2002/12 老年精神医学雑誌Vol.13 No.12
老人介護における個人的な体験
井口昭久
名古屋大学大学院医学研究科
 このような誌面に個人的な体験を書かせていただいて恐縮であるが,私は田舎の生まれであり長男である.田舎に70歳代後半の父親と60歳代後半の後妻が2人で住んでいる.正しくは住んでいた.いままでは2人のことが気にはなるが日常の生活で忘れていることのほうが多かった.おそらく何事もなく彼らも生活をしているであろうと勝手に思っていた.

 6月の終わりに突然父から電話がかかってきた.義母が発熱のために近くの開業医へ行って診てもらったところ肺炎であると診断されたというのである.そのときは午後の10時ころであったが,義母は発熱と呼吸困難で苦しんでいるという.私は焦った.慌ててその町の総合病院へ電話をして緊急入院の手配をし,そして義母に電話で入院を促した.義母はそのまま総合病院へ入院した.4日後,総合病院の主治医から私に電話があった.少々てこずりそうな肺炎であるので大学病院のほうで面倒をみてくれないかという.私は早速自分の病院で手配を整え,義母は患者搬送用のタクシーで3時間かけて私の病院へ入院した.
 問題はここからである.家に一人残された父は現在79歳. 63歳のときに直腸がんの手術をしている. 70歳ころより肺気腫による呼吸困難の症状がでている.73歳には胃がんの手術をしている.すでにそのときリンパ節への転移があり,いつ他の臓器へ転移するか,胃がんの手術後はしばらく心配していた.しかし手術後すでに6年が経過している.胃の全摘手術で食事摂取は最初困難であったが,ここのところはさして問題はなさそうであった.しかし肺気腫は確実に進行しており在宅酸素療法を受けている.さらに最近,まだら痴呆が出現している.
 義母が私の病院へ入院してから2日後,実家と同じ市内に住む妹から電話があった. 父が呼吸困難に陥っているというのである.私は義母がお世話になった総合病院の主治医に電話をして今度は父の入院を頼んだ. 義母のほうは自己免疫疾患による肺炎と診断されステロイドの治療が始まった.症状は治まったが,ステロイドの減量には長い時間が必要である. 当分退院できそうもない.
 そこで今度は父に戻るが,こっちのほうの肺炎は細菌性肺炎で抗生物質投与により4日後には軽快し,10日後には「退院してもいいですよ」と主治医から電話があった. 退院しても家にはだれもいない.私は途方に暮れた.その町の老人保健施設を当たってみたが,どこも満床で何十人も入所待ちをしている,という返事ばかりである.
 私は再び途方に暮れた.思いあぐねていると学会で知り合ったY先生を思い出した.彼女は,私の実家の市内ではないが県内で老健施設を経営している優秀な医師である. 私は思い切って彼女に電話をしてみた.彼女は快く父を入所させてくれると約束してくれた. まさに地獄で仏に会った心境で私は父を自分の車に乗せて総合病院から老健へ入所させた. その施設は県内でも有数な理想的な施設であり,私も見学して感激した.
 ここで一息つくはずであった.父が入院して2〜3日経つと「家へ帰る」と毎日のように妹のところへ電話をかけてくる. 退所願望は日に日に強まり,Y先生によるとだれでも最初はそうであるが,できるだけ希望はかなえてあげるほうがよい,ということで一時帰宅となった. だれも住んでいない所への帰宅であるのでこれも大騒動である.その帰宅願望が抑えられなくなり入所2週間で退所することになった .24時間ヘルパーによる在宅介護である.
 父の在宅介護が2週間経過したころ義母が私の病院を退院していった.ようやく3か月前の2人の生活が戻ったかにみえた. 私は3か月間に味わったすさまじい老人介護の世界から開放されて自分の生活が戻ってくることにほっと一息つくはずであった.
 しかし,である.2人を一緒に生活させてみると以前の生活というようなわけにはいかないことがすぐにわかった. 義母は治癒の身ではなくステロイドを服用中のリウマチ患者である.自分のことが心配で介護どころではない.2人の仲がしだいに険悪になっていく. そこで再々度,私の出番である.Y先生にお願いして父を再び入所させていただいた. 現在,父はY先生のもとで今度はさしたる帰宅願望もなく入所している.

 今後いつ終わるとも知れぬわが家の老人介護は続くのであるが,ここで私が悔しいのは,ご両人は私にはまったく感謝していないことである.思い返せばこの一連の騒ぎのなかで私は一度も彼らの了解はとっていなかった.気がつけば一度もインフォームド・コンセントをとっていなかったのであった.いままで彼らを放置していたといううしろめたさから私は次々と彼らの意向を無視して彼らの鼻面を引っぱってきていたのである.いまでは私は,弟妹たちから「あなたは一生懸命やったのだから落ち込まなくてもいいんだよ」と慰められている.
 身内の老人介護に携わってみて老人介護の専門性がいかに重要であるか身にしみて実感した.
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2002/11 老年精神医学雑誌Vol.13 No.11
老年期の痴呆症について思うこと
池田研二
東京都精神医学総合研究所
 筆者が痴呆性疾患の脳病理に関心をもち始めた20年ほどまえには国内の老年期痴呆患者は50万人程度であろうといわれていた.現在では痴呆性老人の数は150万人,20年後には300万人に達するであろうと予測されている.この急速な増加の大部分はアルツハイマー型痴呆によると思われるが,もうひとつ驚かされる大きな変化は脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆の逆転である.わが国では長らく脳血管性痴呆がはるかに多いとされていたが,1995年の東京都での質問紙法による調査ではアルツハイマー型痴呆が1.43倍多いという結果であった.1997年に都立松沢病院の外来537人,入院272人の痴呆患者を画像情報も含めた診断に基づいて調査した結果では,アルツハイマー型痴呆は脳血管性痴呆の約3倍であった.この値は欧米での疫学調査の結果とほぼ一致している.

 さて,従来いわれていたように日本と欧米でアルツハイマー型痴呆の発生率や脳血管性痴呆との比がそれぞれの国の寿命や生活習慣等の因子を補正したあとも大きく異なっているとすると,我と彼の間にはおそらく痴呆の発症にかかわる遺伝的危険因子に相違があると考えざるをえないのであるが,昨今のデータからはそれぞれがもっていると思われる危険因子にそれほどの違いはなく,かつていわれた相違は食生活の変化などの生活習慣上の外的要因,急速な高齢化,一部は調査方法の問題ではないかと考えられるのである.アルツハイマー型痴呆は本質的に人種間でそれほど大きな違いはないようで,人類の歴史からみても相当に古い疾患なのではないだろうか.

 前頭・側頭葉がおかされるピック病はアルツハイマー病と並んで有名な痴呆症であるが,こちらのほうはピック症候群といってもよいほどさまざまな類縁疾患が含まれており幅がある.このなかには,わが国では少なくとも剖検例は確認されていないが,イギリスやスウェーデンには多く,家族性が濃厚なfrontal lobe degeneration typeの前頭側頭型痴呆などという疾患があったりして混乱させられる.政治,経済はともかくとして疾患には世界標準はないから,このようなヴァリエーションがあるのは,ピック病群がアルツハイマー病よりも相当に新しい疾患だからではないかと思ったりする.ピック病群については,人種間での遺伝子やその多型の相違を追求することがまず重要な課題ではないかと考えている.

 都立松沢病院の痴呆疾患病棟には毎週1〜2人の新入院がある.やはり,高齢のアルツハイマー型痴呆が多い.入院に至るまでの経過や,実際に患者さんと接すると,なかには初老期のアルツハイマー病に似て,痴呆の進行が早くて高度で,ほとんど言語的な接触がとれない人がいる一方で,もの忘れは目立つが痴呆の進行が非常に遅い人もいる.正確に数えたわけではないが,前者は老年期のアルツハイマー型痴呆の10%程度を占めるようである.このような人が亡くなって脳病理を調べると,脳萎縮の程度やアルツハイマー病変には初老期のアルツハイマー病脳に匹敵する変化がある.65歳で便宜的に初老期と老年期のアルツハイマー型痴呆が分けられているが,実際には初老期のアルツハイマー病のような変性性の強い病態は高齢者にも同じ割合で発生しているのではないだろうか.これは欧米でも同様であるようで,“Alzheimerizierend”や“Alzheimerization”という名称が残っている.それにしても,このようなアルツハイマー型痴呆にみられる痴呆の進行,程度や病理所見の幅の広さは単純に経過年数だけではとても説明がつかない.おそらく,それぞれがもっている痴呆を加速させたり抑制したりする複数の未知の因子の数に加えて長年の生活習慣が問題なのだろう.

 アポリポタンパクE以外は毎年のように現れては消えるアルツハイマー型痴呆の候補危険因子であるが,日本と欧米とで危険因子としての未知の遺伝子の多型に大きな差がないだろうと考える予測が正しければ,危険因子の発見にはぜひわが国の研究者に頑張ってもらって,ポストゲノムの研究競争に勝ってもらいたい.
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2002/10 老年精神医学雑誌Vol.13 No.10
老いの微笑
飯田 眞
西熊谷病院
 いまから数年前,私がまだ老年の入り口にあったとき,エリクソンの発達過程論を軸に森外の晩年の作家活動の豊饒さをとりあげて,来るべき老いについて書いたことがある1).当時は老いの衰退過程を予感しながら安易に円熟への可能性を考えていたのであるが,これはいまから思うとかなり甘い予測であった.

 いまの若い人たちにはなじみがないかもしれないが,もう故人になった評論家に中村光夫という人がいる.評論では『二葉亭四迷伝』などがよく知られており,晩年のエッセイ集に『老いの微笑』2)がある.これは彼が古希を迎えたころの文章で,再読してみてもなかなか優れた老年論であると思う.
 そのなかで彼は島崎藤村の随筆『飯倉だより』から「三人の訪問者」3)を引用している.このエッセイは,中年から老年に至る過程を「冬」「貧」「老」を象徴する人物に託して,それぞれがネガティブなものからポジティブなものへとかわって行き,「老い」までが自分に微笑んでみせる,とその心境を語っている.藤村は「老い」とは「萎縮」ではなく,もっと光った有難みのあるもので,「老い」の微笑というものがわかってきた,と述べている.
 中村光夫は,当時の藤村は48歳でまだ老いの入り口に立ったばかりのころであり,その老人観はいささか楽観的に過ぎると批判している.彼によれば老いとは思いがけない苦痛の連続で,どこに伏兵がいるかわからない野原を探り足で歩いているようなものである.光った有難い老年を生きるためには,老いが肉体的精神的衰弱だという現実を受け入れ,それを出発点とするほかはなく,そのうえで自分のなかに新しい可能性を見いだし,生きる希望をもつことであると結んでいる.

 私自身も大学を65歳の定年でやめたあとにいくつかの身体的な老化過程を経験し,そのつどそれなりに対応して乗り越えてきたが,この春には思いがけない伏兵が待ち受けていた.
 古希を迎えた3月半ばころから身体的不調感があり,病院で種々の検査を受けることになった.心配した消化器系には異常がなかったのだが,腫瘍マーカーで尿路系のがんが疑われ,泌尿器科を受診した.
 医師から前立腺がんの疑いのあること,診断確定と治療方針決定のために生検の必要があることを告げられたときには,ショックで呆然とし,待合室で待っていた妻を診察室に呼んで医師の説明を一緒に聞いてもらわなければならぬほどであった.
 あいにく春の連休と重なったために,結果が判明するまでに3週間あまりの時間を要した.その間に,私はがんの治療,経過,予後についての書物や体験記などを片っ端から読んだ.そうするうちにいつのまにか自分ががん患者となり,手術を受ける覚悟までして,すっかりがん患者の心境になっていたように思う.
 最終診断で,がんではなく単なる肥大であると聞かされたときには,ほっとはしたものの,なぜかがっかりしたような気持ちであった.すでに私には患者としてのidentityができあがっていて,一種のidentity喪失を味わったのかもしれない.これは自分にとっても不可解な感情であった.本来なら,疑診から生検のようなつらい検査を受けたことで,心の平安が乱されたことへの怒りの感情が起こっても不思議ではなかったと思う.これで今回のがん騒動の幕がおりたのであるが,その後,がん患者のidentityから健康人のidentityへ切り替えるのにかなりの時間を要した.

 以上が私のがんの擬似体験の梗概である.告知問題の重みをあらためて体験し,この体験から中村光夫の『老いの微笑』を再読して,その深い意味を実感することとなった.


[文 献]
 1)飯田 眞:老年をめぐって.精神療法,26(1): 88(1997).
 2)中村光夫:老いの微笑.ちくま文庫,東京(1989).
 3)島崎藤村:三人の訪問者.(十川信介編)藤村随筆集,岩波文庫,東京(1989).
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2002/9 老年精神医学雑誌Vol.13 No.9
高齢者介護のあり方
飯島 節
筑波大学心身障害学系
 本誌に「在宅介護と施設介護」と題した巻頭言を載せていただいてから5年経った1).その間,平成12年度から介護保険制度がスタートするとともに,グループホーム,ケアハウス,有料老人ホーム,介護付きマンションなどの選択肢が加わり,さらに従来型の施設においてもユニットケアなどの新しい試みが導入されるなど,わが国の高齢者介護の環境にはかなりの変化が認められる.そこであらためて,高齢者の介護のあり方について,最近見聞した北欧諸国の実情を交えながら述べてみたい.
 周知のようにわが国の介護保険制度においては「居宅重視」が基本理念とされ,訪問介護や入浴サービスなどの居宅サービスの充実がはかられた.ところが,介護保険開始後2年間の実績では,居宅サービスの利用が伸び悩む一方で施設待機者が増加するという,制度の理念に反する結果となっている.そこでさまざまな居宅サービス利用促進策がはかられる一方で,施設サービス費の切り下げが計画されている.
 さて,最近筆者はしばしばわが国の手本とされる北欧諸国の高齢者介護の現場を視察する機会を得た.しかし,それはわが国で理想とされている居宅介護とは理念においてかなり異なるようにみえた.すなわち,北欧諸国における「居宅」とは,わが国で想定されているような「長年住み慣れたわが家」ではなく,使い慣れた家具を持ち込んだ施設内の一室を終の棲家と定めて「わが家」と呼んでいるにすぎない.また,介護を主として担う者は同居する家族ではなく,他人である職員である.
 スウェーデンではナーシングホームはすべて廃止されたとよくいわれるが,これは制度上のナーシングホームがなくなりそこが居宅と見なされるようになっただけで3),施設における介護はいまでも重要な位置を占めている.ウプサラで見学したグループホームは本質的にはわが国の介護福祉施設とかわらないように思えた.デンマークでもナーシングホームの新規建設は行わない方針とされているが,すでにある立派なナーシングホームで引き続き痴呆性高齢者の介護が行われていた.ノルウェーで見学した最新の複合施設は,建物の構成やスタッフの配置などがわが国の介護老人保健施設に類似しているようにみえた.
 しかし,これらの国々の施設にはわが国のそれとは大きく異なる点が多々ある.第一にはいうまでもなくその質の高さがあげられる.居室はすべて個室でありそれぞれにトイレとシャワーが備えられていること,被介護者1人に対してほぼ1人の職員が確保されていることなど,従来から指摘されているとおりである.第二は近年とくに強調されている点で,施設をあくまでも個人の居宅と見なし,自己決定が最大限尊重されていることである.そのため集団生活に特有な規則はなく,睡眠や食事のスケジュールや,飲酒や喫煙などは原則として本人の自由に任されている.第三の点は,居宅と見なされれば当然のことではあるが,いずれの施設でも毎年1/3前後の入居者がそこで最期を迎えるとのことであった.ノルウェーの施設ではそのための立派な霊安室や礼拝堂も見学させていただいた.
 痴呆を患う高齢者にとっては,近い将来すっかり自立できなくなりやがて死を迎えることは避けられない現実である.したがって,高齢者介護に求められることは自立を支援することばかりではなく,人生を平和で尊厳に満ちた状態で全うさせることでもある.ところが,わが国の介護保険制度ではいたずらに身体的な自立を促すばかりで,最晩年の過ごし方について具体的な選択肢を示して自己決定を促す姿勢は希薄である2).「畳の上で死ぬのが幸せである」という情緒的な一般論以外に具体的な選択肢はないに等しく,運悪く畳の上で突然死できなければ,施設をたらい回しされながら最晩年を過ごすことになる.以前は終の棲家とされていた特別養護老人ホームさえも,介護保険制度下では最期まで安心して過ごせる場所ではなくなってしまった.もちろん終の棲家が住み慣れた自宅であればそれに越したことはない.しかし,わが国の一般的な住宅事情や家族の介護力からみて,多くの高齢者が自宅以外の場所で家族以外の者から介護を受けながら最晩年を過ごさざるをえないことは明らかである.したがって,いま必要なことはやみくもに施設を否定することではなく,施設(自宅以外の場所という意味でグループホームも含む)の必要性を認識して,それを居宅と呼べるレベルにまで向上させる努力であると考える.

[文 献]
 1)飯島 節:在宅介護と施設介護;老人保健施設における経験を通じて.老年精神医学雑誌,8(4):334-335(1997).
 2)飯島 節:本邦の介護福祉施設の現状,介護保険導入後の問題点.日老医誌,37(7):523-527(2000).
 3)奥村芳孝:新スウェーデンの高齢者福祉最前線.筒井書房,東京(2000).
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2002/8 老年精神医学雑誌Vol.13 No.8
精神障害をもつ高齢者のための統合的な地域ケアシステムの構築に向けて
粟田主一
東北大学大学院医学系研究科精神神経学
 高齢者のための地域精神保健活動のなかでいま最も求められていることは,痴呆,うつ病,妄想状態,不安・心気状態,せん妄,アルコール依存症,睡眠障害など,多様な精神障害をもつ高齢者とその家族に対して,必要な保健福祉医療サービスを統合的に提供していけるような地域ケアシステムを作り上げていくことでないかと感じている.
 いまからおよそ10年前に,筆者は,宮城県内で最も過疎高齢化が進行している農山村地域の保健所において,痴呆性高齢者のための老人精神保健相談を始めた.この地域には精神科医療機関はなく,痴呆性疾患を鑑別できる医療機関もなかったために,地域の中核医療機関と精神保健相談が連結し,痴呆性疾患の鑑別診断と専門医療相談,かかりつけ医への情報提供と治療依頼,町村保健婦による保健福祉サービスのコーディネートと訪問指導の継続からなる独特のケアシステムが自然発生的に形作られていった.このシステムには保健福祉スタッフに対する教育効果もあって,事業を継続していくなかでしだいに町村保健婦や福祉関係スタッフが痴呆の早期発見に貢献するようになり,「痴呆疑い」高齢者や「軽度痴呆」高齢者の利用が増えるようになった.そして,5年前からは,痴呆性高齢者早期発見・早期ケアシステム事業という名称のもとに県のモデル事業として採用され,県内のいくつかの市町村が実施主体となって,本システムが立ち上げられるようになった.
 ところが,「痴呆疑い」高齢者の利用が増えるにしたがい,「痴呆か否かを知りたい」という目的から,うつ病,妄想状態,せん妄,アルコール依存症,睡眠障害などの非痴呆性高齢者が本システムを利用する頻度も増えてきた.とくに,抑うつ状態高齢者の利用頻度が高く,市町村単位で相談事業を始めた地域のなかには,利用者の1/4以上がうつ病という町もあった.これらの精神障害は,一般住民のなかでしばしば痴呆と混同されているので,痴呆の早期発見・早期ケアを目的とするサービスが利用される頻度が高いのは当然である.しかし,このことは翻って考えてみると,地域においては,痴呆のみならず,うつ病や妄想状態,アルコール依存症などの非痴呆性精神障害が,高齢者の精神保健福祉医療の重要課題になっていることを示すものである.事業を継続していくなかで,スタッフ自身もそのことを肌身に感じるようになった.実際,痴呆性高齢者が利用できる介護保険関連サービスがしだいに充実しつつあるのに対し,痴呆以外の精神障害をもつ高齢者が利用できる保健福祉関連サービスはかえって不足しがちになり,このことが問題をさらに深刻化させている.
 地域に在住する抑うつ状態高齢者の有病率は,高齢者人口の少なくとも10%以上と見積もられ,非痴呆性の幻覚妄想についても,最近のArchives of General Psychiatryに掲載された調査では,85歳高齢者の約10%と報じられている.社会的サポートが不足しがちな高齢者,とくに独居老人の不安・抑うつ・自殺念慮や,身体疾患や脳血管障害を基盤にもつ高齢者の心気・抑うつ,痴呆性高齢者を介護する介護者の抑うつ・睡眠障害,感覚器に障害をもつ高齢者の幻覚妄想や軽度認知障害を有する高齢者の被害妄想など,痴呆ではないが精神保健福祉医療の介入が必要とされている高齢者は多い.
 老年期の非痴呆性精神障害に対する医療と保健福祉には,痴呆と同様,高度の専門的な技能とともに,多面的で,かつ役割分担的な,統合的システムが必要とされている.精神障害をもつ高齢者のための地域保健福祉活動においていま最も必要とされているものは,このような多様な精神障害をもつ高齢者に対応できる地域ケアシステムづくりであり,そのようなシステムづくりにおいてリーダーシップを発揮しうる老年精神医学の専門医である.
 日本老年精神医学会において専門医制度が導入されたことの意義は大きい.老年精神医学の専門医には,単に痴呆が専門であるとか,うつ病が専門であるとか,画像や神経心理学や精神病理学が専門であるというばかりでなく,多様で複雑な老年期の精神障害に対して,精神医学の知識と技能を総動員し,地域社会のなかで求められている高齢者の精神保健福祉医療のニーズに対応していける力が必要である.
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2002/7 老年精神医学雑誌Vol.13 No.7
高齢者ケアの質の向上
荒井由美子
国立長寿医療研究センター看護介護心理研究室
 介護保険制度の導入に伴い,高齢者ケアの質に対する関心が高まっている.わが国では公的介護施設に対する監査制度が存在しているが,公金の使途に関する監査が主体で,ケアの質の向上につながっていないといわれる.以前より筆者はケアの質に関する研究を進めており,とくにイギリスでの監査には,10年ほどまえから,抜き打ち監査も含め,複数回立ち会う機会を得ている.2002年は,イギリスにおける監査制度にとって記念すべき年である.それは,本年4月から,国レベルで定められた最低限の施設ケアの基準,National Minimum Standards(NMS)が適用されることになったからである.本稿では,こうしたイギリスの事例を参考にし,わが国の高齢者ケアの質を高める監査制度としてはどのようなものが最適かを考えてみたい.
 イギリスでは公営,民営を問わず老人ホームは,最低年2回地区保健局の監査を受けることになっている.予告監査ではなく,抜き打ちに監査官が施設に立ち入る監査のほうがより有効と思われ,以下に筆者が立ち会った監査の様子を紹介する.
 監査では入居者に対する面談が重視される.面談は,入居者が起きている時間帯に限られるが,面談の際,施設の職員は席をはずすように要求される.監査官は身分証明書を提示し,自分の名前と職名を名乗り,“あなたが施設での生活を満足しているかどうかをうかがいたい.お話してもよろしいですか?”と入居者に許可を求める.なかには拒否する方もあり,面談を受けるか否かは本人の自由である.また,重症度によりインタビューが成立しない場合もあり,その判断は看護の知識をもった監査官が行う.インタビューの内容は食事の質はどうか,スタッフは親切か,などさまざまである.これに加えて,居室だけでなく浴室,トイレも含めて,施設内をくまなく歩き回って清潔度を確認する.また,夜間に監査を行うこともあり,そのときは規定通りの数のスタッフが実際に勤務しているかどうかを調査する.
 監査官は2週間以内に報告書をまとめ,監査したホームの施設長に送付する.施設長は異論がなければ,署名をして報告書を監査官に送り返す.異論があれば文書で反論することができる.たとえば,監査日にケアワーカーが規定数より少なかったのは,急病による一時的なものであった,などである.報告書は施設長のコメントもつけて,監査日より6週間以内に住民に公開される.
 この制度は,1998年4月以降に始まったが,住民はだれでもどこの監査結果でも公立図書館で閲覧できる.ここで大切なことは,施設長のコメントが同時に公開されている点である.当局とホーム側の双方の主張を対等に公開しているからこそ,抜き打ち監査を行っても両者間に軋轢が生じにくいのである.双方の主張を対等に扱っていることは,上記NMS設定の際のプロセスにも如実に示されている.すなわち,当局は,この基準の青写真であるNational Required Standards(NRS)を1999年9月に公示し(インターネットおよびコピーの配布),諸方面からの意見を募った.2か月間の間に,1,250件もの意見が寄せられ,うち900件はサービス提供者からであったという.当局は,これらの意見を参考にし,NMSを設定したわけであるが,このように多方面からの意見を採り入れたため,NMSに対する期待はきわめて高いといわれている.こうした制度を参考とし,わが国での監査制度を確立するために重要な4点を以下にあげる.
 (1)監査の対象は,地方自治体の補助金を受けている施設だけでなく,私立の有料老人ホームについても,同一の基準でケアの質についての立ち入り監査がされなければならない.
 (2)毎回でなくとも抜き打ち監査が必要である.監査の期日があらかじめ指定されていると,監査が形骸化されるおそれがある.入居者の権利を守るためには,必要に応じどんな日時でも抜き打ち監査が必要である.
 (3)監査官は専門職であること.一般職員が監査を担当すると,監査のノウハウを体得したころに,次の部署に移ることになってしまう場合も多い.さらに,監査対象は要介護高齢者であり,とくに障害が重い入居者の実態を把握するためには,医学・看護学などの専門的知識が必要である.
 (4)監査の結果が非公開であると改善に役立たないし,監査に対する施設側の反論がなければ両翼の一端を欠くこととなる.監査官による監査結果と施設長による反論とが同時に公開されることが重要であり,公開されてはじめてケアの質向上に寄与することになる.
 わが国でも今後,第三者機関による監査制度を整備し,主人公である住民に監査結果が公示されるような制度が構築されることを切に望むものである.
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2002/6 老年精神医学雑誌Vol.13 No.6
老年期の病態と診断について思うこと
天野直二
信州大学医学部精神医学教室
 「ICD-10」と「DSM-IV」のポケット版が愛用されている.当教室では新研修医に送呈することにしている.いざ診断というときには,国際分類かアメリカ精神医学会の2つは避けてとおれない.一方,歴史的な経緯を踏まえると,この2つの診断基準に加えて従来使われてきた診断名も捨てがたい.現在は,この3つを並記することを研修医にすすめている.無駄をしているようにみえるが,この1年間の新患紹介を振り返ってみたところ,3つの並記で,同じ症例なのにいずれも異なった病名が当てられていた何例かを経験した.また,状態像診断から疾患診断へと連鎖的,即時的にできない症例も多々みられ,さらに治療経過で診断名が覆された例も結構みられている.
 さて,老年期の症例の診断のむずかしさはどうしてであろうか.これは,症状が非定型的であること,症状形成に多要因が考えられ心因と内因の区別がつきにくくなること,脳に老化現象が加わりその症状が修飾されること,時間の経過とともに病態がかわりやすいことなどによる.たとえば,現実的な二次的な妄想を抱く老人,うつ状態なのかどうかはっきりしない意欲低下を呈する老人,心気症が前景にでていてうつ状態が背景にあるのかどうか考えさせる老人などである.
 75歳,女性.「自分はもう死んでしまっている.自分の腸は動いていない.なにをしても治らない.治療は無駄である.御飯はたべれない」と言って,治療を素直に受け入れないだけでなく,食事をろくにしない老婦人.抗うつ薬や抗精神病薬を内服しても状態像にはあまり変化がみられない.本人は死に対する願望こそ口にしないが,日常みられる態度には消極的に死に向かっている感さえある.これは心気妄想であり,否定妄想であり,コタール症候群の不全型である.この老人の新d何はうつ病なのか,妄想性障害なのか.心臓弁膜症の術後で慢性心不全にあり,電気けいれん療法はできない.対処的な治療,身体管理に終始している.
 70歳,女性.「じっと自分を見張っている.近い姻戚関係にある人.財産を盗ろうとしている」と言い出した.この妄想がやや弱体化したと思えるころに,「とても寂しい.不安である.やる気が起きない.食欲がわかない」という言動がみられ,夫を傍らから離そうとしない.薬が多くなると便秘とふらつきの副作用がすぐにでてくる.ラポールは良好である.治療者にも依存的で忠告は受け入れるが,その妄想と意欲減退はなかなか改善しない.
 記憶障害を主訴として来院した60歳,男性.それまでに2,3回ほどうつ状態を繰り返した.精査のために入院.長谷川式簡易知能評価スケールは29点であるが,MRIで頭頂葉と海馬の軽度の委縮が指摘された.脳波では7と8Hzのθ波と遅いα波が結構みられた.当初はアルツハイマー病のごく初期という診断であったが,1年間の経過をみてもmild cognitive impairmentであり,意欲低下と不眠に対する拘泥が前景にみられるのみで,記憶障害やうつ状態はみられない.若いので老人デイケアに参加する意思はなく,在宅にて閉居の生活が続いている.
 このように治療に悩んだ例を鑑みると,老年期というライフステージと,診断や治療との関連は抜き差しならないと思う.また,70〜80歳代の高齢者の幻覚や妄想は独特であり,壮年期とは異なる.晩発性パラフレニアは分裂病研究から生まれた用語ではあるが,歴然と精神分裂病との差異を目指したものではなかった.一方,退行期うつ病は特徴を有する臨床単位であるが,その病態は壮年期にみるうつ病と本質的にはかわらないと理解されてきた.さらに,脳波や画像で老化現象をいくらとらえても,老年期の病態の特徴を十分に把握したことにはならない.……あれこれと雑感を書いてしまった.
 言い尽くされた感はあるけれども,長谷川和夫氏による「老年期精神障害の特徴」を思い出す.(1)発病要因が単一ではなく多要因である,(2)身体疾病を合併していることが多い,(3)脳気質性病変と関連をもつ症状が起こりやすい,(4)心身の相関が若・壮年期よりもより緊密である,(5)症状が非定型的である,(6)経過が環境要因の影響を受けやすい,(7)薬物療法は若・壮年期と異なり特殊である.とにかく老年期の病態の特異性を今後も十分に念頭におきながら展開していこうと思う.
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2002/5 老年精神医学雑誌Vol.13 No.5
痴呆症医療の課題
朝田 隆
筑波大学臨床医学系精神医学
 アルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)など痴呆性疾患の医療を専門的に行うようになって10年余りになる.あらためて振り返るまでもなく,日常臨床において多くの患者さんに喜ばれるような医療を実行できたわけではない.いくばくかの効果を有する治療薬を手にしたとはいえ,進行を止められるはずもなく,「すいません,申し訳ない」と思うことばかりである.また最近では自分の記憶力低下を自覚してはぞっとすることもあり,この病気が他人事から己の次元へと移りつつあることを感じる.そのような現状において,いまから取り組まなければならない課題と思っている予防,早期発見,あらたな治療薬の評価,そして「介護者のこころへのケア」について,漫筆風に綴ってみたい.
 そもそも何の疾患であれ,危険因子がわかってこそ予防もありうるのであるが,ADについては介入可能な危険因子がほとんどわかっていない.喫煙や教育(学習)など,そのような候補と目されるものもあるが,これらへの評価は確立していない.

 ところで,ADもまた複数の関連遺伝子(多型)とそれに呼応したサブグループからなる症候群である可能性がある.とすると遺伝的背景が異なれば危険因子も違うかもしれない.たとえばアポリポタンパクE(apolipoprotein E ; ApoE)遺伝子に関してヨーロッパの疫学グループEURODEMがE4をもつ人に限っては喫煙が防御的に働くと報告している.一方,現時点ではADに対するヒトゲノムプロジェクトの成果は十分ではない.しかし,その研究の路線上で遺伝的個別性を踏まえて危険因子を同定することも重要であると思われる.
 Mild Cognitive Impairment(MCI)はいまやAD早期発見のキーワードになりつつある.MCIの現実的な有用性はさておき,今後の地域保健において知的グレーゾーン状態にある方々の発見は重要なテーマになるであろう.とくにきわめて早期のADに高い感受性をもち,集団スクリーニングができるような測度の開発が不可欠になると思われる.もっともこうした傾向が浸透しすぎるのも考えものである.「今度のスクリーニングテストの傾向と対策」が茶飲み話の中心話題になるような状況はブラックユーモアの世界であろうから.
 臨床研究の中心があらたな治療法の開発と導入にあることは論を待たない.塩酸ドネペジルに続くべく抗アルツハイマー病薬の治験が活発である.この数年間に治験システム全体が厳しく洗練され,それにかかわる医師の態度や技術も一段と向上したものと思う.とくに痴呆分野の場合,行政側による推進とは別に製薬業界の学術関係者が地道な努力を継続されたことは特記すべきである.もっとも現在治験中の薬物も含めて従来薬の効果には残念ながら限界がある.根治療法となる可能性を期待され,欧米で行われたアミロイドに対するワクチン療法が頓挫したとの報道はまだ記憶に新しい.次は,b,g-セクレターゼに希望をつなぎたいところである.また,わが国から発信され,アミロイド分解を促進するネプリライシンにも期待がかけられよう.しかし,もしこれらが臨床的に有用でないと判明すれば,それはアミロイド仮説そのものを否定することになる.AD研究上の大衝撃になって,一時的には研究の方向性が見失われるかもしれない.それはさておき,痴呆医療にかかわるより多くの医師が抗痴呆薬の治験に積極的にかかわれば,この分野の医療水準向上に直結するであろう.

 「介護者のこころへのケア」については,ピアカウンセリングがポイントになると思われる.つまり,家族介護者同士が互いに話し合うこと,理解・共感し合うことによる癒しの効果は他の方法では得がたいように思える.筆者の診療は,現状では,初診の場合はともかく,患者・介護者同席でまさに3分間診療にすぎず,客観的にみれば,限られた会話と処方を常同的に繰り返しているだけかもしれない.せめてピアカウンセリングの場所を提供したり,なにより介護者仲間を集める努力は始めたいものである.こうした家族が集ったピアカウンセリングの輪を精神科的技法によって支援したり,まとめたりするような研究はさほど進んでいないようである.家族介護者がうつやアパシー状態に陥りがちなことはよく知られている.そんな方々に対して,薬物療法を補完してあまりあるほどにまでこのようなアプローチが発展することを願っている.
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2002/4 老年精神医学雑誌Vol.13 No.4
老年精神医学に関する分化と総合
浅井昌弘
日本橋学館大学人文経営学部
 最近は電波時計が普及して,いつでも正確な時刻を知ることができる.そして,1年が経つとだれもが平等に1歳の年齢を加えるのであるが,加齢による心身への影響には個人差が大きい.医学界の長老を拝見すると,90歳を超えられた先生方が,非常にお元気なのに感嘆することが多い.

 高齢者の精神医学では,とくに個人差を考慮して,身体・精神・家族・社会の諸要因を総合的に検討する必要がある.医学のどの分野でも,専門分化が進んで科学技術も実践技能も進歩したが,細分化や複雑化に伴って,他の専門領域との分離や孤立化を生じることもありうる.そこで,分化による進歩のみならず,その成果の総合が望まれるのである.「分化と総合」を言い換えれば,「業務分担と連携協力」が大切だということになると思われる.

 日本における老年精神医学の専門学術団体である「日本老年精神医学会」についてみると,毎年度の学術総会のみならず,専門医制度を確立して専門医・指導医や認定施設の認定を行うとともに,英文の機関誌「PSYCHOGERIATRICS」を発行して国際水準での研究成果の発信を実現した.また,準機関誌として十数年の実績をもつ「老年精神医学雑誌」の充実に協力して,精神医学領域に限定せずに,広く老年科・神経内科・循環器科・脳外科・リハビリテーション科・整形外科等の諸診療科を含むとともに,看護・介護・福祉・法律・行政などの諸領域にも及ぶような老年精神医学の診療・研究・教育や実務等への貢献をはかってきた.

 このような方向づけは,ただ単に老年精神医学の専門的な分化や発展を追求しているのではないと考えられる.診療面では,諸診療科との連携協力(コンサルテーション・リエゾン)による総合的診療を目指すものであろう.研究面でも,分子遺伝学や精神神経内分泌免疫学等とそれらの精神薬理学への応用などから,精神病理学・神経心理学・精神科診断学・心理検査法・精神科疫学・精神治療学・精神看護学等々の個別的な研究推進のみならず,それらを総合的に考慮した方向づけが,学会発表や英文の機関誌,和文の準機関誌にみられている.教育面でも,専門医制度のあり方はもちろんであるが,機関誌の内容や準機関誌の特集・座談会の内容等にみるように,老年精神医学の専門性だけを求めないで,医学教育のなかで広くバランスのとれた老年精神医学教育のあり方が具体的に現れている.

 以上に概観したような日本老年精神医学会の状況は,理想的な方向づけのものではあるが,今後の課題として種々の問題が生じてくることが考えられる.上述のような理想的な「分化と総合」のあり方を維持し充実させていくためには,非常に多大なエネルギーを必要とするであろう.現実の医学・医療の状況は多くの面で大変に厳しいものである.医療倫理や価値観の多様化,人生の終末期を迎える高齢者とその家族のあり方,また医療経済の問題も重要である.さらに,情報技術の発達に伴い,膨大な医療情報が関連してくることに適切に対応していくのは,かなり困難な課題である.

 精神医学の関連学会・研究会は日本国内だけでも50以上に及び,関連する学術雑誌は和文・英文誌だけでも200誌を超え,インターネットのホームページは数え切れないであろう.膨大な情報を展望(レビュー)し整理して統合する種々の試みとして,データベースの検索,ガイドラインやマニュアル,アルゴリズムの作成,また,種々の角度からの抄録誌(Evidence Based Mental Health その他)もあるが,それら種々のものについても,科学的なエビデンスを尊重するのではあるが,やはり考え方や価値観の多様化が何らかのかたちで影響するのは避けられないであろう.

 このように複雑な状況のなかで,日本老年精神医学会はどのように位置づけられるのであろうか.なにをどのように実行していったらよいのであろうか.今後,具体的にどのような種々の問題が生じてくるのであろうか.予測も解決も簡単ではないが,目下,急速に成長している日本老年精神医学会が,さらにますます発展していくようにと祈念する次第である.
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2002/3 老年精神医学雑誌Vol.13 No.3
高齢者と交通安全
深津 亮
埼玉医科大学総合医療センター神経精神科
 「人口推計」(総務庁)でみると,わが国における65歳以上の高齢者人口は,平成12年10月現在,2193万人であり,高齢化率は17.3%となった.今後の高齢人口の推移を「日本の将来推計人口」(平成9年1月推計)でみると,平均寿命の伸長や出生率の低下によって65歳以上の高齢者人口および高齢化率は,今後も着実に上昇を続け,平成22年には22.0%,平成27年には高齢者人口は3188万人,高齢化率は25.2%になると予想されている.さらに高齢化を前期高齢者(65〜74歳)と後期高齢者(75歳以上)に分けてみると,平成12年現在で前期高齢者人口は1298万人で後期高齢者人口は895万人となっており,前期高齢者人口が後期高齢者人口をしのいでいる.前期高齢者人口は平成28年には1698万人をピークに減少に転ずると見込まれているが,後期高齢者人口はその後も増加を続け,平成34年には前期高齢者人口を上回るものと予想されている.わが国は先進諸国を越えて未曾有の超高齢社会を迎えることも間近に迫っている.
 高齢者が健やかで快適な生活を送ることができるのであれば実に喜ばしいことである.しかしながら,わが国では社会の急速な高齢化に対してさまざまな社会制度などの整備が立ち後れており,意義ある生活を送ることは必ずしも約束されていないのである.交通安全白書(平成13年版)によると,平成12年中の交通事故(人身事故)の発生件数は93万1,934件で,これによる死者数は9,066人,負傷者数は115万5,697人とされている.前年と比較すると,死者数は60人(0.7%),発生件数は8万1,571件(9.6%),負傷者数は10万5,300人(10.0%)といずれも増加している.交通死亡事故における最近の特徴として,高齢者が関与する割合が高くなりつつあることが指摘されている.実際に平成12年中の交通事故死者数を年齢層別にみると,65歳以上の高齢者は3,166人(34.9%)と8年連続で最も多く,過去に最多であった16〜24歳の若者の1,563人(17.2%)をはるかにしのぎ2倍程度となっている.年齢層別人口10万人あたりの高齢者死者数をみると,高齢者では14.4人,16〜24歳の若者では10.7人であることが示されていることから,単に高齢者人口が相対的に増加していることを反映しているわけではなく,高齢者が交通弱者であることを物語っている.
 平成12年中の状態別の交通事故死者数をみると,高齢者については,歩行中が1,555人(49.1%)と最も多いものの平成8年から減少傾向を示している.次いで,自動車乗車中は711人(22.5%),自転車乗用中の533人(16.8%),原付乗用中の289人(9.1%)と続いている.自動車乗用中の交通事故死者数は平成7年に自転車乗用中のそれを超えて以来2番目に多い死者数となっているが,とくに,自動車運転中の死者数の増加が著しく,平成12年には504人となり,平成元年の2.8倍に増加している.また,自動車運転者が第1当事者(交通事故当事者のうち,過失が最も重い者または過失が同程度の場合は被害が最も軽い者)となった交通事故件数を運転者の年齢層別にみると,16〜24歳の若者は,平成12年には平成元年の0.61倍に減少しているのに対し,高齢者はほぼ一貫して増加しており,平成12年には平成元年の2.74倍に増加している.
 このように高齢者の自動車の運転について,人命尊重の理念からも,交通事故がもたらす社会的・経済的損失の大きさからも重大な社会問題と認識されるに至った.実際,平成13年度から17年度までの「第7次交通安全基本計画」では,道路交通を取り巻く状況の展望において高齢化の進行がとりあげられ,道路交通安全対策の今後の方向において,高齢者の交通安全対策の推進をはかることが提唱されている.それは,参加・体験・実践型交通安全教育の推進,高齢者が安心して暮らせる道路交通環境の整備,高齢者の安全運転対策の推進などであるが,総合的な交通安全対策は,ようやく端緒についたところであろう.
 ところで安全運転を行うには,種々の身体的能力とさまざまな精神機能が必要である.生理的加齢によって低下する身体的機能,衰退する感覚器機能,ならびに精神機能の変化に加えて,いわゆる認知機能の低下(mild cognitive impairment)や痴呆などが高齢者の交通事故の背景にあることが想定できる.しかし,残念ながら「交通安全白書」においては,高齢者の交通事故の原因について立ち入った分析は行われていない.欧米先進国では,種々の病態による運転特徴,早期に発見する方法,再教育の方法やその有効性,ならびに運転免許の停止を含め運転免許のあり方等についての検討がなされているが,わが国においては,これらの重要な問題についてはいまだに手がつけられていないのが実情である.高齢運転者は今後ますます増加していくと考えられることから,高齢者が安全で快適な移動手段を保障され意義深い生活を送るために,老年精神医学に携わる者は,運転免許のあり方をめぐるジレンマを克服してこの問題に立ち向かわなくてはならないであろう.
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2002/2 老年精神医学雑誌Vol.13 No.2
アルツハイマー型痴呆の初期発見とアリセプト
青葉安里
聖マリアンナ医科大学神経精神科
 65歳以上の老年人口の約7%が痴呆であり,さらにその約半分がアルツハイマー型痴呆であるとすると,わが国のアルツハイマー型痴呆の患者数は約80万人と推計することができる.一方,わが国最初のアルツハイマー型痴呆治療薬であるアリセプト(塩酸ドネぺジル)の処方数は2001年末現在で約13万人である.この推計が正しいとすると,約67万人の患者が少なくとも薬物療法のうえで未治療ということになる.
 国内外の臨床試験の成績からすると,たしかにこの薬の記憶機能そのものに対する効果はそれほど驚くべきものではない.プラセボとの比較で,ADAS-cog.のmaxでの差は約5点であるから,アルツハイマー型痴呆独特のもの忘れに対する効果という点からすると十分ではない.たとえば,今日の日付けを言えない患者がアリセプトを飲んでしばらくするとたちどころに正解することができるようになる,といった効果は期待できない.
 一方で効果がないわけでもない.たとえば効いたなという患者では,まず積極性がでてくる,機転が利くようになる,笑顔が多くなる,というようないわば感情面を活性化するような印象を受け,家族もそれなりに喜んでいる.副作用としてはまれに軽い下痢症状が出現する程度で,安全である.加えて臨床試験が示すように進行をある程度抑えるとすれば,トータルとしてこの薬の印象は悪くない.「たかがアリセプト,されどアリセプト」というわけで,使わないよりは使ったほうがよい.それでは,なぜこの薬が実際の処方にまでたどり着かないのか.
 わが国において,痴呆疾患センターを有する施設,つまり痴呆診断の専門医がいる施設は全国でわずか200足らずである.未治療の約67万人のアルツハイマー型痴呆の診断と治療をわずかこれだけの施設で行うことは不可能である.大半の患者は在宅あるいは通常の老人施設でアルツハイマー型痴呆と気づかれないまま放置されるか,幸いにして介護者がなにかおかしいと気づいても身近に専門医がいることはまれで,結局一般医の診察を受けることになり,確定診断にまで至りにくい.
 このような現状のなか,アルツハイマー型痴呆の患者を早期に診断し,薬物療法のレールにのせるためには2つの方策が必要である.
 ひとつは,アルツハイマー型痴呆をいち早く発見するために,アルツハイマー型痴呆とはどのような特徴をもった病気かということについて平易に家族や施設介護者に伝えるという啓発活動,もうひとつは,年齢相応のもの忘れとアルツハイマー型痴呆の極初期のもの忘れを鑑別するための診断技法の向上を一般医にまで拡大することである.
 家族あるいは施設介護者への啓発はどうするか.それは,自治体や地域の保健所などが地域に住む高齢者の「もの忘れ」に特化した啓発活動,つまり具体的にこういう言動がでてきたらアルツハイマー型痴呆かもしいれないという注意の喚起を広報することである.広報の手段としては,地域の新聞やテレビなどのメディアをとおして,繰り返しその内容を発信すること,あるいはアルツハイマー型痴呆の初期発見のための啓発ビデオを作成し,それを各家庭や施設に1つずつ置いておくのもよいかもしれない.
 約8年前アメリカのレーガン元大統領の「自分はアルツハイマー型痴呆であると告知された」という宣言は全世界に報道され,それ以来この病気の存在はいっきに世間に知れ渡るようになった.しかし,個人的な印象として,わが国の一般医はアルツハイマー型痴呆の診断にまだ相当高いハードルをおいているような気がする.名前は知っているが,どう診断していいかわからない,というのが実情であろう.
 そこで一般医はまず,この病気は全然珍しい病気ではないという認識をもつことが大切である.そのうえで,この病気を診断するためにはそれほどむずかしい技術は必要ないとも考えるべきである.専門医なら画像や脳波などのデータがなくても,家族からの情報と患者の問診で10分もあれば診断がつく.要は新しく与えられた記憶を直後には再生できるが,5分か10分後の再生,つまり遅延再生が不可能となる,ということを問診の力点におけばよい.遅延再生の障害,これがアルツハイマー型痴呆独特の記憶障害のプロフィールである.診療場面で,このポイントだけを明らかにすることができれば診断はさほどむずかしくはない.早期発見率を高めるためには,このような診断のノウハウを映像化してビデオにし,一般医に配信するのも一計である.
 アルツハイマー型痴呆の初期発見は,薬物療法をよりポピュラーなものにし,医師と患者本人,さらに介護者とその後ろにある地域社会も加わった協力体制をより強固にすることができるのである.
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2002/1 老年精神医学雑誌Vol.13 No.1
痴呆医療を考える
新井平伊
順天堂大学医学部精神医学教室
 新しい年2002年の幕開けに際し,皆さまに謹んで年頭のご挨拶を申し上げます.

 さて,昨年11月には過去数百年で最大数のしし座流星群が出現し感動された方も多いと思われるが,今年はアジアでははじめてのサッカーワールドカップ大会が韓国と共同で主催され,さらにその決勝戦が行われる横浜では第12回世界精神医学会の世界大会(WPA横浜大会)が開催されることとなっている.今年も再びあらたな感動と喜びが得られる年になりそうである.このような記念すべき年の始めにあたって最近の老年精神医学の動きに思いをめぐらせてみると,日本老年精神医学会の隆盛とともにさまざまなことが思い浮かぶ.そこで,ここでは,この中から喜ばしいことを2つ,そしてまだ解決されていない今後への課題を1つとりあげてみたいと思う.

 ひとつは,社会的に大きな関心をよんでいるアルツハイマー病についてである.この中で比較的若く,つまり40歳代や50歳代で発症する初老期発症型アルツハイマー病については,以前の本誌巻頭言でも老年期発症型に比べて医療や福祉面での対策が遅れていることを指摘した.臨床的に初老期型は進行がより早く,家族への精神的および経済的ダメージが大きいため,医療および福祉面でのサポートがより必要である.しかし,現在でも多くの痴呆患者用福祉施設は高齢者の利用で占められ,初老期型患者までサービスが行き届かない傾向にあり,また依然として難病指定となる特定疾患の対象にはされず治療費の負担など経済的問題は残っている.ただし,一昨年介護保険法が導入され初老期痴呆疾患はその対象となる特定疾患には含まれたため,65歳未満でも介護保険による恩恵を受けられるようになった.これは以前に比べればはるかに大きな進歩であり,特筆すべきことであるといえる.また,呆け老人をかかえる家族の会においても,初老期型患者を対象とした家族会が関西と関東地区で組織されたことが注目される.これらの動きは,さまざまな問題に直面し苦悩するご家族にとって大きな福音となることはまちがいない.

 もうひとつは,日本老年精神医学会の活動が全国的に広く知られつつあることである.これには専門医制度の導入が大きな推進役を果たしたことはまちがいなく,学会会員数の増加にもつながった.学会ホームページへのアクセス数も予想をはるかに超える数にのぼっており,反響の大きさが理解できる.専門医制度の導入が最も遅れていた精神医学領域でも,これを機にいくつもの学会で専門医制度導入が現実的に検討されている.このような中,精神科医は痴呆の専門医の一人であるという認識が広く普及すれば,多くの痴呆患者がより初期の段階で精神科医療機関を受診してくれることになろう.わが国では精神医療についての誤解と偏見が根深く残っており,受診には抵抗があるのが一般的である.しかし,一般の方が精神医療施設の現場に直接ふれる機会が増えるほどこのような偏見や抵抗が少なくなる.本学会の活動が結果的に日本の精神医療を救うことになることが期待でき,喜ばしいかぎりである.

 最後に,現在の老年精神医療をめぐるひとつの解決すべき課題を指摘したい.それは,痴呆の随伴症状に対する薬物療法についてである.つまり,たとえばアルツハイマー病については治療薬として塩酸ドネペジルが承認されているが,他の痴呆疾患も含めて随伴症状や問題行動に対しては抗精神病薬が広く使われている.これは海外においても同様であるが,わが国での問題は,この薬物療法が健康保険法のもとでは現時点で適応外使用に当たることである.患者のQOLを考えれば,また家族の苦悩を考慮すれば,他の疾患で用いられ安全性が確認されている抗精神病薬を使用することは現実的には許容範囲であると考えられる.しかし,その際に精神分裂病などの疾患名をレセプト病名として追加せざるをえないことは,とくにカルテ開示が導入されている現状では倫理的および道義的問題も残るし,万が一薬物の副作用やアクシデントが生じれば,法律的には適応外の薬物使用について処方した医師の責任が厳密に問われることになる.このような現状にもかかわらず,発売から長年経過した抗精神病薬について製薬メーカーが適応拡大のための治験にあらたに資金導入する可能性は少なかったが,最近,非定型抗精神病薬が数種類承認・発売され状況はかわり,欧米諸国の流れに沿ってわが国でもアルツハイマー病の随伴症状への効果判定のための治験が導入されつつある.したがって,これらのあらたな動きにより適応外使用に陥っている現状が打開され,痴呆患者とともに治療者にとっても福音となることを願ってやまない.
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