2001/12 老年精神医学雑誌Vol.12 No.12
軽度のアルツハイマー型痴呆のための簡便な神経心理学的検査
鹿島晴雄
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
 もの忘れを心配して外来を受診される方は,最近とくに増加しているようである.画像検査や血液,髄液のマーカーなど痴呆の診断法の進歩は目覚ましいが,ここでは普段筆者が初診で,もの忘れを心配して来られ,軽度のアルツハイマー型痴呆の疑いのある方に行っている簡便な検査を紹介したい.
 アルツハイマー型痴呆では,注意機能の評価と記憶機能,頭頂葉機能の評価が重要で,それに関する課題を組み合わせ,数分でできる簡便な検査を行っている.

 脳機能の余力が少なくなっている痴呆では,少しのことで軽度の意識低下が生じやすく,それをよく反映するのが注意機能である.注意機能の検査としては数唱を用いている.順唱が5桁以下,逆唱が3桁以下の場合は,意識障害をはじめとする非特異的な要因が否定できず,認知機能に関する検査結果の妥当性は疑わしくなる.対象となる方はもの忘れの自覚があるようなそれほど進行していない段階の患者さんであり,順唱5桁以下,逆唱3桁以下を非特異的要因の影響とみるのは妥当と思っている.また順唱7桁,逆唱3桁と逆唱の成績がとくに悪い場合,診断的意味があることもある.逆唱は数字全体を聴覚的に憶え逆唱する“聴覚型”と,頭のなかに数字を書き,うしろから読んでいく“視覚型”があり,後者の場合は後述する準空間操作としての頭頂葉機能が関係する.逆唱の成績がとくに悪いときは,定型的アルツハイマー型痴呆の可能性をうかがわせる.

 記憶の検査としては,以前より7語記銘検査なるものを作成し行っている.「船,山,犬,川,森,夜,自転車」の7つの語を読み上げ,憶えてもらい,順序にはかまわず想起してもらう検査である.1回ですべてを想起できない場合は,3,4回まで繰り返す.健常者では1,2回で7語の想起が可能であるが,記銘障害のある場合は5回繰り返しても最大想起数が6以下であることが多い.この検査は想起順を記録することで,記憶障害の質や記銘努力や記銘方略も知ることができる.「船」は初頭効果,「自転車」は新近効果とこの語のみ5音からなるという特徴で記銘力低下があってもまず想起できないことはない.この2語がでない場合は,注意や精神症状など記憶以外の要因の影響が考えられる.記銘障害の場合は,5,6番目の「森」「夜」が最もでにくい.また他の検査のあとに遅延再生を行うが,5,6語想起ができても遅延再生では2,3語になってしまうことも多い.遠隔記憶の検査は,以前のことをよく知っている方が同席していればよいが,そうでないことも多く,評価がむずかしいこともあり普通は行わない.軽度の痴呆が対象の場合は記銘の評価で多くは十分である.

 次いで,頭頂葉機能の検査を行う.アルツハイマー型痴呆でよくみられる,道順がわからない,物をどこにしまってよいかわからないなど,周囲からもの忘れと思われている症状は,しばしば頭頂葉機能に関係する準空間操作の障害である.透視立方体の模写がよいが,描くことを嫌がられる方もおり,通常行うのは“逆キツネ”と名づけた手指構成である.両手で影絵のキツネの形を作り,片手を180度ひねって,左右の人差し指と小指をあわせるものである.高齢者ではできない方もおられるが,記憶障害の訴えがあり,“逆キツネ”ができる場合は定型的なアルツハイマー型痴呆ではない可能性が高い.頭頂葉症状は視空間失認として以前はアルツハイマー型痴呆の中心症状としてきわめて重視されていたものであるが,近年はいささか記憶障害にのみ重点がおかれすぎている感がある.アルツハイマー型痴呆の診断における頭頂葉症状の重要性を強調したい.

 前頭葉機能に関しては,“グーパー検査”なるものを行っている.左右の手でグーとパーを作り,順次左右でグーとパーを変換していくものである.前頭葉機能障害では変換がうまくいかず,両手ともグーやパーになってしまう.アルツハイマー型痴呆の診断においては記憶と頭頂葉機能の重要性に比べて,前頭葉機能はそれほどではないが,上記の“逆キツネ”ができて,この検査ができない場合は前頭葉性の痴呆の疑いも生じてくる.

 これらの検査には知識や興味が影響するような課題はなく,個人差をあまり考えずにどなたにでも行える.簡便検査は大体の見当をつけるもので,より詳細な神経心理学検査や画像検査が必要なのはいうまでもないが,定型的なアルツハイマー型痴呆であるか否かの診断にはかなり有用と思っており,紹介した次第である.
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2001/11 老年精神医学雑誌Vol.12 No.11
メディアの取材
前田 潔
神戸大学大学院医学系研究科精神神経科学分野
 最近,相次いでテレビ局の取材を受けることがあった.大阪教育大学附属池田小学校の連続児童殺傷事件がらみである.ほかに新聞社からも取材があった.最初は精神鑑定について話してほしいというものであった.筆者は司法精神医学を専門にしているわけではないが,関西には精神鑑定で名の知られた人は少ないので,とりあえずは大学の精神科の教授ならいいだろうと考えての取材の申し込みであったものと思われる.筆者もわずかではあるが精神鑑定の経験があるので取材を引き受けた.半日を費やして資料をそろえて協力した.当日,自分の子供のような年齢の記者がやってきて,3〜4時間話を聞いて帰っていった.帰りぎわには恐縮して何度も礼を言っていた.しかし,実際の放映時間は3分ほどであった.2,3日後,その番組を見ていたという別のテレビ局から取材の申し込みがあった.同じ話をするわけにもいかないので,別に資料を用意した.今回の取材は1時間半ほどと短くて助かった.
 その後,この事件の精神鑑定の結果がでるらしいという時期にも取材の申し込みがあった.妄想性人格障害という鑑定結果になるらしいとのことで,妄想性障害と妄想性人格障害の違いの説明を求められた.素人にもわかるように説明するのはむずかしく,記者は露骨にもっとわかりやすく説明してくださいと言った.その説明のわかりにくさを思い出すと我ながら苦笑いがでるほどで,記者は何度もやり直しを要求した.録画のあと,雑談のなかで「先生は宅間容疑者にどのような診断をつけられますか」と尋ねられた.筆者は当然,診察もしていないし,情報も限られているので軽々に診断できないと答えたところ,取材の記者は明らかに面白くないことを言う人だという表情をした.なにか精神科通院歴のある者が事件を起こすと,すぐさま精神科医や作家がコメントをしている.詳細が不明な時点でコメントする内容がよくあるものだと感心するが,そういうものがないと事件の報道を読んでいても間が抜けた感じがするので,仕方がないのかもしれない.
 以前,まえの職場でのことであったが,若年の痴呆症が増えているそうだからそれを取材させてほしいと申し入れがあった.当時,40歳代,50歳代の痴呆の患者さんを何人かみていたので取材を受けることにした.当日取材が進むにつれてわかってきたことであるが,テレビ局の意図は,若年の痴呆症患者が多くなっていることをレポートし,視聴者にあなたにもその危険性がありますよと訴えかけるものであった.「激増!若年の痴呆,あなたにもその危険が!」という文字がテレビスクリーンに斜めに映し出されるのが目に見える気がした.若年の痴呆患者の問題は深刻ではあるが,それがとくに増加しているとも思えなかったので釈然としないまま取材は進んだ.丸一日を潰して付き合わされたが,看護婦や放射線部も巻き込んで結構大変な一日であった.数日後,その担当者から電話があり,「先日取材に協力してもらったが,局の方針が変更になり,収録した部分が大幅にカットされることになった」と申し訳なさそうに伝えてきた.実際,放映されたのはわずかに数十秒であった.また,あるテレビ局から別の取材申し込みが電話であったときの話であるが,「もの忘れの始まった母親をもつ娘が受診する病院を探している.ついては貴院を受信したいが,その診察,検査などを撮影させてもらえないか」ということであった.しかも,撮影は1日すべてを撮り終えたいとのことである.心理テストや画像検査も含めて1日というのは,よほど院内の各部署の調整をうまく行わなければむずかしい.さらにテレビ局からは,母親がアルツハイマー病であると告知されるときの娘の様子を撮りたいから目の前で診断を伝えてほしいという依頼があった.テレビ局の意図は,アルツハイマー病と告知されたとき家族はどのような反応を示すのか撮影をしたいというものであった.困難であることを伝えると,再度検討したいと言って電話は切れた.以後,連絡はない.
 長時間かけて取材に協力しても,実際に放映されるのはきわめて短時間である.それも適当に編集されているため,必ずしもこちらの意図どおりには放映されず,歪曲されることもある.報道する側には,できるかぎり読者・視聴者に興味深いものでなければならないという宿命がある.こちらも暇ではないから時間とエネルギーをさいて協力することはないと思ってしまう.わりがあわないのである.しかし精神障害者や痴呆患者への理解が進むといったことや,彼らの福祉に役立つかもしれないという色気があるからつい取材を引き受けてしまう.阪神・淡路大震災のときは,仮設住宅での高齢者の孤独死や自殺がメディアで報道され,さまざまな対策が進んだことがあった.たとえわれわれが取材に協力をして一日くらい棒に振ったとしても,たいした問題ではない.普段はもっと時間を無駄に使っているのだから…….一方,メディアのもつ力は巨大である.上手く利用すればこれほど強力な集団はない.メディアを味方につければ精神障害者へのいわれなき偏見もいくぶんは弱まるかもしれない.精神障害者や痴呆患者のためになると信じて,メディアの無理な依頼・注文にも対応したほうがよいのではと思っている.
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2001/10 老年精神医学雑誌Vol.12 No.10
高齢者の生活史
笠原洋勇
東京慈恵会医科大学附属柏病院精神神経科
 日本人の平均寿命は,昨年,女性が84.62歳,男性が77.64歳となり,再び過去の記録を更新した.江戸時代の平均寿命は28〜29歳,明治・大正は40歳代前半,昭和になり戦前は40歳代後半であったことを思うと,戦後だけでも約30年あるいは女性ではそれ以上寿命が延長したことになる.1998年には中高年男性の自殺増加,1999年にインフルエンザ流行があり,寿命の延びは停滞したが,2000年には上記の結果となった.また男女の差は約7歳となり,さらに拡大した.

 一方,世界の人口は2070年には90億人に達し,その後は減少するであろうとの予測が,オーストラリアの研究者により報告された.高齢化は地域を問わず世界的に進行し,最も高齢化率の高い日本では,2100年に2人に1人が60歳以上になるとされている.地域別にみた人口増加については,中国が2025〜2050年,インドを含む南アジアが2050〜2075年,サハラ以南のアフリカでは2075〜2100年の間に人口はピークに達するなど,高齢者の地域と時代の格差も見逃すことができない.また最近の発表ではわが国の100歳以上の高齢者は1万人を突破し,高齢者が多数存在する驚くべき時代となった.
 加齢の問題は,体験したことのない未知の領域に突入してきており,新しいテーマが矢継ぎ早に提起されることになり,取り組まなければならないことが多い.

 このように人口の推移は実に多くの問題を投げかけているが,他方臨床の場でも,過去には考えられなかった高齢者の行動や言動が観察されるようになった.長寿が社会や経済や医療に投げかける問題にきちんと取り組みその本質や本能を明らかにしなければならない.しかし一方,最近痛切に感ずることは,クライエントとしての高齢者の生活史がだれにもわからないことである.

 ところが,さらに困った問題が加わってきた.行政は医療経済において最も過酷な方向性を打ち出している.疾患別に定額制の治療費が支払われるよう定められ,それが高齢者のみならず一般的に施行されつつあり,さらにこの推進が叫ばれている.社会経済の逼迫が病者や彼らをみる側に有無を言わせぬ制約を引き起こしている.この状況は医学の進歩には大きな足枷となっている.臨床研究の大切さは一例を深く観察することにあるが,そのためには生活史についての情報は欠かせない.時間と医療経済に縛られない納得できる積み重ねが必要である.しかしながら,目前を過ぎる患者さんからなにを学べばよいのであろうか.医療経済と研究とはいよいよもって乖離し始めてきている.おそらくこのような憂うべき事態に対応するためであろうか,重点的な研究財源の助成の措置がとられると聞くが,診療報酬と臨床研究の費用は別なものであるという考え方は一見,的を得たものであるが,財源の二分法がはかられても,現場ではそう単純に機能するとは思えない.

 患者中心の医療を叫んでも医療が対応できる範囲はごく限られたものであり,いまや病者のみならずケアする側も冷たい仕打ちを受けなければならない状況に陥った.定額医療のなかで患者中心の医療を実施することは,医療の側に強い忍耐あるいははてしない忍耐を求めていることになる.医療が利害関係に陥り,両者の信頼関係が危うくなっている現状では高齢者と接する際の根本的問題はなにも解決できない.高齢者の生活史を掘り起こす気力すらも失せてしまう.高齢に至り,周囲で世話する人がいなくなった独居老人が医療や福祉の場に現れるときの衰えた姿を見るにつけ,それまでの経過がわからないままにケアが始まることは何ともむなしい.

 当面の衰えに対応することに忙殺され,経過がどのようであったかを調べようにも,だれも知らないことが問題なのである.社会的に適応した状況について控えめに語る本人からは,生活史の全貌は想像するのみである.

 筆者は60歳代から70歳代の健常者を追跡する研究を行っているが,健常者からの情報収集の困難さは,30歳代,40歳代の生活史が不正確であることにある.加齢研究の土台は青年期,壮年期,初老期の生活状況がどのようであったかをしっかりと聞き取ることにあるが,必要な内容には十分答えられない.筆者は情報を収集することの未熟さを痛感しつつ,過去の生活上の問題を知ることの解決方法はないものかと考えている.おそらくこれは,高齢者の医療福祉にかかわるすべての人に及ぶ問題であろう.いまひとつ,対象者の生活背景が理解できないまま介護していることのもどかしさがある.現実には高齢者の周囲で生活史をよく知る人が予想外に少ないことをみると,老後のために自分から生活史を記録しておくことは大切であろうなどと考えている.
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2001/9 老年精神医学雑誌Vol.12 No.9
英文誌「PSYCHOGERIATRICS」誕生の経緯
武田雅俊
大阪大学大学院医学系研究科ポストゲノム解析学講座・プロセシング異常疾患・精神医学分野
 本誌「老年精神医学雑誌」は,日本老年精神医学会の準機関誌であり,英文副タイトルはJapanese Journal of Geriatric Psychiatryで,1990年の創刊以来,第12巻を数える.老年精神医学会が研究会として発足したのが1986年であり,1989年に第4回国際老年精神医学会(International Psychogeritric Association ; IPA)が東京・新宿にて長谷川和夫会長,西村健組織委員長,本間昭事務局長のもとで開催されたのを契機に学会となり,年1回の学会を重ねて本年2001年には第16回日本老年精神医学会が開催された.学会回数と老年精神医学雑誌巻数の差異は,本誌の前史として「老年精神医学」が別の出版社により数年間出版されていたことによる.

 2001年3月に,日本老年精神医学会はその機関誌として年4回の英文誌「PSYCHOGERIATRICS」を創刊した.そのタイトルであるpsychogeriatricsの和訳は精神老年医学であり,老年精神医学ではない.その由来を説明するのが本稿の目的である.

 ご承知のように,日本老年精神医学会の英語名称はJapanese Psychogeriatric Societyである.そして本学会の設立の経緯は,前述したようにIPA開催を受け入れるための国内組織として発足したのであった.したがって当然のように,本学会の英文名はJapanese Psychogeriatric Societyとなったわけである.そして,今回,英文機関誌を創刊する際にも,最終的には学会の英語名称にちなんだ「PSYCHOGERIATRICS」とすることが決定された.

 外国の老年精神医学関係の名称をみると,Psychogeraitricsも多いが,Geriatric PsychiatryやGerontopsychiatryも多い.イギリス人に尋ねてみると,Geronto−やGeriat−という接頭辞は最近ではあまり響きがよくないそうである.わが国でも「老人」「老化」という言葉には機能衰退の意味があり,よくないイメージがあるために避けられるようになったのと同様の事情であるという.最近は英語圏の大学ではかわりにOld Age Psychiatryという言葉が使用されるようになったと聞く.しかしながらわが国の学会誌として,「Old Age Psychiatry」というタイトルはしっくりこないのではなかろうか.

 もうひとつ,「PSYCHOGERIATRICS」のタイトル決定の際に委員会で議論したことは,老年精神医学単独では論文の収集は無理なのではないかということであった.残念ながら,精神医学領域では英文論文の投稿は身体医学領域と比較して多くはない.たとえば,「PSYCHOGERIATRICS&NEUROPSYCHIATRTY」 「PSYCHOGERAITRICS & BEHAVIORAL SCIENCE」などのように本雑誌のカバーする領域を広げたタイトルでないと年間4冊を発行するだけの投稿論文が集まらないのではないかという議論であった.結局,理事長の英断により「PSYCHOGERIATRICS」単名でいくとの方針が決定したのであるが,この時点から編集委員の並々ならぬ苦労が始まったわけである.毎号総説を2〜3本,原著論文を7〜8本掲載し続けるためには,年間30本以上の原著論文の投稿が必要となるからである.幸いなことに第1巻は,編集委員のご協力により,関連機関からの投稿を呼びかけていただき予定どおりの原著論文の投稿が集まっている.また,一般会員からの投稿も寄せられるようになり,「社会精神医学」や「介護・福祉」関係の論文が投稿され始めたことは喜ばしい.「精神医学」「心理」「介護」「福祉」「社会学」など老年に関する幅広い領域の論文の投稿を期待したい.

 先日の新聞紙上では,本年度のわが国の平均余命が報道されていた.2001年度の日本人の平均余命は女性84.62歳,男性77.64歳であり,世界最高水準であることはいうまでもない(年々男女差が開いていくことが男性としては気になるが).平均余命だけではなく,最高水準の高齢化率,最高水準の後期高齢者の比率,世界最速の高齢加速度もわが国社会の特徴であることを忘れてはならない.わが国は,人類がいまだかつて経験したことのない未曾有の高齢社会に,世界に先駆けて,しかも世界最速のスピードで突入しようとしているのである.このようなわが国社会の特徴を背景として,日本老年精神医学会は学会機関誌「PSYCHOGERIATRICS」を通じて,その学術情報を広く世界に向けて発信することを決定した.多くのアジア,アフリカ諸国はこれからわが国と同様の高齢社会への道をたどることが予想されており,われわれの経験をこれらの人びとに役立ててほしいと願うからである.

 2000年は介護保険制度と成年後見法が施行された年であるが,日本老年精神医学会は2000年度に学会認定専門医制度を発足させ,2001年3月に英文機関誌「PSYCHOGERIATRICS」を創刊した.会員数も2,500人に達しようとしており,順調に発展しつつあることは慶賀の至りであるが,21世紀の日本老年精神医学会への期待と責任は大きい.
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2001/8 老年精神医学雑誌Vol.12 No.8
地域における痴呆予防活動
本間 昭
東京都老人総合研究所精神医学部門
 最近,いくつかの自治体の担当者から,痴呆予防を地域でやってみたいがどのようにしたらいいのかという問合せを受けたり,関連する委員会への参加を依頼されることがあった.すでに,他のいくつかの自治体ではこのための試みが実践されているが,さきの問合せや相談に共通することは,痴呆になるかもしれない者,つまり痴呆のハイリスク群をどのようにスクリーニングすればよいかということである.

 近年,MCI (mild cognitive impairment) が老年精神医学領域でトピックのひとつとなっている.このアルツハイマー型痴呆の前駆状態と考えられる状態を地域でスクリーニングして,介入を行いたいということであれば,どの程度の予算措置がとられているかは別にして,非常に歓迎すべきことであろう.しかし,いずれの問合せや相談もそのような具体的な相談ではない.わが国ではMCIの有病率は報告されていないが,海外では10%台という報告が多い.一定の診断基準に従って地域で疫学調査を行えば,わが国でもMCIの有病率を求めることは容易である.問題は,人手とお金と時間をどのくらい割けるかである.彼らの相談の内容を聞いていると,割ける人手は保健婦が週に1日,予算は年間で20万円程度ということであった.今年度は自治体全域ではなく,地区を限定して予備的に事業を行い,好ましい成果が得られれば次年度につなげたいという.しかし,痴呆とはどのような状態なのかということや,どのような具体的な結果を好ましいとするのかなど,相談者自身がわかっていない.何となく察することができるのは,いわゆる“閉じこもり”の人たちを何とか外に連れ出す方法はないものかという感覚かもしれない.東京都ですら,1974年から7〜8年ごとに都全域を対象にして実施してきた疫学調査を財政難を理由に中止したくらいである.大規模な介入を目的とした事業を実施できるときではないことは十分に理解できるし,内容を理解していないとしても行政側のこのような姿勢は従来考えられなかったことであり,評価に値する.さきの相談についても,何とか予備的に実施可能な方法を考えたいと思っている.

 ハイリスク群をスクリーニングすることが相談者に共通することであると述べたが,重要な点を2つ指摘しておきたい.この2つの事柄は相談の内容に含まれないことが多い.ひとつは,対象となる地域における啓発的活動である.痴呆についての意識がその地域で十分でなければ,スクリーニングしようとしても十分な対象者数は集まらないであろう.地域で講演会を1〜2回行えばいいというものではない.おそらく,小学校の教室などを借りて小規模の勉強会を積み重ねる努力が必要となる.これは,地域の住民,かかりつけ医,保健・福祉関係者全員の意識の問題である.日本独特の事情であるかもしれないが,地域の医師会の理解と協力は不可欠である.あるかかりつけ医を受診した高齢者から外来で痴呆予防の話題がでるかもしれない.そのときに,そのかかりつけ医から「それは有意義なことだからぜひ参加しなさい」とサポーティブな発言があるとないとでは大きな違いがあろう.ケアマネージャーの積極的な協力も同様に大きな意味がある.

 2つめの点は,スクリーニングされた高齢者の受け皿である.ほんのいっときであれば,従来のデイサービスやデイケアで行われているプログラムに参加することができるかもしれない.しかし,長続きしないであろうことは容易に想像できる.健常な高齢者にとっては,内容がほとんどつまらないからである.参加者が興味をもち,面白い,楽しいと感じながら参加できるプログラムでなければ長続きしないことは当然であろう.したがって,プログラムにはかなりのバリエーションがなければならない.あらかじめ参加者の希望を募ることが最も簡単な方法かもしれない.もし,10万人規模の自治体でこのようなプログラムを行う場合,高齢者数を17,000人とすれば,プログラム参加者が1,000人以上になる可能性もあろう.1グループ10人として100グループである.週1回としても自治体の職員が1グループに1人ついてグループを維持していくことができるであろうか.しかも数年にわたってである.答えは否であろう.そのためには,グループの立ち上げには行政側が関与するとしても,維持は住民側が主体となって行わざるをえない.もし,対象がMCIや“閉じこもり”高齢者であるとすると,彼らだけではグループは成り立たない.まったく健常な高齢者も参加しなければならないわけで,そうするとグループ数はさらに増える.プログラムの内容についてはここではふれないが,工夫が必要なことは明らかである.

 むろん,人口規模が数十万人と数万人の自治体では方法が異なることはいうまでもない.相談に来られた担当者は,とくに2つめの点については考える余裕がなかったのかもしれない.しかし,痴呆予防と銘打たなくても,従来の老人福祉センターなどを含めた利用方法を考えることのほうが,どのようにハイリスク群をみつけるかを考えるよりも先決ではなかろうか.
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2001/7 老年精神医学雑誌Vol.12 No.7
老年精神医学について思うこと
小阪憲司
横浜市立大学医学部精神医学講座
 2000年6月に第15回日本老年精神医学会を主催させてもらったが,このミレニアムの横浜大会は21世紀の日本老年精神医学会にとって重要な学会であったと思う.周知のように,わが国では,2000年4月から高齢社会を支える二大車輪といわれる「介護保険制度」と「成年後見制度」が施行された.また日本老年精神医学会は専門医制度を発足させ,それを機に学会員も倍増し,2,400人を超えた.おかげで横浜大会では演題数も学会参加者も例年の2倍を超え,学会にとって21世紀へのよいスタートが切れたと思われる.これからは,老年精神医学が精神医学,いや医学全体のなかでますます重要な位置を占め,専門医に期待されることも多くなるであろう.

 私事であるが,振り返ってみると,筆者が老年精神医学を学び始めたのは精神科医になって間もない1960年代後半であり,もう30数年もまえのことである.当時は,まさかこれほどの高齢社会が訪れ,老年精神医学がこれほど発展するとは思いもしなかった.もともと脳に関心をもち,精神医学教室で脳を直接研究できるということから神経病理研究グループに所属したが,その関係で高齢者の精神障害や脳器質性疾患にとくに関心をもったのが始まりである.しかし,当時は少なくともわが国では「老年精神医学」という用語はほとんど使用されておらず,老年精神医学に関する教科書もほとんどなく,筆者の知るかぎりでは,1956年に出版された三浦百重編『老人の精神障碍』(医学書院)があるのみで,そこに掲載されている「老人の心理」(金子仁郎),「老人の精神病理」(新福尚武),「初老及び老年期精神病の組織病理学」(猪瀬正)を熟読したものである.

 なお,わが国では1953年に老人病研究会が,1954年に寿命学研究会が結成され,1955年に老年科学研究会が創立された.これらをもとに日本老年学会(Japan Gerontological Society)が結成されたのは1958年で,これは日本老年医学会(Japan Geriatric Society)と日本老年社会科学会(Japan Socio-gerontological Society)の結合体である.なお,現在ではこの日本老年学会には日本基礎老化学会,日本老年歯科学会と日本老年精神医学会も加わっている.ちなみに,日本老年精神医学会は1986年に老年精神医学研究会として発足し,1988年に老年精神医学会になり,2000年に日本老年医学会に加わった.

 筆者は,臨床神経病理学を介して老年精神医学を専攻したことから,痴呆性疾患にとくに関心をもち,1960・70年代にはアルツハイマー病,老年痴呆(現在でいうアルツハイマー型老年痴呆),ピック病,脳動脈硬化性痴呆(いまの脳血管性痴呆),クロイツフェルト−ヤコブ病などに関するドイツの論文をよく読んだものである.痴呆患者への対応については,ほとんど教科書はなく,トライ・アンド・エラーを繰り返して自分で体験するしかなかった.この当時は,高齢者には精神障害は少ないといわれ,高齢者は精神病院の入院患者のわずか数%程度を占めるにすぎなかった.このような状況のなかで,痴呆患者を最後までフォローし,不幸にして亡くなった場合には自分たちで剖検し病理像を観察するということは大変なことではあったが,この積み重ねが筆者にとって貴重な体験となった.そして,その体験が「びまん性レビー小体病(diffuse Lewy body disease ; DLBD)」の発見,さらに「石灰沈着を伴うびまん性神経原線維変化病(diffuse neurofibrillary tangles with calcifica-^ntion ; DNTC)」の発見へと結びつくことになった.ことにDLBDはいまや国際的によく知られ,欧米ではアルツハイマー型痴呆についで2番目に多い痴呆性疾患であることから,最も重要な痴呆性疾患のひとつに数えられるようになった.筆者がActa NeuropathologicaにDLBDの最初の報告をしたのが1976年であり,それ以来の一連の報告により,DLBDが国際的に注目されるようになったのが1985年以降で,1990年ころに一疾患単位として国際的に認められるようになった.DLBDがわが国でも認められるようになったのは1990年代なかば以降のことである.1つの疾患を見いだしてから国際的に認められるようになるまでにはこのように長い期間が必要であることを痛感させられた.

 ところで,ここ数年の間に変性性痴呆疾患についてのあらたな知見が次々に明らかにされ,たとえばFTDP-17(frontotemporal dementia and parkinsonism linked to chromosome 17)といった新しい疾患概念も出現した.この方面でも,まだまだ新しい疾患が発見されうる可能性があり,そのためには個々の症例の詳しい観察の積み重ねが重要であることを指摘しておきたい.
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2001/6 老年精神医学雑誌Vol.12 No.6
老いの誇りについて
守田嘉男
兵庫医科大学精神科神経科学教室
 筆者の勤務する兵庫医科大学病院は,病診・病病連携を目指す地域の中核的病院である.そのため初診では,かかりつけ医の紹介があることが普通であり,高齢患者には付き添う家族がいる.しかし,事情があってのことであろうが,老夫婦のみで精神科神経科を受診する患者さんもいる.高齢であるので認められる精神障害もある程度限られ,痴呆の場合は初期で軽度であることが多い.そのため通院は数年以上にわたり,患者さんも主治医も互いに年齢を重ねる.加齢とともに痴呆の重症度は進み,はじめから予測できたことではあるが,この間介護役をつとめた老夫婦のもう1人が病気におかされることも少なくない.そのときの痴呆の患者さんの茫然とした様子は悲哀を誘う.もちろん,地域にある社会資源や保健,福祉の活動によって治療は続けられるが,長い間支え合ったきた2人が晩年になって別れて暮らすことになる.高齢者であるからこそ,その寂寥感は深い.

 また,老夫婦ともに精神障害を患うこともある.2人とも痴呆に罹患し2人だけで精神科神経科を受診することはよほどまれと思われるが,妻が軽度の痴呆のみで夫が行動異常を伴う中等度痴呆という場合はある.また,一方が痴呆のごく初期で他方が老年期の妄想性障害である,といったようにさまざまな患者さんに遭遇する.しかし多いのは,痴呆の夫を支えていた妻が身体疾患となり刀折れ矢尽きるときであろう.けっして自慢になることではないが,このような状況に直面した2人の患者さんに筆者が共感をもち始めたのは最近のことであり,これは筆者が自らの老いについて考え始めたのと同時期である.

 ところで,加齢に伴う生理学的機能の減退は予想以上に著しく,たとえば肺機能は30歳代の50%となるので1つや2つの身体の故障は身体老化のためにやむをえないとしても,老いにもなにか誇れるものがあるはずであるとの思いがある.かつて,老年期において社会的に自立し会社に貢献した高齢者を自著のなかで紹介する機会があった.そこで,生産性のある仕事に従事したり社会的活動に参加できる高齢者の人口を知りたいと思っている.筆者は,病院や老人性痴呆疾患センターといったやや特殊な職場で終日働いている.そのためでもあろうが,老いの否定的な側面が強調されすぎると,そればかりではないはずだと抗議したくなる.

 ところで,独断かもしれないが,小津安二郎監督による「秋刀魚の味(1962年)」までの映画作品には美しい初老の登場人物をみることができる.また,1950〜1960年ころの,子どもである筆者の眼に映っていた60歳代のお年寄りは尊敬されていた.もっとも80歳や90歳の高齢者は非常に少数であった.さらには,特別の時代ではあったのであろうが,あの苛酷な戦争を生き延びた人びとには品格があったのかといまにして想うことがある.最近でも,新聞や記録写真集のひとこまに,厳しい風土や貧困,あるいは戦乱にもかかわらず美しい上品な風貌をみることがある.筆者にはその描出はむずかしいが,男性では,陽にやけ深いしわが刻みこまれ白いひげをたくわえて静かに立っている.女性は孫と話しているのがよい.少年少女に本を読み聞かせている老女の姿はやさしさの極みである.よく知られている晩年の志賀直哉の写真の姿は美しい.正面をしっかりと見据えて,ステッキを持ち,大股に歩む.それははじめて訪れたパリの街でも少しもかわらなかったそうである.作家はある年齢に達すると体力と気力が衰えて執筆できなくなるというが,そのときの精神状態は危機に近いものであろう.芸術家の容貌の完成はこれらの危機を乗り越えた年月の賜物であると筆者は勝手に考えている.

 老年期の精神医療に携わっていると,患者さんの精神症状の背後にある長い人生を知ることになる.昨今の痴呆研究の成果から離れた立場における筆者のつぶやきであるが,老年期痴呆に罹患することの最大の悲劇は人格にかかわる領域の変化であり,これによって患者さんのすべてが否定されることさえある.ところで,兵庫医科大学内に設置されている老人性痴呆疾患センターでは診療が予約制であり,十分の時間がとれるため,介護する家族から患者さんとまわりの人びとについての詳しい生活史を添えてもらうことにしている.それは患者史であり内的生活史でもあるので当然ひとりひとりまったく異なり,当センターには膨大な記録が残されている.これらを読むと,すべての人は老いて今日あること自身を誇りにしてよいのだと思う.

 老いは万人に平等にもたらされるのであるから,老年期精神障害の医療では老化と真摯に向かいあうことが必要である.筆者は,かつて老年精神医学に人間学的精神病理学の方法論を願い求めると記したままいたずらに年月を過ごしているが,その考えは現在もかわっていない.
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2001/5 老年精神医学雑誌Vol.12 No.5
高齢痴呆患者の栄養確保
高橋三郎
北海道立向陽ヶ丘病院
 日本は,戦後の生活様式や医療水準などの向上に伴い,平均寿命は80歳を超え,世界一の長寿国となっている。このような背景により高齢者の割合も増加し,1999年には100歳以上の超高齢者数も11,300人を超えている。しかしただ単に長く生きる長命と心身ともに健康な長寿とでは,日常の活動性に明らかな差異がある。有意義な活動性を高め,さらに認知機能を良好に維持することに関しても,適切な栄養状態の確保が必要とされている。

 高齢者は種々の要因によって,青壮年者に比して栄養状態が低下していることが多い。高齢者個人側の背景としては,加齢に伴って唾液分泌が減少し,味覚や嗅覚などの感覚機能が減退し,さらに胃や腸など消化管蠕動運動の低下といった生理的変化がある。また高齢者を取り巻く経済状態や家庭関係の変化に伴う介護状況など,広義の環境的要因も,高齢者にしばしばみられる低栄養状態の一因となっている。また高齢者は慢性に経過するいくつかの疾患のため,長期にわたり薬物を服用していることが多く,その副作用によって食欲が低下し,栄養障害を惹起していることもある。そのなかでも痴呆性疾患では,その特有の精神症状や神経徴候も加わり,一般の高齢者よりも栄養障害を呈することが多く,その程度もより重篤となりやすい。

 栄養状態の改善のためには,経静脈栄養(末梢,中心静脈栄養)と経管栄養(経鼻経管,胃瘻)があるが,経静脈栄養は長期施行が困難で,また消化管の廃用性萎縮や腸内細菌叢の変化を起こしやすい。そのうえ無菌操作が必要であるが,自己抜去時の侵襲が大きく,在宅医療が困難となる。その点,経管栄養は長期施行が可能であり,身体への影響も少なく,管理していくうえで無菌操作がほとんど不要であり,在宅医療が比較的容易に継続することができる点など,経静脈栄養に比してメリットが大きい。

 経管栄養は,経鼻経管栄養と胃瘻に2大別される。経鼻経管栄養はその導入は容易であるが,カテーテルを気管に挿入する危険を伴うので操作に熟練を要し,その装着に対して患者本人に異物感が強く,自己抜去が頻回に認められる。さらにカテーテル挿入中は経口摂取が困難であり,咀嚼運動が行われることが少なく,口腔や顔面などの感覚受容器が刺激されることが乏しいため,その情報が脳にフィードバックされることが少ない。一方,胃瘻ではその導入にあたり造設が必要である。胃瘻の造設は,以前は全身麻酔で開腹下で行われるのが一般的であったため,高齢者とくに痴呆患者では,栄養補給のためのみで手術を施行することは侵襲が大きく,限定されていた。ところが近年では経皮内視鏡的胃瘻造設術(percutaneous endoscopic gastrostomy ; PEG)が普及し,全身麻酔が不要で開腹手術を必要とせず,筆者の病院では誤嚥性肺炎を繰り返す全身状態の悪い患者にも積極的に導入して,良好な結果を得ている。すなわち,脳血管性痴呆やレビー小体型痴呆が疑われる70歳以上の6症例すべてで,不安,攻撃,徘徊,不穏など痴呆に伴う行動・心理面の症状(behavioral and psychological symptoms of dementia ; BPSD)が強く,嚥下障害による頻回の誤嚥性肺炎や低栄養状態があり,対応に苦慮していたことがある。これまで末梢,中心静脈栄養,経鼻経管栄養などを試みたが,頻回の自己抜去や誤嚥の誘発などが続き,継続が困難であり,専門医に胃瘻導入についてコンサルトした。

 胃瘻導入前は,全症例ともに中等度以上の認知機能障害があり,服薬の必要性を十分には理解できず,嚥下障害を伴い,経口での継続的な服薬も困難であった。そのほかにもルート確保,カテーテル挿入,食事や服薬のすすめ,やむをえず行う一時的な身体抑制など,身体管理上の強いストレスフルな状態が持続していたものと推定される。さらにそれに加えて,慢性的な低栄養状態に伴う空腹感も存在していたようである。

 胃瘻導入後は,栄養状態の改善とともに,経口薬の確実な服薬が可能となり,前述の種々のストレッサーも軽減してきた。それとともに導入前にみられていた不安,攻撃などのBPSDも漸減し,導入後平均約1年を経過している現在,それまで頻回にみられた誤嚥性肺炎は認められない。導入後の問題点としては下痢,便秘などの消化管機能異常が出現するが,これらは経腸栄養剤の濃度,注入速度の調節や下剤などで対応可能であった。

 1979年にアメリカの小児外科医と内視鏡外科医によって開発されたPEGは,低侵襲で造設が可能なことから,1998年にアメリカでは年間23万件施行され,わが国でも33,000件実施されている。胃瘻は経鼻経管に比して簡便であり,家庭指導を行うことにより在宅医療をより容易にし,当院でも菅原康文医師らの努力により,胃瘻から離脱できた高齢痴呆患者もいる。種々の理由で食事の経口摂取が困難な高齢痴呆患者の栄養確保のために,われわれは専門医とのいっそうの連携を深め,在宅医療への展開を期待したいものである。
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2001/4 老年精神医学雑誌Vol.12 No.4
百歳老人のこと
松下正明
東京都精神医学総合研究所
 本年(2001年)2月28日に、「きんさん、ぎんさん」の妹、蟹江ぎんさんが亡くなった。享年108。姉の成田きんさんは昨年1月23日に亡くなり、その後めっきりと老衰が進んでいたとのことである。

 ぎんさんは1892年生まれなので、あしかけ3世紀を生きたことになる。めったにみられない記録であろう。わが国では100歳を超えた老人(百歳老人)は珍しくはなくなったが、きんさん、ぎんさんは心身ともに元気で、双子そろって高齢を迎え、しかも愛敬があって、当意即妙の応答もまたほほえましく、金、銀という名前のめでたさも加わって、高齢社会を象徴する「国民的アイドル」(読売新聞)として人気があった。きんさん、ぎんさんは、わが国の老人が呆けずに長生きをしようとするひとつの目標でもあった。

 手元に資料がないので筆者のうろ覚えになるが、2000年、わが国では百歳老人の数ははじめて1万人を超えた。国勢調査に基づいた総務庁統計局による人口動態によれば、百歳老人の数はC1985年1,800人、1990年3,200人、1995年には6,200人で、その数の激増の様子が明らかである。また、Jeste DVの論説(Am J Psychiatry、 157 : 1912, 2000)によれば、アメリカ合衆国の百歳老人の数は、1905年には6,000人であったが、2005年には20倍のおよそ12万人になると推計されている。

 2000年における総人口は、日本1億2600万人、アメリカ2億7800万人とアメリカがほぼ日本の2倍であり、それに加えて、65歳以上人口の総人口に占める割合がそれぞれ17.1%、12.5%、平均寿命が日本で男性77.2歳、女性84.0歳 (1998年)、アメリカで男性73.1歳、女性79.1歳 (1996年)であることを考えあわせると、アメリカで百歳老人が日本のほぼ10倍に当たる10万人もいるということはにわかには信じがたいが、その数字はともあれ、アメリカでは日本と比べて、85歳以上の超高齢老人(the oldest old)の割合が高いことはかねてより指摘されていることである。

 それはなぜかという疑問は学問的にもきわめて重要なことである。100歳まで生き抜くということは、遺伝などの生物学的要因のほかに、個々の性格や体質、身体的健康、心理的ストレス、生活様式、家族や社会という環境要因など多くの因子が関与していることはあえて述べるまでもない。日本とアメリカの差がそれらのいずれの要因に関連しているのか、これから明らかにしていかなければならない問題であるが、少なくとも、超高齢老人にとって、日本よりはアメリカのほうが住みやすい環境であるということには異論がないのではなかろうか。

 きんさん、ぎんさんが日本全国はおろか台湾や韓国に招待され、CMをはじめとしてテレビドラマにも出演するほど人気があったとしても、それでは日本の社会がきんさん、ぎんさんに対するように老人すべてにとってやさしい社会であるのかというと、そう簡単に首肯するわけにはいかない。東京のような大都会に住んでいると日常茶飯事であるが、電車内での若者のわがもの顔の振る舞いとシルバーシートの占拠ひとつとっても、老人が安心して生活できる環境ではない。

 この春、歴史家の立川昭二さんがNHK人間講座で「養生訓の世界」を語っていた。いま、貝原益軒の『養生訓』が静かなブームであるといわれているが、それも老後をどう生きるかの切実な思いが多くの人にあるからであろう。立川さんは、「身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。是を行へば生命を長くたもちて病なし。其一字なんぞや。畏(おそるる)の字是なり」を引用して、『養生訓』の倫理観には「畏れ」「慎み」「惜しむ」があるとした。天道への畏れであり、また生命への畏れであり、畏れをもって慎んで生きることが長命のこつであるという。さらに、江戸は老いに価値をおいた社会、老人が畏敬されていた社会であったとも立川さんは述べている。当時、益軒の『養生訓』がベストセラーになったのは、逆にいえば、老人にとって生きにくい時代であったからこその現象とも考えられ、儒教の世界はともあれ、必ずしも老人が畏敬されていたわけでもなかったと筆者は思うのだが、しかし、少なくとも老人にとって荒涼とした現代社会よりは情のある時代であったにちがいない。

 老後をどう過ごすか、生きがいとはなにかといった老いのあり方論はいまや汗牛充棟であるが、筆者は、個々人の老人観を云々することより、社会や人間環境をかえることのほうが先決ではないのか、百歳老人が幸せに過ごすには老人を畏敬する社会に変革させるほうがさきではないのかという思いにとらわれている。
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2001/3 老年精神医学雑誌Vol.12 No.3
21世紀の高齢者医療
平井俊策
東京都立神経病院
 21世紀がスタートして3か月余りが経ったが、ここで老年精神医学と関連の深い高齢者の問題について少し考えてみたい。
 日本は現在世界一の長寿国であるが、痴呆や寝たきりになってから長生きをしてもあまり意味がない。自立生活ができる寿命を延ばすことが最も大切である。他人の世話にならずに自立生活ができる寿命は、活動的平均余命ともよばれるが、1995年に厚生省が試算したところでは、この期間は65歳の男性で約15年、女性で約18年とのことである。平均余命からこれを差し引いたものが平均要介護期間になるが、この計算によると、1995年時点で65歳の男性では1.5年、女性では2.6年が要介護期間となる。筆者が専門上、寝たきりや痴呆の高齢者を扱うことが多いためかもしれないが、筆者自身の感触からすると実際にはもっと長いような気がする。わが国の平均寿命は現在が頭打ちであり、現在の若い人たちの食事を含めた生活習慣をみると、むしろ今後は短縮するのではないかとの意見もあるが、たとえ平均寿命が短縮しても現在の生活習慣をみるかぎり要介護期間は短くならず、むしろ長くなる可能性さえ予想される。いずれにせよ、生産人口に対する高齢者の比率や痴呆・寝たきり高齢者の絶対数は、少なくとも21世紀の前半までは増え続けると予想されている。したがって、痴呆や寝たきりを予防し、活動的平均余命を延ばすことは、今後の高齢者対策として最も重要なことであり、老年精神医学の重要性もますます増すものと思われる。

 さて、自立した高齢期を延ばしたいと努力しても、高齢になるとこころならずもさまざまな病気になり、その結果、やむなく介護を受けることになる場合も多い。しかし、高齢者を取り巻く医療環境はますます厳しくなっている。すなわち、入院費の逓減制により在院日数が制限され、高齢者向けの施設や病棟でさえ一定期間を限度として包括医療になるため経営上から転院を要請されるようになっている。介護保険が施行されたとはいえ、医療依存度の高い場合には在宅医療がまだまだ不十分であるし、核家族化のために家族に身のまわりの世話をしてもらえる場合も少なくなっている。医療保険の面でも、老人医療への優遇の度合いはますます減少している。受益者負担はある程度までは仕方ないが、年金の目減りと医療費の負担増加のダブルパンチを受けつつあるのが現状である。

 このような高齢者医療の問題とともに、つねに話題になるのが尊厳死や安楽死の問題である。オランダでは安楽死法が議会を通過し、アメリカでもオレゴン州では同様の法律がすでに施行されているが、先日、メーン州では安楽死を合法とする法律が住民投票にかけられ賛否がほぼ半々であったが、僅差で否決された。これは、余命が6か月以内とされた患者さんが、自分の意志で致死量の薬物の処方を受けて死を選ぶことを認める法律の是非を問うものであった。賛成派は「苦痛に耐えて生きることを求めながら、患者に命を終わらせる権利を認めないのはバランスに欠ける」「たとえ痛みがなくとも、ひとりで食事をとりトイレに行くことができなくなった場合には、それを尊厳がないと感じる人にとっては耐えがたいものである」「法律ができても死を選ぶのは患者自身で強制ではない」と主張し、反対派は、「表向きは尊厳のある選択とはいっても、実際上は医療費ェ払えないといったことや、何らかの周囲からのプレッシャーによって死を迫られることになる」「痛みをコントロールしたり、生きたいという気持ちを支えてあげるような環境が整備されていないためではないか」「医療の根本的な意義を損なう」と主張して議論が分かれたが、結局は否決された。末期がんに対する過剰な診療などはたしかに無駄であるが、何らかの病気による末期の患者さんの求めによるものであっても、医療行為が実質的には殺人行為になることはけっして許されるべきではないと筆者自身は考える。これは、末期がんの患者さんが、むしろ精神的な手厚い介護を受けつつ無意味な延命治療を拒否して、ホスピスで痛みのコントロール程度の治療のみを受けて安らかな死を迎えるのとはまったく異なっている。このような法律が通過すれば、最初は厳密な条件下でのみこのような安楽死が認められるであろうが、しだいに適応がルーズになり、何らかのプレッシャーで死を迫られるようになる可能性が必ず生じてくると思われる。現に医療経済面が重視される時代になっており、このような危惧を抱かざるをえない。

 21世紀の高齢者医療は予防が第一であり、次いで早期発見・早期治療が大切であるが、不幸にして末期がんになったり、痴呆や寝たきりになった場合に、過剰でない適正な医療のレベルをどこにおくべきか、死に方の選択をどの範囲にまで認めてよいかの問題を真剣に議論すべき時期にきていると考える。
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2001/2 老年精神医学雑誌Vol.12 No.2
学会専門医のこと
三好功峰
兵庫県立高齢者脳機能研究センター
 世はあげてIT革命とのことで,電車に乗っても若い女性が携帯電話でEメールのやりとりに余念がない様子が目立つ.自分で実際に携帯電話でメールを送ってみると,これが何とも大変なことであり,とても電車のなか,街のなかで簡単にできるような作業ではない.しかし,このような困難な作業も若い人たちにとっては,親しい友人との間で情報を交換する楽しみのためには何の障害にもならないとみえる.

 インターネットは,旅行の際などには威力を発揮する.旅行案内には書いていないような情報を写真入りで手に入れることができる.また,ルーブル美術館にしろ,メトロポリタン美術館にしろ,展示してある美術品の説明を読み,また写真でみることもできる.月並みな表現ながら,実に便利で楽しい時代になったものである.

 ところで,日本老年精神医学会のホームページがつくられていることは承知していたが,うかつなことに,これまで開けてみたことはなかった.先日,試みに日本老年精神医学会のホームページを開けてみると,目に 鮮やかなトップページがでてきた. 学会案内,入会案内,学術集会の案内,学会ニュース,機関誌などの情報とともに,専門医制度のことが詳しく書かれており,専門医の検索が地域別にできるようになっていた.出来上がったホームページをみると,そのご苦労がわかってただただ頭がさがるのみであった.
 ご存じのように,平成12年度より日本老年精神医学会の専門医制度が発足した.専門医の資格としては,(1)日本国の医師免許証を有すること,(2)研修医期間を含め7年以上の臨床経験を有すること,(3)精神科・神経科・老人科・神経内科・心療内科・内科・リハビリテーション科・脳神経外科等の指定医ないし専門医,あるいはこれらに準ずる資格を有していること,(4)老年精神医学の臨床に従事していること,(5)学会で認定された施設において,別に定める研修カリキュラムを修了していること,(6)申請時において,継続して5年以上本学会の会員であること,(7)認定委員会の専門医認定試験および審査に合格することとなっている.しかし,平成17年3月までは,学会加入期間5年以上の先生には移行措置としての専門医試験なしでの認定審査が行われることになっている.これまでに,266人の方々が,この移行措置により専門医となられた.筆者は現在,認定委員会の委員長という立場にあるが,今後,専門医の数は毎年増えていくことが予想される.これまで,痴呆を中心とした老年期の精神障害の診断,治療を行う医師を探すのが大変だ,いったいどのような医療機関に行けばよいのかわからないといった声をしばしば聞いたが,現在では,学会のホームページを開けてくださいと胸を張って言えるようになったわけである.学会事務局に聞いてみると,このホームページには驚くべきことに平成13年1月20日時点ですでに202,365件のアクセスがあったそうである.

 平成12年4月に発足した介護保険制度では,要介護,要支援の認定に際して主治医の意見書の提出が求められている.専門医は,治療を担当する主治医としての,あるいは一般医からコンサルトを受ける専門家としての役割をになう存在となっていかれるものと思われる.
 最近では,科学的証拠に基づく医療(evidence based medicine ; EBM)が重視されている.老年精神医学の領域でも,アメリカ精神医学会から治療ガイドライン,『アルツハイマー病と老年期の痴呆』(日本精神神経学会監訳,医学書院,1999年)が刊行され,エビテンスに基づく治療の評価と推奨が行われている.このような流れのなかで,日常の臨床において治療効果についてたえず正しい評価を行っていくことも専門医としての重要な役目になると思われる.

 また,介護保険制度と同じ時期に成年後見制度が発足した.ここでも,専門医の役割は大きい.これまでの禁治産,準禁治産に相当する「後見」「保佐」に加えて,判断能力が不十分で,自己の財産を管理,処分するのに援助が必要な場合のある者を対象とした「補助」という段階が設定されたが,それらの申請に鑑定書,診断書の提出を求められることも増えてくると思われる.高齢者の権利擁護のためにも,専門医の果たす役割はますます大きくなっている.老年精神医学にかかわる医師のできるかぎり多くの方々が学会専門医としてご活躍されるよう願っている.
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2001/1 老年精神医学雑誌Vol.12 No.1
新世紀と老年精神医学
山田通夫
国立下関病院院長
しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり   与謝蕪村


 寒さはまだ厳しい.そのせいで,ほとんど寝ることができなかった.長い夜もしらじらと明け始め,ほころんだ白い梅の花が見え始めた.

 天明3年(1783年)12月25日,与謝蕪村が68歳の生涯を終える前日の作であることから彼の辞世の句といわれ,春を待ち望んだ蕪村の明るい未来への期待が感じられもするので,冒頭にあげた.

 新しい世紀の幕開けである.もっとも1年前に,新しい千年紀,ミレニアムの始まりであるとマスコミを中心に話題となり,世間を大いににぎわせた.変革のとき,“新しい時代の新しい指針を”と,多くの人は言う.しかし,新しい事態に直面して,戸惑いを覚えたときは,先人の説いたものに戻ってみるといい.永平道元が著した『正坊眼藏』に,次の一節がある.


しるべし,薪は薪の法位に住して,さきありのちあり.
前後ありといへども,前後際断せり.   (現成公案)

 薪は燃えると灰となる.しかし,灰がもとへ戻って薪となることはない.たしかに,薪のまえがあり,あとがあるが,まえが薪で,あとが灰であるとはいえない.過去,現在,未来と前後はあるが,その関係は「際断」されているのである.過去はなく,未来もない.道元は,重要なのは,いまここにある(「而今――にこん」)ということだと言い切っている.こころの世界で,このように因果関係から解き放たれるとすれば,実にさわやかではあるが,それでも悟り切れない思いを抱きつつ,時空は100年前へ飛ぶ.

 夏目漱石は,文部省の給費留学生としてイギリスへ明治33年(1900年)9月に出発する.当時のかの地の「自由と秩序」に感嘆しつつも,ロンドンでの生活は彼の意にまかせず憂うつな2年を送り,この地は嫌いだとこぼすに至る.しかし,このことがのちの漱石の創作活動のエネルギーとなっているのである.一方,同時期のドイツでは,フランクフルト市立病院でアロイス・アルツハイマーが,後年彼の名前が冠せられることになる患者の診察に力を注いでいた.

 19世紀が「自由」を定着させたとすれば,20世紀は「人権」を定着させた世紀といえよう.そして,そのあとを受け継ぐ21世紀は新しい内的価値としての「自然」の確立が期待されるという(加藤尚武).

 世界の総人口は1900年に15億人,60年後の1960年には2倍の30億人,さらに40年後の2000年にはその2倍の60億人となったことを,覚えておられる方も少なくないと思う.これからの40年のうちに,120億人に到達するであろうか.現在の60億人のうち8億人が飢餓に苦しんでいるという事実から,食糧の確保を自然環境保護と平行してどのように達成するか,実にむずかしい問題であるように思える.

 日本人の平均寿命も延びる一方であるが(男性77.10歳,女性83.99歳,厚生省,簡易生命表,1999年より),生物としてどこまでも延びるものではなく,その限界はみえている.たとえば,阪神・淡路大震災やインフルエンザの流行の影響,また,男性では2年連続して自殺が急増していることなどは,平均寿命を短くする要因となっている.寿命の延長が,健康で自立した生活を送ることのできる期間の延長であれば,まことにめでたいことであるが….この生活の質を考慮した「活動的平均余命」あるいは「健康寿命」の考え方,たとえば,健康寿命を生活の質と量と統合した質調整生存率(quality of adjusted life year ; QALY)という考え方が導入されている.わが国の75歳の男性の平均余命9.81年のうちの自立の期間は8.23年と,女性では平均余命12.88年のうちの自立の期間は10.20年と推計されている.この自立期間の長さも世界一といわれているが,“1人でも多くの高齢者が晩節を全うすることができるように”と,老年精神医学に求められるものはますます多くなるであろうと思われる.

 皆様のご研鑽を祈ります.
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