2000/12 老年精神医学雑誌Vol.11 No.12
もう一つの終末期医療
− End - of - life care for the elderly −
三山吉夫
宮崎医科大学精神医学講座
寿命の延長は医学のサクセスストーリーとして語られるが,高齢者のQOLの問題が21世紀には待っている。
高齢者の末期における治療の選択はいつもむずかしい。結局は,患者さんや家族とつねに話し合いながら少しでも安楽に終わらせる方法を模索していくことになる。90歳を超したお年寄りが老人医療施設のベッドで言葉にならない声を発しながら他界していく場面に立ち会うと,人間のほぼ自然な終わりの終末期ケアをわれわれは片手間にしかしていないのではないかと恥ずかしくなったりする。
多くの高齢者は,自分が長年暮らしてきた家で家族にみとられながら死にたいと願っているにもかかわらず,終末は病院でという家族の希望も多い。家族が自然死への対応の煩わしさを訴える場面もあり,日本人は人の死に立ち会う機会がますます少なくなっているように思われる。高齢者はこどもたちの都合で医療−福祉の場で人生の終末を迎えたり,住み慣れない都会に終末の場を与えられたりする。在宅医療,在宅ケアの制度が整ったかのようにみえるが,面倒をみてくれるはずの家族とそれまで暮らしていなかった高齢者が,心身の衰えが明らかになると,慣れた土地を離れていくしかないのが現状であろう。介護保険が始まったものの,その対応やサービスの内容に対するさまざまな苦情を耳にする。このような問題は過疎地だけではない。大都市でも経済的理由で病院にかかることなく,寝たきりとなり適切な医療が受けられないまま人生の終末を迎えるケースも少なくないと聞く。
医療が単に個人の健康や命を守ってあげさえすればよい時代は終わりを告げようとしている。10年前の安楽死事件は,わが国でもそれまで遅れていた死の臨床に関心がもたれ,緩和ケアを目的とするホスピス活動をさかんにさせたことでは意味があった。アメリカでは終末医療に関する教育プログラムが積極的に導入されているが,わが国で“死の臨床”を医学教育に積極的に取り入れているところはほとんどないように思われる。現在の老人医療においても,多くの高齢者が不安をもって人生の終わりを迎えようとしているときに,当然予期される終末においてさえ,死の宣告をするまで“医学の敗北”を認めたがらない医師が多いことが気になる。残念ながら多くの老人医療施設においても,介護者が末期医療に関心をもっていることは少なく,死の臨床に関する知見も乏しい。医師も家族もやっかいな問題として互いに負担を押しつけあって疲れている場面をみることも少なくない。ホスピス医療は,がん患者の末期治療を中心に発展してきたが,高齢者の死の臨床は,ハードのみならずソフトの面でもまったく手がつけられていないのが現状であろう。
日本老年精神医学会では専門医制度が発足し,専門医が誕生した。生物の当然の終わりとして迎える死の臨床は,本学会のこれからの重要な課題と考えられる。長期介護や介護保険に伴う介護プランのなかに,どこでどのような死を迎えたいかのプランも含まれ,支援するプログラムが提供されるようになればよいと思う。人生の終末を決定する権利の保障は基本的人権の保障に等しい。そこでは成年後見制度の利用もあろう。死にゆく高齢者と家族や社会へのメッセンジャーとして医師がその役割をになうこともあろう。ともあれ,お互いに生と死の理解を深める必要がある。
人間はみないつか死ぬのである。超高齢化社会の当然の結果である自然死への対応も同様に発展させる必要がある。こころおきなく死ねることは,最後まで尊厳を認められることであり,人間として実に幸せというべきであろう。それには高度医療機器,薬物よりも宗教,倫理,文化,法律などにもかかわりのある老年精神医学が貢献できるであろう。死の臨床教育は老年精神医学のこれからの大きな課題であると考えられる。ホスピスマインドは医の原点でもあり,自然死と終末期医療の連携がもっと重視されるべきである。幸い2001年の日本老年医学会学術集会では,21世紀の重要な課題である“21世紀のターミナルケアはどうあるべきか”の教育講演が予定されている。
家族という単位で高齢者をケアしていくことがむずかしくなった現在,高齢者が地域で最後まで安心して暮らすためにはどうすればよいか,各自治体の腕のみせどころであろう。かつては当たり前であった“在宅の死”はうらやましい死に方になってきた。人生の終末期医療について市民フォーラムなどを通じて討論を高めていくことも必要と考えられる。
2000/11 老年精神医学雑誌Vol.11 No.11
21世紀における大学病院の医療
赫 彰郎
日本医科大学
教育職を退くまでの37年間,神経病学の臨床・研究に従事してきたが,その間に医療に対する基本的な考え方は大きく変化した.現在教育職から離れ,大学経営に参画しているが,大学病院を経営する立場で医療の質の向上と取り組んでいる.ここで,21世紀医学・医療懇談会報告による“21世紀に向けた大学病院のあり方について”を参考に,医療を中心に大学病院のあり方について述べてみたい.
21世紀に向けた大学病院の経営ビジョン,経営戦略を考えるとき,外部環境の変化を念頭におかなければならない.すなわち,社会環境,外部環境の変化を念頭におかなければならない.すなわち,社会環境,技術動向の変化である.とくに,少子高齢化の問題は,安定的維持発展をしてきたわが国の社会保障制度の抜本的改革を必要としている.また,右肩上がりの高度経済成長の失速による不況の嵐から,いまだ完全脱却できないでいるわが国の経済状態を考えるとき,今後とも医療費抑制の流れは続くものと考えられる.一方,IT革命は医学,医療の分野においても確実に進んでいる.情報技術の優劣が病院経営に直接反映してくる.病院経営における経営資源として,昨今では人,物,金に情報が追加されている.しかし,情報システムの構築には多大な資金を必要とする.
このような社会環境,技術動向の変化のなかにあっても,21世紀に向けた大学病院の基本的な考えとしては,大学病院は医師,コメディカルスタッフ等の医療人育成を行う教育・研修病院であり,研究においては,疾患の原因解明,新しい診断・治療方法の開発,医薬品の臨床治験等の臨床研究を積極的に行う場でもある.医療については,良質な医療を行う場であることが大学病院に要求される.
さて,医療の質とはなにか.大学病院に求められる医療の質の向上とはなにか.質の高い医療とは,治療の全過程で期待しうる効果と予測しうる損失とのバランスのうえでもたらされる患者の福祉を最大化できる医療である(Donabedian A,1980).生活の質の改善および/または生命の長さの管理に確実に貢献する医療(アメリカ医師会)等の定義がある.医療の質を評価する指標としては,技術的要素と人間関係的要素,さらにアメニティ要素があげられる.技術的要素は診療行為であり,人間関係的要素はベッドサイドマナーであり,アメニティ要素には利便性,安心感,プライバシー,おいしい食事等があげられる.医療提供者にとっての医療の質の向上とは正しい医療を正しく行うことであり,正しい医療とはevidence based medicine(EBM)を意味している(岩ア榮著『医療の質』より).
病院経営戦略の立場から医療の質の向上を目指すならば,まず顧客(患者と家族,病院訪問客,診療圏の住民等)の満足度を高めることである.これには情報技術をも駆使した顧客との対話が重要となる.さらに,電子カルテ導入によりカルテ記載の標準化を行い,第三者評価に耐えうるものとする.病歴システムの作成,電子カルテ等の情報を駆使してインフォームド・コンセントの支援を行い,患者に対して納得のいく説明責任を果たす.EBM環境を提供し,医療過誤を防ぐ.clitical path(CP,標準診療計画)を導入し,医療技術の標準化と医療過誤の防止をはかる.CP導入はコストの低減化にもつながる.病院機能の面では,痴呆センター,脳卒中センター,周産期センター等センター化を推進する.院内標榜化も,顧客にわかりやすいように専門外来とともに,頭痛,もの忘れ外来等の症状外来をおく.そのためにも,専門医を多く養成する.同時に,総合外来の充実をもはかる.
地域医療機関との情報ネットワークも重要である.地域医療の中核病院として,高度医療・先端医療の開発と提供は大学病院の使命である.
患者サービスの向上は重要事項である.予約制度の充実,町時間の短縮,投薬,栄養等の指導業務の充実,院内情報の徹底,給食の質の向上,ホームページの開設,医療相談の充実等があげられる.
21世紀に向けた大学病院のあり方について,主として医療の質向上の問題をとりあげたが,当大学においても問題は山積みしている.できるものから改善していきたい.
2000/10 老年精神医学雑誌Vol.11 No.10
高齢期のこころ
清水 信
常盤台病院
高齢期の精神障害を勉強してみようと思い立ってから,いつのまにか30数年の月日が経った.深い思い入れがあって始めたわけではなかったが,当時から人口高齢化の兆しは始まっていたし,核家族化の流れと高齢者世帯の増加につれて生じた貧困・孤独・疫病などの問題,さらには高齢期の生きがい,精神的健康などの問題が社会的に問われ始めていた.
わが国の高齢人口の増加もいまや成熟期にはいり,人口ピラミッドは「つりがね型」から「つぼ型」に移行しようとしている.著者自身も年齢的には高齢期にはいり,いまさらながら年月の経過がますます早まることに驚きを感じている.しかし,実際のところは頻繁に年齢を意識するわけでもなく,時々これからの生き方について漠然と考える今日このごろである.これからの自分の人生で,高齢期における「老いの自覚」,死に対する態度,主観的健康観・満足度,いわゆるサクセスフル・エイジング(successful ageing)などについて,これまでの調査や文献をとおして得られた知見を自分自身で検証しながら振り返ってみるのも一興と考えている.
ここでは思いつくままにその一端を述べるが,高齢期を一括して論ずるのは無理があるので,便宜上高齢期を前期・後期(74歳以前と75歳以上)に分けて考えることにする.まず,「老いの自覚(老成自覚)」が何歳ごろ,どんな契機から発現するかについては従来から多くの検討がなされているが,諸調査の結果は,事態が一般に考えられるほど単純ではないことを示している.その出現時期は大部分が60歳以後で,最も多いのは70歳以後であるが,80歳以後にはじめて生じる場合もある.さらにそれ以後になっても老成自覚が生じない人びとも存在し,きわめて個人差が強い.普段,周囲から年寄り扱いされている人ほど老いの自覚が生じやすいといわれる.
「暁の薄明に死をおもふことあり,除外例なき死といへるもの」という齋藤茂吉の短歌は身につまされ,感慨を覚える.ところで,高齢者はつねに死について考え,死を恐れているように一般には考えられがちであるが,必ずしもこれは実態をつかんでいない.興味深いことに,高齢者後期の人びとよりも60歳代の比較的若い高齢者のほうが死について考え,恐れる傾向が強いといわれる.身体的には元気で,活動性のある年代のほうが,健康を失い,死を迎える恐れに敏感なのかもしれない.
わが国の各地の健常高齢者について,精神老化度と身体老化度の客観的な評価,および各個人自身の「主観的な健康観」と,自分の人生についての過去・現在・将来にわたる「人生満足度」の評価の相互的な関係を検討した研究(藍沢ら)をここで紹介しておきたい.
60歳を過ぎるころから,客観的なデータでは精神老化と身体老化は一貫して進行する.それにもかかわらず,高齢者自身の「主観的な健康観」は全期間とおしてほとんど変化することなく,むしろわずかな上昇すら認められた.この傾向は身体疾患の有無とも無関係であり,一方で心身の老化を認めながら,なおその反証を試みようとする高齢者のアンビバレンスの現れとも考えられる.このアンビバレンスが崩れ,みずからの「健康観」を否定するようになれば,心理的な適応障害の出現を疑う必要がある.
他方,自分の人生に対する「満足度」は60歳代前半ではあまり高くないが,高齢期の前半をとおして増加を続け,70〜74歳でピークに達したあと逆に下降し続ける.心身機能の衰えや社会的・環境的な縮小体験に直面する60歳代前半では満足度は低い値を示すが,その後高齢期の前期をとおしてしだいに現実肯定的になる.この傾向は高齢期後期にはいって(おそらく自己のあり方に対する受容的な態度が低下し始めるために)下降に転じ,以後はしだいに葛藤を強めていくとも考えられる.その理由は不明であるが,この結果は高齢期前期から後期にかけて高齢者の自己に対する認識が変化すること,そしてそれがかなりの程度まで年齢依存的なものであることを示唆するものであり,注目される.
さて,これから自分自身のサクセスフル・エイジングをどのようにとらえ,実践していけるか,いくつになっても難問は尽きることがないようである.
2000/9 老年精神医学雑誌Vol.11 No.9
21世紀への懸け橋
石野博史
福山仁風荘病院
昨年の3月で島根医科大学を定年退職し,21年もの出雲での生活を終えて,岡山へ帰った.いまは福山仁風荘病院へお世話になっており,週に3日勤務している.出雲で暮らしていたときと比べて何という変化であろうか.病院では30人くらいの患者を受け持ち,週に1回の外来で患者さんをみている.また半年のスケジュールで,週に1回の割合で,精神衛生を講義するために看護学校へ通っている.今年の4月には近畿福祉大学ができ,そこでも精神保健を講義することになり,週2回姫路の奥まで通うことになった.
本誌の巻頭言では学問的なことを述べなくてはならないと思うが,いまの筆者にとってはそのような思いつめているテーマもない.
さて,大学という温室の中での21年間の習慣は岡山に帰ってもなかなかもとに戻らなかったが,近ごろようやく世の中がみえてきた.私事で恐縮であるが,筆者の母は今年95歳である.母の生き方は,いまでは手のかからない一種のインアクティブ・エイジングの見本になったと思う.中年のころには母は几帳面すぎてよく妻といさかいを起こしていたが,いまでは年に1回ほど妻をひどいうつ状態に陥れるほかは,平然として日々を送っている.母は非常にやせていて,体重は35kg程度で,大病はないが,視力が衰え,耳も遠くなり,ほとんどしゃべりたがらない.出雲にいたころはそれでも毎日少しずつ庭へ出て雑草を抜いたりしていたが,岡山へ帰ってからは一切やめて,よく陽の当たる8畳の部屋でこたつへ入り,動かない.われわれと同じ食事を3度運ぶとき以外には,私も妻も母との会話はほとんどない.それでも寂しげな様子は少しも感じられない.しかし,母の部屋と私たちの居間のふすまはつねに開けている.新聞を読み,経をあげ,夜はテレビを見て,隔日に風呂へ入り,歯磨き,洗顔の基本的生活は一糸乱れぬ状態であり,非常に自尊心が強い.肉など脂物が好きで,気にいらないおかずのときは黙っているが,好物のときには「ごちそうさま」と言う.退屈ではないかと思い,将来のこともあり,老人ホームのデイケアに参加して1日遊ばせようとしても「話をするのは嫌い」と言って絶対に行こうとはしない.そこで最近は,なにか趣味をもったら,だれかと会話をすれば,などと気遣うよりも,自分のしたいように時を過ごさせるのが最大の親孝行であると思うようになった.
母は若いころから喜怒哀楽の感情のなかで最も目立つのは怒であり,あまり笑うことも,悲しむことも少ない性格であった.「人間は1日中黙っていてはぼける,社会に興味をもち,多くの人との対話がないといけない」などと述べてきた筆者の講義とはまったく正反対の生活をしているが,ぼける様子は少しもない.嫁との対立がつねにこころの張りとなり,いつも負けておれない気丈な母の精神力がぼけない原動力なのかもしれない.いかに会話がなくとも,もはや40年近い同居の結果,人間関係は空気に近い存在となっており,同じ家にいるだけで十分な安心感と休息につながるものと考えられる.たとえば近くの娘のところへ1週間ばかり行かせても,いまだ気をつかう様子であり,早く自宅へ帰りたがる.
島根医科大学に在職中,老人ホームの老人を調査したとき,家族と同居している老人の死後脳も調べた.在宅死亡老人35例中,家族と同居していて脳病変のなかった者は6割いたが,脳に高度老年変化を伴っても痴呆の症状が出現しなかった者が7例(2割)もあった.これは身体疾患もなく,痴呆が起こらず,家族と同居していた老人の例である.母の場合は,島根県下の家族と同居していた老人と似ているように思われる.
母のように明治生まれの者は,親をみるのは子供の役目と考えているが,時代は大きく変化し,親は子どもへの依存から自立を余儀なくされる時代になりつつある.核家族化はかぎりなく進み,自分たちの老後は自分たちで責任をもたなければならなくなっている.そこで生まれたのが介護保険である.さまざまな問題を抱えながら歩き始めた.しかし,介護の需要と供給のバランスがまだとれていない.近畿福祉大学から1日も早く学生が一人前となり,社会に巣立っていくことを願っている.それは,大学で彼らを受け持っている筆者自身の仕事でもある.これからは,医療の領域に福祉が占める割合ははかりしれないものがあると思う.21世紀に向けて福祉という懸け橋をかけ,少しでも整った福祉国家になるように努力することが,これからの課題であると思っている.
2000/8 老年精神医学雑誌Vol.11 No.8
敬老の理念に思う
十束支朗
日本社会事業大学大学院教授
ライフサイクルと精神保健について講義をすることがある.その際,人間の生まれてから死ぬまでの一生は発達のサイクルであると強調している.老年期は,さまざまな身体面での退行は起こっても,精神面では発達なのだと.自我発達の完結期であり,自分を再統合していく課題をもっていると,学生諸君に話す.しかし,老人の性格についての話になり,共通した性格特性をあげる段になると,あまり芳しい話にはならないのである.そこではおおかた,自己中心的,でしゃばり,頑固,孤独,懐疑的,心気的,取り越し苦労をする,愚痴っぽい,保守的……などが性格特性としてあげられる.
はたして,高齢化とともに性格は大きくかわるのであろうか.たとえば,老化により頑固になるとよくいわれる.しかし,必ずしも頑固さが強まることはないという研究報告(Schaieら)もある.たしかに,頑固さが顕著な人はいる.それは,元来そのような人格特性をもっている人で,年をとり,知的能力と判断力などが低下して,自分を抑える能力が弱くなったことにより,もともとの人格特徴がきわだったため(人格の尖鋭化)と解釈される.反面,若いころより頑固な面がなく,柔軟でまわりとうまく調和する人は,高齢になってもその性格傾向はかわらないであろう.かなり長期にわたって人格の追跡調査をした研究でも,基本的な人格は,中年から高年に至ってもかわらないものであることが示されている.そうなると,冒頭にあげた高齢化に伴ってかわりゆく性格傾向というのは,ネガティブ(否定的)なイメージとして先入観的に受け取られているのかもしれない.
アメリカでは,TuckmanとLorge(1952)により老人のイメージに関する調査研究が行われている.この研究は,老人のもつイメージをポジティブ(肯定的)な側面とネガティブな側面の項目に分けて,学生たちがもっている老人観を測定しようとしたものである.わが国での大学生に対する老人観調査研究では,老人のイメージのポジティブな側面として「人生経験はすばらしい」「尊敬している」(二宮・及川による),「やさしい」「静かな」「温かい」(保坂・袖井による)という印象が,ネガティブな側面として「寂しい」「活気がない」(二宮ら),「遅い」「保守的」「地味」「弱い」「非生産的」「強情な」(保坂ら)という印象が強くもたれている.
筆者らは,老人に対するイメージを情緒的に評価するためにSD(Semantic Differential)スケールを用いて,日本と韓国の中学・高校生を対象として調査・国際比較を行った(鄭ら,1999).調査結果は第6回アジア・オセアニア国際老年学会(1999年6月,ソウル)で発表されたが,日韓ともに中・高生は全体的には老人に対してポジティブなイメージをもっており,日本の中・高生のほうがよりポジティブであった.老人が尊敬されているのは韓国では一般的なこととして知られている.それは,儒教の思想に基づくものと考えられている.しかし,以外にも中・高生の調査結果では,必ずしも韓国のほうがポジティブなイメージが高いわけではなかった.
老人を尊敬する肯定的な観念には,やはり昔からいわれているように,人生経験が豊かで豊富な知識をもつ老人というイメージが根拠になっているのであろうか.民話にある「姥捨山」は,殿様のだす無理難題を老婆が解いて命を助けられるという話であり,日本全国に広く語り伝えられている.この理念は老人福祉法にも表現されている.それは第2条に,「老人は,多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として,かつ豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに,生きがいをもてる健全で安らかな生活を保障されるものとする」と記されている.
しかし,今日の社会では,豊富な知識と経験をもっていなければ老人として敬愛されないのかという煩悶も生じてくる.とくにコンピュータ時代にあって,情報関連の機器は老人にとって苦手なものであろう.やはり,敬老の理念は,知識が豊富で経験を生かした生き方に求められるべきものではなく,個人の人権にさかのぼるべきものであろう.老人には,心身の障害の有無にかかわらず,主体性をもって生きる権利があり,それが個人の尊厳であって,老人が尊敬されるゆえんであると思う.それが老人福祉の基本的な理念であろうと考えるのである.
2000/7 老年精神医学雑誌Vol.11 No.7
介護保険法における要介護認定について考える
柄澤昭秀
聖徳大学人文学部教授
本年4月にいよいよ介護保険制度がスタートした.高齢社会における画期的試みとして注目されているが,多くの未解決の課題を抱えたままでの出発であり,問題はむしろこれからである.より良い制度に成熟していくことが期待されるが,そのためにはなお積極的な国民的議論の継続が必要であり,われわれもこの問題に無関心であってはならないと思う.まだ始まったばかりであり,当面は各地で生ずる実務上の問題に関心が向けられるであろうが,制度そのものにもまだまだ検討すべき重要事項が山積みしている.それらのなかで筆者にとっての第一の関心事はやはり要介護度認定の問題である.
本法施行の数年前から全国各地で介護認定モデル事業が繰り返され,その間に現場から認定方法に関してさまざまな疑問が提出された.たとえば,同じような状態にある人の判定に違いがでた,一次判定と二次判定にしばしば食い違いが起こる,体がよく動く痴呆老人の要介護度が低くでる,等々である.これらの結果を踏まえて判定基準等に修正が加えられ,そして昨年4月に厚生省はあらためて一次判定の内容を公表し,要介護認定基準とそれを作成した根拠を示した.この認定基準は厚生省令に定められ,認定はこれに従って行われることになった.このようにして現在の認定方法が正式に決定されたのであるが,これには今後早急に検討すべき基本的な課題が残されていると思う.その問題とは,認定の根幹をなす一次判定および二次判定について,いずれもその方法の妥当性と信頼性がまだ検討されていないことである.それがなされないまま実用化されてしまった.このことが表立って議論されたことはなかったようであるが,筆者は,かつてある地域の認定モデル事業に審査委員として参加したときからこれが気になっていた.老年精神医学の領域でもこれまで多くの臨床的評価尺度が開発され使用されてきたが,新しい評価法を開発して広く実用化しようとする場合は,必ずその方法の妥当性と信頼性の検証が求められる.それがないと,その評価法が本当に評価したいものを測定しているのか,また使用する人によって結果がばらつくことはないのか,判断のしようがない.要介護認定で一次判定と二次判定の結果にギャップが生じることが以前から問題にされているが,そのことよりも,それぞれの判定法の妥当性が示されていないことのほうが問題である.両者のギャップが大きいから一次判定が不当であるとはいえないし,両者のギャップが縮まったからといって一次判定の妥当性が実証されたことにはならない.一次判定より二次判定のほうが確かであるという証拠はなにもないのである.一次判定および二次判定が行われた事例を専門家が実際に訪問して審査し,その結果との一致不一致を確かめるという作業が必要である.
省令に定められた要介護認定基準は時間で示されている.たとえば,要介護3は「要介護認定基準時間が70分以上90分未満である状態」である.そして説明によると,この認定基準時間はあくまでも「介護の手間を評価する尺度」であって,家庭で実際にその人を介護するときに要する時間とは異なるという.まことにわかりにくい尺度であるが,それはともかく,このような独創的な評価尺度であればあるほど,さきに述べた妥当性の検証が重要になる.
さらに,厚生省が示した「状態像の例」とその取扱いにも疑問がもたれる.現在,二次判定の際には「状態像の例」を参照して審査することになっている.しかし,その参照すべき事例は,まだ妥当性の確かめられていない一次判定によって判別された各グループのなかから抽出されたものであり,ここで示されている「状態像」とは,各事例の一次調査項目の結果(主として中間評価項目の得点)である.結局,ある人の一次判定の結果を,同じ判定基準で判別された他の人の結果と比較するのであるから,両者は一致するのが普通であろう.これが適正な判定にどう役立つのであろうか.
個人の要介護度をコンピュータ処理によって判定するという方法の開発は非常に魅力的な研究課題であるが,たいへん困難な課題でもある.国の事業としてあえてそれをするからには,必要とされる基本的手順をきちんと踏むのが当然であり,少なくとも妥当性と信頼性の検証はなされなければならないと思う.予定されている厚生省の「認定のあり方の調査研究」のなかでこれらの問題の検討が行われることを切望する.
なにによって評価するにしても,「介護の手間」とは「介護に際して人間にかかる負担」であり,それは臨床的に観察される介護の実態と一致するものでなくてはならない.尺度の開発も必要であるが,一方でさまざまな介護のレベルにある具体的事例を蓄積していくことが大切であると考える.
2000/6 老年精神医学雑誌Vol.11 No.6
加齢と老化と痴呆
山口成良
松原病院院長
加齢(aging)と老化(senescence)と痴呆(dementia)とは,その意味するところは異なるg,往々にして区別されずに使用されていることが多い.また同一個体でも,これらが渾然と一体をなしている場合があり,ますます説明しにくいことがある.
加齢は生物の経過時間であり,ヒトでは365日経過すれば1歳加齢することになる.老化は単純な加齢とは異なり,香川靖雄によれば,「時間経過に伴って起こる臓器の不可逆的,進行的な縮小,組織の退行変性,組織成分の変化である.老化によって一般組織の細胞数が減少して,機能が低下し,個体は主として梗塞やがんで死亡する」とされる.すなわち,老化とは加齢とともに死に至る経過である.一方,痴呆は,「いったん正常に発達した知的機能(高次の精神機能)が後天的な脳の器質性障害により持続的に低下し,日常生活や社会生活に明らかな支障をきたすようになった状態」と一般に定義されており,一種の機能的診断であり,症候群である.このように加齢と老化と痴呆はそれぞれ定義が異なるが,最初にもふれたように,同一個体でも加齢とともに老化し,痴呆に陥るということが日常臨床でも多くみられることである.
ところで,脳の老化をどう評価するかが問題である.本誌においても,「脳の老化」の特集(第7巻第7号,1996)が組まれたこともある.筆者は,平成9〜11年度までの過去3年間,厚生省の長寿科学総合研究事業の一環である「脳の老化の症状評価における生理学的指標の応用に関する研究」の主任研究者として,分担研究者とともに,覚醒時脳波,睡眠脳波,脳波コヒーレンス,睡眠構築,昼夜の活動量の比,眼球運動,深部体温リズム,メラトニン分泌リズム,脳波の伝播,事象関連電位,SPECT,fMRI,PET,脳磁図など,生体の自発活動・種々の刺激に対する反応を電気生理学的,神経生理学的指標によって把握し,加齢に伴う老年期の脳の老化の症状評価をすることを目的として研究を行った.限られた紙幅でその全貌を紹介することはできず,また分担研究者の氏名も,逐一あげることをせず,ここでは脳波に関する研究だけに限ってその2,3を紹介したい.
覚醒安静時と白色点滅光刺激中の脳波について,Quick EEGを用いてA/D変換と高速フーリエ変換して得られた結果を6帯域マッピング,スペクトル表示,含有量などで解析した結果は,3年間を比較して,改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)とMini-Mental State(MMS)などの知的機能検査において加齢による有意差がないかぎり,同一個人においてはほとんど同じであり,脳波をみて,これがだれの脳波かを当てることができるほどであった.すなわち,脳波の自発活動と光刺激による光駆動の態度は,同一個体において3年間同一の特徴を示した.Hubbardらは,健康な百歳以上の人の後頭部脳波の背景リズムの平均周波数は,なお8Hz以上(8.62c/sec)であると報告している(EEG J,1976).この点からいえば,健康な老人の脳波は加齢による影響をあまり受けないように思われる.脳波が徐波化するのは病的な加齢といえるかもしれない.
しかし,視覚性事象関連電位のP300潜時の延長率では70歳代以降に,誤反応率では80歳以降に加齢の影響が明らかになるという研究から,これらの成績が加齢による脳の老化の過程を反映しているのかもしれない.
ところで,加齢に伴い全般性に認知機能の低下が起こるが,なかでも視空間課題が言語課題に比べて加齢による影響が強いことが知られている.これは右半球の後方連合野の老化が他の領域に比較して早期に進行することを示唆しているが,現在のところ,認知機能の選択的加齢性変化に対応した大脳皮質の領域選択的変化は確認されていない.そのため,後方連合野ではなく前頭葉の実行機能の低下が原因であるとする説も有力である.そこで,正常加齢に伴う大脳皮質の領域選択的変化が,脳波を生理学的指標として検討された.すなわち,脳波のα波の伝播について,動画像解析(ポテンシャル・フロー法)と時系列解析(相対パワー寄与率分析)の2つの方法で検討され,その結果,動画像解析では右半球の,相対パワー寄与率分析では左半球の後方連合野で加齢変化がみられ,加齢が領域選択的に影響し,加齢変化が前頭連合野ではなく,後方連合野に始まることが確かめられた.
アルツハイマー病でも,病初期から後方連合野(頭頂・側頭・後頭部境界領域)に変化が始まることが指摘されており,加齢と老化と痴呆とは画然とした区別があるとはいいにくいこともあるというのが臨床の一面であろう.
2000/5 老年精神医学雑誌Vol.11 No.5
21世紀の課題
池田久男
高知医科大学学長
昨年末から新年にかけて,高知医科大学がコンピュータ2000年問題の対応に追われたことは,他施設と同様である.本学の対応マニュアルによると,学長は自宅待機と指示されているので,年末年始は外出もせず,自宅でテレビを楽しませてもらった.NHKの年末特集「映像の世紀」を鑑賞しつつ,20世紀を振り返り,21世紀に思いをはせた.
医学を含めて,科学・技術の目覚ましい進歩は20世紀の大きな特徴であり,人類社会が地球規模で大きく発展したのも本世紀にはいってからである.しかし「映像の世紀」でみるかぎり,20世紀を特徴づけるものは,戦いと争いの連続である.わが国も第二次世界大戦で苦い経験をしている.2つの世界大戦のほかにも,ほとんどつねに地域的紛争や内戦が地球のどこかで勃発したのである.民族,人種,宗教,思想の違いを暴力で解決し,自己主張してきた.その結果,大量の難民を産み,深刻な飢餓を招いたのが20世紀である.
20世紀は,先輩がわれわれに教えてくれたほど輝かしい世紀ではなく,後世に誇りうる世紀でもなかったように思う.一言でこの世紀を表現するならば,「暴力の世紀」「戦争の世紀」と評価されるべきである.この世紀の輝ける成果である科学・技術の進歩も,すべてとはいわないが,戦いに勝つための,戦況を有利にするための,二次的効果であると見なしうるものが少なくないのである.この20世紀も,今年1年で,100年の歩みを終えようとしている.
21世紀はどのような時代なのであろうか.21世紀の特徴を予測し,予言する力は筆者にはない.ただし,20世紀の特徴である「暴力」に対比して,21世紀には何としても克服しなければならないものがあると平素から考えている.それは「無関心」である.20世紀が「暴力の世紀」であるならば,21世紀は「無関心の世紀」で特徴づけられるのではないかと危惧しているのである.われわれの世代も例外ではないが,とくに若者,学生,青壮年諸君の,自分以外の周囲の出来事,行事,大学を含む社会の変化,国や地方自治体の活動,世界の動き等に対する無関心さが筆者には大きな不安なのである.
この「無関心」は,平和が50年続き,暴力である戦いを体験せず,物質的な豊かさに恵まれた日本人に特徴的というものではなさそうである.世界中,なかでも先進国に共通する問題のようである.この無関心の症状(?)は,20世紀の末期にはすでに顕在化しているように思われる.たとえば,多くの先進国で選挙の投票率が低下し,それを食い止めるのに苦慮しているが,これも無関心の具体的な表現とみることができるのではないだろうか.
無関心の広がりは,人類社会の営みや秩序を質的に変化させ,世界観や価値観を根底から覆すものではないかと筆者は危惧している.「従来の概念からすると,愛の対極には憎しみ,善の対極には悪,賛成の対極には反対があげられるが,もし,愛の対極は憎しみではなく無関心,憎しみの対極も愛ではなく無関心,賛成の対極は反対ではなく無関心,反対の対極も賛成ではなく無関心というように無関心に入れ替えてみると,最近の世相が浮かび上がってくるように思えるのである」.
ノーベル平和賞受章者のエリ・ヴィーゼルは,上記の言葉を例にあげて,「無関心と戦うことが新世紀の絶対的な至上命令である」と述べている.たしかに精神科医にとって,無関心や無感動は,手ごわい精神症状である.しかし,教育に携わるわれわれにとっては,いかに若者が自分自身のことだけではなく,周囲のこと,社会のこと,世界のことに関心を向けることができるように指導するかが最も重要なことである.医学教育や看護学教育においても,学生に個々の病態を教科書的に講義するだけでなく,病む人びとの生活環境や将来に,関心をもってこそ真の医療人としての責任が果たせるのであると教育していきたいものである.本年4月から発足したわが国の介護保険制度に対しても,将来の医療人を育成する立場から,大学は医学生や看護学生により積極的なかかわりを求めるべきではないかと反省している.
国立大学にとって,今年はきわめて重要な年である.本年4月には,文部省が従来の国立大学の設置形態に抜本的な変革の方向を示すと予告されている.この変革に際し,大学関係者のみでなく,学生や卒業生は無論のこと,一般市民が,わが国の高等教育のあるべき姿に対して,けっして無関心ではなく,強い関心をもって意見を述べてほしいと願っている.
2000/4 老年精神医学雑誌Vol.11 No.4
21世紀へ
大友英一
浴風会病院院長
戦争の世紀といわれ波瀾万丈の20世紀も,あと8か月ほどとなった.この世紀を2/3以上生き,海軍士官を養成する海軍兵学校の生徒として終戦を迎えた筆者としては,戦争に参加したともいえるので深い感慨を覚えるのである.
20世紀はまた,「科学の世紀」ともいわれる.人類を幸福にしてきた科学が,一方で戦争の悲惨さをより深刻化させ,精神の荒廃をも招いた.
ごく最近,耳にしたことであるが,ある公立病院新設に際して病院内の多くをコンピュータ化したところ,医師も看護婦もキーをたたくのに,忙しく,患者の顔も見ようとしないため,患者からクレームがでたとのことである.医療従事者の権利放棄,医のこころの喪失ともいえよう.
新たな千世紀の第1日を迎えるにあたり,科学の粋であるコンピュータの2000年問題で世界中がびくびくしていたことは何とも象徴的かつ皮肉な話である.
いまの世相をみるかぎりは,21世紀に期待することはほとんどない.したがって,こうあってほしいこと,望ましいことのみを述べるにとどめておくことにする.
まず医療面においては,病気の予防に全力を尽くすべきである.これは,かねがね主張してきたことであるが,21世紀は,とくにこのことに力をいれてほしいと思う.いったん病気になれば,患者本人の苦痛はもとより,家族や介助者の負担,社会的損失,医療費の増加等,どこをとってもよいことはない.予防に金を使い万全を期すことにより,これら多面的損失が免れるのであれば,これほど結構なことはないではないか.
21世紀において,医学的,社会的に最も大きな問題のひとつは,老年期痴呆である.とりわけ21世紀の前半には,確実な増加が予測されている.筆者はかねてから,その予防として次の3点を提案してきた.
(1)脳の老化を防ぐ(遅らせる)output説の提唱
(2)各種脳循環代謝改善薬が第3相臨床試験の成績により知的機能低下にある程度有効であることから,これらを用いて多数の健常高齢者を対象として痴呆予防の治験を行い,その成績によって健保から外して市販する.
しかし1998年に,おもな脳代謝改善薬は認可取消しとなった.医療制度や国情に合わないGCP(Good Clinical Practice),新GCPの導入により,治験対象に偏りが生じ,プラセボ効果が異様に上昇(開発時の2倍)したためである.中央薬事審議会はこのプラセボ効果上昇を十分に検討し,ひとまず健保から外し,必要に応じて再々評価を指示すべきであった.痛恨の極みである.
浴風会病院の剖検例の検討によれば,この10年間で脳血管性痴呆は減少し,過半数がアルツハイマー型痴呆となり,欧米先進国と似たパタンとなっている.この傾向はほかでもみられ,また脳血管性痴呆の症候の軽症化も報告されている.理由として,脳卒中後遺症に対する抗血小板療法(抗血小板薬および抗血小板作用を有する脳循環改善薬による)の普及があげられる.にもかかわらず昨年は脳循環改善薬までが認可取消し,適応除外あるいは縮小となり,治療の選択肢が急減した.嫌がらせとしか思えない根拠のない2年以内の再評価実施要求等のため,新GCP下での治験は不可能であるとして申請を断念した製薬会社も少なくない.上記の処置は,2010年までに脳卒中を40%減らしたいとの厚生省の目標の実現を困難にすることはまちがいのないことであり,まさに逆行である.脳梗塞再発の増加,脳血管性痴呆の増加というしっぺ返しが強く懸念されるのである.
(3)健康保険にある程度生命保険の概念を取り入れる.
3〜4段階に分け,明らかに危険因子を有する場合,保険料を上乗せする.
なにより21世紀に期待をもてない大きな要因を,現代の若者が占めているといいたくなるのは筆者だけであろうか.いまどきの若者は人種・性別不明で,公共の場所に座り込んでの飲み食い,乗り物の中でのわざと醜悪を見せるためとしか思えないような化粧等々の行為に及び,自分たちの世界にだけ立てこもり,他者を思いやろうともしない.彼らは「キレる」を連発するが,我慢もできずになにが「キレる」のか.
「我慢する」「人の痛みを思いやる」等の徳性は,親,とりわけ母親が身をもって教え,根気よくしつけてはじめて身につくものである.しかし,いまの若い母親の多くは「キャリアウーマン」という言葉にくすぐられ,「社会参加」に憧れて,家事や育児を蔑視する.有体に言えば,家において根気のいる子どものしつけをするより,外で働いて金を得るほうが楽だからであると考えているとしか思えない.一方で,子どものこころに害毒を流し続ける俗悪なマスコミ記事,番組は何とかならないものか.教育面において,よほどの意識改革がないかぎり,言い換えれば,利己主義から脱却しないかぎり,21世紀の幸福はありえないと思うのである.
2000/3 老年精神医学雑誌Vol.11 No.3
腕につけると止まってしまう腕時計
亀山正邦
住友病院名誉院長
最近のNew Engl J Medのcorrespondenceに,面白い報告が載っていた1).68歳女性のことで,話題は腕につけた時計が止まってしまうというのである.この女性の夫が,妻と娘とに自動巻き時計を贈ったところ,女性(妻)が時計を左腕につけて2〜3日すると,止まってしまう.彼女は時計を製造業者へ送り返し調べてもらったが,業者は,何の故障もありませんと,返事をしてきた.そこで彼女は,娘の時計と交換した.しかし,娘の時計をつけても2〜3日後にはまた,止まってしまった.彼女のもとの時計は,娘が使用していたが,よく動いているので,娘からそれを返してもらった.そして今度は,その時計を右腕につけてみた.すると,時計は正確に動いた.しかし,普段,時計を右腕につけることには馴れていなかったので,左腕につけかえた.そうすると,2〜3日のうちに時計は再び止まってしまった.そこで彼女は,自動巻き時計をあきらめて,電池式の時計を買い入れ,それまでのことは忘れてしまった.
3年後,彼女の左手に振戦が出現してきた.診察すると,上肢には軽度の運動緩慢と固縮とがあり,パーキンソン病特有の安静時振戦がみられた.彼女はL-ドーパ治療を受け,症状は改善した.
自動巻き時計には電池やぜんまいなどは使用されていない.腕の自然の運動で内部のスプリングが巻かれるという,内部歯車機構で動くのである.したがって,運動がなくなれば,時を刻まなくなる.振り返ってみると,この女性の自動巻き時計は,左手に装着したときには動かなかった.それは左上肢の自然の運動が欠如していたためであったが,その程度は非常に軽く,この時計の動きを止めるのに十分であるとは気づかれなかった.
このリポートは短いものであるが,はなはだ示唆に富んでいる.akinesiaことにhypokinesiaなどは,それが単一症候であるときには,専門家がそのつもりでみないかぎり見逃されてしまう.自動巻きの時計が止まる(それも左手に装着したときだけ止まる)という事実は,本人にとっては重大な事実であり,時計やと相談したり,娘の同型の時計と交換したり,あるいは,右手に時計を装着したり(その時はよく動いた),さまざまな工夫が重ねられている.やがて自動巻時計をあきらめ,電池式のものを使うと問題はなくなった.しかしその後3年たって,重大な事件が起こった.左手に振戦が出現したのである.ここまでくればパーキンソン病の診断は困難ではない.彼女の症状はL-ドーパによく反応して改善した.この女性の場合,freezing of timeは,パーキンソン病の最初期の症状であったのである.
このエピソードは,臨床医学の機微にふれた問題提起であり,このような事実から,われわれは多くのヒントを得ることができる.しかし,このような,発見の基本にかかわる問題でも,「ヒトの臨床」をbaseとした研究の評価は低い.これは重大な問題である.アメリカのNational Insitute for Neurological Disorders and Stroke(NINDS)における研究費・賞金獲得者の数をM.D.とPh.D.とで比較した成績がある2).賞の数をみると,1972年と1992年でMDは737→808件とほとんどかわらず,Ph.D.は1,436→2,766件と約2倍に増加している.これらの傾向は,医師・研究者(physician-scientist)が減少していることを示している.このような状態はなげかわしい.医学生が,すぐれた基礎的科学のレベルと,高度の臨床的技術に接触できるようつとめることが最も重要である.加えて,M.D.-Ph.D.学生が,神経学の領域に関与することを強く要望しなければならないという.
多くの発明・発見は上述のような,単純な,しかし非凡な事実の確認から出発している.腕時計が止まる(そことにはかなりの偶然が重なっていた.母娘で同じ型の自動巻き時計を持っていたこと,母の左手にかけた時計が止まったこと,右手に付け替えると動き出したこと,娘の時計と交換してもやはり止まったこと)その3年後に,母には明らかなパーキンソン病が現れた.世間には平凡な事実が,あまりにも多い.しかし,その平凡さのなかに,きらめくものを見いだすことが,真の発見であろう.人間の世界のありふれた事実を,一歩退いて,観察する,それが,本当のclinical eyeというものであろうか.教えられるることの多いletterであった.
[文献]
1) Mazzoni P, et al.:The freezing of time as a presenting symptom of Parkinson's disease. New Engl J Med, 341:1317(1999).
2) Pedley TA:The changing face of academic neurology;Implications for neurologic education at the millennium.Neurology, 53:906(1999).
2000/2 老年精神医学雑誌Vol.11 No.2
2つの使命
新福尚武
ライフ・プランニング・センター
日本老年精神医学会(以下,本学会)あるいは本誌には2つの使命があると思う.ひとつは,立派な臨床医を1人でも多く育てるように,もうひとつは立派な研究が1つでも多くでるようにつとめることであるが,このようなことはいまさらいう必要はないことであろう.最近まとめられた本学会専門医制度規則によると,この制度はすぐれた学識と臨床の技能を備えた臨床医を養成することを目的とするとなっているが,本誌はその目的を達するための重要な任務を分担しているのだと考えてよかろう.
問題は,すぐれた知識と臨床を備えた臨床医になってもらうための具体的方法はどうあるべきかを考えることである.というのは,医療一般でもそうであるが,とくに老人医療では,その対象は疾病ではなく人間であるということがよく理解されないかぎり,医療は成功しないからである.
老人が単一の病気に悩んでいることはまずない.数病はおろか十数病をもっていることもまれではないので,それぞれの意味付けや相互の関係づけ,あるいは総合的理解のうえでの生きた実際的医療にならなければならない.
体だけの問題ではない.病むことはそれだけで大きな心理的打撃になり,そこからさまざまな取り越し苦労,不安,悔い,怒り,抑うつなどが発生する.「もう歳ですから,諦めがついています」と言っても,実際はそうではなく内心深刻な葛藤に悩んでいるのが普通である.しかも,多くの場合,家族,その他の人間関係が絡んでいる.こうして,病は二重にも三重にも,二次元にも三次元にも拡大しているので,原病だけを処理するという治療法は実情に合わないものになる.
なお困ることは,治りがはかばかしくないのが普通だということである.部分的には軽快しても全体的にはそうではない,あるいは主治医はいちおう目的を達したとしても,本人は満足しないなど,さまざまなことが起こり,結局は老人の生き方を考えなければならないことになる.つまり,価値観,人生観の問題にならざるをえない.
生き方となると,医師が主導権を握るわけにはいかない.せいぜい,助言,示唆を与えることくらいしかできないが,ここで医師の人生観が問われる.年若い医師は老いの知識はあっても体験はないのであるから,ややもすると知的理解にすぎないこともある.
このように考えてくると,精神科で立派な臨床医になることは他科の場合よりはるかに困難であること,ただの知識,技術の修得だけではすまされないものの多いことに気づく.専門医制度には「倫理観を備えた臨床医」と特記されているが,それはこのような事情から立派な臨床医になるには高いモラルを備えていなければならないことを強調したかったからであろう.ともかく,老人をじょうずに取り扱うことは,けっして生やさしいことでないことを自覚しておかなければならない.
さて老年精神障害については,未解明のことがまことに多く,そのため立派な診療をしようと思っても,そうはいかないのが現状である.したがって,せめて重要問題だけにかぎってもよいから,しっかりした指針が欲しいものと考えるが,それには基礎と臨床との共同研究が急速に進まなければならないと思う.共同の目標を視野の中心において,双方の接点を追及していく研究がもっとあってほしい.基礎はひたすら基礎の世界を,臨床はひたすら臨床の世界を研究するというのは純粋で,透明度が高く,それだけやりがいがあるのかもしれないが,筆者は,基礎と臨床の双方がそれぞれの立場を越えた新しい立場に立って,相互理解を深めつつ共通の問題に向かって接近をはかることは,けっして魅力的でないことはなく,きわめて実り多いものになると信じて疑わない.
われわれの先輩の精神科医の多くは,脳病理などの基礎的研究をしながら臨床にあたっていたため,患者の取り扱いがむしろ堅実で,偏りの少ないものであったと思う.ところが,精神医学の進歩が必然的に,分業,専門化を求め,その結果として人間全体を取り扱うという本来の使命がないがしろにされる傾向をもたらしたのである.しかし,少なくともわれわれはそれを是正していきたいものである.そのために,重要問題への接近に関して全体的,総合的でありたいものだと思う.
最も重要な問題と考えるのは,うつ病,パーソナリティ障害,痴呆などであるが,いずれについても情報は多いが,問題の核心をえぐったとされる研究は多くないように思われる.基礎的研究と臨床的研究がバラバラで,両者の接点をどこに求めればよいか,素人のわれわれには見当がつかないのである.
痴呆に関しても同様で,その本質をどのようにとらえ,それと脳との関係をどのように理解するかという根本姿勢がしっかりしていない.E. Bleulerが早発性痴呆を精神分裂病と改称したのは,ただの名称変更ではなく,痴呆の本質についての理解の進展からであったが,前頭葉痴呆,側頭葉痴呆など,痴呆があたかも脳の巣症状であるかのような呼び方の続出は,退歩ではあっても進歩ではないであろう.
2000/1 老年精神医学雑誌Vol.11 No.1
日本の老年精神医学
―― 2000年を迎えて ――
長谷川和夫
聖マリアンナ医科大学副理事長
2000年という世紀の節目にあたり,格別の感慨をもって新春を迎えられたことと思う.老年精神医学をつねに自分の専門生涯の中心においていたひとりとして,緊張感をもって巻頭言に感想を述べさせていただく.
過去はつねに現在の背景にあり,現在は未来をつくりだす.すでに今世紀の初頭には,老年期精神疾患の記述がなされていたが,老年精神医学が本格的な体系をもって登場してきたのは,1960年代のことであった.わが国でも,人口の高齢化が課題として表面化されるまえに,すでに先駆的な業績が蓄積されていた.たとえば,三浦百重の編集による『老人の精神障害』(1956,医学書院)には金子仁カ,新福尚武,猪瀬正のすぐれた総説があった.1970年代のはじめ,筆者らが老年者の精神障害についての疫学調査を始めたころ,欧米では関連の教科書が2,3あったが,同書はわが国では唯一といってよいモノグラフであった.感激をもって読んだものである.
1985年3月にスイスのバーゼルで開かれた国際老年精神医学会(IPA)の役員会の席上で筆者は,まったく突然に当時のドイツ代表Bergener教授から1989年にIPAの学術大会を日本で行うことの提案を受けた.開催国の指名をめぐって国際間での競争が激しかったこともあって,ここは受けるべきと一瞬の間に考えて承諾した.しかし,そのあとが苦労であった.まず第一に,IPAを迎える学会組織をつくることを考えた.そして,大阪大学医学部精神科の西村健教授(当時)と相談して,1986年に日本老年精神医学会を研究会のかたちで設立し,川崎市の日航ホテルで第1回研究会を開催した.参加者は,100人に満たなかったと記憶する.その後本学会は,1989年に多くの会員の協力を得て,第4回のIPA総会を東京で行い成功裏に終えることができた.そして現在,わが日本老年精神医学会の会員数はすでに1,000人を超えるに至り,さらに増加を続けている.
最近,日本老年精神医学会は,日本老年医学会,日本老年社会科学会,日本老年歯科学会および日本基礎老化学会に続き日本老年学会に新しい組織体として加わることになった.このことにより,本学会が上記4学会とならんで大きく発展することを期待したい.21世紀にはいってまもなく,2002年には横浜で国際精神医学大会(WPA)が,そして2003年には大阪でIPAの総会が開催される.わが国の老年精神医学の業績や情報が世界に向けて発信される機会が次々とやってくる.老年精神医学が今後さらに発展することは言を待たないが,老年精神医学のもつ魅力を知ってもらいたいと念願する.デンマークの精神科医ニールセン教授が,「老年精神医学は本当にすばらしい領域だ」と繰り返して述べていた.老年精神医学の魅力は,一体どこにあるのであろうか.
精神医学のもつ宿命的なアプローチとして,生物学的な手法と精神病理学的な手法がある.また,精神疾患の分類の考え方として,器質性と機能性という視点がある.老年精神医学では,この2分極が鮮明化するとともに統合性がみられることに魅力があった.もうひとつの特徴として,加齢に伴う精神障害を理解しようとするときに数学の微分と積分に対比できるような類似性がある.時間の経過とともに病状を追跡する縦断観察が重視されるが,症状の重症度を縦軸とし,時間を横軸にした微分性が考えられる.また,生活史上に起こった事象が集積されて現在の状態像がつくられている点には積分性が考えられる.これは臨床老年学に共通しているところであるが,老年精神医学はその特徴がさらに強いと思う.要するに,異なる概念の分析と統合が繰り返される葛藤性と著しい個別性が老年精神医学に魅力を与えているのであろう.
新しいミレニアムを控えて,革命的な新風が医療と福祉の領域に吹き込んでいる.たとえば介護保険制度が2000年4月から導入されるが,痴呆の診断や介護の判定にかかわることが求められ,あるいは一般医を対象として痴呆の診断技法についての普及活動が期待されることも予想される.同時に施行される成年後見制度についても,痴呆の認知機能障害の程度についての従来の準禁治産と禁治産の2段階から補助,保佐および後見の3段階評価へとよりきめの細かい精神鑑定を効率的に行うことが求められている.老年精神科医は,これらの社会的なニーズに応じなければならない.そして老年精神医学の熟成は,このような社会的ニーズに対応するうえで喫緊の課題である.この大切な時期に,老年精神科医の養成を目指した日本老年精神医学会専門制度が発足する.これを契機にして,この領域の教育診療機関が研修コースを組織化していくことを強く期待したい.