第18回日本老年精神医学会 演題抄録 |
【教育セミナー】 |
痴呆介護福祉分野におけるリスクマネージメント |
須貝佑一 高齢者痴呆介護研究・研修東京センター |
言葉は世相を反映する.痴呆介護の現場で今流行の言葉のひとつが「リスクマネージメント」であろう.この言葉が急速に広がり浸透しだしたのはここ2,3年のことである.わが国でのリスクマネージメント関連の文献はここ10年間で2,890件(医学中央雑誌調べ)にのぼるが,そのほとんどは医療分野で占められる.福祉と痴呆介護の分野ではこの10年間でわずか57件だ.そのうち痴呆介護に関するリスクマネージメントは11件にすぎない.しかもすべて最近3年以内の文献という状況をみると言葉の流行だけが先行しているようにみえる.それゆえに痴呆介護や福祉の分野での真のリスクマネージメントとはなにかを現場の状況を踏まえてまず問われなければならない. この2,3年で福祉の分野にリスクマネージメントの考え方が浸透し始めたきっかけは介護保険制度の発足(2000年4月)と社会福祉法の制定(2000年6月)が大きく影響しているといわれる.福祉は各種の法律でサービス事業と位置づけられ,サービス利用者が福祉施設を利用する当事者となって施設と利用者の契約関係が生まれることになった.行政措置の時代は行政側が責任を負い,当事者にサービスを提供することで福祉の大枠が成り立っていた.いまは利用者が福祉サービスを選び,応分の負担をし,サービスの恩恵を受けるかたちになった.その結果として福祉サービスの事業者や施設介護者には2つの圧力が生じているといえる.ひとつは「サービスの質の向上」の義務化であり,もうひとつは利用者からのクレームの増加である.このことが企業経営の分野では常識となりつつあるリスクマネージメントの考え方を福祉の分野にも持ち込まざるをえなくなっている背景になっている. リスクマネージメントは「事業者を守るためか」「利用者の身を守るためのものか」という議論ある.この議論は不毛なものであることはリスクマネージの内容を考えれば明瞭だ.リスクマネージメントを利用者中心にみれば次のようになる.すなわち,「サービス利用者の受ける損害や損失を未然に防ぎ,回避し,利用者に生じた損害や損失を最小限にとどめる方策」であってこれはサービス提供者側からみたリスクマネージメントと表裏一体をなすはずだからだ.にもかかわらず,「事業者を守る」という色彩が色濃くでるのは現実に介護現場で生じている日常のトラブルが損害賠償事件に発展する機会が増えていることにもよる.利用者とのサービス提供者の間に通常の介護のかかわりとは異質の緊張状態を生み出しているからだ. 福祉分野でのリスクマネージメントでとりわけ困難な課題に直面しているのが痴呆介護の分野である.ここでもまたサービスの質の向上が求められ,自立支援と尊厳ある生活の支援を求められている.しかし,痴呆介護の分野でいう自立支援,尊厳ある生活と叫ばれている内容は観念的できわめて曖昧である.アルツハイマー型痴呆についていえば,自立した生活がしだいにできなくなっていく経過をとる.自立歩行さえも危うくなり,結果的には車椅子からベッド上生活に移行する.その経過は多少の個人差はあるとはいえ冷静にみれば必然である.その時々で障害に対する適切な援助が求められる.援助は自立支援とは異なる面を含む.進行性の知的機能の障害と生活の障害は本人の尊厳ある生活を自力では維持できなくさせる.その支援も介護だが,そのことに伴うリスクはとてつもなく大きい. 痴呆介護におけるリスクマネージメントは痴呆症の本質を踏まえた議論から出発しないと現場に苦悩をもたらすだけになろう. |
2003/06/18 |