第18回日本老年精神医学会 演題抄録

 

U2−86

回想法を通じて痴呆に伴う情緒的障害が改善した元中国残留者の一症例

医療法人社団正仁会明石土山病院
湯尾弘司 三和千徳 波多腰正隆
岡崎孝夫 鶴田千尋 太田正幸 
医療法人社団正仁会明石土山病院・神戸大学大学院医学系研究科精神神経科学分野
         大下隆司
 当院では老人性痴呆疾患治療病棟において回想法を週1回行い,その延長として看護者も積極的に回想法的な語りかけを行っている.今回,われわれは回想法を通じて痴呆に伴う情緒的障害が改善した,元中国残留者の一症例を報告する.
 症例は82歳の女性で,診断はアルツハイマー型痴呆である.19歳時に上海で結婚,22歳で男児を出産した.しかし,25歳時に終戦を迎え,戦後は中国に留まり日本人であることを隠して暮らしていた.日中国交正常化後の60歳に日本に帰国した.81歳ころから健忘症状が出現し,他院にて上症と診断された.82歳ころから被害妄想,関係妄想が出現し,不穏・興奮状態となったため,当院に入院となった.
 入院当初,回想法のセッション中にも暴言を吐くなど不穏・興奮状態であったが,第5回目のセッションから徐々に中国での生活について具体的に回想するようになった.第11回には日本人であることを隠しながら生きる苦労や,中国人に殺害された姉についても涙ながらに回想した.しかし,日本に帰国後の文化間ストレスについても語られ,文化的同一性はむしろ中国にあることがうかがわれた.その後も中国での生活の回想を促したところ,痴呆の中核症状に変化はないが,セッション中に他患を配慮するなど情緒的には安定したため,入院5か月後に退院となった.
 痴呆に伴う精神機能の喪失は自我の退行過程と類似しており,進行に伴って原始的な防衛様式がとってかわる.また,情緒をなごませる人生の出来事とともに同一性をも消失し,患者は情緒的な混乱をきたす.本症例は人生の大半を過ごした中国に文化的同一性があり,当時の回想を促すことによって情緒的な安定を取り戻したと思われた.

2003/06/18


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