1995/12 老年精神医学雑誌Vol.6 No.12
老人ホームのアンサンブル
河合 眞
昭和大学藤が丘病院精神医学教室講師
 丘の上の看護学校での老人看護の講義を終えて老人ホームに向かうと,近づくにつれて打楽器の音がしだいに強くなってくる.日本の跳躍的な付点音符リズムに俗曲的(長唄風)な香りがするメロディが軽やかに合わさってくる.自ら演奏する人もあれば,車椅子の人や寝たきりの人でも手指足先で拍子をとり,またそのリズム感を体で受け止め,楽しさとして示してくれる人もある.
 入所者からなるアンサンブルの演奏であるが,ほかに精神科医,心理療法士,保母,寮母,看護婦,生活指導員,実習の看護学生,地元のボランティアの主婦らが参加している.このアンサンブル結成の経緯を振り返ってみると,いくつかの小さな川が合わさって大きな川ができるように,直接,間接を問わずさまざまな分野のひとびととの出会いによるものと考えられる.
 われわれの音楽活動は,隣接する病院の老人病棟に面した庭で,現在,オーケストラの指揮をしている心理療法士たちと進めている,鶏を飼い,草を刈るという農村風景の再現の延長線上にあったのではないかと思う.いわゆる痴呆老人病棟,リハビリ病棟では,カラオケやキーボードの伴奏で歌ったり,みなで音楽を楽しんでいた.
 一方,老人ホームに往診に行った際に行う看護婦たちとの話し合いは,いつしか寮母,生活指導員をも巻き込んだケーススタディの時間となっていった.
 この2つの支流が合流した地点にアンサンブル結成の萌芽が見いだされるが,実現に至る過程には他の流れとの出会いが必要であった.
 「老人ホームで音楽をやるのならアンサンブルをつくったら」「お年寄りが演奏できるように曲をつくってもらったら」「バイオリンも入れたら」等,現在も筆者が指導を受けているバイオリニストの助言を受け,われわれはその実現のために試行錯誤を繰り返してきた.彼女は作曲家武満徹の作品のパリ初演の大役を果たしたこともある,現代音楽に理解を示す人である.加えて,老人ホームの地域性を考えた民謡のリズム,メロディを取り入れた打楽器曲をわれわれの老人フィルのためにつくってくれた作曲家の協力がなかったら,アンサンブルは夢まぼろしのものでしかなかったと思われる.四季を通じての谷川岳の麓での作曲家を囲んだわれわれの合宿から,これらの曲は生まれることになる.彼はドイツで日本の音楽に開眼したという.時に老人ホームに足を運んでは,利根川の川面に漂う霧に作曲の想を練っている.
 われわれの老人フィルは,のちに市民ホールの“檜舞台”を踏むことになるが,これは“月の砂漠”の作詞者,野口雨情の作である“竜ヶ崎小唄”の保存会会長の発案によるものであった.彼女は聴衆にすぎなかったわれわれを舞台に引き上げてくれたが,自ら和太鼓を教え,毎年われわれの下稽古にも立ち合ってくれている.当日の写真撮影,そして日常の練習風景の記録には,県の写真展にも特選で入賞するセミプロ級のボランティアの写真家があたってくれた.彼は一瞬のシャッターチャンスを狙って日ごろからホームの老人の生活と接している.
 われわれの音楽活動の現場を支えている老人ホームの生活指導員は,これらのかかわりを評して,「人生の達人と本物の芸術家が出会う瞬間だ」と言った.
 この音楽活動と入所者とのかかわりをQOLとの関連でみていくことができないか,数理統計学者が興味をもってきた.統計学は虚学であってはならず,実学であるべきだという思いの実践であるという.その結果は三次元空間モデル上に表現されることとなり,今後の方針決定の指針となった.彼の趣味であるピアノが,出会いを演出したのであろうか.
 われわれの音楽活動に関心を寄せてきた詩人と,音楽を生活のなかに見いだす日本人の心性を取り込んだ宮沢賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」について語り合ったことがある.筆者は,「宮沢賢治は,喉をからしてまで自ら納得のいく鳴き方を求めてやまないカッコーの姿を借りて,音楽という美の情緒的世界を越えたなにかを求めている者を主人公ゴーシュのもとに現前させたのではないか」と述べた.詩人は,「芸術性の果てしない探求,表現する者の精神的な深まりが,受け手の心に響く芸術性となって現われてくる.音楽とは音楽をする者自身の内なる音楽的成長を通じてのみ,その実現をはかることが可能になると彼はいいたかったのではないか」とこたえた.彼女はショパンを弾いて,自らに音楽療法を施すという.
 気がついてみると,老人ホームの内と外でアンサンブルが鳴っていた.さまざまな分野で共鳴し合うこの響きを,今後さらに増していけたらと思う今日このごろである.
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1995/11 老年精神医学雑誌Vol.6 No.11
老化によって和らげられるもの
守田嘉男
兵庫医科大学精神神経科学教室助教授
 老年の夫婦に起こったちょっとした出来事を中心に,家族の肖像を描いた映画「黄昏」を見たことがある.たしかに老年期は人生の「たそがれ」の時期に当たるといえるだろう.
 ところで,夕暮れの日の落ちるまでのつかの間は,田舎の街道でも都会のビルの谷間でも,少々の感傷を伴って美しく,その静寂は人の心を和らげる.とくに,激しい夏が過ぎた秋涼の候のたそがれは,戦いがすんで日が暮れようとするドラマの一場面を連想させて,せちがらい世に生きる私たちに慰めを与えてくれるように思える.
 20歳から50歳ころまでの,精神分裂病との戦いを幸運にも深い傷跡を残さずに通り過ぎることのできた方々に会うことがある.長い間同じ病院で働いていると,そのような機会に恵まれる.荒々しい言葉をやりとりした過ぎた日々を思い出し,お互いの白髪を見交わしながら,しばらくの間病気のその後について問うのを忘れることがある.
 精神科臨床を学び始めたころのある時期,病気のことがよくわかったような気持ちになったことがある.もちろんその愚かさに気づくのに長くはかからなかった.しかし,そのころ受け持ち治癒したと思っていた患者に再会することがあり,先達の言葉「われ亡霊を見たり」のとおり打ちのめされたのである.それでも晩年における分裂病の症状の軽快ほどうれしいことはない.これについてはさまざまな見解があるのだろうが,私の頭にある,まだわずかな幻声の残っている高齢の分裂病患者は,分裂気質の人の最も好ましい状態像をみせて,淡々と余世を生きているように思える.
 ところで,いわゆる老化の機序を知ることは知的興奮を誘う.私の夢想かもしれないが,遅かれ早かれある日開いた学術誌にアルツハイマー病の病因解明の速報を見る日がくるであろう.それはそれでよいのであろうが,原因についての決着がついてもなお,人びとは肝硬変とアルツハイマー病を同じ重さでは考えないだろう.
 さきに精神分裂病の晩年寛解への思いを述べたが,逆にいまみているアルツハイマー型痴呆の80歳の患者について記すことは苦渋を伴う.いまでは数時間まえの話を忘れるほどであるが,70歳過ぎまでよく知られた銀行に勤め,責任ある地位にいた人らしく,つねに背広を着てネクタイをしめて来院する紳士である.しかし,必ず付き添っている夫人は,夫の夜間に突然「いまから銀行へ行ってくる」と言い,出かけようとする行為の毎日に疲れ,やつれきって,このごろでは眼に怒りさえ現しているのである.
 これは,老年期の痴呆患者が示す行動の異常であり特異な症状ではないが,仕事に出かけるという患者にとってかつては当然であり栄光の源でもあった行為が,家人の怒りと憎しみを生み出してしまっている.おそらく数年まえは穏やかな晩年を送るはずであったこの患者をみるとき,この行為に対して問題行動という用語で安易に記録することにためらいを覚える.
 分裂病を病んだ人にもひとときのやすらぎが与えられるように,痴呆を病む人にも,多くの70歳,80歳の老年者にもひとときのやすらぎが得られることを願う.老化の恵があるはずだと思う.
 学際的には,老化について教えられることの多い書物もある.しかし,私が考えるのは,「老年精神医学での人間学」である.これは老年精神医学の先達の著書からの引用であり,具体的にはかつての精神病理学での人間学派の輝きを老年精神医学の治療の指針とすることである.
 あのころ読んだビンスワンガーの『現象学的人間学』の感激は翌日の診療での励みとなった.また,師に教えていただいたクーレンカンプとコンラートの論争も新鮮で,仲間でどちらの肩をもつかと語り合ったことがあった.
 私の知識が乏しいためであろうが,老年精神医学のなかで,生物学的精神医学や社会精神医学の情報に比べて,精神医学の方法論の大きな幹である精神病理学の情報が少ないように感じている.
 高齢者のための病院で100人余の痴呆で入院している患者を診察したことがあったが,みな同じに見えて名前と症状が一致して頭にはいらなかった.しかし,私と一部体験を共有しているので,故郷のことや,とくに職業歴についての生活史に話が及ぶと,レストランのシェフだったMさん,湊の水先案内人だったYさんと,ひとりひとりを苦もなく記憶できた.
 なぜ,ある患者がある症状を示すのかを,その人の一度きりの内的生活史をたどることに求めることは,精神病理学人間学派の教えのひとつであった.これは,老年精神医学の臨床に携わる私たちのためにも必要なことであろうと思っている.
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1995/10 老年精神医学雑誌Vol.6 No.10
アルツハイマー病の告知と尊厳死
前田 潔
兵庫県立高齢者脳機能研究センター研究部長
 先日,わが国ではじめての遺伝子治療がアデノシンデアミナーゼ(ADA)欠損症患者に行われ,翌日のメディアは一斉にこれをとりあげている.一方,遺伝子診断はすでに種々の疾患において試みられている.遺伝子診断は発病まえにもその異常を検出することができるが,発病まえに発見し,何らかの有効な手段をとりうる場合には問題とならないが,発病を治療することも予防することもできない疾患の場合,少なからぬ問題を含んでいる.アルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)の遺伝子診断についても,一部の家族性ADでは遺伝子変異が明らかになっており,散発性ADについてもアポリポタンパクEの対立遺伝子を調べれば,ADに罹患する可能性が予測される.いずれはもっと確実な遺伝子診断も可能となるときがくると思われる.ハンチントン病でも同様に遺伝子診断が可能であるが,これら治療法のない,末期には荒廃状態となる疾患の遺伝子診断を行うこと,それを患者本人に告知することの是非について十分に議論がなされるべきである.
 最近,ADの画像診断が進み,現在でもPETやSPECTで特異的な所見を示す場合,高い確率で診断が可能である.筆者らは最近,発症早期で認知障害も軽度であるにもかかわらず,SPECT・PETなどでADに特異的な画像所見を示す症例を2,3経験した.そのうちの1例を紹介する.
 患者は58歳の女性で,職業は看護婦である.最近,職場でミスが多くなり,院内の他の部門に用事でやってきても,自分がなぜそこにやってきたのかわからなくなるということで当院を受診してきた.長男に付き添われて診察室に入ってきた.身なりも髪型も地味であるがこざっぱりしている.言葉遣いも態度も控えめな感じで,うつ向きかげんに低い声で話す.口数は少ない.仕事上のミスや受診をすすめられたことなどで抑うつ的となっているのかと思われたが,家族によると普段からこうだという.受診の理由を聞くと,本人は「忘れっぽくて……」と言うが,付き添ってきた長男は「もの忘れというほどでもないと思うが,勤務先の病院の指示で受診した」と述べた.家では家事を嫁と二人で分担して問題はなく,本人にはもの忘れの自覚があるが,家族は異常にまったく気づいていない.勤務先から専門医を受診するよう指示があったときにはとまどったようである.神経学的に異常なく,ほかに身体疾患もなかった.Mini-Mental State Examinationでは24/30で,serial7が1/5であった.計算は生来,苦手であったという.6か月後の再診のときも23/30であった.MRIでは海馬など側頭葉内側部に軽度萎縮がみられるほかはとくに異常はなかった.SPECT検査を行ったところ,両側側頭葉から頭頂葉にかけて脳血流の低下を示す典型的なADのパタンを示した.機能画像でみられる特異性の高い所見はADを強く示唆する.この症例も患者および家族にどう説明すべきか迷ったが,家族にはADの疑いが強いことを説明した.患者には尋ねられないことを幸いにまだ説明せずにいる.
 いままでADの告知について本格的に議論されることは少なかったように思われる.いずれは早期に確実なADの臨床診断が可能になるであろう.そうなると当然のように病名の告知ということが議論の対象となってくる.ADの早期で判断力が十分に維持されている状態のとき,患者に病名を告知すべきかどうかの議論が必要となってくるであろう.治療も予防もできない疾患を告知すべきかどうか.その答えは国民性によって違ってくるであろうが,わが国ではそのようなものは知らせてほしくないと考える人が多いのではないだろうか.一方,それを知ることによって別の人生を選びとるという人もいるであろう.いずれ一定の結論をださねばならない時期がくると予測される.
 病名の告知の次には,AD患者の尊厳死という議論が起こってくるのではないかと予想される.欧米先進国では人間性が失われ,正常な判断ができなくなったとき,人としての尊厳を保つためにむしろ死を選ぶとする人が少なくない.自分の人生は自分が決定する権利を有するという自己決定権の思想である.判断力や思考力を失い,家族をさえ識別できなくなるADの終末期は尊厳死の対象に考えられるだろう.しかしながらわが国で尊厳死を考えるときには,少し事情が異なるように思われる.欧米人のように考えて尊厳死を希望するという人は,少ないように思われる.むしろ,現在のわが国の痴呆老人がおかれている劣悪な療養環境のなかで終末期を迎えるのであれば尊厳死を考えるが,療養環境が満足でき,誇りを維持できるものであれば必ずしも尊厳死を希望しないという人が多いのではないだろうか.療養環境を満足のいくものにするためには人手と費用が必要である.患者ケアにどれだけの人手と費用をかけるべきかについて国民のコンセンサスが必要であろう.低医療費のもと将来の自分たちを含む老人に劣悪な療養生活を送らせるのか,多少負担が増えたとしても尊厳性を維持できる生活を保証するのか,議論が高まるのを期待したい.尊厳性を維持できるような人生の終末期を迎えられるようになれば,尊厳死論議はその意味をなかば失うように思われる.
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1995/9 老年精神医学雑誌Vol.6 No.9
基本を見直すべき医療
永積 惇
日本医科大学第二内科教授
 近年の科学の進歩は著しく,それとともに医学も非常に進歩した.この進歩は基礎医学はもとより,臨床医学の面では血液生化学検査を始めとするあらゆる検査法・CTやMRIを始めとする放射線学液検査・生理学的検査などのすべての検査法におよび,このことがすべての科の多くの疾患の病因解明・確定診断決定に寄与している.その結果,私が医師となった三十数年まえでは考えられなかった,臓器移植を始めとする多くの治療法の進歩につながり,これらのことがわが国が世界一の長寿国となることに大いに貢献してきたと考える.しかしその反面,最近の医師は昔私が教育を受けた先輩医師たちに比べると,全体的に打聴診・触診などの基礎的診断技術が衰えたことも事実である.また近年情報化時代を迎え,一般社会の医学とくに医師に対する要望も非常に厳しくなってきていること,同時に医療費の高騰が社会問題となってきていることも事実である.
 この医学の進歩のため,近年,医師が専門医志向に傾き,私の所属する内科の分野でも臓器別に専門化されるようになってきている.そのため現代の若い医師たちにとって最も大切なことは専門医となり,「いかにして検査法を組み合わせて確定診断を行うか」であり,また「いかにして特殊技能を身につけるか」である.時には残念ながら対象が人間であることを忘れてしまっているのではないかと思われることも散見される時代になってきている.もちろん,とくに大学病院に所属する医師は専門医を目指すために切磋琢磨することは大切であるが,あまりに臓器別の研鑽に偏りすぎているため,自分の所属する科の疾患でありながら,専門分野からはずれた疾患に対する処置を誤ったり,重大な疾患を見落としたりするケースがみられることもある.
 先日経験したケースを紹介する.この症例は呼吸困難を主訴として某国立病院の呼吸器内科に入院したところ,胸水の貯留を指摘され入院加療を受け,胸水が消失し全快していると言われ退院した.しかし,苦痛が治まらず再度受診したところ呼吸器疾患は改善しており,その他のことは他科を受診すべきであると入院を拒否され,同病院退院3週間後に当科に入院した.当科入院時の診察で肝臓に非常に硬い凹凸を触知し,圧痛もみられ,腹水も貯留しているため,肝臓がんによるがん性腹膜炎と診断され,約2か月後に死亡した.
 この症例は極端な例であるかもしれないが,私は○○内科を標榜する科がこれでよいのかと疑問を抱いている.医学では患者を診察し確定診断を行う場合は,1つの疾患ですべての自覚症状を満たすものを想定するのが基本であるが,高齢者になるほど複合した疾患を認めることも事実である.現に私の専門のひとつである脳卒中ではほとんどの症例で基礎疾患を有し,両者の治療を行えなければ神経内科医として一人前とはいえない.また脳卒中で入院していても基礎疾患以外の疾患を合併していることもあり,入院中にこれらの疾患の治療もあわせて行うべきであることは当然である.
 この症例でも始めに診察した医師が詳細に問診し原則どおり全身の所見をとっていれば簡単に診断できたはずであり,当然入院中に肝臓がんとがん性腹膜炎の治療が行われるべきであったと考える.現在の若い医師たちのなかには自分の専門分野の疾患になると非常に興味を示し熱心にみるが,専門外の疾患は同じ科の疾患であってもていねいに診察しない者がみられることがあり,非常に残念に感じている.
 最近種々の雑誌で,まもなく医師過剰時代がくると予測されており,また現在病院経営が非常に困難な時代を迎えつつあることも事実である.現在は情報化時代を迎えており,受診する側にも多くの医学情報をもっている人も多く,病院や医師を受診者が選べる時代になってきている.したがって,いまこそこのような時代に生き残れる医師とはどのような医師であるかをあらためて考えなおすべきときであろう.
 まず診療に当たっては,多くの先輩医師たちが行ってきた基本を見直すべきである.すなわち,患者や家族の身になって対応できる,いわゆるラポール(rapport)といわれる対人関係が築ける医師であり,詳細な病歴をとり,全身所見を正しくとれる医師である必要がある.さらに,この病歴と身体所見からどの臓器のどのような疾患が想定され,鑑別疾患にはどのような検査が最低限必要であるかを考えて検査を進め,患者や家族を納得させる説明ができ,自分の専門外の専門的な特殊治療は別としても,自分の所属する科に関する疾患に対しての根本的な診断・治療が行える医師であることが生き残れる条件と考えている.すなわち現在の一般社会や病院が求める医師像は,患者思いの医師であり,私の所属する内科でいえば,まず「内科医」であり,そのうえで「得意な分野をもった専門医」が望まれていると考える.
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1995/8 老年精神医学雑誌Vol.6 No.8
アルツハイマー病と遺伝子
堺 俊明
大阪医科大学神経精神医学教室教授
 アルツハイマー病遺伝子の発見.世界中の研究者がこの目標に向かって邁進している.わが国の痴呆性疾患の約40%を占めるアルツハイマー病あるいはアルツハイマー型老年痴呆は,家系研究や双生児研究などから遺伝が発症にかかわっていることが明らかになっている.ここ10年あまりの間に分子遺伝学は急速に進歩し,多くの遺伝性疾患の遺伝子が発見されてきた.アルツハイマー病の遺伝子をというのも当然の流れといえる.
 しかし,1つの細胞の中には60億もの塩基体があり,そのどこから手をつけていけばよいのか.手がかりはこれまでの研究にあった.まず,老人斑がアミロイドを主成分とすることから,第21番染色体上(21q11-121)にあるアミロイド前駆体タンパク(APP)遺伝子の点突然変異がいくつか発見された.またアポリポタンパクE(ApoE)が老人斑,血管アミロイドに沈着していることから,第19番染色体上(19q13.1)のApoEのうちE4が,発症危険率を高めることが明らかにされた.さらに第14番染色体上のタンパク分解酵素阻害物質であるα1-アンチキモトリプシンが老人半にもみられることから,その近傍のDNAマーカー(14q24.3)との強い連鎖が発見された.第14番染色体については,おそらくここ数年のうちに遺伝子が同定されると思う.
 このようにアルツハイマー病では,これまでのところ3つの遺伝子が候補にあがっている.しかし,それぞれまだ病的な遺伝子を確定するまでには至っていない.たとえばAPP遺伝子の異常も,この遺伝子をマウスに導入した,いわゆるトランスジェニックマウスでは,アルツハイマー病と同じ病理変化は確認されていない.さらにApoEは,家族性アルツハイマー病では,連鎖がみられず,発症の危険率を上昇させはするものの,それのみですべてを説明することはむずかしい.また,遺伝がかかわっている可能性の非常に高いアルツハイマー病が家系内に多発している症例でも,この3つの遺伝子とは関連しないものがみられる.たとえば,早期発症型アルツハイマー病の多発家系としてよく知られているVolgan family(ドイツ系住民でボルガ川流域からアメリカに移住したことからこのように名づけられた)は,3つの候補遺伝子のいずれとも関連しなかった.とすれば,当然ほかにも病的遺伝子があることになる.これからの研究を待たなければならない.
 ところで,候補となる遺伝子が3つあるということは,それぞれの遺伝子によって引き起こされる痴呆は,別々の病気ということになる.これまでのところ,APP遺伝子の突然変異と第14番染色体に連鎖する症例は,早期に発症する家族性のもので,ApoEに関連する症例は発症時期や家族性の有無には関係がないという特徴はあるものの,横断的な症状でそれぞれを鑑別することはできない.
 アルツハイマー病の99%は,家族性のない孤発例で晩期に発症する.すなわち,APP遺伝子の突然変異や第14番染色体に連鎖する症例は,アルツハイマー病のなかでもごく少数にすぎない.一般的にいうと,単一の遺伝子によって引き起こされる疾患の発症頻度は,たとえば常染色体性優性遺伝であるハンチントン病で10-5レベルであり,アルツハイマー病が単一の遺伝子のみで発症すると考えるには,いかにも発症頻度が高い.また,近年アルツハイマー病の発症率は上昇しているといわれているが,このような短期間に,日本人の遺伝子プールのなかでアルツハイマー病の遺伝子頻度が上昇したとは考えにくい.とすれば,何らかの環境要因がかかわっていることになる.もちろん遺伝子の発現が変化した可能性はあるが,それも発現を変化させた環境要因を想定しなければならない.
 このように考えると,アルツハイマー病はごく少数の単一遺伝子で引き起こされるいくつかの疾患と,1つの遺伝子だけではさほど強く作用はしない,いわゆる多遺伝子や環境要因が互いに作用して引き起こされる疾患によって構成される,遺伝的に異種な疾患と言える(遺伝的異種性<genetic heterogeneity>).しかし横断的にみると,その症状は類似していることから,病因が異なっていたとしても,症状出現までの過程に共通のpatywayがあるのではないかとも考えられる.
 ごくまれな病的遺伝子であっても,その発現から臨床症状までの過程が明らかにされると,アルツハイマー病全体に共通するpathwayも解明され,これから画期的な治療法が開発されるのではないかと夢みているところである.
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1995/7 老年精神医学雑誌Vol.6 No.7
老年者が訴える身体症状と不安障害
越野 好文
金沢大学医学部神経精神医学教室教授
 これまで老年期の精神障害というと,痴呆とうつ病に焦点があてられており,神経症が老年精神医学でとりあげられることは少なかった.というのも,健康な人では歳をとるに従って,不安や不安傾向は低下することが一般的に認められており,老年者では神経症は少なく,とくに70歳以上ではほとんどみられないと思われていたからである.
 しかし,実情はまったく異なっていることが近年しだいに明らかになってきた.西村のまとめによると,老年者の神経症の有病率は10〜20%であり,神経症による受療率と通院者率は青壮年層のそれと比べてむしろ高い傾向にある.厚生省のデータでは,人口十万に対する受療率は青年期〜壮年期には60〜70であるが,65歳以上では75であり,人口千人に対する通院者率は青年期〜壮年期の0.7〜1.6に比べて老年期では3.1である.
 老年期の神経症には不安,とくに心気的な不安を主症状とするものが多い.久保木らの東京大学医学部附属病院分院心療内科における統計では,1981年から1982年にかけての老年期の新患163人のうち35%が心身症で,神経症は18%であったが,そのうちの74%が心気症である.老年期には身体的な老化に伴う各種の身体的な不調あるいは回復能力や予備力の低下から身体や健康への関心が高まり,老年者は自分の身体の状態に,若いときなら気にならなかったような軽度の不調にまで,過剰な注意をはらうようになる.このように,老年者は心気症の準備状態にあるということができ,心気症が多いことは納得しうるところである.
 しかし,老年者の心気症の背後に,パニック障害(panic disorder)が潜んでいる可能性を否定できない.パニック障害は20〜30歳代に発症することが多いといわれていたが,近年,高齢での発症も多いことが報告されるようになった.そして塩入らの研究では,高齢発症者では身体症状を訴えることが多いという.
 パニック障害は,思いがけないときに襲ってくるパニック発作が特徴である.発作は自律神経系の覚醒亢進を示す胸痛,心悸亢進,窒息感,呼吸困難,めまい感,発汗など身体疾患を思わせる症状を示し,いわば“身体疾患という仮面”をかぶっている.発作に襲われた患者は,かかりつけの医師や救急外来に駆けつける.しかし,発作の持続は短く,病院にたどり着いたときには発作は治まっていることが多い.そこで,簡単な検査と,場合によっては“精神安定薬”の注射を受けて帰宅する.病気についての十分な説明はなされず,患者の不安・心配は解消されることなく,そのまま残る.発作のたびにこの儀式が繰り返される.発作は反復し,患者はどこか身体的に悪いところがあるにちがいないとの確信を強め,原因を求めていわゆるドクターショッピングが始まる.残念ながら,医師のほうもパニック障害についての認識がまだ不十分であり,「たいしたことはない」「気のせいだ」「自律神経が原因だ」「ストレスですね」などと片づけてしまう.患者の不安は増大し,ついには心気症が形成される.パニック障害における心気症への進展を防ぐためには,ていねいな診察と正確な診断,そして病気の本態についてのわかりやすい説明が不可欠である.
 ところで,アメリカ精神医学会が発表した精神障害の診断基準であるDSM-IIIは力動的な視点をとらず,実証的な医学モデルを採用し,神経症から不安障害を解き放した.DSM-IIIの不安障害では,認知や感情の面の不安に劣らず,不安がもたらす身体的な症状が強調されている.T.L. McGlynnとH.L. Metcalfは,不安障害の診断と治療のためのハンドブックで,毎日の診療で不安の存在に注意を向けることの重要性を指摘し,不安は多彩な身体症状を呈することから,心循環器,呼吸器,消化器系,中枢あるいは末梢神経系の機能障害を訴える患者では不安障害の存在を疑えと忠告している.このことは,多彩な身体症状を訴える老年者の診察にあたって,とくに心すべきことである.
 柄澤が指摘するように,老年者にとって不安の種は尽きることがない.生物学的な変化による身体的ならびに精神的機能の低下や,時には死に結びつきうる多くの疾病に対する不安・恐怖,また心理-社会的には経済力の低下,社会的地位・役割の喪失,あるいは近親者や友人との死別に伴う不安や孤独感など,不安の原因は枚挙にいとまがない.このように老年者では,身体的な変化に加えて,社会的および心理的喪失体験に事欠かない.喪失体験に続発する不安も増加し,これらはお互いに影響しあって不安障害を形成していく.したがって,老年者の不安障害の治療にはbio-psycho-socialな面からの包括的なアプローチが必須であるが,まず第一に身体面での対処が必要なことを強調したい.
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1995/6 老年精神医学雑誌Vol.6 No.6
世界の長寿地域,沖縄県における高い痴呆有病率
小椋  力
琉球大学医学部精神神経科学講座教授
 世界保健機構(WHO)の調査資料によると,わが国は世界で最も平均寿命の長い国である.厚生省の都道府県別生命表をみると,沖縄県はわが国で平均寿命の最も長い県であり,人口十万人に対する100歳以上の超高齢者の比率も最も高い.したがって沖縄県は,世界の長寿地域といえよう.本年8月,WHOの中嶋宏事務局長を沖縄に迎えて長寿宣言が行われると聞いている.
 沖縄県が長寿地域となっている原因には,冬期でも温暖な亜熱帯性気候,風土,文化などが関係しているのであろう.また,おおらかで,人情に厚く,共同体意識が強いなどの県民性も無縁ではなかろう.沖縄本島北部の長寿村として知られている大宜見村を訪れたことがあるが,100歳を越えても健康で,沖縄の伝統的な織物である芭蕉布の素材となる糸を紡ぐ生き生きとした女性,105歳で体長160cmのハブを捕獲し,このことが全国紙で紹介され話題となった元気者のお婆さんなどは,長寿沖縄の「光」の部分であろう.
 沖縄県生活福祉部から依頼されて,沖縄県における痴呆の有病率の調査を行った.離島を含む65歳以上の高齢者3,524人を対象とし,痴呆に関する調査について教育され訓練を受けた本医学部の学生が,1次面接調査を実施した.学生にとって苦労が多かったと思うが,病人だけでなく健康で充実した日々を生きる多数の高齢者に接した経験は,病院での実習だけでは得られない貴重なものであろう.長寿沖縄はいつまで続くのであろうか.彼らの経験が長寿沖縄を守り,育てるうえで役立つことを期待した.
 2次面接は,当講座の精神科医が担当した.その結果,65歳以上の高齢者全体の痴呆有病率は6.7%であり,わが国で報告された同有病率のなかでは最も高かった.その理由のひとつは,沖縄県は長寿県であり,その結果高齢者に占める高高齢者,超高齢者の割合が高いことであろう.たとえば痴呆の有病率は,65〜69歳1.1%,70〜74歳2.9%,75〜79歳5.0%,80〜84歳13.5%,85〜89歳17.6%,90歳以上36.8%であり,とくに女性の90歳以上では41.4%であった.今後の課題は,有病率のみならず発生率を調べることであろう.アルツハイマー型と多発梗塞型の比は男性で1.2:1,女性で1.7:1,全体で1.5:1とわが国の報告のなかではアルツハイマー型の割合が高かった.重症度(DSM-III-Rによる)をみると高齢者ほど重症度は高く,90歳以上では痴呆患者の70.3%が重症と評価された.(Ogura C, et al.:Prevalence of senile dementia in Okinawa, Japan. Int J Epidemiol, 24(2),1995).これらの結果は長寿沖縄の「影」の部分であろう.
 沖縄県における痴呆患者に対する対策を関係資料をもとに,とくに施設面について概観した.平成7年3月現在,老人性痴呆疾患治療病棟(50床),同デイ・ケア施設はいずれも4施設,老人性痴呆疾患センターは1施設であり,痴呆患者が入所している可能性のある特別養護老人ホームは13施設,精神病床数は約5,700床(人口一万対病床数約46床)である.これらの施設数などは,人口比でみたかぎり,わが国でも多いように思える.したがって,痴呆性疾患に対するハード面の対応は,他府県に比較して充実しているようにみえる.沖縄本島北部に設置された老人性痴呆疾患センターは,地域の自治体と協力して40歳以上の市民を対象に脳検診制度を導入し,痴呆性疾患の早期発見・治療にとりくんでいる.
 痴呆性疾患は,当然のことながら疾患である.したがって,病因の解明と的確な治療法の確立,質の高い診療が不可欠である.しかし,これらを実現させる努力とともに,いま,生きる痴呆患者に対して在宅ケアの確立,介護者への支援などを含む福祉面の充実,医療・福祉の有機的な連携,市民に対する教育・啓蒙などが必要であろう.
 高齢化が急速に進むわが国において,沖縄県は長寿社会をさきどりしているといえよう.沖縄県内で進められている現在の痴呆患者対策が,将来,どのように評価されるのであろうか.わが国における精神分裂病を中心とした精神疾患に対する対策でみられた「光」と「影」を忘れないようにしたい.
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1995/5 老年精神医学雑誌Vol.6 No.5
老年学からの発信
―老年精神医学に求めるもの―
井口 昭久
名古屋大学医学部老年科学教室教授
 近年における医学技術の未曾有の進歩は,医学の専門化・細分化を招き,とくに若い医師の間で,職人芸的な特殊技術をもつことがスペシャリストの証と誤解されるような風潮がある.このことが,“病気は診れど,病人は診ず”というような医師を生み出したが,その反省に立って,欧米でもジェネラリストの必要性が叫ばれ,遅ればせながら日本でも細分化医療の見直しの機運が高まってきている.
 また高齢者は,単に成人の延長にあるものとしてとらえられるものではない.小児が生理的に未熟な状態であるのと同様に,高齢者は潜在的・顕在的に多臓器の能力の減弱した状態である.
 高齢者の病態が,一疾患に秀でたスペシャリストによるよりも,多臓器に洞察が及ぶジェネラリストにより分析・治療を受けたほうが望ましいということ(もちろん個々の疾患においてスペシャリストの意見を仰ぐことも必要であろうが)と,成人と高齢者は異なるという,この二点において老年科学の存在意義はある.
 しかし,この老年科学も実際は内科学から分かれたものであるために,いまだ内科学的な風潮から抜けきらない感があり,えてして臓器別医療に傾きやすく,老年科学のなかでも精神・心理学的な分野は,痴呆を除いては十分な知識が医師の間に浸透しているとはいいがたい.
 老年科学において精神医学の興隆が必要であると思われるのは,とくに次の三点においてである.
 (1)対象患者が治療側スタッフよりも高齢であるということ
 自宅で最期を迎えることの多かった近代に比して,最近では病院での死亡が増え,人生経験の浅い医師による死亡宣告が増える一方,死亡年齢の高齢化に伴い,死に向かう側と死をみとる側の物理的年齢だけでなく,人生経験のギャップが大きくなった.したがって,医師は自らが体験したことのない年齢における心理状態を単なる憶測だけではなく,科学的に洞察しうる能力を必要とする.
 (2)慢性疾患患者が対象であるということ
 疾患そのものを完治(cure)することは,老年期においては困難となる.したがって,患者がいかに疾患の存続を容認できるかということ(accept)が重要となってくる.疾患とともに暮らす患者を励まし,慰める―治癒ではなくいやす(healing),このためには慢性疾患を有する高齢者の心理過程に対する洞察が必要となる.
 (3)死の受容
 内科学の目的は疾患の治癒であり,患者が死を迎えることは医療側の一種の敗北であるが,老年科学にとって患者がよりよく生きることと納得できる死を迎えることは同じ重みをもつ.死ぬという過程のなかに人生の総決算としての意義をもたせ,人生に対する達成感をもって大往生させることができるように,老年科医は肉体的・精神的援助を続けなければならない.

 老年科学は疾患をもった人,人生のゴールが視野にはいった人が対象となり,残りの人生の距離を計算しつつ,いかにその人のQOLを高いポテンシャルにおけるかという基本命題のうえに学問を築くわけであり,患者が死に至るまでこの命題を繰り返し,自問自答しながら進むわけである.患者の肉体がおかれている状態の判断のみにとどまらず,患者の心理的問題,とくに疾患や死の受容,昇華のサポートとなる論理的な医学が必要となる.
 高齢者心理学は,現在の医師教育のなかで最もおざなりにされているもののひとつである.ことに,これから高齢期を迎える人びとは高等教育至上主義のなかで育ち,高度経済成長を支えてきた人たちで,能力至上主義を植えつけられている人が多い.この人たちにとって,高齢期は職,家族,健康を失う負の時代であり,価値観の一大変革が必要となる.
 無宗教で,刹那的生き方をしてきた世代が,長い老後にどのような価値を見いだすことができるだろうか.
 有疾患・有障害の高齢者を隔離することを考えている現在の中高年者は,自分がその範疇にはいることを容認できるだろうか.
 女性の9割,男性の7割が65歳まで生きるようになり,長寿が当たり前となった現在,いままでの太く短くといった人生の価値観は根底から考え直す必要がある.いかに高齢期に意義を見いだすか,能力を獲得するときの喜びと失うときの悲しみをどのようにとらえていくか,人生における価値観を長いlife-spanのなかで若いときからとらえることができる社会教育もまた必要となってくる.
 高齢者自殺の原因の70%は病苦であり,病気は治療しても人を治してはいない現代医療の問題点を端的に表している。高齢者の心理ケアのできる医師を育てることが急務である.
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1995/4 老年精神医学雑誌Vol.6 No.4
老いることから学ぶ
山脇 成人
広島大学医学部神経精神医学教室教授
 筆者のような若輩者が老いることについて論じることはおこがましいが,これまでの人生経験と,日常診療や地域医療活動において患者さんから学んだ経験をとおして感じていることを述べてみたい.
 最近,Quality of Life(QOL)という言葉がどの医学領域でも論じられるようになってきたことは,患者さん中心の医療を推進するうえではたいへん歓迎すべきことである.このQOLの評価を数量化する研究がさかんに行われているが,筆者には数量化することは疑問に思える.他人に人の幸せや価値観を評価することできるはずがなく,またするべきではない.しかし医療に携わる者にとっては,患者さんに共感し,その立場に立ってQOLを考えることは重要である.
 ある同門の先輩が精神科の魅力について,一般身体科医,とくに外科医の場合はある年齢を頂点にして医師としての技量が下降していくが,精神科医の場合は歳をとるごとに技量が増して患者さんに貢献できる充実感を味わえるようになることだと言っておられた.これは真実であろう.人生経験が未熟で苦悩を味わったことの少ない者が,苦しんでいる患者さんを正しく理解し,共感することは困難であろう.精神科医は自分の人生経験に加えて患者さんから知識や経験を学び吸収することで,医師としての技量を高めることになるのである.
 先日,ノーベル文学賞を受賞した作家大江健三郎氏の講演会に参加する機会があった.毎日医学の世界に埋没している筆者にとって,作家の講演を聞くことは新鮮であったし,大江氏の講演の素晴らしさにたいへん感動した.そして大江氏の文学の質を向上させたものは,彼が体験した苦悩と,それに対して真正面から立ち向かった勇気であるように思われた.
 大江氏の長男光君は重篤な脳障害をもって生まれ,大江氏は医師から手術による知的障害を覚悟で救命するか,手術せずに死を待つかの選択を迫られてたいへん悩んでいた.そのとき,取材で訪れた広島原爆病院の院長から被爆者治療での体験を聞き,手術を決心したという.その後は体験した者にしかわからないであろう苦悩を味わわれながら,しかし愛情を注がれて育てられたにちがいない.よく知られている話であるが,光君は音楽が鳴っているときが最も安定しており,鳥の声のレコード(鳥の名の解説つき)を好んで聞いていたが,言葉を発することはなかった.ある日大江氏が光君を肩車にのせて散歩しているときに,光君が鳥の声に反応して解説者と同じ口調で「クイナです」と声を発した.大江氏は耳を疑ってもう一度耳を澄まして鳥の声に対する光君の反応を祈るような気持で待った.光君がもう一度「クイナです」と言ったときの喜びと感動は一生忘れられないと語られた.
 こうした体験が,人の心を打つ作家に成熟させたのであろう.また,彼が戦争に反対し,真の平和主義者であることもよく理解できる.
 筆者は診断する際に,どんなに激しい精神症状を示していても,自分より年上であれば謙虚に,また年下であればやさしく対応するよう心がけている.医者が少々の知識をもっているからといっても,自分より長い人生経験をしている患者さんに対してはやはり謙虚でなければならない.老年痴呆や老年期精神障害の患者さんを診察するときには現病歴や現在の問題点に目を奪われがちであるが,その患者さんの充実していた時期についても十分に思いをはせる必要がある.患者さんが体験したであろうさまざまな苦悩やそれを克服したときの喜びを想像するだけでも,患者さんに対して謙虚になれるはずである.たとえば,問題行動のある老年期の患者さんの診察においても,問題行動について問診する際にその人の最も充実していたときの話題を引き出して,自尊心を尊重しながら,信頼関係をつくる必要がある.
 老年医学の領域で老いが論じられるときに,脳機能の障害という側面が強調されすぎて,人格をもった患者さんの人生が軽視されている傾向があるように感じることがある.老年精神医学では,生物学的側面だけでなく,心理・社会的側面からのアプローチが重視されているので,老人医療における老年精神医学会の果たすべき役割は重要であると信じている.
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1995/3 老年精神医学雑誌Vol.6 No.3
痴呆に対する偏見
田中 恒孝
国立小諸療養所精神科医長
 1994年11月5日に,アメリカのレーガン元大統領が国民に向けて,アルツハイマー病と診断されたことを告白し,同病を患っている患者や家族への理解を求めた.このニュースを聞いて,筆者はたいへんな衝撃を受けた.まず第一に,国民にアルツハイマー病に対する理解を喚起するために告白するといった高度な判断力の保たれた状態で,アルツハイマー病と診断し告知を行ったアメリカ老年精神医学の水準の高さに,第二に告白を行った元大統領のみならずその家族の英断に衝撃を受けたのである.
 ところで,わが国現状はどうであろうか.少なくとも筆者が住む地域では,家族のなかに痴呆患者がでたとき,周囲の眼を気にして卑屈になり,ひた隠しにしようとする傾向がある.筆者はこれまで,あちらこちらの市町村に出向いて痴呆についての講演を行ってきたが,どこへ行っても中高年の,とくに女性の聴衆が多い.話の最中に突然爆笑が起こったり,近所の痴呆老人のうわさをする私語が耳にはいってくる.質疑応答では,痴呆に関する一般的事項や近所に住む痴呆老人の話題が中心で,悩みを抱えた介護者からの質問はまれである.集まった多くの人びとは他人事のように聞き,将来自分にも起こりうる深刻な問題として受け止めている人は少ない.しかし,控室に戻って休息していると,聴衆が帰ったころを見計らって保健婦に誘導され,数人の中年女性が入ってくる.いずれも痴呆老人の介護者である.人前では言えなかったと言い訳をしながら,次々と悩みを語り,質問をする.
 あるとき,山村の保健婦から依頼され老人の精神保健相談に出向いたことがあるが,そのときの事例がいまもって筆者の脳裏から離れない.老夫婦だけの世帯で,夫は数十年来の筋委縮性側索硬化症のため,知能は保たれているが起立歩行ができない.着衣,用便,入浴など一切の介護を妻がしてきた.その妻も最近になって記憶力と意欲が衰え,夫の介護が困難な状態になった.家事や介護に戸惑う妻に対し,夫はいらだち大声でしかることが多く,妻は訪問した保健婦に息子夫婦のところへ行きたいと訴えた.長男は某有名大学の助教授で,両親のもとに帰る意思はない.診察の結果,妻は明らかなアルツハイマー型老年痴呆であった.夫に妻の病名を告知し,介護能力を失いつつあること,近い将来,妻自身が介護を受ける立場になることを話し,保健婦立ち会いのもとで早急に入浴サービスやホームヘルパーの援助を受けるよう説得した.夫は納得して退室したが,別室で担当者と具体的援助スケジュールを立てる段になって,「私の家は由緒ある名家で,お国の施しを受けるような恥ずかしいまねはできない」と言い残して帰ってしまった.筆者はこれを聞いて,田舎の人びとのなかに根づく封建性や,偏見と無理解を痛感した.
 2年後,松本市周辺の保健婦,ホームヘルパー,特別養護老人ホームの施設長,患者の介護者によるシンポジウム「痴呆老人に対する取組み」のコメンテイターを依頼され,そこで介護者である主婦が訴える辛く苦しい心情を聞いて,前述の事例と共通するものを感じた.彼女は小学校の教諭をしていたが,義母がアルツハイマー型老年痴呆になり,外を徘徊するようになったために教職を辞めて義母の介護に専念し,患者が外に出たがると手をつないで一緒に散歩したという.その時,最も辛かったのは,散歩や病院へ行く途中で出会う人びとに,哀れみやさげすみの眼で見られていると感じたことであるという.1年半の献身的介護で疲労困憊している矢先に,夫が心筋梗塞で入院する二重の不幸に見舞われた.医師や親戚のすすめで,「親不孝」との自責の念にかられながら,義母を施設に預けて夫の看病に当たった.幸いにして夫は1か月の入院後に復職できた.夫婦で施設にいる義母を見舞ったとき,以前とかわらない元気な姿を見て安堵した.妻は介護をなにもかも一人で引き受けようとしたことの無理を指摘され,はじらいを捨てて福祉サービスを受けいれることを決意して,精神的にも肉体的にもゆとりが生まれたという.そして,「世間の偏見より自分の心の内にある偏見」を強調し,多くの聴衆に感銘を与えた.
 筆者は,5年まえから小諸保健所の嘱託医として,毎月1回管内市町村に保健婦と出向き,痴呆老人の診察や介護相談を行っている.M町では,これより数年まえから町の住民課が保健所と国立小諸療養所に協力を求め,月1回の痴呆老人デイケアを始めた.最初は数人の患者が集まった程度であったが,いまでは20人以上が登録され,週1回の頻度で行っている.町民の理解も進み,偏見は払拭されつつある.立ち遅れの目立つ町村もあり,門を閉ざして筆者の診察を拒む家も少なくなかったが,M町のデイケアは周辺地域へ波及効果をもたらし,痴呆への取組みは着実に浸透しつつある.デイケアは初期や中期の痴呆に効果があっても,中期後半から末期の患者は適応外である.痴呆患者の家庭介護の困難はだれもが認めるところであり,介護者を支える多様な福祉サービスや施設の拡充,病院との連携など社会資源の整備が急がれる.
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1995/2 老年精神医学雑誌Vol.6 No.2
翁の面から
井川 玄朗
奈良県立医科大学精神医学教室教授
 近年,能面に心ひかれるようになった.その時,わが在所・奈良はたのもしく,さまざまな能面にお目にかかれる.なかでもとくに「翁の面」がよい.ここには満面こぼれるような古老の笑いがある.見るほどに明るく楽しく,心なごみ,われもかくありたし,との思いがわく.
 翁の面は能楽に先立って古く,神儀にかかわって生まれた.福寿・豊穣を願い祝う祭礼と関連が深い.一方,能は仮面芸能として世界に抜きんでた存在である.また,老いを演じることが最も多い芸術といわれる.かく眺めるとき,この古老の笑いに古来の日本人のこころを知る.老年精神医学が求めるものがあるように思う.このように思われる方も多いのではないだろうか.1993年の世界精神保健大会プログラムの表紙を飾ったのは翁の面であった.
 ところで笑いは古来,人類にとって大きな関心事であった.ギリシャは「古代の笑い」を刻み,喜劇をつくりだした.しかし笑いへの態度は,時代によって大きな変転がある.ストア哲学は学ばんとする者に笑いを不要とした.この思想は中世において長らく影響を与えたのではないだろうか.そのような時代には「笑い」は研究の対象とはなりえなかった.停滞の時代はベルグソンの「笑い」の研究によって切り開かれた.哲学・芸術での研究は今世紀なかばにはなやかとなり,一般医学がそれに追随した.
 しかし,精神医学にとって笑いは哲学の地にあり,フロイトの機智論は現れたが,生物学的基盤をもつ精神医学研究はか細いものであった.この傾向はわが国においても同様であった.なにしろ日本の精神医学の教科書,辞典に「笑い」は事項としてなく,索引に姿を見せない.
 一方,精神医学の外側では笑いの効用は多々論じられてきた.医療の領域では近年,Laughter is the best medicineとまでいう.いささか過大な評価ではないかと思われるが,現代医療が見落としていた心の問題を強調したと考えれば納得できる.笑いはまさにこの点で精神医療において重視されなければならない.「笑いの重味」,実感されている方も多いはずである.私自身もいささかの体験がある.
 十数年まえのことである.当時,奈良医大では精神科を中心とした激しい紛争が続き,各地の医大から急進,暴力革命的精神科医が集まっていた.そこに縁あって私と数名の精神科医が赴任した.この間の事情は「日本精神医学風土記;奈良県」(林祥精神医学,19:686)に書いたが,着任早々,急進派から激しい非難攻撃をうけることとなった.
 非難の一つは「自分たちの精神医療を破壊するつもりか」というものであった.彼らの主張にはそれなりの理由があった.当時の奈良医大精神科病棟は他大学に比して多くの点で抜きんでており,入院期間も大幅に短縮されていたのである.その後,対立が続き,結局彼らは大学を去った.そのあと医師は数名だけとなり,多くの治療プログラムを減らし,または打ち切った.この紛争のなかで病棟の雰囲気は冷たくささくれだってしまった.そのため「ここでできることは」と考えたあげく,入院患者一人ひとりに「一つの出会いに一つの笑い」をモットーに回診を始めた.その後の病棟の雰囲気は,「とても明るくなった」「笑顔が増えた」と多くの人から言われるようになった.5,6年たって入院期間の再調査をしたところ,不思議な結果がでた.私が赴任後の入院期間,再入院率などの成績が以前よりよくなっていたのである.なぜであろうか.私のいささかの努力の成果であると断じるのはあまりに大胆すぎる.しかし,試みた「笑い」には否定しえぬなにかがあると信じている.
 このような歳月のなか,変化が始まった.その中心は阪大精神科の研究グループである.笑いのポリグラフ研究が新知見を生み始めた.さて,老年期の笑いへの関心はどうだろう.看護,介護の領域で試みがなされ始めた.しかし,精神医学プロパーの研究はいまだきわめて乏しい.この10年間の文献検索で「老人,笑い」を主題とする研究報告をみいだせなかった.これは当然のことかもしれない.なぜなら精神医学の領域での「笑い」の研究者は,世界に10指を数えるにすぎないというのであるから(清水彰ら:人はなぜ笑うのか.講談社).
 しかし,再び舞台をめぐらす時である.「笑いを老年精神医学へ」この必要性をさまざまな材料が示してくれる.たとえば老年期痴呆では強度の痴呆にもかかわらず微笑み,笑いが豊かに残されている人をどれだけ見ることか.この笑いが,どんなに創造性,適応性と結びついていることか.ここに視点を向けるだけでも老年の笑いの研究は重味を増す.そしてこの成果が老年精神医療へ反映されていく.その時,翁の面はさらに明るく輝くのである.
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1995/1 老年精神医学雑誌Vol.6 No.1
加齢と老化
中沢 洋一
久留米大学医学部精神科教授
 老人に共通して観察される心や体の変化の多くは,老化現象とみなされることが多い.高齢者の睡眠の変化がその例である.60歳を過ぎると,夜間の睡眠時間の短縮,深い眠りの減少を自覚する人が増え,ポリグラフィによる睡眠の客観的な分析でもそれが証明されている.高齢者の睡眠の変化が脳の構造や機能の老化で生じると考えている人は少なくない.しかし,総睡眠時間の短縮と深睡眠の減少は,ヒトが誕生してから老いるまでの生涯のなかで一貫して観察される変化であり,老年期になってはじめて起こる現象ではない.また,その変化は老年期よりも幼少年期のほうがはるかに大きいのである.したがって,高齢者の眠りの浅さや短さを脳の老化現象と考える根拠にはならない.しかし,高齢者に現れる睡眠の変化のなかには,加齢に伴って一貫しては起こらない種類のものがある.昼間の居眠りの増加と睡眠時間帯の前進がそれである.
 夜間の睡眠時間は加齢に伴って減少するが,昼間の眠りは幼少児期以降は消失し,高齢になって再び出現する.しかも高齢者の昼寝の時間は加齢に連れて増加し,昼夜を合計した総睡眠時間は年齢との間に壮年期で最も短くなるU字型の関係が認められる.昼間の居眠りが高齢者で増加する原因の一つとして,彼らの身体の疲労をあげる人がいる.しかし,睡眠は身体の疲労の回復に役立つという仮説は,疲れが眠りをいざなうという一般的な経験から支持されてきたが,実験的には否定されている.運動によって深睡眠が増加することもあるが,それは深部体温が運動で上昇している場合に限り,入浴で深部体温が高くなれば運動しなくても深睡眠は明らかに増加する.こうしたことを考慮すると,高齢者の昼寝の増加は身体の疲労が原因になっているとは思われない.確証はないが,覚醒を維持する脳の機構が加齢によって低下したために,昼のうたたねが増加した可能性がある.脳の機能が著しく低下した老人は,終日うとうとと眠り続けることが多いからである.
 もう一つの高齢者の睡眠の変化は,睡眠時間帯の前進である.高齢者はおおむね早寝早起きであるが,健康高齢者の睡眠リズムと深部体温リズムの位相は年齢との間に優位な逆相関がある.脱同調環境下で記録した高齢者の深部体温と睡眠・覚醒の自由継続リズムの周期は,健康成人よりも短くなっており,高齢になると生体時計やこの時計を同調因子によってリセットする機能に変化が起こっている可能性を示している.
 いずれにせよ,睡眠にみられるこの2つの変化には,脳の機能の老化が関係しているのではないかと思われる.
 睡眠・覚醒に発作性の異常を起こす脳の機能性の病態のなかで,思春期に発病して中年になると軽快または治癒するものがある.ナルコレプシーと周期性傾眠症がそれであり,とくに後者は30歳代の後半になると自然に治癒してしまう.睡眠・覚醒障害以外では,脳の機能性の発作性疾患であるてんかんのなかの純粋欠伸発作やBECT(中心・側頭部棘波を伴う良性小児てんかん)が,前思春期になると自然に治癒することがよく知られている.しかし,最近では小児期以降に発症した種々のてんかんが,未治療のまま発症後30年たつと全体の30%程度が自然治癒することも明らかにされた.治療した人では,治療を中止しても発作が起こらない人の率はもっと高い.これらの疾患では,脳の機能的な発作性障害が加齢によって消失すると思われるが,その機序はまだ解明されていない.
 精神分裂病は長らく治療が困難な病気であるといわれてきた.E. Kraepelinが,その多くは思春期に発症して慢性の経過をとり,最終的には痴呆状態に至るという理由でこの病気を早発性痴呆とよんだことは有名である.以来,多くの研究者は予後の悪さからこの病気の原因が脳や身体にあると考え,今日でも脳の生物学的研究が多数の領域で行われている.同じ精神病でも,躁うつ病には今日ではいくつかの生物学的マーカーが見つかっていることを考えると,分裂病でなに一つ特異的なマーカーが発見されていないのは不思議である.最近はこの病気に対する生活技能訓練(social skills training;SST)が予想以上の治療効果をあげることがわかっている.また,E. Kraepelinの指摘に反して,この病気は初老期以降は症状が消失し,安定した社会生活を送れる人が多いことも知られてきた.後者は,抗精神病薬が治療に導入される以前からM. Bleulerらによってすでに報告されていた.精神分裂病の成因を広い意味の心因に求める考えが精神医学のなかに現れたのは,身体因説が登場したあとのことであるが,その根拠の一つにはこの病気の晩期における自然治癒もあったのではないだろうか.
 脳も心も加齢によっていろいろな方向に変化しうるが,一般には脳の構造や機能の衰退的な変化だけに注目して老化現象とよんでいる.しかし,中年以降の加齢による脳の機能の再統合とその機序は,今後の脳研究の重要な課題であろう.
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