認知症ケア事例ジャーナル Netカンファレンス
 
 こちらは認知症に関するテーマを基に,地域・年代・職種に関係なくおのおのの意見を述べていただく場です. 1つのテーマを基にさまざまな視点,立場からの意見および取り組みを知ることを目的としています. 日本認知症ケア学会会員,認知症ケア専門士にかかわらずお気軽にご意見をお寄せください.

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今月のテーマ

あなたが,介護現場において,職種や人によって理解・示しているものが違うと感じる言葉を教えてください.
それはどういった言葉ですか?
また,どのように異なると感じていますか?

例:一部介助,介護拒否など

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投稿:女性 60歳以上  介護福祉士 兵庫県 グループホーム 家族介護経験あり(過去) 投稿日: 2017/11/14 11:15:03

介護職にとって、記録はとても大切なツールです。シフトで勤務する職員、家族の面会時、ケアの見直し、等々
違うだろうと感じる言葉は、排せつ時利用者の前で「どんぶり一杯、とか おにぎり1個」と排泄量を言ったり記録に残しているのを見ると、個人の尊厳や、自尊心を認めるからほど遠いケアと思います。もう少し専門性を持ち合わせ、利用者の立場に立ち自分だったらこうしてほしいと思う介護者になればと感じます。


投稿:女性 30代  ホームヘルパー 福島県 デイサービス・デイケア 家族介護経験あり(現在) 投稿日: 2017/11/07 21:27:49

排便 中等量 普通便 皮下出血 発疹 色素沈着

入浴介助時、ご家族がなかなか見られない全身状態を確認する大事な機会と毎回思っています。
職員により、堂々と見逃し、気付かない振り、または伝達不足、報告不要と自己判断…
私達の仕事は、御利用者を支援すること。
変化や気づきが大事です。毎日同じじゃない。
認知症の方にとっては初めましてかもしれない。
毎回心が少しでも穏やかになれるようにと考えたい。
職員不足は今後もっと深刻になる。
今から明日からでも、アンテナを張る力を身に付けられたら…
専門職という意識で、プロなんだから…
堂々とお仕事できるよう、介護職の底力や素晴しさを
もっと世間が理解してくれたら職員の意識も変わるのかな…


投稿:男性 30代  作業療法士 群馬県 老人保健施設 家族介護経験なし 投稿日: 2017/11/07 17:35:10

『認知症だから』
職場のカンファレンスや悩んでいる時によく自分よりも上の年代の方、あまり利用者さんとの関わりが少ない職員がだしてくる言葉ですね。これが、でてしまうとなにも先に進まないと思っていますし、そこが、考える終着点になり、明な考えるのをのやめてしまいます。とても、個人の尊重を無視した言葉で自分が大嫌いな言葉です。そんなことで決めつけずにもっと関わっていきましょう。色々トライアルしていきましょうと最近は伝えるようにしています。職場の環境を変えるためにも誰かがダメな事を伝える必要があると思います。


投稿:男性 20代  作業療法士 三重県 その他 家族介護経験あり(過去) 投稿日: 2017/11/07 7:09:08

便いじり、食べ遊び、拒否等。
言葉として状態はイメージできるが、その背景にあるものが本人の原因となっており、
認知症からくる症状でどの部分(失行なのか失認なのか、尿意便意の無さなのか)が影響しているのかという視点が無く、現象に左右されている。


投稿:男性 60歳以上  その他 大阪府 その他 家族介護経験あり(過去) 投稿日: 2017/11/06 14:47:22

元認知症介護家族です。
介護関係の人や家族の方が、「にんち、だから仕方ないよね」「にんち、じゃない?」と使う
にんち が気になるのです。認知症を にんち と縮めているのでしょうね。
家族はともかく、介護関係の方が使われることに、違和感を感じます。


投稿:女性 40代  介護福祉士 東京都 その他 家族介護経験なし 投稿日: 2017/11/06 14:46:35

「不穏」です。
その不穏な方を前にしての感じ方、見え方、考え方、思いなどはひとによって違い、言葉を受けとる側としても思い込みのイメージのできる範囲で捉えるしかないからです。やりとりをする双方の理解があって使用する言葉だと思います。また、必ずそのときのあらゆる状況などを確認する作業が必要になってくる為、便利な表現のようでいて、そうではないと思っています。
それを紐解いて理解しあうことは、我々の支援の幅は広がり、奥深いものになり、チームのひとりひとりの人間的な理解にもつながると考えます。
好きではない言葉でしたが、こう考えてゆくと曖昧な表現から言語化してゆく意義というものもあるように感じました。


投稿:男性 30代  作業療法士 北海道 デイサービス・デイケア 家族介護経験なし 投稿日: 2017/10/05 6:41:43

「じりつ」という言葉です。この言葉は、「自立」と「自律」で使い分けられますが、認知症の人の日々変化する状態を支援していくなかで、それぞれの職種がどちらの意味合いで「じりつ」という言葉を用いているかできるだけ確認することを意識するようにしています。
 自分で出来る限りの行為を行ってもらうという意味合いでの「自立」と認知症の人の自己決定を尊重する「自律」が、認知症の人本人の想いと家族の意向および支援者との間で重なり合わない場合、支援の方向を見えにくくする引き金になっているように感じています。


投稿:女性 40代  看護師・保健師 愛知県 病院 家族介護経験なし 投稿日: 2017/10/03 4:32:56

徘徊です。
あてもなくさまよい歩くこと。それが本来の意味ですが、よく使用されていますよね。
でも認知症を患っている方にとって、理由なく歩いているわけではないたと思います。
居心地が悪いから、家が心配だからなどあてもなくさまよっているわけではありませんよね。
しっかり理由があるのにその言葉にしてしまうことで簡単にしてしまっていないか。
そう思います。



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