患療養病棟入院料』は,当該入院料の算定要件を満たす保険医療機関のうち,平成14年9月30日において当該入院料を算定する病棟を有する病院である保険医療機関においてのみ,当該病棟に入院している患者について,当分の間に限り算定できる」.一読してなにが書いてあるのかわからない文であるが,官庁の通知・通達特有の文体で,それを念頭にいれて再読すると次のように理解できる.

 精神科病院にある痴呆疾患の専門病棟は,周知のように,老人性痴呆疾患治療病棟と老人性痴呆疾患療養病棟の2種類がある.このうちの老人性痴呆疾患療養病棟(以下,療養病棟)について,平成14年9月30日までに療養病棟として認可を受け,稼動していた病院は「当分の間」医療保険より入院料の支払いが受けられるが,10月1日以降に認可を受けた療養病棟については医療保険からは入院料の支払いが受けられない.つまり,診療報酬(介護報酬)は介護保険から支払われることになるというのである.従来療養病棟には医療保険適応病床と介護保険適応病床とがあり,療養病棟(病床)をもつ医療機関の意向によっていずれかが選択されている(いわゆるお手挙げ方式).もっとも適応「病床」であるので,同一療養病棟の病床のなかに医療保険適応病床と介護保険適応病床が混在している病棟もある.いわゆるケアミックスである.
 老人性痴呆疾患療養病棟は平成3年6月に施設整備基準が定められた.この施設基準を策定するため厚生省精神保健課(当時)は研究班をつくり,筆者も班員のひとりとして参加した.すでに昭和63年7月に老人性痴呆疾患治療病棟の施設整備基準が定められ,当時少数ではあるが治療病棟が開設されていた.ただし病棟面積が当時としてはかなり広いもので1床あたり「おおむね23 m2」以上であり,したがって病室面積を広く,さらに「全長50 m以上の回廊部を有すること」というそれまでの一般病棟,精神病棟には例のない回廊まで設けなければならない施設基準のためこの病棟の設置がきわめて少ない状況であった.また痴呆疾患への精神科医療のかかわりも現在に比べて低かった.
 当時筆者は日本精神科病院協会の老人問題担当理事であったが,河崎茂会長と協議して「作りやすい痴呆疾患病棟を」という方針で,研究班の会議には1床あたりの病棟面積を20 m2程度に縮小すること,回廊は廃止することの2点を提案した.このうち回廊の廃止については了承されたが,1床あたりの病棟面積の縮小については承認されなかった.施設基準では回廊部以外には治療病棟と療養病棟との間に大きな差はなかった.
 人員の基準では,医師,その他のコ・メディカルスタッフの数のうち,介護職員の数が治療病棟5:1,療養病棟8:1と治療病棟で介護職員が多い.また介護保険の発足に伴って,療養病棟は指定介護療養型医療施設のひとつとして介護保険の適用を受けることになった.しかし前述のように医療保険適用の病棟・病床もあるので,これが昨年10月以降新しく設置される療養病棟には認められないことになったのである.これもまた複雑でわかりにくいシステムであるが,要するに治療病棟は医療保険で,療養病棟は介護保険でということであろう.このような痴呆疾患の精神科医療対策には,しかしいくつかの疑問がある.その最大の疑問点は日精協の何度かの調査で明らかになったことであるが,両病棟の入院患者の症状,経過,重症度等にほとんど差がないことである.したがってほぼ同一な精神科医療が行われることになる.病棟機能の目的を治療病棟は「短期集中治療」を行い,療養病棟が「長期療養」を行うとしているが,両病棟の実態からすれば,必ずしもそのようにはなっていないと思われる.

 急性・亜急性の精神症状,問題行動を精神科医療を行うことによって軽快または,寛解したあとでも医療を伴ったリハビリテーションが必要と考えられ,その場合在宅で困難なときは,療養病棟でさらに薬物療法や,作業療法等の非薬物療法を含む痴呆疾患のリハビリテーションを行うことは理想的であるが,現状では両病棟の分布等から実際的ではない.当面は日精協高齢者対策・介護保険委員会が提言しているように,医療保険適用の治療病棟・療養病棟を一本化し,治療病棟Iおよび治療病棟IIとし,この両者の施設基準,人員基準の差は時間をかけてなくしていくことが望ましい.
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2003/1 老年精神医学雑誌Vol.14 No.1
高齢者と睡眠
――21世紀健康社会のための「睡眠学」――
稲垣俊明
名古屋市厚生院附属病院内科
 健康上の問題としての睡眠障害はこれまでにも厚生労働省,科学技術庁などの研究課題としてとりあげられるなど,近年多くの成果が発表されてきた.最近の睡眠と睡眠障害に関する疫学調査では,4〜5人に1人が睡眠に関する問題を抱えていることが明らかになっている.欧米でも同等の頻度である.また,このような睡眠障害に関連する因子として高齢,ストレス,運動不足などがあげられており,現代の社会生活におけるさまざまなストレスの増大や夜型化などの生活スケジュールの急速な変化がこれらの睡眠障害の一因となっている.高齢者ではとくに睡眠障害の頻度が高いことが知られている.日本の一般成人を対象とした調査では,不眠の訴えは20〜60歳代の約20%にみられるのに対し,60歳以上では30%にもみられる.
 このような睡眠障害が問題となるのは,夜間の不眠により昼間に眠気を催したり,十分な覚醒を保っていないために,仕事や趣味に集中することができず,時に意欲低下や抑うつ気分となるなど昼間のQOLが保てなくなることである.最近,活動的な高齢者が社会で若者に負けない活躍をしている情景がみられる一方で,痴呆のために自立生活もむずかしくなっている高齢者も増加している.21世紀社会では高齢者人口の増加が見込まれ,高齢者がそれぞれの個性を保ちながら,健全な生活を全うするためにQOLを維持することは重要な課題である.
 高齢者の睡眠障害のなかで,睡眠時無呼吸症候群は有病率も高く,多くの合併症を引き起こしており,QOLを保つことでその早期治療が望まれている.睡眠時無呼吸症候群は日中の眠気,意欲低下,頭痛,肩こりといった心身の症状とともに高血圧,糖尿病,心不全,心筋梗塞など身体疾患を併発する.さらに重要なことは慢性的な低酸素血症が記憶,記銘障害,認知障害など知的能力の低下を引き起こし,痴呆と診断される場合がある.しかし,最近C-PAPなどの治療が普及することにより,痴呆症状が改善されることも報告されており,睡眠時無呼吸症候群に合併した痴呆は“treatable dementia”としてもう少し積極的に治療に取り組むべきではないだろうか.さらに,すでに痴呆と診断されている高齢者では,痴呆のない高齢者と比較して睡眠時無呼吸症候群の有病率が高いという報告もされている.このことから睡眠時無呼吸症候群が痴呆の要因となる可能性が示唆される.すなわち,加齢とともに増加する睡眠時無呼吸症候群を適切に治療することにより,痴呆の発症を減少させることが考えられる.
 脳卒中患者について,睡眠中の自律神経機能を調べた最近の調査から,これらの患者では睡眠中の交感神経活動の低下がみられず,自律神経の休息が得られていない状況がみられた.さらに,この研究グループは夜間の交感神経活動低下を促進する光や運動,ホルモンといったさまざまな要因をかえることにより,十分な休息を得られるような治療法を開発している.このような睡眠中の自律神経系の変動に注目することにより脳血管障害の発症の予防が考えられる.
 睡眠障害を社会的,経済的問題としてみると,睡眠障害は心筋梗塞,脳梗塞の増悪因子として重要であり,睡眠障害の予防で節約しうる医療費は1.6兆円とされている.このように睡眠障害の予防は大きな経済効果をもたらすと考えられている.わが国でも睡眠障害についてアメリカとほぼ同じような状況にあることが最近の研究により明らかにされてきた.
  ヒトが健康な生活を営むうえで睡眠は不可欠な本能的行動であるが,現代社会ではライフスタイルの大きな変化により睡眠が脅かされているといっても過言ではない.最近の国民生活時間調査では,日本人の平均睡眠時間の短縮と就寝時刻の遅れが明らかにされた.このような睡眠時間の短縮と夜型生活では,仕事や娯楽のために生理的に必要な睡眠時間を犠牲にするとともに,眠れない人いわゆる不眠症や睡眠に関する病気,睡眠障害患者が増加している.
 睡眠障害の問題は,国民の健康問題ばかりではなく社会経済的側面からも重要である.一方で睡眠中にも情報伝達系,免疫系といった機能が営まれ,睡眠は脳科学の重要な一分野でもある.このように睡眠あるいは睡眠障害を睡眠医学,睡眠社会学,睡眠科学の3つの側面からとらえ,これら3つからなる新しい学問体系を「睡眠学」と名づけた.この「睡眠学」が日本学術会議において重要課題としてとりあげられることになった.睡眠学の発展は脳科学の飛躍的な進歩とともに21世紀に生きる人類の豊かな生活を構策するためには欠かすことのできない基盤のひとつだといえる.
 高齢者にみられる睡眠障害を適切に治療し,また睡眠障害を予防することにより,健康な長寿社会を維持することができると考える.睡眠の問題は高齢者のみの問題ではなく,高齢者が暮らす21世紀社会の国民全体の問題として,さらに重要視すべきではないだろうか.
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