1993/12 老年精神医学雑誌Vol.4 No.12
安らかな終末
横井  晋
沼津中央病院
 『楢山節考』のおりんは,楢山まいりの前にすることがいくつかあった.楢山まいりとは,食糧の乏しいこの村で口べらしのために,70歳になった老人は好むと好まざるとにかかわらず,しなければならないしきたりであった.楢山には神が住んでいるのであった.楢山へ行った人はみな,神を見てきたのであるからだれも疑う者などいなかった.現実に神が存在するというのであるから,ほかの行事より特別に力をいれて祭りをしたのである.
 おりんの仕事は何をおいてもまず倅の辰平の死んだ妻のかわりとなる後添いを探すことであった.これは運よく実家の向こう村に後家ができたという知らせがあった.おりんは来年70歳で楢山まいりに行く年なので,この年になって嫁が決まらなかったらと焦っていたところに,ちょうどよい話がもちこまれた.孫は総領けさ吉を頭に3人の男と3歳の女の子で,このさきどうなるかと心配していた矢先に後添いが決まって,おりんは肩の荷をおろしたように感じた.3日たって来た嫁は気に入って,これにいわなをとるこつも授けた.食糧不足のうえに16歳のけさ吉がいつの間にか女をはらませて,また1人の口が増えるのも彼女の焦躁の1つであった.
 山へ持って行くむしろはもちろん,前の晩に8人を招いて出した振舞酒の白萩様(白米)からつくったどぶろく一斗も,肴にするいわなも椎茸も調えておいた.この席で何度も聞いた掟をまた念を入れて聞かされた.しぶる辰平を励まして背負っている背板に乗って,掟に従って口をきかず真暗な道を楢山に向かった.4つの山を越え,奈落の底のような谷を見てふるえながら尾根づたいに楢山に着いた.山を登ると岩かげ,楢の木の根元いたるところに死骸があり,白骨が散らばってカラスが群がっていた.おりんはある岩かげに自分を降ろさせ辰平の手を緊く握りしめ,身体をいま来たほうに向かせて背中をどーんと押した.
 辰平が少し歩いたところで雪が降ってきた.おりんは以前から「おれが山へいくときゃあきっと雪が降るぞ」と言っていた.たまらなくなった辰平は掟を破って駆け戻った.おりんは背中から頭にむしろを負うようにして雪を防いでいるが,前髪にも胸にも膝にも雪が積もっていて,白狐のように一点を見つめながら念仏を唱えていた.おりんは手を振って辰平に去るように命じた.涙の辰平は「おっかぁ,ふんとに雪が降ったなあ」と叫び終えると脱兎のように駆けて山を降りた.
 深沢七カ氏『楢山節考』を拝借した.おりんの成仏はまちがいないことであろう.

 法然の門にはいり念仏に専念した親鸞は,念仏禁止令とともに,35歳で越後の国に流刑となった.その後5年を経て許されると,関東に念仏を広め,しだいに成果が上っていったが,たえず既成仏教からの圧迫が続いていた.比叡山延暦寺の衆徒は,朝廷に迫って,念仏の禁止と指導者とみなされる僧侶の追放を行わせて弾圧し,関東においても鎌倉幕府が念仏者を不逞の輩として取締り,これに力を得た領家,地頭,名主も念仏を禁圧し始めていたのである.親鸞のいう末法の世であった.
 親鸞の宗教は教えが平易であり,既成仏教のようにむずかしい経文を読んだり,修業を積むという必要はなく,ひたすら仏を信じて念仏を唱えれば極楽往生はまちがいないという教えが強く民衆の心をとらえたことによって広まった.しかし,これに対する既成宗教の反抗弾圧も厳しく,そのために念仏を捨て去る者,異端の信仰に傾く者も少なくなかった.これに対し親鸞はかえって弾圧者のために念仏を捧げるというおおらかな態度をとったが,その限界を越えた弾圧が襲いかかったときには限りない憤りを覚えた.そして「つまるところもはや関東の地は,念仏の縁が切れてしまったのであろう」として63歳で上洛してしまった.さらに最大の不幸は自らの長子である善鸞の背信行為であった.父に対する裏切りのため,これを義絶によって切り捨てるという危機を85歳にして経験しなければならなかったのである.
 幸いにして鎌倉での訴訟は,幕府が念仏禁止を否と判定し,これにより激しい弾圧の波は引いていった.親鸞にとってなにより大切なことは「自信」すなわち信心決定して救われることであった.それなくしては報恩のための念仏布教も,国家,国民,世の中のための念仏はありえなかった.事件落着後,90歳で生涯を終えるまでは,本当に穏やかな日々であった.親鸞聖人伝絵によるその往生の模様は,「聖人,弘長二歳仲冬下旬の候よりいささか不例の気まします.これより以来,口に世事をまじえず,ただ仏恩のふかきことをのぶ.声に余言をあらはさず,もはら称名たゆることなし.しかうして,月第八日午後,頭北面西脇に臥し給いて,ついに,念仏の息たえましましをはりぬ.この時頽齢九旬に満ちたまう.(以下略)」とあり,大往生であり安らかな終末であった.(笠原一男著『親鸞』より).
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1993/11 老年精神医学雑誌Vol.4 No.11
老人医療をめぐる身辺雑記
森  温理
松見病院
 最近数年はとくに,老年精神医学を専門としていない私などにも,講演を依頼されると,きまって老人問題や「ぼけ」について話してほしいという注文が多いように思う.大学在任中,同窓会や地区医師会などを対象とした夏季セミナーを立案したときも,私はうつ病,心身症,不眠症などのテーマはどうかと思ったが,結局,一般科の先生方の要望で,「痴呆患者をどうみるか」といったようなタイトルで,講師の方々にアルツハイマー型老年痴呆や脳血管性痴呆の病態や診断をめぐる話題を提供してもらった覚えがある.セミナー会場には熱心な会員がつめかけ,この方面への関心の高さをあらためて痛感させられた.このとき私は司会としてのあいさつを,「これらの患者にどのようにして高い生活の質(quality of life;QOL)を確保することができるかが最重要な課題であり,痴呆患者こそまさに全人的医療を必要とする最も代表的な例である」という意味の言葉で締めくくったが,いまでもその気持にかわりはない.
 大学に勤めていた間は,老人患者は外来や病棟でときどき診察する程度であったが,民間の精神病院に移ってみると,老人の問題はにわかに身近なものになってくるようである.どこの精神病院でも事情は同じであろうが,病棟には老齢化した精神分裂病患者がかなり多く,やや歴史のある病院では患者の平均年齢が50歳代となって高齢化が進んでいる.このような病院で,まだ私が駈け出しの医師であった30数年も前に治療した分裂病患者にばったりと出会うことがある.昔の面影はどことなく残っているが,頭髪はめっきり白くなっていて,少しはにかむように声をかけてくれる.私も同じように年をとったわけだと思いながら,彼の今日までの長い入院生活の歳月を思い浮かべてみるのである.戦後の昭和30年代に次々に精神病院が開設され,そのおりに収容された分裂病者のうち,かなりの割合の人がいまでもこうして入・退院を繰り返しながら,あるいはそのまま入院生活を送りながら老齢に達しているのである.昨今ようやく光が当たるようになった精神医療ではあるが,彼らはまだ影の部分である.
 昨年の日本精神保健会議でのことと記憶しているが,新しく精神保健法はできたものの精神障害者に対する各種施策が遅々として進まない現状を嘆くわれわれ関係者に対して,ある国会議員から発言があった.「もっと老人医療や老人福祉に関係している人たちのやり方を見習うべきではないか,行政に対してももっとしかるべき工夫や発想の転換が必要なのではないか.歴史的にみれば後発の老人医療や老人福祉のほうがはるかに時代を先取りし,大きな予算の獲得などにも意欲的である」といった趣旨であった.たしかに老人や痴呆の問題は一般にも関心が高く,いずれはわが身のこととして現実的に受け止められているのに対し,精神障害の問題となると大きな社会的事件になったものは別として,まだまだよそ事として片付けられやすい風潮があることは残念ながら事実である.
 周知のように老人関係の施設は,いまさまざまに論じられている.ちょっと数えてみても,痴呆老人関係では一般病院,老人病院,精神病院,一般診療所などの医療施設のほか,養護老人ホーム,特別養護老人ホームなどの福祉施設があり,また老人保健法による老人保健施設がある.さらに老人保健施設内に痴呆専門病棟の併設が可能となり,特別養護老人ホームの中にも特別介護棟がつくられるようになった.一方,従来からの精神病院の中にも老人性痴呆疾患治療病棟や老人性痴呆患者療養病棟をつくる計画が進められている.このようにその戦略は実に複雑である.そのうえ,所轄官庁も縦割り行政で,福祉局あり,社会局あり,保健医療局ありで,まことにややこしい.これらの施設には現在25万人の痴呆老人が入所しているが,このほかに在宅の痴呆老人が約75万人いると推定されている.在宅痴呆老人にはデイサービス,ショートステイサービス,訪問看護サービス,ホームヘルパーサービスなどが行われており,最近,老人性痴呆疾患センターも発足するようになった.
 それぞれの施設や病院には,その対象とすることにふさわしい老人の層があり,また疾患の病棟があるのであろうが,1人の痴呆老人がそれらの施設をたらい回しされることはないのであろうかという危惧の念も沸いてくる.痴呆老人を細分化することなく,いま少しわかりやすく一貫して,いわば「まるごと」対応することはできないものか.QOLを視座において,相互連携の良好な,柔軟性に富んだ施策や運用が必要のように思われるが,こうした考えは現場を知らないものの認識不足によるものなのであろうか.私は精神科医として,老人の問題にどこまで,どのようなかたちでかかわっていったらよいのか,実際のところアイデンティティの迷いを感じている.
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1993/10 老年精神医学雑誌Vol.4 No.10
日本の痴呆性老人対策の経緯
室伏 君士
国立療養所菊池病院名誉院長
 過去20年間,国立医療機関に在職中,関与あるいは直面した厚生省関係の痴呆性老人対策を回顧して述べよう.
 日本の老人問題は,老人人口が7%(老人国)になった昭和45(1970)年に始まり,老人福祉法の改正(昭和48年)などの対応がなされた.当時,私は国立武蔵療養所老人精神病棟で,老年期痴呆患者と老年精神分裂病者の生きる態度の特徴や違いから,治療的接近を試みていた.しかし一般には老人問題の意義はあまり認識されず,痴呆性老人は昭和50年ころに『恍惚の人』(有吉佐和子)でとりざたされたものの悲惨視され,まだ社会の陰の存在とされることが多かった.また医学・医療面でも,痴呆は進行性で非回復性という従来の考えのもと,その臨床や研究に携わる者はきわめて少なく,痴呆は諦観・運命視されていた.
 このような状況下,昭和52年に国立療養所菊池病院が精神科として出発するにあたり,当地に赴いた私は,痴呆性老人の問題は近い将来必ず大きな社会問題となることを見越して,痴呆老人病棟を開設し,その対策に取り組んだ.
 私は菊池病院での経験から,治療のみならず生活をも重視すべき痴呆性老人に対しては,精神科医療の真髄がそこにあることを認め,国立医療機関が痴呆性老人の医療対策に積極的に取り組むことを,厚生省に要望した.ときあたかもこれに一致して,昭和54,55年には当時の日本医師会長の故武見太郎氏が,厚生省に対し「外国の老人とくに痴呆性老人の医療対策は精神神経科が主で,身体医学は従であるが,日本のそれは身体医学的なものが主で,精神医学的対応はきわめて少ない.もっと精神科的に対策をたてるべきである」と再度にわたって提言した.これは当時としては卓見に価するものといえる.このような次第で,しだいに痴呆性老人医療の重要性が厚生省に認識されていったように思われる.
 かくして昭和54年度から,厚生省の神経疾患研究のなかに「老年機能障害の発生機序・臨床・治療に関する研究」という痴呆研究班(班長:室伏)が発足し,研究が進められ,発展・継続(その後,厚生科学,長寿科学研究)していった.そして痴呆性老人の実態や問題点が明らかになるとともに,昭和58年には老人保健法の制定・実施により,老人医療費の策定や特別許可老人病院の設置,地域における痴呆性老人対策(保健所の役割)などがなされた.また昭和60年には医療法の改正で,とくに老人医療を含めた痴呆における医療供給体制のシステム化(地域医療計画)がなされ,痴呆性老人の問題も地方自治体の課題の1つとなった.
 さらに昭和61年には厚生省に痴呆性老人対策推進本部が設置され,私も専門委員として参加したが,痴呆性老人を取り巻く現状と課題,対策の推進(調査研究の推進と予防体制の整備,介護家族に対する支援方策の推進,専門治療病棟の整備,国立療養所モデル事業の実施,専門職に対する研修)などが答申され,逐次実施されてきた.これに引き続いて,昭和62年の厚生省痴呆性老人対策専門者会議(老人保健施設,老人性痴呆疾患センター),昭和63年の厚生省・労働省の「長寿・福祉社会を実現するための基本的考え方と目標について(福祉ビジョン)」,平成元年の厚生省「高齢者保健福祉推進10か年戦略(ゴールドプラン)」など,周知の施策がだされて,徐々に実施されている.
 私は平成4年に定年退職したが,その後,現役世代と老人のコミュニケーションをよくする委員会(総務庁),初老期における痴呆対策委員会(厚生省)などに関与している.これらを通じて,いま感じていることを簡単に指摘しておこう.
 第1は,いま痴呆患者にとって現実・日常的に必要なのは,心ある福祉と医療面では学会発表や学術論文にはしにくい,誇らしげでない,むしろかかりつけ医者的な心ある医療が基本的に必要であると思われる.医学的には国際的・専門化もよいであろうが,医療対策的には国内的・一般化が必須である.
 第2は,現在の痴呆へのアプローチは操作主義的診断(診断基準の設定,テスト・スケール化,画像診断のパターン化など)が第一義的になっているが,このため昔からの痴呆やその人間に対する詳細な臨床観察が忘れられてきており,遺憾である.実はこの臨床観察のなかにこそ痴呆の生きた姿があり,その症状の成り立ちをわきまえてのリハビリテーションや,症状にある悩み方や生き方に沿ったメンタルケアなどの拠り所やヒントがあるのである.
 第3は,近年の科学技術的方法論による成果は著しいが,その弊害,負い目,反動として起こってきた諸問題(尊厳・安楽死,脳死,ターミナルケア,QOLなど)への対応は,科学者だけでは専門家による偏見のおそれがあり,対象者(患者や家族)のみでは心情的・ご都合主義的合意になりやすい.したがって第三者(その道に関係した,科学者以外の学識経験者など)を含めた三者一体のコンセンサスを築いていくべきであることを認識する必要がある.
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1993/9 老年精神医学雑誌Vol.4 No.9
優秀高齢者・100歳高齢者
宮岸  勉
旭川医科大学医学部精神医学講座
 昨年9月の厚生省の資料によれば,わが国の100歳以上の高齢者は4,152人ということであり,昭和38(1963)年当時の27倍に達している.平均寿命でも女性は7年連続,男性は6年連続で世界一の座を占めてきた.超高齢化社会とよばれる由縁であろう.
 老化は,いうまでもなく生体にとって不可避の進行性過程であり,一般に個体のもつさまざまな機能を衰退させる過程である.ヒトの神経機能についていえば感覚機能(とくに聴力,視力)の低下,筋委縮と筋力低下,深部反射の低下,錐体外路類似兆候(筋強剛,歩行拙劣,振戦,姿勢異常,運動量の減少,言語不明瞭など),自律神経機能の低下などは高齢者にしばしば認められるし,精神機能についていえば,加齢に伴う記銘力低下は必発する.また,心肺機能や肝および腎機能の低下傾向なども現れるので,薬剤の処方に際して十分慎重でなければならないことはよく知られている.
 ただし,生理的老化過程が進行性であるとはいっても,ヒトの老化現象にはかなりの個体差が認められ,その進行の遅速は一様ではない.それでは何故このような差が生ずるのであろうか.残念ながら今日でも老化の定義すら錯綜しており,老化学説も有害物質蓄積説,遊離基説,自己免疫説,等々が提唱されて混沌としているので確たる答えのだしようがない.おそらくは,数多くの動物実験の結果から憶測すれば,遺伝的および環境的要因の双方が複雑に関与しながら老化過程を推進させているのであろう.
 さて,ヒトの老化現象に個体差が存在するからには,少数ではあっても「優秀高齢者」とよぶにふさわしい高齢者がいて何の不思議もない.優秀高齢者とは「年齢相応に身体機能が良好に保持されており,高度の記銘力低下が認められず,思考力,判断力,行動力,創造力などに著しい衰退がなく,かつ,有職である高齢者」を意味するので,非痴呆高齢者者のごく一部と考えられる.したがって,70〜80歳を超えてもなお現役で活動中の実業家,芸術家,政治家などを見聞きすると,身体機能もさることながら知的機能の老化という観点からたいへん興味深い.優秀高齢者の例としてまだ記憶に新しいのは昨年度の文化勲章受賞者と文化功労者である(表).受賞後に他界された1名のほかは現在もそれぞれの分野で活躍中であり,畏敬と憧憬の念を禁じえない.
 優秀高齢者といえば,だれもが関心をもつのは老年精神医学の立場からみた当人のライフスタイルであろう.もちろん,既往歴,家族歴,性格特性,知的水準,生活習慣,家庭や社会における人間関係,社会生活におけるこれまでの活動の量と質,老年期にはいってからのQOL等々の集約が現在の当人を形成しているのであるから,ジャーナリズムの陽が当たらない優秀高齢者をも含めた膨大な調査と研究を行うのは容易なことではない.
 ところで,アメリカ在住の日本人研究者が,医学関係のある新聞(平成4年8月)に90歳以上(60名)の非痴呆高齢者についてライフスタイルの調査結果を報告していたが,その結論は「この60名の高齢者が長く豊かな人生を送ることができたのは,心身の機能の維持とそれを最大限に活用する習慣が,18歳またはそれ以前の年齢からの生活環境によって身についていたからである」ということである.また,100歳高齢者に共通する生き方としては以下の6項目が目を引いたという.
 (1)強い自尊心をもっている.
 (2)問題に対して原因と解決法を探る.
 (3)心身の状態を認識しており,苦痛に対処することができる.
 (4)家族や友人との絆を重視し,生活のなかに生き甲斐を見いだしている.
 (5)活動能力を強めたり,趣味やスポーツに対して積極的である.
 (6)新しく積み重ねた幅広い経験によって順応性のある生活を送っている.
つまり,心身の機能を最大限に活用していたはずである青少年期のライフスタイルは,年を取ってからも年齢相応に維持しようとする心掛けなくしては,私たちは100歳高齢者にも優秀高齢者にも手が届かないということであろう.
 老年期痴呆の予防策が少しだけみえるように思う.しかし,理論的には血管性痴呆は脳卒中の危険因子を避けることによってかなり予防できるにせよ,アルツハイマー型痴呆の場合は,少なくとも現在のところ発病機序が不明ゆえ,予防策とはいっても確実なものは残念ながらない.
 そこで,すでに紹介したように「自分の年齢と身体状況に応じて頭と体を適度に使い,活発なライフスタイルを維持するための不断の努力を惜しまないこと」が当面の予防策であるという当たり前の結論に落ち着いてしまう.それにしても,言うは易く行うは難い.

 平成4年度文化勲章受賞者・文化功労者
 文化勲章受賞者
  青山杉雨(書道) 80歳
  井深 大(電子技術) 84
  大塚久雄(西洋経済史) 85
  佐藤太清(日本画) 78
  森野米三(構造化学) 84
 文化功労者  
  十三世片岡仁左衛門(歌舞伎) 88
  柴田南雄(作曲) 76
  山口誓子(俳句) 90
  川上哲治(野球) 72
  脇村義太郎(産業論) 91

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1993/8 老年精神医学雑誌Vol.4 No.8
アルツハイマー病の研究に思う
宮川太平
熊本大学医学部神経精神医学教室
 1906年にAlois Alzheimerが独特の臨床症状と神経病理所見をもつ症例を報告して以来,すでに90年近くの歳月がたっているが,この疾患つまりアルツハイマー病の病因解明への研究が世界で本格的に手がけられたのは最近の10年余りである.アルツハイマー病(アルツハイマー型老年痴呆も含む)では組織病理学的に,老人斑とアルツハイマー原線維変化が同時に多数出現するために,この2つの病変が注目されてきたことは当然のことであった.
 1984年にGlennerらが脳の血管周囲のアミロイドを抽出し,アミノ酸配列を決定し,これをβ‐タンパクと命名した.この抗体により老人斑内のアミロイドも免疫染色されることから,β‐タンパクを中心とする研究が,各方面で盛んに行われてきた.そして現在では,APP(amyloid protein precursor)が,どこで,どのようにしてアミロイド線維に結晶化されるのかが,最も注目を集めている.組織免疫学的手法を用いて形態学的に種々な説が提唱されているが,いまだ確証は得られていない.私自身もまた,長年にわたって組織病理学的立場からそこに焦点を合わせて研究してきた.しかしながら,そのメカニズムは十分解明されていない.組織学的研究の目的は,構造物としてその形態をとらえることにあるので,その原因と経過については,得られた結果から逆に形成過程を推測することに主眼があり,原因やメカニズムの解明はきわめて困難であることを痛感している.しかしながら,つねに形態は機能の表現であることもまた強調しておきたい.
 他方,分子遺伝学的な研究が盛んに行われ,家族性アルツハイマー病の家系におけるAPP遺伝子の突然変異が次々と報告されている.しかしながら,日常診療においてわれわれが経験するのは散発性のものが圧倒的に多いことから考えても,はたしてAPP遺伝子の突然変異のみによる発症か否かにも疑問が残る.また,疾病の原因を解明するためにはモデル動物の作製がきわめて重要であり,これらの研究も盛んに行われているが,トランスジェニック動物においても,いまだ脳内アミロイド沈着モデル動物の作製には成功していない.おそらく,外界からの何らかの作用が必要ではないであろうか.
 神経原線維変化については,リン酸化されたタウタンパクが主成分であることは解明されているものの,どのようなメカニズムで形成されるかについてはいまだに解答は得られていない.さらに,アミロイド沈着と神経原線維変化との関連を示唆する報告はきわめて少ない.
 アルツハイマー病は,ある年齢に達してから発病するため,老化と密接な関係があることには疑いがない.さらに80〜90歳以上に達すると,生理的老化脳にも老人斑や原線維変化が見いだされ,組織所見だけではアルツハイマー病との区別が困難な例も存在する.このことから極言すれば,病変の進行や重症度に個人差はあるが,アルツハイマー病も普通の老化現象の範疇にあるものと考えられないこともない.しかし,このことは今後の課題としておきたい.
 老人斑と原線維変化のほかにも,アルツハイマー病では,神経細胞の単純萎縮と脱落が脳に広汎にわたって認められることがよく知られている.このことに関してはあまり注目されていなかったが,私の教室では重要視して研究を続けており,微小血管の変性像との深い関連性を報告してきた.しかし,このことは一般にはまだ認められておらず,今後も検討が必要と考えている.一般に,研究は特殊な所見にのみ注目しがちであるが,このような非特異的所見も同様に重要と思われる.
 このような観点から考えると,はたしてアルツハイマー病は遺伝子の異常によってのみ起こるものなのであろうかという疑問がわく.むしろ,外部環境に負うところが大ではないかとも考えられる.たとえば外的因子の1つである食生活やミネラルなどの異常,とくにアルミニウムやカルシウム,マグネシウムなどの摂取量の異常などが若い時期から持続していた結果である可能性も十分ありうると考える.しかし,このことは実証されているわけではなく,今後の研究を待つ必要があろう.
 前述したように,世界がアルツハイマー病の原因究明に本格的に取り組み始めてからまだ年月は浅いが,この間の組織学的・免疫学的・生化学的・遺伝学的な各方面からの研究成果には目を見張るものがある.しかし,原因解明の道はこれからという感が強い.そして,総合的な研究のうえに立たなければ「木を見て森を見ず」というように,真理はみえてこないのではないだろうかと感じる昨今である.アルツハイマー病の原因はけっして単純なものではなく,種々の因子が関与しているものであろうと私には思える.
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1993/7 老年精神医学雑誌Vol.4 No.7
老年痴呆について
保崎 秀夫
慶應義塾大学名誉教授
 昭和25年に私が入局した当時は,老年期の精神疾患はうつ病と痴呆性疾患が主であり,初老期はうつ病とアルツハイマー病,ピック病,クロイツフェルト-ヤコブ病が主であった.痴呆が疑われる際には,まず進行麻痺を除外することから診断が始まった.初老期から老年期にかけてのうつ病の頑固さには閉口させられたものである.電撃療法がうまくいかず,スルフォナールの持続睡眠療法で尿が出なくなり,やっと治ったときにはお祝いをした記憶もあるほどであった.
 当時のアルツハイマー病,ピック病は報告が現在何例あるといえるくらいの数で,とくに神経病理の盛んな時代であったため,克明な臨床観察と,病理学的な所見との対応を中心に研究がなされていた.当然ながら老年痴呆とアルツハイマー病との鑑別も重要な仕事であった.入局新人も神経病理学的検索として,老人斑とアルツハイマー原線維変化の老年痴呆患者における分布と量的変化と正常者(これがなにを指すかむずかしい)における分布などとの対比,および他の疾患における老人斑の存在,類型,染色による構成成分の同定,オリゴデンドログリアとの関係などを植松教授や辻山講師により教育された.今日では老人斑におけるアミロイド研究からβタンパクの問題などずいぶん発展してきているようであるが,素人の私には詳しいことはわからない.
 当時の痴呆の診断は,まず進行麻痺を疑い,それが否定されると脳血管障害性・脳動脈硬化性痴呆を疑い,さらにこれも否定されるとはじめて老年痴呆を疑うという順序であった.痴呆とは後天的疾患による知能の低下であり,回復不能なもので,意識障害と巣症状(これは今日では含まれているが)を除外するようにいわれていた.また,老年痴呆,進行麻痺は診断されたあと放置されると,数か月以内に死に至るといわれていた.しかし,進行麻痺は発熱療法,抗生物質療法により致命的なものではなくなり,痴呆もある程度回復するものがあり,回復不能という言葉はこの際当てはまらないともいわれていた.老年痴呆は特別な治療法がなかったため,短期間に死亡するものと思われていた.もっとも食糧事情の悪い時代であったので,そのためでもあったのかもしれない.今日これだけ老年痴呆が増え,しかも長期間経過する例や進行が停止しているようにみえる例が多いという状況をみると,治療法や看護の面での進歩や寿命が延びたということなどを考えあわせても,はたして同じものを扱っているのかと思われるくらいに変化を感ずる.
 老年痴呆にその人の過去の精神疾患が関与しているかどうかを調べたことがあるが,精神分裂病患者は老年痴呆になりにくく,躁うつ病患者では分裂病患者よりなりやすいのではないかという印象をもった.今日までは気になっているが,その印象はかわっていない.躁うつ病のなかでは,とくに繰り返すもの(単極型でも双極型でも)が老年痴呆と診断されることがあるように思う.分裂病患者でもこのような診断例を聞いたことがあるが,私には経験がなく,あまりないように思うがはたしてどうなのであろうか.
 神経病理学的な面からはとても関連を考えることはできないが,臨床的にポテンシャルエネルギー(それがなにを指すかは知らないが)を徐々に失う分裂病のほうが,痴呆に縁があるように思われる.しかし実際には,激しくエネルギーが動く躁うつ病のほうに縁がありそうである.分裂病のほうに痴呆を阻止する力があるように思えるのはなぜだろうか,早発痴呆といわれながら,なぜ少ないのか不思議である.ただしこのようなことは最近では認められないということであれば,話は別である.
 老年痴呆の治療法も当時は脳代謝改善薬,脳循環改善薬などはなく,対症療法が主たるものであった.脳萎縮の診断も苦痛の多い気脳写であり,成り行きをみているという感じであった.今日では抗痴呆薬が開発されているが,痴呆状態の発生を遅らせる,進行を停止状態におく,問題言動を減少させるというものは現実的で了解できるが,痴呆を改善する(まえのものも当然含まれると思うが)薬物というものに対してはなかなか希望がもてない.早期に発症する痴呆については,悲惨であるだけになんとか阻止する方法を考えてほしい.ある年齢に達して発症した痴呆に対しては,寿命から考えて薬よりも対応,処遇の面で配慮するということが重要なのではないだろうか.
 40年以上まえのことを思い出しながら,頭に浮かぶことを並べてみた.
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1993/6 老年精神医学雑誌Vol.4 No.6
老年痴呆の早期診断への挑戦
赫  彰郎
日本医科大学第二内科学教室教授
 現在,わが国の65歳以上の人口は1553万人で,総人口の12.5%に当たる.年々その割合は増加傾向にあり,30年後には25.4%と4人に1人が65歳以上の老人大国となると推定されている.したがって,今日のわが国の経済的繁栄を維持,発展させていくためには,65歳以上の人口の活用を真剣に考えていかなければならない.しかし,痴呆性疾患の有病率は65歳以上の人口の約5%といわれている.痴呆患者は労働人口としての活用はおろか,逆にその介護に労力をさかねばならず,家族にとっての経済的負担も大きい.老年痴呆の予知,予防は可能となるのであろうか.
 アルツハイマー型老年痴呆(senile dementia of Alzheimer-type;SDAT)の早期診断の試みとして,以下のものがあげられる.
 (1)老人斑アミロイドの一構成成分として免疫学的に同定されているα1‐アンチキモトリプシンの血中および髄液中濃度測定:筆者らの教室でdouble antibody radioimmunoassay法で測定したSDAT患者の血清α1‐アンチキモトリプシン値は,脳血管性痴呆,健常老年者に比し優位の高値を示し,早期診断マーカーとしての有用性を確認している.
 (2)SDAT患者の脳に対する抗脳抗体の1種であるモノクローナル抗体Alz‐50によって認識される.A68タンパクの髄液中での測定.
 (3)髄液中の神経伝達物質の測定,とくにアセチルコリンエステラーゼ活性測定.このほか,ソマトスタチン,GABAとの関係が検討されている.筆者らも,SDAT初期例で髄液中GABA濃度の低下を認め,またその濃度は脳循環代謝所見と優位の正相関をみている.
 (4)その他,特異的生物学的マーカーのアプローチ.
 (5)画像診断:CT,MRIは進歩,普及し脳血管性痴呆(vascular dementia;VD)とSDATの鑑別診断に有用である.しかし高齢者のSDATでは,白質,基底核病変を合併している例はしばしばみられ,両者の鑑別診断には臨床症状や神経心理学的所見とその経過観察を必要とする.CT,MRIは,SDATの早期診断には必ずしも有用とはいえない.それではPET,SPECTは早期診断法に有用であろうか.
 脳循環代謝の低下はSDATの痴呆発現の原因であるのか,結果であるのかは議論が分かれるところであるが,VDでは原因であっても,SDATでは結果をみているとの意見が支配的である.しかし,知的活動には多くのエネルギーを必要とし,その源は脳血流により運搬されるブドウ糖と酸素であり,その好気的解糖により脳代謝は維持される.したがって,局所神経細胞の機能障害をみるためには,局所脳血流量,局所脳代謝率の測定が有効な手段となる.その意味からPETによる三次元的な脳循環代謝測定は,早期診断法として価値がある.
 SDATの脳循環代謝における低下の程度,部位は病期により異なる.SDATで比較的最後まで障害がみられない中心溝前後の一次運動知覚野との比(大脳皮質/一次運動知覚野)を病期を追ってPETでみた結果では,脳酸素代謝率は早期より側頭葉で低下がみられ,第II期(知的能力の低下が進行し,失語,失行,失認等の大脳皮質機能,問題行動が出現する)では側頭,頭頂葉で優位な低下がみられた.さらに第III期(高度の痴呆,人格の崩壊,全身の筋拘縮,寝たきりの状態)では,前頭葉の低下が著明にみられた.SPECTは空間分解能,定量性の点でPETよりも劣るが,得られるSDATのimageはPETと同様の特徴をよくとらえている.
 多発梗塞性痴呆(multi-infarct dementia;MID)との比較によりSDATとVDの違いをみると,MIDでは早期より前頭葉,側頭葉での脳循環代謝の低下が著しく,脳血流の低下が脳代謝の低下に先行して観察される例がみられる.またMIDでは早期より大脳皮質異常に白質での脳血流量,脳酸素代謝率の低下を認める.正常者では大脳皮質に対する白質での血流は約56%であるのに対し,MIDでは38%と著明に低下する.一方,SDATでは皮質に対する白質の血流は52%で,明らかな血流低下はみられない.さらにMIDでは,早期より皮質,白質での酸素摂取率(酸素消費量/酸素供給量)の上昇を認め,脳虚血状態にあることを示している.一方SDATでは,皮質,白質とも,脳血流量と脳酸素消費量はcouplingして低下している.
 このように,PET,SPECTによる画像診断は,SDATの早期診断,またVDとの鑑別にも有用である.さらに,受容体の画像化の研究も試みられており,生物学的マーカーの開発とともに早期診断の可能性がより現実のものとなりつつある.

参考文献
1)坂本静樹,北村 伸,氏家 隆,赫 彰郎ほか:アルツハイマー型痴呆の脳循環代謝に関する研究;15OポジトロンCTを用いて.神経内科,29:29-36(1988).
2)赫 彰郎:老年期痴呆の画像診断;とくに脳循環代謝の面から.老年精神医学雑誌,3:1041-1050(1992).
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1993/5 老年精神医学雑誌Vol.4 No.5
アルツハイマー病は1つの疾患か
中村 重信
広島大学医学部第三内科教授
 「高血圧症という病気はありますか」――これは30年前,内科の卒業試験(口答)での問題である.昨年の第3回国際アルツハイマー病会議の冒頭で,フィレンツェのAmaducci教授が“Alzheimer's disease;is it a disease?”というopening lectureをしたとき,この試験問題を思い出した.ある病気が1つの疾患単位としてどの範囲のものをカバーするのかという問題は,それほど容易に答えられるものではない.
 たとえばさきの「高血圧症」というものを考えてみよう.現在では「本態性高血圧症」として教科書にもとりあげられている.しかし,集団における血圧値は連続的な分布を示し,とくに高血圧グループとして正常血圧群から分離すべき異常群は認められない.つまり高血圧とは便宜的なものであるが,放置すれば心血管病変の危険性が増すため,「高血圧症」として分離されているのである.ただ,その成因は本態性といわれるようによくわかっておらず,遺伝的要因と環境要因が関与すると考えられている.とくに最近,高血圧を起こす遺伝子がいくつか見つかり,本態性高血圧症との関係が検討されている.
 このように「高血圧症」あるいは「本態性高血圧症」が1つの疾患であるという証拠はほとんどない.しかし,「高血圧症が1つの疾患か否か」という問いは愚問である.なぜなら,高血圧症は降圧薬によってコントロールしうるからである.同様のことはパーキンソン病についても当てはまる.若年性パーキンソニズムのなかにはかなり異なったニュアンスのグループがあるが,いずれもL-ドパによく反応することから,1つの疾患単位として取り扱われている.ただ,酵素欠損などの異常が明らかになるにつれて,いくつかの亜型に分かれると考えられている.
 アルツハイマー病は,1907年に高度の痴呆のため51歳で死亡した人のA.アルツハイマーによる剖検所見をもとに,E.クレペリンによって命名された病気である.一方,そのころには老年の痴呆患者の脳でも同様の病変がみられることが知られており,老年痴呆と称されていた.しかし1960年代以降の研究によって,アルツハイマー病と老年痴呆は単に発症年齢の違いがあるだけで,本質的には同一の疾患であるといわれるようになってきた.ただ,学者によっては両者をいちおう区別して考えようという意見もある.DMS-III-Rでも,若年発症(65歳以前)と65歳以降に発症する老年痴呆を亜型として分類している.
 最近,家族性アルツハイマー病に関する遺伝学的研究により,種々の点突然変異が発見された.イギリスのHardyは,いくつもの点突然変異に対応する家族性アルツハイマー病を別々の疾患と考え,1つの疾患ではなくsyndromeであると言い切っている.しかし,現在までに報告されている点突然変異による家族性アルツハイマー病は,発症年齢を除いて孤発性のアルツハイマー病と異なるところはないようである.
 アルツハイマー病についての剖検脳所見についても,いろいろな問題がある.すなわち,正常の老化に伴った老人斑,アルツハイマー神経原線維変化の出現,神経細胞脱落と病的なアルツハイマー病による変化との差が判然としないことなどである.このような事情は高血圧症と類似している.とくに従来老年痴呆とよばれていた高齢者の症例では,病理学的検索でも正常老年者との区別が判然としないものがある.
 臨床症状をみてもアルツハイマー病患者個々で大きな差があり,一人ひとりが示す症状は十人十色といってもおかしくない.とくに初老期発症のものと高齢発症のものでは,その症状や進行の度合いが異なっている.ハンチントン舞踏病でも不随意運動,知能低下,筋緊張異常に関する多様性が認められる.しかし,ハンチントン舞踏病の場合,第4染色体短腕先端に異常があるという点はいずれのタイプにも共通している.
 以上のような事情から,アルツハイマー病についての私の考えを述べてみたい.アルツハイマー病を1つの疾患単位と考え,そのなかに発症年齢による亜型,種々のタイプの家族性のもの(遺伝子異常)を含めるDMS-IIIの方針が正しいと思う.点突然変異などによる異常が孤発性のアルツハイマー病とどこで接点をもつかという問題は,発症機序を考えるうえで大切である.しかし,「アルツハイマー病は1つの疾患か」という問題が解決されるのは,アルツハイマー病の治療法や予防法が確立されたときであろう.
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1993/4 老年精神医学雑誌Vol.4 No.4
健忘患者の残存学習能力
鳥居 方策
金沢医科大学神経精神科教授
 記憶障害の研究はここ30年程の間に目覚ましい進歩を遂げたが,これらの研究の対象となったのは純粋健忘(pure amnesia)の患者である.このような症例では顕著な記憶障害とは対照的にその他の知的能力はほぼ正常であり,知能指数(IQ)と記憶指数(MQ)の差は20〜30あるいはそれ以上に及ぶ.神経放射線学的には,通常いわゆるPapez回路の一部を破壊する病巣が認められるが,それ以外には粗大な病巣は認められない.
 記憶障害の研究において画期的な知見を最も多く提供してくれたのは,有名な症例H.M.である1).てんかんの負因を有するこの患者は10歳ごろから発作を呈するようになり,薬物療法にもかかわらず発作は重篤かつ頻回になった.ほかに救済の手段がなかったために,家族・本人・医師による慎重な検討の結果,1953年にDr. W.B. Scovilleの執刀により両側内側側頭葉切除術が行われた.切除は両側性で側頭葉の先端から8cmまでの部分が除去された.このなかには前梨状回,鉤回,扁桃核,海馬,および海馬傍回が含まれており,ほかに側頭葉に出入りする線維を含む白質の一部も切除された.この手術のあとH.M.の発作は激減し,抗てんかん薬によりほぼコントロールされるに至ったが,重大な記憶障害とともに情意面において相当な障害を残した.
 H.M.は30年以上にわたりきわめて高度な前向健忘(記銘障害)を呈し,わずか1〜2分まえに見たり聞いたりしたことを想起することができなかった.一方,少なくとも手術時(27歳)から,大発作をはじめて起こした16歳にさかのぼる逆向健忘が認められた.このようにほぼ全健忘ともいえるH.M.に残存する種々の能力が認められたのである.その最初のヒントを提供したのは,H.M.に課されたmirror-drawingの課題であった.この課題遂行時のエラー数と所要時間は,H.M.が前回までの試行をまったく想起できないにもかかわらず,回を追ってしだいに確実に減少していった(この事実はわれわれの身近にいる,比較的純粋な健忘患者についても容易に確認することができる).H.M.はmirror-drawingのような運動技能だけでなく,短時間提示された語の読みやmirror-readingのような知覚性技能,およびトロントの塔やハノイの塔のパズルを解くために必要な知的技能をも獲得することができたという.なお,健忘患者の残存学習能力に関してはParkin3)が詳細な総説を発表している.
 典型的な健忘症候群の患者の前向性障害が必ずしも全面的ではないことは,古い文献にも散見される.前述のParkin3)によればKorsakoff(1889)の健忘患者は病院の周囲の道に何度も連れて来られたが,前日までのことは少しも覚えておらず,つねに「ここへ来たことは一度もない」と答えていた.にもかかわらず,いつの間にかその道を学習してしまっていた.またClaparde(1911)の患者は医師と握手をした際に,医師が指の間に隠し持っていたピンにって刺された.彼女は数分後にはこの体験をまったく忘れ去っていたが,以後その医師と握手をすることを断固として拒んだという.
 失語患者にみられる保続は,語発見などの課題に対して同じような誤答を何度も反復するものである.健忘患者のなかには,前回の課題とその際の自分の誤答をまったく記憶していないのに,同じ課題に対して同一の誤答を繰り返す者が少なくない.Nichelliら2)の視床性健忘の患者G.G.は,顕著な前向健忘にもかかわらず,mirror tracking,mirror-readingなどの技能において正常者に準ずる学習能力を示した.G.G.は,3週間で25回行われたmirror-readingにおいて,同一の誤答“detipo”を24回も繰り返したのである.
 われわれの視床性健忘の患者は,毎朝主治医の顔を見ると,依頼された講演の原稿を紛失して困っていること,および保険証を外来の受付に忘れてきたので取りに行かねばならないことを必ず訴えた.もちろん患者は前向健忘のために自分が前日までそれらを訴えたことをまったく忘れてしまっており,患者にとっては毎朝の訴えがつねにはじめての訴えであった.この健忘患者の毎日の訴えは細部にわたってまったく同一であり,少なくとも数か月は続いた.
 健忘患者の残存学習能力の多くは,健忘の際に重篤におかされる陳述記憶とはまったく別の系統の手続記憶に関連するものであるとされているが,その詳細はほとんど解明されていない.いずれにしろ,ヒトの記憶系はけっしてたった1つだけのものではなく,複数の系統を包括していることは事実である.

文  献
1)Corkins S:Lasting consequences of bilateral medial temporal lobectomy;clinical course and experimental findings in H.M.Semin Neurol4:249-259(1984).
2)Nichelli P,Bahmanian-Behbahani G,Gentilini M,Vecchi A:Preserved memory abilities in thalamic amnesia. Brain111:1337-1353(1988).
3)Parkin AJ:Residual learning capability in organic amnesia. Cortex18:417-440(1982).
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1993/3 老年精神医学雑誌Vol.4 No.3
痴呆対策に思う
十束 支朗
山形大学医学部精神神経医学講座教授
 わが国では老年者の痴呆は,65歳以上の老年人口の4〜5%を占めている.高齢化が急速に進んでいるため,痴呆性老人の実数は70〜80万人に達していると推定されており,将来どのように対応していくのか,大きな社会的問題になっている.とくに医療面では脳血管性痴呆の予防対策,アルツハイマー型痴呆に対する原因的治療の確立,福祉面では痴呆性老人の介護をどのようにするのかなどが差し迫った課題であろう.
 山形大学医学部精神神経科の1988年9月〜1991年8月までの外来統計では,65歳以上の患者を疾患別にみると,脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆とほぼ同数であった.通常,日本人では脳血管性痴呆のほうが多く60〜75%,アルツハイマー型老年痴呆は,18〜26%という数字があげられている.この山形大学での統計結果は,脳血管障害に基づく痴呆患者は内科,脳神経外科を訪ねる場合が多いことによるものであろう.実際,4年前に教室員を動員して山形県の65歳以上人口185,310人の1%を対象として,在宅老人の調査したところ,脳血管性痴呆50.0%,変性性(アルツハイマー型)痴呆25.6%で,やはり脳血管性痴呆が多く半数を占めていた.それらの痴呆性老人の既往歴をみると,高血圧,脳卒中,心臓病,神経疾患,糖尿病などが認められ,85.4%が定期的に通院しているか往診を受けていた.とくに循環器疾患と脳卒中,消化器疾患が多くみられた.受診先をみると医院,一般病院が多く,精神病院は少ない.すなわち,痴呆性老人の大部分が,一般の診療所で診療を受けているのが現状である.しかし,入院についてみると,精神病院に入院している者が多い.とくに重症の痴呆の場合,精神病院で受け入れている.
 また,痴呆が疑われたら,まずどこを訪ねるのかは,保健所,老人性痴呆疾患センターのほかに開業医が多い.したがって,血管性痴呆の治療や予防のための身体疾患の治療は,一般診療所に負うところが大きい.一般診療所では,アルツハイマー型老年痴呆の初期診断と治療の開始が余儀なくされている.そのため精神科医が診療にあたったり,精神科病棟あるいは,老人性痴呆疾患治療病棟へ入院する段階では,痴呆症状がかなり進んでいることが多い.このように考えると,痴呆の予防,早期診断,早期治療に,精神科医がいったいどれ程のかかわりをもっているのか,と疑問を抱き,反省させられるのである.アルツハイマー型老年痴呆の原因的治療は,まだ確かな手がかりがつかめていない.暗中模索の状態といってよいであろう.しかし,ごく初期の段階で早期診断が可能であれば,病態の進行を阻止できる治療法が期待できるかもしれない.第一線の診療所と精神科医が,もっと連携をはかれば,そのような夢も実現されるであろう.
 痴呆性老人の急増には,収容し治療する病院や施設の充実は間に合わない.在宅介護へ対応する地域の組織づくりが急がれよう.痴呆性老人は,単なる健忘症状だけでなく,健忘症状だけでなく,見当識や周りの物事への判断力に著しい障害があるため,日常生活の営みに多大の支障をきたす.しかも幻覚,妄想,せん妄などの精神症状や種々の身体的障害・疾患を合併している場合が多く,介護者の心身の労苦は大変なものである.在宅介護で家族が最も困っているのはなにかということ,ケアをする人はだれかということなどをまず知る必要がある.
 前述の調査では,山形県の家族構成は核家族が少なく(14.6%),三世代(53.7%)と四世代同居(20.7%)が多い.三世代同居率が高いが,これは痴呆性老人の介護能力にまだ予備能力があると考えてもよいということである.介護者の属性では,男性痴呆老人では64.3%が妻,女性痴呆老人では52.5%が実施の妻つまり嫁である.介護者の平均年齢は59歳で,50〜60歳代が最も多い.介護者にも高齢化がみられ,複数で介護にあたり,十分な休息をとるように心掛けねばならない.われわれの調査では,身近に介護をかわってくれる補助的介護者のいない者が22%もみられ,核家族の場合に多かった.これでは介護者が病気などで介護できない状態に陥ってしまうと,すぐに困ることになる.介護者の40%以上がなんらかの疲労を訴えているのが現状であり,介護者の健康度や疲労度をはかることが大切である.そのためには,保健婦の訪問,医師の往診,訪問看護,ヘルパーの派遣,入浴サービスその他,地域での支援サービスがいっそう強化されなければならない.
 老年期痴呆の予防・治療・介護について,日ごろ思うことを述べた.とくに原因的治療の未確立や,地域の在宅介護への支援体制づくりの遅れへのいら立ちは,明日はわが身にかかわることだと自戒しているためであろう.
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1993/2 老年精神医学雑誌Vol.4 No.2
痴呆患者のquality of life[QOL]
東儀 英夫
岩手医科大学神経内科教授
 脳血管障害患者における主観的QOLの低下に大きな影響を与える因子として,高年齢,要介助,職場復帰困難,高度の片麻痺,中枢性疼痛,しびれ,めまい,抑うつ状態などがあげられており,この大部分は医学の問題である.これに対して,痴呆患者のQOLは,社会的環境とのかかわりが大きな意味をもつ.
 岩手県に来て間もないころ,ある町で脳卒中検診と並行して痴呆の疫学調査を始めようとしたことがある.健康には関心のある町だったので脳卒中検診は協力が得られ,現在まで続いている.しかし,痴呆の疫学調査は,まだ実現していない.その原因には,顔見知りの老人に痴呆スケールなどの調査を行いにくいなどいろいろあるが,そのような調査の必要性がほとんどないことが根底にあるようであった.
 農村の老人は,多少知的機能が低下していても,できる仕事がある.家には占有できる独自の空間もあり,相応の役割もある.少しばかりの認知能力の低下は,お互いに認め合い,補い合いながら社会生活を続けられる.農村社会では痴呆に対する閾値が非常に高いのである.痴呆は「日常生活に支障を来す程度の記憶力と思考力の低下」(DSM-III-R)と,きわめて実用的な内容で定義されている.したがって同じ程度の痴呆患者でも,その患者が日常生活を過ごす社会によっては,あえて痴呆とよばれなくてもすむ場合がある.たとえば,家族は訴えないが,軽症の脳卒中で入院した患者に,以前からあったと思われる相当高度の痴呆を見いだすことも少なくない.
 日本の総人口に占める65歳以上の老齢人口の割合は,1990年の約12%から2015年には約22%となる.このような老齢人口の増加は,環境衛生の整備,集団検診の普及,高度の医療など多くの人たちの努力の成果であり,かつてわれわれが目指していた姿である.5人に1人(20%)が老人であるということは,家族構成にすると,祖父母,夫婦,子ども2人よりも老齢者の比率が少ないが,これは以前,日本中どこにでもあった風景である.それがいま問題になるのは,家庭,社会のあり方がかわり,認知機能の低下に対する寛容さが低下したためであろう.
 Dementiaという医学用語が使われ始めたのは,19世紀にはいってからのようであり,ちょうど産業革命によって人口の都市集中が始まったころに一致する.QOLという言葉が使われ始めたのも,産業革命後における炭鉱労働者の生活環境の改善が発端になっているという.現在の医学は,当時の人たちが願っていた多くのことを現実のものとした.生活レベルも当時の人びとからみれば,夢のような世界に映るにちがいない.それにもかかわらず,あるいはそれゆえに,200年たったいま,痴呆が注目され,QOLが医学の問題としてとりあげられている.この事実は,医学や経済の進歩だけでは解決できない問題が人類に残されていることを意味している.
 医師にとって,痴呆患者の医療,痴呆の原因の解明と治療法の開発に全力を尽くすことが使命であることはいうまでもない.しかし,たとえ痴呆が解決しても,社会環境がさらに厳しくなれば,その次に正常老化に伴う知的機能の低下も必ず問題になる.痴呆患者のQOLを向上させるためには,医学の進歩だけでなく痴呆患者が,相応の心豊かな生活を過ごせる生活環境を用意することも必要ではないかと思う.
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1993/1 老年精神医学雑誌Vol.4 No.1
老年精神医学のすすめ
西園 昌久
福岡大学医学部精神医学教室教授
 もう数年前のことになるが,長谷川和夫教授とある会で立ち話しをしていたら,森温理先生が,あなたは老人にまで関心をもっておられるのですかと揶揄された.福岡で老人精神医学研究会を始めてから5,6年になる.必ずしも専門ではない私が老年精神医学の研究会を始めたのは,これから育っていく若い精神科医が世の中のニーズにこたえられ肩身の狭い思いをしないですむためには,老人をみることを怖がらない知識と技能と態度を身につけておかなければならないと考えたからである.
 初めは,私どもの大学関係者ばかりのささやかな会であったが,いまでは精神病院や内科,婦人科の先生方,あるいは保健所の保健婦さんまで顔をだしてくれる.老年精神医学といっても,ただ精神科医だけのものではないことを知るよい機会になった.痴呆に関する医学的関心がにわかに高まって,今日では精神科医ばかりではなく,むしろ内科医の間に研究する人が増えている.そのような傾向をよく理解しない精神科医にとっては,異様な感覚を起こしかねない現象である.しかし,学際的研究の発展は今日の科学の特色の1つであり,学問はある特定の人たちの専売特許を保証するものではないので,むしろ歓迎すべきことであろう.そうしたなかで精神医学に期待されるのは,痴呆研究はもちろんであるが,それを含めた老化とかかわる精神病理や老人心性とそれら病理に対する治療的アプローチの解明についてであろう.
 精神保健政策研究会の創立の会に出席した際,たいへん考えさせられる話を聞いた.高齢者対策は国策とさえなって社会がそれを受け入れ,むしろ政府を叱咤激励さえしている.それにひきかえ精神保健の分野はどうであろうか.20年,30年あるいはそれ以上,叫び続けてもその声はほとんど届かない.その違いは何であろうか.高齢者対策の場合,非専門家の有識者がオピニオン・リーダーになり,自分たちのこととして訴えたことが社会を動かしたのではないだろうか.精神保健の場合は専門家が叫んだにしても,あくまで専門家あるいは関係者に対してであって,もともとかかわっている人たちを相手にしたにすぎないのではないだろうか,というものであった.私は20年ほどまえまで「教育と医学」という啓蒙誌の編集に長くかかわっていた.当時,思春期や精神療法を特集すると品切れするほどよく売れたが,老年期を扱うと在庫がたまった.今日,書店の店頭の本や雑誌をみると,時代がかわったことをつくづく感じさせられる.
 あるとき,80歳過ぎの婦人が,もの忘れのうえに,「ハンドバッグから金が盗まれる」と言い張るという主訴で息子の嫁に連れられて受診した.定型的な痴呆を基盤にした老人特有の妄想であったが,そのことよりもこの老婦人のケアをめぐって感心させられることがあった.田舎で長く一人暮らしをしていた彼女のことを心配して,近くにいる娘夫婦が同居してくれるようになったが,彼女は逆に娘の夫が財産を乗っとったと言いだした.そのために長男は彼女を引き取った.長男夫婦は,彼女は寂しいからそうするのだろうとある人に話し相手を頼んできてもらった.ところが彼女は,その話し相手がハンドバッグから金を盗むと言いだしたというのである.このなかで私が感心したのは,老人の話し相手をつとめようという人が現れたことと,盗みを疑われても,それは老人の病気のせいと受け流し,かえって話し相手が必要と判断できるボランティアがいることであった.
 高齢者への理解は部分的にはそこまで進んでいるのである.福祉の進んでいる諸外国に比較すると,まだ格段の行政施策の遅れや不備は歴然としているが,社会の高齢者への関心は急速に進んでいる.むしろ精神科医など医療の対応がずっと遅れているといってもよい.
 社会のニーズに対応するということを別にしても,老年精神医学の臨床は興味深い.老人心性を基盤にした精神病理にもいろいろの現れがあるが,精神と身体の老化,もともとの性格パターンの先鋭化,長年の家族関係史の帰結,生活史上の体験の影響などが凝集して一人ひとり個性ある存在をつくりだしている.
 あるとき,80歳近い老人が,威勢のいい妻に連れられてやってきた.妻は本人が足がふるえるので,といって寝てばかりなのが心配という.神経学的所見はとくになく,本人は妻と娘とがあまりやかましく言うので受診してきた,とありがた迷惑な様子であった.私は,この老人の何となくひねて社会と家族から身を引いているスタンスにひかれた.数年前に,自宅の境界問題の心労で抑うつ的になったことが契機という.若いときの苦学,それがむだになった長い兵役,復員後のカルチャーショック,その後の社会と人心の変化,これらはなにひとつこの老人になじめるものではなかった.それにもかかわらず,妻は浮かれたように楽しんでいることへの反発がみてとれた.私はこの老人との面接ではこの人の価値観とその喪失に共感することにつとめた.彼は私との面接に楽しみを見いだしたようでかかさずやってきて,元気になった.
 老年精神医学は,ただ老人のそのときの状況だけを理解すればよいのではない.凝集された全生涯が問題になるのである.
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